こんにちは、保育園看護師のチロ先生、こと佐藤です。 新規事業の力で日本を開国せんとす、合同会社黒船の基礎です。
同じく、黒船の河津です。 僕たちは高校の同級生3人で、保育業界向けの新規事業を作ろうということで日々頑張っております。
実際に今ですね、サービスをちょっとトライアルで運用しているという、そんな段階に入っておりまして、またまた皆さんにもお届けできる日をちょっとお楽しみいただけたらなとは思っておりますが、
このラジオではですね、週替わりにそれぞれ持ち寄ってきた本をですね、ちょっと紹介しながら、保育について考えたり、ちょっと深掘りしていろんなこと考えたりして、ちょっと学びを深めていこうということでやっております。
はい。やっております。 やっているんですが、本日の担当者はセントス基礎さんということで。
はい。もうあれだね、セントス基礎って言われると本当に一瞬ポカンとするよね。 いい形名だと思うんだけどね。
それがね、君だけっていうことを除けば。 でも結構序盤からずっとそうだよね、言い続けてる。 ずっと言ってる。
ずっと言ってる。 ここの中だけ今セントスという言葉が、特にチロだけがね、言ってる。そんな私セントスからじゃあ今日は。
自認あるの? いや、自認ないね。
今言われるって、あ、そっかって思ったぐらいだから。 そうだよね。
はい。私がですね、本日皆様にご紹介したい本というのはですね、画面共有させていただきます。
画面共有が入るんですか? 新しいパターンはこちらになります。
どれ?ちょっとメガネします。 読めない。
タイトルが、そう、獅子になる。 獅子なんだ。
との異界探訪記っていうタイトル。 もしかしてこれ、異世界物ってこと?
いやー、あのね、捉え方によってはね、異世界物なんだけど。 面白い。
だって異界って書いてあるしね、世界ってのも書いてあるし。
いやいや、つなげられなくもないかなっていう。 チート系ってこと?これもしかして。
あのね、言ってしまうとチートと真逆系ですね。結構泥臭い。
はい、で、作者がですね、富川岳さんという方なんですが、
ちょっとね、急にこんな本持ってきてなんじゃこりゃっていう感じだと思うので、画面共有はオフにしますが。
でも松明漫画の井原史大輔さんって有名な方だね。
そうそうそうそう。 オシャレな漫画を書く人。
なんか結構その今の表紙を見せたかったっていうのもあって、表紙とかも全然クオリティが高いので。
とっても面白い本ということなんですが、詳しくは本編に入ってからというとこなんですが、
今日はですね、ちょっといつもと系統を変えてこんな本を紹介しようというところで持ってまいりました。
いいです。 何だろう。
楽しみですね。はい、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
詩詩になる唐の異界探訪記というですね、これちゃんと本なんですけれども、本日もできまして、
この本がどういう本かっていう概要について言うと、岩手県の唐之市っていうところがありまして、
で、唐のって、唐の物語っていう、随分昔に書かれてる本があるんだけど、民俗学とか、
そういう類のところで割と有名というか、何だろうな、
河童とかをめっちゃ推してる市なんですよ、プロモーション的に。妖怪とかそういうのが未だに日常の中にいるというか、
っていう世界観。田舎なのでね、言ってしまった。
で、バリバリ東京の広告代理店で働いていたこの作者の富川さんという方がですね、
ひょんなことからその唐の市に移住することになったっていう、ある種ドキュメンタリー的な話のところで、
ちょっとそのバリバリ広告代理店の人が何で唐のにとかっていうところなんだけど、
そういったところをですね、書いていった本になっておりますと。
なるほどね。
そう、だから全然ハウツー本とかそういう類いったの全くなくて、ある一人の、
ドキュメンタリーな感じで。
そう、ドキュメンタリーですね、確かに。っていうのだけど、ちょっと面白かったのだと、
自分がね、この唐の市の隣にある岩手の花巻市っていうところとすごくいろんな縁があって、
まあちょっと何かとつながっているので、そんなきっかけでこの本を読むことになったんですが、
すごく面白かったので、あえてこのラジオで紹介しようということにしております。
なんかその写真がいっぱいあるみたいなものではなくて、本当にルポというか文字の。
文字だね、その写真というかそのイラスト的なものとか、
緩末漫画はそれこそ井原さんという方が書いてたりとか、
読みやすいように工夫はされてるんだけど、基本はもう文章なんですよ。
そこもまあ面白いというか、結構ね、俺が今現物持ってないからあれだけど、ボリュームそこそこあるんだけど、
ぶ厚め。
ぶ厚めなんだけど、すごい読みやすい。
へえ。
ので、ちょっと面白いから読んでほしいなっていうのがまずありまして、
で、まずこのタイトルの獅子になるですよね。
なんだこれ。
女の手姫ってこと?
