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2022-05-10 1:01:27

第61回(2) 『カモン カモン』1周年の節目に語る””聴くこと・語ること”

後半は『カモン カモン』の話をしました。

作品内部の話から、だんだん作品がテーマとしている「言葉を聴くこと・語ること」が自分たちにとってどういうものかの話になっています。

■メンバー ・山口 ・原口 ・まえだ ・マリオン

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今日のテーマトークは、『カモン カモン』ですね。はい、では原口さん、解説読んでいただいていいでしょうか。
はい、映画ドットコムで拝借します。20th Century Woman 人生はビギナーズのマイク・ミルズ監督が、フォアキン・フェニックスを主演に、突然始まった共同生活に戸惑いながらも歩み寄っていく主人公と
美しいモノロクロームの映像と共に描いたヒューマンドラマ。ニューヨークで一人暮らしをしていたラジオジャーナリストのジョニーは、妹から頼まれて、9歳の老いジェシーの面倒を数日間見ることになり、ロサンゼルスの妹の家で老い子との共同生活が始まる。
好奇心旺盛なジェシーは、疑問に思うことを次々とストレートに投げてきてジョニーを困らせるが、その一方でジョニーの仕事や録音機材にも興味を示している。
それをきっかけに次第に距離を縮めていく2人。仕事のためニューヨークに戻ることになったジョニーはジェシーを連れて行くことになるのだが。
ジョーカーでの開演でアカデミー主演男優賞を受賞したフェニックスが、一点して子供に振り回される役所を軽やかに演じた。ジェシー役は新生ウッディ・ノーマとなっております。
はい、ではここから具体的な内容に触れる話をしていきたいと思いますので、ネタバレ気にされる方がいらっしゃったら、ぜひ見てから聞いていただけたらなと思います。
はい、ではまずサワリの感想を伺っていこうかと思うんですけども、原宿さんいかがでした?
なんかね、結構見ながら自分の場合と照らし合わせながら、なんか考えながら見ていまして、私の場合は結婚しているんですが子供がいないんですね。
で、小学2年生の名医や年長さんの老いが今いたりしまして、だからそういった名医とか老いといきなりこう共同生活だったら俺どうなるやろうとかっていうのを考えながら見てて。
だからそれこそね、一瞬ジェシーがいなくなるシーンとか、あれに近いことを経験したことがあったので、いろいろと考え深く見ながら、なんかね結構あの愛おしい作品となっております私にとっては。
まゆまさんいかがでした?
私は結構苦手な作品でしたね。
あー。
なんか好きか嫌いかで言ったら嫌いな作品。
嫌いな作品というか、この映画を見た後に残る感情がすごい嫌いなんですよね。
なるほど。ちょっと後で詳しく聞いてみたいですね。
はい、まゆまさんいかがでした?
いや僕はもうめちゃくちゃ良かったですね。
いろんな切り口でこの映画見れると思うんですけど、育児というか子育ての話として見るのもいいし、大人と子供の話として見るのもいいし。
僕がこの映画で一番刺さったのはやっぱりコミュニケーションの話だなというところがやっぱり一番僕好きだなというところに思っていて。
本当にこの劇中でやり取りされる掛け合いというか、投げかけられることってすごく何も答えのないことばかりで、
あなたの人生ってどんなものですかとか、将来は明るいですか暗いですかみたいなのって答えのないことを問われて、
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それを今持てる限りの自分の表現でなんとか伝えて、それをまたちゃんと耳を傾けるみたいな。
そういうコミュニケーションのやり取りみたいなのがすごく大切にされている映画だなと思って。
やっぱりそこが僕はすごくいいなと思いましたね。
あとなんとなくですけど、いきなり育児みたいなものに関わることになった男っていうのと、
あとある種の人生とかそういう哲学的なことを聞いたりとか考えるみたいな映画の精神性とかが、
なんとなく僕は山口さんっぽいなみたいな風に勝手にちょっと重ねて僕はなんとなく見てたりしてたんですけどね、という感じの映画でした。
僕はですね、まずこのメンバーの中で子供いるのは僕だけかと思うんですけど、
そうなった時に父親としての見方をちょっとしてたんですよね。
そうなった時にやっぱり父親って母親より甘い立ち位置を与えられてるなっていうのを改めて思わされて、
そこはねちょっとすごいいろいろ思うところがあって、そこは刺さったとこはありました。
正直な話としてはね、あんまり面白くないなと思いながら見てたんですよ。
そういう意味ではノットフォーミーだったかなと思うんですけど、
ただその描こうとしていること、描いていることに関してはむちゃくちゃフォーミーな話だったなと思って、
その父親の話であり、時間の話、人生の話で命の話だと思うんですよね。
そういう意味ではものすごい好きなテーマだったなと思って、
見ながら単に面白いかどうかで言うと、そこまで入り込めなかったんですけど、
この映画を見たことを使って自分が何を考えるとか含めると、すごいいい映画だったなっていうふうには思いました。
あと、いつかもかもの感想のうたりをいただいております。
ルイマルコさん、いつもありがとうございます。
こんにちは。いつも皆さんのおしゃべり楽しんでいます。
皆様それぞれに表現力が秀逸で説明が上手いですよね。
そんなふうに私も言えるようになりたいです。
さて、カモンカモン見てきました。
恐るべし天才子役、ジェシー役のウッディーノーマンくん。
内向的タイプだからリバーフェニックスとは真逆ですが、
ホワキンフェニックスにとって養成した兄が重なるんじゃないかな。
だからこそ映画の中でも自然と年齢を超えた大人子供関係ない同じ目線の友情を育んでいけたんだろうな。
など、主張中考えていました。
映画としては異質なテイストという印象、カテゴリー分けができない。
老いとおじさんの心の交流がテーマだが、
笑えるというより心の中の問題をカウンセリング的にエンドレスに深掘りし行き着く先がない。
