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鎌倉市教育長 高橋洋平さんの話、まじめっちゃいいわ。
鎌倉市教育長 すっごいメモってる。
鎌倉市教育長 記者会見ぐらいメモってる。
鎌倉市教育長 それではリスタートしたいと思いまーす。
鎌倉市教育長 皆さんのお話が盛り上がってくれてとっても嬉しいです。
鎌倉市教育長 これ授業でいうとめちゃくちゃ嬉しい状態だよね。
鎌倉市教育長 嬉しいね。
鎌倉市教育長 なんで静かにしてとか言わないと静かにならない、
鎌倉市教育長 このいい状態っていう中で。
鎌倉市教育長 一番いい状態ですよ。
鎌倉市教育長 きっかけに何か生まれるかもしれないし、とっても嬉しいです。
鎌倉市教育長 ではエピソード2本目に行きます。よろしくお願いします。
鎌倉市教育長 それでは続きです。今回は鎌倉城知事に来ております、
ほぼ教育最前線公開収録、鎌倉のワクワクが止まらない、
鎌倉市教育長 高橋洋平さんに来ていただいております。
鎌倉市教育長 引き続きよろしくお願いします。
高橋洋平 よろしくお願いします。
鎌倉市教育長 いろんなお話を伺いまして、
フィラミッドを逆にするっていうお話もありますし、
スミビっていうワードがすごくよくて、まだまだ聞きたいところであるんですが、
1個、先ほどのキーワードで一番最後に言わせてもらったのが、
変革、変わってほしいっていうことを言わないって、すごく不思議だなと思いまして、
文科省にいらして、若くていらっしゃいますし、
何か新しいことにガラッと変わる、もう旧時代を変えるんだぜ、
ってなってもおかしくないなとは思うんですけど、
言わないんだって言って、大地さんそういう姿見てますか?
大地さん 感じますよ。
やっぱりこれはすごい大事だと思ってて、
僕自身ちょっとうんざりしてる話していいですか、あえて切り込んで。
今メディア見れば、何とか改革とか、何とか教育やれとか、
今こそこの時代にこの教育だとか、
僕それぞれ一つ一つはすごく大事だと思ってます、正直言うと。
でもそれを貸せられるっていう先生だったり、
その先生が貸された結果、子供たちが何を味わっているのかっていう、
今に僕は正直うんざりしてるんですね。
なんかそれを陽平さんは僕は一度もやったことを見たことはないとは思っていて、
多分そういう言葉からさっき変革ってなった時に、
違うかなっていうこのすごい良い一瞬の問い直しみたいなのがあって、
僕も好きだなって思いましたね。
言葉一つ一つにも気をつけてらっしゃるんだなということも分かりました。
そこに思想が見えてきて、もともと持っているところがね。
というわけでそんな使わない陽平さんですけど。
どうですかね、私例えば文部科学省に行った時に、
教育改革推進室専門館っていうのを命じてまして、
教育改革を仕事にしてた人の真ん中にいたんですけど、
でもやっぱり改革って使いたくないんですよね、私は。
どっちかというと改革とか変革というよりか問い直すっていう感じなのかなと思っていて、
先生たちへのリスペクトとか感謝というのは本当にあって、
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やっぱりそこをなんかAじゃなくてBだと、
これ君たちやってることがもう時代遅れだから、
これからの学びはこうなるんだからこうだっていう、
AかBかみたいな感じにしたくないんですよね。
どっちも正解でありどっちも間違いなんですよね、それって。
だからやるべきは我々が今日こういう場合みたいに対話をしながらリフレクションするっていうか、
自分自身だったりやってることっていうのを常にアップデートしていくというか、
問い直していくっていうことなんだと思ってて、
これはやっぱり改革とか変革という言い方とちょっと違う。
一個一個みんなが否定してBA、否定してBAじゃなくて、
Aというものを一周回って対話をしてみて、
問い直してみて、より良いものにしていく。
それは子どもたちがいわゆる探求をしていく。
この螺旋階段で表現される探求のプロセスと同じなんじゃないかな。
だからそこも掃除系で払わねばならないんじゃないかななんて思って仕事してます。
素敵。
実際に問い直しが起きていて、
なんか素敵な形にワクワクする形に変わったなっていうの具体なんかございますか?
