じゃあ、ここでちょっとサプライズ。
10問目は僕からの質問です。
僕からの質問はこちらです。
優しいだけではダメですか?
なぜこの質問をしたかと言いますと、
本当に来るたびに優しくしてくれて嬉しいなと思ってまして、
優しい子たちですよね。本当に毎年嬉しいなと思って。
やっぱり学校の先生になりたいとか、特殊な先生になりたいとか思って、
一生懸命勉強してる人たちって、いいんだなと思って感動して帰るわけですよ。
一方で、この優しい子たち、社会に出ても楽しいって思ってくれるだろうかって思う気持ちもあって、
優しい皆さんにこんな質問をあえてしてみようと思いました。
というわけで、まず僕の隣にはですね、子供に対して理不尽に接していると感じたことがありますか?
という質問をしてくれたかいさんが来てくれてます。
そうですね。優しいだけじゃダメだと思います。
全部優しいってなると、いいこと悪いことの区別がつかなくなっちゃったり、
悪いことをしても優しく言われちゃうので、反省をしないっていうのもありますし、
甘やかされるって言い方は良くないですけど、っていう環境にずっといてしまうと、
それこそ社会に出た時に耐えられないというか、精神病んじゃったり、もう無理だなってなっちゃったりすることがあるので、
やっぱり優しいだけじゃなくて、時には厳しかったり、ちょっと強く言ってもらった方が自分の心にも刺さりますし、
インパクトも残ると思うので、時には厳しいのも大切になってくれるのかなっていうふうに思いました。
そうだよね。ありがとうございます。
お次は優さんです。よろしくお願いします。
お願いします。
理想の生徒像はありますか?問題字って言葉自体がちょっとどうなの?って言ってくれた優さんです。ありがとうございました。
ありがとうございました。
私もかいさんと同じで、優しいだけはダメなんじゃないかなっていうふうに思います。
自分今、領域系の実習をさせていただいてるんですけど、その先生の方からいただいた言葉で、
適度に子供の壁になってあげるっていうことが、その子の今後に生きた力になるっていうのをすごく教えていただいて、
自分の中で心に残ったんですけど、優しく優しくして、ずっと何がダメで善悪の判断とかができないっていうのは、
やっぱり社会に出た時にも、その子自身が困っちゃうことだと思いますし、
適度に壁になってあげたりすることも優しさなんじゃないかなっていうふうに自分は思います。
ありがとうございます。乗り越える力みたいなのを見つけていかないと、社会に出た時にってのもあったりしますよね。ありがとうございます。
そしてとめこさんです。
質問は、何にお金をかけていますか?の質問をしてくれました。
元気に質問してくれてありがとうございました。
ありがとうございました。
とめこさんどうですか?優しいだけではダメですか?
私も2人と一緒で優しいだけじゃダメだなって思います。
自分も研修で子供たちに接する時に寄り添いすぎるのもダメだなって気づいて、
それで優しいだけじゃダメだなって実感したのが1週間前くらいで、
自分もよく笑顔になっちゃうのがいいことではあるんですけど、
叱らなきゃいけない時にちゃんとそういうメリハリが自分があんまりできないので、
そういうのもしっかりしないとダメだなってちょっと言葉止まらないんですけど、
すごい思ったので、優しいだけじゃダメだなって思います。
一生懸命答えてくれて、しかも笑顔で答えてくれて、
とめこさんありがとうございます。優しさ伝わってきました。ありがとうございます。
9問と最後の質問も答えてくれて本当にどうもありがとうございました。
今年もありがとうございました。
ありがとうございました。
はい、というわけで10問目を質問したのは僕、つぼけんでした。
ありがとうございました。答えてもらっちゃいました。
やったな、これ。やったな。
やったなっつって。
やったな、このプロデューサー。
そらこの笑みだよね。
なるほどね。つぼけんさんだったんですか。このはてなはてなはてなさんは。
つぼけんさんの質問でしたね。ゆうさん、とめこさん、かいさんに答えていただきました。
僕が質そうな質問でしょ。
つぼけんぽいなって、つぼけんで知ってから思った。
それはどうなのかね。
今でもそうよね。
本当俺さ、え、これ、今僕みなさんね、見えてないと思うんですけど、
画面上にお題とはてなはてなはてなさん来たから3文字で、え、僕の妻?って、
ちょっとめちゃくちゃ怖くなって、え、いつ聞いた?聞いたってことは話した?