自分がジェシーに似た扱いにくい子供だったから、彼はADHDでしょうか。
彼の気持ちにもなるし子育ての大変さから、
おじのジョニーの気持ちにもなりしんどかったです。
06:00
何よりあまり息抜きの場面がないのがきつい。
ホワキンはジェシーに、人は幸せになるために静かで穏やかな時間を過ごすことが大事なんだ。
そんな音の鳴る歯ブラシを使っていたらいつも刺激がないといられなくなるぞ、などと叱ったけど、
結局そのうるさい音楽が鳴り続ける歯ブラシを買った。
その歯ブラシが象徴するようにとうとう最後まで静かな隙間がなかった。
絵は綺麗だし、ニューヨークのチャイナタウンが近いのか街の撮り方は美しかったが、
タイトルバックまで子供の声を余白なくギチギチに詰め込み、そこも異質でした。
その隙間なしの頭の中パンパンで休みなしの苦悩を意図的に描いたんだろうけど、
視聴中のこっちも同じ傾向、体質なので、ただただ辛いと感じた。
良いところはともかく、支援2人の演技が素晴らしかったです。
見ていてドライブマイカーの浜口監督の手法を使ったんじゃないかと疑ったくらい。
例の棒読みのスクリプト稽古を何十回もし全てのセリフが体に入ったからこそ、
あそこまで自然な会話が可能なのか、とか、
それともジョニーとジェシーのやりとりは全てアドリブか?と疑いたくなるほど。
あともう一つ良い点は子供の名前が今時のキラキラネームじゃなく、
ジェシーという普通だった点に好感が持てました。
辛い作品ではありましたが、本気で発達障害と対峙した作品で興味が持てました。
なので他の作品も見てみようと、手始めにサムサッカーを見る予定です。
皆さんお仕事とご家庭、ポッドキャストの両立大変かと思いますが楽しみにしています。
今後とも頑張ってくださいね。ありがとうございます。
ありがとうございます。
なるほど、ジェシーがADHDか、僕ちょっとあんまりそういう見方してなかったんですけど、
皆さんそこ、そういう感じでご覧になってました?
いや、僕もあんまりはそんな風には見てなかったですかね。
そういうちょっと個性的というか、あんまり集中力というか、
ちょっといろいろ散漫だけという感じの男の子なんかなぐらいにしか思ってなかったですね、正直。
確かに言われてみると、発達に何がしかの平均よりは特殊と言いますか、
いろいろと集中力に欠くというか、逆に思考がちょっと暴走しちゃうみたいな感じもあったかなとは思って、
なるほどなっていうのは思いましたね。
じゃあ中身触れていこうかと思うんですけども、どこから行こうかな。
ここぞっていうものなんかあったりします?パッと浮かばなかった。
まあ結構僕も見た時思ったというか、結構この映画すごくふわふわした映画だとは思ったんですよね、やっぱり最初見た時。
なんか本当ふわふわとしてるというか、捉えようのないものを何とかこう映画に何かに何とか収めたみたいな感じ?
な感じがちょっとしてて、でなんかその中で描かれていることが本当なんか日常の撮るに足らないことだったりとか、
普段生きてる上ではそんなに深く考えないようなことみたいなのがたくさん詰まってて、
09:04
それをちゃんと自分の感想に落とし込むまでっていうのが結構僕の中で時間がかかったというか、
すぐ簡単にこれを言葉になんかしちゃうのなんかもったいないなみたいな気持ちになりましたね。
そうですね。原口さんが自分事として捉えられたとこって例えばどういうとこですか?
なんかね、さっきちょっと言ったエピソードで、一瞬子供を見失うとかってあって、
あのね、だから公園で遊んでてよその子と群れになってて、気づいたらその追い子を追いかけると思ったよその子を追いかけてて、
え、うちの子どこ行った?って結構焦ったことがあって。
っていう結構そういう自分事とか近いのがあって、共感というか感慨深いものがあったかな。
そうですね。僕は父親なので子供の面倒を見たりはすることはあるんですけど、
やっぱ父親って楽な立場を与えられてるなっていうのは本当思って、
子供に接するって頻度が低いほど都合のいいキャラを演じられるんですよね。
例えばたまに会う、よその家の子供とかってめちゃくちゃ甘やかせるじゃないですか。
あるいはそのたまに親戚の家に行っておじいちゃんおばあちゃんに会う時とかもめちゃくちゃおじいちゃんおばあちゃん甘やかすじゃないですか。
あれってたまにだからできることっていうのはあるとは思うんですよね。
それはあのたまに見ると可愛いっていうのもあるし、あんまり責任が伴ってないからっていうのがあって、
まあもちろん父親も一緒に住んでるわけだから色々責任も伴うし、
あとその注意ですね。一番しんどい部分が。
注意を傾けないといけないっていう部分がすごい大変な部分で、
気が休まらないということの方がやることが多いことよりはるかにしんどいんですよね。
それは多くの家庭において父親の方が働きに出て、母親の方が家庭にいて家事をしたり子供の面倒を見ることがやっぱり多いとは思うんですけど世の中的に。
うちもそうなんですよね。僕が働きに行ってて妻が家で子供の面倒を見てるんですけど、やっぱり妻が常に子供のことを見てるし、
やっぱりそこで妻の方が子供に強く当たるんですよ。それはやっぱり僕の方が楽な立ち位置だからなんですよね。
それは今回改めて思って、ファーキングフィニックスの妹さんとやり取りするじゃないですか。
あそこでね、もう愛してるけどなんかむちゃくちゃになるみたいなのを言ってたと思うんですけど、そういうことがあるとは思うんですよね。
それは気が休まらないからっていうのがすごく大きいなと思って、基本的に子供のことって自分と等しいぐらいあるいは自分より大事だと思ってるんですけど、
その大事だと思ってる対象が自分のことを全く考えずに暴走するって結構耐え難いことだと思うんですよ。
12:07
言い聞かせても全く聞かない。
一個の人格として独立した存在であるけどコミュニケーションが取れてるかどうかわかんない。
常識とかも共有できてないし、物事の危険とかもよくわかってない。
ただその場の感情と好奇心で突っ走る存在をコントロールしないといけないって結構なストレスだと思うんですよ。
それを言ってるなぁと思って、父親が子供の面倒を見ないといけなくなる映画ってたまに見ることあると思うんですよね。
マリッジストーリーってそんな映画でしたっけ?違ったかな?
