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2024-05-11 56:10

夜鷹な雑。映画『社葬』と山田太一脚本ドラマ『河を渡ったあの夏の日々』昭和の作品を観て思う不便であることの正常さと「若者は働け」という言葉の内訳。ところで、モーラーご存じですか?あの衝撃を忘れない

《雑談のおしながき》

0:00〜

あんぱんと牛乳


4:00〜

山田太一脚本『河を渡ったあの夏の日々』のセリフ


13:00〜

1989年の映画『社葬』を楽しめた理由


26:00〜

不便であり忙しい方が人は正常でいれるのかもしれない


37:00〜

チェレンジしなくなったホンダ


43:00〜

原宿のど真ん中に銭湯ができました


44:00〜

Apple iPad ProのPVを観て感じたこと


50:00〜

モーラーの衝撃に僕は騙された


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喜びます。

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00:03
こんばんは、こんばんは、こんばんは。
えーと、今日も話していきたいと思います。
今日はね、なんか話したいというもののちょっと中心がないので、
ざったにいろいろね、最近思っているようなこと、感じたこと、そんな話を、
つらつらとしていきます。
まずはね、アンパンに牛乳。
昨日からね、昭和の映画やドラマをね、観ていたりもして、
今日観たものはね、河を渡ったあの夏の日々というね、NHKで放送されたもので、
えーと、脚本が山田太一なんだよね。
で、主演が、あの水戸孝もやった西村孝、あと萩原圭一、鈴木ひろみつとかね、
出ている1時間ぐらいのドラマがあって、それがYouTubeに上がっていたんだよね。
で、昨日からね、昭和の映画をさ、観て、その話はね、この後にしたいんだけど、
それきっかけで、昭和の時代のドラマや映画、面白いなーっていうね、ものがあって、
それで、これもね、たまたまでコメントされてみたら、あのね、いろいろと考えさせられるものがあった。
この河を渡ったあの夏の日々というドラマは1973年なんだよね。
で、その下町にヒッピー文化の若者が来て、西村孝が自分の家の2階をね、
萩原圭一たち、そのヒッピー文化にね、染まっている若者に部屋を曲がりさせると。
で、そのまあ高齢者のね、人と若者たちの交流というのかな、そういうものを描いたドラマなんだよね。
で、その中のシーンで萩原圭一がアンパンとね、牛乳を食べるという、逆か、牛乳とアンパンを食べるというね、シーンがあって。
いや以前はこのアンパンと牛乳の組み合わせが、もう刑事ドラマといえばみたいだね、ものがあって。
03:01
子供時代にね、あれを真似したなーとかね、思い出したりもして。
で、案外あのアンパンと牛乳の組み合わせって、想像以上に美味しいんだよね。
あ、こんなにもアンパンと牛乳って合うんだみたいな。
だからああいう風にっていうね、ものがあったのかなと思ったりしたんだけど。
まあやっぱり腹を満たすとかね、栄養というかカロリーをね、取るためにはみたいなものがあって。
ああいう甘い菓子パンと、やっぱり牛乳というさ、ものなんだろうね。
あのシーンを見ていて、懐かしくあの牛乳とアンパンの組み合わせでちょっと食べたいなーとかね、思ったりしたんだよね。
で、このね、ドラマがね、なんて言うんだろうな。
まあだんだんと、うーん、なんて言うか、心の距離感がね、この西村幸と白昇賢達の心の距離感みたいなものが近づいていくようで、近づいていけなくて。
結局ね、部屋を追い出されてしまったりはするんだけども。
でもまあなんだかんだ言っても、家主である西村幸は、昇賢達のことを認めていたというのかな、理解しようとしていたりもしたし。
なんか、まあ認めるというね、ものがあったという、そんなようなものを描いているんだよね。
だからこの川を渡ったあの夏の日々というね、タイトルにもあるように、次々にその西村幸の家の2階、昇賢がね、曲がりしている部屋に、続々とそのヒッピー文化の若者がさ、集まっていくんだよね。
で、まあそこで何かしらを感じて、またその渡った川、まあ川というか橋なんだけどもね、そこをまた戻っていくという、そういうドラマになっていたりもして。
なんかね、エンディングにものすごいその答えがあるとか、そういうドラマではなくて、終わり方がなんか見た人によっていろいろこう考えられる余白を持ってね、終わるというドラマで。
面白かったし、やっぱりね、昇賢はいいね、あの時代の昇賢めちゃくちゃかっこいいわ、まあ論芸でね。
で、また何よりもこの山田第一脚本というものはさ、いいね、73年というと、もう何年?40年?50年ぐらいか。