話したってことはあの悪いこと聞いてる?やばいぞみたいな、いろんな連想で。
後ろ目とか出てんじゃん。
なんかよからぬことまですぐ心配してちょっと汗かいてたけど、つぼけんかい。
つぼけんさんでした。
4文字だったね。
かいさん、ゆうさん、とめこさんがとっても真摯に答えてくれました。
とめこさんはね、本当に笑顔で答えてくれて、
私しっかりしないとって言いながら、もう笑顔で答えてくれたんで、
もうとめこさんそのままでいいよってすごい思ったりしたんですけどね。
まあでもね、3人はやっぱ優しさだけではダメなんですよ、みたいなふうに答えてくれたんですよ。
みんなでも同じ意見なんですね。
たまたまこの3人はそうですね。
なんかね、優しさだけじゃダメで、なんかやっぱ厳しくしなきゃいけないところがある。
なんか理由も結構近かったのかなと。
なんかね、社会に行ってから厳しさの中で生きていけないかもしれないとか、
善悪がわからなくなってしまうかもしれないみたいなお話をされてたのかなと思うんだけれども、
私の中でその優しさと甘さっていうものの差がちょっとわかんなくなってきたなっていう気はしてて、
なんか優しさと厳しさと甘さっていう3つの言葉の相関関係を必死に頭の中で描きながら聞いていたんだけど、
なんかどうなんだろうか、優しさの対義語って厳しさなのかな。
優しさの対義語って何なんだろうっていう気はして、
結構みんななんか甘さと優しさに甘さを含んでる感じだから。
その3人はそういう認識で話してくれましたね。
なんかそんなニュアンスがあったんだけど、どうなんだろうなっていう風に聞いてました。
僕まずその3人のね、こうしなきゃっていうパラドックスに戦う、挑む姿勢は素敵だなと思ったんですよ。
やっぱ優しいも大事、厳しいも大事とか、その2つでパラドックスじゃないですか。
なんかどっちも取れないかもしれないけれども、うまくバランス取りながらとかで、
そこに向き合う姿勢みたいなのがすごいいいなっていう風に僕は思いました。
これはあの、やっぱ優しいをね、ちゃんと自分なりの定義というかね、
それをしたいなと思っていて、たぶんね、10人いたら10通りあるんで、
それを楽しみたいかな、僕は。
そうだね。
確かに。
僕もこれ編集してて、優しいとはってなんか結構ね、思いましたね。
はい。
ありがとうございます。
で、こちらの質問なんですけれども、実はもちろん学生さんにも聞きたかったんですけれども、
やっぱりもう3年間ずっとお世話になっている、宿徳大学総合府市学部松浦先生。
もう松浦先生のアテンドがあってこそ、これが実現してるんですよ。
本当に毎年ありがとうございます。
今年もその場にいらっしゃって、僕はですね、この優しいだけではダメですかは松浦先生に聞きたいなと思っていたんですけれども、
ちょっと風邪ひいていて喉が悪いよということだったので、後日ですね、文章で送っていただきました。
僕が台読する形で、松浦先生への質問、優しいだけではダメですか、答えを読ませていただきます。
ありがたい。
優しいとは、笑顔で人に柔らかい声で接することだけを言うわけではありません。
環境に優しいという言葉に象徴されるように、温かく見守る、そっと励ます、立場を守るなど、あらゆるポジティブな意味を含むものと考えています。
だとしたら、本人のために優しくいましめることももちろん重要です。
私は、怒る、叱るという言葉は、しばしば感情に任せて厳しく対応するという意味に使われることを懸念しています。
声を台にしてどなり散らしても、それが相手に伝わらなければ意味はありません。
