2025-11-24 20:55

#146 冒険する学校のつくりかた(中編) ゲスト:MIMIGURI 大野将輝さん

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今回は大野将輝さん(おおちゃん)が企業に対し、具体的にどんなことをやっているか聞いてみました。それぞれの「創造性の土壌を耕す」ために「問いが立つ」きっかけづくりです。



《 ゲスト:MIMIGURI 大野将輝さん(おおちゃん) 》


今は、株式会社MIMIGURIで組織開発ファシリテーター。

誰もが自分らしく生きられる豊かな土壌がある社会をつくりたい。そんなことを考えながら、小学生から経営者まで、人が皆で学べる場や機会をどうやって社会に増やしていくかにチャレンジしてきた。

今は組織開発の知見を活かして「冒険する学校」をどう作っていくかが関心ごと。

経営学修士。



《 つぼけん 》

大学の自主映画サークルで映像制作の面白さを知り、映像の制作会社に入社。カメラマンディレクターとして、北極🐻‍❄️から南極🐧まで世界各地で撮影をしてきた。現在は「月曜日に会いたい人をふやす」をテーマに、映像🎥・写真📷・Podcast🎤などメディアを横断して活動中。Zinstantクリエイター。



《 大ちゃん:大野大輔 》

「今日が楽しく、明日が待たれる学校であふれる社会」をつくるため活動中。全国の学校園で改革伴走型支援に尽力。伴走理念は「変わる」を「叶える」伴走者。

企業の教育Adviserや組織開発コンサルタントも兼務。(株)先生の幸せ研究所。鎌倉市学習者中心の学び推進参与。板橋区立板橋第十小学校CS委員。大阪市立長原小学校CS委員。など多数。著書に『研修リデザイン』教育開発研究所出版。

https://youtu.be/ZjwgoipmhPA


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サマリー

MIMIGURIの大野将輝さんは、企業と学校の現場で新しい価値観を探求する取り組みについて話します。特に、フィールドワークを通じて人材育成を行い、受講者が自らの問いを見つけるプロセスに焦点を当てています。このエピソードでは、大野さんが教育の冒険的な側面について話し、環境デザインの重要性やプログラミング教室の事例を通じて、教育現場における新しいアプローチを模索します。また、学校と一般企業の相互作用についても触れています。越境体験の重要性や、学校現場における養護小連携の取り組みについても語られ、効果的な教育環境の設計に関する洞察が示されます。

