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2026-02-25 42:42

#77 「大丈夫」は実は危険?子どもの脳を育てる言葉かけと傷つける言葉かけ

現役保育園看護師のチロ先生と高校の同級生たちによる保育の情報ラジオ「ホイクベースラジオ」。

今回はチロ先生が、子どもへの言葉かけをテーマにした2冊の本を紹介します。

ピアノの発表会を前に不安な子どもに「大丈夫、あなたならできるよ」と声をかけていませんか?実はその何気ない一言が、根拠のない励ましとして子どもにストレスを与えているかもしれません。

1冊目は『その一言が子供の脳をダメにする』。小児科医と公認心理師の共著で、脳科学・心理学・教育学の視点から、否定的な言葉が子どもの脳に与える影響を解説。「しっかりしなさい」「早くしなさい」といった日常的な言葉が、繰り返されることで子どもの脳を萎縮させ、学習意欲や感情調整力を低下させる危険性を指摘します。一方で、子どもの脳には可塑性があり「遅すぎることはない」という希望あるメッセージも。

2冊目は『ちょっとした一言が子供を伸ばす・傷つける 親の言葉百』。教育評論家・親野智可等さんによる、100の実例で学べる実践的な一冊。結果ではなくプロセスや努力を認める声かけの大切さ、「褒める」と「認める」の違いなど、今日から使えるヒントが満載です。

子どもが感情的になっている時はオウム返しで受け止める、「ダメ」の代わりにどう伝えるか、チロ先生自身のイヤイヤ期の次男とのリアルなエピソードも交えながら、保育者・保護者が知っておきたい「言葉の力」について語り合います。

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BGM : MusMus

サマリー

このエピソードでは、保育園看護師のチロ先生が、子どもへの言葉かけについて書かれた2冊の本を紹介します。1冊目は『その一言が子供の脳をダメにする』で、否定的な言葉が子どもの脳に与える影響を脳科学や心理学の視点から解説しています。「大丈夫、あなたならできるよ」といった無根拠な励ましが、かえって子どもにストレスを与える可能性や、「しっかりしなさい」「早くしなさい」といった日常的な言葉が脳を萎縮させる危険性を指摘します。しかし、子どもの脳には可塑性があり、改善の余地があることも強調されています。2冊目は『ちょっとした一言が子供を伸ばす・傷つける 親の言葉百』で、教育評論家の親野智可等さんによる実践的な内容です。こちらは100の実例を通して、結果ではなくプロセスや努力を認める声かけの重要性や、「褒める」と「認める」の違いなどを解説しています。番組では、子どもが感情的になっている時のオウム返しでの受け止め方や、「ダメ」の代わりにどう伝えるかといった具体的な方法について、チロ先生自身の経験も交えながら語り合われました。言葉の影響力の大きさと、子どもとの向き合い方について深く掘り下げています。

オープニングとクイズ:子どもへの声かけ
こんにちは、保育園看護師の千尋先生こと佐藤です。 新規事業の力で日本を開国せんとす、合同会社黒船の基礎です。
同じく、黒船の川地です。 僕たちは高校の同級生3人で、保育業界向けの新規事業を作ろうと日々頑張っております。
このラジオでは、僕たち3人が保育関係者の皆さんにぜひ読んでほしいなと思う本を毎週紹介しながら、いろんなことについてお喋りしていけたらいいなと思って続けているラジオです。
はい。 というわけでございまして、今回は僕、千尋先生からちょっと紹介させていただきたいと思います。
本職の保育園看護師から。 本職からのおすすめ。
一番寄り添ってるよね、たぶんね。 そうだよね。
早速導入として、お二人にちょっと考えてもらいたいなと思う。
いきなりクイズ。 ちょっとクイズみたいなものを出してみてもいいですか。
今からとある状況を話します。 本の内容をそのまま話すんですけど。
親御さんというか大人側の声かけとして、いいなと思う方をちょっと選んでもらえてもらって。
もうすぐピアノの発表会を控えている高康くん。 難しい曲に挑戦することもあり、心配しないかなといつも以上にちょっと不安な様子があります。
こんな時、どんな声をかけましょうか。
1つ目。 大丈夫、あなたならできるよ。
2つ目。 あの時のようにやればうまくいくかもね。
1つ目が、大丈夫、あなたならできるよというような声かけ。 1つ目が、あの時のようにやればうまくいくかもねという声かけ。
これは子供に向けての声かけなわけですよね。 そうですそうです。親から親としての声かけと思って。
高康くんどうですか。どっちが、自分ならどうかという声かけですか。
自分なら、まあでも何も考えずにAかな。