いやそう、ある意味、河内さん正解ですよそれ。
え、タカナシシなの?
タカナシシだったよね。
そうそうそう、あの実はね、あの向こうの、まあその岩手の東雲とか花巻とかの方に、
獅子踊りっていう、まあ鹿踊りって書いて獅子踊りっていう風なのがメジャーなんだけど、そうそうそう。
そういうなんか郷土芸能みたいなもの。
あの、ある種神楽的なものというか、
はいはいはい。
そういうなんか土着のね、伝統みたいなものがあって、
あの獅子踊りもね、検索してもらうとわかるんだけど、変な仮面とかをかぶって、
あの獅子と、その獅子踊りもバリエーションがいくつかあるんだけど、流派みたいなの。
基本的にはその獅子になって、
あの、まあ獅子だけで舞う獅子踊りと、
獅子と人間のその関係性を描く獅子踊りと、そういういろんな流派があるんですが、
あの、この本の面白いところというか、この本を読んで保育とちょっとつなげて考えたいなと思ったのが、
まず獅子になるっていう話が意味わかんないけど、要するにこの作者のですね、富川さんという方が広告代理店にいたんだけど、
その遠野氏の獅子踊りの踊り手になるっていうことになったんですよ。
えー、突然。
そう突然。
えー、あの、獅子舞をイメージしたらなんとなく伝わる感じの。
あのね、獅子舞よりもっとね、なんか土着感が強いというか。
あの、一般的な獅子舞よりももっと鬼っぽい感じなの?
そうだね、もっとなんていうのかな、個別土着的というか。
その土地の神様感が強いんだ。
あー、いや、あの遠野氏の獅子踊りとかで調べてもらうと、
出てくる。
怖いね、結構。
結構怖いよね。
あの、ちっちゃい子見ると結構泣くんだよね。
うん、その怖いの方向性が違うというか、
その、獅子舞的な怖さよりなんかもうちょっとこう、なんていうんだろう、恐れっていう感じ。
そうそうそうそうそう、なんか全然可愛さはないんだよね、あんまり。
ほんとだ。
ビジュアルとしては。
結構怖い。
角がでかい。
ほんとだ、鹿に近いね。
そう、で、この獅子っていうのは昔の言葉で言うと四つ足の山にいる生き物だいたい獅子だったっていう。
あーはいはいはい、獅子も獅子になるっていうのはそうなんだね。
そうそうそうそう。
で、まあそういうなんかいろんな獅子が、獅子っていうかいろんな動物が合体したキメラ的なこの獅子の仮面というか、
全体の衣装というか、をまとって集団で舞いをするという伝統芸能というか、共同芸能がありますと。
で、この踊り手に富川さんがね、なりましたと。
そこもいろんな経緯があって、結局最初は取材で行ってたんだけど、なんかその地元の人たちに取材してるだけじゃなくて踊りなよみたいに言われて。
多いね。
そっから踊ることになった。
それこそ民族学的というか、フィールドワークやった。
そうそうそうそう。
フィールドワークだね。
入り込むみたいなところがあるよね。
完全に入り込むだね。
だから見るものだと思ってたこの作者の人も、それをやるようになってまた新しい世界というか、
その獅子になっての物の見方みたいなものがいろいろわかってきたよみたいな話。
面白いね。
そう。でなんかこの詳細というかその物語、この本の中のドキュメンタリー的な部分はさておき、
なんか考えたいなと思ったのがさ、この獅子踊りってその獅子になってその踊りをやるわけですよ。
それって千代とかがよく言っているごっこ遊びとか、これにちょっと近いなと思っていて。
なるほど。
そう。でなんかごっこ遊び、それになることによって何かを知るとか、そういう物の見方を考えるとか、
っていうことがある種その土着的に続いているというか、みたいな部分が面白いっていうのと、
やっぱりね、なんていうのかな、その島の自体がそういう日常と異界っていうものが分断されてないというか、
妖怪的な、山や川とかがさ、自然が豊かな場所にあって、
でそういう妖怪がいてもおかしくないような世界観が未だにあるというところ。
そこでいう異界っていうのは、そういう妖怪的なもの、人ならざる、人質ならざる世界くらいの意味合いってことなの?
