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  2. #7-1 感情労働って知ってる?..
2024-05-25 35:26

#7-1 感情労働って知ってる?保育園看護師が「感情労働」と言われる理由について

現役保育園看護師のチロ先生と高校の同級生たちによる保育の情報ラジオ「ホイクベースラジオ」。今回は保育士などの職業が「感情労働」と呼ばれている理由や、そもそも感情労働とは何かについて語っています。肉体労働、頭脳労働と同様に重要な感情労働との付き合い方について、保育園看護師からの視点で語っています。


■ラジオの感想、質問などは以下フォームよりお送りください。
https://forms.gle/99JjK5eacPnjN7YAA 


BGM : MusMus

00:07
こんにちは、保育園看護師の千尋先生こと佐藤です。
新規事業の力で日本を開国せんとす行動会社黒船の基礎です。
はい、同じく黒船の河津です。
僕たちは高校の同級生3人で、保育業界向けの新規事業を作ろうと日々頑張っております。
特にこのチャンネルでは、現役保育園看護師である僕が日々考えている保育だったり、
保険の情報を中心にですね、保育士さん、保育園看護師さん、
小さいお子さんを育ての保護者の方に向けて、いろんな情報を発信していけたらいいなと思ってやってみています。
今回はですね、感情労働というものに対して、ちょっと深掘っていけたらいいなと思うんですけれども。
僕は初耳です。
自分は聞いたことはありますね。ただ今回は難しい回になりそうだなという予感がしています。
ああ、そうなんだ。
なんというか、保育業界でもすごくこれが毎日のように目にするとか耳にするという言葉ではないんですけれども、
実は業務にすごく保育というものにとても関連が強いテーマだと思うので、
ちょっと見ていただけたらなと思いますので、よろしくお願いいたします。
はい、楽しみです。今感情労働ってあったけど、俺だけ知らないという状態なんですけれども、
感情労働ってそもそもどういうことなの?
わかりやすく言うと、肉体労働ってあるじゃないですか。
身体を使って仕事をします。肉体労働。
あと頭脳労働って言って、要は頭を使う仕事。
パソコンでカタカタ色々やってプログラミングとかも頭脳労働の一部に入ると思うんですけど、
っていうのと同じ並びの中に感情労働っていうのがあって、
その肉体労働、頭脳労働と同じような考えで、感情を使って仕事をする。
要は感情を管理する。自分の中でコントロールするということが仕事の一部である。
それをすることでお金をもらっているっていうのが感情労働に値します。
そういうことなんだ。肉体労働とか頭脳労働の横にあるような概念なんだ。
意外と肉体労働はすごいよく聞くからわかると思うんだけど、
実はその並びの中に感情労働っていうのもあるんですね。
確かに意外と知られてないのかもしれないね。初めて聞いた。
例えばで言えば飲み会に行きました。
すごく盛り上がっていて楽しそうですという場面で、
あなたはそこで仕事をしますと言った時に、
その雰囲気を壊しては仕事としてはよろしくないですね。
03:04
なのであなたがその飲み会が楽しかろうが楽しくなかろうが、
その楽しい雰囲気に合わせるっていうのは感情労働になるわけですよ。
なんかめちゃくちゃ日本的というか日本人が得意な領域ではありそう。
そうだね。なんかその共感するっていうのとはまたちょっとニュアンスとしては違うのかもしれないけど、
ある種共感性を発揮した上で、そういう楽しい雰囲気の中には
じゃあ楽しいという自分の感情をコントロールして、
振る舞いが求められる仕事をする。
あとはお葬式とかだったら逆に、
そこのお葬式の場でイエーイみたいなのをしていたわけ。
あの仕事として成り立たないから大盛かな、ちょっと物悲しそうな雰囲気で、
おとなし目の声で喋るとか。
っていうのもある種感情労働になる。
じゃあ結構僕は毎日リモートワークのIT企業で働いているんですけど、
とはいえこのミーティングではこういう感じで出そうみたいな、
そういうのが少なからずあるんだけど、
そういうのもある種感情労働的と言えるっていうことかな。
そうだね、何かこの肉体労働、頭脳労働、感情労働のどれかに割り振ろうと思うと、
どんな仕事でも少なからずその感情労働っていうものに
値する振る舞いっていうのはあるんじゃないかなという風に思っています。
確かに人とコミュニケーションを取るっていう時点で
ある種感情労働的な側面はある。
何かそれが対価としてそこがお金をもらうということに直結しているかどうかっていうところの