そうですね。
例えば私、あんまりこれ外に行ってなかった話なんですけど、
教育長サロンっていうのをやってまして、
月に1回オンラインで夜なんですけど、
先生たちとの会話の場っていうかミーティングの場、
学びの場をやってるんですよね。
月に1回の教育長と待ち合わせ場所っていうふうに言ってて、
そこで取り上げるテーマも、
教育長がこう言ったからこうしなきゃいけないよっていうような、
例えば校長会とかそういったところで話しちゃうとそうなっちゃうじゃないですか。
そうじゃなくて、もう先生たちと同じ目線で一緒に学ぶ、
一緒に学ぶ教育長っていう姿を自分自身はそうありたいなと思ってて、
でもそこにいらしてる先生方がもうどんどんどんどん、
私の想像できないようなスピードだったり、
問い直しをですね、もう起こしてていらっしゃいます。
授業であったり、生徒指導であったり、そんな感じです。
じゃあ、問い直しをせねばならないんだ。
先生方は問い直しをしなさい。
問い直しをしなさいでは全くない。
ではないね。そんなことを押し付けられてもわくわくしないですよね。
だからその湧き上がってくるような場をどう作るかっていうことなのかなと思ってて、
教育の文脈だととにかく支援とか、リソースが足りないとかいろいろ言われる。
それはそれでやっぱり大事な仕事なんで私もやるんですけど、
最近は支援っていうことじゃなくて、やっぱり場の力。
今日は城知事ってこの場を使ってますけど、
ここで鎌倉ウルトラプログラムっていうですね、
学校に行きづらい子どもたちの学びの場をここでやったんですけども、
ここの場の持つ力で子どもたちどんどん短期を深めていくんですよね。
こっちが何か教え込もうとか、この子どもたちをこういうふうに育てようとかっていうのを、
そういうのがおこがましいっていうふうなことをまず自分自身問い直さなきゃいけないなって思った、
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私は経験でしたね。
エピソード一つ目で言ってくださった逆錯角形がまたすごく聞いてくるなと思って、
今結構子どもたちの自分たちの学ぶ力を信じて、
一緒に競争していくんだっていう、
共同的な学びを作っていくんだっていう形になってますけど、
一緒に仲間である先生方にもそういう気持ちを持ってらっしゃる。
そうなんですよね。
それはまさにそうで、
相似形っていうキーワードは教育学の世界で今まで同型性と言われたりして、
そんな新しい考え方じゃなくて、今までずっと言われてきていて、
この度中央教育審議会とかNITSっていう教職員支援機構とかで、
相似形っていうのが今すごく打ち出されてキーワードになっていってるんですけど、
それはどっちかというと、
子どもたちの学びと先生たちの学びって相似形だよねっていう文脈で語られるんですけど、
それはさらに教育庁とか教育委員会にも私は発展していけると思っていて、
教育庁と指導主事、あるいは教育庁と先生方っていうのの学び方も相似形であらないといけない。
さらに言うと、今日は結構先生方だけじゃなくて、
いろんな立場の豊かな鎌倉ゆかりの方やお二人ゆかりの方集まってくださってると思うんですけど、
こういった皆さんもはやもう探究的な学びをしてらっしゃるじゃないですか。
さらにいくと社会全体とか地域社会が、
そういった豊かな探究だったり学びの場になってくっていうのは、
一人一人のウェルビングとか豊かさっていう観点でも大事な相似形なのかなっていう。
なので子ども真ん中社会なんて言われるのも、
子どもの意見聞きましょうとか、子どもの政策を大事にしましょうっていう考え方だけじゃなくて、
そこは私は子どもから出発するっていうか、
子ども主導、あるいは子ども主体にするっていうような意味合いで考えると、
さらに相似形っていうのの味わいが深まるのかななんて思ったりしてます。
本当そうですよね。教育長ってお立場ですから学びのことを聞いてますし、