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うーん、でもまあ下町が舞台のね、まあ長屋みたいなそういう場所での話にはなるんだけども、もうそのどの一つのとっても光景がね、町の光景というものが、
もう俺自身がね、子供時代に過ごしてきたような、あの防波堤沿いにあるようなさ、長屋のような家とかね、その軒先にいっぱいあの時代って何ていうの花とか植木とかさ、
いっぱいね、あの出していたりもするし、まあ子供たちもああいう普通の道路でね、遊んでいたりもして、漏石とかさ、ああいう町区でね、道路にいたずら掻きをしても誰も怒られない。
また路上でね、花火をしていたり何をしたりしていてもさ、怒られないというね。
本当にね、大らかな時代になるんだなあっていうふうに思った。
あとまあ西村幸のさ、その証券たちにかける言葉というのは、前編にわたって、まあ仕事をしろっていうね、働けっていうことを言うんだよね。
まあ彼らはヒッピー文化でね、その日暮らしみたいなそんな生活をしていたから、だから西村幸はね、そんなことに人生の楽しみが何があるんだっていう。
人はね、働くことでっていう、まあそういうような話をね、するんだよね。
なんかね、それを見ていて、ものすごいシンプルに当たり前のことをさ、言っているよなあって思うんだよね。
その若いやつは、働けっていうね、昼間からだらだらして過ごすんじゃない。働け。
そのシンプルな働けという言葉の中にはさ、まあ今になって思うとね、いろんなものがこの働けという言葉の実際の中にはね、含まれているんだよね。
その人と生きていくとね、働く中でも身につけていくし、社会倫理みたいなものとかね、また社会貢献みたいなものとかさ、人が生きていく中では全てのことがこの働くということの中にさ、含まれているんだよね。
だから若いやつは働けっていうね、ものがあって、うーん、まあなんか最近はね、なかなかこの若いやつは働けみたいなことも言えないし、
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まあ働きたくても働けないとかね、その社会的な問題もあるし、また様々な病というかそういうね、ものもあったりして引きこもっていたからといって、なんで働かないのとかね、働きに行けっていうふうには言えない時代になってしまったよね。
だからなんかそれって今回のね、この川を渡ったあの夏の日々を見ていて思うのは、そういう引きこもって働かないとか、なんか働かないでもね、まあなんとか生きていけて自分のやりたいことだけ好きなことだけをやってみたいなね、ああいうものっていうのは、なんか周りはいや無理しなくていいよとかね、
なんか一見優しそうな言葉には聞こえるんだけども、でもそれってものすごい、ちゃんとその人に向き合っていないというか接していないというか、何もね、その人のことをある意味考えていない言葉でもあるんだなーって思ったな。
結局、まあ親がいたりね、面倒を見てくれる人がいる間はその人が生きていけるかもしれないけれども、長くね、生きていく中ではそういう人たちがやがていなくなり自分で生きなければいけないっていう時にはさ、やっぱり自分で働いて稼ぐというね、ものをしない限りはさ、生きていけないからね。
そういう意味でも、やっぱりシンプルに若いやつは働け、家でダラダラしているんじゃないっていうさ、言葉の方がものすごいその人のことを思ったね、言葉だったりしたんだなーって思うな。
ただまあね、自分のその20代とかそれくらいの時を考えて、いや働けーとかね、なり昼間からね、遊びもっててるんだっていう大人のことはさ、まあうざいわっていう風にね、思うしかできなかったりしたからね。
まあ年を重ねて、そういう風に思えているということなのかもしれないんだけれどもね、俺がこういう風に話したからといって、いや若いやつは仕事をしろってね、20代くらいの人たちが言われたところで、いやこの時代に何言ってんですか?みたいなことにもなるしね。
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いやそれってね、パワハラですよ、ナニハラですよ、みたいなことになるからね、でもなんかその仕事をしろという言葉の中にはいろんなね、優しさだったりその人を思っているからこその言葉でね、あったんだなーって思ったりしたね。
面白かったなー、この川を渡ったあの夏の日々。
でね、もう一個昨日見たのが車窓っていう映画なんだよね。
あのYouTubeの東映シアターオンラインっていうね、チャンネルで2週間限定でね、公開されていて、残念ながらこの音声を上げる5月の11日はもう見れないというね、10日までだったりしたので、ちょっともう機嫌がね、切れてしまって見れないんだけども、このね車窓が。
面白かったんだよね。
