こんにちは、保育園看護師の千野先生こと佐藤です。 新規事業の力で日本を開国せんとす合同会社黒船の基礎です。
同じく、黒船の河地です。 僕たちは高校の同級生3人で、保育業界向けの新規事業を作ろうと日々頑張っております。
このラジオでは、僕たち3人で保育士の皆さんに向けて、ぜひ読んでほしいなという本を毎週紹介しながら、いろんなおしゃべりしていこうと思って続けている、そんなラジオです。
というわけで、今回は河地さんがまた紹介してくださるということで。
というわけで、今日紹介する本はですね、「勉強の哲学、来るべき和歌のために」という本です。
和歌。 来るべき和歌。
勉強の哲学っていう概念がもうちょっと面白いなと思って。 確かに。
実際どうですか。チェロ先生はなんか結構勉強って多いイメージですし、あと、なんだかんだ保育士さんって研修だったりとか、
保育士心のキャッチアップとか崩壊性をどうするとか、そういうのも勉強って多いイメージがあるんですけど、多いの、実際。
なんか、まあどうなんだろうな。一般の社会人が逆にわかんないから、何とも言えないんだけど。
実際そうなんだよね。僕やきそさんは別に大きい会社にいたことはないんで、そんなにこう、会社から勉強しろって言われるのがあんまりないとは思いつつ、
話を聞くと職種によっては、奨学のために試験が受けないといけないとか。 あー、あるよね。
社内試験みたいな。 そうそうそう。特定の資格を取らないと奨学、奨級ができないとか。
それが、ここの試験を通らないとこの業務ができないとか。あの、証券会社とか保険を売る人とかだと多かったりするよね。ライフプランナーとか。
あと銀行とかそっち系は結構勉強しないと、みたいなのが多かったりするんで、まあまちまちかなと思いつつ。
保育も似たようなところがやっぱりあって、まあただ、看護師みたいにその専門地をもうメキメキとやっていくっていうよりは、
まあ確かにキャッチアップしていくようなこととか、あとなんかより深く入っていくような、
人本当に個人の、個の事例を深く検討していくみたいな勉強というかね、そういう検討みたいなものが日常茶飯事かなぁという印象ですかね。
今日はその勉強法かっていうことよりは、勉強の哲学、なんで勉強するのっていう話の方にお目標を置いていまして。
メタ的ですな、なかなか。
そう。で、あの、今日紹介する本を読むとですね、自分が思ってた勉強って本当に勉強だったんだろうかって、ちょっと考えるきっかけになるような。
あー、いいですね。
へー。
なるほど。
とかですね、さっきちょっと副題で言った、来るべきバカのためにっていう、こう強めの。
バカのためにって。
そう、バカのために。
ごめん、俺らずっと若っ、間違えた。来るべき若っ、来るべき若っって何だろうって思ってた。牛若丸的なの。
馬鹿の、馬鹿のバカですね、はい。
はい。
著者のですね、千葉雅也さんという方が著者なんですけど、こちらの哲学者の方。
うん。めちゃくちゃ有名な人ですね。
そうですね。哲学のちょっと知って方とか、本屋さんよく行く方はよく名前見る方だなっていうぐらい有名な方で、
立命館大学の教授の方で、専攻はフランス現代思想。
フランス現代思想。
ブルーズとか風光とか、その倫理生計で聞いたことあるなぐらいの知識で、結構ガチガチの哲学者の方なんですけれども、
でもこの本、勉強の哲学自体は割と読みやすい本です。そんな難しい学術書とかでは全然ないです。
うんうん。
で、さっき言ったその来るべき馬鹿の前の前提として、この本でまずノリっていう概念が提唱されてるんですね。
高野のノリ。
うんうん。
これよくノリがいいとかで言うノリと同じような意味なんですけど、
うんうん。
それに追加してるのが、基本的にはその場の空気にのれてるとかテンションが合ってるみたいな意味合いで、
ノリがいいって言ったりすると思うんですけど、もうちょっと千葉さんの場合、学術的に定義をして、
ほう。
環境の高度に無意識的習慣的に合わせている状態、合わせてしまっている状態。
哲学者っぽい言い方だな。
