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竜野です。この番組、喫茶ホボハチは、喫茶店好きの2人が送る、気になること、日々のあれこれを取り留めもなく話す、喫茶店のお供フォトキャストです。
今週も、コーヒーのお供に聞いていただければと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
西の方から帰ってまいりました。今ね、この収録してる時は、2日間ぐらいは名古屋に滞在しているので、
名古屋から送るし、また明日から小田原、鎌倉、東京と東の方に攻め入りますけども、ここ1週間ぐらいかな。
広島の方で用事がある。それに合わせて、前後いろいろくっつけて、僕の愛車ヒロスで、わっさーっと赤山行って、
広島の尾道行って、そっから島並海道を渡って、あれは愛媛の今治か、今治行って、そっから、
四国の上の海岸線、北側の海岸線をダラダラと走って、香川県高松まで行って、そっから淡路島を渡って、
大阪ちょろっと寄って、で、名古屋に帰ってくると。そんな1週間でした。
もうね、話したいことがたくさん溜まっておりますけども、これはまたちょっとね、
来週翔太郎くんが帰ってきた時に、もろもろ報告しようかなと思いますので、また来週もね、お楽しみにしておいてください。
ということでですね、そうなんですよ。翔太郎、今週もお休みです。
で、僕とあつまはですね、1人でお喋りするはずもなく、今週もお客様に来ていただいております。
ありがたい。非常にありがたい。翔太郎がお休みといえば、あやつが来るぞというところですかね。
誰か思い浮かぶんですかね。また今週もね、楽しいコンテンツ界といいますか、
映画についてちょっとお話ししようかなと思っておりますので、どうぞお楽しみに。
ということで、今週もコーヒーいっぱいほどお付き合いください。
たっぷりって言ったら米だぞ。生クリーム別で食べとるな。名古屋弁で喋っとるらしい。脳がバグっちゃう。
ということで、今週もお客様お二人来ていただいております。いらっしゃいませ。自己紹介をお願いいたします。
心のすなじというポッドキャスト番組をやっております。シャーク君です。
お世話になっております。いらっしゃいませ。
お世話になっております。
そしてそして。
東京カブレというポッドキャストをやっております。春平でございます。
いらっしゃいませ。
お世話になります。
いらっしゃいませ。
ということで、今週もお客様とお送りしますよ。
シャーク君は何度か来ていただいたので、ポチポチなじみのあるマドラーさん方多いかと思いますけども、春平の方は初登場ということで。
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東京カブレツイッターはやってないんだっけ?ツイッターもやってる?
そうですよね。ツイッターやってなくて。やります。今日から。
今日からやる?
今日から始めます。
インスタはちょっとやってますけど。
僕らの方でツイッターとかでスペースとかやるときはあんまり今までは登場してこなかったけども。
時期ね、SNSの方でも絡めるかと思いますので。
インスタも東京カブレやってますからね。
おしゃれアイコンの人たちね。
はい。おしゃれアイコンのままで。
おしゃれアイコン。
ただ内実はもうおしゃれとは程遠いような内容を日々お届けしているような次第でございます。
最新のやつ二重に一石投じ取ったからヒヤッとしたもんな。
そうですね。
日本の立て継いではいけない日本のアイドルにちょっと立て継ぎかけてるという。
どこに石投げとるか。
危険さもあるかもしれない。
チョップスティックがなんなんやみたいな話だろ?
あ、そうです。チョップスティック。どういう歌かわかります?聞かずして。
わからへん。
箸の歌やんな。
箸の歌で、多分二重のことやから恋愛やろうと。
いろいろポッドキャスト内でも考察したんですけど、答えを見まして。
サビの歌詞に唯一一行だけらしき文言を見つかったんですけど、
チョップスティックのように一本だけじゃ使えないよねみたいな。
日本だったら、お箸のように使わず離れずみたいなメッセージだったらしい。
へー。
ちょっとわかりにくいかなって思って。
あんまわからへんな。そういう話をしてると。
今回お呼びしたのはですね、映画の話をしたいなというところで、
ご存知の通り、鬼コンテンツポッドキャストの心の隣のシャックくんとですね、
しゅんぺいはですね、ここ2年ぐらい、映画オブザイヤーが被るという奇跡を見せました。
まさかの事態ですよね。そうなんですよね。
これはもう、呼んで話すしかなかろうと。やるしかなかろうということで。
呼ばれさせていただきました。
昨年で言うとミッドナインティーズ。
そう、ミッドナインティーズ。
あれは10月時点で決まってましたね、2020の映画オブザイヤー。
決まってた。
決まってたね。
今年は10月あたりに喋った時は少年の君だったんだよね。
はい、大名作でございましたね。
あれは香港映画ですか?