まあ車窓ってあの会社でね、取り行う葬儀だよね、代表の方が亡くなった時に会社でっていうそういうものがあって、これが1989年の映画だね。
で監督が増田俊夫監督で、この方はもう数々のね、映画も作ってる人でもうめちゃくちゃに多い。
例えばまあ二百三甲地とかね、大日本帝国とかね、懐かしいな、ハイティムギとかもやられたのかな。
だからこの人の映画は何気なくね、映画昔見ていた時代に気づいたら、実はこの増田俊夫監督の作品にもう触れていたという、そういう数多くの作品を手がけた監督なんだよね。
でね、この車窓がね、なんかね、夜中の3時ぐらいから見たんだよね。
でまたね、悪い癖というかそういうものがあって、まあ1.5倍速ぐらいで見たからさ、1時間ちょいぐらいでね、見終えたりはしたんだけども、なんかね、ぼーっと見始めたら面白いんだよね。
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で何よりもさ、出演人がさ、凄まじいんだよね。主人公が尾形健、で尾形健の愛人を演じたのが戸脇幸男で、戸脇幸男すごいよ、本当にめちゃくちゃにいい女。
しかもベッドシーンがあるんだけども、ちょっとね、感動的すぎた。エロいんだよ。戸脇幸男ですげーよっぽいなと思って、この時の戸脇幸男何歳なんだろうと思ってさ、調べてみると47歳なんだよね。
いやちょっと、戸脇幸男、もともとね、好きな女優だったりはしたんだけども、やっぱり久しぶりに戸脇幸男を見たらさ、いいわっていうね、ものがあったね。
あとはね、和歌山富三郎とかさ、江森徹とかね、足田信介とかさ、もうね、数限りないんだよ。もう、昔ね、いろんなまあ映画やドラマを見ている中で、当たり前に出ていた、もう名役者の人たちがもう顔首揃えて、オールスター戦みたいな状態なんだよね。
で、そういう役者陣にもね、圧倒されるというものがあるし、すごいテンポ感がある映画なんだよね。なんか改めて思うのは、こういう昭和の時代の映画って、すごいテンポ感があってね、見やすいんだなっていうふうに思った。
あとは、場面が次々にね、変わっていくようなものもあったりして、やっぱり今の作品って、すごい複雑化してるんだなっていうことも思った。
まあ、この車窓という映画はさ、新聞社が舞台なんだよね。で、そこの新聞社で派閥があって、会長派と社長派というね、2大派閥があるんだよね。で、最初、会長のね、和歌山富三郎が倒れてしまって、いやもうそろそろ会長もやべえから車窓の準備しておけって言ったら、
あのもう一つのね、派閥のトップ、社長がさ、副上司で死んでしまうんだよ。で、その社長の副上司の時の相手をしていた役所が、井森美雪なんだよね。いや唐突な井森美雪だなっていうふうにね、思ったりして。
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井森美雪もなかなかに鋭意援助ね、してたりもして、だから急遽会長のための車窓というね、ものだったりをしたんだけども、会長の前にさ、社長が亡くなってしまって、その社長のね、車窓になるというね、ものが舞台になっているんだよね。
で、そこで後継者争いのね、そういう権力闘争みたいなものがあって、まあその社長のね、息子、それが佐藤光一だったりするんだけども、まあ彼をね、社長にさせるという派閥と、まあ一方で内部のね、もともといた役員たちの人、特にこの江森徹。
彼がね、取締役からね、社長になりやがっていくという絵をね、描いたというものがあってね、まあこの権力闘争の争いの中で車窓が取り行われるというね、まあかなりスタモンダーな感じのね、ドラマだったりして、面白かったりしたんだよね。
で、妙にね、この尾形健が、まあある意味こう派閥に属さないようなね、そんな役所を演じていて、男気あふれるみたいな感じがあってさ、まあ両邸でね、あの、突然社長たちに、まあ呼ばれてというか、そこで縁石をね、設けられて、まあ酔った勢いで腕立て伏せをするんだよ。
で、その姿を見て、その両邸のね、女神である戸脇幸男がさ、尾形健に惚れるという、もう腕立て伏せだけで、戸脇幸男に惚れてもらえるんならもう、永遠どうでもやるわみたいなね、そんなものもあったりしてね。
この車窓というドラマは、何て言うんだろうな。特に何か、この映画がメッセージを持ってというね、ものではなくて、ある意味なんか、シーンの意味でのエンタメなんだなっていう風に思ってて、楽しんで見れましたね。
これを見てね、思うのは、今の映画って、やっぱり恐ろしいほどにその複雑化しすぎている。いろんな人の思いが交錯してとかね、表情でその人の感情を読み取るようなね、そういうものもあったりして、で、その表情の一つがね、伏せになっているとかさ、ストーリーも入り組んでいれば、感情もかなり入り組んでいてね。
