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  2. #27 保育園看護師と一緒に考え..
2024-12-07 37:59

#27 保育園看護師と一緒に考えよう!「みる」について編

現役保育園看護師のチロ先生と高校の同級生たちによる保育の情報ラジオ「ホイクベースラジオ」。 今回のラジオでは、現役看護師のチロ先生と高校の同級生二人が「みる」について語っています。


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サマリー

このポッドキャストエピソードで、保育園看護師の千尋先生は「見る」というテーマを取り上げ、観察の重要性について深く掘り下げています。看護や保育の現場における「見る」の意味やその幅について語り合っています。保育園看護師との対話を通じて、乳幼児の行動観察の重要性について考察しています。特に、行動の背後にある意図や経過を把握するための観察方法が、医療や福祉にどのように応用されるかについて議論が展開されています。エピソードでは、保育士と看護師が共同で観察力の重要性や保育の質の不安定さについて掘り下げ、特に子供の視点から見ることの意義について語ります。保育士の見方が子供の成長に与える影響や、純粋な子供の視点も考慮されています。今回のエピソードで、大人と子供の観察の違いやその重要性について考察しています。

テーマの紹介
こんにちは、保育園看護師の千尋先生こと佐藤です。
新規事業の力で日本を開国せんとす、合同会社黒船の貴曹です。
同じく、黒船の康二です。
僕たちは高校の同級生3人で、保育業界向けの新規事業を作ろうと日々頑張っております。
特にこのチャンネルでは、現役保育園看護師である僕千尋先生が日々考えている保育や保険の情報を中心に、
保育士さん、保育園看護師さん、あるいは小さいお子さんを育ての保護者の方に向けて、
何かしら発信できたらよいなあと思って撮ってみているラジオです。
というわけで、意外に好評だったということで、前回に引き続き座談会方式で、
広くいろんなテーマについて考えてみるというか、いろんなことを深掘りしていった結果、
やっぱり保育ってすごいよねっていう話になる。
そんな、伏線回収ラジオでいきたいなと思うんですけれども、
今回もね、キーワードというかテーマを一つ、これでどうでしょうというのを持ってきました。
はい。
発表します。
ドキドキ。
ひらがなで、ひらがなで想像してください。
見る。
見る。
見るです。今回は見るということについて、ちょっとお二方と一緒に深掘りしていきたいなと思います。
よろしくお願いします。
観察の重要性
はい、よろしくお願いします。
はい、というわけで、見るというその地面が連想するもの、どうですか?何がありますか?
まあ、一番イメージつくのはやっぱりあの見学の兼というか、その見る。
はいはいはい。
目で見るとかがやっぱパッと気はするかなという感じがしますね。
なるほど。しそさんはいかがですか?
いや、まあ同じというか、特に文脈もなんか見るって置いてあったら、その見るを考えるだろうなっていう気はするかな。
なるほど。じゃあもうちょっと連想、発想を飛ばして、なんかこう考えてみてもらってもいいですか?見る。
見るというか。
まあ、いろんな見るがあるよね。観察の観だったり。
観護の観とかもつけて見るって言ったりするよね。
そうですよね。
なんかお二方の仕事で意識的に見るみたいな瞬間ってなんかあったりします?