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中国じゃないですか、多分。
本土かな。
中国か。
大陸かな。
本土あたりの。
中華圏の映画で。
で、その時話した時に、サウンドオブメタルっていう映画を勧めてもらって、これ見たらもう来ましたね。
いや間違いないですよね。本当にだから映画館で見てもらいたいというような映画が多いんですよ。
あーそうね。
これ今ね、劇場もぼちぼち公開しているところが増えているかな。
俺見た時は渋谷とあとちょろっとしか行ってなかったけど、また最近見たらね、11月19日あたりに公開し始めたところが結構あって。
あーほんと。
なので、もちろんね、このポッドキャストを聞いて見に行っていただくもよしですし、見てきて聞くもよしですし、そういうことで楽しんでいただければというところで、
早速ちょっと僕の方からサウンドオブメタルの概要だけ紹介させていただいて、その後ザックバランにって感じで。
やりますかザックバランに。
ザックバランってあんま言わんし、あんま何かも分かってないね。ザックとバランで分かれるのか。
あれ何で分かれるのかわからん単語だね。
バランやろ。
バランってあのスーパーの寿司に入ってるやつだよな。
そうそう分けるための。ザックとバランで分かれてるから。
ザックは誰なの?
ザックはあれですかね、元日本代表監督ザッケローに。
相性だな。
ザッケローにの相性ね。
めちゃめちゃ。
メンバー固定しがちやったなあいつな。
そうね、あんま試すとかもあんませんかったしね。
確かにそれで言うとバランも何かを何かある場所に固定するために使ってるっていうことなんでね。
そういうことか。
なるほどね。
どうでもええ、ちょっとお題行こう。
どうでもええ。
どうでもええ、ほんまにどうでもええ。
サウンドメタルのあらすじですね。
突如南朝になったドラマーのルーベンは、一緒にバンドを組む恋人ルーに南朝社のコミュニティに連れて行かれる。
南朝であることをハンデとして捉えていないコミュニティの人々と過ごしながらも、
その現実を受け入れることの難しさに直面するルーベンは、自分の人生を前に進めるためにある決断をする。
人生の挫折、再生を描きながらその主人公の人生を擬似体験できる秀逸な感動作。
この作品ですね、アマゾンプライムビデオで実はですね、去年ですね、2020年12月4日から配信してまして、
去年のアカデミー賞第93回アカデミー賞6部門ノミネート編集賞と音響賞の2部門賞。
で、日本国内では今年の10月から順次劇場公開というところで、そんな作品なんですけども、
もうアカデミーの編集と音響を取ってて、ある程度の質というかクオリティを担保されているというところで、
09:08
突如判例を背負ってしまう青年がどう向き合って、どう超えるというか、受け入れるかみたいな話だったんですけど。
素晴らしかったですね。
俺は旬平は劇場で見た。
配信で1回見て、劇場でも1回見ましたね。
シャア君は?
配信されてすぐ見て、この間劇場で1回見た。
みんなどっちでも見た。
同じですね。
これやっぱり劇場で見る作品だったよね。
そうですね。
配信だとヘッドホンで聞いてみると結構音響感が面白いから、みたいな。ヘッドホンで見るといいかもしれないですね。
そうね。主観の聴覚というすごい不思議な体験で、中で青年の聴覚に入るんだよね。説明がめちゃめちゃ難しいけど。
そのなんちゅうの人がこう聞こえているかもしれないな、みたいな音が何度か挟まって。
だから、あのシーンとかで他の音が入らないような環境で見るとより楽しめそうね。
そうですね。やっぱり映画館で見たら、彼が抱える苦悩とか混乱とか孤独みたいなものが本当に追体験するというか。
なんか本当に人事のように思えないようなぐらい接近する感覚がありましたね。
これあり得る話やんってめちゃめちゃ思ったもんね。
そうね。
結構なパンチラインというか名シーンが多々あったと思うんだけど、ここ喰らったわーみたいなシーンある?
僕2つあるんですけど、1個はこの映画すごい対話だなってめちゃ思ったんですけど、
いわゆる対話でイメージするのって言葉を返してコミュニケーションなんですけど、
たぶん聴覚障害になった時って手話であったり、もしくは口を読むみたいな言葉は返さないんですけど、
1個あったシーンとかでも滑り台をどんどん叩きながら子供と意思疎通をするみたいなところ。
ここもやっぱり何ですかね、ただの天気の話とか、心を介したコミュニケーションが取られてるような気がして。
なるほど。
そこがすごくまず印象的でしたね。
あのシーン、こうきっかけにルーベン主人公が心を開くというか、受け入れ始める、ちゃんと向き合い始めるみたいなところで、
あの金属叩く感じ、滑り台叩く感じ、これサウンドオブメタルなのかもしれないなと。
12:02
そうね。
確かにね、メタルですからね。
あれ分かったね。
そういうマイクというのは確かにね。
これ多分本当にその辺の感じは意識して作ってるんじゃないかな。
もう一個も言っちゃっていいですか。
これ結構エンディングの方の話なんですけど。
はいはい。
結構これネタバレもしちゃって申し訳ないんですけど。
じゃあもうネタバレNOの方は一旦止めてここで劇場に足を運ぶかアマプラ開いてもらって、OKの人はこのまま再生していただいて。
いいですか、言っちゃいますね。
どうぞどうぞ。