天秤にかけた時にその比重が大きいかどうかっていうのもあるのかなと思うけど。
それもそうか、肉体労働している人だって頭脳を扱うし、
頭脳労働している人だって肉体を扱うし、でも割合としてっていうね。
っていうところで、ある僕が受けた研修で講師の先生が言っていた
感情労働の構成要件というか定義みたいなものとしては大体5つあって、
それが仕事、職業であるということ、感情労働をするということが仕事である。
感情管理、その感情をコントロールすることで報酬に関係している。
要はそれがうまくできるということが、
それだけたくさんスキルアップだったりとかキャリアが積まれていくというところにも関連している。
で、これらのやりとり、その感情管理というものが頻繁に必要である。
要は他者とやりとりが頻繁にしなきゃいけない。
で、その感情管理をする、感情をコントロールするということが役割として求められる。
そうすることが本当に仕事の一部として毎日やらなきゃいけない役割がある。
これらの感情のコントロールが自分の上司にある種チェックされていて、それに対してフィードバックがもらうような仕事である。
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この5つの要件が満たしていると、ここでは感情労働というふうに定義するよというふうにその時は習うんですよね。
感情管理が管理者にチェックされているって面白い。
ねえ、なんかちょっとディストピア的だよね。
なんか大丈夫みたいになっちゃうけど、だからコスト大変なんだろうね。
そうそう、要は今僕はこれは主に保育園での話をしているので、保育園ってこれらが全て手はまるんですね。
保育の仕事っていうのは肉体労働であり、もちろん頭を使う頭脳労働でもあり、かつ感情労働の比重が大きいというところで、
改めてこの感情労働というものにちょっとフューチャーしていこうというところなんですけど、今高谷さんが、間違えた、セントスが言った。
そこを言い返さないといけない。
セントスがね。
感情管理が上司にチェックされているっていうのがなんとなく不思議な感じがするっていうところは、
例えば新人の保育士さんがリーダーの先生から、今子どもとの関わりの中でこういうふうに叱ったけどそれはちょっと良くないんじゃないとか、
そこで一緒にこういうふうに怒っていたけど、その怒り方はちょっとな、みたいなとか。
それもある種、
感情の出し方に対してフィードバックがあるってことだよね。
先生の今の言い方だとこうだよねとか、今の感覚だとちょっと違うよね、みたいなのを日々フィードバックもらって、
そうかって学んでいって次の支援関わりに生かしていくっていうのが常日頃としてある。
それが保育士としてのスキルアップにももちろんつながるし、
求められているっていう意味で、そういった上司からのチェックが入るっていうのが保育現場では常にあるのかなという感じがしています。
確かにそれはでもめちゃくちゃ難しいよね。
自分の感情に対して直接フィードバックがある。
感情の出し方についてフィードバックがあるって。
ともすれば、人格否定の方にいっちゃいそうな感じがする。
そうなんです。
出したアウトプットに何か言われるならいいけど、それが感情と結びついていると人格と結びついている部分に結構近いなと思って。
要はその感情労働というところに対して現場がどれだけ理解をしているかとか、
上司だったり管理者の先生がそこを分かった上で指導できているかっていうところも実はポイントになっていくのかなと思うんだけど、
ちょっとそこに関しては後半でお伝えできるかなと。
なるほどね。
今、戦闘関係が。
逆、どっち向きでも言い換えされてきた。
難しくなってきちゃった。
絶朗先生が言ってくれた通りの中で言うと感情を動かし方みたいな。
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感情って素人からすると自然に湧き出るものなのかなっていう感じがしてたんだけど、
動かし方、動かすもの。感情労働では感情を動かすものなんだ。
なんとなくイメージでしてもらうとわかりやすいかなと思うんだけど、
目の前の子供がすごく怒っていますと。
で、怒っている子供に対して、
じゃあなんとかその言葉だけを聞くと、
もうさせないでバカやだーなんとかだーみたいな、
うわーって本気で怒った子供たちのそういうのを聞くと、
人間も動物だからある意味その子の目を見ちゃうと、
結構ビビッと自分もなんというか戦う本能みたいな。
ちょっと湧き出て感情的にうってこうミラーニューロンになる瞬間があるんだけど、
ミラーニューロン知ってます?