自身のストレス発散にはなるものの、相手には恐怖感しか与えないことが多く、行動変容を促すきっかけにはならないことが多いように思います。
私が学生に子供が誤った時の指導の仕方として教えているのは、それが間違っていることを伝え、正しい方法を入力するというアプローチです。
抑制した声、見てわかる資料でそれが間違っていることを説明し、目前で正しい行動を行うよう促し、できなければ何度でもやり直させ、できた時には大いに褒める、それが行動変容の入力です。
人は誰しも間違い、謝ります。しかしその多くは、正しい方法を知らないという場合に起きます。知らないことなら間違って当然なのです。
そこでどなり散らしたところで、正しい方法を知らなければまた過ちを繰り返し、結局大人には何度教えてもダメな子だと言わせて終わりです。
子どもは何度努力しても失敗を重ねるので、だんだんやる気を失い、学習性無力感を持ち、不登校や引きこもり、はては社会参加を拒否するようになっていきます。
大人がよく、何度言ったらわかるの?と怒ることがありますが、逆に言えば何度言ってもわからないという証明であり、言ったらダメなのであれば見せたりやらせたりして覚えさせなければなりません。
大人はそのことも知らず、優しいだけではダメだ、厳しく接しないと何もわからないと誤解しています。
丁寧に正しい方法を入力する、つまり優しく正しい方法を教えていければ課題は解決します。
私はこの優しさだけで教育は十分だと思います。
というわけで松浦先生からのお答えでした。
はい、こちらのお答えいかがでしょうか。
さすが、親としてちょっと反省する部分も少しございまして。
何度言ったらわかるの?っていうのは、何度言ってもわからないという命題の反対ですよ。
待遇をとると、それは厳しくしなきゃいけないではなくて、言ったでは伝わってないっていうことだっていう。
他のやり方を試してみましょうねっていうことであるだけなのに、そこで親はつい優しいだけじゃダメなのねってすぐ思ってたのはおっしゃる通り。
そうね、やっちゃうけどね。
多分それも本当に親から代々受け継いだカルマなのかなとも思うんだけれども。
でも改めて、今私はテキストで見せていただいているので、読みながら聞いてたからなおさら今もこれを見ながらおっしゃる通りって思いながら大変勉強になりました。
だいちゃんいかがですか。
この最後の1文めっちゃいいよね。
私はこの優しさだけで教育は十分だと思います。
これ言い切れる松浦さんかっこいいな。
そしてこの文章にね、本当に全てがもう込められているなっていうことをね、受け取ったので、ぜひ会いたいなと思いましたね。
素晴らしいこれは。
このっていうのが良くないですか、最後の1文が。
私は優しさだけで教育は十分だと思います。
じゃなくて、この優しさだけでって言ってるから。
優しさっていう言葉の捉え方をもう一回考え直して捉え直しましょうねみたいなニュアンスが含まれているから、すごくグッとくるなと思う。
わかるわ。
安保健さんがその優しさとはみたいなのを編集してて思ったっていうのはまさにそれなのかなっていう気がしたね。
本当に思ってたんですよね。
どう考えてもいつも優しいけど、でも何か時に道を外した時とかにね、いろいろ考えるきっかけをくれたりとか、本当にダメなことをした時にはそれを悟してくれる人っていうのはあったことがあるなっていうふうに思ってたので、
それがちょっと違和感だったんですけど、すごく今それを言語化して先生が伝えてくださったので、そうそうまさにこういうことだなと思って。
この文章ともすごいつながるんだけれども、僕の中の優しさって未来を思うことなんですよ。