最後ルーメンがいろいろあって、カウンセリングを出て元カノのルーのところに向かうわけですよね。
でインターホン押したら、ルーって何語でしたっけ。
フランス語だね。
フランス語かな。
フランス語ですね。
フランス語のインターホンでフランス語が出てきて、そこでルーメンは聞き取れないみたいなところがまず一個フリとしてあって。
でもその後にルーがフランス語で歌を歌うときに何かしらかを悟ったようなフリをするルーメンみたいな、そこのフリと回収みたいなところもそうですし。
あとはもうその一連のシーンの中でルーにひっかき傷がなくなってたんですけど、その後にルーメンと二人一緒に気になったときに、ルーがおもむろにひっかき出してしまうところの回収みたいな。
そのエンディング一連のそのフリと回収と、その後の一番最後のラストシーンに向けての、なんですかね、あっこがもう見事すぎて、これ2回目見たっけ思ったんですけど、もうちょっとなんか並行してスクリーンにとどまらざるを得なかったですね。
フランスに舞台というか場所が変わって、そもそも音が聞こえなかったところはあったんだけど、次今度は言語がわからないっていう、ある種どっちもねコミュニケーションのハードルではあるんだけど、実はちょっとそこには差があって、みたいなところとか。
最後は畳み掛けるように畳み掛けてきて、ゼックというか釘付けだったね。
見事でしたね。
あの辺も秀逸だったね。
最後も良かったですね。
これシャークポイントとしては。
結構その全体、シーンで言うとラストの出しっていうのもあるけども、全体の流れが結構面白かったなぁとは思っていて。
思ってるようなストーリー展開じゃなかったっていうのは、多分聴覚を失ってっていう感じで、ある程度そこじゃない最期を描いていくみたいなさ。
新しい道を見つけていくっていうのが多分王道のストーリーテリングとしてあると思うんだけども。
そこがあまり一筋縄ではいかないっていうところが、やっぱりこの映画がすごく面白いところの一つだと思っていて。
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特にこの人が重要なセリフを言うだろうなっていう感じの人が結構序盤から出てくるんだけども。
そこが本当に主人公に対してはどこまでそうしたセリフとか重要なことを話してくれる人に対して理解してるのかっていうところが、
僕が見てる限りではちょっと分かりきらないところがあって、そこが面白いって感じかな。
観客には提示されているけれども、キャラクターにはどこまでなんか分からないっていうところが、
余白に広さというか、そこがすごくある映画だなと思って。
そういったところで言うと、やっぱりあるコミュニティみたいなところに主人公が始めに向かうことになるんだけど、
そこで何にもない部屋を用意するから、そこにいて座るだけでいいみたいなことを言われるんだけど、
やっぱりあそこを繰り返される何にもなくて紙とペンだけしかない部屋っていうところのシーンがすごく残るというか、
いろんなものを象徴しているし、あのシーンすごいいいなと思います。
余白というか、ちょっと分からないところを残すことで考えしろというか、そこに自分との重ねしろみたいなところも結構ありそうな感じがしてて。
そうだね。だからこの聴覚というのをどう捉えるのかっていうのは本当に解釈の幅がめちゃめちゃ広いことだと思うんですよね。
何かを失っていくっていう、喪失っていうことではあるんだけども、
僕は若さみたいなのを失っていくみたいな感じでもあるんだろうなっていうふうに解釈したし、
そこがもっと恋人との関係とかにフォーカスするのであればそういったところ、恋愛とかの気持ちっていうふうにも捉えれるだろうし、
まあそこも若さっていうところで語られるかなと思うんだけども。
ただ音が聞こえなくなったっていう、ただって言っちゃいけないんだけども、
聴覚を失った人の話っていうんじゃない、哲学的なコミュニケーション、対話の中で失ってしまうものとか、そういった取り方もできるし。
そこが面白いところなんだ。映画たるゆえんっていうところ。映画しかできない表現なんじゃないですかね。
テーマというか、主題もそうだけど、これの日本のポスターのキャッチコピーが聞こえたのは希望か絶望かっていう。
これがすごい秀逸だなと思って。
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確かにですね。
彼が耳にしたのは喪失か希望か。
そうそう、喪失か希望か。
さっきしゅんぺいが言ってた滑り台のシーンは、実際音が聞こえてたわけじゃないけど、その滑り台を叩く振動を返して音を感じて、
ちょっとずつ心を開いていけるようなシーン。
言ったらそこはある種前向きになれる希望みたいなきっかけだったなって思うところと、
あと最後の方のシーンで恋人のルーがフランス語で歌う音を補聴器を返して聞くタイミングで、
補聴器を返すからあまりきれいには聞こえないんだけど、その歌を聞くタイミングでまたちょっと心が違う方向に向いて、
それがある種喪失だったのかなっていうふうに思う。
見た後にまたポスターを見返した時の、こういうことだったのかっていう腹落ちがすごかった。
喪失で言うと、勝手に未来とか将来の可能性を全て失ってしまったと思ってしまっているわけですね。
それゆえの苦悩が戸惑いがあるみたいな。
そこでやっぱり希望みたいなところにつなげられたのがルーベンのキャパ?