なんで僕だけ知らないことばっかりなんですか、2人とも。
どこでそういうの知るんですか?
ミラーニューロン自体はまたちょっと違うあれだけど、
なんというか真似してそれより動けるとかっていう人は、
ミラーニューロンがすごい発達してるみたいな使い方をするけど、
少なからずそのミラーニューロン。
感情的に共感しやすいみたいな話で。
そうそうそう。共感性の高さとか、
身体的なそういった動作の反復性が強いとかっていうね。
ミラーニューロンも面白いですよ。
ミラーニューロン界がもしかしたらできるか。
それがあるから人間の文明はこれだけ発達してきたみたいなとこもあると思うんで。
確かにミラーニューロンも大事だけど、さておき。
そうそうそう。
何の話だったっけ?
あ、そうそう。子供がすごく怒ってた。
で、それによって自分の感情が湧き立てられて、
自分もちょっと怒りを覚えてしまう。
それは人間なんかあると思うけど、
そこで怒りのままにその子に対して、
そんなこと言うじゃねえよって言うのか、
そんなこと言われたら先生は悲しいなっていうふうなアイメッセージに変えられるか。
そのそこですよね。
なんか感じてしまうことが悪いわけじゃなくて、
それをコントロールした上で表に出さないというか。
そうだね。
客観視した上で出す方だけが変わるみたいな感じ。
そうそう。そこがある種感情を動かしてるっていう表現になってるのかなと思うんだけど。
なるほどね。そのワンクッションの部分だね。
そうそうそうそう。
で、まあその感情労働自体、なんとなく今みたいに話してると、
ちょっと役者っぽいじゃないですか。俳優的な。
心を動かすとか感情を動かすとか。
そうそうそうそう。
で、やっぱりある意味すごく上手な俳優さんとか役者さんっていうのは、
ほぼ感情労働のスペシャリストと言ってもいいぐらいの感じだと思うんだよね。
その時の状況に合わせた感情を引き出して表現することでお仕事をしてるので、
感情労働だと思うんだけど。
演技をするっていう風に、演技するっていうことで言うと2つ種類があって、
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表層演技。表向きの表面的な演技と真相演技。
もっと深いところから演技するっていうところの2つあるんですね。
その深さによって2種類あって、表層演技っていうのは表に出るところ。
要は表情だったり、紺色だったりっていうのを部分的に変化させることで、
取り繕うというか、演技するっていう感じなんだけど、
なんというか、表層演技だけではすごく疲れるんだよね。
自分の感情と違うことを。
要はさっきで言うと、怒ってる子供にこういう風に言われてすごくイラっとした、
怒るみたいなところがあったとして、なんか表層演技だけでやると、
ちょっと引きつった笑顔で、そんなこと言わないでよみたいな感じになりうると。
でも逆に真相演技っていうところまで入っていくと、
自分は保育士として今子供にこういう風に言われた。
あの先輩の保育士さんだったら、ここでは自分の気持ちはちょっとグッとこらえて、
でも言われて私はどうだったのかな。
私今怒った気がしたけど、実は悲しかったから、その怒りとして今表現が出てきたんだな。
怒ってるぞっていうのではなく、私は悲しいよ、そういう風に言われたら悲しいよっていうのを、
じゃあこの子に伝えてあげよう。これがきっと憧れる先生だったらこういう風に言うなみたいなところまで、
演技というか、自分の感情にちゃんと気づいて潜っていって表現するっていうところまでできると、
ある意味その表面的に取り繕っているっていうのとは違うところで、
自分にかかるストレスが違うっていう。
だから感情労働を表面的にやっているとものすごく削られるし、消耗しちゃう。
消耗するんだけど、真相演技のとこまでいくと、もうしっかりやり切れる。
