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  2. #64 子供との距離感を考える〜..
2025-12-02 42:53

#64 子供との距離感を考える〜親と保育者、それぞれの立ち位置〜

現役保育園看護師のチロ先生と高校の同級生たちによる保育の情報ラジオ「ホイクベースラジオ」。

今回は「子供との接し方・距離感」がテーマ。川地さんが整体院で目にした、店長さんが自分の子供に強い口調で接する場面をきっかけに、子供との適切な距離感について深掘りしていきます。

親として自分の子供と接する時と、保育者として預かる子供と接する時では、距離感が全く異なるというちろ先生の実体験から、「自分の子供は半分自分」という感覚と「預かる子供は近しい隣人」という感覚の違いを語ります。また、感情の閾値の違いや、保育者に求められるメタ認知の重要性、世代間での子供への接し方の変化など、保育現場のリアルな視点を交えながら展開されます。

「お母さん代わりではなく、専門職として」という保育者としての在り方や、家庭と職場でのスイッチの切り替え方についても触れ、保育者だけでなく子育て中の方にも参考になる内容です。

▼「ホイクベース」ダウンロードはこちらiOS版⁠⁠https://apps.apple.com/jp/app/%E3%83%9B%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9/id6503190795⁠⁠

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BGM : MusMus

サマリー

このエピソードでは、子供との距離感や接し方について論じられています。特に、保育者と親それぞれの視点を交えながら、子供に対する言葉遣いや接し方の重要性が考察されています。親と保育者の子供との距離感について理解を深めるための討論が行われており、自己の感情が子供に与える影響や、保育者としての役割と親としての役割の違いについて話し合われています。また、教育現場における子供との接し方やコミュニケーションの重要性、世代間のギャップ、保育士の役割の変化についても触れられています。さらに、親や保育士の立ち位置やメタ認知の重要性についても考察されています。

子供との接し方の事例
はい、じゃあお願いします。ちょっと画面を出しますね。
ありがとうございます。お世話になります。
はい、こんな感じです。
はい、お願いします。
お願いします。
はい。
こんにちは、保育園看護師のチロ先生こと佐藤です。
あぶね、新規授業の力でって言いそうになった。あぶね〜。
早くしてくださいよ。
合同会社黒船のパーツです。
はい、今日はセントス基礎はお休みでございますが、僕たち普段高校の同級生3人で、保育業界向けの新規授業を作るべく日々頑張っております。
このラジオでは、現役の保育園看護師である僕チロ先生と、保育は未経験だけど、IT系で働くお二人とで、いろんな話をしながら、保育や保育園看護の面白さを深もっていけたら良いなと思って続けているラジオです。
はい、続けてます。
今日のテーマをね、最近もっぱら編集頑張ってくれてます河地さんから発表していただきたいと思います。
はい、今日はですね、子供との接し方というか距離感について、ちょっと最近僕がモヤっとする出来事があったので、そちらを中心にお話をしていきたいなと思ってます。
なるほど、これは是非ね、セントスの意見も聞きたいところではございますが、やっぱりちょっとハズレ値なので、比較的常識に近い方の二人で話していきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、まず冒頭に言った出来事の話を先にしちゃうんですけど、何があったかって言うと、僕定期的に整体に行くんですけど、
あそこの整体師さんがその日手術してる時に、ちょっと子供のお迎えのタイミングが被っていたので、
お店に子供を寝かせてますと。
まあ別にそれは何とも思わないというか、そんな大きい現場でもないし、お迎えのタイミングとかあるし、寝てる分には別に気にならないし、起こしちゃったらすいませんぐらいの気持ちというか。
だったんだけど、まあ特に問題なく終わって、で、終わりかけまでずっとその子供も寝てて、大人しく、いい子だなって思ってたらね、
最後の最後、本当終わる直前ぐらい、5回系の前ぐらいに起きてきて、で、起きてきたらその担当の先生というか店長さんなんだけど、店長さんが、
なんだ起きたんかみたいな、まあそれぐらいは思ってたんだけど、ちょっとこう言葉遣いが子供に対して強いなという感じがありまして、
はいはいはい。
なんだお前起きたのかみたいな。
なるほどね、ちょっとちょっと江戸っ子が出ちゃってる感じだね。
あの子供も4、5歳ぐらい、小学生では全然なくて、
お迎え行くぐらいだもんね。
そうそうそうぐらいの、3から5歳ぐらいだったのかな、ちょっと忘れちゃったんだけど、
っていう子に、お前とか、あとその子はちょっと指をしゃぶる癖があったんだけど、
うんうんうん。
あの、まあそれ指しゃぶるなっつってんだろみたいな、店長さんが、
強いな。
結構強いんじゃないですか、結構びっくりしちゃって僕は。
なるほどなるほど。
まあ別にこれ、なんていうの、丁寧に接すればいいってわけでもないし、
店長さんからしたら、お客さんという僕がいる前で、
というかね、その子供に、ヘリクロですね、身内側だから、
ちょっとこう厳しいと言わないまでもばしっと言うみたいなのがあったとしても、
はいはいはい。
なんかそれにしてもなんかもうちょっと、言い方ってないのかなみたいな、
ちょっとだけなっちゃったっていうのがあり。
言葉遣いと親の視点
なるほどね。
これ結構ね、子供との距離感って難しいなって思って、
人によるし親によるし家庭によるよなって思って、
保育者としての目線と親としての目線みたいな話を、
もちろん先生から聞きたいなと思ったり。
なるほど。
聞き足したいです。
ありがとうございます。
そうだね。
子供との適切な距離感って、逆にどんなだと思う?