キャパって言うんですか?ですよね。
前向かなきゃというか、未来向かなきゃみたいなふうに思わされたきっかけみたいなのが最後の方のシーンだったのかなっていうのもあるし、
ルーベンが施設を出て行く時、施設の方針としては、難聴であることはハンデじゃない、直すことじゃない。
ある種ちょっと個性みたいな捉え方をして、一緒に生きていくんだっていうようなスタンスでコミュニティを運営している。
ルーベンはそれでもなんとかしなきゃいけないってことで、自分でお金払って手術受けて補聴器使って音を感じられるようにするんだよね。
それでコミュニティから出ていくことになった時のシーンがすごい印象的で、
ルーベンが誰もが俺の人生を守ってクリアしない。
ここにこのコミュニティって何が残るって、時間だけは過ぎていくんじゃないかっていうところで、
それまでは結構コミュニティが着実に居心地のいいところになりつつ、あったところに自分で歯止めをかけて、
もう一回自分の人生見つめ直して、こうしたいんだみたいなところで、どうなるかわからんけど一歩大きく踏み出した感じ?
それを受け止める施設の人?ちょっと名前忘れちゃったけど。
さっきシャアくんが言った紙とペンとその他何もない空間で、
部屋で自分の思い考えていることをただ書き出しなさいっていう課題が与えられた時に、
最終それやっている時に何を感じたんだみたいなことを言われて、
21:01
その時に静寂を感じたんじゃないかみたいなことを。
世界は時に残酷だけど、その静寂の中に平穏があるから、そこは決して君を見捨てないんじゃないかみたいなことを言うんだけど、
この何と言うか、わりとほとんど聞こえない状態の中で、さらに静寂を見つけたんじゃないかって投げかけるのもすげえなと思って。
聞こえないことだけが静寂じゃないし、
それこそ、きっと多分この施設の人が言ってたようにルーベンも感じてて、そこにルーベンなりの平穏を見つけていて、
これで最後のシーンに繋がっていくんだろうなと。
この最後のシーンに繋がるところでもまたハッとなって。
そうっすよねー。
主人公の方の気持ちもすごく、何とかしなきゃいけないっていう気持ちもすごくわかるし、
ただ、それと一緒に生きていくのも大事というか、生きていくっていうスタンスもあるんだぞっていう施設側の、コミュニティ側のもすごくわかるし、
どっちもアリなんだよっていう選択肢の提示の仕方をされたなと思って、
そこが一つ安心ポイントというか、みんな乗り越えなきゃいけないよとか、みんな直さなきゃいけないよみたいなやつが一本調子でなかったのがすごく良かったなって。
温かい映画だなと思ったね。
そういった提示の仕方がすごくいろいろあったら面白いなと思うし。
解釈的なことで言うと、主人公が2人ストーナロックみたいな感じの音楽をやってるんだよね。
メタルってあるけど、これって音楽のジャンルのメタルじゃないんだよね。
メタルの音楽はやってないから、そうじゃなくて。
ああいうのってすごい音を普通のチューニングよりもかなり低い音域にしてグシャーってやるっていう音楽だったりするんだけど、
ああいうのって言ったらパンク的な精神なんだけども、いろんな情報量とかがあふれてる中で聞ける音みたいなのはこういう、
言ったら低い音のグシャーっとしたのが気持ちいいんだっていう。
それだけに快楽していこうぜみたいな音楽でもあるわけね。
だからそういうのって多分しさ的で、最後って街にあふれているいろんなノイズとかがすごくしんどいっていう状態になるっていうか、
そういうのをシャッターとして言ったらストーナーな音だけを聞き続けるみたいなことを選んでた後にそれが聞こえなくなるっていうことを手にするっていうのって、
すごく宗教的なイニシエーション的な感じでも解釈としては取れる。
ただそれをどうするかっていうことをまたどうするのかっていうことを選ぶっていう話なんだよね。
24:05
普通の絵だったら先礼が最後に来るんだけど、初めに先礼が来て、そこからまたもう一回選べる。
じゃあここからどう選ぶんだっていう話になってくるっていうのがあるかな。
やっぱりもう一回聞こえる世界に戻るんだけども、
そこに聞こえるのは金属的なシャリシャリした音っていう。
装置を通した音だったもんね。
そうそう。
で、お前はそれでも行くのかっていう。
それとも全くなしの静寂っていうところに住むのかっていう問いっていうのを作ってるっていうのが面白いなと思いますね。
確かにそういうところとか。僕はそこがすごくいいなと思うよね。
本人的に心地よいと思える音環境を選び続けているっていうのは変わってないスタンスで一本通されてたところで言われてる。
そうそうそう。っていうところもあるし。
めっちゃおもろいですね。
この映画に関してはさっきしゃっくん言ったように背負うハンデが突発性なんちゃうかな?なんちゃうだったわけだけど、
なんか違うパターンは多分いろいろあり得るなと思って。
なんかこの通してルーヴェンのこんなはずじゃなかった感。
本人が自分の人生を振り返るときにこんなはずじゃなかった。