だからある意味潰れないで長年ずっとやってらっしゃる俳優さんとか女優さんとかっていうのは、
みんなやっぱ真相演技の段階まで入れているから、ある種役と自分をちゃんと切り離していられるし、
疲れない、疲れないというか、やり切れるっていうところもあるのかもしれない。
役者さんとかでよく役に入り込んで、しばらく抜けないみたいな。
あるよね。
逆に入りすぎて、真相に行きすぎちゃうとそういうケースもある。
演技を仕事にするとそういうことにもなるのかなと思うけど、あくまで保育の中で言うと、
そうだね、その表面的だけではなく、もうちょっと深いところまで入ることで、
それは自分自身、自分のストレスも軽減させられるよっていう。
でも、今の話だと、表装演技は表装演技で、自分じゃないみたいなことをしなくちゃいけないから大変だし、
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真相演技をした方が負担は減るとはいえ、それこそ俳優さんの例のように、
何というか、無理してしまったな、無理してしまったなというよりは、
入り込みすぎた結果、かえって負担があるみたいなこともあるだろうなと。
精房のような人を演じ続けた結果、見えないストレスがあったときに、
すげえ大変そうだなっていうのは、やっぱり話を聞くよりは思うね。
確かにそうなんです。感情労働自体はとても大変だと思う。
負担が大きいよね。人間である以上の。
その割には知られてないっていうのは確かに。確かに僕も知らなかったので。
肉体労働とかと同じぐらい比重というかね、大変さ自体はあるんだけど、
まあ比べられるものではないけど、なかなか認知度っていうのは低いのかもしれないね。
だからこそここで取り上げて知ってもらうことにはめちゃくちゃ意味があるかもね。
そうなんです。なので今回は感情労働について深掘ってまいります。
今言ってたみたいに、感情労働ってすごくストレスになりやすいようなイメージが今聞いた限りあるかなと思うんだけど、
なんというか、ある種自分の感情をちょっと抑えるというか、
一部では蓋をするようなことが仕事として求められているから余計にストレスになりやすいし、
その状態をずっと続けていくっていうのはやっぱり心身ともに譲られる。
で、やっぱり自分でも仕事の中でね、思ってもないことを言わなきゃいけないとか、
あるいは自分が直感的に感じたことをそのままダイレクトに言うわけにはいかないから我慢しないといけないっていうのが、
すごくこう、自分の感情的にすごく不協和になっちゃう。感情的不協和っていう表現をするんだけど、
そういう状態にどうしてもなりやすい。仕事としてそういうふうになりやすいっていうのが保育だったり看護もそうだし、
要は対人援護職、人と相対することでお仕事している方たちは基本的にそういう一面があるかなと思うんだけど、
この感情的に不協和になってしまったっていう状態を、要は私生活の方にも引きずってしまうと、
やっぱり今度は仕事を引きずって、私生活の方にもどんどん悪影響が出てきちゃうっていう可能性が出てくると。
で、行き着く先には看護業界ではよく言うし、保育園でも言うみたいなんだけど、
燃え尽き症候群っていうね、Burnoutっていうのがあるんだけど、
その情緒的なすごい消耗。気持ちがもう疲れ果ててどうしようもございません。
で、脱人格がかかってて、仕事がとにかくもう意味がわかんない。
18:02
もう自分が本当に真剣に取り組んで熱心にやってきたことなのに、
もうどうしてもなんかもう馬鹿らしく思えちゃったり、
今まで接してきた人がもう全然何とも思わなくなってしまうような状態。脱人格。
達成感の減退って言って、やりがいだったり達成感みたいなものを
仕事に対して何も感じなくなってしまうっていう、こういったような症状が出てくると、
燃え尽き症候群っていう風に言われるんだけど、
結果これが原因でその仕事を辞めざるを得ない状況になったり、