そうだね、そういう世界があるよっていうところと、この作者がやっぱり東京から移住しているから、
そういった意味でまずローカル、地方っていうところがだいぶ異界であるっていうこともあると思う。
でもその獅子になるっていうことで、また一つ違う世界に入り込むというか、みたいなね、
っていうところがなんか面白いなと思ってて、なんか、その異界ってそもそもなんだっていうさ、テーマをちょっと考えたいんだよね。
異界というか、つまりなんか教会?山ごとの教会とか、なんかそういったものが。
とこしおみたいなそういうやつね。
まあなんか普段さ、ぱっと何かの教会とか、まあ異界はさ、さっき山ごとで言ってたけど、異世界系のね、ああいうのもさ、
自分の世界とは違うものが異世界だと思うんだけど、まあそれってなんかいろんなスケールであり得るよね、みたいな。
面白いね、なるほどね。
流学先というかさ、海外もそもそも異界じゃん。同じ国にいても、それこそなんか全然違う世界感を、僕らから見るとラブ上等みたいな世界も異界みたいなものじゃないですか。
たしかに。たかやすは片足突っ込んでると思うけど。
そう、いや俺はね、ちょっと気持ちわかるんだよね。
やっちゃかんで言うとね。
そうそうそう。この街だって2、3人いるでしょ、すでに一緒に。
そう、あの系統がいるから、半分シオパシーだった、あれ見てて。
やっぱ水はやべえからん。
水はやべえからん。
シズワしか知らないけど。
全く知らない。
いろいろ最近炎上してるって話しか知らない。
炎上は尽きちゃったですよね、この世の中では。
たしかにね。
子供ってさ、やっぱりその世界をさ、異界っていうか、それこそ子供の目から見ると妖怪とかそういうものも並列というかさ、自分の世界にいるものだと思って世界を見てると思うんだけど、
大人になってしまった我々からすると、そこにちょっとあえて境界線を設けるというかさ、現実ではないみたいな。
たしかに、結局勉強して学んでいくことってもうすごくざっくりと全部分解でしかないわけじゃん。
我々は高校の国語の授業で習ったまんま、非まんまの、それ以外かっていうところがいかに細かく分かれていくかっていうのがこう、勉強、勉学みたいな。
まんまの話さ、当時はさ、バズワードとしてしか覚えてなかったけどさ、
思う思う。めっちゃ思う。
今考えるとおもろいよな。
おもろいです。
言語の習得家って、一個の授業は覚えてないんだけど、今そのキーワードからだけ想像するに、言語の習得家ってそのAとNot Aから分化していくっていう行為ってことなんだよな、きっとな。
そういうことだよな。
まずまんまがあって、
何度も言ってくれてたんだよな、ハルキーが。
そうだよな、ハルキーが。
なんか、我々の世代が、世代というか、
カホがな。
カホね。
でもその、なんていうか、ある種、生まれてくる前の段階って思ってみると、
あの、受精卵がもう完全体なわけじゃん。
だってそこに全部あるんだから。
でも、
もうそれが、分かれて分かれて分かれて分かれて細胞分裂を繰り返して分化して、この体を作り、未熟な状態で生まれてきて、
さらにそこからいろんなものを獲得して成長して発達してっていう過程を経て、今我々はこんな感じで仕上がってるわけだけど、
だからそれを思うと、やっぱり子供たちからしたら、あの、さっきタカヤさんが言ったときも、自分の世界みたいな、
見方がまず我々とはすでに違う。
違うよね。
もうまるっと妖怪だろうが、それこそあの世とこの世みたいなものもまだ繋がってるような状態だし、
まあそこをどう考えるかちょっとスピリチュアルな系統に入っちゃうかもしれないけど、
その世界の捉え方というかね、
なっちゃうかもしれないけど、でもその概念的にはまだ理解していないことを思うと、
それこそそういう神様、山とか川とかその自然っていうものをさ、
日本人はすごくこう生活と一体してて密着してて、
そういった神々が、ヤオロズの神がこうすごく近しいものとしてさ、
ある感覚がずっと文化的にあると思うんだけど、
やっぱり都会的な、西洋的なというか、
欧米化した社会様式の中だとそこを感じにくかったりするところが、
その地方の自然豊かなところとの違いにも、今もうすでになってるんだろうし、
その距離感自体が結構違うんだね、そういうものに対して。
感じにくいというかね、さすがに、
でも変な話だってビルとかだって、こういう建造物だって人間が作ったものなんだから、
人工物っていう括りもできるけど、
人が作るって意味では自然ではあるっていう考え方もあると思うと、
そうだね、人工を自然と捉えるかどうかっていう話はあるよね。
これだって自然の一部だという認識は持てるんだが、
そこになぜ魂を感じないのかみたいな、
なんか山とかに感じるその威風の思いみたいな、