何も考えずに、大丈夫、あなたならできるよという感じの声かけ。
河内さんどうですか。
じゃあB。
分かる分かる。
上手。
いやでも正直Bかなともちょっと思ってたというか、具体性をちょっと上げるという意味でも。
無条件の声かけより、イメージしやすいという意味ではBなのかなともちょっと思ったりしたので。
なるほど。
Bかなと思いました。
ありがとうございます。今回はですね、ちょっとこんなような子供への親の声かけ、親の言葉みたいなことをいっぱい紹介している本をまとめて2冊ほど紹介させていただければなと思っております。
よろしくお願いします。
『その一言が子供の脳をダメにする』の紹介
はい、よろしくお願いします。
というわけで冒頭のクイズ、この今から紹介する本の中では、最初の大丈夫、あなたならできるよっていうような声かけはあまりよろしくないんじゃないかというふうに感じていたんですね。
ぐぐぐぐぐ。
やっぱりね、そうだと思ったんですよ。
そうだと思ったんですよ。
タカヤスだったら別に大丈夫とかも言わなそうだなとは思ったけど。
AかB。
そこは真の答えだと思うけど。
沈黙が本当のことだね。
そんな気がする。でもなんかやっぱり保育者も保護者もそうだけど、大丈夫大丈夫できるよみたいなことって意外と言いがちだなって僕自身は思うんですよね。
これは自分への忌ましめも込めてあれなんですけど。
そうだね。
特にこの親が言う大丈夫っていうのは雑な言葉の代表格だよというふうに紹介されておりまして。
雑な言葉なんだ。
なんていうか、根拠がなさすぎるというか。
そうだよね。
なんで大丈夫?
大丈夫っていう言葉が聞く場面もね、おそらくあるかだと思うんだけど。
不安に感じているお子さんに対して何の根拠もなく励ますという行為が、実はよりストレスをかけているっていうふうに捉えられるよっていう感じの紹介がされてるんですね。
だからこそ河地さんが言ったみたいにちょっと論理的にどうしてできるのかっていう理由付けをしてあげるよってあの時のようにやればうまくいくかもねみたいな。
事実に基づいた論理的にロジカルに説明してあげた方が、不安を感じやすい子供にとっては自信につながるのでは。みたいな本が、
本か、いろんな方面から書いている本が一冊目に紹介する本でございまして。
その一言が子供の脳をダメにするっていうね、本なんですけど。
なるほど。
2023年に出てますね。この本は面白くて、小児科医の先生、かつ公認心理師を持ってらっしゃる先生が、同じく臨床心理師とか公認心理師を持っている方と協調で書いてる本で。
いろいろやってる方で、子育てを理論的にいろいろ解き明かそうと頑張っていらっしゃって。
ペアレントトレーニングっていうような考え方があって、子育て論みたいなものをいろいろ展開して、実践してセミターとかやってるような方なのかなと思うんだけど。
その一環として、普段親御さんに伝えている、こういう声かけをしましょうみたいなのをまとめた本がこれですね。
その一言が子供の脳をダメにするっていう本でございます。
農科学とか心理学とか教育学みたいなところを掛け合わせて、論に展開したような考え方の本で。
やっぱりこのよく親が言いがちな言葉たち、しっかりしなさい。
頑張ってて偉いねとか、あなたのことを思って、みたいな。
そういった表現が、あんまりよろしくないぞというのをすごく言ってるんですよ。
この本、詳細はすごい簡単なので読んでもらえばわかるんですけど。
とにかく子供の脳っていうのは発達の途上にあるよと。
その子供が発達していく中で、親が与える言葉、声かけしていくことっていうのが、
その素敵な情報であると同時に、とても刺激になってると。
だからその行き過ぎた情報イコール行き過ぎた刺激っていうものが、
強い否定感だったり威圧的なところになってしまうと、
そういったストレス反応も引き起こされるよねっていう、
心理学的な、神経が科学的な視点から説明をしていて、
特にストレスと脳の関係というのは脳科学の視点からいろいろ話されていて、
やっぱりその繰り返し否定的な言葉を浴びせてしまうようなこと。
あるいは日常的にそういう声かけを続けちゃうこと。
早くしなさいとか、早く食べなさいよとかね。
なんでいつもそれもそんな視点だと思います。
結構これはドキッとするなと思ったのは、
これもちょっと考えてもらっていいですか。
よしよしよし、専門性感がします。
よし。
ちょっとね、普段扱ってる保育園児は、
ちょっとお兄ちゃん、小学生ぐらいを持ってもらいたくて。
いきます。
泥だらけで帰ってきた河地くん。
幼馴染の高康くんと喧嘩をした様子。
河地くんが言います。だって高康さんが叩いてきたんだ。
でもね、お母さんは知ってるんですよ。
高康くんはそんな急に叩く子じゃないってことをお母さんは知ってます。