辞めていくっていうことに繋がっていってしまって、
感情労働自体をやっぱりちゃんと知っていて、かつこの後話すけど、
ちゃんとそれを自分の中でうまく対処していけないと、
あるいは自分だけじゃなくて組織的にこういうふうにやれば、
縁としてそういった保育士さんたちへのケアみたいなものが、
やっぱり組織としてないと、こういったバーナードとかには繋がって
生きやすくどうしてもなってしまうっていうのが、
肉体労働とか頭脳労働にもそれぞれ課題はあると、
感情労働の中ではこれが一番大きい課題というか、
問題の一つなのかなというふうに思っています。
なるほどね。感情労働、保育園でもそうだし、
最近そういう心理的な病気というか、
診療内科とかにかかるようなストレスみたいなところって、
保育に限らずITとかでもいっぱい聞く話だけど、
それって多分その人自身が悪いとかではなくて、
その人の振る舞い的に感情労働的な振る舞いが強いんだろうなっていうのが、
今ちょっと聞いてて感じたかもしれない。
確かに確かに。
毒っぽく言うと病みやすい人みたいな話になっちゃったけど。
そうだね。メンタルがそんなに強いタイプと弱いタイプがいるとしたら、
やっぱり共感性がすごい高くて、
かつ自分も特に子ども相手だとね、
子どもの位置、限度に対してすごく毎回毎回ダメージを食らってしまうようなタイプだと、
すごく辛いよね。
しんどいよね。
しんどいなと思う。
でもそういうダメージもわかってあげられる人の方が、
いい保育ができたりみたいな。
そうだね。ある種子どもの気持ちがそこで手に取るようにわかるといった意味では、
強化性が高いことっていうのは武器にもなるし、
自分自身もそれによって疲れてしまったり。
モロハロツルジだね。
モロハロツルジだね、まさしく。
それをどう上手に、要はこれはやっぱり仕事として業務として求められていることなので、
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そこにすごく人間性というか、その人自身の持っているパーソナルカラーというかなんというかな。
そうだね、コセプトキャラクターが乗るような。
自分のキャラクターも使いながらっていうところが、
線引きがやっぱり難しいんだよね。
ここからは仕事、ここからは自生活っていうふうにパッと切り替えられるものでもない感情っていうもの自体が、
だからこそ難しいなっていうところがあると思うんだけど、
1個1個の感情労働をどういうふうに対策していくのかっていう話をぜひしたいなと思うんですけど、
ある意味感情っていうのは、本当に瞬間的にはあると思うんだよ。
それに対して何かすごく楽しかったり、すごく悲しかったり、何かにすごく意気通ったり、
もっともっと掘っていくと、その意気通った原因は何か自分が傷つけられたからなのか、
それとも自分が大切にしているものを傷つけられたからなのかとか、
もっともっと深く掘っていくとそこに悲しいという感情があるのかとか、
その辺はいろいろあると思うんだけど、
感情自体は本当に一瞬なのよ。
すごい楽しいって思うのは一瞬なんだけど、
人間ってその思った、自分が感じたものをその直後ぐらいに、
もう本当に霊魂は何秒かぐらいで、
どんどんどんどんこうだから楽しい、だから悲しい、
こういうふうに言われてつらい、
ああなんでこういうふうに言われたんだろう、なんかだんだん腹立ってきたな、
どんどんどんどん思考してしまうのね。
これをなんていうか、なんでなんだろう、なんでなんだろうっていう、
5WHっていうのを、
Why Japanese peopleのWhy。
なぜとかのね。
なぜ、どうして、なんでこうなんだろう、どうしたら、どうしてなんだろうみたいな感じの、
反数をしてしまう。
なるほど、反数。
反数って字が難しいね。
要は思い起こしてしまう。