でも子供となんかこう結構ぎこちない感じというか、奥さんの方が子供と触れ合ってるから扱いは上手いんだけど、
アダムドライバーの方はちょっとなんか扱いがぎこちないというかちょっと不器用だよねみたいなのが結構出てますよね。
古くはクレイマークレイマーとか離婚協議してる夫婦で、子供が夫の側についたから夫がご飯作らないといけないとかそういうのがあったりとか、
ご飯作るの大変とかの話だったと僕は記憶してて、
そして父になるとかってあれ父親としてのアイデンティティを得るっていう話やったじゃないですか。
父親でなかった男が父親のアイデンティティを得るって話でしたけど、
アイデンティティとか甘いこと言ってんじゃねえって言われた気がして、
むしろ子供の面倒が見るってことは自分自身のアイデンティティに構ってる暇なんかねえってなるってことだと思うんですよ。
俺は父親だからこうしないといけないとかじゃなくて、目の前の存在に全部傾けないといけないから、
自分が何者かとか自覚してる場合じゃないっていうのがあると思うんですよ。
そこで、そして父になるで、
俺今まで父親じゃなかったけど明日から父親するわみたいなこと言っても、
言うてもあなた明日からも仕事出かけますよねっていう。
そこのなんだろう、そして父になるでさえちょっとまだ甘いんだなって思って、
結果的にその保護者としての役割をやってるだけで、
その自覚とかっていうのは自分の問題なんですよ。
子供に対しての話じゃないから、自分が納得できるかどうかの話なので、
何かの面倒を見るって、自覚とかそういう話ではなくて、
もっと具体的なものなんだよっていうことを言われたなと思って、
僕この感じを映画で見たことあんまなかったんですよ。
今まで家事したことなかったけど、家事って初めてしたら大変だなとか、
そういう部分じゃなくて、何かをやらないといけないところじゃなくて、
やってない時も気を向けてないといけないっていうことがしんどいっていう。
だからやっぱりファーキン・フェニックスと妹の間にすごい格差というか断絶があったじゃないですか。
妹さんって世話しないといけない対象が3つもあったと思うんですよね。
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自分の母親と自分の夫と自分の子供っていう。
ファーキン・フェニックスの方は、
母親のことも付き合ってあげたらいいじゃないかみたいなことを割と気軽に言ってたと思うんですよ。
あれね、僕結構刺さって、男側ってこういう求められてることを答えて楽な立ち位置行くとこあるわと思ったんですよね。
でももっと切実に生活とかを見てる側にとって、
そういういちいち願望を聞くとかをやってる場合でもないってなるっていうのはかなりリアルだなと思ったんですよ。
子供の言うことを生みにしてやってあげるとかって、それは子育てではないっていう。
やりたいって言ってることをやらせないっていうことも子育てなので、むしろそれこそが子育てなので楽な立ち位置やってる兄貴のことは相当ムカついてたと思うんですよね。
てめえはよ!理想ばっか唱えてよ!と。
またファンキー・フィニックスが子供の声を聞く役をやってるじゃないですか、仕事としてね。
すごい大人な子供ばっかだったと思うんですよ。
ちょっとこの映画にもし問題があるとしたら、子供の大人さに問題があるかなって僕は気がしてるんですけど、
そういう大人な子供の意見を聞いて、それで子供に声を傾けられる自分、世界を俯瞰できてる自分のフリしてたけれども、実際直接保護しないといけないものが目の前にいたときに、
そんな俯瞰して上手く立ち回れるはずなどないっていうのを叩きつけられてるっていう感じがあったなと思ったんですよ。
だからやっぱジェシーでしたっけ? ジェシーってやっぱり賢いんですけど、やっぱ暴走するじゃないですか。
あの一個の人格として尊重しないといけないけれども、それはそれとして無機動でこっちの意思に従わせないといけないっていうものもやっぱ子供ではあるんですよね。
話を聞いてるだけなどでは乗り越えられないリアルがそこにあると思うんですよ。
それはやっぱりホワイトキングフェニックスがずっとそこまで本当の意味では向き合ってこなかったものだったかなって僕は思ったんですね。
母親のことも妹の夫のことも老いのこともね。
だからその俯瞰をして分かった気になってた男が当事者になることでもう一度世界を捉え直す話でもあったなって思って。
結構僕本当に身につままされるとこがあったなというか。
いろいろやってるつもりではあったけどやっぱそもそもの意識で甘さはあったなっていうのを思っちゃいましたね。
前田さんはこの映画のあんまりしっくりこないところってどういうところですか。
一つはさっき山口さんもおっしゃってた子供のインタビューとかめっちゃ嫌いなんですよ私。
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大人びてるって言うよりも、あんなのいい感じのことを言うしかないやんっていうか。
ほんま読書感想文とか原爆ドームに修学旅行で行った後に感想を書かされるのと一緒っていうか。
書ける答えってあんまないやんみたいな。
そんな感覚もあるし、結局何答えてもいい感じに受け取るしかないのもあるし、
全てをいい感じにしていく仁義的っていうか作為的なところは単純に嫌いなんですけど、
でもそういうこの映画のあざとさというか、そういうもの自体が嫌いなわけではないんですけど、
単純にこういう映画を見終わった後の感情の名前がちょっとわかんないんですけど、
感傷的っていうのもなんか違うと思うんですけど、
なんかちょっとあったかいものみたいなのを受け取って消化する期間が自分の中にないっていうか、
なんて言ったらいいかわからないんですけど、