いや、そう、それをちょっと考えたんですよ、それを見て。
で、僕は保育者にはなっていないので、
仮に今いないですけど、子供がいたとしてどういう距離感を望むかなって思うと、
結構、言葉選ばず言うと他人行儀な関係になるかもなっていう気がして、
自分の仮に子供がいたとしたら。
親子であっても他人だよなっていう気持ちが割と僕あるなって思っていて、
だから敬語とか使っちゃいそうだなってちょっとだけ思ったのよ。
あー、なるほど。
別に狙って丁寧にとかじゃなく、自然に敬語の距離感になっちゃうぐらいの。
例えば、指しゃぶってたみたいなの見たときに、
しゃぶらないでくださいって言いましたよね?みたいなトーンとかには、
なりそうだなってちょっと思った。
あー、なるほどね。
なぜなら、怒るっていうのは理性だから、
理性には僕は敬語が伴うと思ってる背景があるなと思って、
っていう意味では、自然と敬語っぽく話すし、
子供であっても他人だよなって思っちゃうなって、
現時点で想像はしましたね。
なるほど。
じゃあ、子供との距離感っていう意味では、
言葉遣い的にはもう少し丁寧な感覚というか、
自分に近しい人だとはいえ、
ある種一定の距離をちゃんと保ってあるべきという感覚があるんだね。
そうだね。
僕は割と個人主義的というか、
家族であっても個人は個人として尊重されるべきだよね感が、
多分強めだなって思っている。
なんとなく想像でしかないけど、そうするかもなってちょっと思いました。
ぜひその言葉を覚えておいていただいて、
そうですね。
実際に今後もし子供ができたら、
やせてあげたいよね。
もうね、バカ可愛いがりともみくちゃになってるかもしれないからね。
そうだね。
こればっかりは多分理性じゃないところもあるんだろうなっていうのも、
なんだかわかるんだよね。
そうだね。
先に親の目線で言うと、
なんかやっぱり親に対して、親じゃない子供に対して、
ちょっと強く言えちゃう節って多分どの親でもあると思うんだよ。
で、なんか僕も確かにその節あって、
とても仕事中には言わないような、
トーンであったり言い方であったりなる場面は確かにあって、
それを決していいとは思ってないんだけど、
言えてしまうみたいな。
他人の子に対しては絶対に開かない、
なんか扉が開いてしまうみたいなところあって、
でもいろいろなんか自己分析をした結果、
結局なんかこの子供の中に、
すごく自分を見るんですよ、なんとなく。
自分の子供に自分を見る。
自分の子供の中にこう自分にある、
ちょっと自分の嫌なところというか、
自分の苦手なこととか、
すごくこう自分の中で線引きしている、
その性を軽々と超えてくる、
嫌なとことかあるのよね、なんとなく。
子供に対して怒っているというよりは、
自分自身に対する苛立ちみたいなものも含めて、
感情を乗せてしまいがち。
これはお一重に私の修行不足だと思うんですけど、
人間としての。
そこに至るの、なるほどね。
でもその修行不足が故に、
それこそカージが言ったみたいに、
自分ではない答えじゃないですか、子供と言うと。
半分自分のDNAだとしても、
それは別のものであるっていうところと、
でも半分自分なんだという感覚とがすごくこう、
微妙に混ざり合っていて、
結果的にこう、
これなんか自分に対しては別に敬語じゃないみたいな感覚。
指しゃぶりの逆効果
自分の頭の中で内現的に考えてることって、
別に敬語で考えてるわけじゃないじゃない、普段。
そうだね。
自分自身に問い正すような感じで言っちゃう節がちょっとあって。
なるほど。
だからある種甘えなんだよなとは思う。
子供に対して強く言う、
強い語気で何かを指示するとか、
そうか、そうか。
本当だったら他人にはそんなこと言わないんだけど、
まあ自分に似てるんだしっていう甘えみたいな。
甘え、面白、おめえよみたいな感覚で、
まあその親御さんのもちろん生育歴だったり、
置かれてる環境とか、
なんというかちょっと極童系のファミリーだったらさ、
おめえさんよみたいな感じあるじゃない。
それでおめえって出てきちゃうとか、
もしかしたら文化的な要素もあるかもしれないけど、
僕の中ですごい思ってるのは、
一人の人としてすごく反省されてるというか、
すごく整っているような方って、