どんどんどんどん自分の中でその感情を思い起こすような、
思考をしてしまうっていう感じだと思うんだ。
ずる口に塩を塗り続けてるみたいな感じ。
そうそう、自分で自分のその湧き出た感情に対してずっと傷に塩を塗り続けてる。
どんどんじゅくじゅくじゅくしてきちゃう。
ただし、しんどいわ。
っていうのが、まあWhyで考えてしまうとそうなんだけど、
そうではなく、Howで考えられるとちょっときりかえになりやすい。
なんでこんなことをしなきゃいけないんだろうとか、
なんでこうなんだみたいなところだとどんどんどんどんなんかイライラしてきちゃうから、
じゃあどう対策したらいいのかなとか、
こういうふうに考えたらよかったかなと。
なるほどね。
っていうふうに、Howの思考を持ってやっていくと、
その感情っていうものをちょっと客観視できる。
24:02
そうだね、客観視だね。
自分自身であるんだけど、一歩引いたところからそれを自分で観察することで、
感情とうまいこと距離をとれるというか。
そうすると、今までずっと怒りだったり悲しみの中でモンモンとしていたものを、
ちょっと外に出れて、ある種ストレスのマネジメントにもなる。
How思考に関しては政策っていう言葉を使います。
政策。
反省のせいに察するっていうんですけど。
省エネの省ってことね。
省エネの省を察する。
なるほどね。
ちょっと難しいので、WhyとHow。
言えばHow。
Howで考えるっていう、これはある種スキルだと思うから。
そうだね。
自分でその感情に気づくことができたり、自分の状態に気づくことがまずできれば、
今私すごいなんでなんでって考えちゃってたから、
どうしたらいいんだろうとか、どう対策しようみたいなことにちょっとシフトチェンジできると良いかな。
確かにこの辺りはそれこそ、前回のAppleさんだったりGoogleだったり、
いろんなストレスとかが話題になっている中で、
自生活のバランスとかね。
向こうでめちゃくちゃそのいわゆるマインドフリーズみたいな。
あー。
あれと考え方と一緒だよね。客観視とか。
そうだね。似てると思う。
でもなんか根っこは一緒な気がする。
改めてその自分の感情とちょっと距離を置いて、
そうそう。
付き合いましょうみたいな感じだよね。
なるほどねー。
これは何というか、本当にその日々繰り返していく中でできていくようなものだと思うから、
意識してやっていくことで、自分の感情のコントロールだったりとかね、
感情労働としての感情の管理に、
どんどんどんどん行動できていくためのライフハックというか、
そうだね。
スキルになるかなという感じ。
確かに。
感情労働が強いからこそそのスキル結構大事だよね。
そうそう。
特に保育者だったり、大臣、弁護職は、
業務として求められていることもやられたら良いなというのが一つと、
また、今言った話にも関係するんだけど、
とはいえ子供にそういう風に言われたとか、
ちょっと上司から嫌なこと言われてたとかっていう時、
自分も嫌じゃないですか。
イライラもするし、
嫌な気持ちにはなるよね。
嫌な気持ちにはなると思う。
その嫌な感情、自分がこういう風に感じちゃったっていうことを、
責めてはいけないなとか、責めないでほしい。
子供を嫌いに、自然ですよね。
子供を嫌いに思うなんて良くない。
私なんて保育士失格だわみたいなのは、
もうそれは、ワイの思考にどうしても入っちゃってる。
自分の感情を大事に扱うっていうのも大事なんだ。
27:00
私こういうの嫌なんだなとか、
私こういう風に言われるとなんかイライラするんだなっていうのを、
自己理解だね。
ちゃんとわかる、受け止めるっていうことはすごく大切で、
受け止めることができたら、
もうある意味手放せるのと同じぐらい、
それぐらい大事だと思うんだ。
いいね、なんかめちゃくちゃゼンマインドみたいな話。
いやでも大事だね。
今日は大事だね、仏教的な話じゃない?
