はい、じゃあお願いします。ちょっと画面を出しますね。
ありがとうございます。お世話になります。
はい、こんな感じです。
はい、お願いします。
お願いします。
はい。
こんにちは、保育園看護師のチロ先生こと佐藤です。
あぶね、新規授業の力でって言いそうになった。あぶね〜。
早くしてくださいよ。
合同会社黒船のパーツです。
はい、今日はセントス基礎はお休みでございますが、僕たち普段高校の同級生3人で、保育業界向けの新規授業を作るべく日々頑張っております。
このラジオでは、現役の保育園看護師である僕チロ先生と、保育は未経験だけど、IT系で働くお二人とで、いろんな話をしながら、保育や保育園看護の面白さを深もっていけたら良いなと思って続けているラジオです。
はい、続けてます。
今日のテーマをね、最近もっぱら編集頑張ってくれてます河地さんから発表していただきたいと思います。
はい、今日はですね、子供との接し方というか距離感について、ちょっと最近僕がモヤっとする出来事があったので、そちらを中心にお話をしていきたいなと思ってます。
なるほど、これは是非ね、セントスの意見も聞きたいところではございますが、やっぱりちょっとハズレ値なので、比較的常識に近い方の二人で話していきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、まず冒頭に言った出来事の話を先にしちゃうんですけど、何があったかって言うと、僕定期的に整体に行くんですけど、
あそこの整体師さんがその日手術してる時に、ちょっと子供のお迎えのタイミングが被っていたので、
お店に子供を寝かせてますと。
まあ別にそれは何とも思わないというか、そんな大きい現場でもないし、お迎えのタイミングとかあるし、寝てる分には別に気にならないし、起こしちゃったらすいませんぐらいの気持ちというか。
だったんだけど、まあ特に問題なく終わって、で、終わりかけまでずっとその子供も寝てて、大人しく、いい子だなって思ってたらね、
最後の最後、本当終わる直前ぐらい、5回系の前ぐらいに起きてきて、で、起きてきたらその担当の先生というか店長さんなんだけど、店長さんが、
なんだ起きたんかみたいな、まあそれぐらいは思ってたんだけど、ちょっとこう言葉遣いが子供に対して強いなという感じがありまして、
はいはいはい。
なんだお前起きたのかみたいな。
なるほどね、ちょっとちょっと江戸っ子が出ちゃってる感じだね。
あの子供も4、5歳ぐらい、小学生では全然なくて、
お迎え行くぐらいだもんね。
そうそうそうぐらいの、3から5歳ぐらいだったのかな、ちょっと忘れちゃったんだけど、
っていう子に、お前とか、あとその子はちょっと指をしゃぶる癖があったんだけど、
うんうんうん。
あの、まあそれ指しゃぶるなっつってんだろみたいな、店長さんが、
強いな。
結構強いんじゃないですか、結構びっくりしちゃって僕は。
なるほどなるほど。
まあ別にこれ、なんていうの、丁寧に接すればいいってわけでもないし、
店長さんからしたら、お客さんという僕がいる前で、
というかね、その子供に、ヘリクロですね、身内側だから、
ちょっとこう厳しいと言わないまでもばしっと言うみたいなのがあったとしても、
はいはいはい。
なんかそれにしてもなんかもうちょっと、言い方ってないのかなみたいな、
ちょっとだけなっちゃったっていうのがあり。
難しいところです。
そういった意味で言うと子供に対する保育、
一日の中で最もウエイトを占める保育っていうものに対して、
すごくその人となりが出るし、
その人の人生観とか価値観とかも全部ひっくるめてやっぱり言動に出るので、
なんだかね、すっぱだかにされるような感覚がありますよね。
やっぱ対人援護職ならではだと思うけど。
なるほど。
たぶんカットする話を今からするんだけど、
ちょっとだけ話はもうその地域の母とか、
男性とか両母さん的な母っていう例えが僕はちょっとなんか、
あんまり好きじゃないというか、
一番思ったのが、知ってるかわかんないけど、
三聖堂の東京で1位って通った選挙の人が最後の演説で、
私を皆さんのお母さんにしてくださいみたいなことを叫んだ。
なんかネットに書いてあったの?