え?とかいいから。
名前が同じなだけか。なんだ。
そんな時にちょうど、もし自分が母親だったらどっちの声かけをしますかっていうところで、
1個目が、あなたにも悪いとこあったんじゃない?っていうような声かけ。
2つ目が、そっか、高康くんが叩いてきたんだっていう声かけ。
もうお二人にはね、どっちが良いかっていうのは分かると思うんですけど。
そうだね、なんか足ざま感があったもんね。
確かに。
良いイメージがなさそうすぎる前者に。
本当だよね。
そうなんだよね。でもこうやってね、なんか、いやでもさ、みたいな。
全部状況が見えてる。特に保育士もそうだと思うんだけど、子供のやりとりってほぼほぼ全部見てはあってる。
特に4歳、5歳くらいの子供たちの喧嘩みたいなもので、
あからさまに先に高康が実は手を出してたとか、今の例でいうとね。
高康が。
ここのっていう高康は、パーソナリティの高康とは別に競った。
別の話だもんね、あくまでね。
いろいろややこしくなるから。
ちょっと一般化しましょうね。A君が先に手を出してて、B君がそれに触発されてA君をぶん殴りにいっちゃって、
ギャーってA君が泣いたみたいな一連の場面を全部見てる。
で、そんな中でぶっ叩かれたA君がB君になんかこうされたみたいに言ってきても、
でもさ、A君、あなたたちは先に手を出してたじゃない、みたいな声かけて、割と日常的にある。
確かに反射的にはしちゃいそうだね。
今、礼事されて客観視したらなんかちょっとうーんってなるけど、その瞬間場面に出くわせたら、
いやいやお前やんけ、お前が原因やんけみたいなパターンで。
あんたが悪いじゃんみたいなのを、
これね、しかも疲れてるとよりそういう風に言っちゃいがちな気がするんだよな。
だし、平たく言うと、割と経験の深い先生たち?
我々の親ぐらいの世代の人たちとかって、
子供の喧嘩なんてさ、ぐらいに、
いい意味で楽観的に考えてる先生もたくさんいると思うんだけど、
そんなそんな、あんたって手を出してたじゃん、みたいな。
ちょっとチャキチャキしたおばちゃん像で聞いてもらえたら、
イメージしやすいと思うんだけど。
あるかなと思うんだけど、やっぱりこの、
お前が悪いだろっていうその否定系な表現にどうしてもなる。
それが日常的に繰り返し繰り返しそういう風に言われちゃうと、
もうこいつに言ってもダメだ、無駄だな、俺のこと否定されるしな、みたいに
子供はどんどんどんどんそういう風になっていってしまって、
最終的には、うるせえな、クソババア、みたいな感じになっちゃうよ、
みたいな例字として書かれてるので。
で、この今の例で言うと、そっかなんとか君が叩いてきたんだね、
みたいなその繰り返し概外的に表現するっていうことが、
テクニックとしてすごい重要で、
やっぱこう喧嘩した後とかって子供は感情的になるじゃん。
やっぱ正論なんだよ、あんたも悪いじゃんっていうのはすごく正論なんだけど、
ここで正論言ったってしょうがねえぞって、
子供の脳はまだそんな正論に耐えられないぞ、みたいなことが書いてある。
やっぱり子供が感情的になっているときは、
概外しか基本ですっていう風にあるよね。
だから親の意見とか、こっち側の気持ちみたいなのは一切介在しないじゃん、これって。
聞いた言葉、言った言葉をそのまんま返す。
ある種傾聴のスキルみたいなもんだと思うけど、
それをオウム返しで伝えることで、
その子供に自分が言ったことを自覚させるというか、
そのような作用がある。
で、なるとこうある種のメタ認知が働くわけだよね、子供の中に。
自分の感情をあえて相手から言葉として聞くことで、
あ、俺今こんな気持ちだったんだ、みたいな。
いやでも実はさ、俺が先手出しちゃってさ、みたいな内省につながりやすいみたいな。
こういう風に子供の考える力みたいなものがどんどんどんどんついていく。
だからこういう場面に出くわしたときに、
頭をこなしにその正論で戦うのじゃなく、
まずはオウム返し的にその子の感情を受け止めてあげて、
そこから論理展開されていく方がいいよね、みたいな話がいっぱい書いてあります。
なるほど。
これね、面白い。
で、題名がね、子供の脳をダメにするとやるから、
なんか結構強そうだなと思って始めたんだけど、
すごい救いがあるのは、結局子供の脳っていうのはまだすごく過疎性があるというか、
いくらでもリカバリできるっていうところがやっぱすごいいいところで、
もういくつになっても遅いということはないよっていう風に肯定的に言ってくれているのね。
うん。
なんかそこはすごいね、
今現状こういう声かけをしてしまってるなってちょっと反省する僕みたいな親は救われる。
タイトルのその一言が子供の脳をダメにするっていうのは、
どういう脳は良くてどういう脳はダメっていう前提に立ってそうなの?