教育のことを聞いてますけど、会社でもそうじゃないですか。
あんまり上司がこうやってやるんだっていう、もちろん大切な時もありますし、
それでうまくいくシステムたくさんあると思うんですけど、
一緒に問い直してくれるっていう方がいたらいいチームになったりしますもんね。
大地は一緒に働いていて、具体的に、なるほどこんなふうに問い直していくんだとか、
こんなふうに良くなっていくんだって感じたものがもしあれば。
感じた話とちょっとずれるかもしれないんですけど、
僕改めて大事だなって思ったことがあって、
それは陽平さんの行動から僕は学んだのは、承認ですね。承認。
例えば学校で言えば、今すでにいろいろやってくださっている先生方、
本当にありがとうございますというか感謝と、
あとは今すでに子どもたちを笑顔で迎え入れて、
笑顔で送り返すって仕事を日々先生方されてると思うんですけど、
それに対する本当にそれだけで十分ありがたいっていう気持ちとかを、
陽平さんは多分就任メッセージで学校向けに発信したと思うんですよね。
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すごいそれは学びになって、さっき言ったサロンですよね。
今ここの場に来てくださっている方で参加している方もいるんですが、
先生方のサロンの場でも、やっぱり承認が陽平さんの中にもうあるんですよ。
そうすると、なぜか学びたくなってくる生き物我々っていうのはすごく感じていて、
いいかお前、今お前は授業力足らないんだと。
だから学べよって言われるのか、いや本当にいつもありがとうございますと、
本当にこういう場に来てくれてすごい嬉しいですよとか言ってたらなんかこうやっちゃろうってなる。
これって多分いろんな場面で見れると思うんですよ。
一般企業でもそうですよね。社員さんとのこの上司との関係もそうだし、
僕なんか今育児絶賛悩み中なんですけども、やっぱりその承認っていうのが、
僕は鎌倉こうやって関わっていてすごく感じて、そうすると学びたくなってくる。
だからさっき場って言ったじゃないですか、陽平さんが。
それは僕場って大事だと思って、僕は環境って言うんですよね。
学びたくなる環境をどれだけ作るか。
あとは信じる、委ねるみたいにしてるのを僕はひしひしと感じるんですね。
だから問い直しが起こるっていう、そのロジックわかりますかね。
だから問い直しをさせるじゃなくて、そういう場、環境があれば問い直しが起こるよねっていう、
ある意味信じて待つ、委ねるっていうスタンスが、それを起こす点じゃないかなっていうふうに思いましたね。
いやいや、私がそれできてるかって置いといてももう共感しかない、今の話はもう。
やっぱり子どもたちってもっともっとワクワクって持ってるじゃないですか。
赤ちゃんもこういろいろなものを口の中に入れたりして、何か知りたいとか学びたいっていう内発的度を築けて、
持ってるんだけど、レイチェル・カーソンとかいうようにそのワクワク感って大人になるにつれてなくなってっちゃうんだよね。
それはなんかやっぱり勇気をくじかれたりとか、退屈さっていう壁にぶち当たったりする。
その時にどう乗り越えられるかっていうのは第一に言えば環境の力なんだと思っていて、
いろんな人との関係性で承認し合えるっていうことだったりとか、
自分がちょっと頑張れば何とかいけるかなっていうような良い頃合いの課題感であったりとか、
または自分で掴み取っているという感触だったり、そういうふうな仕掛けをですね、環境の中にビルトインするって、
そういうのが本当の学びのプロなんじゃないかなと。
なので、教えるプロっていうんじゃなくて、学びそのもののプロに教育長であったり、指導主事であったり、教員はなっていかなきゃいけないんだろうなーなんて思って。
素敵。
僕、ちょっと全然違う話なんですけど、声が好きなんですよ。
いやー、イケボ。
あのね、そうそう、低音がありつつも高音も混ざっていて、リッチな声っていうね、沢田くんね、そんな感じがする。