ちょっと怖い、闇夜が怖く感じてくる人生。
そうだね、海とか山も夜は怖いもんね。
そうそう、その怖さを感じているのは果たしてその外部的な要因なのか、
自分の内部にあるその威風に初めて触れたからなのかみたいなとかさ、
まあ本能的なものかもね。
そう、いろんな捉え方できるなと思うんだけど、
でもある種、カオアジが好きな異世界物語って、
どっちかというとパラレルワールド的な話じゃない、
現実とは違う世界線の別の次元のみたいなさ、
ちょっとそれはあるよ、俺その話は。
やばい、長くなるぞ、これ。
それはちょっとしろくん、表面の理解かもしれない。
僕の今の表面のカスっぽな意見で言うと、
そういうパラレルワールド的な異世界っていうものとは違う、
なんか地続きの、
まあそうね。
そう、本当裏と表ぐらいの関係の常しい世と宇宙みたいな、
今の世界の中に本当はあるみたいな。
そうそうそうそう、本来はここにあるんだ、ただ見えてないだけみたいなところと、
それらを繋ぐものとして舞とか踊りとかそういったものは文化としてあったりさ、
うん、なるほどね。
あるんだなと思うと面白いね。
なんかいろいろこうバババーっとありそうだけど、
論点ってもおかしいんだけど、今チロがバーっと話してくれたことっていろいろバーっと混ざってる感じがして、
民族学的な、異界か否かっていう、
とこよ写しよの話と、都会と自然の話と、異世界と、フィクションとノンフィクションの話とみたいな、
ごちゃごちゃっとありつつ、まあでも確かにチロの言い方なんとなくわかって、
偉いねみんな、よくこれでなんとなく分かれる。
ケイタがちゃんとふわけしてるのが偉いなって思った。
本当に。
混ぜられた料理から各材料を取り出すみたいなことやってる。
すごい、なんかわかんないけどおいしいご飯しか作れない。ちゃんと分解してくれる。
偉いわ。
でもそこが、何もないと確かにごちゃっと話してもなんとなく、
聞いてる人も多くはその、なんて言ったか分かると思うのよ今、ぶっちゃけ。
聞いてる人もチロが話してることが、実は違うことを言ってるんだけど、でもなんか同じような感じがするっていうのが全然わかることだと思うね、普通に。
っていうので、何だろうな、あえて分かたれるみたいなところを一点に、異界とかではなくて、
分かつものが何かみたいなものって、もう解釈でしかないよねっていうところはあるよね。
そうだね、結局はその、何によって分かれてるかって分かたれてるかっていう話だね、それこそが教会だと思うんだけどね。
で、分かつのってさ、結構その、知らないと分かてないと思うよね、実は。
その通りだと思います。
認識しないと分かたれないじゃないですか。
その、なんとなく怖いっていうものって実はまだ分かたれてなくて、
そこに、これは妖怪という、異界という概念があるらしいっていうのを知って初めて、その線が引かれる。
そうだね。
だから、知らないっていうことは、実際だと思うのよ、その存在を。
知るっていうことが、そこを分かつ行為なんじゃないかなっていう感じがする。
だから、僕らが知らないから全員同じっていう感覚がするけど、
僕やキサ君やチロっていうのを知らない人が見たら、全員その30代の男性じゃないですか。
それを知ってるから個別に分けれるよね、っていうものの中で、
僕はその分かつっていうキーワードで一番感じたのは、現代はかなり分かつ行為好きだよなと思って。
分かつ子、分かつ子してる、ほんとに。
そうそうそう、どういう意味か教えてもらっていい?
そこ深掘るっす。
今の、ゆってぃさん、ゆってぃさんという芸人さんがいるんですけど、
分かち子、分かち子って、あれ実は分かつ子、分かつ子って出てて、
これ陰謀論なんですけど、これ。
でも、陰謀論もまさにその分断する行為じゃないですか。
あそこにはそれがあるって分ける行為じゃないですか。
だからそれに何か娯楽を感じるなっていうのはありそうだな。
もし多様性とか、そういうのもまさにそうだなっていう感じはする。
あれだね、歴史とかもさ、そういう目線で見てたら、
ほらだんだんもともと、それぞれの村で成り立てたものが中央集権になるじゃない?結局。
ぐっと中央集権になる。でも結局今、また地方が、地方がそれぞれが頑張らなきゃみたいな感じになってったりとかさ、
分かたれてって、最初何か万全とあったのに、すごい分けて分けて、でも最後ギュッとまとめて、
でもそれがまた放たれてみたいなことを繰り返しているなと今ちょっと思いました。
以上です、現場からは。
権利の話とかはまた難しくて。
そうだね、ちょっとパッと人権の話とか入ってくるから。
でもなんつーかな、本当この、すごいこれ本当僕の感覚の話だから、非常に分かるか分かんないか分かんないんだけど、
本当にいろんなものを分けまくった結果、なんかやっぱちょっとうまくいかなかったなみたいなのがいろんなところであって、