この状態であっていいはずがないっていうのとすごく戦い続けてる描写がいろんなところに出てきて、
なんか多分誰しもが生きてると大なり小なりこんなはずじゃなかったなって思うところが多分あると思うんだよね。
で俺も個人的に結構大きめのこんなはずじゃなかったと付き合いながら生活してるからそこにすごく刺さって、
途中でこう気狂いそうなのめちゃめちゃわかるし。
で別にこんなはずじゃなかったって結構不可逆な状態が多いから、
以前の状態には戻れないと分かりつつも以前の状態に戻りたくなる。
以前の状態の方がベターだと思ってしまっているところとか、
その辺と向き合って、まあ欠別するなりそこと寄り添うなりっていう答えの出し方みたいなところは、
なんかいっぱいあるんだよっていう風にも教えてくれるし、
だからこの自分のことのように解釈ができるところがすごく救いというか近く感じられてすごく良かったというか、
まあ今年の映画オブザイヤーになり得るポイントだったかなってすごく思ったね。
なるほどね。
僕もなんかこの映画から得た教訓じゃないですか、
なんていうかその静寂みたいなところをキーワードにして、
27:00
なんかやっぱもう常にオンラインというか、スマホでも仕事上のパソコンでも、
情報がもうシャワーのようにグワーって浴びている中で、
自分との向き合いとか、その自分の声を聞く時間ってほんまに無いなみたいな。
うん。
なんかそれ故に静寂を選び取るべきだみたいな施設の人のメッセージって、
その意味でもなんか一言じゃないなみたいなところに、
なんかこう共感というかなんかこう得た教訓としてはなんかありましたね。
自分との対話というか、ちゃんと自分の気持ちとか行為を聞く時間本当に無いもんね。
意識的に取らなきゃ。
本当に無いですね。
いろんな教訓が詰まっている。
教訓というかいろいろ感じられるポイントがすごくたくさん詰まっている映画だったな。
多分見るたびに見方も変わるし、
人生のライフステージというかフェーズが変わるたびに見返せばまた違うところで刺さるポイントがあるだろうなっていう映画で。
これはオリオンって何度も見返そうかなと思う作品ですね。
いやそうですね。今話しててまた見たくなりました。
こんな感じですね。
まだまだいけそうですけども。
僕たち割と映画というか作品を見るのが好きで、配信映画館ともにぼちぼちの数を見ているとは思うんですけど、
そもそも映画を見る理由というか作品を見る理由みたいなところを話していきたいなというところで、
もちろん好きっていうのが大前提であるとは思うんだけど、
なぜたくさん見るというか、作品オリオンを見て見ていくかみたいなのを教えていただければと思うわけですけども、
これあんま考えたことなかったよね。
そうなんですよね。達野さんから問いもらうまで考えたことない、整理したことなかったですね頭で。
改めて考えてみて結構面白いというか、ああこういうことだったかっていうのができたんだよね。
僕はだいぶ抽象的なとこからいくんですけど、知ることと楽しいことが共存しているコンテンツというか、映画に関してはね。
で、それを踏まえて自分がこう見た後全身にしているような感覚を得られるからみたいなところなんですけど、だいぶ抽象的なんですけど。
見る前と見た後で変わるみたいなところがいくからね。
そうですね。だから知るみたいなところでいくと、サウンドオブメタル見るまで聴覚障害の人の人生とか苦悩とかなんて想像することもなかったんですけど、
まあこの一本通して見た後とかでもやっぱりその自分の中に持っているこの何ですか、素材がもう加わってくる感覚とか、
30:00
これって本当になんでもないんですけど僕にとったら、それこそジェンダーのこととかでも、
僕自身やっぱり日常的に考える機会ってやっぱりなかなか持っていなかったりするんですけど、
やっぱりそういうものをテーマにした作品とかを見れば、やっぱり共感する、その人のことを追体験できるみたいなところでまず知れるっていうところと、
やっぱ忘れてはいけないのは、それでいて楽しいっていう、見てる側が見てるこっちも2時間が楽しく見れるみたいなところなので、
ただ勉強しようとか思ったら続かないんですけど、やっぱなんかそこの2つが共存しているところが、なんかやっぱ見続けちゃう理由なのかなというふうに、ちょっと小切れに整理してみました。
わかるわかる、その2時間ぐらいの時間かけて楽しんだ後に、後にも考える材料をくれるというか、それも自分が触れてこなかったトピックだったりすると、そこから入りになって、
より他もいろいろ見たりすることもあるし、その考えることで自分の視野が広がるし、自分自身もわかるしみたいなところがすごくたくさんあるね。
なるほどね、それはあるね。
ちょっと綺麗に、ちょっと綺麗すぎる感じはするんですけど、ちょっと皆さんの聞きながら。
シャーク君はどうですか?映画を見る理由、作品を見る理由。
そうね、数を見る理由っていうのとかで言うと、きっかけから話すと、音楽作ったりとかやってて、音楽聴いてて、なんかハテナマークが浮かぶときとか、いろんなことを考えながら音楽をやったり聴いたりしたんだけど、