初めて聞いた。すごい学び。
声ももちろんそうなんですけど、やっぱ姿勢なんですよね。
あり方だなというふうに思っていて、チームにいてほしい。もちろんリーダーとしてもいてほしいし、いてほしい方だなっていうふうに。
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なんかね、承認してくれる人がいたらいいじゃないですか。一人いたら。っていうふうに僕はすごく感じたんですけど、
ご自身としてはそういう姿勢であったりとか、だって別に長だから引っ張っていたっていいわけじゃないですか。
どういうところで培われてもらったんですか。
そうですね。やっぱり福島県にいたときかなと思うんですよね。文科省にいたときはどっちかというとそっち系だったかなって。
引っ張っていこう。
引っ張っていこうっていう感じで。やっぱり福島県に行ってガラッと変わったなと思って。
それは復興の仕事をしてたっていうのも、放射線の影響で避難してた学校を地元に戻すとか、そういうふうな仕事をしてたんですけど、
そういう仕事をする中で、やっぱり何だろうな。復興って学校が戻れば復興っていうことにある意味ではされちゃうんだけど、
本当の意味ではそれぞれの被災した人たちが、今回のノトの方でも絶対そうなると思うんだけど、
やっぱり自分の足で掴み取っていく復興じゃないと本当の復興にならないんだよね。
誰かから降ろされた、いい感じはここまで行ったから復興だね。はいおしまい支援は終わりっていう話では、復興したとは言えない。
色とりどりの復興があるんですよ。
やっぱりこう、また家族と一緒に住めたらとか、何とか地元に戻って海に入れたらとか、そういう一人一人の願いがあって、それが叶ったときに本当の復興になる。
それをやるのはこっちじゃないんですよね。やっぱり教育者の側じゃないんですよね。
それやるのは子どもたちであり、先生たちであり、被災した人たち一人一人、その人たちの復興の過程を支えるっていう仕事をしたときに、自分の中で問い直しっていうか、マインドセットが変わったのかな。
なので、文科省が言ってることってすごく正しくて、そういう作文をいっぱいしてきたんですけど、その書いた正しいことを本当に正しいものにする。
これは結構時間かかるし大変なことなんですけど、そういうことをやりたくて、鎌倉市の教育長で仕事もお引き受けしたというところがあります。
なるほど。福島との関わりもあったそうですよ。
福島の話出しちゃいましょうかね。先週行ってきた福島の学校さん、これ許可取ってるんで、学校名は出さないんですけど、ある学校があって、もう最高なんですよ。
その学校は僕初めて行った日にですね、校長先生がいきなりうちの先生方ね、素晴らしいんですよって言ってきて、教室まわりましょうって言われて、まず1年生教室行ったらですね、その校長先生は、
この1年生の先生こういうとこいつもやってくれててありがたいんだって言ったら、1年生の先生がバーッと来て、校長先生うちのクラスのこの子ね、これすごい頑張ったんです見てくださいって言って、なんかこの承認合戦みたいなのが起きるわけですよ。
で、全クラスやったのそれ。しかもやらせなしで。僕急に行ってるんで。で、その学校はやりたいってことはたくさんあったんだけど、なかなかアップデート自体は進んでいなかったって皆さんおっしゃっていて、
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で、やりたいこと一緒に探そうっていう段階も僕は関わったんですね。で、もう承認はあったんですよ。で、今先週行ったときにどうなったかっていうと、教育すごいアップデートされてるんですね。
で、これは校長先生がこれやれなんか一言も言ってないし、教育委員会からこういうのをやれよとも言われてないんですよ。でもその学校はいわゆるその僕があんま好きじゃない教育改革で言われてることは今どんどん進んでるんですね。