やっぱり子供に対してもすごく整ってるんだよね。
それってすごく子供への対峙する場面において、
言葉遣いでもそうだし、態度でもそうだし、
感情の乗せ方にすごく出るな、
その人自身の本性というかちょっと平たいけど、
本質的なところがすごく出やすいなって見てて思ってて。
だからきっと生徒への店長さんも、
まだまだ修行の途中でありつつ、
まあでもそういうなんか親分技術というか、
特に自営業とかでさ、やっていると、
なんとなくそういうふうに強くあらねばならぬとこもあるでしょうし、
なんか父親としての威厳をみたいなところも、
なんとなく出さなくてはと思ってる節もあるのかもしれないけどね。
そうだね、このあたりは確かに個人の思想と、
どういう世界観で普段生きているかっていうのもありそうで、
やっぱりその、今チロ先生も言ってくれたり、
その方個人事業主だし、
まあやっぱりその後輩を引き連れて飲みに行くぞみたいなことを、
今でもするみたいな話をしているけど、
ちょっとやんちゃ系の方なので、
なんかそういう世界観においては確かにそういう振る舞いをするような、
っていうのをそのまま子供に、
同じ世界でしているっていうのはあるかも。
なんかやっぱ、でもそういった方って結構ファミリー大事、
非常に熱いイメージあるんだけど、
たぶん世間いっぱいが思うお前っていう言葉であったり、
なんとかしろよ、みたいな感じのこの語尾というか、
言葉の圧みたいなものが、
たぶん我々が想像するよりもずっとライトなんだろうなとは思うね。
そうだね。
そこまでの含みはないというか。
こっちからすると、え、怒ってんのかなとかさ、
え、苛立ってんのかなみたいに聞こえがちだけど、
別にそうでもないんだろうなとは思う。
なるほど。
ただ、指しゃぶりしてる子供に対して、
指しゃぶるなっていうのは逆効果なのでやめた方がいい。
それはマジレスだね。
これはマジレス。
何もいいことがない。
そうなんだ。
意識させるだけ無駄なので。
あー、へー。
指しゃぶりを強化させてしまう。
いや、みんな何々すんなっていうと、
それがどうしても想起されるのと一緒で、
指しゃぶりを止めようとすればするほど逆効果だから、
それは逆効果だよって教えてあげてください。
確かに、ちょっとこう、
いたずらっ子的な要素が出てくると、
何々しないでって言うと、
逆に笑いながらやってくるみたいな。
そうそうそう。
もう本当に要素あるもんね。
全親が頭を抱えるシーンだと思うけど、
感情の振れ幅と自己理解
じゃあ何て言えるんだよみたいな感じの。
そうだよね。
それ毎日もうそこで跳ねないでって言ってんじゃんって言いながら自分で、
ああそうだよな、そりゃそうするよなと思いながら、
他に言い方を思いつかなくてそう言っちゃう。
そうか。
そうだよね。
面白いな。
なんか、僕の印象としては千朗先生ってどっちかっていうと、
怒らないというか、
そんなに人に感情をぶつけるみたいな。
そうだね。
しないタイプ。
もともとはね。
多分それは間違ってないんだけど、
でも一方でやっぱり自分なんだっていうところがちょっと面白ポイントだね。
子供って自分なんだ。
人に対してそこまで強い感情を抱かないと自分でも思ってたんだけど、
想像以上に揺さぶられる。
それは喜びも含めてだけど、
なんか全体的にベクトルが大きいというか、
なんか振り幅が大きいというか。
なるほどね。
多分千朗先生の振り幅が動かないのって、
他人はやっぱり所詮他人だからって線をすぐ引ける能力の高さというか、
あったと思うんだけど、
それが逆に言うと他人じゃないから、
そうだね。
線が引けないみたいなところがあるんだろうね。
なんか身内だからこそ、
もっとこうしたいみたいなのも強く言いたくなっちゃうし、
本当どうでもいいことでめちゃめちゃ嬉しかったりもするし。
そうだよね。
怒る方ばかり言ってるけど、
良いことも自分のことのように嬉しい。
すごく子供に対する感情の域地が低い。
全体的に。
ある種感動してるに近いと思うんだけど、
それは別に確かに悪いことではないんだが、
怒ったりイライラしたりした時の、
マネジメントが自分にはまだまだ不足しているなと感じますね。
そこが宅間しすぎてても、
じゃあ子供に良い影響があるかって言われたらちょっと分かんないよね。