そう。これ結構キモいなと思ってて。
お母さんになるって何?っていうのを。
母性を求める感覚っていうのが全然ピンとこなくて、
キモいし、求める方もキモいし、
名乗る方もキモいなって思っちゃうんだよねっていう。
そうだね。
ママと名乗っていうのはスナックの店主ぐらいにしてるかもしれない。
なんだろう、なんかその、
なんだろうな、何でも包み込んで言うことを聞いてくれる存在みたいな、
ものを求めてるのかなっていうのが。
そうね。
だから、
言う方も求める方もそれに答えようとする方もキモいなって思う。
それはね、僕もそう思う。
なんというか、別にお母さんでも何でもいいから仕事してくれたし、
お前別に俺のお母さんじゃないし。
お母さんそんな好きじゃないからなんだろうな、自分が。
なんか、なんていうの、なんだろうね、そのマザーテレサとか、
聖母マリア的なものをイメージして言ってるのかもしれないけど、
服が違うんです。
ほんとに?
この偉大なるマリア様も、マザーテレサも含めて。
マザーテレサってめちゃくちゃすごいんだから。
このジョラは自分たちで私を母と呼びなさいなんておそらく言ったことがないでしょうからね。
その辺をすごく履き違えているなと思うね。
っていうジョラは。
そうだね、女性性に対するある種、
自分たちを、自分たちをというか、
捧げてるような感じ、なんというか、
絶妙にズレてる。
めちゃくちゃキモいなって思ったけど、
どこにも言う場所がなかったからあんまり言わずに来たけど、
ここ復興すればいいやと思っています。
気持ち悪いです。
気持ち悪いです、ほんとに。
同感でした。
で、話は変わりまして、
ちょっと聞きたかったのが、
さっきの話だった、あるしちろ先生は、
自分の子供、実の子供は半分自分的なものだと思って見ているっていう話があったじゃないですか。
うんうん。
普段の仕事で預かる子供っていうのは、
どういう感じ?お客さんなの?それとも、
子はいえ子供なわけじゃないですか。
そうだね、そうだね。
なんかでも、言葉としてやってるかわかんないけど、
すごく近しい隣人的な子供に対しては、
そんな感覚があるし、
僕は保護者に対してはすごいお客さんな感じがしちゃうよね。
そうだよね。
保護者がお客さんなんだね、はくまで。
そうそう、お客さんはあくまで保護者な感じがあって、
これはでも、保育者としてその認識が正しいかどうかちょっと微妙だけど、
子供たちに関しては、本当にこの子たちが幸せに生きてくれればいいなぐらいにしか思ってないので、
感覚的には、今日も一生懸命生きててとても素晴らしいなという思いでしか見てないので、
すごくフラットな感覚で見れるというか、
自分の子だったら、そういうふうにお友達に言ったら嫌われちゃうよとか心配にもなるし、
そんなことしたら怪我しちゃうよみたいに言いたくもなるしとかいろいろあるんだけど、
エンジもみんなかわいいしみんな大切なんだけど、
もうちょっと冷静な視点、それこそ他人としてちゃんと見れるから、
そういう言動するということを言えばこういう発達なんだなとか、
この子のこの表現ってもしかしてもっとこうなんじゃないか、
こういう思いがあるからこういうふうに表現してるんじゃないかとか、
例えば痛いとか嫌だとかが言えないタイプとかがグッとしてたら、
今これ痛い、嫌だって言いたいんだよねみたいなところにどうアプローチかけていくのかとか、
観察するフィルターみたいなのが全然違くあって、
家帰るとそのフィルター全部ベーって取れて、
お前やめろよ、ソファーで喋るなって言ってるだろ、みたいな感じになっちゃうっていう、
よしやしありますが。
なるほど。
だからフィルターが何枚も専門職としてのフィルターをかけて見ているから、
子供いたからなんかバカ野郎って言われようがぶん殴られようが、
状況としてたまにあるんだけど、別に何も思わない。
けど、自分の子供にバカ野郎って言われたり戦えたりしたら、
てめえふざけんじゃねえみたいな気持ちにはなる。
その違いがすごい大きいなと思うけど。
そうなんだ。
ある人だから、僕の友達付き合いみたいな感覚と似てるよね。
そこで感情はそんなには動かないというか、
家ほどは動かない。
別にそれが本気じゃないみたいな話とは全く別だもんね。
仕事は仕事としてちゃんとやった上で。
多分それは自分の仕事スイッチみたいなところを入れると、
その域地を上げることができるようになる、そんな感覚かな。
なるほど。
これって保育の常識なのか、もちろん認知なのかわかんないけど、
どういう距離感がいいとか、どういう接し方がいいとかっていうのは、
指針とか方針とかあるもん?