例えば今その状況で例えば悪いことしちゃったって言うと、ある意味今じゃないですか、そこって。
今をどうするかっていう議論になってしまうと、怒ろうかとか、それとも怒らないかとかに。
そういう日じゃ卓越になりそうな時ってありませんか。僕も普段育児しながらとかもそうだし、自分が教育現場に行った時なんかは、今って見ちゃうと結構感情になってしまう時があるんだけども、その子の未来をちょっと考えてみると、自分はどういうふうにあるほうがいいかと。
考えられるんですよ。じゃあ今こういうことがあったけど、この子の未来を考えた時に、自分は今こういうふうにしたほうがいいのかもしれないって思って、あくまでも仮説でさ、動くでしょ。
で、その松浦さんの文章にもあったけれども、今は例えば優しくね、悟したほうがいいのかもしれないし、今はちょっと厳しく言う時もあるかもしれないしとか、自分を変形させてあげるっていうのかな。その子の未来のために思って、今自分がどうあるべきかっていうのを考えて、それをこう行っていくっていうのをやっていきたいなって思った。
むずかしいことなんだね、優しいっていうのは。
でもすごく今のは、私の中ではすごく刺さる部分がとてもあって、時間軸のとらえ方っていうのかな。
短期でね、成果を出そうと思うと、どうしても今すぐ家を出たいみたいな、もう、もう、みたいな、時間がないみたいな感じで動きつめられる人って、どうしても優しくなりきれない時があるんだけど、
本当にね、1年後、5年後、10年後、この子が自立して、なんか自分でそうやって判断して動いていけるようにと思った時になると、全然やるべき、自分が取るべき態度とかの見方って変わるし。
私の中では、厳しいと言われるような態度だったけれども、ある種、すごく私のことを思って厳しくしてくれてるんだなっていうふうに感じた、最近のお師匠様との関わりとかっていうのも、
例えば、「いや、そうじゃないでしょ。」みたいな意見を結構まっすぐにぶつけてくれる方だったんですよね。で、それってまあ、わりとその厳しめじゃないですか。
あの、「そうだよね。いいよね。それでやってみる?」みたいな感じではなくて、すごく、「いやいや、そうじゃないでしょ。」っていうのをすごくまっすぐぶつけてくださる方だったんですけど、
ともすると、外から見るとちょっと厳しく見えるんだろうなと思ったんですけど、でもなんか後からやっぱり聞いていると、やっぱ時間、大人になってさらにね、時間もやっぱり限られている中でこう接している時に、
なんかより多くの思考に巡るための刺激として自分を使ってほしいみたいな、甘い言葉とか優しい言葉をかけている時間の分だけ、いろんな思考を考えにたどり着く、なんか可能性を奪ってしまっているような気がするから、僕は思っていることを率直に言いますと。
でもそれをだから最初から知っているので、私たちは選んでそういう方と話しているから受け止められるんだけど、でもそれもそれですごく優しさの一種だなっていう気はして、その刺激があった中で自分がどういう答えを出すかっていう、それは大人と大人の信頼関係あってのものかもしれないけれどね。
だからなんか優しさって本当にいろんな形があるなって思って、だから厳しさっていうのもあるし優しさにもなるんだろうなとも思うし。
わかる。
だから対義語って難しいね。優しくないってなんだろうみたいな。それは自分勝手な何か感情が入っちゃった時に優しくないのかな。
相手のことを思うだけの行動じゃなくなっちゃった時に何か優しくないのかもしれないね。こちらの都合が入っちゃったりとかね。
ちなみにさ、全然話変わっちゃうことを提案してもいい?