あるときに音楽だけを聴いてたら音楽ってわかれへんのやなって思ったのね。
この人がやってることを理解するためには、この人が作ってる音楽だけじゃなくて、言ってることとか、いろんな影響を受けたものとか、そういったものもトータルで、過去の作品とかも含めて、
これだけを見て、全部が理解されへんのやっていう考え方を持って、
音楽以外にもそれに関する映画であるとか本とかを読むみたいなのが、基本的には広がっていくもんだから、そういった提示された作品っていうのは。
だからその可能性を、そのヒントを出してくれるから、もらってるヒントを分広げて解釈せなあかんのやみたいなのがあって、
だからその分、数っていうのは絶対いるよなっていうふうにはまず思ってたかな。
同じ媒体だけじゃなく違う形の媒体からも資料というか、いろいろ情報を摂取してどんどん解釈の幅広げていくみたいな意味でたくさん見るってことだよね。
33:02
数を見るっていうことに関しては。だから映画を見るし、関わるものは何でも見る、数を見るっていうのは思うし。
いろんなところから引っ張ってくるもんね。シャーク君の資料って。
マジで誠実やなって思います。ここ砂とかしか。
ヒントを拾いに行こうという姿勢というか。
前もめっちゃ勉強するって言ってましたもんね。
勉強するのは分かれへんからなって思ってるから。
あとでも単純に新米映画って楽しいからっていうみたいに近いんだけども、音楽とか映画とかそういった表現、
ポップカルチャーみたいな表現って日常でできることとか起こることとか、そういったことを完璧に飛び越えて示唆すること、絶対音楽とかの方が早い。
これって音楽とかで表現してたことだよなとか、絵画で表現されてたことだよなみたいな。
そういった感覚を先取って作る人が多いよね。
それがやっぱすごいヤバいと思ってる。
数年先のこともあれば何十年先のこととかを先にそういったものを作って触れさせてくれることで、
こういうことあるぞっていうことを表現してくれてるから、それについても先に考えられたりすることもあるし、
そうじゃ理解できへん画っても始めに食らってるか食らってないかっていうのでは全然違うから、
だから一つそういう解釈、それこそまた解釈なんだけど、予知みたいなのをそういったエンタメ作品、アーツ作品とかにもらってる。
だからそういったことが好きって感じかな。
映画もそうだけど、割と社会問題とか、このこと考えなきゃいけないよねみたいな問題、主題をどっかに置いてくれる作品はすごくたくさんあるよね。
映画を見てそういうところのアンテナにも引っかかってくれる?アンテナも貼れるようになるっていうのは一個。
映画に限らずだけどいろんな作品を見る良さでもあるよね。
うん、そうだね。
日常生活であんまり触れられない問題だったり。
そこを言ったらフィクションが現実を超えていくっていう、そこに侵食してくるっていうことが俺めっちゃすごいなと思ってる。
誰かの頭の中で考えたことが何かをクリエイトするっていうことなんだけど、
それがどんどん現実に本当に起こり得るっていう現象を作り出せるものでもあるから、
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それってすごいなと思うし。
僕がよく話したと、アメリカに僕の大好きな監督、ジョン・ヒューズって監督がいますけど、
ホームアロンとか作った監督で、アメリカステーション映画みたいなものの神話を作った男とされてるんですけども、
高校の最後とかにプロムっていう行事があるんだよね。
最後着飾ってみんなドレスで最後踊るみたいなシーンがあるんだけど、
それってジョン・ヒューズが作った映画でプロムっていうのがいいんだぞってやったことで、
アメリカ人の子が、あ、でももっとみんなダラダラただ集まって遊ぶだけだったのが、
その着飾ってもっとみんなではしゃごうぜみたいなのになって、
実際本当そういうものになったっていうことがある。
それってやっぱめっちゃヤバいと思ったで。
そうね、ヤバいですね。
だからそういうことが、まあこれは楽しい例だけど、もっといろんなことでも起きるし、
そこがすごいなって思う。
だから俺はそこを誰よりも見張らし、誰よりもキャッチしたいから、
できる限りそこのアンテナを張り続けたいから、
俺は映画をたくさん見るし、今起きているものを捉えようとしているみたいな感じ。
今の例で言うと、フィクションが現実に浸透していく流れだったもんね、完全に。
そうそうそう。
俺は作品いろいろ見るのがすごい好きなんだ。
映画に関して言うと、映画館で見るのがすごい好きで、
めちゃくちゃ没入できるっていうのがあるし、
スマホで配信で見るのと、映画館で見るのと、多分見えることも違うし、
集中してるから見えること感じること違うだろうなっていうのもあるんだけど、
去年の夏前ぐらいにコロナ入って、ジブリが映画館応援するって言って4作品劇場公開したじゃない?