いや、距離感そのものだったものはないけど、
でも保育者の子供との距離感って結構人によってバラバラなのよ。
だからあまり統一された指針みたいなものはないんだが、
保育者として核あるべきみたいな、もちろんガイドラインみたいなものはあるから、
それをどれだけ理解できていて、自分の保育に落とし込めているか、
あるいはそこまでちゃんと俯瞰して見られるようになってるかによって、
やっぱりその習熟度というか到達度によって全然違うね。
すごく冷静に見ながらも子供に対してはすごく近しく、
一緒になってキャッキャッキャッキャ遊んでいるように見せておきながら、
すごく冷静に見ているような先生って、やっぱり管理職だったり、
主任副主任とかそういった先生たちって、やっぱりそこまでできている。
一対一で子供と遊んでいるように見えるのに、
同じテンション下で、なんでそんな嫌だよとか言って子供と喧嘩もしながらも、
ちゃんとその子の気持ちを誘導して伝えられていたりとか、
周りとの関係にうまく仲介していたりとか、
それをちゃんと冷静に捉えてられるから記録もパッと書けるとかっていう感覚が見ていてあるから、
多分経験を増していくにつれて、経験していくにつれて、
この程よい距離感を操れるようになるんだろうなっていう感じ。
なるほど。
いくしって。
そうだよね。
でもちゃんとその距離感をつかめるっていうところに潜壁を持ってるから、
行き過ぎないし、そこを行き過ぎると不適切保育だよなって思う。
特に子供との身体的な距離感が一番わかりやすいと思うけど、
ベタベタしすぎちゃうとか、求められてないのに抱っこしちゃうとか、
そういうふうにしてしょっぴかれてる、たくさんいますからね今ね。
そうか。
うん、なんかそこにセームをちゃんと引けるのかどうかっていうのが、
専門職としてもちろん倫理的にも求められてるポイントでありながら、
でもなんか半分はセンスなんだろうなって気もするけどね。
その人との距離感って結構難しいじゃないですか。
うまく取れるタイプの人と、
なんというかすごく下手な人と近すぎちゃう人ともいろいろいるじゃない。
そうか、センスとあとその人自身のキャラクターというか人というかもあるよね。
だから自己認知ができればできるほど保育って上手にできるとも思うね。
なるほど。
ある意味。
ほんと修行的よね、この仕事って。
なるほどなー、面白い。
今ってさ、僕の感覚ね、僕の感覚、
コミュニケーションって丁寧にやったほうがいいよねっていうふうに、
保育に限らずあると思っていますと、
なぜなら会社とか普通の一般的な事業会社とかでも、
誰に対しても敬語を使いましょうみたいなメッセージがあったり、
あとはもっとわかりやすいのがパワハラとかハラスメみたいなのがどんどん厳しくなっていっている。
そうだね。
そういう世代間のギャップみたいなものって保育においてもあるの?
この先生やっぱちょっと昔の先生はガンガン言っちゃうなーとか、
最近の先生の方がちょっとやっぱ子供との距離取るの怯えてるなーとか、
そういう世代間ギャップみたいなのってあったりするもんね。
あると思うし、
どうだろうな、僕が入りたての時って、
レジェンド級のおばあちゃん先生が非常勤でいらっしゃってね、
ただ保育士さんではなかったから、
なかなかな距離感だなと思いましたけど、
ある種自分の孫のような感覚で、
お尻を叩きながら、「ほらほら、いけいけ!」みたいな感じでやれちゃうくらい。
それもそれで別に悪くないというか、
今でこそ不適切保育って言われちゃうかもしれないけど、
そういう人がいることによる子供たちの、
本当におばあちゃんと関わってるような温かさももちろんあるし、
その人はやっぱ子供をすごい大切に思っている人だったから、
言動としては決して良くはないのかもしれないけど、
でも気持ちはちゃんと伝わってるような感覚があったし、
やっぱそういうおじいちゃん、おばあちゃんっていうとあれだけど、
人生の先輩の方が、
良くも悪くも距離感は近いよね、だし、
づけづけも言うし、
見る切り口が厳しいし、
これは親もうちょっとちゃんとしなきゃダメよね、みたいな感じで言えちゃう。
なるほど。
それはもちろん保育士じゃないからっていうのもあるかもしれないけど、
非常勤で働かれている近所の奥様方なので。
保育士さんは、
そうだな、
世代間のギャップっていうよりやっぱでも、
経験を積んでいくことでそうなっていくのかなっていう節があるから、
難しいとこだけど、
でも年を重ねることが、
ある種、スポーツ選手とかだとさ、
どうしたって肉体のピークがあって、
競技的にはそこでも、
あとは下がる一歩みたいな節目が絶対来るじゃない?