はい。
ぜひ。
なんかね、僕最初にこの問いだけ出されてたよね、壺犬に。
うん。
この問いだけ出された時に、実は違う受け取り方をしてて。
ほう。
なんかほら、ルビンの壺ってあるじゃない。
また面白そうな話を。
ルビンの壺ってよくネットで調べると出ると思うんだけど、見方を変えると違う見え方になる壺ってあるでしょ。
女の人の顔の壺みたいなやつ。
そうそう。
この優しいだけではダメですかって僕が受け取ったのと、今進んでたトークテーマでは僕全然違う捉え方をしてて、面白いなって思ったんだけど。
僕、これね、少年とか子供たちが言ってる言葉だとして捉えたんだよね、最初ね。
僕って優しいだけじゃダメですかみたいな感じ。
あー、なるほど。
そうそうそう。
あ、そっちかと思ったんだけど、そっちはそっちはすごい楽しかったし深まったし。
なんか自分は自分で一番最初にこれを優しいだけでは私はダメですかっていうのを、なんかね、そっちで捉えたんだよね。
でもトメコさんはそんな感じで言ってくれたね。
やっぱり笑顔が出ちゃうから、笑顔だけじゃなくてね、たまには厳しく指導するみたいなことも私できないといけないんだみたいなことを言ってましたね。
それはほら、指導者目線でしょ。
あー、まあそうだね、確かにね。
子供とかがさ、言ってんのかなとか、優しい自分が指導する自分ではないパターンで考えてたから、そっちの場合どうなのかなって結構考えてた自分で。
え、どうなの?そのパターンだったら。
え、いいっしょ。
てか、優しいってどんだけ難しいと思ってんの?
いやでもそうだよね、優しいって最強に素晴らしいよね。
そう、この前さ、すごい偉大な社長と話してですね、すごい有名な、でその方が今求める、社員像みたいなトークテーマになってたインタビューで、でその人が言ったのが、いいやつって言ったんだよね。
あ、わかる。
これさ、あ、こう優しいって言葉と繋がるなと思ってて、いいやつってむずいんだよね。
あー、そうか。
そう、例えばさ、かゆいとこに手が届くみたいな視点もそうだし、困ってるときにそそっと何かしてくれるとかさ、わかんない、いろんないいやつってさ、言葉からみなさん連想するじゃないですか。
それってほんと素晴らしいことだし、すっごく難しいことだと思うし、ある意味すごい力なんだと思うんだよね、僕ね。
だから優しいだけっていうか、優しいってすごいよねっていう、なんか見え方をちょっとしてみました。
わかる。
いいな。
ちょっとまた少しずれるけど、でも少しちょっと似たシンパシーを感じるから一つ話してもいいですか?
うん。
なんか、昔そのキャリアコンサルとかをしている大先輩と、自分の将来についてとかお話ししてて、
仕事において必要なスキルとかね、経験とかみたいな話をしていたときに、必要なものをその方はヨットに例えてたんですよ。
へー。
で、ヨットの魔法とかにあたるのが例えばスキルとかだったとしたら、ヨットのこの船の本体の部分って人間力だよね、とかいうようなことを言ってた。
お人柄って言ってたかな。
うん。
だから、いくらスキルがあっても、もうそのお人柄の部分、いいやつってやつだよね、たぶん。
いいやつとかお人柄っていう部分が欠けてると、船は沈没すると。
ヨットは進めないと水がタバタバタバーって入ってきて、前には進めないんだと。
もう本当に一番根底にある、自分っていう船を前に進めるために重要なのは人間力だよってそのときに先輩に言われたことをすごく覚えていて。
で、優しさってそのもう人間力の最たる部分っていうか、人との関係性において、手に入れようと思って手に入るものでもない、本当に素晴らしいものだと思うんだけど。
確かに。
そう思うともうね、宝だし、もう優しいだけでいいよねって思うよね。
そうなんだよ。
優しいって言葉は本当概念としてさ、一生探求する言葉なんだろうね。
優しいって言葉自体の意味を考えるときに、先生も地球に優しいっていう言葉とか、単語一つじゃなくていろんな言葉と掛け合わせて、こんな風に使うな、こんな風に使うなみたいな捉え方をされて。
確かにそうするとなんかちょっとずつこう解像度って上がっていくなっていう、普段どういう時に私優しいっていう言葉を使うかなとか、どういうものに対して優しいっていう言葉を使ってどういうのを使ってるかなみたいな。
見てみるのも本当に面白いなと思うし、この優しいという言葉はちょっと何度か問い直していきたい言葉でもありますね。
大人って自由じゃないの?から始まって、道徳についてとか、最近親ってどう思う?とか、修学についてとか、優しいっていう言葉に迫ってみたいとか、10問の中でたくさん向き合ってきました。どうもありがとうございました。ありがとうございました。
はい、エンディングということで、めいむさんいかがでしたでしょうか?