そう。
環境の高度。
そう、高度はカタカナの高度ですね。
高野で高度。
カタカナで高度。
はいはいはい。
環境の高度っていうのは、要するにその場の暗黙のルールみたいな。
うん。
こういう場ではこういうことするもんでねとか、誰も明文化してないんだけどみんなが従ってるルールみたいなものがあって、
それに無意識的あるいは習慣的に合わせちゃってる状態のことをノリと千葉さんは定義しています。
なるほど。
まあ、どの職場にもあると思うし、保育園にもあるだろうし。
うん、そうだな。
で、このノリっていうものは、やっぱりあるとあるでやりやすい。
うん。
なんというか、それに乗っかっていると、うちはノリとかよく言ったりしますけど、
面白い。仲間一緒で共有されてるし、それがあると浮かないでいられるっていうのがあるので、
そのノリに乗り続けてると、なんで自分こんなことしてるんだろうとかいう、そもそも思わないですよ。
うん。
だから、瞬間瞬間は楽しいし楽。
なんだけどそれがいいんだっけ、みたいなのがこの本の話です。
なるほど。
で、この本は勉強には3段階あって、
この3段階でこのノリから離れていくみたいな話をしてるんですね。
うんうん。
で、第1段階がもうほんとバカなノリ。
これはもう、仲間うちの空気でなんも疑わずに楽しめてる状態のことなので、
もうなんというか、僕らが同窓会で仲良い人たちと会ったら、
なんか当時の空気感でノリでやるみたいな。
そうしたら別に悪いことではないんだけど。
はい。
で、それがずっとあって、やっぱ世界が狭いよねっていう。
そうだね。間違いない。
自分たちがいる環境の外側みたいなものを想像しにくくなっちゃってる状態だよねっていうのが第1段階のバカなノリ。
うん。
で、ここから勉強をしていくことで第2段階に移行するよっていう話をしていて、
勉強を深めていくとそのノリが悪くなるっていう第2段階が来る。
ねー。
かつての仲間とのノリに乗り切れなくなってくる瞬間っていうのが来るよね。
あるある。あったあった。
いっぱいあった。
いっぱいあった?
いっぱいあった。
勉強してるんだね、しろさんはね。
うん。老人時代とかね、やっぱ現役に友達と比べるとちょっとついていけない場面とかあるよね。
ちょっと意味合い変わりそうやけどね、それはね。
これってその、なんていうか、今までこういうことノリでやってたけどこれって本当にそうなのかなとか、
ここの移動がちょっと悪くなってきたなっていう感覚とかっていうものを得ていくと、勉強深めに。
で、これは自己破壊の段階とも呼んでいて、要するにこれが自分を勉強によって壊しているっていう状態。
なるほどなるほど。
で、その自己破壊の段階を越えた次の段階が第3段階の来るべきバカだ。
これが何かっていうと、集団のノリとかじゃなくて、自分だけの好奇心で動けるようになるよねっていう話なんですよ。
周りに合わせるとかじゃなくて、自分が面白いと思うことにのめり込めるじゃん。
これが新しいバカ、来るべきバカの状態なんだよっていうのが千葉さんのお話です。
なるほどね。来るべきバカっていうのは結構ポジティブなワードとして使われているわけですね。
そうなんですよね。で、来るべきバカってさっき言った通り、一言で言うと自分の好奇心だけで動ける人なんですよ。
はいはいはい。
周りがどうしてるとかじゃなくて、自分が面白いと思ったからやれるみたいな人。
これって結構逆に言うと、周囲からあの人なんか独特だよねとか、ノリが悪いよねとか見られやすかったりしちゃう。
なるほど。なじみにくい感じがするんだね。
そうそうそうそう。なんか、周りがやってることをやってるならさ、周りも理解しやすいんだけど、
本人の中で完結したもので行動してるから、内側が見えないから、結果だけの列なんか突飛なことをしてるように見えるみたいな。
なんだけど本人の内側の中ではこういう好奇心で動いてるんだよっていうのがあるっていう状態。これが来るべきバカだと。
うんうんうん。