私はなんか特に大人と子供の映画って結構正しさみたいなものを突きつけられるみたいなところもあって、
自分の中でそういう感覚があって、その正しさに順応できない自分みたいなのも嫌ですし、
なんか全部が居心地が悪いなみたいなのはありましたね、結構。
ちょっと難しいです。言語化するの難しいんですけど、
なんか見終わって、わーいい映画見たなってならないっていうか、消化できないなっていう、
なんか何がダメとかじゃないんですけど、作品のここがダメ、あそこがダメとかっていうのは別になくて、
なんかある程度ストーリーを進めていく上で作られてる部分っていうのは別にいいとは思うんですけど、
そんな感じ。難しいですね。
でもなんか言いたいことは結構わかると僕も思いましたけどね、
結構やっぱ子供のインタビューがあたとえ問題って確かにあるというか、
結構なんかいわゆる大人と子供を描いた話で、結局なんか子供が大人にとって都合のいいものでしかないみたいなやつって、
確かに結構引っかかったりする時ってあると思うんですけど、
僕は今回はあんまりそれを感じなかったかなとは個人的には思ったって感じですかね。
そうですね、それに関してはそもそもあのインタビューを受ける子供ってかなり賢い子供しか受けないと思うんですよね。
それもありますね。
そこのフィルターがかかってるかなっていうのはあって、そこで子供ってもっとバカなもんですよっていうのもあると思うんですよね。
ただそれはそれとしてやっぱり考えてる子供もいるし、その意見って聞かないといけないっていうのもすごいわかるんですよ。
それをやってるのがやっぱこの映画の登場人物、ホワキンフィニックスの職業の人たちではあるとは思うんですよね。
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あとまあその大人になるとやっぱり子供の言葉って何かしろにしてしまうところはあると思うんですよ。
いやそれって子供の意見だよねとかって、現実そうじゃないよねって言ってしまうとこはあると思うんですよね。
ただその、でも今から生きていくのって子供の側ですっていうのはそもそものどっちが担っていくかっていう部分でフェアではないっていうところで結構難しいバランスかなと思ったんですけど
ただこの映画は子供言葉に耳を傾けるっていうことを語る映画として作ってるかなと思ったんで、僕はそこは行けたかなっていう気はしてはいるんですよね。
あと同時にその子供のやりたいようにやらせてもダメっていうことも描いてる映画でもあるので。
そこがね、ちゃんと両論閉鎖してるというか、子供はちゃんと無理やり言うことを聞かせないといけないし、声に耳を傾けないといけないっていうことも描いてるっていう、
子育てのアンビバレントな部分、個人として尊重するっていうのとそもそも尊重しちゃいけないっていう二律背反みたいなものを描いてるかなと思ったので、結構バランス難しいところではあると思うんですけどね。
そうですね。やっぱりそういう意味でもちゃんと子供が大人と対等みたいな感じ風に僕は見れたので、そういう意味で僕は結構そういう疑問的なところというか、
なんかちょっと都合いいんじゃねみたいなところはあんまり感じなかったって感じでしたね、本当に。やっぱりちゃんと子供の声を聞くっていうこと。
やっぱり子供って別に僕たちみたいにボキャブラリーが豊富なわけでもないし、言葉じゃなくて溢れるばかりの動きとか叫んでくるとか、そういったもので何かしら表現してくるっていうのを、
とりあえず聞くっていうところの姿勢っていう、やっぱりそこがコミュニケーション。コミュニケーションの話が元々好きっていうのもありますけど、やっぱりそういうところが自分の中にすごく刺さってるんだなっていう感じがしますね。
やっぱり子育ての話も確かにそうだなっていうところはあったんですけど、やっぱり山口さんがさっきまで言ってたような子育ての奥深さというか、
子育てって実はこうじゃないっていうところまでは、ちゃんとやっぱりそこは自分の子供がいないっていう、自分の人生でまだ足りない部分っていうのが、
なんかちゃんとそこはまだ自分の中でちゃんとキャッチできてなかったのかなっていうのはちょっと改めて今思いました。
これを分かってないといけないっていうこともないとは思うんですけど、むしろフォアキン・フィニックスが分からされていく映画でもあるので、
フォアキン・フィニックスに付き合うことで分かっていけるっていう映画でもあったかなとは思うんですよね。
あとこれってなかなかできないことだなって思ったのが、フォアキン・フィニックスが大井の面倒を見ていく中で妹に愚痴を言えるじゃないですか。
あれってなかなかできないことだと思うんですよね、僕。
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なんか困ったことがあったときに自分の妹に電話かけて、大変やわって愚痴れます?僕結構あれむずいことだなって思って。
確かにそうですね。
結構ね、男のプライドもあって愚痴って言うのむずいんですよ。妹とか身内にね。男って本当にね、男って愚痴言うのめちゃくちゃ下手なんですよね本当に。
確かに男の人って愚痴言わないですよね。私愚痴しか言わないですけど。
困ってるって言うのが苦手ですよね。
そこでやっぱり愚痴を言うことで持つっていうのがあると思うんですよね。
ただもしあれでね、例えば妹とフォアキン・フィニックスが夫婦だったとして、一緒に子育てしている中で頻度がすごいアンバランスで、9-1で9を妻がやって1をフォアキン・フィニックスがやってるみたいなときに、その1に対してフォアキン・フィニックスが愚痴言ったりしたら、お前さぁみたいになると思うんですよ。
お前の9倍、私の方が大変な思いしてるからなみたいなので、やっぱり同じ対象に対してアンバランスな状態で愚痴を言ったら、その愚痴って聞いてもらえないものかなって僕はちょっと思ってるんですけど、今回って親を預かっている間は妻は自分の夫の面倒を見てるじゃないですか。