脳みそがもう沸騰しそうなんですよ。
いいね。
はい、もうなんか普段使わない回路がですね、つながっていく感じがすごくして、はい、すごい楽しかったし、ちょっと名残惜しい感じがあります。
たくさん学びをありがとうございました。
ありがとうございました。
大ちゃん3年目になりましたが、いかがでしたか?
やっぱ学生さん素晴らしいですね。もう未来が明るいわ。僕はもう引退します。
なんでよ。
っていうぐらい本当にこうやって考えてくれてんだなとかさ、こういう視点で過ごしてるんだなとかさ、すごい毎回感動するんだよね。
ぜひ何かできることだったらご一緒しましょう。
そうね。大ちゃん毎年この言葉を何かあったら声かけてねとかって言ってくれてるけど、これ本当だからね。その場で適当に言ってるとかかっこつけてるわけじゃなくて、大ちゃん本当だからね。
本当ですよ。
そうそう、本当だから。なんかあって思ったらね、声かけてほしいよね。あの時のっていう。
そうそう、本当本当。いつでも。
いつでもなのよ。ありがとうございます。
僕はですね、3年目になりまして、やっぱりこの収録形式をですね、時間の都合もあってってことだったんだけど、公開収録形式良かったですね。
うん、楽しそうでしたね。
あれ良かった。
本人が質問してくれて喋っているところと周りの表情が全然違ったりとかして、これちょっと嘘ついてんじゃないのみたいな感じで撮れたりとかして、とっても楽しかったなと思いました。
なんかこう一人だけってよりもね、チームで話してくれた感じがしてすごく嬉しかったし、とてもいい場だったなというふうに思います。
ぜひぜひ来年も伺えればと思っております。
松浦先生、喉を治していただいて、ぜひ今度はお声も聞かせていただきたいなというふうに思っております。
はい。
はい。
めいむん、めいむんいるの違うね、全然。
そうなのよ。
うん、ありがたいね、今年もありがとうございました。
これやっぱさ、僕とつぼけんでさ、やってさ、僕だけとかなると、全然広がり深まり違うんだね。めいむんがいることで。
私はもうリスナー代表ですから、ここにはいるけどね。ここにはなんか、これ僕たちここに座ってますけど、私ほんとリスナー代表の気持ちですから。
答えてるようなポジションだけど、本日は全部大胆に丸投げしてるからね。
いやいやいやいや、これいい。そしてあのね、10人目。
10人目。私ですね。
10人目だよ。
私。
本当にやったな。
今年もやってくれたんですよね。
やってくれたなって。
来年はどうしよっかな。
そう、絶対そうだろうなと思った。来年どうしようってもう考えた。
今からワクワクしてるでしょ。
そうだね。
どうしかけたろうみたいなね。
はい。
私も楽しかったです。ありがとうございました。
それでは、ご意見ご感想をTwitterXのハッシュタグほぼきょう、ほぼはひらがな、きょうは教育のきょうで漢字でつぶやいていただけたらとっても嬉しいです。
番組はApple PodcastとSpotifyを使っていまして、YouTube Musicにも配信しております。
再生回数だけではなくてフォローをしてもらうと番組の応援にもつながりますので、ぜひフォローもお願いいたします。
というわけで、だいちゃん最後に何か一言ありますか。
I love you。
愛をつぶやきました。
はい、質問してくれたみなさん、松浦先生本当にどうもありがとうございました。
大丈夫これ。
大丈夫でしょ。
もう一回やる?もう一回やる?
いいよ。これでいいよ。
いいよいいよいいよ。
こんなのがいいです。
というわけで。