でも最終的にやっぱりじゃあもう、もう一回一個に戻ろうよじゃないけど、こう戻ろうよというか、
それらが分かれた上で一つになろうよみたいな感覚がちょっとあって。
へー。
でまぁ最終的にじゃあ、お役目ごめん、この世の中から去っていきます、肉体は滅びます、いわゆる死にますってなった時に、
なんか一個その戻るような、分かれていたものが戻るような、要は魂的な話で言うと、
スピリッツの話かこれ、グレートスピリッツの話じゃないですか。
それはグレートスピリッツの話、分かれている感覚があって、分かれた中で頑張って生きてるような気がするんだけど、
でも実は大本ではまた違うものがあって、そこに戻っていくみたいな感覚はあるなーっていう気がするんで。
僕全然スピリッツじゃない感覚の方が強くて、むしろこれは確かにスピリッツの話だったら文化の話だからだけど、
分断がどんどん激しくなってるなーっていう感覚の方があるなー、少なくともその文化においては。
だからそれがほら、なんか結局は戦争が終わらないみたいな感じでさ、なんか。
ちょっと話がでかいな。
いや、チローが感じてるその繋がってる感覚はすごい分かるんだけどね、話が広がりすぎるわ、とりあえず。
そうだね、たぶん俺の方がその低次元な話をしてる、良い意味悪い意味ではなくて、低い次元な、肉体的な話をしてる。
そうだね、チローの方がそのちょっと高次元な話をしてる。
ややスカラした話をしてるって言ってるんだけど。
言ってることは一緒だと思うんだけど、きっと感じてることは一緒で、だからそこにやっぱ違和感とか、うまくいかないみたいなものもやっぱ出てくるんだなーっていうのが。
なんかここの境界の話をしたかったのはさ、さっきエータが言ってくれてたように、なんか、なんていうの、
今の社会って分かることが重視されてるよね、みたいな話がすごいあると思っていて、で、なんだろうな、やっぱり、
分かるって基本は言葉にするとかさ、言語化するっていう、ふわけするっていうのは、言葉によって物事を分けるっていうのはさ、やっぱり言語化なんだよね、基本的には。
だけど、それってまあ、この間のセンスの話とかもそうかもしれないけど、なんか言葉にしきれない部分みたいなものとか、
言葉にできるもの、数字にできるものが、今の資本主義の社会だとめちゃくちゃ強いんだけど、
言葉にできないものっていう部分があるよねっていうか、なんかそこって光当たりづらいよね、みたいな。
あと、そっちメインだと行きづらいよね、今の世の中みたいな。感覚がすごくあって。
分かる。
なんかね、そう、人間のさ、両輪じゃないけど、保育で、子供ってやっぱさ、我々からすると、まあ俺らも本当は通ってる、
この子供時代っていうものをね、通ってるはずなんだけど、今の大人になった我々からすると、子供ってなんかもう異界なわけですよ、こっちからすると。
で、でもなんかそういう、なんていうのかな、今の資本主義的な数字ロジック、言語化の人とか、
まあそういうものが優遇されていく、とか消化されやすい社会において、なんか、まあシロもよくさ、保育言語化できねえんだよみたいな話がいっぱいあると思うんだけど、
なんかそこの言語化できない方、なんかわかんないけどなんかそこにあるとか、なんかその感覚みたいな、それが結構両輪な感じがしていて、
さっきのシロの話じゃないけど、それってまあサイクル的なその揺り戻しみたいなものがあるんだろうなっていうのは感じていて、
なんかね、わかんないものっていうのが、どうしたらわかんないままスポットライト当てれんだろうなみたいな感覚を持ってる。
で、その中でこの獅子踊りって、当然、まず見て感じるのもそうなんだけど、中に入って、獅子になって踊ってみることによって、見えてくる世界があるっていうところがあってさ。
で、これ個人的な自分の体験談なんだけど、獅子にはなってないんだけどさ、この間あの花巻市の年に一度の大きなお祭り、花巻祭りというものがありまして、
そこであの出汁を、出汁ってあのでかいさ、作られた。花巻の出汁結構でかいし、火がつくんやけど。
えーそうなんだ。
あの出汁を引くっていうので参加してきたの。
えー。
そうで、まあ実際は出汁を引く係じゃなくて、出汁の後ろについている太鼓を叩く係で、もっとなんかやりがいがあったというか。
かわいい。
もう太鼓俺叩くんかみたいな。
そういう感じだったんだけど、でその次の日は、あの3日間、金土日とそのお祭りやってて、
あの金曜日に自分はもう、花巻祭り自体初見というか、あの知ってはいたけど、生で見たことがない状態で、いきなり行ってまず太鼓を叩いて参加みたいな状態。
で、土曜日2日目に、あの純粋な観光客としてそのお祭りをやるってことをしたんだけどさ、
やっぱね、参加した方が楽しいんですよ。