これすごいヒントになったなと思っていて、わくわくしてるんですよ。でもやらされてないんですよ。でも結果としては文科省が示すことにちゃんとたどり着いてる。
でもこれはやれって言われたわけじゃない。絶妙なバランスみたいのが福島で感じたなっていうのが、今福島っていうワードが来て言っちゃった。
それは福島の県民性みたいなことなのか、震災があったからってことなのか、何が違うんだろう他のところと。
いや違くないんじゃないですか。
違くないんだ。
だからもし学校のアップデートとかが進んでないとしたら多分何か止められている原因が僕はあると思っていて、しかもそれ誰も悪くないんですよ。
保護者も悪くないし、地域の方も悪くないし、先生方も悪くないし、管理職も悪くないし、子どもも悪くなくて、なんかシステム的なところで何かがあるんですよね。
これは毎回毎回僕学校行くたびに思っていて、その何かが発見できたときみんなすごい嬉しいんですよ。それであっという間に承認さえあればガラッと動くんですよね。
なんかワクワクっていうのとこの変われっていうこの相性の悪さというか、やっぱり変われがワクワクを止めているという側面が何かあるんじゃないかなっていうふうに感じるので、何か福島だからとかでもないかなっていう。
なんか承認がすごくテーマになってきたのでお話ししたいんですけど、大ちゃんも承認感謝っていうのを本当にテーマに最近してるように見るんだけど、それは同じような意味ですか。
同じです。
どういう時にもう承認だな、今は承認モードでいなければいけないんだっていうのはどういう時にしてる。
難しいな、その学校を回るとき話で言えば、もう先生方がその場にいるだけでどれだけありがたいかっていうのもあるし、子どもたちが本当にここに来てくれるだけでありがたいっていうのがなんかあるから、だから承認したいってよりかは勝手にこう承認するっていうようにだんだん慣れてきたんですよね。
やっぱりそれっていい学校とか本当に僕が好きだなと思う学校行けば行くほどそういうふうに先生方されてるから、僕はそれでこう学んだ感じですかね。
なんかね、こう大ちゃん学校回ってくれてるじゃないですか、鎌倉の学校回ってくれたりとか、何ですかね、大ちゃんが行く場所ってこう心理的安全性がね、高まるんですよね。
なんかやっぱり学校ってどっちかというとこう外から誰か知らない人が入ってきたらちょっと構えちゃうようなところある場所なんだと思うんですけど、それで大ちゃん今全国の学校回ってて、スーッと入ってくるんですよね。
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これはなんかすごいね、ご自身もカップラーメンとか言ってるけど、なんかカップラーメン、なんか美味しい、めちゃめちゃ高級なフランス料理みたいな感じじゃなくて、こうフランクなね、美味しい素材をこう提供するっていうようなことなんだと思うんですけど、
それってすごく私大事だなと思ってて、何でも言い合えるとか、いろんなアイディア出せるとか、ある意味では枠を外して議論できる、こうやったらこう予算側とか誰かに怒られるんじゃないかとかそういう心配がない場を作っていく。
それはなんか承認と合わせて大事なんだろうなと思って、それをね、大ちゃんがやってるなって僕は逆に見てます。
ラジオで伝わらない、語っただけでコントラピーが伝わった。
ほらほらって。
じゃあせっかくなんで、洋平さんから大ちゃんが鎌倉にしてくれてることってあんま聞きたくないんですけど、聞いちゃいましょうかね。
いやもう大ちゃんにはですね、さっき逆ピラミッドって話したんですけど、あれをやってもらってるってことなんですけど、先生たちを支え助け励ます存在っていうんですかね。
だからなんかよくこう、ある意味ではコンサルティングとか言って、外から、いやこの他の地域ではこんなことやってますよとか、未来の教え方はこうですよとかって、
先生たちに新たなものを持ってきて研修させようっていうことじゃなくて、先生たち自身がもう持っているものを引き出すっていうのかな。