保育者としての接し方
そうだね。
例としてあってるか分かんないけど、
僕の父親はどっちかっていうと、
そういった域地が全然ないタイプで、
良いも悪いも全然なびかないタイプの人間なので、
え、怒ってんの?ぐらいな感じ見えるけど、
全然にこやかでいるみたいな感覚の人間なんですよ。
だから自分の中のお父さん像って全然なくてさ、
あんまり世間一般に思う強い男みたいなの全くなくて、
だから余計に父親像があまりない分、
自分のやってる動きが反母親みたいなところもありつつっていうところで、
一般的なお父さんよりもどっちかっていうと、
お母さんに近い感覚で子供と関わってしまっている分、
余計に情が入りやすいのか、
感情的になりやすいのか、
みたいなことを日頃考えながら、
あ、疲れたっつって寝てますね。
今の話はマルシェ・チロス先生の身内というか、
実の子供に対してのっていうところだけどさ、
これでも預かる子供に対しては全く違うよね。
そうなんです。
一、保育者として生態室さんの言動はプロ失格であるとは分からない。
そうですよね。
プロじゃないんでいいんですけど、
おすかりに保育従事者の方がそんなこと言ってたらもう失格ってことね。
そうですね。
1年目の子がそういう風に言ってたら、
おめえこそふざけんじゃねっつって裏に呼び出すレベル感だと思いますね。
それはやっぱ違うんですね。
親としてのと保育士従事者としての子供の接し方っていうのは。
なんとなく世間一般的、
やっぱ保育士さんってなんかいいお母さん像みたいな判明あるような気がするんだけど、
そうだね。
なんかね、やっぱ全然違うと思う。
我々がしてる仕事は母親代わりではないっていうのがよく分かる。
なるほど。
よく言うじゃん。
お母さん代わりみたいなニュアンスで語られること多い気がするんだけど、
ある意味それを担ってる面はもちろんあるんだけど、
絶対に成し得ないんだよ。
母親代わりになってなれません。
とてもじゃないけど、なれない。
子供はあくまで母親の代わりではあるんだけど、
それほど母親ではない保育者に対して妥協して関わってくれているんだなっていうのが、
特にゼロ歳とかに入ってるとよく感じる。
ゼロ歳とかで感じるんだ、特に。
そうそう。
この子たちは本当だから偉いなと思う。
本当はお母さんとお父さんがいいのに、
最初泣いて泣いてでも慣れて、
しょうがねえかこいつでも我慢してやるかみたいなところで落ち着いてくれるみたいな感覚がなんとなくあって。
なるほど。
でもそれってちゃんと他者と関係を重ねていけるというか、
そこに関係性を持つことができるというところで、
子供の能力だし、その子の力だし、
発達的に大切なポイントでもあると思うんだけど、
そこで勘違いしてしまってはいけないなと思うね、保育者側も。
私のことお母さんだと思ってね、
そう過ごしてくれてるんですよみたいな感覚でいる人はちょっと鬼信号だなと思いますね。
なるほど。
ちょっと危険だなと。
ある種、子供たちを預かっている地域のお母さんとしての役割、
どうしますみたいなのはちょっと怖いな。
なんかマインドが母親みたいな、
なんと何でも受け止めてくれる両母さん的な感覚であること自体は別に否定しないんだけど、
保育士としてはそこじゃないんだなと思うね。
その感覚ではない目線で見れなくてはならぬのではないかと思いますし、
生態師さんの話に戻ると言葉遣い一つとってもやっぱり出るんだよね、その人の隣が。
子どもとの関係性
難しいところです。
そういった意味で言うと子供に対する保育、
一日の中で最もウエイトを占める保育っていうものに対して、
すごくその人となりが出るし、
その人の人生観とか価値観とかも全部ひっくるめてやっぱり言動に出るので、
なんだかね、すっぱだかにされるような感覚がありますよね。
やっぱ対人援護職ならではだと思うけど。
なるほど。
たぶんカットする話を今からするんだけど、
ちょっとだけ話はもうその地域の母とか、
男性とか両母さん的な母っていう例えが僕はちょっとなんか、
あんまり好きじゃないというか、
一番思ったのが、知ってるかわかんないけど、
三聖堂の東京で1位って通った選挙の人が最後の演説で、
私を皆さんのお母さんにしてくださいみたいなことを叫んだ。
なんかネットに書いてあったの?