やったね。
ありましたね。
その時に見に行ったんだけど、グラだと千と千尋くらいからは劇場で見れる年齢なんだけど、
それ以前の作品、ジブリの作品ってビデオとかDVDでしか見れてなくて、
もちろんナウシカも物抜き姫も見てたんだけど、映画館で改めて見て、
今まで見てたやつじゃないじゃんってなったのね。
物抜き姫の最初のタイトルが出てきて、後ろで被災史上流れてるところでも取り肌すごかったし、
私も多分年を重ねたからと思うんだけど、作ってた当時の宮崎駿が何を意識してた、何を問題だと思ってたかみたいなところも、
すごい純度高く感じられて、
多分それまでにビデオで見てたのとその時感じたことの差分って、映画館で見たからこそ生まれたんだなって思って、
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よりその作品の表現したいこととか、その中の人の意思を純度高く感じられた方がきっと、
面白いというか考えるポイントがたくさん生まれるだろうなって思って足していく映画館に通ってるところはあるかなと思うね。
同じような理由でこうすごいたくさん美術館行って芸術を見るっていうのはあるんだけど、
一番最初に提示される場所で見るっていうのは、純度の高さで言えばいいことなのかなっていう風に、
個人的には思うね。何だろうな、映画、作品を見る理由でいくと、結構個人的には社会問題をベースにする作品がすごい好きで、
途上国の政治の苦労さとか、ジェンダーもそうだし、
それこそさっきのサウンド・オブ・メタルとかのハンデとどう付き合うかとか、人生はどう向こうのみたいなところがすごい好きなんだけど、
結構知らない問題ではあるけど、終わった時にどことなく怒りを持っているとか、
そういう社会が実在するかもしれないって思うとすごくやるせなくなるし、
サウンド・オブ・メタルみたいな映画を見ると、考えるも考えるけど救われるような気分にもなるし、
そういう感情を自分で自覚できるとちょっと安心するというか、何かの問題について考えて、その問題をちゃんとおかしいと思えている自分でよかったなというか、
それは映画で摂取しただけだから多分本当に問題のことを考えていくとまだまだ知らない、見えてないところがたくさんあるんだろうけど、
そのきっと触りのポイントだけで興味を持てて、怒りというかやるせない感情まで持てることで、
安心というか近い感情を得ているところはあるかな。
なるほどね。
それめっちゃ分かって、自覚できるみたいなところをまさに、
なぜ君は総理大臣になれないのか、今年多分頭ぐらい見たんですけど、
まさにあれみたいな、僕それ見るまでいわゆる政治というものに感情を持ててなかったんですけど、
政治家というものに対してイメージとかも持ててなく、イコール関心に繋がってなかったんですけど、
あの作品見たら、やっぱりなんとなく自覚できるようになったし、
家中にいる人の姿をリアルに目にしたことで、
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まさに自分の中で考えるきっかけができたというか、
まさに検索ワードを見つけたみたいな感じ。
政治って言われたら何から入っていっていいかわからないけど、
例えば小川さんのニュースは目に留まるようになったり、
例えば立憲の話が、これと交差があるのかな、
自分の中で繋がっていくようなきっかけをもらえるようなものは、
なんかまさに…
平井大臣のことも気になるでしょうな。
そうですよね、いろいろひもず…
それはあると思うね。
人生で体験できて、自分だけで気づけるものはすごく少ない。
ただそういう気づきみたいなのを、
映画はすごく与えるに向いているものではあると思うね。
映像があって音があってっていうところで、
すごく時間軸として長い体験ができるし、
語感もたくさん使うし、音楽だったら耳で話し、
絵画とか美術館にあるような作品だと時間が流れてなかったりするし、
そういう意味だとすごくたくさんの情報を載せられる媒体ではあるよね。
第二次世界大戦の時とかに、
そういったプロパガンダの映画が盛んに作られたっていうのも、
そういうことに向いているっていうか、
映画という表現の恐ろしさみたいなのを感じるものが好きだけども、
だからある種すごく怖いなと思うもんね。
そういうプロパガンダ的なものにもすごく使えるから。
そういう意味でも、僕は映画を見る中でもすごく問いが生まれるから、
いいなと思っているね。
映画そのものの力を、そういう向きでも使われるぐらい評価されてたってことだもんね。
ありがたいことに、今後もどしどし新作映画が公開されるのでね、
そうだね。
色んな人のアンテナを劇場に足を運んでお金を払うだけで、
色々感じられるっていうのはすごく嬉しい環境ではあるよね。
自分の日常では起きえないこと、感じえない体験を、
追体験させてくれるという意味では、引き続き作品を色々見たいなと思いますね。
そうだね。
皆さんもぜひ、映画を見る理由、もしくは他の、
それこそこれが映画じゃなくて、本かもしれないし、音楽かもしれないし、
その他のアートの媒体かもしれないけども、
そういうのをたくさん見る理由とか、自分が好きで見る理由、感じる理由みたいなやつを改めて考えると、
45:01
割と面白く整理ができたりするので、やってみてほしいね。
ぜひとも。
いや、ほんとですね。教えてほしいですね。
教えてほしいです。
教えてください、皆さんも。
エンディングです。
これ、しゅんぺいは他のポッドキャストに出るのは初ですか?
今回初登場ですね。お邪魔させてもらうという。
来ましたこれ。しゅんぺいを東京カフェから引っ張り出してきました。
いや、そもそも、なんかゲスト会とかの時とか、
なんかこれあるあるかなと思うんですけど、出る3人のチューニング時間みたいなのありません?