こういった否定的な言葉とか萎縮させるような、
要は子供の脳に強いストレス、しかも慢性的にストレスがかかるような、
親からあるいは保育者からの声かけ、言葉かけっていうものが続いていくと、
脳の機能としてやっぱり萎縮していく。
それが学習だったり、思考力だったり、感情調整する力とか意欲とか、
そういったところの働きが弱まっていってしまうよと。
さらに言うと、自己肯定感や自己効力感みたいなものも育ちにくいがゆえに、
最終的に疎行症的な、簡単に言うと飛行に走るようなタイプの脳になってしまったり、
景気が綺麗な飛行少年の話とかもあるじゃないですか。
あんなような萎縮した脳の状態になっていってしまうのではないかっていう問題提起。
めっちゃクソリポ送るけど、自己肯定感が低くて頭が悪いやつはダメってことですか?
出た。
いい質問ですね。いいクソリスメですね。
さすがクソリプAの解像度が高いんですよね。
今もう僕の脳内に、僕のダメな脳に浮かんで今。
でもそれって結果でしかないというか、あれなんだけど。
やっぱりそういう方たちの研究だったり、脳科学的な視点で言うと、
ある一定の場所にやっぱちょっと萎縮が見られたり、そこの活動が働きにくいみたいなところが、
いろんな研究で分かってきた。
それをだからすごい反的に表現するとダメっていうふうにここでは言っちゃっているけど、
まあまあそうだよね。
でもポイントは子どもっていうところで、子どもの脳はそこを今から改善していくことで、
ここがちゃんと働くようになるというか。
やっぱできるように変わっていく。
ちっちゃければちっちゃいほどそれがやっぱりリカバリが効いていくっていうところで、
遅すぎることなんてないから今この瞬間からこういう前向きな言葉かけを積極的に使っていこうよっていう紹介をしてくれるそんな本です。
なるほどね。
続いてですね。
もう1冊?
もう1冊あるんです。
もともと持ってたんだけど、今回このね、子どもの脳をダメにするっていうこの本を読んだときに、
なんか似たような本持ってたよなと思って見つけてきたのが、
ちょっとした一言が子どもを伸ばす傷つける親の言葉100っていう、
教育評論家の親の力さんっていう芸名だと思うけど。
めっちゃなんか具体性の高そうなあれだね。
そうそうそう。これはね、なんかすごいライトに差し柄が可愛くて。
『ちょっとした一言が子供を伸ばす・傷つける 親の言葉百』の紹介
で、親の言葉100って書いてあるぐらいだから。
本当実例がいっぱいあってさ。
この本もやっぱり共通してるのはこの自己肯定感だったり他者信頼感を育むために、
親の言葉かけっていうのをこういう風に変えていこうよっていうような趣旨の本なのね。
で、あくまで対象は親なんだけど、
やっぱりこの何気なく親だったり保育者がかけてる何気ない言葉が、
子どもの自己認識を作ってるんだっていう視点を持たせてくれるというか。
単純に優しい言葉遣いで話しましょうっていうよりも、
子どもっていう存在が大人の評価を通して自分を理解していくっていうスキルだったりとか、
やっぱり繰り返し日常的に浴びせられるという、
そういった言葉が自分がどういう人間なのかっていうのを内的イメージを形成していくというか。
言葉の影響力ってすごい強いんだよね。
いろんな研究、教育の分野からしてもそうだし、脳科学の視点からしてもそうだし、
言葉によって形成されるものがとても大きいので、
やっぱり否定的な言葉だったり決めつけ的な言葉じゃない、
こういう言葉掛けが望ましいよねっていうものをいっぱい紹介してくれていて。
さっきの子どもの脳ダメにするっていう本よりも、
より日常的なあるあるがすごいいっぱい書いてあって、
もう1ページ目から本当そうって感じ。
1日何回もダメダメっていうことの弊害はとても大きいっていうページから始まるんだけど。
もう本当にね、最近うちのジナーがもうやばくてですね。
今はいくつなんでしたっけ、ジナーは。
今ちょうど2歳になりたてのとこなんですけど、
まあ世間一般で言うイヤイヤ期ですよね。
もう最高ですよ本当に。服は着ない。
トマトは投げる。
ちょっとでも気に食わないことがあったらお兄ちゃんぶったたきにいくみたいな、
そんな感じで爆発してるんですよ。
なるほど。
これ本当にね、来るものがあります。
ついついダメって言っちゃいそうだよね。
もう本当に、やめてくれって。
もうダメ通り越して、本当にお願いだからやめてくれっていう気持ちに最近なってるんですけど。
攻めちゃダメなのはわかんない。2歳の子に攻めたってわかんないし。
もう本当に理解はしてるんだけど、自分としても。
今こういう状況なんだ、こういう脳が頑張ってるんだみたいなのがわかるんだけど、
もうとっさにダメって言葉が出ちゃうんだよね。
もうダメってすごい言ってしまうのよ。
でもやっぱりダメって言い続けると自分を否定されてるように感じちゃうよ。
そうだよねみたいな。
でもトマト投げそうになってるの見てダメって言わずに、
いいトマトを投げているねっていう目で見てればいいっていうこと?