あるいは問い直すっていう、そういう場であったり、気づきを与えてくれてる存在。
具体的には学校回ってもらって先生たちと対話したり、校長先生と話したりとか、そういうことなんだけど、ワークショップ持ったりとか。
でも本質はそっち。
支え助け励ますというか伴奏してるっていうことかな。
これでもさっきから議論してる学びの本質に近いと思う。
先生たちがやっぱり気づいていったり変わっていったりするものなので、それを押し付けるんじゃなくて引き出すっていう。
もうすでにね、答えはね、自分の中にあるんですよね。
それぞれの中にあるんです。
それを引き出す、お手伝いをしてくれてるって感じ。
伝わるかなこれ。
聞いたいな。
聞いたい。ちゃんと聞いたいよ。
今答えは自分の中にあるっていうのは僕すごいヒントだと思っていて、教育改革を歌う皆さんに僕ぜひ届いてほしいなって思うんですけど、
例えばね、個別最適な学びと共同的な学び。
子供にハンドルを持ってもらって子供が自分で自己決定しながら進める学びって今メディアとかで見ませんかよく。
で、教育関係の方は多分そういう通知が来たりとかするんですけど、そういうのってあたかも新しい学び。
例えばベテランの方はやったことない学びだから学べみたいな感じで言われることもあるんですよ。
僕ほんと違うなと思っていて、そういう学びはきっとその先生方の中にあるんですよ。
あの時にこういう学びやったなとか、昔やったあの授業ってそういうことかなとか、
まるで自分の経験の中から宝物を探すかのようなアプローチを僕はお勧めしたいんですね。
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だから新しい学び学べじゃなくて、皆さんの中にもしかしたらそういう経験あるかもしれないって言ってちょっと探してみませんかってある意味リフレクション的な感じですよね。
で探すとあるんですよ。僕なかったこと一回もない。先生方と話していて。
一回もない。
一回もない。
一回もない。
で、言い切れるね。
言い切っちゃう。
で、この前62歳のベテランの方がこれまでやったことなかった、まあ過小ですけど自由心の学習を1日でマスターしたんですね。
その理由はあの時にあったあの子供に委ねた経験かなって出した瞬間にめっちゃ嬉しいんですよ。私最先端やってるじゃんって。
コネクトした。
しちゃうんですよ。
なるほどね。
なんだそういうことかって。
で、自分の中から探して見つかった瞬間のこの嬉しい気持ちとかよしやろうっていうワクワク感を最大化するだけなんですよ。
なるほど。
だからやれって落とされても私と関係ないってなっちゃうけど、皆さんの中にそういう経験ありませんかっていう宝探しをして見つけたものこそがいわば教育改革になるよ結果的にって僕は言いたい。
いや、すっごいよくわかった。
なんかその変革じゃないよね変換じゃないよねっていうのが何かこう新しいものを何か輸入してきてじゃあここからスイッチパン変わりますよじゃないんだね。
もともとある。だってもう子供とその62歳の方をずっと向き合ってきたんだもん。
そうですそうです。
っていうことなんだ。
そうです。
必ずあると。
絶対ある。
それはちょっと勇気になりますね。
いやすごい共感できる。
鎌倉もすごく子供中心というか子供のことを真ん中に据えて考えてきた地域だったりとか先生たちの実績がいっぱいあるのでそこをなんていうかその宝物を引き出していくっていう感覚なので本当近いものがあるなと思って。
でさらに言うとこれ城知事なんで言うんですけど三門って皆様通ってきた門があったと思うんですけどそこにですねなんとちょっとなんか出来レースっぽいんですけど宝書在近って書いてあるんですよ。
宝のところはあるよ近くにって書いてあるんですよ。
これはまあ善の言葉でしっかり修行を積めば極楽浄土に近づけるというかまあそういうふうなあのいいなんですがただまあ私の捉え方としてはやっぱりまあすでに答えというか宝物は自分の中にあってそれをこうまあ気づき問い直していくそういうのがこれからの学びの姿かなというふうに思っていてこの歴史ある城知事でこれからの学びの姿を感じるようなものでもあるんだろうな。
