というわけで、じゃあまず大ちゃんが企業に向き合ってる中で、具体的にはどんなことしてるのかなと思って頂いてみてください。
ありがとうございます。普段結構企業の人たちとは、いろいろプロジェクトを組ましてもらうことが多いんですけど、
人材育成のプログラムみたいなのを組んだりとかして、
普通の企業ではあんまやらないようなこととかをやって、
結局さっきも言ってたんですけど、冒険する組織っていうことになっていくために、
今までの価値観とちょっと違う価値観みたいなのをどういうふうに入れられるかなとか、
今の価値観みたいなのをどうやって揺さぶれることができるかなみたいなことをすごい意識してるんで、
そういうプログラムみたいなのを設計したりするみたいなのはありますね。
例えばだけど、企業の人たちの研修みたいなんで、フィールドワークに行きましょうみたいなんで、
普通、研修って言うとやっぱ会議室の中でやりますみたいな話とかっていうよりは、
もう外に飛び出ちゃって、学校行ったりとか、山に行って漁師みたいなことやったりとか、
熊野古道とかにですね、熊野古道とか、あと岩手県の遠野とかって昔からある、
なんていうんですかね、修行する人たちが行くような場所にちょっと実際に行ってみるみたいなことを、
実際企業の人たちにやってもらって、そこでいろんなこと感じたことみたいなのをどういうふうに表現するかみたいなんで、
最後展示会みたいな形で人材育成の研修をやるみたいな、そういうプログラムをやったりとか、
あとは自分たちのマネージャーとかマネジメントみたいなことって、
自分たち自身でこのうちの会社っぽいマネージメントって何だろうみたいなのをむちゃくちゃ突き詰めて言語化するみたいな、
なんかそういうプロジェクトをやったりとか、割とそういうちょっと普通とは違うようなアプローチみたいなのが結構多いかもしれないですね。
フィールドワークめちゃくちゃいいっすね。
フィールドワーク面白いっすよね。
どういう方が行くのか、それこそ社長、理事長クラスでも行ったりするんですか?
その研修をやってたのは、全然もっと現場レイヤーの方とか、課長さんぐらいまでの方々だと思うんですけど、
結局日々仕事してると当たり前ですけど、同じ価値観にのっとってある程度同じことをずっとやり続けて、
そうするとその価値観を改めて、俺らやってることって誰にとってどういういいことがあるんだろうってあんまり考えないじゃないですか。
そういうのを結構外に行って、普段仕事してる環境と全然違う環境で当てられてみたりとか、
全然違うことやってる人の話聞いたりすると、俺らがやってることって実際どうなんだろうみたいな問いがその人の中に立つというか、
自分で考えてみたくなるみたいなことっていうのをどういう風に生み出せるかみたいなのを作ったりはしてますね。
問いが立つってめちゃくちゃいいですね。やっぱり同じ会社の中でいるとずっとルーチになりますし、
何のためにやってるんだろうって思っちゃう気持ちすっごいわかるんですけど、ちょっと森の中行ったりとかするとそれだけで変わりますもんね。
全然変わると思うし、それこそ壺研を普段やってる仕事と、ここで教育の話聞くと結構違う切り口で自分の仕事を見たりとか、
逆に教育現場に壺研の視点で入っていくと多分めっちゃ面白がられたりすると思うんですね。
これもそもそもそうだと思うんですけど、そういうのをもっと日常的に生み出すとか、研修だとそういう機会を作って生み出すって感じなんですけど、
そんなのをどういう風に作っていけるかみたいなのは割と仕事の具体としてはやってるかもしれない。
問いが立つについてもうちょっと聞きたくて、どういう問いが出るのか、その問いを出すためにどんな声掛けをおーちゃんがしてるのか、その辺の混ぜ合わせ方みたいなのを聞きたいですね。
僕らが何か投げかけて問いが立たせるみたいな感じっていうよりは、そういう環境設定すると勝手に考えると思ってて。
さっき言ってたやつとかだと、修行に行きますみたいな、要は歩いて移動する。
漁師とかもそうですけど、歩いて移動するみたいな話とかをするときにモビリティ関係の仕事をしている人たちだったりするので、
普段はいかに早く正確にその場所に行くかみたいなことをめちゃくちゃ考えてる人たちが、歩くことの価値ってさ、ゆっくり迷いながら移動するみたいなことの価値ってどこにあるんだろうみたいなことを考えたりとかしだすんですよね。
そうやって普段の仕事の中では、そうやって良くないことだって思ってるから考えもしない。
いかに早く行くかのほうが大事だから、遅く移動することの価値って考えないんだけど、自分がその遅くしか移動できない環境になると、遅く移動することの価値ってとか、寄り道することの価値ってみたいなのを考えだしたりとか、
じゃあ学校現場はどうかっていうと、さっき大ちゃんが言った環境をデザインする、整えるってやり方はもう最先端の教育でしかなくないですか、つぼけんどうですか。