それはちょっとダメじゃない?
クソリクが警戒だね今日は。
クソリクっていうか単純な疑問っていうか、どうすりゃいいんだろうと思って。
お二人だったら、例えばそういうような望ましくない言動をしている時、
どんな言葉か気をしますか?
難しいよね。
ちょっと考えてみて。
ダメじゃなく、どう伝える?
だって素直にこれはやってはいけない行為だっていうことを伝えるのにダメっていう言葉が便利すぎるよね。
便利すぎるね。
そうなのよ。
ちょっとねダメの言い換えをお二人考えてみてもらえる?
今後絶対使う瞬間があるでしょうから。
望ましくない言動をされた時に、
ダメ以外にどう伝えるかっていう考え方でもいいと思うんだけど、
ちょっと考えてみてもらいたくて。
どうですか?
どうですか?きささんは。
ダメ…
ダメなことをしている時に、
これ子供に対してってことでいいんだよね。
そうだね、とりあえず子供に対して。
ダメとかじゃなくて、聞いちゃうかもな。
何が楽しいの?って。
じゃあもうちょい条件をつける。
うちの息子、2歳になりたての息子に、
もう訳も分からず、「ヤダ!」ってトマトをぶん投げてます。
トマトは投げてほしくないじゃないですか。
で、それはいいかダメかっていったらダメなことなんですけど、
ダメ以外にどう伝えますか?
ヤダ返し。
ヤダ返し、なるほど。
オウム返しなら。
どんな目線に立とうとするんだよな。
そうなんだよ、高橋って相手がトマト投げてたら、
自分も喜んで投げそうなんだよな。
そうなんだよ、今話聞いて最初に浮かんだのは一緒に投げようと思ったっていうのが正直なところで。
でもね、間違いじゃないと思うよ、たぶん。
そうなの?
ある種、ちょっと2歳っていう前提を取り除けばね。
その子が、例えば同じことを親だったり保育者がするのを見て、
客観視させる。
ほんとメタ認知の入り口みたいなところをさせて、
技法が実際あるの。
なんかサイコドラマってたぶんそれに近いと思うんだけど。
客観視させるっていうのがあるんだ。
そうそう。
で、自分で見て、
あ、なんかトマト投げてんの。
なんか変だなとか、なんかカッコ悪いなとか、
相手こういうふうに思うんだなみたいな気づきがその子の中にあると、
すごく効果的になる。
現状その2歳の子っていうのを考えると、
一緒になって楽しくなってトマト投げ合うだけになっちゃうから。
そうだね、なりそうだね。
そう、難しいけどね。
ハワジさんどうですか?
絶対違うことを言うけど、
暴力に訴えかけることで体に分からせる。
これ非常にね、昭和な、平成初期ぐらいのやっぱり。
その時代があったんだよ、実際ね。
それがいわゆる大罰とかしつけの負の一面というか。
ダメなものはダメっていう時代だね。
で、これは何というか、変なこと言うと、
実際それでトマトを投げるのをやめるという目的は達せられるわけだよ。
まあ短期的にはね。
そう、だから当たり前のようにされていたし、
部活動とかも含めてそういうような指導ってたくさんあるじゃないですか。
お尻叩くやら、お尻ペンペンみたいなのってさ、
なんとなく印象あるけど。
まあ罰として何か大罰というか分かりやすい痛みを伴う形でね。
結局今の時代なぜそれがダメなのか、
それこそダメって言っちゃうけど、
大罰っていうものが与える負の面がやっぱり大きすぎる。
トマトは投げなくなるかもしれないけど、
人のことぶん殴るようになるかもしれないみたいな。
ぶん殴るっていうことを聞かせればいいっていう価値観が生まれちゃうわけだ。
がやっぱり転じて転じていくと、犯罪とかそういった方にもつながっていってしまう。
じゃあやっぱあれかな。
自分が悲しいみたいなメッセージとかなのかな。
それもね大事だと思います。
今こういうふうに最大私は悲しいというメッセージで伝えていく。
すっごい苦労しながらトマト拾いに行くところを見せつけるとか。