意識的に見る、まあ難しいけど、なんか収支するとかチェックするって意味だったら、そういう見るはあるかもしれないね。
なんかコンテンツの間違いがあるかどうかとかさ、個人のチェックとかもそうだし。
あーなるほど。
そういうことは見るの一つかなと思う。
見るか。あんまり意識して何かを見る。動画を見る時間とかも多いかな。
なるほど。
受動的に見てる感覚。
どっちかって言うと視覚的な、その見学の権利を代表するような見るが、
なんとなくイメージするし、日常生活というか仕事の中ではやっぱりその見るを使っている場面が一番多いっていう感じかな。
多いね。
なんか、例えばだけど様子見といてみたいなのを見るってあんまりイメージの中には出てこないかもね。
無意識的に使って。
あの子のこと見といてとかさ。
面倒を見るの見る。
面倒を見るって感じ。
うんうんうんうん。なるほど。
実はね、今回この見るっていう字をね、テーマにしようと思ったには理由があって、
看護の世界だとよく、やっぱり一番大切なのは何かって言われたら観察することだっていう風な理論というか、
そんなようなことがあって、
なんかこう看護という仕事を突き詰めていくと、じゃあ結局その中心、後半の部分は何かというと、
もう最初から最後まで全部観察になると、
先代はいうわけですよ。
観察に始まり観察に終わると。
で、これって看護ももちろんそうなんだけど、僕保育もそうなんじゃないかなって最近ちょっと思ってて。
ほう。
こう、やっぱ業務の中心は観察することだよなって最近ちょっと思っていて。
うんうんうん。
で、その観察の観ってさ、ただ見るよりももうちょっとこういろいろ考えながら見るようなイメージがあるじゃないですか。
そうだね。
で、その中に僕自身は保育館護士として、さっきどちらかが言ったみたいな観護の観っていうのを手で、
手で見るって書いて観護の観っていう字になってるように。
そうか。
あれ手で見るの?
そうそうそう。
そう手で、手と目で見るんだけど。
あー。
言われてみれば。
そうそうそう。
そのなんか、この例えばAちゃんっていうお子さんをどう見ていくのか、発達はどうかっていう視点で見るのももちろんそうだし、
このやりとりはじゃあどうなのかとか、今何して遊んでるのかとか、表面的に見るももちろん大事だし、
もっと深掘って、じゃあその何というかその行為に至ったその彼女の思いは何だったのかっていうそのもっと内面まで見ていくとか、
最終的にその子だけじゃなくてその周りの人との関わりだったり、
さらにはその子の住む、保護者との関係性だったり家庭だったりっていうところまでこう見るっていうところで、
ある意味、看護もそうなんだけど、こう対象者とその者との関係性とかっていうところまで含めると、
保育の方が見るべき範囲が広いなっていうふうにちょっと最近気づいた。
看護と比べてっていうこと?
そうそう。
看護だと基本的には疾患を持った患者さんをどう見ていくのか、
その患者さんの家族とかその子の生活とかそういったところで、
その人への深さっていうところでは広いんだけど、
保育の方が横とのつながりみたいな意味で広く見なきゃいけない、
観察するポイントがたくさんあるっていう意味では、
看護的な深さだけじゃなく、もうちょっと横の広がりもイメージ的には感じるというか、
そういう見るがあるなってちょっと思って。
広さ。
それこそ経過観察しましょうっていう言葉があるじゃないですか。
お医者さんがちょっと経過見ていきましょうみたいな。
おそらくこの経過を見ていきましょうっていう時に見るっていうのは、
経過を観察していきましょうっていうのと同じ意味だと思うんだけど、
さっきどっちかが言ったように、様子を見ましょうっていうのも、
ある種経過観察しましょうとほぼ同義だとは思いつつ、
でも様子を見ましょうって漢字で書こうと思った時に、
どれだろうなってちょっと思っちゃって。
なんか一瞬見学の権を当てるかなと思ったけど、
とはいえ確かに様子を見る時に本当に目でちゃんと見てるかって言われたら、
そうそうそうそう。
そんなこともないよね。
でも様子見っていう言葉があるくらいだから、
なんか見学の権なのかな。
でもな、もうちょっと深い意味合いで様子を見ましょうとか言うな、
なんか様子を見ましょうって結構、保育の現場でも使うのよ。
応募者の方とかに、今日ちょっと鼻水結構出てたので、
ちょっと様子を見ていきましょうねとか、様子を見ていきますねとか、
日常的に使うんだけど、すごい過疑的だなというか、
その見るってちょっといろいろだって思ったっていうところから、
見るということをテーマにちょっと深もっていこうって思ったっていうのが、
今日のテーマです。
業界の観察方法
これ、わざわざ冒頭でも言ってた平仮名で言ってるのは、
いろんな漢字を目で見る、大きくは見るってこうなんていうか、
視野に捉えるみたいな行為だけど、
さらにどの漢字を当てるかでそのなんていうか、
ニュアンスが変わってくるよねっていうので、
あえて平仮名っていう話だったもんね。
そう、そうなの。