そう。これ結構キモいなと思ってて。
お母さんになるって何?っていうのを。
母性を求める感覚っていうのが全然ピンとこなくて、
キモいし、求める方もキモいし、
名乗る方もキモいなって思っちゃうんだよねっていう。
そうだね。
ママと名乗っていうのはスナックの店主ぐらいにしてるかもしれない。
なんだろう、なんかその、
なんだろうな、何でも包み込んで言うことを聞いてくれる存在みたいな、
ものを求めてるのかなっていうのが。
そうね。
だから、
言う方も求める方もそれに答えようとする方もキモいなって思う。
それはね、僕もそう思う。
なんというか、別にお母さんでも何でもいいから仕事してくれたし、
お前別に俺のお母さんじゃないし。
お母さんそんな好きじゃないからなんだろうな、自分が。
なんか、なんていうの、なんだろうね、そのマザーテレサとか、
聖母マリア的なものをイメージして言ってるのかもしれないけど、
服が違うんです。
ほんとに?
この偉大なるマリア様も、マザーテレサも含めて。
マザーテレサってめちゃくちゃすごいんだから。
このジョラは自分たちで私を母と呼びなさいなんておそらく言ったことがないでしょうからね。
その辺をすごく履き違えているなと思うね。
っていうジョラは。
そうだね、女性性に対するある種、
自分たちを、自分たちをというか、
捧げてるような感じ、なんというか、
絶妙にズレてる。
めちゃくちゃキモいなって思ったけど、
どこにも言う場所がなかったからあんまり言わずに来たけど、
ここ復興すればいいやと思っています。
気持ち悪いです。
気持ち悪いです、ほんとに。
同感でした。
で、話は変わりまして、
ちょっと聞きたかったのが、
さっきの話だった、あるしちろ先生は、
自分の子供、実の子供は半分自分的なものだと思って見ているっていう話があったじゃないですか。
うんうん。
普段の仕事で預かる子供っていうのは、
どういう感じ?お客さんなの?それとも、
子はいえ子供なわけじゃないですか。
そうだね、そうだね。
なんかでも、言葉としてやってるかわかんないけど、
すごく近しい隣人的な子供に対しては、
そんな感覚があるし、
僕は保護者に対してはすごいお客さんな感じがしちゃうよね。
そうだよね。
保護者がお客さんなんだね、はくまで。
そうそう、お客さんはあくまで保護者な感じがあって、
これはでも、保育者としてその認識が正しいかどうかちょっと微妙だけど、
子供たちに関しては、本当にこの子たちが幸せに生きてくれればいいなぐらいにしか思ってないので、
感覚的には、今日も一生懸命生きててとても素晴らしいなという思いでしか見てないので、
すごくフラットな感覚で見れるというか、
自分の子だったら、そういうふうにお友達に言ったら嫌われちゃうよとか心配にもなるし、
そんなことしたら怪我しちゃうよみたいに言いたくもなるしとかいろいろあるんだけど、
エンジもみんなかわいいしみんな大切なんだけど、
もうちょっと冷静な視点、それこそ他人としてちゃんと見れるから、
そういう言動するということを言えばこういう発達なんだなとか、
この子のこの表現ってもしかしてもっとこうなんじゃないか、
こういう思いがあるからこういうふうに表現してるんじゃないかとか、
例えば痛いとか嫌だとかが言えないタイプとかがグッとしてたら、
今これ痛い、嫌だって言いたいんだよねみたいなところにどうアプローチかけていくのかとか、
観察するフィルターみたいなのが全然違くあって、
家帰るとそのフィルター全部ベーって取れて、
お前やめろよ、ソファーで喋るなって言ってるだろ、みたいな感じになっちゃうっていう、
よしやしありますが。
なるほど。
だからフィルターが何枚も専門職としてのフィルターをかけて見ているから、
子供いたからなんかバカ野郎って言われようがぶん殴られようが、
状況としてたまにあるんだけど、別に何も思わない。
けど、自分の子供にバカ野郎って言われたり戦えたりしたら、
てめえふざけんじゃねえみたいな気持ちにはなる。
その違いがすごい大きいなと思うけど。
そうなんだ。
ある人だから、僕の友達付き合いみたいな感覚と似てるよね。
距離感と保育の重要性
そこで感情はそんなには動かないというか、
家ほどは動かない。
別にそれが本気じゃないみたいな話とは全く別だもんね。
仕事は仕事としてちゃんとやった上で。
多分それは自分の仕事スイッチみたいなところを入れると、
その域地を上げることができるようになる、そんな感覚かな。
なるほど。
これって保育の常識なのか、もちろん認知なのかわかんないけど、
どういう距離感がいいとか、どういう接し方がいいとかっていうのは、
指針とか方針とかあるもん?