だから別の対象の面倒を見てるから、お互いの愚痴に対して飲み込むことに抵抗があまりないというか、お互いの愚痴を聞き合えるようになってたのかなと思って。
ちょっとでもね、もし同じ対象に対して面倒を見てて、買い物行くの大変やわとか言ったら、いや私普段は大変な思いしてるんですけどっていうのはね、これは僕の体験なんです。
だから結構ね、愚痴を言い合えるってすごい絶妙なバランスで成り立ってるものだと思うんですよね。その発言に対してどこまでお互いに責任を感じ合うとかっていうので、やっぱりある程度の多少言いなせる部分っていると思うんですよね。
聞くけどまっすぐは受け止めないですよみたいな。受け止めるとちょっと言い返したくなるみたいなとこがあってしまうと思うけど、ちゃんと聞いてるけど完全には受け止めないっていうバランスがその愚痴を聞くっていうのに大事なのかなって思ってるんですけど。
そうですね。やっぱ結構物語のクライマックス的な部分で、ジェシーと別れるぞってなった時に二人で大声出して叫ぶみたいなシーンがあるじゃないですか。やっぱそういうところに繋がってくるというか、
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やっぱ吐き出せないものが、なかなかプライドとかが邪魔をして吐き出せなかったものがようやくちゃんと吐き出すことって大切だっていうのに気づいて、やっぱそれを吐き出すことでお互いにそれが分かるようになって、そういうとこ困ってたんだねとか、同じことつらいって思ってたんだとか、それはあなただけだよみたいなのに色々気づいていくっていうところがコミュニケーションの良さの部分でもすごく光ってる部分だなって思いましたね。
この映画、子育てというものに対する話でもあるなと思いつつ、やっぱり人生の話でもあったとは思うんですよね。クライマックスあたりでジェシーの面倒を見るシーンと母親の面倒を見てた時のシーンっていうものが交互に挿入されるシーンあるじゃないですか。
なんだろうな、あそこがすごいいいなと思って、ちょっとうまく言語化できてないんですけど、ちょっと思い出しただけの話をした時にも同じようなこと言ったんですけど、時間とか年齢っていうものをちょっと近視化するというか、子供と年寄りを対等に扱うっていう感じって言いたいんですかね。
その瞬間瞬間っていうものを等価のものとして捉えようとしてるみたいな感じがしたんですよね。なんかいいなと思って。以前僕が漫画の一節で読んだ台詞ですごいいいなと思って、自分が年取ったらどうなるかを知りたかったら道を歩いている年寄りを見ろと。
で、自分が昔どういう子供だったかを思い出したかったら、街で遊んでいる子供を見ろみたいな話があって、その、なんて言ってんのかな、そのそれぞれの瞬間っていうものを、なんだろう、相対化するというか、なんか老いとか死をちょっと怖がらなくていいってちょっとだけ言ってくれてるような気がしたんですよね。
あくまでそこにあるのはその瞬間だけであると。ちょっとうまく言えないです。ただすごくいいシーンだなと思って。いつも曖昧なこと言ってすいません。
この絵がめちゃくちゃ曖昧なことを描いてると思うので、やっぱ感想が曖昧にならざるを得ないというか、だと思うんですよ、すごく。僕も最初言った通り、本当曖昧で、本当答えのないことをずっと考える、哲学し続けるみたいな話っていうか。
だからそういう意味で物語が単調というか、これ結局何だったの?みたいな、ポカーンとしてしまう感じっていうのはめちゃくちゃわかるし、けどそこについて考えてることの方がすごく楽しくてたまんないみたいな、そういう本当、もし時間が無限にあるんだったらこの映画のことなんかいろいろ考えてみたくなるみたいな映画で、やっぱそういう意味ではすごく大切な映画だったなというふうには思いますね。
細かい演出ですけど、ジェシーに絵本を読み聞かせてる時に、顔が2つ並んでる状態で、喋ってる方にだけピントが当たるみたいなのが交互に映るシーンあったのってわかりますかね?あのシーンむちゃくちゃいいなと思って、なんかピントの当たり方だけでこんなになんか饒舌に語れるもんなんだなーって思って。
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最後、基本的に喋ってる方にピントが交互に当たるんですけど、ジェシーが寝ちゃってからは喋ってるのはホワキンの方だけどピントはジェシーに当たってるみたいな感じになるんですよね。
あそこでそのホワキンがジェシーに気持ちをやってるっていうのが伝わってくるというか、すごいいいなぁと思って、細かいことなんですけど。
あとあの収音マイクで街の音を聞くってすごいいいなと思って、いいですねあれ。 いいですよね。結構やっぱ、僕何回も聞くことの重要性みたいなことをこの映画から感じてたので、やっぱそういう演出からしてもすごく耳に関する演出っていうのが結構行き届いてるなって思っていて。
環境音を収音マイクで拾っていくみたいなところとかもだし、あと劇場もなんか結構ちょっとフワーっとしたような、あんまメロディーのないような音が響き渡ってるような感じの音色っていうのも、放たれた音を聞くみたいな演出にも少し勝ってると思うし。
あとやっぱモノクロっていうのも、色がないことで視覚の情報を1個落としてるんじゃないかなって思って。やっぱそういう視覚の情報を落とすことでやっぱ聞くことにもっと集中するっていう。
あと物語を偶和的にするっていう意味もあるみたいなことは言ってましたけど、なんかそういう視覚的な情報を減らすことでもっと耳で聞くみたいなところに意識が行くようになってるんじゃないかなっていうふうには思いました。