だし、単純にノートに書くときに様子を見ていきますねって、
俺いつも平仮名で書いてるなと思って。
なるほどね。
我々決して言語的なプロフェッショナルではないから、
ここにそういう教授を呼んできてぜひ来たいなぐらいな感じなんだけど、
でもなんかお二人的に観察をするっていう行為が、
どういうか、
なんか、
僕がね、看護師としてこの何年間か保育園で働いてきて思う観察っていうのと、
一般的なお二人が思う観察っていうのと、
どれくらい差異があるのかなっていうのはちょっと確かめてみたくて。
うんうん。
なるほどね。
どうですか、なんかお二人観察っていうことについて。
その、
よく観察って単純に看護から想像すると言うと、
植物の成長とか、
分かんないけど、
虫の成長とかの観察日記とかあるかもしれないけど、
多分、僕やきそうさんのお仕事的に一番観察する対象は、
サービスのユーザーとかになってくると思うのよね。
はいはいはい。
僕らが出しているサービスを使ってくれるユーザーさんの行動を観察しようとか、
対象になり得るユーザーさんの普段の行動を観察しようとか、
そういう観察が一番多いんじゃないかなと思っていて。
うんうんうん。
そこでのポイント、
ちょっと保育ではないけど、
まあせっかく連想ゲームなのでこう話をすると、
そこでのポイントやっぱりこう、
観察することのポイントは、
心情ではなく行動を見ようって言ったりするというか。
そうだね、我々の業界はそう。
そうそうそうそう。
そのボタンをアップしたとか、
何秒くらいスクロールしたとかを、
ユーザーになんでそうしたんですかって聞いても、
ユーザーは答えを持ってないことが多いっていうのがあって。
なるほどね。
どっちかっていうと、
どう行動したかっていう結果から逆算していくみたいな方法の方が多い。
そうだね。
なぜならその心情は聞かれたら大人はなんていうか、
いいように嘘をつくというか。
そうそう、その場をなんか取り繕う感じに作られちゃうからね。
なんでこのアプリ知ったんですかとか言った時に、
相手がそのアプリ作って言ったらちょっと気使っちゃうじゃん、絶対に。
だからそういう嘘をつくので、
何で検索しましたかとか、
どのワードで検索しましたかっていうその行動だけを。
そうだね、ファクトだよね。
そう、事実を拾っていくっていうのを、
僕らは割とその仕事上のプロダクトマネージャーとか、
ディレクターと呼ばれるような職業の観察はそういうところかな。
事実を拾う作業みたいな感じがするかな。
観察の重要性
いわゆるユーザーヒアリングとかユーザーインタビューは、
そういうのの観察する方法としてやってるっていうことだよね。
なるほどね。
ファクトベースと、たまに聞くけど、それのことですか。
若干、たぶん本の文脈と話は違うけど、
でも、ファクトを見るっていう行動を見るっていうところに関してはそうだね。
同意っていうか。
なるほどなるほど。
ある種でもその心情というか、
なんていうの、どうしてそこにいたったかっていうよりは、
なぜそれをしたかをもっと具体的なところで知りたいみたいな感じなんですか。
そうそうそうそう。
そうだね、まあ、言葉は嘘つくかもしれないけど、
行動は嘘をつかむというか、
何かしらの意図を持ってそれをした。
なんか使いづらいから、
なんで赤のボタンを押したんですかとか言われてもわからないじゃん。
けど、赤のボタンを押したみたいなこととかもそうだし、
っていうところかな。
なるほどね。
面白い。
っていう観察は確かにあるね。
っていうのがたぶん僕やヒトさんが働いてる領域においては、
事実を拾う作業っていうのが一番定義の近いかもしれない。
そんなことな。
すごい面白いな。
なんか保育、特に我々が普段関わってる乳幼児のお子さんって、
それこそ言葉をまだうまく操れないというか、
言語を獲得していく途中にある子どもたちなので、
行動、もちろんそのやったことというか、
例えばA君がB君を引っ掻きましたっていうこと自体はファクトとしてあるわけじゃないですか。
ただそこに至った定義というか、
なぜA君はB君を引っ掻いたのかっていうところを観察したい、
みたいに見ていたいというか、見ているべきというか。
だからなんかその、その点、その引っ掻いたっていう場面だけではなく、
そこに至るまでの経過も含めてずっと観察を続けている必要があるから、
なんかそうだね、今2人が言ったそのファクトってどっちかっていうと、
僕点のイメージがなんとなくあるんだけど、
事実としてこうだったっていう場面、場面というか点で見るというよりは、
なんかやっぱもうちょっと広く最初見ていて、
広く浅く見ているところから、
A君が使っていたおもちゃをB君が勝手に取っていって、
A君がそれがおそらく意外に思ったところから、
こううまくまだ言葉が出ないから、
これが出たっていうその事実のとこまで持っていくための観察が、
まず時系列的に広くちょっとあって、
今言ったような経過をセスメントし、
じゃあどう関わるべきだったかっていう反省に至りみたいな感じ?