冒険する学校のつくりかた
それでは、続きになります。
今回は、MIMIGURIの大野将輝さん、大ちゃんをお迎えして、冒険する学校のつくりかたとして聞いています。
よろしくお願いします。
ぜひ、前回の終わりを聞いてほしいんですけど、
大野から大野に、こくって終わるっていう。
ぜひ、そこね、好きって言われて終わりを言ってる。
まあ、僕からしたらですよ。
企業の素敵にする方として、大ちゃんがいらして、
大ちゃんは大ちゃんで、日本全国の学校を、本当にその学校を独自の素敵な学校にしていってる。
まあ、それぞれ現場は違うけど、やってることはきっと一緒なんだろうなと思っていて、
好き同士の2人を混ぜ合わせたらどうなっちゃうんだろうっていう、ただの欲求なんですよ。
ああ、面白い。
そういう回なんだね。
そういう回なんです、僕としては。
なるほどね。
三角関係でツボ犬がジェラシー感じる回じゃないんだ。
ツボ犬も好きって感じになる回じゃない。
そういうんじゃないんです。
フィールドワークの重要性
というわけで、じゃあまず大ちゃんが企業に向き合ってる中で、具体的にはどんなことしてるのかなと思って頂いてみてください。
ありがとうございます。普段結構企業の人たちとは、いろいろプロジェクトを組ましてもらうことが多いんですけど、
人材育成のプログラムみたいなのを組んだりとかして、
普通の企業ではあんまやらないようなこととかをやって、
結局さっきも言ってたんですけど、冒険する組織っていうことになっていくために、
今までの価値観とちょっと違う価値観みたいなのをどういうふうに入れられるかなとか、
今の価値観みたいなのをどうやって揺さぶれることができるかなみたいなことをすごい意識してるんで、
そういうプログラムみたいなのを設計したりするみたいなのはありますね。
例えばだけど、企業の人たちの研修みたいなんで、フィールドワークに行きましょうみたいなんで、
普通、研修って言うとやっぱ会議室の中でやりますみたいな話とかっていうよりは、
もう外に飛び出ちゃって、学校行ったりとか、山に行って漁師みたいなことやったりとか、
熊野古道とかにですね、熊野古道とか、あと岩手県の遠野とかって昔からある、
なんていうんですかね、修行する人たちが行くような場所にちょっと実際に行ってみるみたいなことを、
実際企業の人たちにやってもらって、そこでいろんなこと感じたことみたいなのをどういうふうに表現するかみたいなんで、
最後展示会みたいな形で人材育成の研修をやるみたいな、そういうプログラムをやったりとか、
あとは自分たちのマネージャーとかマネジメントみたいなことって、
自分たち自身でこのうちの会社っぽいマネージメントって何だろうみたいなのをむちゃくちゃ突き詰めて言語化するみたいな、
なんかそういうプロジェクトをやったりとか、割とそういうちょっと普通とは違うようなアプローチみたいなのが結構多いかもしれないですね。
フィールドワークめちゃくちゃいいっすね。
フィールドワーク面白いっすよね。
どういう方が行くのか、それこそ社長、理事長クラスでも行ったりするんですか?
その研修をやってたのは、全然もっと現場レイヤーの方とか、課長さんぐらいまでの方々だと思うんですけど、
結局日々仕事してると当たり前ですけど、同じ価値観にのっとってある程度同じことをずっとやり続けて、
そうするとその価値観を改めて、俺らやってることって誰にとってどういういいことがあるんだろうってあんまり考えないじゃないですか。
そういうのを結構外に行って、普段仕事してる環境と全然違う環境で当てられてみたりとか、
全然違うことやってる人の話聞いたりすると、俺らがやってることって実際どうなんだろうみたいな問いがその人の中に立つというか、
自分で考えてみたくなるみたいなことっていうのをどういう風に生み出せるかみたいなのを作ったりはしてますね。
問いが立つってめちゃくちゃいいですね。やっぱり同じ会社の中でいるとずっとルーチになりますし、
何のためにやってるんだろうって思っちゃう気持ちすっごいわかるんですけど、ちょっと森の中行ったりとかするとそれだけで変わりますもんね。
全然変わると思うし、それこそ壺研を普段やってる仕事と、ここで教育の話聞くと結構違う切り口で自分の仕事を見たりとか、
逆に教育現場に壺研の視点で入っていくと多分めっちゃ面白がられたりすると思うんですね。
これもそもそもそうだと思うんですけど、そういうのをもっと日常的に生み出すとか、研修だとそういう機会を作って生み出すって感じなんですけど、
そんなのをどういう風に作っていけるかみたいなのは割と仕事の具体としてはやってるかもしれない。
問いが立つについてもうちょっと聞きたくて、どういう問いが出るのか、その問いを出すためにどんな声掛けをおーちゃんがしてるのか、その辺の混ぜ合わせ方みたいなのを聞きたいですね。
僕らが何か投げかけて問いが立たせるみたいな感じっていうよりは、そういう環境設定すると勝手に考えると思ってて。
さっき言ってたやつとかだと、修行に行きますみたいな、要は歩いて移動する。