へー。
全然なんかその体感が違った。これはなんか言葉にしづらいんだけど、不思議だったねあれは。
いや、面白い、いいね。
なんかこう、ある種さ、まあ踊りとかさ、それこそそういった、祭り系のものとかさ、
なんかこう、集団でやるものじゃん、一人じゃないじゃない、まあ舞とかもしかしたら一人かもしれないけど、
いやでも舞も、あの音楽の人とかさ、絶対一人だよね。舞台のある種。
なんかこう、ある種、自分と他者との境界をこうちょっと溶かしていくような、一体してやっていく、そこでなんかこう消化されていく、
祈りだったり、思いだったり、激しさとかも含めて、なんかその集団でやることのなんというか神秘みたいなものがきっとあるんだろうなって思っていて、
それはやっぱり、言葉で分けるにはなんだかしっくりこない感じがするような感覚として。
そうだね、なんかまあ本能的なものなのかなとは思うんだけどさ、
祭りとかじゃないけど、ちょっと最近話題になってたものとしてさ、あのハイロックスってあるじゃん。
あの障害から運動するやつ。
そうそう、まあマーケティングが上手だとかそういうとこもあるんだけど、
シンプルにその、やっぱ何人かでそうやって体を動かす、身体を伴った動きをして、それをなんか分かち合うみたいなことって楽しいよねって、
もっとライトなとこで言うとシンプルになんかランニングコミュニティとかも最近流行ってるじゃん。
え、皇居ラン。
意味わかんないよね。
そうね、意味わかんないでしょ。意味わかんないんだよね。
けど、今の世の中に求められてるのがそれなんだなっていうのが、すごく祭りに参加してよく分かったっていうか、あの感覚なんだなみたいな。
いや、あの会社に埼玉に住んでる人がいるんだけど、この人は祭りは参加するもんじゃなくて作るものだって言ってて、
埼玉の地元の祭りっていうのを本当に自分たちで作ってるんだって。
今までなかったものとか、やらなくなっちゃったものを復活させるみたいな形で深く運営をやってるんだけど、めちゃくちゃ楽しいって言ってた。
そうなんだね。
そうなんだ。
多分当事者になることが一番楽しんだろうね。
なるほどね。
祭りも周りも。
ネットサービスなんて作ってる場合じゃないって。
ネットサービスなんて作ってる場合じゃなくて、祭りをみんなやったほうがいいって。
そうだね、でも、本当に祭りもピンキリって言うとあれだけどさ、本当に神事っていうか、神との伝統的なつながりとか儀式的なものもたくさんあるし、
もうちょっと悉近な例というか、現代的な例で言うとフェスみたいなさ、単純な仕事の体験みたいなものも祭りと言われてると思うし。
昔えひめがどっかに一緒にお届けしたときに、みこし同士を本気でぶつけ合うっていうさ。
断じりみたいな。
喧嘩みこしみたいな。
本当に喧嘩してるんだよね。
本当にその流血してるの、本当に。
激しいよね、ああいうのって。
なんかちょっとネットとかにもう流せないレベルの流血がザカになるらしくて、
それはやっぱその地域としては、あれがもう年に1回の楽しみなんだみたいな。
あれに向けてこうトレーニングしたり、より良いフォーメーションを考えてるみたいな時間があるって聞いて。
面白いよね。
思った以上にさ、我々割と結局都市部で生活というか育ってきていて、そういう祭り的なコミュニティってさ、ごく一部の町内以外の人がいるものみたいな感覚じゃん。
けど地方ってマジで、祭りのために生きてる人が予想以上にいっぱいいて、ちっちゃい頃からね、そういう育ち方をしてるからだと思うけど、
なんかそこの距離感もだいぶ違って面白いなって思ってんだよね。
いや、文化っていう話を聞いたときにやっぱ一番真っ先に現在の一番大きい文化はローカルとグローバルだよなっていうのをやっぱちょっと思う。
東京都心で世界に向けてお仕事をグローバルでやっている人たちと、地方っていうか、まあすごい俗な言葉を使えばマイルドヤンキーで、土着でかけ生活の人たちにおける人たちって、だいぶそこのほうが分断がでかいというか。
同じ日本を生きててもだいぶ違うだろうね、そこの感覚が。
時間が違うなっていうのはこういうことなのかもなって思う。
でもそう、今のめっちゃいいポイントで、その中で俺が面白いと思ったのは、明らかにその都市部でグローバルを見て働いている、東京とかでね、世界とつながりながら働く、あるいは本当に海外で働いているっていうケースもあるけど、
そういうグローバルの思考とローカルの思考ってあると思うんだけど、これあえて言うならその東京と地方みたいな括り方をするならば、
なんかその、東京が世界に近いっていうふうに思うんだけど、本当に世界的に見て日本が面白いと思うものってローカルなんだなっていうのをすごい感じたというか、