まあすごい平たく言うと、
普段している観察ってそんなようなことだと思うんだけど、
なんとなくやっぱりこう、見てるポイントが違うんだね。
一般的なというか、
仕事、医療的に必要な仕事で見る観察っていうのと、
医療とか福祉業界で見る観察っていう視点と。
時系列の話とか広さの話で言うと、
確かに一人の人を、
インターネットのサービスって普通に何百人何千人何万人と何十万人使うわけだから、
一人の行動をその前にどこを見ていて、
どんな行動をして、その結果ここにたどり着いたみたいなのは、
一人一人は多分あんま覚えないけど、
それは多分もっと薄くやっているのが、
どっちかっていうとウェブでの観察なんだろうな。
さっきの僕が出した例はどっちかっていうと、
一人のユーザーを理解するためのだったんだけど、
もっと別の話をすればじゃあ、
ウェブサイトってクリック率が何%とか、
どのサイトのページを何秒ぐらい見ていたとか、
データが取れたりするので、
ここのボタンがここにあるとクリック率が何%だけど、
この色をこれに変えたらこのクリック率が上がった下がったみたいな、
そういう確かにちょっと点っぽいかもしれないけど、
を何ていうかすごい大量のデータを元に観察していくみたいなのも結構ありそうだね。
なるほど。
すごい大量のデータというか、数値がそういうふうに数値としてデータが取れるからこそ、
それを統計的に理解してというか利用してっていうところはすごくあると思う。
確かに数値で話をしたがるっていうのはあると思う。
多分コンティニュアの実験という概念が存在すると思っていて、
実験ってデータを取ってどう変わっていったかを見る行為なわけじゃないですか、基本的には。
それに近い概念だな気がするね。
なるほど。
でもビジネスにおいて、ビジネスとかそれはもう経済的にそうなのかな、経済学とか、
そういったものの基本的な考え方が量的な統計データをどう活用してみたいな話がベースにあるんだ。
そんな気がするね。
社会医学の基礎中の基礎みたいなところなんだろうけど。
なるほどな。
すごいがてんがいくんだけど、やっぱりこの保育業界って今さ、
そういったビジネスがなかなか発展して、これまでは来なかった。
やっと最近いろいろ出てくるようになってきたけどっていうところで、
特に保育士さんとか看護師もそうかもしれないけど、
数値で考えるのはちょっとやや苦手な傾向にどうしてもあるなっていうのは現場感で思うんだけど、
どっちかって言ったら量的なっていうよりは質的なデータの取り方をしてるというか、
やっぱ向き合う対象が人であり、その子であるっていうところが出発点だからか余計に。
なんかこう、ほらビジネスにおいてもさ、
目の前の人にどう売るかとか、目の前の人に買ってもらうにはどうするかみたいな視点もあるじゃない。
あるね。
そういうのがもともと思いとしてあって結果的にビジネスとして成功していくみたいなが、
一ストーリーとしてあるような気がするんだけど、
なんかそこの根本的な考え方というか、その見方がやっぱりお二人が見てる世界観と、
僕が最初に見ていた世界観とで、
同じものを見てるんだけどなんとなく理由度が違うというか、
っていうところがビジネスとして展開していく上での難しさの要因の一つなのかなと、
今のデリカ店が言ったんですけど。
質的データと量的データの違い
そうだね。
たぶんやっぱ、根底の思想として、
僕とかはやっぱりその、僕というか一般的な仕事というか会社で何かをやるという行為、
全般そうかもだけど、
ある程度仕組みで誰がやっても同じようにできるようにしようねっていう思想があるので、
そういう意味でやっぱ数字で話す、事実で話す、根拠で話すみたいなところってやっぱ、
誰にとっても1たす1は2であるようにみたいなところを、
をベースに話そうねっていう思想は確かに、
何ていうか、発展するにおいては必要だよね。