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ものすごいね、複雑化しているんだなっていうものがあって、この車窓あたりを見ていると、その思いの交錯、それぞれの、その何て言うんだろうな、人を貶めたりとかね、持ち上げたりとかね、そういうものを描いていたりはするんだけども、その思いの一つ一つがさ、ないんだよ。
不気味ではないの。もう自分が偉くなりたいとか、自分がモテたいとか、自分が金持ちになりたいとかね、そういう思いをシンプルに描いていて、そのシンプルな思いが交錯しているんだよね。
だから、それぞれの役所の思いというものは、もう定規で線を描いた、まっすぐな線、そのまっすぐな線が、こうね、いく十人も重なっているというね、ものがあって、その点においてもなんか見やすいなーとかね、あの初見で見たとしても、分かりやすさがあってね、エンダメコンテンツとしては楽しめるんだなーって思った。
まあこれを今の時代の子たちが見たらどうなのかな。シンプルすぎるが故に物足りなさを感じるのか、逆にこのシンプルさに面白さを見出すのかな。
俺はなんかね、このシンプルな描き方、そういうものが面白いなーって思ってね、見たら、いい映画というよりは楽しめる、ある意味俺にとってはああいうディズニー映画とかブルースリー映画みたいなさ、ああいうある種のエンダメ性を持ったね、映画で。
楽しめたりしたなー。あとは、まあこういうある意味な、シンプルで分かりやすいストーリーであったとしても、そういう脚本であったとしても、まあこの当時の映画が成立している一つの要因としてあるのは、やっぱりこの役者陣の凄みみたいなものがあるのかもしれないね。
その役者の演技がすごいからこそ、まあ脚本はまあまあそれぐらいであっても成立米映画になるみたいな、そういうところもね、あるのかもしれないね。
車窓もね、すげー面白かった。でも89年って言うと昭和じゃないか、昭和の最後か、昭和64年か。でも64年ってさ、ほとんどないよね。1月の7日までだもんね。だったら7日間しかなかったりしたからね。
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まあ一応64年って記憶にはあるんだけど、ないもんな。全然ね。このね、車窓89年の映画で昭和最後の映画だね。公開された時にはもう多分平成になっていたんだろうな。
尾形健はね、いいね。尾形健好きだったりしたんだよな。尾形健はいいね。あと吉田秀子がね、尾形健の奥さん役で出ていたりするんだけども、吉田秀子もさ、妙になんかね、色っぽいんだね。不思議な色気があるんだね、あの人。
あとここの当時はね、若手だったりはするんだけども、佐藤光一がね、その社長の息子役で出ていたり、あと船越英一郎もね、出ていたりもして。
まあ本当に早々たる俳優陣だったりしたなぁ。面白かった。だからまあ昨日からね、この車窓と川を渡ったあの夏の日々を見ていて、ものすごい思ったのは、やっぱりこの時代というか昭和の時代って、今と比べるとね、全然テクノロジーが、
やっぱりないんだよね。誰かに連絡を取ると言ったら電話しかないし、まあ車窓の中のシーンでも、連絡を取るツールはもう全て公衆電話なんだよね。
一方この川を渡ったあの夏の日々なんかで言うと、電話もそんなに出てこないんだよ。だから人と人とが実際に会って対面して、それで情報が伝えられていくとかね。
要は、まあ今のようにLINEがあったりネットがあったりっていうものがなくて、人と繋がるということにおいてはめちゃくちゃ今とね、比較すると不便な時代だったりしたんだよね。
だから、そういうコミュニケーションにおいても仕事の中においても、全てのことにおいて自分でやらなければいけないんだよね。
で、その川を渡ったあの夏の日々の中で、てんやもんを取るシーンがあるんだよ。小犬たちが腹減ったらつって、てんどんとかね、ああいうものを注文して配達してもらうんだよね。
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そしたら西村くんが怒るんで、そんなもの食いやがってってね。てんやもんなんか俺は一度も頼んだことがない。自分で作ればね、半分の値段で食えるんだっていう。
ああいうシーンがあってさ、まさにね、なんかそういうセリフに全てが込められているようなものがあって、今はさ、ウーバーが頼めるじゃん。腹減ったなーっつったらさ、コンビニ行けばさ、店がやっているじゃん。
でもここらへんの時代で腹が減ったなーっつったら、自分で作るしかないんだよね。飯をね。俺あのドラマーでさ、青が散るというね、西村くんが出ていたり佐藤光一がね出ているドラマがあって、まあ大学生を描いた若者群衆的なね、ドラマがあるんだけども。
あのドラマの中でさ、佐藤光一がさ、いやすげえ猛烈に腹減ったっつって、夜の夜中にさ、米をね、研ぎ始めるんだよね。練習病犬が何してんだよお前みたいなことを言うと、いや腹減ったから飯炊くんだよみたいな。