本当に土着の人は本当にローカルのことしか考えていないというか、その見えている世界の範囲がたぶんそこなんだけど、
そこに最近この本の作者みたいな、東京にいた人が移住して、要するにグローバルの目線がローカルに入ることによって、そのローカルが実はグローバルに直結するみたいなケースがめちゃくちゃ増えていて、
で実はこの獅子踊りってさ、すごいなんかローカルなニッチなお祭りっていうか、京都芸能でしょみたいな感覚あると思うんだけど、水曜日のカンパネラっていうバンドの元ボーカルのコムアイさんっていう人がいるんだけど、
そのコムアイさんも獅子踊りやってんだって、東京とかでバリバリアーティスト活動してた人が、こういうなんていうの、素朴なって言ったらあれだけどさ、ローカルの伝統芸能に参加して、それこそ新しい動きもそうだし、もちろん昔ながらの方みたいなものもあるんだけど、そういったものをまた改めて取り組んでいるみたいな
出身がそちらとかではなくて、 そうなんだ、すごいね。面白い。 だからなんかそういうなんか身体制とかこういう民俗学的なものというか土着的なものっていうのが、なんか改めて今面白いよなみたいな
でももう日本が神の国みたいな感覚ってそういうところから来てるんだろうから、 そうそうそう
残したいことだね、きっとね。 本当に面白いのはさ、もちろん今回のこの本を書いてる人はその岩手の遠野市に、でその獅子踊りっていうものをやってるんだけど、例えばさ、日本なのかと言われると、一応現代の区分では日本だからあげるけど、沖縄とかもそういう京都芸能というか伝統的な舞とかさ、いろいろあるわけで、
そうそう、エリサとかね、なんか土着的なもの。なんかこういう土着的な世界って実はこれからめっちゃ面白くねっていうのを最近俺は感じてて、 これをちょっとなんか終わらせに入るっていうかもうちょっと広げてもいいんだけど、
その大人が楽しむことで、ちょっとずれる話を今からするんだけど、
うん、全然。
その大人が楽しんでることで子供が、みたいなやつですし、僕も確かにと思うし、社に構えない方がいいよねっていうのを、まあ霊障防衛たる僕が言うのも何なんですけど、
霊障防衛、自覚あるんだね。
あるある、高校3年間合唱祭全部口パクしてやったっていう霊障防衛だったんですよ。
男子が歌ってよって言われるタイプの人だった僕が。
そんな霊障防衛たる河内さんが。
だけど今日、たぶん次回ご紹介する本になっちゃうんだけど、最近とばりの向こうっていう、
あ、とばり。
それが哲学者の国部広一郎さんっていう、
有名ですね。
暇と退屈の倫理学が書かれてる方と、オードリンの若林さん、笑い芸人さんの対談の本っていうのが、
それはすごい面白くて、なんか、若林さんって結構本当にずっと何かを考えてたりとか、
あと2020年だか22年ぐらいだか、本当に聞きたいことを聞くためだけに東大の院の人を家庭教師として雇っていろいろ質問するっていうのをしたりしてた。
今で言えばAI的な使い方やな、もう。
そうそう、だからチャットJPGをめちゃくちゃ聞きまくってるっていう人らしくて、
若林さんが、現代のお笑い芸人、若手はメタが行き過ぎてる。
だから、しゃに構えるとメタ的に見たときに逆に恥ずかしい。
こいつしゃに構えてるなってわかるなってなるから、だからまっすぐちゃんとやろうっていうのをメタに見た結果、そこに至るっていうところに至ってるから、
逆に今真面目なんだってみんな若い人の方が。ここで三者じゃなことを言ってて、大学でサボってるやつとかほとんどいなくて。
マジか。
授業の時間になったらみんな授業に出てるから、授業中って大学に生徒が歩いてないんだって。
へえ。
すごいね。みんなその、例称が逆にダサいみたいなところにメタが強すぎて回っちゃってるから、
大人が楽しんでるよねっていう作られた感覚値の方が一般になってるっていうのがあるかもなっていうのはちょっと思った。
ああ、なるほどね。でも面白いな、その例称の方が恥ずかしいよねっていう世界になってきてるわけだね。
そう、あいつ例称してるっていうのが見れちゃうなって、メタで。
なるほどね。
面白いな、現代だからこそそのメタ的に見すぎるというか、Xのアカウントを使い分けるじゃないけどさ、いろんなあれと常に見られ方を気にしてるから嫌でもそもそも。
僕はそれね、すっごいわかると思った。
そうだね、すっごいわかった。
なんかここで何構える、わかんないけどチームビリーディングってさ、会社になったらちょっとなんかだるいことをしなくちゃいけないわけですよ。
それこそグループワークみたいなことさ、ぶっちゃけちょっとなんか恥ずかしいじゃん。
恥ずかしいからね。
ですよね。
それをちゃんとやった方がダサくないなっていう感覚を持って、ちゃんとやれるっていう感覚は僕も結構あるので、