そうだね。
なんか今の話を聞いててちょっと思ったのは、
子の観察というか、子の文脈が必要だよねっていう話をチロが今してたけど、
それって新規事業を作るときの一番最初のきっかけとか、
誰か1人の気づきみたいなところから始まるみたいなケースが多いんだけどさ、
これを見るときの、その気づくときの気づき方って、
たぶんチロが言ってるような見るを無意識的にでもやってるんだろうなと思っていて、
このビジネスの文脈だとインサイトって言い方とかをしたりするんだけど、
洞察、なんか気づいたこと。
なんかそういうのの発見って、なんだろうな、
すごい大量にそれがいるかどうかを調べるっていうよりは、
目の前の人1人の行動から何かに気がつくみたいな話であって、
で、それはそういう前後の文脈とかいろいろある中で、
ある1人の人がそこに気づきますみたいな状態がたぶん新規事業の最初にはあるんだけど、
インサイトを得るための最初の見方っていうのは、
いわゆるそういうデータがどうとかっていうよりはむしろそういうふうに、
この流れをなんとなくでもその人の中に持ってるからこそ、
そこに気がつけるみたいなところがあるから、
そのITとか我々の業界とかもそうだけど、
最初のきっかけの部分、本当に一番最初の方、
っていうインサイトとか洞察的な部分っていうのが、
なんかそういう見方をしている気はしていて、
で、その後拡大していきましょうとか、
ある程度人数が増えて、
共通のコミュニケーションルールが必要になってくるときに、
やっぱ数字的なところを見ていくみたいなイメージが今聞いてる。
なるほどね。
確かに。
そう。
確かにね。
なんかその種類として違うものではなく、
どのフェーズでやっているのかだけが、
実続きではあるんだろうなっていう感じはするかもね。
そうだね、なんか全然違う話をしてるわけじゃないもんね。
同じ、同じところにいるはずだもんね、だってね。
そう、なんかそれで言うとやっぱり、
医学、医療、医者、反対に言うと医者の仕事って、
でもどっちかというと、ビジネス的な要素もたくさんあるじゃないですか。
うまく回ってるじゃない、そこで経済が。
やっぱ医学、医者のところまでいくと、やっぱその数値とかデータとか、
要は診断の基準がどうっていうのを正しく決められているから、
その診断の基準に合わせて、
じゃあこの人はこの病気、この人はこの病気って診断するのが基本的には医者の仕事じゃないですか。
プラスそこで処方されたお薬がどうとか、
薬剤さんの仕事があったりとか、
薬も結局ね、科学でどのデータをどう集めてどうやって、
みたいな新薬の開発とかも含めてある中で、
やっぱり看護が最後遅れて、
専門性を確立していったのと同じく、
保育も似てるなと思うんだけど、
どうしてもこうなんというか、
そういう定量化しにくいというか、
一般化しづらい、その人の経験が、
さっきね、川尻も言ってたけど、
できるだけ一般化して、
誰でもできる状態にするという話があったじゃない。
これは看護も保育も本来同じだと思う。
保育の質と観察力
なんとか俗人的になりすぎてしまったら、
それこそ保育の質が人によって変わります、みたいなことが、
多いにしてあるんだが、そこをそうしないための、
威力であったり、保育への運営だったり、
っていうのがあると思うんだけど、
やっぱりどうしても、
新人とベテランの違いさというのはね、
経験値的にあると思うけど、
経験値だけじゃなく、
保育地だったり、看護師もそうかもしれないけど、
人間が持つ観察力の際によって、
その子の見立てが違う、みたいなことは、
やっぱりある気がしていて、
それがいい面で働くと、
すごくその子に保育を提供できたりとかね、
いろんな角度からその子について考えられたりとかして、
良い面もありつつ、
やっぱりデメリット的には、
その質が安定しない。