そうですね。なんだろうな、見るというより聞くという行為の方が感情があることのような気がするんですよね。これもちょっと曖昧なこと言うんですけど、見るって結構冷徹なとこがあるなと思って。なんかなんだろう、これもうまく言えないな。
なんか視覚よりも聴覚、音の方が現実の有様に近いような気がする。これ裸感覚の話ですけどね。
でも聞くことの方が受動的感が強いって言ったらいいんですかね。見るって能動的で、聞くってやっぱちょっと受動的な感じっていう。本当これもなんとなくな感じですけど。だから聞くっていうモチーフがやっぱすごく刺さりがちというか、さっき劇犯の話言いましたけど、劇犯から聞くことの大切さみたいなのを描いてるって。
例えば声の形とかもすごく劇犯にこだわられたのでそういうところだなと思ったし。なんかやっぱ聞くことってなんか結構映画の中のモチーフってなんか僕は好きなんだなっていうのはちょっと思いました。なんか改めて。
その辺でやっぱモノクロで良かった気はしますね。音の鮮明さがより響くというか。なんか最近ベルハスト見たところだったんで、モノクロ映画多いなっていう。
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そうですね。オープニングトークで話したパリ13区もモノクロなんですよね。
そうですね。確かに。
モノクロ映画多いですよね。
やっぱ偶和性が上がるっていうのはありますし、結構色って無駄な情報なのかなっていう思っちゃうとこもあるかなと思って。
色自体がちょっと有弁すぎるんですよね。なんか感情とかっていうものを描くのに対して。色鮮やかだとそれだけで何か豊かに語ってるような感じがしちゃうけど、やっぱモノクロってもっと別のことで色々感情を語らないといけなくなるとかっていうのがあるのかなと思って。
やっぱその意味ではこの話では効果的に働いてたような気がしたかなぁと思いましたね。
そんなとこですかね。結構語るのむずい映画でしたね。
これそうなんですよね。しゃべるの難しいなと思ったんですよね。ほんと。好きやけどしゃべるのめっちゃむずいというか。
なんか私このポッドキャスト始めるまで、映画ってそれこそ当たり前ですけど、自分が好きなものしか見ない。大人の特権って変色やと思ってるんで、好きなものだけで構成していくわけじゃないですか。そういう作品選びのときに。
だから本当にこういう映画を通ってきてないんですけど、こういう映画の私結構、課題選ぶときにわがまま言ってこういう映画外してもらうこと多いと思うんですけど、たまに見ると、なんで自分がこういう作品苦手なんかなってことだけをずっと考えさせられるんですよね、途中から。
一つ思ったのが、なんかホラー映画というか、私結構この嫌な気持ちのある映画が好きなんですけど、なんかやっぱり正しさみたいなものがある映画がちょっとやっぱ苦手で、感情一方向に、なんていうのかな、こっちの方向に感情を持っていかれるっていうのはすごい苦手なんですよ。
なんかその、のかなってちょっと思いました。この映画を見て。すごくそれに対してそうじゃない自分っていうのもすごい嫌なものみたいに思えてくるし、なんか映画の中の人は正しくないことをしてほしいなっていう気持ちがちょっとあるのかなっていうのは、この映画を見て、ちょっと感想全然、この映画の感想っていうの。
でもなんかやっぱりそういう、なんか正しいことばっかりやなみたいなので、苦手みたいな気持ちはあると思いますけどね、いろんな人になんかそれが。確かになんか映画なんだから、もう一層ひどいことが見たいというか、なんかもうとんでもなくクズな人の人生が見たいみたいな気持ちだってあったりするじゃないですか、やっぱり。
36:12
なんか人間の見にくい部分だけが見たいみたいな気持ちもやっぱりあるし、でもなんかそういう正しい部分も見たい時もやっぱりあるので、なんか僕はどっちも楽しめちゃうけどって感じですけどね。前田さんのなんかその感覚もめっちゃわかると思う。
この手の話って本当に最終的に、人生の豊かさを感じましたみたいにしか語りようがなくなってしまうっていうのがあって、それは語ったことになるのかなというか、当たり前のことじゃないですか。人生って豊かだよねとか、誰かに語ってもらわなくても当たり前じゃんっていうのもあると思うんですよ。
なんかだったら、そもそもそういうのじゃないこと、当たり前じゃないことを描いた方が映画としては面白いっていうのもあるかなと思って、本当にね、やっぱ難しいですよね。言葉遊びになっちゃいますしね。
なんか仮に自分が映画の登場人物だとして、まあホラー映画に登場したとしたら、正しいことをしてもいいし、正しくないことをしてもいいなって思うんですよ。もしカモンカモンに私が出演したら、もう正しいことしか絶対したらあかんやってやっぱそう思っちゃうっていうか、やっぱこの映画で正しくないことは、別に自分もそれを求めてるわけじゃないですけど、この映画に関して。
そういう脅迫関連って言ったらちょっと大げさなんですけど、そういうふうに見てしまうんですね。この中で自分がホワキンフェニックスだったら、セリフ一つ間違ったことを言ったらあかんなとか、まあ実際の子育てというか子供に対して向き合う時っていうのもそうなんでしょうけど、そういうふうに極力自分の中で正しいことっていうのを考えて伝えようっていう気持ちになるとは思うんですけど、そこからちょっと逃げられないっていう感覚があって。
だからお便りいただいた方とは感覚ちょっと違うんですけど、私もちょっと見ててずっとしんどいなとは思いながら見てましたね。でもそれが映画体験なのかなっていうのも、普段こういうことを強制的に自分から進んですることもないからっていう、ある意味ちょっと引っかかる映画ではありますね、自分の中に。
いやでもなんか最後に前田さんがその意見が出てよかったですね。なんか今回の話に奥行きが出たと思います、それ。