って思ったりしました。
そうなんですよ。
だからこの前島根県のある先生が僕に相談をしてきてで今カリクラマネジメントあのカリクラマネジメントって言ってですねまあ教育課程を地域社会に開こうよっていうそれで教育課程をもう工夫してこうねみたいのがあるんですよ。
教育委員会から降りてきていや大変なんでやったことないしって言って僕聞いたんですねなんかこれまでやったことで楽しかったことを教えてくださいって言っていやでも私やったことあるのはなんか地域の方と一緒に野菜育ててで野菜を育てたのをなんかどうやって売ればいいのかなっていうのを子どもたちを考えてで地域の方と連携をして聞いてみたらうちのこういう場でフェス開きますかってフェス開いたんだよねでそこで売り上げたお金を学校教育の中で活かしてさらにまた地域に還元していくこれぐらいしかないなーってね。
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最高すぎるそれ何それ。
ええとか言うの。
うん。
その時なんか教科とかで関連させました。いやそう国語でお手紙書いたのを使ってとか社会で学んだことを地域でっていうのを活かしたりで音楽でやったことをとかやってそれそれそれそれ。
うん。
ああそうなの私すごいってなって。
私すごいよ。
その瞬間なんかこう嬉しいお互い嬉しいって。
うん。
なんかなんかその大地の話聞いてて思ったのがなんていうのかなまあ中央教育審議会で個別最適な学びと言われましたさあこれをやろうっていうのってなんかコルトハーヘンっていう人が言ってるやつの大文字の理論ってやつなんですよね。
まあ文章にこう書いてあってこれを実践にするってまあそうじゃなくて小文字の理論っていうのはこれがまた大事で先生たちの実践の中から理論が生まれてくる。
そっちが本当にまあ研修の世界でいくと転移っていうふうにして実践に結びついてくるんだよね。
これまあ理論と実践の王冠ってねこう教育学で言ったりするんだけれども小文字の理論が大事なんですよね。
小文字の理論って一人でやっぱ導き出せないんですよね。
対話とリフレクションをしてその日々の実践というのが理論化されていく。
まあそれをね大地さんがお手伝いしてくれてる。
さらに言えばねもう自由シンドムとかもう図工の時間とかはね先生方小学校ではねやってるわけじゃない。
だからそういうところからもう既に気づきてもうある。
いやでもなんか先生方特に小学校の先生って全教官もいただいてますし一人でクラスを受け持つっていう認識の方もたくさんいらっしゃるかもしれないですけどね。
このまわりの方と一緒にしかも承認してくださる方が近くにいてまた大地ちゃんみたいな人が一緒に持ち上げてくれたりとかして
それに何か宝物を見つけられたらすごい良いかもしれないね。
そうそう。そうすれば子どもたちにも届くわけですよ。
先生方が自分に自信持ってハッピーに働いてくれればそれは子どもたちに帰っていくんですよね。
ね でそれでチャレンジがまたどんどんワクワクと先生方が起きてくるとそのロールモデルに子供憧れる
で子供たちもどんどん学ぶようになるっていうなんかそういうサイクルがなんかあるん じゃないかなって思いましたね
もう何度も言うけど学校だけじゃないは本当に会社もそうだと思う 報所在近だからのところは近くにある自分の中にあるって思いながらちょっともう1回帰る
時に見てから帰ろうかなと思いますありがとうございます まだまだ質問はあるんですけれども僕からの質問は一旦以上とさせていただきます
この後はですねこの会場の中にいらっしゃる素敵なリスナーの方々からの質問にお答え していただきたいと思います
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それでは一旦以上になりますありがとうございますございます