最先端の教育なのかな。
僕はでも一般企業だからもうずっとうちではできるだろうかって思って。
まあそうだよね。
個人はすっごいやりたい。みんなにも体験してほしい。
たぶんね、今ね、軍事的な何かが抜けきらないつぼけんの中のを書き換えたい。
言ったらきっとわかってくれるし、あの人とあの人の笑顔が見れそう。スタートできなさそう。
まあね、それだけじゃないんだけど、今僕の知る限りの教育者たちはですね、同じこと言ってます、教室で。
環境を整えて、結果子供たちが自ら学べるようにしていくんだっていうのをいっつも大人向けにやってるから同じなんだよね。
だからなんか人間はどうやって学ぶかっていう、すごい本質にたどり着くと、たぶんそういう冒険的な世界観になっていくんだろうなっていうのは僕必然なんです、実は。
人が学ぶってそういうことだから。
それにちょっと重ねてみようかなと思ったんですけど、教室における環境を作って先生がね、子供たちが学べる環境を作りましょうみたいな話と、
その先生自身が普段身を置いている組織っていうか、教室っていう自分が作る場じゃなくて、
自分も構成員のその組織においても同じことが起こっていないと、たぶんそれって成り立たないよなみたいなこととかはすごい思ってて、
学校向けに耳ぐりの冒険する組織みたいなのめっちゃいいよなって思っているポイントは、
先生たちの組織みたいなのが豊かになるとか、先生たちの組織がめっちゃ良くなると、それがたぶん跳ね返って教室っていうか、
子供たちにとってもめっちゃいい場になるんじゃないかなみたいなこととかはすごい思っているので、
その意味では先生たちの普段働く環境とか、先生たちの組織の環境設定みたいなのは誰がどうやるんだろうなみたいなことだったりとか、
それで先生たち自身でやり合うんだろうなみたいなこととかは結構思いますよね、いろいろ話し聞いたりするとね。
これですよね、たぶんね。やっぱり僕が今現場行ってて、めちゃくちゃ面白い教育してるんだとか、
なんでこんな子供たち生き生きしてるんだろうっていう学校、だいたい冒険的な職員室なんですよ。冒険的な学びめっちゃしてるんですよ。
そういうところは確実に教室が変わっていきますね。順番的には、たぶん最初僕大人なんだと思う。
いや、そうだよね。
絶対そうだと思う。そこがね、アンハッピーだったりとか、軍事的な場合、それがね、たぶん教室に掃除系で現れてしまうっていう。
そういう連鎖が起きていて、おーちゃんが最初に言ってた、前と学校現場があんまり変わらなかったって思ったのは、それがきっとあると思う。
それめっちゃそうだと思う。
自分も働いてる組織が超軍事的で、やることなすことにすべて許可が必要、上官の許可が必要みたいな。
なんかその組織において、例えばその組織にいる先生が教室に行って、めちゃくちゃ探究的にやりましょうみたいな話しても、無理じゃんって思う。
それは無理だよね。
だってそうやってないから自分が、無理じゃんってなるから、結局子供たちも、これやっていいですかって先生に許可を取ったりとか、こうしたいと思ってるんですけどみたいなんで、
結局先生に聞かれるみたいな、ある種の掃除系っていう風にしかなんないと思うから、
そういう意味ではやっぱり大人側が最初のスタートなんじゃないとかって思ったりしますけどね。
でもさ、先生たちがみんな熊野古土に行くわけにはいかないじゃない?
めちゃくちゃこだわるよ。
熊野古土、激刺さってる。
すごい痛いけど。
分かりやすいからね。
そうそう。
じゃあ、そういう冒険的な職人になってる人たちは何してるんだろう?
ありがとうございます。
僕が大好きな、いずれ多分ラジオに出てくれるであろう、新州大学の新井さんっていう先生がいるんですね。
その方が先生が変わるきっかけに、ほとんどの場合、越境とアンラーンがあったって言ったんですね。
で、それっていろんな越境があって、例えば、違う学校に行ってみた。これも越境ですよね。
で、あとはなんか企業体験とかで違う企業行ってみたとか、あとは学校じゃない教育の場所にちょっと行ってみたとか、
あとは人的な越境もあるんで、なんかそういう人との出会いとか、あとは自分が普段やらないことをやってみたも、含めて越境っていろんなのがあるんですよ。
で、なんかそれをきっかけに、学校で自分の枠を捉え直して変わっていったっていうのは結構あるんですね。
だから、熊野古土だけじゃない。
で、それを実際にやってる学校あります。
めちゃくちゃいろんなところに視察いける学校、どんどん行ってこいっていける学校もあるわけだし、
あと今その大人の教師の学びとして年次研修とか、あとはその月一の勉強会みたいなのがあったりするところで、そこを今見直そうって動きもなくはない。
なんかあと越境って結構言ってしまうと概念みたいな話だよなってすごい思っていて、
結局日常生活って捉え方によっては越境しまくってるじゃないですか。
新しい場所に、新しい駅に行くってもはや越境じゃんとか、