恥ずかしい。なんかグループセラピーやってるみたいで恥ずかしくなった。
いや、映画の話はグループセラピーですよ。
あっ忘れ出した。
めっちゃ恥ずかしい。
いや絶対そうですよ、それは。
そうかも。ちょっとね、グループセラピー垂れ流してるのほんま恥ずかしくなるときあるんですよ。
39:01
結構他で言わない話とかを、普段他人としない話をするから、すごい仲良い人でもあえてこんな話しないじゃないですか、別に。
あえて伝えることとかないから、結構このラジオやばい。
確かに。結構ポロッとなんか自分の奥底で考えてたこととか、なんか人に言うまでもないようなこと結構ポロッと出ちゃうみたいなの結構あるなと思ってて、本当に。楽しいしなんかちょっと恥ずかしいですよねっていう。
めっちゃ恥ずかしい。
でもやっぱこれが映画の話しすることの最終的な目的というか、そこまでたどり着いたらやっぱいいなって思うんですよね。
そういうあのシーン良かったよね以上みたいなの、それはすごい良いんですけど、もうちょっとその結構この番組のスタンスとして個人を掘り下げたとこまで話したいなっていうとこはあるかなと思ってて、
僕はもうそこまでたどり着いたらいいなと思ってちょっと話を誘導したりはしてるんですけど、グループセラピーだと思いますよ。
自分の考えを喋って聞いてそうだねとか言って言うっていう、なんかカモンカモンと映画の精神性と合ってると思うんですけどね、個人的には。
だからなんかやっぱりこの精神性を結構山口さんが頻繁に語ってくれてるから、やっぱなんかこの映画のホワイトフェニックスを見てなんか山口さんを連想したんですけど。
あの褒めていただけてると捉えときます。
まさか1年前こんな壮大なグループセラピーに巻き込まれることになるとは。
いやーでもやっぱそういうのが楽しいと思うんですよね。で、いきなりじゃあもうそのこのポッドキャストはグループセラピーをしますとかなっても、まず無理やし。
はいこの瞬間からあなたの内面語ってくださいって言われても無理じゃないですか。
まあまあ無理ですよ。
聞いてる方もそれ聞かされてもみたいになると思うんですよね。
でその映画の話していく中でだんだんその結果的に掘り下がっていくみたいなのだと、僕らとしてもシームレスにその内面を掘り下げていけるし、聞いてる方もシームレスにその内面の話を受け入れられると思うんですよ。
結果的にそうなってるから、やっぱそこまでたどり着いたらいいとこまでいったなっていうのは僕は思うんですけど。
しかもこのラジオ聞いていただいてる方も薄々気づいてると思うんですけど、私本当に特にマリオンさんとやっぱ感性が真逆というか感覚がすごい遠いんですよ。
42:06
だからマリオンさんとかのコメント聞いてると、もうなんか本当にすごい新鮮やし、その新鮮さがすごいこう、だから今回もそうなんですけど、自分のなんか神経を魚でするっていう、この日本語の使い方合ってるかわかんないですけど、なんかこう無視できない、自分のなんかこう持ってる感情が無視できなくなってくるんですよ。
その真逆すぎる感想を聞いてるうちに、それも結構でかいかなと思って、やっぱ普段って気が合う人とか、気が合うというか、一見同じような映画が好きな人とか、極力そういう似た人を探して話したりすることの方が普通に生きてる中では多いと思うんですけど、
あえてそういう普段見てる映画とか見てきた映画とか、全然違う人と話すっていうのが、このグループセラピーの肝になってるのかなと思ったり、もちろん山口さんと唐口さんのコメントもたびたびそう思うことはあるんですけど、
本当に同じ映画見ましたか?みたいな。間違って違う映画見てないですか?っていうぐらい、やっぱり感覚が違うこともあるじゃないですか。なんかそれはやっぱり面白いですよね。だから取り上げる題材としてはこっちの方が正解なのかなって思うこともあって、なんか面白い、全員面白い映画って、おもろかったねっていう。
その盛り上がりも楽しいんですけど、やっぱ意見違うとなかなかかさぶたを剥がされるみたいな感覚はあるなと思う。
今回作品、私が割と先に視野で見てて、皆さんのプライベートの一部とかもちょいちょい聞いたりしてるので、これは4者4様の意見分かれて面白いだろうなと思って、最初に推薦させてもらいました。
そうですね。
意見が食い違う可能性がある人とテーブルを囲める機会があるって、すごい豊かなことだと僕は思うんですよね。
あと、すごいこれ大事なことですけど、相手がちゃんと聞く耳を持ってる人と保障されてるっていうのはすごい大事なことで。
確かに。
意見が違う人とタクを囲むって、相手が聞く耳を持ってないことって全然可能性あると思うんですよ。
でもそうではなくて、聞いてくれるという前提で異なる意見をぶつけることができるってすごい恵まれてることだと思うんですよね。
だから少なくともないがしろにはされないじゃないですか、自分の意見が。
一旦は聞かれる。でもよほどちょっとすっとんきょうなことを言ったら、普通にそんな映画でしたっけみたいなことは言われるかもしれないですけど、
45:05
解釈とかで、解釈というか感性ですね。私の感性がそうですっていうことを表明したときに、なるほどねって、僕違いますけどっていうのを一応聞いた上で話ができるってすごい大事なことだなと思って。
本当にそういう機会ってあんまないじゃないですか。
ないですね。
意見は揃えることである程度一緒にいられるってこともありますし、でも感性自体を相手がどうせ一緒だからっていうので、ちょっとゆだねてしまうって言い換えると雑にしてしまうってとこあると思うんですけど、
相手の感性が異なるかもしれないって思ってたら、やっぱり言葉って丁寧に紡がないといけないなっていうのがあると思うんですよね。
それってやっぱり語ることだし聞くっていうことだなぁと思って。
え、なんか今が一番この映画の本質に近い話してないですか?