漁師とかもそうですけど、歩いて移動するみたいな話とかをするときにモビリティ関係の仕事をしている人たちだったりするので、
普段はいかに早く正確にその場所に行くかみたいなことをめちゃくちゃ考えてる人たちが、歩くことの価値ってさ、ゆっくり迷いながら移動するみたいなことの価値ってどこにあるんだろうみたいなことを考えたりとかしだすんですよね。
そうやって普段の仕事の中では、そうやって良くないことだって思ってるから考えもしない。
いかに早く行くかのほうが大事だから、遅く移動することの価値って考えないんだけど、自分がその遅くしか移動できない環境になると、遅く移動することの価値ってとか、寄り道することの価値ってみたいなのを考えだしたりとか、
問いの創出とビジネスへの影響
具体で言うとそういう感じになるかなと思うんですけど、いろんな環境を作ったりとか体験をしてもらう中で、
普段考えないようなことがおのずと湧き立つっていうか、自分の中で考えたいなこういうことって思えるような環境をどう作るかみたいな感じですかね。
僕はもう外大好きだし森も大好きだし歩くのも大好きなんで、もう今すぐ熊野古道に行きたいんですけど、でもみんながみんなそうじゃないじゃないですか。
会社組織の中で何月何日から何日開けてねと熊野古道歩きますって言われたら、いや忙しいんだけどって思う人もたくさんいると思うんですよね。
それでもやっぱりチームの中でみんなで考えようって感じになってくもんなんですかね。
そうですね。最初は意味わかんないって。意味わかんないって感じなんですよ。
意味わかんないってみんななってるんだけど、そこをやってもらうって感じですね。
ちょっと冒険する組織だけじゃないかもしれないですけど、考えてわかることって結構もう高橋出てるっていうか、限界があるんで。
学校現場とかもそうだと思いますけど、30人とか35人の子供たちを考える範囲でコントロールしようと思ったら多分あんま面白くなんないじゃないですか。
危険なことあっちゃダメだけど、想像できないことがそこで起こるってことに多分面白さがあると思うから、考えるよりもまさにそこを感じるっていうか、その体験をいかにするかみたいな話とかが結構面白ポイントかなぁとは思いますね。
とにかくステージを整えることに力を入れてらっしゃって、モビリティの会社だから歩かせることによってこれが生まれるまでは考えてないんですねきっとね。
考えてないですね。
考えてないです。
それを仕掛けてるっていうことじゃないんですよ。
そうです。
そこら辺がなんか面白いですね。
結構場にいる方を、はじめは全員が同じ方向、当然向いてないかもしれないけど、最終的にはきっとその方々内の問いを立ててくれるはずっていうふうに思ってらっしゃるって感じなんですね。
そうですね。
でもその、例えば何やってもいいかみたいな話でいくとそんなことはなくて、もちろん意図はするんですけど、さっき言ったみたいに本当は早く移動する価値を探求してる人たちに遅く移動させてみたらどうなんだろうみたいな、そういう仮説はもちろんめっちゃ準備するんですけど、
そこからこういうことが生まれるだろうみたいなことはあんまり想像しないかもしれないですね。
生まれてきたものをどう意味付けるのかとか、どう位置付けるのかみたいなことは出てきてから考えるって感じかもしれない。
そして非日常の中で立ってきた問いを、じゃあ実際に企業で言うと、当然売り上げであったりとか新しいビジネスであったりとか、より良いチームにコネクトしていかないといけないじゃないですか。
そこら辺も合わせて伴奏されるんですか?
伴奏していこうっていうところはやっぱり多いですけど、なかなかそこも難しいところがあって。
その時に結構難しいなって思うのは、時間の問題でそれやってすぐ売り上げになるかっていうと、全くならないじゃないですか。
教育における冒険的なアプローチ
そこはなんか結構教育的な取り組みとも近いのかなって思ってるんですけど、そこでじわっと経験したことが、
変な話、どこのタイミングで花開くかもわかんないんだけど、種まきとしてやっておくみたいなこととかはすごい考えてやってますね。
だからそういう意味で言うと、この売上げにコミットしますよみたいなこととか僕らは全然しないんだけど、
その体験みたいなものとかを生み出して、その変化してきた兆しみたいなものをちゃんと捉えて、そこから次にどう繋げていくかみたいなことの伴奏っていうのはすごいしてますね。
実際わかんないじゃないですか。
漁師になった人が新規ビジネスを5年後もしかしたらその体験をきっかけにして、5年後10年後に考えつくかもしれないけど、
それを考えてくださいって言ってもその瞬間には出ないから、そこはだから最初にも言って、想像性の土壌を耕してるんで、
そういうことをたくさん繰り返していくと、肥料がたくさんある土の感じっていうか、森の中の土みたいな感じだと思うんですけど、
いろんなものが混ざり合ってたりとか、ちょっと溶けてなくなってたりとか、まだ形があるものとかいろんなものがぐちゃぐちゃになって、
すごいでも栄養豊富で豊かな土になってるみたいな感じを組織内でどうやるかみたいな、そんなのを目指してやってますね。