そんなシーンがあって、いやーそういう時代だったなーっていう。要は今ならさ、腹減ったっつったら、米炊かないじゃん。夜夜中に。コンビニ行くじゃん。もしくはイースタントラーメンとかさ、食べるわけじゃん。
そういうものがなければ、まあ外にね、食べに行くとか買いに行くっていう、今は時代なんだけど、やっぱりここら辺の時代って、コンビニもね、そんな夜夜中までやっているようなものもないしっていう、時代においてはさ、腹減った時にはさ、もう自分で作るしかないわけだよね。
同様に洗濯もそうだよね。まあ洗濯機があったとしても、干さなければいけないしね。まあそれは今もね、やるんだけども、でも今は全自動でね、乾燥機までついて、洗濯機任せでね、できるというものもあるし、掃除もさ、まあ自動にこうね、なんだっけあの掃除してくれるような、ああいうものもあるしね。
ものすごい、その生活がテクノロジーによって便利になってきたんだよね。ものすごい勢いで。で、その生活が便利になった結果、まあ自分たちの時間ができて、まあいろいろね、その時間を有意義に使えるようになったり。
またある意味こう、怠惰にね、付き合えるようになったという側面もあるんだけども、このテクノロジーによって、いろいろこう自分が手を動かしたり足を動かしたりしなくてもね、できるようになったものというのは一見便利そうではあるんだけども、そのいろいろできる時間ができた結果、
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なんか、地だらけになっていくというのかな。いろいろとこう考える時間があったりとか、まあ今のこのネットの時代であれば他人に興味が持てるね時間ができてしまったというね、そういうものもあったりしてさ。
なんかここらへんの昭和の時代って、まあ様々にその精神的な疾患を持ってという人もね、いるにはいただろうし、まあ今のように単純にね、話題にならないとかそういうことがあって、あの目立たなかっただけ知られなかっただけということかもしれないんだけども、でも少なからず自分の身の回りを見たときにね、
精神的にこう病んでいるようなそういう人はさ、少なかったように思うんだよ。その大きなね、要因というものはみんな忙しかった。もうみんな自分が生きるためには毎日毎日ね、自分自身が動かないと飯も食べれない。
部屋をきれいに掃除することができない。洗濯もできないっていうね、ものがさ、あったんでね、すべて自分で手を動かし体を動かしやらないとね、ならない。で結果忙しいからそんなに他人に興味をね、持っている暇もないし、ましてやなんかね思い悩んで何かを考えるっていうさ、そういう余裕もないんだね。
毎日毎日生きるためには必死にならざるを得ないみたいなね、そういうものがあったから、だからなかなかにこうある意味他人に興味がない大らかな時代でもね、あったりしたんだろうなーって思ってね。
まあ便利になることはいいし、テクノロジーが進化していくというものもものすごくなんか夢がね、ある世界ではあるんだけども、でもこのテクノロジーが進化していってどんどんどんどん人間がやることを奪い取られていくと、
なんか人間が本来生きるための、なんていうんだろうな、この地球における役所というのかな、そういうものがどんどんどんどんテクノロジーによってこう剥ぎ取られていった結果ね、
33:10
なんか人間が弱くなっていくというのかな、それは体もそうだし、メンタル的なこともそうだし、そんなものがあるんじゃないかな、だからさっきの話になるんだけども、若いやつは働けっていうものの中にはさ、
そういうものまでも含まれてるんだよね、働くことでその精神的な部分であるとか、体の健康的な部分であるとか、そういうものまでも自分なりに気をつけていかなければならないね、そういう生活を遅らなければいけないっていうさ、そういうものまでも含まれていてさ、
まあやっぱりね、思うのは暇なんだよ、多くの人は、暇だからネットに貼り付いてさ、わけのわかんねえゴミ記事みたいなね、ゴミツイートとかさ、ああいうものでね、人を攻撃するんだよ、だからね、忙しいほうがいいし、働いたほうがいいんだよ、
不労所得で楽したいなとかさ、俺もなんかね、いやお金の勉強しちゃうぞとかね、そんなことなんかやってないで、働け、徹夜っていう、竹田徹夜のお母ちゃんも言ってたじゃん、そういうことなんだよね、
うん、やっぱりね、働くっていうことって大変なことの方が圧倒的には多いんだけども、働いていたほうが何かといろんな面でね、健全じゃないかなって思ったわ、
まあ今はね、仕事先でいろんな悩みがある上司からのパワハラがある何ハラがあるっていうこととかさ、人間関係でとかさ、ものがあるんだけども、そんなものはもう大昔からあるよ、単純に何とかハラスメントっていうその名前が付けられただけであって、