本当にちょっとそういう要素も入っているのかもしれない。
なんか要はその、自分がそういう風に嫌な、不快に思った感情を、
考えないようにする、蓋をするっていう行為自体は、
ある意味抑制しようとすればするほど、
かえってそれらが強く強くどんどん自分の中で膨れ上がっていってしまうみたいな。
かわずさんが非常に共感してるね。
わかるわー。
抑制の塊みたいな。
定期的に、逆説的に思い出してるわー。
なんか、わかりやすく言うと、
じゃあ、キリンについて考えないでください、
って言われたら、
キリンのことじゃないですか。
人間の脳ってそういう風にできてるので、
要はこれについて考えないようにしようと思ったら、
それについて考えちゃう。
それすげー俗っぽい話だといわゆる、
恋愛の別れ話とかもそうじゃん。
元彼について、元彼女について、みたいな話とかも、
忘れよう忘れようとすることを忘れようとすることもあるじゃん。
さすが、恋愛マスターセントス。
いろんな属性がのってない。
経験が豊富だからね。
ひきんな例をね、ちょっと挙げてみようかなと思って。
そうだね、でも同じ同じ。
要は考えないようにしよう。
一回忘れようとか考えないようにしようってやること自体は、
あまり得策ではないというか、
ある意味そのせいで逆にどんどんどんどんそういった感情が
強く思い起こされてしまうってことがあるので、
感情を思う、感情になったってこと自体は、
それが自分なので。
ニュートラルだよね、それが良い悪いとかじゃない。
そうそう、良いとか悪いとかじゃない。
それは自分がそういうふうに思うっていう事実。
こういうふうに思ったんだっていうので、
ここで線引き。
Aさんはそうは思わない。
Bさんはもっとこういうふうに思うっていうのを、
周りの人と比較しちゃうと、
あ、私って、ってまたYの思考を色々変えてしまって。
そうだね、自分の軸、自分の中ではこう、
Aさんはそう思うかもしれないけど、
私はこういうふうに思ったんだ、こういうふうに感じたんだな、
そうなんだっていうふうに自分でまずは受け止めること。
で、その上で、じゃあその感情を分かった上で、
じゃあどうしていこうかなとか。
私、Aちゃんにこういうふうに言われたんだけど、
すごい傷ついて嫌だったな。
なんかよくよく考えたら、
私、Aちゃんという子供に対してちょっと苦手意識があるのかも。
でもAちゃんとうまくやってる、
じゃあB先生はどうしてああいうふうにうまいこと、
Aちゃんとやりとりできるのかな、
今度B先生に聞いてみよう、
みたいな考えは、すごく合う思考が上手にできていて、
自分なりのストレスマネジメントにもなっているような気がします。
30:04
ストレス対策自体は本当にいろんなものがあるから、
自分が落ち着く、自分がやれるもの、
自分の性に合うものをやれればいいんだろうなという気がするし。
なんか最近だと、本屋とかでもめちゃめちゃ増えているのが、
ジャーナリング。
自分の感情を取り出すっていう、
自分と向き合う。
それも確かに感情を外に1回置いて客観的に見るみたいな話だけど、
あれ系の話はすごく増えている感じがする。
そうだね。
あとは、やっぱりこの保育園の中での話をしているので、
これを果たして個人だけにやってもらうっていうのはどうなんだろう?