その子への保育っていうものが、
A先生はできるけど、B先生はできない。
みたいな感じになっていくと、
果たしてそれは本当にA君にとって、
それが一番望ましい状態なのかと問われると、
どうなんだろうなって思うこともちょっとある。
その、やっぱり、
繁華できない具合が、
保育の持つ課題感の一つであり、
なんだろうなぁと、
今、思いました。
大人と子供の視点の違い
常々、いろんな話をしてる中で、
いう話をしてたじゃないですか、
いろんな人気事業を考えていく中で、
保育士さんが考える課題感だったりとか、
こうしてほしいみたいなこと、いろいろある中で、
なんか、結論的には、
そういうところに今話してきたようなことにも、
が大きい要因なのかなっていうのが、
なんとなく見えました。
いや、でも確かに難しいとこだよなって思うのは、
なんかサービスは結局それをさ、
いろんな人が使って、
何かしらの目的のために使っているわけじゃん。
うん。
でも、保育って、別に何かしらの目的のために、
その子たち、個人個人が育つというか、
共通の目標があるわけではないじゃん。
まあ、そうだね。保育目標とかはあるけど。
みんなが同じように育つことが成功ではないでしょ。
そうだね。
っていうところで、一般化しづらいのはあるよな、
っていうふうに思うかな。
難しい問題だね。問題というか。
でも、だから保育において何が数値かというか、
そういうふうにちょっと、
ある種マニュアル化というとあれだけど、
できるもので、何ができないものなのか、
何種はすべきものではないのか、
とかっていうところがさ、
それがすごい一つポイントかなっていうふうには、
保育においてはね、感じる気がする。
せっかくなので、ちょっと違う話も入れてみたいけど、
今は結構我々大人というか、
保育者と普通にウェブの仕事をしてる人たちとの
大人側の見るみたいな話だったけど、
なんか子供の見るって、
なんか子供ってどんな世界を見てるんだろうとか、
ちょっと気になるところではあるよね。
多分見る視点が違うというか、
捉え方が違うみたいなところが多そうというか。
確かにな。
なんか、すごい平たい表現だけど、
やっぱりみんなピュアだよな。
大人だったらさ、やっぱその人がその行動をしたとか、
そういう言葉をしたっていう、
なんか裏側をなんかもうほぼ、
その言葉とセットで感じるみたいなことがあるじゃないですか。
なんかまあ、終わったからお疲れ様ですって、
別に思ってなくても言ってて。
保護者の方になんかこうちょっと、
言ってらっしゃい、今日も頑張ってらっしゃいみたいな、
それは心から言ってる場合ももちろんあるんだけど、
まあポーズとして言っていたりとかっていうのも、
社交事例的な文脈だよね。
そうそうそう、あるじゃないですか。
なんか最近今、
自分の息子が、下の子が10ヶ月になったんだけど、
もうなんか、わりかし発達が早くって、
もう自分で歩きそうな感じなのよ。
あまりよろしくないけど、
歩けそうで。
やっぱりこう、見る視点の違いっていうのも、
やっぱ全然世界が変わって面白いんだろうし、
なんとなきゃお兄ちゃんがいるから、
お兄ちゃんがやってることをそのまま自分もできると、
やろうとするとかね。
なんかこう見る、見たものが、
もう即自分の経験になってるというか、
ある種見たらできるぐらいなところまで、
回路がつながってるような、
我々ほら、千村瑠衣のダンクを見たらできるとは、
自分が思わないじゃないですか。
そうだね。
ある種自分の力を理解していて、
そこにもいろんな発達を遂げた上で、
自分というものを認識して理解しているから、
そうなんだと思うけど、
特にゼロ歳時期、ゼロ歳時クラスの時期の、
1歳、ゼロ歳か1歳にかけてぐらいの時期って、
結構まだ、いろんなものがつながった状態にあるから、
すごい全能感がある。