何も昔から変わってはいないよ、人が集まるところには様々なね、人の思いというものが工作するからね、単純にそれがああいう風に名前を付けられたということだけであって、基本的には変わらない、ただまあ社会的なルールやモラルとかそういうものはね、だいぶ変わったということがあって、
その何か歪さは感じるかな、何か本当はそう思っているのに、それをね、口にしてしまうとかなりね話がややこしくなるから、何かね、ああいうSNSに本当の思いをこうね、投稿してみたりっていう、
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まあ以前はそれが仲間うちの掛け口とかね、そういうものだったりはして、まああるそのクローズドのさ、コミュニティのことでしかなかったりしたんだけど、今はああいうSNSにそういうね、掛け口みたいなものをさ、書いたりするとね、妙にこう広がるようなね、場面もあったりして、
そこらへんも含めてなかなかめんどくさいなーって思ったりしたな、まあ今回のこの映画とドラマを見て思うのは、働けってことだな、働くことの良さというものはあるよ、いろんな意味で健全である、
また働けという言葉の中にはいろんなものがね、込められていて、むしろその働けという言葉は優しさある言葉なんじゃないかなーって思ったりしたな。
あとはね、またフリードね、フリードあの後いろいろ見てたりしたんだけど、なんかクロスターはさ、色によっては、ああなんとなくいい感じだなっていう色もあったりしたね、黒とか、あの何、サンドベージュっていうの何色かわかんないけど、あの色はやっぱりいいなーって思ったりもしたしね。
案外横からのデザインで見慣れてくると、案外なんか綺麗だなって思ったりもしたね、特にあのリアのさ、いわゆるそのDピラーって言われる、要はリアドアの横のね部分、あのピラー、あそこが太い車がね、昔から思い返すと好きなんだよね。
だからゴルフって好きなんだよ。ゴルフってDピラーが太いんだよね。あのデザインが好きで、このフリードもやっぱり横から見るとね、あのリアのピラー、Dピラーあたりが太いんだね。あれが、いや案外かっこいいんだなーとかね、あの思えるようなものになってきたりしたね。
あとはね、思うのは、なんかホンダのね、歴史、昔出た車みたいなものを眺めていると、最近のホンダはさ、まあ今のこういう景気とかね、ホンダの車の売れ行きみたいなものもあるんだけども、一番ホンダの中ではさ、もうNBOX、ああいうN系のシリーズのものが売り上げの中にしてるんだよね。
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だから4割5割くらい、まあかなりホンダのね、売り上げの大半を占めているんだよね。そういうこともあるのか、まあ今回のフリードもね、発表を受けて感じたのは、やっぱりさ、もう全然チャレンジが皆無なんだよね。
何もないの、ホンダのチャレンジが。思い返してみるとさ、いや昔ね、シティがありました。あんだけトールで、もうキューブ状のような車、しかもドッカンターボがあったり、ブルドックがあったり、オープンカーがあったり、ねえモトコンポでバイクまで乗せられるみたいさ、ああいうものがあったりね。
ホンダビートとかさ、2000とかさ、ミッドシップでオープンカーでみたいなものがあったり、CRXがあったりとかさ、めちゃくちゃホンダって車のメーカーの中ではさ、もうダントツでチャレンジするね、メーカーだったりしたんだよ。
でも今やさ、もう無いじゃん。何一つ無いじゃん。そのチャレンジしているというね、ものが無いんだよね。だから全然、そのチャレンジ精神みたいなものが無くなったから、ホンダの車にはね、なんかワクワクしなくなったんだなあっていうことをね、思った。
だからフリードもなんかワクワクしないんだなあとかさ、ましては最近出てね、ブレスリーになっているWRVっていうさ、あのSUV風な格安のね、車があるんだよね。これがすごい好調なんだよ。
ただまあ、電動パーキングが付いていないとか、まあ今の主流にあるような車とはだいぶ装備面というものがね、削られている車なんだよね。でもそれがまあ価格はね、安く外見だけを見るとSUVテイストみたいなものもあったりして売れているんだよね。
でもさ、車として見た時にはさ、ワクワクしないよね。側だけSUV風で、中身はさ、乗用車みたいなね、感じなわけだよね。
このホンダをね、チャレンジしなくなったというものが、本当に面白くない。ちょっとメーカーになってしまったな。安泊方法なんだよね。もう冒険をしない。Nボックスも全然ね、冒険をしていないし、まあ電気型のNボックスを熟成させてというね、ものがあるし。
42:20
今回のフリードももう全く同様だよね。ステップワゴンもそうなんだよね。前のステップワゴンやフリードを熟成させてというものがあるしさ。オデッセイに至ってはさ、再販だよ。単純に作るね。場所を変えたものを持ってきただけみたいなさ、ものがあるからね。