なんとなくイメージできてきたのが、明日の数字とか今日の一円を日々考えて、それやっぱり会社員だから当たり前なんですけど、
ちょっと非日常で、土曜ベースに自分自身と向き合うような時間を作っていって、より冒険していくっていうのはなんとなくわかったなってことですね。
プログラミング教室の事例
だいちゃんこちら、学校現場とコネクトできることってありますかね。
冒険だわって思いながら聞いてて、
これ何がいいかって、僕いろんな切り口で話したいんですけど、
まずさっき、例えばAっていう仕事をしてる人が、やっぱりAにつながるものでなければ学びにならないというバイアスって結構あるじゃないですか。
でもそれって今変化が激しすぎる中で、それ成り立たないんですよね。
ある話ちょっと出していいですか。僕の友人がたまたま同時期に2人ともプログラミング教室を立ち上げるって始まったんですね。
全然違う人。
Aさんはザプログラミング教室を実際に塾の一箇所借りて立ち上げた。
もう一人は全然違うルートで、図書館って場所でその居場所を作りたいと。
その図書館っていう居場所の中でたまたまプログラミングが興味ある子ができるような環境にして、それがプログラミング教室。
Aの方潰れました。
AIがあるから。
でもプログラミングAIで作れちゃうじゃないですか。正直。
Aの方は成り立たなくなっちゃって正直すぐ撤退したんですね。
でもBの方って図書館っていう掛け算からまさかの広がりを見せて居場所にめっちゃなってるんですよ。
で、不登校の子が来てくれたりとか、あとは大人が学び直して来てくれたりという居場所になっていると。
これって信じられない科学反応が起きていて。
Bの方ってそんな狙ってないんですよ。
そもそも狙ってないんですよ。
たまたま結果的にいろんなものが結びついていい感じになったわっていう。
ある意味さっきのどっかに行ってみるっていう研修とかフィールドワークみたいなのって、
偶然を楽しんでた結果何かが起こっていくっていう生まれ方のビジネスって今ありえるなと思っていて。
どっちかじゃないんだけどやっぱりそういうの大事だなと思った。
で、冒険的だなと思ったっていう感じですね。
越境と新しい学び
じゃあ学校現場はどうかっていうと、さっき大ちゃんが言った環境をデザインする、整えるってやり方はもう最先端の教育でしかなくないですか、つぼけんどうですか。
最先端の教育なのかな。
僕はでも一般企業だからもうずっとうちではできるだろうかって思って。
まあそうだよね。
個人はすっごいやりたい。みんなにも体験してほしい。
たぶんね、今ね、軍事的な何かが抜けきらないつぼけんの中のを書き換えたい。
言ったらきっとわかってくれるし、あの人とあの人の笑顔が見れそう。スタートできなさそう。
まあね、それだけじゃないんだけど、今僕の知る限りの教育者たちはですね、同じこと言ってます、教室で。
環境を整えて、結果子供たちが自ら学べるようにしていくんだっていうのをいっつも大人向けにやってるから同じなんだよね。
だからなんか人間はどうやって学ぶかっていう、すごい本質にたどり着くと、たぶんそういう冒険的な世界観になっていくんだろうなっていうのは僕必然なんです、実は。
人が学ぶってそういうことだから。
それにちょっと重ねてみようかなと思ったんですけど、教室における環境を作って先生がね、子供たちが学べる環境を作りましょうみたいな話と、
その先生自身が普段身を置いている組織っていうか、教室っていう自分が作る場じゃなくて、
自分も構成員のその組織においても同じことが起こっていないと、たぶんそれって成り立たないよなみたいなこととかはすごい思ってて、
学校向けに耳ぐりの冒険する組織みたいなのめっちゃいいよなって思っているポイントは、
先生たちの組織みたいなのが豊かになるとか、先生たちの組織がめっちゃ良くなると、それがたぶん跳ね返って教室っていうか、
子供たちにとってもめっちゃいい場になるんじゃないかなみたいなこととかはすごい思っているので、
その意味では先生たちの普段働く環境とか、先生たちの組織の環境設定みたいなのは誰がどうやるんだろうなみたいなことだったりとか、
それで先生たち自身でやり合うんだろうなみたいなこととかは結構思いますよね、いろいろ話し聞いたりするとね。
これですよね、たぶんね。やっぱり僕が今現場行ってて、めちゃくちゃ面白い教育してるんだとか、
なんでこんな子供たち生き生きしてるんだろうっていう学校、だいたい冒険的な職員室なんですよ。冒険的な学びめっちゃしてるんですよ。
そういうところは確実に教室が変わっていきますね。順番的には、たぶん最初僕大人なんだと思う。
いや、そうだよね。
絶対そうだと思う。そこがね、アンハッピーだったりとか、軍事的な場合、それがね、たぶん教室に掃除系で現れてしまうっていう。
そういう連鎖が起きていて、おーちゃんが最初に言ってた、前と学校現場があんまり変わらなかったって思ったのは、それがきっとあると思う。
それめっちゃそうだと思う。