見たものをピュアに受けてるってことだよね。
そうそう。
てか、見たものがまだ、
自分だっていう時期もあるだろう。
リターがまだ切り離されてない時期。
なるほど。
自分とお母さんがまだつながっているっていうような状態。
子供の頃、よく思ってたのは、
夜、星とか月とかが、
自分が歩いてるとついてきてると思ってて。
そうそうそうそう。
なんで星や月は僕についてくるんだって。
ロマンチストだそう。
かわいいけど、
でもそれ本当に発達…
心理学発達上あって、本当に。
世界の中心が自分にあるか、
自分の外にあるかっていうところの違いなだけで、
間違いとか間違いじゃないとかじゃ全然ないんだけど。
今でもついてくるなと思ってるし。
あれ?
そこで発達がちょっと止まった。
すいません、冗談ですけどもちろん。
でもなんかそういうね、
ピュアな心というかね、
ピュアな見方で見ている子供たちに対して、
大人が使う言葉であったり、
表情、仕草、
なんかそういったものを含めて、
もう全部が保育になるというか、
保育に通ずるって思うと、
保育者、保育士の、
なんていうか、
代わり一つがどれだけ重要なものかっていうのが、
そこからも読み取れるというか。
確かにね。
それで、子供は意外と見てるよみたいな話はよく聞くよね。
本当に本当に。
子供だからわかんないだろうと思って、
子供の前でいろいろやってても、
実は見てるし、実は記憶に残ってるし。
保育士の役割と影響
変に吸収して覚えて、
自分のものにしてる子供たちがたくさんいるから。
そうだね。
それこそでも家庭内の言葉遣いとかを、
そのまま子供が語彙を使うっていうのはさ、
まさに見てるからだよね。
そう。
見て、聞いて、
もう五感で感じたものすべてを吸収して、
そして表現して、
さらに表現したことを自分でもう一回、
吸収して覚えていくみたいなのが、
もう常に行われていくから。
うん。
ほんとね。
だから、保育士がどう見るかによって、
その子もどう見られてるかを学ぶって言うと変だけど、
ある種、変な話ね、保育者。
いや、こいつは問題児だみたいな見方を借りとしたら、
その子は問題児として育っていくっていうような感じ。
でも、この子はこういうとこに課題があるから、
こういうサポートをしてあげたら、
すごく伸び伸びと自分の力を発揮できるなっていう保育士の、
その素敵な視点というか専門的な知見から、
その子に関わっていくことで、
その子もそこに対して、
なんというかちゃんと自分の力伸ばしていけるように、
やっぱ育っていくというか。
うん。
これはほんとに何かの研究であったらしいから。
大人が見たような、
ある種の、そういうふうに見てるという期待に応えてる可能じゃないような、
そういうリアクションになるっていうか。
確かにね。
だから保育士がどう子供を見るかっていうのは、
そこの保育の質だったり、
保育そのものの重要性にもつながるっていうところに着地できました。
はーい。
なんか今回の話と若干ずれるんで、
ここではあんま深まらないけど、
そのあたりってこう、
子供を保育士がどう見るかっていうのって、
その子の個性を伸ばす形で見てあげようっていう、
個性を伸ばす話ととはいえ、
社会性を身につけさせないといけないっていうのが、
保育の一つのこう、
ある種今、指針上の目的ではある。
うん。
そこって時に対立しそうだなーみたいな、
ちょっとずれる話だけど。
本当に。
聞きながら思って。
本当に。
言いましたね。
その通りです。
特に、なんというか、
そういう子を大切にするような、
保育の目標だったり、
もともとそういうのを売りにしてる法人の考えとか、
バンクにあればあるほど、
やっぱり、なんというか、就学してからちょっと大変とかね、
たまに話を聞くけど、
でも、将来的に見たときに本当に大事なのはどっちだろうとか、
なんというか、