今からこのトマトを拾いに行くのね、みたいな顔をするっていう。
面白いな。
面白い気がするな。
すげーさっと拾っちゃったな。
犯人に迷惑をかけているんだよということをわからせる。
この手の話ってしつけとかそういうところにも絡んでくると思うけど。
正解は1個じゃないからあれだけど。
すごい難しいなって僕自身も思うのは。
だめなものはだめじゃん。
それは伝えなくてはいけないじゃない。
親だったり保育者として。
そうだね。それをどこでもやられるようになっちゃったら。
家の中ならまだいいけどレストランでとかになったりとか。
そういう公共の場でやられちゃったら関係ない人に迷惑がかかっちゃうからね。
確かに。
それがなんでだめなのか、その行為がどうしていけないのかっていうのを。
親だったり保育者だったりっていうのは。
世間一般の認識よりももう1段2段深く知っておかないといけないなって思うんだよね。
例えばトマトを投げちゃいけないっていうのは。
法律で決められてることですかって言われたら、そんな法律はないじゃないですか。
法律の適用の解釈次第なんじゃない。
誰かに障害を与えたとか。
トマト投げた結果何が起きてるかね。
なんか行為自体にはね。
トマトを投げたっていう事実だけでも、
例えば生産者さんの気持ちが伝わってない、生産者がかわいそうだみたいな面もあれば、
もちろん人に向かって投げるなんてそんな失礼なことをしてはいけないとかもそうだし、
トマトの視点に立って食べ物を粗末にしちゃいけないみたいなところとか、
そもそも食事中に食べてやっちゃいけないとか、ボール以外のもの投げちゃいけないとか、
いろんな側面から投げてはいけない理由が考えられると思うんだけど、
結局それが、誰のためなのかというかね。
頭のおこなしに何でもダメダメって否定していくことって、
すごい厳しいことを言うと、これは自分も最近そうだなという反省も踏まえてだけど、
自分がめんどくさいからとか、自分、親に非がなんとか、
親側がすごくめんどくさいからもうダメって言っちゃってるみたいなことが結構あるからね。
でももう一個ちゃんと考えてみると、
自分がめんどくさいだけじゃなくて、
人に迷惑がかかるからと言いながらも、自分が謝りたくないだけみたいなところがある。
だって別に外でキャーって叫んでもさ、
子供からしたらしょうがない場面もたくさんあるんだよ。
わかんないんだもん。知らないしわかんないし、
もうどうしようもいられないからキャーって言ってる。
その子の脳では今それしか処理できないからそうなってるんだけど、
大らかな親だったり経験豊富な保育者だったら、
ちゃんとそこで寄り添った言葉かけができると思うんだけど、
今の僕ぐらいまだまだ弱肺もので、
最近ストレスが強いからあまりストレスの配性も強くなくて、
そうすると周りの目も気になるし、もう嫌だと思って、
本当にやめるって言っても、ちょっと外場から離れていくみたいな。
この親の感情というか自分の気持ちにまず気づかないと、
適切な言葉かけできねえなって最近すごい反省していて。
で、保育者ってこれを何重にもやってるというか、
それを延々と繰り返すような仕事なわけじゃないですか。
子供を育てるっていうのはそれの繰り返しなので、
3秒前に言ったダメをまたやるんだから、今この瞬間。
これってやっぱり保育者すげえなってそこで思うんだけど、
なんか話がまともなくなってきちゃったんだけど。
とにかくそのトマト、状況を整理すると、
2歳の子が嫌々気でトマトぶん投げたときに、
ダメって言ったってダメなわけで、
いろんな方法があるが、その子を責めるんじゃなくて、
行動を正すアプローチをちゃんとしようね。
具体的にはそのトマトを投げてる場合にはどういう対応するの?
トマトをめちゃくちゃ重いように金属を仕込んでおくとか、
持ち上げられないようにするとか、そういうこと?