そうだね。
保育士はそうではないなとは思うね。
年齢を重ねれば重ねるほどもっと光ってくるところもあって、
鬼ごっこはできなくなるかもしれないけど、
こういう遊びはもっと上手にできるようになるみたいなところがあるから、
その各世代、経験、年数に応じて、
素敵なところがたくさんあるなとは思うね。
なるほど。
このあたりじゃあ、子供との距離感が近い保育士がいただいて、
遠い保育士がいただいて、
子供にどんな影響があったのかみたいなのって、
それないよね。
負荷の因子もでかいし。
全くデータにしにくいでしょうね。
そうだよね。
しにくいだろうし、ただ、
やっぱここ、十数年の僕も見てる感じで言うと、
それこそ、発達障害っていうのが世間的にも認知されて、
認知された結果かわからないけど、
そのまま診断される数も増えてるとか、
いろいろ統計的にはね。
もともとグレーとしてあったものに名前がついただけっていう可能性も全然あると思うけど、
っていうところで言うと、
なんというか、子供の側が人との距離感を取りにくくなってるというか、
それこそ自閉症とか、そういう子さんってそういうところが一番難しいわけだから、
人とのコミュニケーションっていうところに障害を抱えるケースがとても多いので、
子供側の因子として、
そういう人との距離感っていうものが課題になる。
友達との距離感も含め、親との距離感も含め、職員との距離感も含め、
すごく課題が多いっていう子供の数割合自体は増えているような印象があるね。
大人側というより子供側が。
なるほど。
これは社会的にもそうだろうなと思うし、
それがあることによって、
保育者側もいろいろ配慮すべきことが増えてはいるし、
配慮しなきゃいけないその方面が子供だけじゃなく、それこそ保育者に対してとか、
関係機関に対してとかもいろいろアニメ上に広がっていくので、
なかなか疲弊するような現場はという感覚があるな。
なるほどね。
面白い。
全然違うね、その、
鶴瀬先生の家庭と仕事は。
そうそうそう、もうまるで嘘みたいに違う。
あの、何も知らん人間、僕みたいに何も知らん人間からしたらさ、
両方とも小さい子供の相手をするじゃないですか。
すごく雑に言ってしまいますね。
でも、考えることとか振る舞いとか、
しろ先生側の内心を含めて、
全然違うんだね。
全然違うね。
やっぱでも、なんだかんだ仕事とはいえ、
その子の人生を、
何というか、に対する責任ってこの保育園にいる間だけじゃないですか。
そうだね。
自分の子供はその子の責任を一生背負っていくものでもあると思うから、
その違いとかもあるのかもしれないね。
責任感、責任の重さ。
責任とか、何というか、
そうだね、その子に対する責任、
自分の役割的なところで言うと、
なんとなくその違いを感じているのかな。
面白い。
じゃあ、全然ね、保育とか知らない人からしたら、
やっぱりその子育てするのも、でも普段慣れてるでしょ、
みたいな風に捉えちゃいがちだけど、
外形的には近いものかもしれないけど、
内面はもう全く違うんだよっていうのは、
ぜひ知っていただきたいですね。
全然違いますよ。
もちろん現場のね、そういった自分の持っているいろんなフィルターが役立つ場でもたくさんあるけど、
それとは全然別に親としてのいろんな見方だったり、
オロ構えみたいなものも含めて、
自分も子供と一緒に育っていかないといけないんだなっていうのは日々感じるので、
本当ね、世の中のお父さんお母さん偉いな。
保護者に対する感覚が、
保育者として働いてて一番変わったのは、
親に対する目線というか、
親御さんに対する感覚、
なんかそれこそ、やっぱりもっと家でちゃんとしてほしいなとか、
そんな家で見てくださいよみたいに思う場でも、もちろんあるんだけど、
熱出て、でも次を引きましたみたいな話がね、
保育園ってあるあるなんだけど、
そんなお家でちゃんと見てあげてくださいよって、
簡単に思えちゃうんだけど、
親になっていろいろことだとかもしながら、
なっていくと、
まあとはいえ大変だよな、みたいな感覚がやっぱ、
多少何とも、ちょっと共感したりとか、
いろいろわからなくて、
子供に対してこういうふうな対応になっちゃってます、みたいな相談に対して、
ああそうだよね、みたいな。
なんかより共感ベースに保護者と関われたり、
保護者の言動に対して、
優しくなれるというか、
そこが一番変わったかもしれないね、もしかしたら。
なるほどね、ある種お客さんと同じことを体験するっていうのができてる。
そうだね、なんかだからその辺は、
なんというか、子育てをすることが、
全部が全部保育にプラスかどうかと言われるとわかんないけど、
そうだね、一保育者として、
そこは一つ自分の中ではレベルを上げられるポイントなのかなとは思ったので、
そうじゃなく共感できる先生もたくさんいるから、
それが絶対必要なわけではないけど、
っていう感じがしましたね。
めちゃくちゃ面白いです、ありがとうございます。
とんでもないです。
というわけで、