そういう意味ではその大人が楽しそうに見えてるものをした方がいいよねって理解してみんなやるっていうことはあるだろうなって思いました。
面白いね。
それか心から楽しんでるかどうかなんていうのとは別の話で。
そうだね、それを払って話し議論に近いというかね。
そうそう。
確かにね、確かに。
だからそう、冷笑なんだよこの変な仮面とかじゃなくて、実際シシになってみた方がいいよねっていう話。
ああそうっすね、いいよねっていうのがみんなわかってるよねっていうメタだから。
いやでもほんとそうだと思う。真面目って言うとなんか気真面目というかさ、優先効かないやつみたいなことじゃんみたいに捉われるけど、そうじゃなくて何かに正面切って取り組むというか、ちゃんとやってみる、当事者になってみるっていうことが真面目さというか、現代的な感覚なのかなっていう気がする。
なんかスマホに今私書いてあった、あんまり話すぎたら次回も話すことなくなっちゃうんだけど。
ちょいだしね。
メタが行き過ぎてるかっていうと結局情報量が多いから、親がちゃとか生まれの環境とかまでメタでわかっちゃうから、ある種若者がネタバレを受けてるようなもんなんだって、自分がここまでだって早い段階でわかっちゃうねん。
だから、じゃあそれに恥ずかしくないようにやろうみたいな、ある種自分で限界値を決めれるみたいなのがより強いっていうのがいいね。
何も限界を考えずに上がるだけ上がろうぜみたいな感覚ではなくて、相対的に位置づけちゃうってことだね。
もう自分の限界はこの辺だろうなっていうと早い段階で見過ぎちゃうっていうのが現代のヤマイン近い。
ヘーターはわかると思うけど、シャーマンキングのさ。 メキシタね。
そう、メキシタが天井が近づいてくる。あれが今すごい思い浮かんでる。
ある日天井が近くに見えたんだみたいな。トイレに座ってたんだみたいな。
シミとかがね、解像度高く見えるようになってみたいな。
いやー、あれがネタバレって呼んでたんですよ、若い頃。
人生のネタバレが早いのか。
いやーそうだよな。だからなんか、子供の世界を見ることも大事。
子供がどう見ているか理解するっていうことも一つのきっかけにもなるし、
今のケータの次回予告も跳ねるとさ、獅子になってみようぜと。
物事に正面来て取り組んだ方、意外と面白い世界があるよ、そこにはっていうね。
なんかそこなのかなーって今日の話聞いてて思ったかな。
いや、めちゃめちゃ良かったと思う。だし、なんかある種保育っていう仕事はそれを仕事としてできるんだよね、本当に。
確かに。
やりきれるはずなんだよ。
ごっこ遊びに付き合うとかってさ、ちょっと気恥ずかしさが出るけどさ、それをもう皆さんプロだから。
そうそうそう。それこそ本当、赤ちゃんだったり子供たちのなんかよくわかんないのを冷笑して、
お前さ、そんなマジだるいよみたいな感じでいると、やっぱその先生はだるくなるし、見てるこっちも気分よくないしってなるけど、
そこで一緒になって、うわーってバカやって、子供たちで先生それなんとかなんだよって気づいてもらう。
子供たちからの発信で、これってこういうふうに見えるんだってわかってもらうができるタイプの保育士さんって、
やっぱ全力で楽しんでたり、すごく人を惹きつけたり笑わせたりも含めて、明るくていいなって思うから。
獅子になる。獅子の目線で物事を見るじゃないけど、その保育で言うと子供になるっていうね、大人があえて子供になるっていう世界。
そうそう、それ面白いよな。 その感覚はね、やっぱ保育者ならではだし、本当に保育が面白い、保育が楽しくって、
自分も楽しくいれる先生たちはやっぱ長く続けられると思うし、子供にとってもやっぱポジティブな良い影響を与えられてる気がするし。
確かに。面白いな。 良いですね。それをぜひ体現していきたいなという感じですね。
はい、ということで本日ご紹介した本は富川岳さんの獅子になる党の異界探訪記でございました。
はい、ありがとうございました。もうね、ちらと来週の次回予告も上手にしていただいて。
全然違う本の可能性もまだあります。 そうだね、それもそれで面白いですね。
はい、というわけでこんな感じでね、保育について考えたり、いろんなことを考えたりしていくので、ぜひぜひ皆さんご説得いただけると嬉しいです。
聞いてくれてありがとうございます。 GoogleフォームのURLを書いてあるので、そちらにぜひご意見だったりご質問だったりいただけたら嬉しいですし、
YouTubeのコメントとかでもね、いただけたらとても励みになります。 めっちゃ嬉しいよね。めっちゃ嬉しいです。
ぜひね、冷笑せず。 冷笑せずにね、コメントしてください。 本気でコメントしてみてください。
YouTubeになる。 というわけで、今回もご視聴ご清聴ありがとうございました。
ありがとうございました。 ありがとうございました。