ダイヤゲーム。
それができたら面白いな。
今日の我が家のあれで言うと、
トマトさんが悲しんでるよっていう擬人形を使って、
せっかく食べてほしいと思ってきたのに投げられちゃったら、
トマトさんは悲しいよね。
実際に嫁に当たったんで、トマトが。
それがオーバーに泣き、痛かったっていうことで、
自分が投げた行動が相手を悲しませているという認知を
次男にさせようという作戦に出たりとか。
両親ともに保育者だとそんなようなことを日々。
それがファットでできるのは上手いよね。
ダブル保育者になるんではな。
動き出さない気がする。
投げるんですけどね。
答えは全くもって一個じゃないのであれですけど、
そういうふうにダメ以外の何か違う言い換えで、
かつその子を否定しない、その子自身を否定するものじゃない
物言いに変えていきたいというような、
こんなような具体例がもう100個近く入っている本で、
ざっくり言っちゃうと、繰り返し出てくるのが、
結果だけ評価したり、結果だけを評価するような褒め方は
やっぱりよろしくないと。
すごいね、君天才だね、みたいなじゃなくて、
プロセスだったり努力を認めるような声かけをしてあげた方が
伸びるよっていうようなことが書いてある。
やっぱりね、すごい、ほんとすごいね、君は天才だみたいな、
その結果をただ評価するような100点の答案を持って帰ってきて、
100点満点で80点の答案を持って帰ってきて、
すごい、80点だ、すごいぞ、80点なんてすごいじゃないか、
みたいな評価をしてしまうと、
じゃあ80点以下はダメなんだっていうような評価を
頭の中にさせてしまうようなことがあったりするから、
一生懸命頑張った結果だね、みたいな感じで伝えてあげられると、
行動だったり自分の努力ってものを認めてあげる。
だから褒めるのと認めるのの違いをちょっと区別して、
ちゃんと伝えてくれていて、褒めるのではなく認めてあげるっていうのを
繰り返しすることで、ひらたくるとその子の自己肯定感が上がるよね、
っていうような感じの本でございました。
すごいね、ライトで認めるか。
これはね、結構大事な視点だならしい。
やっぱりね、子どもとちゃんと向き合ってないと、
そういう言葉かけにならないなとも思うんだよね。
読んでて思うんだけど。
その子のこと、片手間にはいはいはい、みたいな感じで適当に聞いたり、
受け答えしていると、やっぱり表面的な、
あ、ほらほら、見て見て、すごいでしょ、すごいね、すごいね、
で終わっちゃうようなやり取りになっちゃうんだけど、
そうではなくて、その子とちゃんと向き合う、
その何というか、姿勢を問われているように、実は。
言葉かけ一つとっても、やっぱこういう言葉かけ、
良い言葉かけでちゃんと向き合っているからこそ出る言葉だよな、
なんかそんな風に思うなと思いました、僕。
なんか、とっさにそういう風な言葉をかけるって結構難しそうだよね。
そうなんだよね。
なんか、対子供に限らずさ、やっぱとっさに出てしまう言葉ってあるじゃん。
出やすい言葉なんで、考えなくていい言葉というか。
それをなんか一拍置いてそういう言葉にちゃんと変換するというか、
めっちゃむずそうだなっていうのが感じたかな。
そうだね、ほんとに。
言葉かけの難しさと時代背景
たぶん、わかっててもできない人が多いからこそやっぱり、
そういう本がすごく売れるっていうのもあるんだろうしね。
だし、やっぱり考えなくというとあれだけど、
高谷さんが今言ったみたいに、とっさに出ちゃう。
ちょっとした一言が意外と子供の中でずっと残ってたり、
それがちょっとトラウマ的になっちゃったりっていうのに繋がってるんだなっていうのがあって。
そうだね、すごい何気なく言った一言が子供にはめっちゃ刺さってるときってあるよね、プラスもマイナスも。
そうなんだよ。
この本のいいとこは、最後にこういう大切にしたい親の言葉っていう章があって、
あなたのことが大好きだよって毎日伝えてあげようとか、
いろんなこと子供が話してきたら本当に大変だったねと、
そういうふうに受け止めてあげようとか、
とにかく大爆笑して一日を終わろうとか、
こういう言葉掛けぜひしてくださいみたいなのも書いてある。
なんかこれは実践しやすいからすごいなと思う。
で、もううちもね、僕自身も決して褒められた親ではないですが、
いろいろダメとかも言っちゃうけど、
毎日こういうふうな声掛けできてるなって思うとこもあって、
とにかくそう、自分で自分を褒めてあげたいなと思います。
この本のメッセージの本筋ではないんだけど、
ちょっと単純に気になったのが、
なんとなく多分こういう子供に育てるのがいいみたいな累計が、
時代で変わりそうだなっていう感じを受けたというか、
今って自己肯定感が高くて、
自分がやりたいことをちゃんとやる方向に向かえる子供みたいな、
自分を認めてあげられてやりたいことをやるって言える子がいいみたいな
本体が、そっちの方向に伸びることが伸びるっていう
ものっていう前提を感じるんだけど、
これって普遍なのかなとか思っちゃうねやっぱり。
でも多分、やっぱりエビデンスが出てきたからってところなんだろうなと思う。
我々が子供の時代よりも、やっぱり、
我々がさ、ちっちゃい時ってまだ、
ちっちゃい時はバイオリン習わせますとかさ、
ちっちゃい時から一生懸命勉強させて、いい大学行っていい企業入りますが、
正義だった時代じゃないですか。
なんとなく。
それによる弊害だったり、その後の心身のストレスだったり。
やっぱり脳科学と関わりが深いなってこの2冊読んでて思うんだけど、
脳の機能とストレスの関係みたいなところから、
思考の癖みたいなところなんです。
考え方も含めて。
やっぱり柔軟な人で、
やっぱりこのね、いろいろ不確実な世の中、
文化でしたっけ?