自分も働いてる組織が超軍事的で、やることなすことにすべて許可が必要、上官の許可が必要みたいな。
なんかその組織において、例えばその組織にいる先生が教室に行って、めちゃくちゃ探究的にやりましょうみたいな話しても、無理じゃんって思う。
それは無理だよね。
だってそうやってないから自分が、無理じゃんってなるから、結局子供たちも、これやっていいですかって先生に許可を取ったりとか、こうしたいと思ってるんですけどみたいなんで、
結局先生に聞かれるみたいな、ある種の掃除系っていう風にしかなんないと思うから、
そういう意味ではやっぱり大人側が最初のスタートなんじゃないとかって思ったりしますけどね。
でもさ、先生たちがみんな熊野古土に行くわけにはいかないじゃない?
めちゃくちゃこだわるよ。
熊野古土、激刺さってる。
すごい痛いけど。
分かりやすいからね。
そうそう。
じゃあ、そういう冒険的な職人になってる人たちは何してるんだろう?
ありがとうございます。
僕が大好きな、いずれ多分ラジオに出てくれるであろう、新州大学の新井さんっていう先生がいるんですね。
その方が先生が変わるきっかけに、ほとんどの場合、越境とアンラーンがあったって言ったんですね。
で、それっていろんな越境があって、例えば、違う学校に行ってみた。これも越境ですよね。
で、あとはなんか企業体験とかで違う企業行ってみたとか、あとは学校じゃない教育の場所にちょっと行ってみたとか、
あとは人的な越境もあるんで、なんかそういう人との出会いとか、あとは自分が普段やらないことをやってみたも、含めて越境っていろんなのがあるんですよ。
で、なんかそれをきっかけに、学校で自分の枠を捉え直して変わっていったっていうのは結構あるんですね。
だから、熊野古土だけじゃない。
で、それを実際にやってる学校あります。
めちゃくちゃいろんなところに視察いける学校、どんどん行ってこいっていける学校もあるわけだし、
あと今その大人の教師の学びとして年次研修とか、あとはその月一の勉強会みたいなのがあったりするところで、そこを今見直そうって動きもなくはない。
なんかあと越境って結構言ってしまうと概念みたいな話だよなってすごい思っていて、
結局日常生活って捉え方によっては越境しまくってるじゃないですか。
新しい場所に、新しい駅に行くってもはや越境じゃんとか、
越境体験の重要性
よくある話だとちょっとなんか峠湖というかその通勤時の道を一本変えてみるみたいな、向こうの道から行ってみるって越境じゃんみたいな感じだと思ってるんですけど、
結局それは越境と捉えられるかどうかっていう話の違いだなと思ってて、
それって何かっていうと結構さっきも言ってたみたいに自分の中に問いが立ってるのかどうかみたいな話だと思ってるんですよね。
問いってちょっと難しいから、自分なりの見方みたいな、物の見方みたいなこととかが自分なりにあると越境体験自体は日常にあふれまくってるよなみたいなこととかはすごい思いますよね。
そう思えるかどうかって話だなってすごい思った今。
それめっちゃあると思ってて、一個あえて学校現場の必ずと言っていいほど設定されてる効率のある話をすると、
例えばね、小学校と養護の連携ってあるじゃないですか。
園児たちの場所に小学生の先生が行ってみると。
で、その時もうある意味越境体験じゃないですか。
でもそれで何も受け取れないか、めちゃくちゃ受け取れるかってその見方を持ってるかどうかですよね。
で、僕この前なかなかその養護小連携って言うんですけど、充実しないっていう声があって、で、僕そこ行ってきたんですよ。
で、その見に行く前に僕3Cって話をしたんですね。
で、接続だったり、僕よくノリシロって言っていて、養護から小学校に接続するってよく言いません?
僕あれあんまり好きじゃなくて、僕ノリシロみたいになんかペタって張るもんだと思うんですね。
ちょっとよく図が見えないんですけど、養護から小学校がギリギリつながってるんじゃなくて、
もっとこう重なり合ってる感じ。
それね、図書の教育委員会の小野さんって方から教わったんですね。
その話を僕させてもらった上で3C。
コンテンツ、コンピテンシー、カルチャーって3つあると。
ノリシロの仕方って。
コンテンツはほら、なんか学ぶ内容。掛け算、区区とかね。
で、コンピテンシーっていうのは資質能力なんで、どういう力を身につけてから小学校に上がってくる。
この2つはね、充実してるわけ。
で、この視点だけ持っていってもあんまり影響できないですけど、僕ね、カルチャーで話をしてます。
養護の先生がどんな言葉掛けをしてるかとか、どんな環境設計してるかとか、
どういう表情だったり。
そこをちょっと3Cで見に行きませんかって言ったら、
なんかその視点で影響しまくるわけですよ。
で、なんか持ち帰れるものいっぱい出てくるじゃん。
そうすると自己確信が起きやすいと。
だから今の見方ってめっちゃ大事で。
優しく物の見方を。
影響ってめっちゃあるじゃんっていうのは多分言えると思う。
いや、ほんとそうだと思うんよね。
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