今回もあったかもわからないですけど、
最初の方よりがやっぱ中盤から終盤の方が全員の波長があってくるみたいな。
そういう感じが結構好きですよね。
すねりだな。
いつも同じ間やったらチューニングとか不要なんですけど、
やっぱ何か異物が入ると、その工程までの結構ポートになってますね。
みんなで同じものを作っている感覚がどんどん強くなってくるね。
そうですよね。
そんな感じで今日も楽しかったですね。
シャーク君はもう小トロがお休みするたびにお世話になっておりますけど、
今回はコンテンツの話でしたけど、ほぼ8で珍しいけど、いかがでしたか?
いや、なんかそういう、ただのコンテンツ論というわけじゃなくて、
なぜなのかみたいなのをこういう定談形式みたいなんで話して、
みんな捉え方が違う感じがあってよかったんじゃないのかなと思いますね。
僕もボットキャストでやる理由として、解釈が一つでも多い方がおもろいなと思っているので、
答えてないと思っているから、何でも解釈の幅が増える方が面白いと思うので、
そういう話ができてよかったなと思いました。
よかったですね。
よかったね。
ないよね、シュン君。
なんでこの子に来ていらっしゃるんですか。
後輩ムーブはどこに行っても抜けないから、全てに従順なあいづちをするんだよね。
確かにね、上手にやっちゃいましたか。
これもいいとこ、いいとこで。
後輩をこなすという。
引き受けちゃうという。
ということでお二人からお二人の番組のお知らせをお願いしようかな。
心のすなじはですね、毎週水曜日夜に配信しております。
音楽、漫画、映画、日常生活に沿う違和感などなど、
様々な物事について探求し続ける許容バラエティということでやっておりますけれども、
コンテンツに関してはですね、5回ごとになんとなくそれぞれパートナーが取り上げるという感じで、
次はさくらももこさんの神の力という漫画を取り上げる予定です。
48:06
ギャグ漫画としてのさくらももこ最高峰って感じで、
結構ヤバい不条理ギャグなんですけども、
シュールとかね、後は松本ひとつさんの話とかもすると思うので、
その辺とか興味ある方は是非見てみてください。
すごいとこまで広がっていくもんね。
おすすめの探索は、ギャグ漫画の根源まで探そうとしてるもんね。
確かに。
今大変なんよ、いっぱい読んでて。
ギャグ漫画探索中の。
そうそう。
赤塚富士夫から読んでるんだけど、面白いねやっぱね。
そしてそして東京カブリの方は。
はい、東京カブリというポッドキャスト番組をやっておりまして、
奈良県、私奈良県出身なんですけど、
申州奈良県出身で奈良県に住んでる兄さんと呼ばれる人とですね、
関西弁を駆使しながら何ともないトピックを言ったり来たりしているような、
もう雑談も雑談なバラエティ番組。
バラエティ番組なのかな。
はい、あと岸くんも毎週水曜日ここすなと同じタイミングで放送されておりますので、
こちらはどうですかね。
移動中とか何気のない時に体力使わずに聞いてもらえたらなという感じでございます。
はい。
沸きあいあいとしている番組をね。
そうね。
沸きあいあいとだけで。
高校の先輩後輩でやってる?
そうなんですよ、高校ですね。
多分共通言語が多かったりするね。
だからなんかよそのお話聞いてる感がすごくて、
なんかこの最初の方で唐突に、
僕ら高校の時コンとやってたじゃないですか。
お、やってたやってたみたいな。
お、やってたんや。
高校の時コンとはやらんのよと思って聞いてた。
確かにね。
そういうような、家に帰ったようなお茶だけですね。
いやーすごい楽しかったね。
まじでその、始めなさいって言ったら、
あいっすー。
あ、すいません。みたいな。
確かにね。
よう見るやつやねんな、なんかその。
大人の男性が初めにやるやつやってて、
あれおもろいね。
番組っていう手を全然なそうとしてないっていう。
どこまでも電話なの。
電話だよね。
もういつまでも軽率なノリで。
というようなところですかね。
面白い番組なのでこちらも是非、
ポッドキャスで東京カフレット検索しても出てくるので、
聞いてみてくださいと。
ありがとうございます。
というところで、
キサオマチでは番組の感想と質問、
あなたが作品を見る理由などなどを募集しております。
お便りフォームは番組の詳細、エピソードの概要欄、
ツイッターの固定ツイートにぶら下げてますので、
そちらからどうしどうしてお寄せください。
SNSはアットマークホブハチで、
ツイッター、インスタグラムやっております。
ココスナはツイッターのみ。
うん、インスタやってない。
51:01
で、東京カフレは今は、
今のところインスタのみと。
でももう今から始めるんで、
放送がされる頃にはどっちもやってます。
はい。
そちらもチェックしてみてください。
で、今回のエピソードの感想ですね。
ハッシュタグホボハチ。
ホボハチはカタカナで。
そしてココスナ。
ココスナはアルファベットかな?
そうね。
アルファベットでココスナ。
東京カブレはどうする?
ハッシュタグ。
東京漢字カブレひらがなで。
漢字で東京カブレひらがなで。
そうでございます。
ハッシュタグつけてください。
ということで、
キサマチ。
また来週昼間にお会いいたしましょう。
バイバイ。
おつかれさまです。
また来た。