この時代に柔軟であるかつ有能感があって、
何か困難があってもそこに立ち向かっていけることっていうのは、
何かこう、現在ある知識、技術ではない、
未知のものに対してした時にどれだけ力が発揮できるかっていうところがやっぱ、
求められてるんだろうなとも思うしね。
それが教育とか子育てみたいなところに降りてくると、
こういう表現にもなってくるかもしれない。
たぶんそうなんだろうなと思うし、
そこに違和感はない、そういう子供になったらいいよねっていうのは、
胸動輸の上で。
一方でストレスがない方がいいんだっけとか、
自由に考えられる方がいいって今の価値観だよなとか。
なるほどね。
すっごい極論を言うけど、
1000年後とかにはもうAIに言うことをいかに早くこなせる
肉体としての存在であることが優秀みたいなのになるとかもあるんだろうなとか思うと、
やっぱ時代を映す鏡だなという感じがちょっと面白いなって。
確かに。
今未来の話をしたけど、もうちょっと手前の世代ではまた絶対違っただろうし、
それこそ江戸時代明治時代みたいなところに行ったら、
そもそも子供みたいなものを区別しないよねみたいな話とかがあったりとかって考えると、
今ってこういうものが求められてるし、
こういうのが良いと育てる側が思うんだなという目線にもなるなってちょっと思った。
うん。
なるほどな。
良かった見方。
いやでもそうだね、なんか普遍的な正解があるわけじゃなくて、
なんか時代でその解釈というか目指すところ、
助手とされるものって変わるよなっていうのは、
確かに子供ってなんか、
今でこそ大事にしようみたいなとこあるけど、
もっと雑に扱われてたというかね。
いや、ほんとほんと。
だって子供が子供として存在し始めたのは割と最近じゃないですか。
そうそうそうそう。
認められてというか。
だからそう考えると面白いよね。
そうだね。
今お二人が言ったとか指摘がすごい鋭いなって僕も思ったんだけど、
僕もこの二つの本を紹介した本って、
共通点を挙げるなら言葉。
言葉が与える影響みたいなところがいいのかなと思うんだけど、
やっぱ言葉も時代とともに変わってるじゃないですか。
それこそ子育てだったり教育における言葉みたいなものも、
今後も変わっていくと思うと、
これもこの時代のものっていうような捉え方もできるなと思うし、
ただ本質的なところは一個あるとすれば、
やっぱり強い否定系の表現で、
しかもそれが習慣的にその子にストレスとして与え続けると、
少なくとも脳は萎縮する方向に進んでいくっていうのは、
おそらく現代科学が弾き出した正解だと思うので、
そうじゃない方向に何とか子育てを持っていってあげる保育者も、
何とか脳が萎縮しない方にシフトしてやっていけるといいのかな。
それはきっと今も昔も大きく変わらずいくんじゃないかな。
体の機能としては、実は変わってないわけだから本来。
エロ時代も今も変わってないね。
っていうところは何か共通してるのかなっていう気がちょっとしたね。
まとめと今後の展望
というわけで、今回私が紹介した本をもう一度だけお伝えすると、
ちょっとした一言が子供を伸ばす、傷つける親の言葉100っていう本と、
その一言が子供の脳をダメにするっていう本の2つを紹介させていただきました。
基本親御さん向けのあれですけど、保育者の方にこう読んでもらいたいなと思った理由としては、
我々の普段何気ない一言が意外と子供に影響してるんだぞっていうところを
改めて知ると同時に、こういう言葉掛けに変えていこうっていうきっかけにもなるかなと思って紹介させてもらいました。
なるほど、面白い。
確かにな。親の目線もそうだし、親の目線を知ることで保育者の方、
自分も親だっていう方も一定いるだろうけど、そうじゃない方もいると思うので、
そういう目線を知るというのも勉強になりそうですね。
やっぱり言葉って、今日は対子供がメインの話だけど、かなり重要だよねって思いつつ、
言語化って難しいこと多いよなって、この間紹介した本も言語化絡みの本だったけど、
そうだね。
やっぱり現代のテーマというか、昔からのテーマなのかもしれないけどね。
昔以上に言語化の言葉で表現しなきゃいけない場面が増えたからさ。
江戸時代なんていくつか文を書いててよかったみたいなレベルじゃん。
というわけで、こんな感じで保育者さんにもぜひ読んでもらいたい本、今後も紹介していきたいと思います。
GoogleフォームのURL書いてるので、感想・質問ぜひぜひ送ってきてください。
というわけで、今回もご清聴ありがとうございました。
ありがとうございました。
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