いや、距離感そのものだったものはないけど、
でも保育者の子供との距離感って結構人によってバラバラなのよ。
だからあまり統一された指針みたいなものはないんだが、
保育者として核あるべきみたいな、もちろんガイドラインみたいなものはあるから、
それをどれだけ理解できていて、自分の保育に落とし込めているか、
あるいはそこまでちゃんと俯瞰して見られるようになってるかによって、
やっぱりその習熟度というか到達度によって全然違うね。
すごく冷静に見ながらも子供に対してはすごく近しく、
一緒になってキャッキャッキャッキャ遊んでいるように見せておきながら、
すごく冷静に見ているような先生って、やっぱり管理職だったり、
主任副主任とかそういった先生たちって、やっぱりそこまでできている。
一対一で子供と遊んでいるように見えるのに、
同じテンション下で、なんでそんな嫌だよとか言って子供と喧嘩もしながらも、
ちゃんとその子の気持ちを誘導して伝えられていたりとか、
周りとの関係にうまく仲介していたりとか、
それをちゃんと冷静に捉えてられるから記録もパッと書けるとかっていう感覚が見ていてあるから、
多分経験を増していくにつれて、経験していくにつれて、
この程よい距離感を操れるようになるんだろうなっていう感じ。
なるほど。
いくしって。
そうだよね。
でもちゃんとその距離感をつかめるっていうところに潜壁を持ってるから、
行き過ぎないし、そこを行き過ぎると不適切保育だよなって思う。
特に子供との身体的な距離感が一番わかりやすいと思うけど、
ベタベタしすぎちゃうとか、求められてないのに抱っこしちゃうとか、
そういうふうにしてしょっぴかれてる、たくさんいますからね今ね。
そうか。
うん、なんかそこにセームをちゃんと引けるのかどうかっていうのが、
世代間のギャップ
専門職としてもちろん倫理的にも求められてるポイントでありながら、
でもなんか半分はセンスなんだろうなって気もするけどね。
その人との距離感って結構難しいじゃないですか。
うまく取れるタイプの人と、
なんというかすごく下手な人と近すぎちゃう人ともいろいろいるじゃない。
そうか、センスとあとその人自身のキャラクターというか人というかもあるよね。
だから自己認知ができればできるほど保育って上手にできるとも思うね。
なるほど。
ある意味。
ほんと修行的よね、この仕事って。
なるほどなー、面白い。
今ってさ、僕の感覚ね、僕の感覚、
コミュニケーションって丁寧にやったほうがいいよねっていうふうに、
保育に限らずあると思っていますと、
なぜなら会社とか普通の一般的な事業会社とかでも、
誰に対しても敬語を使いましょうみたいなメッセージがあったり、
あとはもっとわかりやすいのがパワハラとかハラスメみたいなのがどんどん厳しくなっていっている。
そうだね。
そういう世代間のギャップみたいなものって保育においてもあるの?