個人の自己責任でやるっていうのはむずいよね。
なんとなくこの分野って人によるというか、
その人自身に半分委ねているような感じがあるんだけど、
ある意味、やっぱりこれは労働として、業務として、
いわゆる雇用者が労働者に対して依頼しているようなものでもあるので、
これはこういうふうに思ったりとか、こういうことで辛くなったりとか、
こういう感情を抱えちゃって、私なんて、ってならないようにするために、
組織としてやってあげられること、園としてやってあげられることっていうのが、
やっぱりあるべきだと思うので。
その一端で言うと、グループの打ち合わせとか、
例えば職員会議とか、もうちょっと小さいコミュニティグループとかも、
一人二人とかでもいいんだけど、
の中で、やっぱり日々の保育を振り返る中で、
あの時どうだった?とか、あの時なんかこうだったけど、
どういうふうに感じてた?じゃないけど、
そういう話がやっぱり日常的にできるとすごくいいなぁと思うんだよね。
実際はそれ結構難しい?現場において。
実際は、何というかやっぱり人手不足だったり、
どうしたって記録しなきゃいけない業務量が多くて、
なかなかそこまで、それを狙ってやるっていうところまで、
意識できている園は少ないのかなという気がするけど、
ある意味、休憩中とかにちょっとお茶飲みながら、
先生と話してるだけでも解消されるものってあると思うんだけど、
特に女性がね、中心の職場でもあるので、
男性以上にそういう人と話すこと、人に話を聞いてもらうことで、
自分の感情が整理されて、
さっきは辛かったけどちょっとスッとした、
っていうようなことってみんな経験あると思うのね。
それを何というか、個人の範疇ではなく、
組織として狙ってやる。
計画してやって、それによって反省を踏まえて、
じゃあ次どうしようっていうのが、
サイクルを回していけるかっていうところなんだけど。
33:01
感情労働的側面を職場の上のほうというか、経営者とかも理解した上で、
感情的な部分のケアみたいなのもチーム的にというか、
組織的にやれたらめっちゃいいよねみたいな話なのかな。
なるほどね。難しいよね。
確かに大半の問題は一緒に付き合う人というか、
関わっている人から起きるというか、
そのY思考になっちゃうんですけど、
当然ほとんど同じような人と毎日のように顔を合わせてコミュニケーションを取るから、
そこの比重が大きいもんね。
そこを変えれたら結構変わるもんね。
やっぱりそういうことを丁寧にやっていくためには、
保育業界を変えていかないといけないなっていうところで、
我々がやろうとしている新規事業というところにもつながっているというところですね。
保育業界を開国セントスってことですね。
セントス大好きやな。
というわけで、今回は感情労働について、
これまで概論的なところを話してきたので、
次回はもっと国論的な、
保育園における感情労働というところにもっともっと
深掘りしていけたらなというふうに思っています。
そうですね、自分全く感情労働を知らないところから、
あ、そんな思考があるんだ。
結構自分が普段の仕事で意識していることとか、
最初にも言ったけど別に、
対人援護職が強いというだけで、
大なり小なり人間のコミュニケーションがあるお仕事の皆さんにとっても、
結構面白い話だったんじゃないかなと思ってます。
いやでも本当に、保育だけに関わらず結構いろんな人に関係ある話だなって
すごく感じた回だったかな。
後編はもうちょっと具体的な保育の話だと思うけど、
めちゃくちゃ楽しかったです。
今後もね、こんな感じで恋愛マスターセントスと
中間河内と一緒に保育園看護師として
いろんな情報を発信していけたらなと思ってます。
ぜひね、スタンドFMだったらレッター、
その他の媒体でお聞きの皆さんは、
GoogleフォルムのURL書いてますので、
感想だったり質問だったり、こんなテーマどうですかとか、
こんなコーナーどうですかと、何でもいいので、
送っていただけたら嬉しいです。
お待ちしてます。じゃあまた来週お会いしましょう。
ありがとうございました。
35:26

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