これを、さっきはさ、バカなノリっていう話したじゃん。地元ノリとか内側ノリみたいなものはバカなノリだ。
じゃなくて、この来るべきバカっていうのは自己目的的なノリだっていう。
自分のために動いてるノリで動けるのが来るべきバカだよねっていうのを千葉さんは言ってます。
なんでここを勉強することで目指そうねっていうのが基本的なお話なんですよ。
はいはい。
ちょっとこの先もう少し本のお話というか、本であった面白ポイントをピックアップしていくんだけど。
まず一つ目がね、さっき言った3段階があったじゃないですか。
バカなノリがあってノリに乗れなくなって来るべきバカになるよっていう。
その2番目のノリに乗れないっていう状態。
ここが一番そうなんていうか、乗り越えるべき壁みたいな。特に日本の場合。
確かにね。
さらに言うとこれってもう保育園の頃から生まれてるかもしれないよねみたいな話とかも対策次第ではできるよねっていう。
この辺りは多分千葉先生の方が実感じゃあるだろうけどさ。
保育園の一つの目的は社会に馴染ませるっていうのも当然一つのポイントではありつつ、
そこにうまく乗れない子っていうのを、もちろん発達の観点とか集団生活の観点から
サポートはしないといけないんだけど、
多分その子なりに勉強があってノリに乗れなくなっているっていうことがあるかもしれないよねっていう。
間違いないね。
そこほんとジレンマで。
修学という大きな壁がやっぱそこにはあって、
小学校に上がって授業を受けるということを思うと、
いってみんな同じ空間で同じ時間座って過ごすということができていた方がいいんだけど、
そこに重きを置いてやってる保育園さんもたくさんあるし、そういう考えもたくさんあるのわかるんだけど、
自分の働いている縁を含め自分も含めそうだけど、別にいいじゃんって思っちゃってるので。
うちの保育園を卒園していた子たちは、たぶん小学校入って最初の数年間ちょっと大変なんだろうなとは思うね。
ジレンマですね。
ここは難しいね。特に保育園ぐらいだと発達の観点との兼ね合いが一番本在し得るというかさ。
そうだね。
それがもうちょっと年齢を経て、小中高大といっていくともうちょっとバランスは自分の中で取れるだろうけど。
自分の中でも取れないみたいなタイミングだとより難しいけど、そこにこそ実は学びというか勉強の極意があるのではみたいな。
でもちょっと前提部分でそれは違うって言われちゃうかもしれないけど、
自閉的傾向が強いお子さんとかの場合の興味と勉強はどう解釈すればいいんだろうなってちょっと思ったわ。
あれこそだって自分の興味。ある種周りへのノリなんて一切。
だから1、2の壁を全部取っ払って3しかないみたいな状態だと思うんだけど。
そういう解釈でいいのかしら。
だから彼らがやってることは千葉さん的には真理勉強だっていう理解なのかな。
そうだね。わりとそういうイメージだけどね。
この本だけを当てはめるのであれば、これっていいとかじゃないから。
深い勉強の到達点はこういうもので哲学的に考えられるよねっていう事象だけなので、
それを目指そうとか、それになった方がいいとかって話とはまた別。
社会に合わせられた方がいいかどうかっていう議論は人と環境と本人の思考によるので。
社会性の話ではなくて勉強自体の哲学の話だよね。
そうだよね。それで言うと自閉的傾向のある、完全に自閉症の人たちによる発明であったり、
世に残した功績、芸術も含めてって、やっぱ尖ってすごいなって思うものが歴史的にもたくさんあると思うと、
彼らは本当に好奇心と興味をただ追い続けた結果、そうなったというわけだと思うから、
すごい正しいなというか、千葉先生の時期というか、
なんとか提唱したその勉強の哲学は理にかなってるなという感じがするね。
そうだね。あとその勉強の哲学の中で、深い勉強っていうのがあるよっていう話と合わせて、
1つ目はさっきもちょっと触れてたんですが、困った子ってされちゃうような子の見え方が変わるっていうのは1個あるかもねと思ってます。
なるほど。
ノリに乗れないとか、ちょっと指示が入らないとか、急に別なことを始めちゃうみたいなことがある意味、