学業で良い成績を収めるだけが目的ではないじゃないですか。
もちろんもちろん。
なんかそこをどう捉えているのか、
ちょっとね、含めて。
ちょっとこの辺りはまたどこかの回で、
そうだね。
個性の基礎対社会のカーチで戦おうか。
個性別に。
そうだね。
まあ、あえてその番組でやる。
俺がスイスになるじゃん。
中立に入っていただいて。
中立に私がスイスで、
やらせていただければなと思いますが、
今回はね、こんなところでちょっと締めさせていただこうかと。
はい。
はい。
はい。
というわけで、
見るの重要性と観察の違い
前回に引き続き連想ゲーム、
座談会方式でのお話、
ラジオというのがありましたが、
見るというテーマから深掘っていき、
ビジネスでの見るっていうところの時点の違いだったり、
とはいえ、
保育とか看護っていうのが、
その専門性には観察っていうところが付きもので、
観察を極めれば保育も看護に突き詰めたといっても過言じゃないくらい観察が
主であるというところと、
そこから派生していろいろあって、
やっぱり保育ってすごいなっていう話になりました。
うん。
はい。
大人と子供の見るの違い
いい着地。
お二人からちょっと補足いただければ。
補足。
補足っていうことではないんだけど、
なんか今日の話全般、
なんかいろいろ考えてて、
大人の見るには考えるっていうところが、
やっぱどうしても含まれてくるなっていうか、
なんか関連してくるなと思っていて、
最後の方に子供の見るっていう話が出てたじゃないですか、
子供の見るは考えるっていうことよりももっとピュアに対象を見るっていうことで、
だからその見るっていうこと一つに対して言えば、
子供の見るの方がピュアな見るだなって思って、
大人はなんかどうやったってその見るの、
なんで見るのかっていうところかな。
なんかその見ると考えるが結構セットになってる感じがして、
なんかそこにこう子供の見る、大人の見るの違いっていうのを考えたっていうのが、
今こう全体聞いてての感想ですね。
確かに。
見るが目的なのか手段なのかみたいな差はあるそうだね。
そうだね。
なんかオブジェクトを見るものを対象として、
そのまま自分の何か意図とか考えを入れずに見るのは、
子供の方がピュアな見るだなっていう気がしていて、
大人はやっぱ見ると考えるが結構俺、
持続というか、
見て解釈するみたいなワンセットの感じはするね。
っていうところだねって感じたのは。
なるほどな。
こう、
大人になんてなりたくないもんですね。
そうか。
そうかも。
でもやっぱ月と星はまだついてきてるんで僕に。
なるほどね。
いつまでもついてくるから気をつけて。
とね、けっていうのもあるんだよ。
晴れた日に自分の後ろを見てごらん。
え?
黒いから君をずっとついてくるからね。
すごい急に保育園の人モードに入ったな。
はい。
そしてそれを切り離された瞬間、
何か世界の裏側が大変なことになるみたいな、
都市伝説がありそうだよね。
あるよね。影の話ね。
影の話あるよね。
へー。
というわけで、
今後の情報発信
今後もこんな感じで保育園の保育園看護師と、
ビジネスパーソンお二人の高校の同級生で、
一緒に何か情報を発信していけたらよいなと思ってます。
すごい個人的に実はこういう風にただ考えるみたいな、
みんなで勉強し合うみたいなのも好きです。
個人的だったね。すごく感想だったね。
ただ、いろんな考えるきっかけの一つにでもなれば、
それだけでも有益だなと思うので、
ぜひぜひ感想や、こんなテーマで考えてほしいとかも含めて、
ご質問等を送っていただけたら嬉しいです。
よろしくお願いします。
ということで、今回もありがとうございました。
ありがとうございました。
37:59

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