ホンダはね、いつしかチャレンジを失ってしまったな。それが寂しい。
あとさ、まあ前に話した原門、原宿のね、あのーな方で、あの横にある、あそこにさ、銭湯があるんだってね。地下にね、銭湯があって、いくら?520円とかね、それぐらいでね、入れる銭湯があるんだって。
そんなに大きい銭湯ではないんだけども、なんか面白いね。コンセプトとしては面白いな。あの原宿のの真ん中に銭湯があるっていうのはさ、ちょっとあまりにも自在性があって面白いんじゃない?
でもあんまり人が集まるとね、まあ入場制限とかかけるんだろうな。あとは、まあやっぱりというか思ったのが、あのiPadのさ、あれを公開する時の、あのPVみたいなものがあったんだよね。
俺も発表会見ていて、あのiPad Proをさ、発表する前にPVみたいなものが流れて、それがいろんなそのおもちゃやね、楽器やそういうものをプレスしていって、で生まれたのがiPad Proですっていうね、そういうようなPVになっていたりしたんだよ。
俺もあのプレスしていくシーンを見ていてさ、ちょっと不快だったりしたんだよね。楽器が潰されていく、おもちゃが潰されていく、キャラクターが潰されていく、様々なものがね、潰されていくんだよね。
要はAppleとしては、ああいう様々なエンタメあるコンテンツや楽器やおもちゃ、そういうものをギュッとね、iPad Proに薄くなって詰め込みましたっていう、そういうメッセージを込めたPVだったりしたんだけど、ただあのプレスしていくシーンがさ、なかなかねえげつないんだよね。
45:00
で、見ていてさ、いやちょっとかわいそうだな、ありとあらゆる潰されていくものがかわいそうだなって思ってしまったし、ある種俺は弊所恐怖症であれがあるからさ、
いやあんな風にね、俺があのプレスされるところにいて、あんな風に壁がね、どんどんどんどん近寄ってきたら、気狂うわとかね、そんなことまでね、思い浮かべるほど、なんかあのPVはすげえ俺も嫌だったりしたんだよね。
で、案の定あれがなかなかね炎上していてさ、まあいろんな人がああいうPVAppleが出すのはどうかとかね、そういうものが話題になっていたりしたんだよね。
そしたらまあ今日の時点でAppleの方からね、あのPVに関しては謝罪しますみたいなね、そういうものが発信されたということで、うーん、なんか、なんでああいう演出にしたのかなーっていうのはある。
まあその送り届けたいメッセージみたいなものはあるんだけども、ああいう風にいろんなものをプレスしていくようなさ、ああいう残酷なシーンはね、ちょっといたたまれないものがある。
うーん、だから、まあ謝罪をしてあれを取り下げればいいっていうことではなくて、ああいういろんなPVを作る、CGを作る、ああいうクリエイター側にもね、うーん、それを見た人がどんな風に思うんだろうっていうところまで、まあ考えたり予測したり、まあ周りを含めてね、そういうものが、
特にね、今は必要な時代になったりもしているからね、うーん、あれだけのものを作り上げるにもさ、やっぱりすげー膨大な時代がね、脳抜けやお金、あそこにね、投資しているわけだからね、それがああいう風に多くの人に乱れて、不快に感じてしまって、炎上して、謝罪に追い込まれ、引き上げなければならないっていうのはさ、
あれを作ったクリエイターの人にとっても、なかなかにね、悲しい出来事になるだろうしさ、うーん、でもやっぱり、俺もあれはね、リアルタイムで見ていて、ちょっとないなーっていう感じがあったからね、うーん、まあ結果、そういうね、アップルが謝罪までに追い込まれたっていう、
ふうにね、だったんだね、うーん、そんなに、なんか難しいことではないと思うんだけどな、こういうものを作ったら、多くの人が見ていてどんな感情になるんだろうとかさ、要は自分が好きなキャラクターとかね、楽器とかさ、ガジェットとかさ、そういうものがああいう風にプレスされていって、壊されていく、押しつぶされていくものを見て、
48:12
どんな風に感じるんだろうっていうのはさ、なんか容易に想像がつきそうなもんだけどね、うーん、ただまあ作っている現場ではね、まあインパクトがある、インパクト優先みたいなね、ものが往々にしてあるからさ、ああいうCMやああいう広告のものってね、
だからなかなかそれを見た人たちがどんな風に思うのかっていうのを客観視しないままできないままに押し進めていくということがさ、ままあるからね、うーん、でも逆に言えばさ、それを逆手にとってね、炎上しそうなものを発信してというね、そういう広告もあるからさ、うーん、
まあちょっとあのAppleのiPadのあのPVは俺もなかなか見ていて、ちょっとね、しんどいものがあったりしたね、ただあれだよね、何て言うんだろう、別に俺はあれを見てしんどいから、いやあのiPadProのね、PV全然不快だわとかありえねえわとかさ、