この先生やっぱちょっと昔の先生はガンガン言っちゃうなーとか、
最近の先生の方がちょっとやっぱ子供との距離取るの怯えてるなーとか、
そういう世代間ギャップみたいなのってあったりするもんね。
あると思うし、
どうだろうな、僕が入りたての時って、
レジェンド級のおばあちゃん先生が非常勤でいらっしゃってね、
ただ保育士さんではなかったから、
なかなかな距離感だなと思いましたけど、
ある種自分の孫のような感覚で、
お尻を叩きながら、「ほらほら、いけいけ!」みたいな感じでやれちゃうくらい。
それもそれで別に悪くないというか、
今でこそ不適切保育って言われちゃうかもしれないけど、
そういう人がいることによる子供たちの、
本当におばあちゃんと関わってるような温かさももちろんあるし、
その人はやっぱ子供をすごい大切に思っている人だったから、
言動としては決して良くはないのかもしれないけど、
でも気持ちはちゃんと伝わってるような感覚があったし、
やっぱそういうおじいちゃん、おばあちゃんっていうとあれだけど、
人生の先輩の方が、
良くも悪くも距離感は近いよね、だし、
づけづけも言うし、
見る切り口が厳しいし、
これは親もうちょっとちゃんとしなきゃダメよね、みたいな感じで言えちゃう。
なるほど。
それはもちろん保育士じゃないからっていうのもあるかもしれないけど、
非常勤で働かれている近所の奥様方なので。
保育士さんは、
そうだな、
世代間のギャップっていうよりやっぱでも、
経験を積んでいくことでそうなっていくのかなっていう節があるから、
難しいとこだけど、
でも年を重ねることが、
ある種、スポーツ選手とかだとさ、
どうしたって肉体のピークがあって、
競技的にはそこでも、
あとは下がる一歩みたいな節目が絶対来るじゃない?
そうだね。
保育士はそうではないなとは思うね。
年齢を重ねれば重ねるほどもっと光ってくるところもあって、
鬼ごっこはできなくなるかもしれないけど、
こういう遊びはもっと上手にできるようになるみたいなところがあるから、
その各世代、経験、年数に応じて、
素敵なところがたくさんあるなとは思うね。
なるほど。
保護者との関係
このあたりじゃあ、子供との距離感が近い保育士がいただいて、
遠い保育士がいただいて、
子供にどんな影響があったのかみたいなのって、
それないよね。
負荷の因子もでかいし。
全くデータにしにくいでしょうね。
そうだよね。
しにくいだろうし、ただ、
やっぱここ、十数年の僕も見てる感じで言うと、
それこそ、発達障害っていうのが世間的にも認知されて、
認知された結果かわからないけど、
そのまま診断される数も増えてるとか、
いろいろ統計的にはね。
もともとグレーとしてあったものに名前がついただけっていう可能性も全然あると思うけど、
っていうところで言うと、
なんというか、子供の側が人との距離感を取りにくくなってるというか、
それこそ自閉症とか、そういう子さんってそういうところが一番難しいわけだから、
人とのコミュニケーションっていうところに障害を抱えるケースがとても多いので、
子供側の因子として、
そういう人との距離感っていうものが課題になる。
友達との距離感も含め、親との距離感も含め、職員との距離感も含め、
すごく課題が多いっていう子供の数割合自体は増えているような印象があるね。
大人側というより子供側が。
なるほど。
これは社会的にもそうだろうなと思うし、
それがあることによって、
保育者側もいろいろ配慮すべきことが増えてはいるし、
配慮しなきゃいけないその方面が子供だけじゃなく、それこそ保育者に対してとか、
関係機関に対してとかもいろいろアニメ上に広がっていくので、
なかなか疲弊するような現場はという感覚があるな。
なるほどね。
面白い。
全然違うね、その、
鶴瀬先生の家庭と仕事は。
そうそうそう、もうまるで嘘みたいに違う。
あの、何も知らん人間、僕みたいに何も知らん人間からしたらさ、
両方とも小さい子供の相手をするじゃないですか。
すごく雑に言ってしまいますね。
でも、考えることとか振る舞いとか、
しろ先生側の内心を含めて、
全然違うんだね。
全然違うね。
やっぱでも、なんだかんだ仕事とはいえ、
その子の人生を、
何というか、に対する責任ってこの保育園にいる間だけじゃないですか。
そうだね。
自分の子供はその子の責任を一生背負っていくものでもあると思うから、
その違いとかもあるのかもしれないね。
責任感、責任の重さ。
責任とか、何というか、
そうだね、その子に対する責任、
自分の役割的なところで言うと、
なんとなくその違いを感じているのかな。
面白い。
じゃあ、全然ね、保育とか知らない人からしたら、
やっぱりその子育てするのも、でも普段慣れてるでしょ、
みたいな風に捉えちゃいがちだけど、
外形的には近いものかもしれないけど、
内面はもう全く違うんだよっていうのは、
ぜひ知っていただきたいですね。
全然違いますよ。
もちろん現場のね、そういった自分の持っているいろんなフィルターが役立つ場でもたくさんあるけど、