自分の内側とノリという環境の高度との間で何か葛藤してるのかもねっていう見方が生まれてくるっていうのが、この本を読むとあるかなと思ってます。
理解ができる。なぜこの子が乗れないのかっていうことの体系に思いを寄せられるっていうのは1つ大事かなと思います。
それでどう対策できるみたいな直接な答えはないんだけど、そこの思考パターンというか、知識が1個あるだけでちょっと見え方が変わってくるみたいなのだけでも違うかなと思ってるっていう感じです。
大事なことだね、それは本当だね。
この辺りってでも、僕今本当非常の空論で話してるけど、実務的にしろ先生はその辺なんていうか、視野が広いというか、拾おうとする子っていう人っていう感じがするけど、
大多数というか、他の方々の場合どうみたいなのはあるの?一般的にというか。
どうだろうね、いわゆる保育士資格を持っている人たち、学校で勉強したり資格を取ったりした人たちは基本的にはそういう子さんに対してある程度やっぱり知識もあるし、
あかもこうかもって予測がつけられるから、そんなにそんなにすごくそこで困るということは本来はないと思うんだよ。
むしろそここそここそ腕の見せ所じゃないけど、っていう感覚あると思うんだけど。
例えば全然有資格者じゃない非常勤の先生だったりとか、普通に子育て期間中の一般的な親御さん。
例えば嫌々気の子供だったり、全然親の早く準備しなさいって言ってるのにいつまでも遊んでるような子供たちに対して抱えるイライラみたいなものって、
今川尻が言ったような、その子がそういうノリに乗らず勉強してるような、そういう視点が1個あることで、
そのイライラが何というか、100あったイライラが70、60まで下げられるぐらいなお守りとしてはちゃんと働くんじゃないかなという気はするな。
それ保育士ももちろんそうだけど。
今の視点って結構、子供を見るときの捉え直し方みたいなのが1個目のポイントとして挙げたんだけど、
2個目のポイントとしてこれいいなと思うのは、保育士さん自身もノリみたいなものを問い直した方がいいよねっていうのがあるなと思ってますと。
これは別に保育の職場に限った話ではないんですよ、正直。
職場って行動が生まれやすい場所の1つだと思うんですよ。
規範みたいなことだよな。
空気とかさ、いっぱいあると思うのよ。人が何人も集まる場って当然で。
しかも継続的に関わるっていうね。
それが子供たちの空間もそうだし、大人たちの側にも生まれ得るんだよっていう視点もすごく大事だなと思う。
なんでこの仕事、この作業やってんだろうみたいなのって、意外とすぐ生まれちゃうんだよね。
当初は意味があると思ってやってたのに、境外化しちゃうとか。
あるよな。
それは避けられないですね。
分かるな。
分かるよね。
なんか謎に、よくアジェンダも決まってないけど、なんとなくこの時間で集まってやってる定例会議とか。
そういうものを改めてこれがノリかもなというのを問い直せるとか。
なるほどね。面白いね。
で、その上でさっき言ったけど、来るべき馬鹿っていうのは自分の好奇心で動ける人なので、
その先で今これがノリだなって気づいたら、そこをじゃあどうしたら乗らずにいけるか。
もう一個じゃあ自分がどうしたいかまで考えられるといいよねっていうところがあります。
特にベテランの方ほどこういうのが染み付きがち。
そうだね。
高度に沿って生きてきてるっていう。
そうだよね。
高度って、よく言えば省エネで効率がいい、生産性がいいと思われるかな。
悪いことばかりではないんだけど。
なんかその認知的な負荷を軽減させてくれてるものでもあるわけですね。
そう。
そういうのがあるんだけど、とはいえ一方でそれが形外化してコストになっちゃうみたいなこととか、
硬直的になっちゃうとか、どこかに負担がかかってしまうみたいなことも起きやすい場では当然あるので。
そこをなんか取り直せるといいよねっていうのがこの本を読んで思えることです。
で、最後もう一個僕なりに思ったとこで言うと、