SNSでは全く発信しないよね、見てああーっていう風に思うだけで終わるんだけど、でも今はめちゃくちゃに発信してね、ぶったなくっていうものがもうある種、なんか定型の行動様式にあるみたいなさ、そういうものがあるからね、これが厄介だよ、本当にもうその人それぞれにさ、
ああいう風に言葉にできる、発信できるっていうものはあるんだけど、それがすごいね、複雑化させている病院のね、一つにはあるんだろうなーって思ったりしたな、うーん、あとはね、そうだね、
なんか不意にさ、思い出したのが、まあその昭和のね、映画やドラマ見ていて、昔さ、あのバレのおもちゃだったじゃん、バレが伸びて、要は階段をあのバレがね、降りていく、自動的に降りていくみたいなさ、あのおもちゃとか、いやすげえ懐かしいなーとか思ってね、
あのバレのおもちゃとか、あとモーラってあったんだよ、もうあれがもう欲しくて欲しくてたまらなくて、なりげにあれ子供の小遣いでは買えないんだよ、ちょっと高いんだよね、だから当時はさ、ガチャガチャにあのモーラもどきのね、ガチャガチャがあったんだよ、
51:10
で駄菓子屋でね、よくガチャガチャであのモーラもどきのやつが出ないかなーとかね、またあのガチャガチャをさ、みんなでね、持ち上げて逆さにして、モーラがね、モーラもどきみたいなやつがさ、出るようにしたりとかね、して、
でモーラはね、なんか誕生日かなんかの時に買ってもらって、あの初めてね、モーラを手にしたの、その時にね、もう愕然とした、ほんとに、モーラはさ、CMがもうほんとによくできているんだよ、モーラって要は芋虫みたいなさ、まあでかい、まあなんか毛がフサフサしているおもちゃなんだけど、
それが自分のこの指の間をね、こう動いたりとか、コップの中に入ってコップから出てきたりとか、さもそのモーラが命をもって動いているようなさ、そういうおもちゃがあったんだよ。
で子供にとってはさ、いやそんな、自分の指の間をね、動き回るし、手のひらもコップの中もね、モーラ動き回ってるって、もう信じられないよ、みたいな、もう今で言う人工知能搭載したおもちゃなのかみたいなさ、そんな思いがあったんだよね。
でもうすげえ欲しくて欲しくて、で誕生日に買ってもらって手にした時に、逆転としたのは、単純にあれさ、見えない釣り糸みたいな細い糸がね、モーラの鼻先についているだけで、その糸を胸のあたりにつけて、要は手地なのね、ああいうものと一緒の構造だったという、要は糸で、
モーラをね、ピンと張った中でこう指の間を動かしたりとか、まあ糸がついているからさ、引っ張ったりとかね、そういう風にして、操るっていうさ、人工知能でもさ、なんか生命を持ったね、おもちゃでもなんでもないんだよ。
釣り糸だよ単なる、細い釣り糸でね、引っ張られて動くというね、おもちゃだったりして、もう秒で飽きたわ、あのモーラ、あんなにもね、夢をさ、抱いてね、ガチャガチャにね、子供ながらにお金を投資してさ、小遣いで買えないから誕生日まで我慢してさ、手にしたモーラ、単純にね、糸によってね、動かされていたさ、
単なる何あれ、ただのケムクジャラのケムシみたいなさ、おもちゃだったりしたんだよね。
でまぁいうものがなぁ、すげぇ面白かったりしたもんな。
なんか介護ばっかりしているんだけど、本当に良い時代だね。情報がないことも逆に良い時代でもね、あったね。これがもう今だったらさ、いやモーラってあれ単なる糸で繋がっているだけだぜみたいな、もうツイートされてあっという間にネタバレしちゃうじゃん。
54:18
でもあの時代はそういうものがないからさ、みんなわからないわけだよね、実際に考えるまでね。だから情報がないことで、まぁ夢を持てるということもあるし、忙しいから他人に興味が持てない、もう自分のことしか考えられないからね。
結局もう頑張って仕事をしなければいけないっていうこともさ、突き詰めていくとね、いろんな意味において一番人生においてはさ、今の言葉で言うと効率的だしね、取り掛ける言葉としては、いや働けよ仕事しろよという言葉の中には結構優しい思いというものがね、込められているんだなって思ったな。
今日はね、そんなとこかな、案外話の中心がないと思ったりしたんだけど、話してみるとね、このショーマナーのね映画やドラマから気づかされたりすることがいっぱいあったね。
あとちなみにね、5月の4日、5月のね4日のさ、スナックラジオリリーフランキーね、あれYouTubeに上がっているんだけど、聴いてください、すんげぇ面白かった、5月の4日の台話。
久しぶりにちょっと大笑いした回だったりしたね、あのバビとシューというね女の子2人とリリーフランキーのね3人だったりはしたんだけど、5月4日の回を聴いてください。ということで今日はこの辺でお休みなさい。
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