それとは全然別に親としてのいろんな見方だったり、
オロ構えみたいなものも含めて、
自分も子供と一緒に育っていかないといけないんだなっていうのは日々感じるので、
本当ね、世の中のお父さんお母さん偉いな。
保護者に対する感覚が、
保育者として働いてて一番変わったのは、
親に対する目線というか、
親御さんに対する感覚、
なんかそれこそ、やっぱりもっと家でちゃんとしてほしいなとか、
そんな家で見てくださいよみたいに思う場でも、もちろんあるんだけど、
熱出て、でも次を引きましたみたいな話がね、
保育園ってあるあるなんだけど、
そんなお家でちゃんと見てあげてくださいよって、
簡単に思えちゃうんだけど、
親になっていろいろことだとかもしながら、
なっていくと、
まあとはいえ大変だよな、みたいな感覚がやっぱ、
多少何とも、ちょっと共感したりとか、
いろいろわからなくて、
子供に対してこういうふうな対応になっちゃってます、みたいな相談に対して、
ああそうだよね、みたいな。
なんかより共感ベースに保護者と関われたり、
保護者の言動に対して、
優しくなれるというか、
そこが一番変わったかもしれないね、もしかしたら。
なるほどね、ある種お客さんと同じことを体験するっていうのができてる。
そうだね、なんかだからその辺は、
なんというか、子育てをすることが、
全部が全部保育にプラスかどうかと言われるとわかんないけど、
そうだね、一保育者として、
そこは一つ自分の中ではレベルを上げられるポイントなのかなとは思ったので、
そうじゃなく共感できる先生もたくさんいるから、
それが絶対必要なわけではないけど、
っていう感じがしましたね。
めちゃくちゃ面白いです、ありがとうございます。
とんでもないです。
というわけで、
子供との距離感の考察
今回は子供との距離感ということで、
いろいろ話してまいりましたが、
まあね、結局大人になっても距離感じゃ難しいですからね。
でも結局子供との距離感を履き違えている人って、
大概大人との距離感も履き違えているケースが多いな。
急に指すようであれですけど、
やっぱこうね、
講師ともに何というか、もっともっと修行を重ねていきたいなと思いますよね。
保育ってやっぱ修行的なんですね。
まあ捉えようによっては。
道ですね、道を極めるみたいな。
ほぼ他王だと。
それはね、ただどう生きててもそうだと思うんですけど、
どの仕事でもそうなり得ると思うんですけど、
ことはやっぱ人についていろいろ考える仕事なので、
そこを人から自分を見つめ直すみたいな場面も多々必要なのでね。
ぜひメタ認知講座みたいなものを保育園で開いてほしいなと思いますけどね。
それは誰向けの講座なんですか?子供向けですか?
保育士向けに。
子供にメタ認知しましょう、ちょっとまだ早いなと思って。
ちょっとね、ちょっと早いね。
世界への認知がまだちょっと育ててる途中なので。
自分をメタする前に。
いいのいいの、子供たちはもうザックバラに遊んでればなんでもいいんで。
本当に。
保育士自身が、でも保育士自身がそういうメタ認知というか、
自己確知みたいなものが丁寧にあると、また保育も変わっていくと思うので。
そうですね。
有意義かなと今思いましたが。
はい、あと何か言い残したことはございません。
そうですね、自分は割と大人に対してのコミュニケーションの延長線上に子供を接する。
僕も子供に接するというのは自分の子供がいないから他人の子供に接するしかない。
しかしたことないからその点用ぐらいに自分の子供がもしいたとしてもって考えたんだけど。
まあ今の千代先生の話はだいぶ違う側面があるんだなあというのでめちゃくちゃ面白かったですね。
もうほんと多分ね、母親に娘が生まれたらもうびっくりするぐらい可愛いが、びっくりするんだろうなあと思いながら聞いてました。
ぜひびっくりしてほしいなと思います。
そしてきっとね、セントスこと来そうだったらね、誰に対してもフラットな男なので。
ある種子供だろうが赤ちゃんだろうが容赦しない主があると思う。
忘れられない。
本当にあの俺の息子に対して強く生きろよって最高一番言ってたのめっちゃ面白かった。
泣いてる子供に対して強く生きろよって。
そんなこと言う大人いる?と思いながら。
非常に高安らしい良いエピソードだなと思いますけど。
変な大人って言った方がいいからね一人ぐらいはね。
そういう人間も大事なので。
ぜひ彼には彼の道を見せてもらいたいと思います。
というわけで、今後もこんな感じで保育の情報、情報というか案外垂れ流しラジオですけど、
続けていきたいなと思ってますので、ぜひぜひ概要欄などでGoogleフォームのURL書いてるので、
感想・質問を送っていただけるととても嬉しいです。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
はい、お疲れ様でした。
ありがとうございました。
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