いや、そうそうそう。本当思いました。本当そうですよ。
そうですね。さすが前田さん。
投げたボールが一番的を得てましたよ。
いつも鋭いですよね。
この映画は私たちの映画だったとは。
いつも鋭い。
語ること聞くことの映画っていうのは、やっぱり自分たちの語るということ聞くということを見つめ直して初めて完成するかもしれないなと思って。
いや、それはすごい、なんていうのかな。
映画だから最初見た直後とこのポッドキャストで話した後って結構映画に対する感想というか捉え方とか評価が結構変わったりするんですよ。
何なんですかね。ほんまにこの不思議なことですね。
こうすることで本当に自分用の映画になるとは思うんですよね。
同じような話前もしたんですけど、映画って見た時点では作った人のものだと思うんですけど、捉え直すことで自分のものになると思うんですよね。
必要によっては自分用にいらない部分を切り落としていいし、場合によっては歪めてもいいとは思うんですよ。
自分の中にとっとくだけなのだったら。
そうすることで自分用のもの、自分の心をちょっと良くするためのものとして持っておいていいものになるかなとは思ってて。
めちゃくちゃ嫌な笑いされてる。
いやいや、どんどん山口さんが。
いやいや、大丈夫ですよ。
山口さんがどんどん先生に見えてきたと思って。
カルテとか作られてる可能性あります。
今日の前田さん。
一歩心を開けました。
一歩。
グループセラピーなんでね。
グループセラピーのカルテ。
カルテがあるのかな。
いや、ちょっとあれですか、僕、きもい方向行ってます。
48:03
それはないですからね。
それで嫌だったら嫌って言ってましたね。
山口さんはほんまにいいキャラしてますよ。
今回に関しては若干の競争感も感じましたもん。
競争感。
話し方がちょっと落ち着いてるっていうのもあると思うんですけど。
落ち着いてる風に見える?
ちょっと反省しました、今。やりすぎたなと思って。
でも一周年をまとめるいい感じの話かなと思うんですけど。
そうなんですよ。結果的にそうなったなと思って。
オープニングで触れた以外は通常回とほぼイコールになると思ったら
改めて自分たちの話というか、自分たちに言及する結果的になったかなと思って。
半分ぐらい放送事故みたいになってますけど。
大丈夫だと思うぞ。
ちょっと危うさも込みながら何となくいつも綺麗にまとまるみたいな感じが僕らっぽい感じ。
確かに急に着地だけ綺麗にしとくっていう。
終わり良ければ全て良しですよ。
あと僕この映画見ててそんなに面白くなかったっていうのもありますからね。
何か喋ってちょっと考えたことが良かったからこう喋ってますけど
映画自体がまあまあみたいな感じで見てたんで。
それぐらいのテンション。
そういう映画の見方もあるかなっていう。
私この映画ひととみに行ったんですよ。
そうなんですね。
珍しくひととみに行って。
私もちょっと正直前半とかちょっと眠くて。
もともとちょっと苦手な感じだし眠いなと思って。
映画一緒に見た人が普段あんまり映画見ないって言ってて。
大丈夫かなと思って。
この人普段あんまり映画見てないって言って大丈夫かなと思ったんですけど。
何か途中めっちゃ泣いてて。
泣いてると思って。
支えるところが。
すごい良かったって言ってて。
その時はちょっとこんな話はさすがにできなかったんですけど。
良かったですよねって言いましたけど。
でもそうやって人によって結構捉え方が変わる映画なんだっていうのは。
そうですね。
激アツエピソードじゃないですかそれ。
そうなんです。
めっちゃ気まずかったですもん。
泣いてる。
気まずかったです。
そういう球は僕も収録内で投げてもらったらキャッチしますんで。
普段は行儀良くしといてもらったら。
じゃあそんな感じで終わっておきましょうか。
終わったと思ったらギア一段上がりましたね今回。
そうですね。
良かったと思います。
51:01
じゃあそんな感じでカモンカモンの話は終わっておこうかなと思います。
今後の企画の話しときたいなと思うんですけど。
ドクターストレンジはやるって方向でいいんですかね。
どうしましょうか。
僕は全然いいですけど。
スケジュール的には来週。
今週末公開ですね。
ドクターストレンジは明日。
なるほど。
今日が5月3日なんで。
今回珍しくゴールデンウィークで水曜日公開。
他はもう一回金曜日公開がいくらか。
前田さん的には侍見文脈で見れるのかなと思うんですけど。
どうしましょう。
あんまりやったら普通に全然飛ばしていいんですけど。
珍しく娯楽方向で足並み揃えそうかなって気もしたんで。
確かに。
見ないんやったら全然飛ばしていいと思います。
見なさそうです?
いや、正味どっちでもいいっちゃどっちでもよくて。
なんか評判聞いて決めてもいいかなぐらいの感じはあったんですよ。
なるほどね。
侍見ですけど。
ドクターストレンジってキャラ自体がほんまにどうでもいいと思ってるタイプなんで。
スカイダーマン見てても?
ドジっ子おじさんぐらいにしか。
物語を進めるためにドジしちゃうおじさんの話としか思ってないぐらいなんで。
でも面白いよっていうのは聞くんですけど。
ちょっと一回様子見ましょうか。
ドクターストレンジとか白石監督の死刑に至る病とかが大きいところかな。
今週はちょっとそれは見に行こうかなと思ってますね。
死刑に至る病。
見に行く予定はあります。僕も見に行こうと思ってます。
僕はちょっと死刑に至る病行けるかどうか微妙な感じが。
それやったらあれですかね。来週に献形体組織暴力の回とかを入れるとか。
ドクターストレンジ様子見か。
だから献形体組織暴力の次がシンウルトラマンの話になるんでしょうね。
全般的には。
全般的にはそうなるのか。
献形体組織暴力ってリズと青い鳥も見といた方がいいんですよね。
僕が無理矢理バーターにしただけなんで。
正直多分そんなに組み合わせたことで話が広がるとかっていうことでもないんですよね。
僕が献形体組織暴力は実質リズと青い鳥っていう良くない論法を使ってしまったが、いえいえにそうなったというだけなんで。
私の中でそうなんだと思ってリズと青い鳥のこと全然知らなかったんで、調べてそうなのって。
僕は逆ですからね。献形体組織暴力を見たくてリズと青い鳥を見てるんで、どこがっていうようになってるんですけど。
混乱が生じている。
お互い片方ずつ知ってて混乱してますからね。
同性同賃の閉じた関係性、閉じて歪んだ関係性っていうのが好きなんですよ。
54:00
そこで結果的に僕が受け取るものが一番広い意味での有利にカテゴライズされるっていうので。
僕の中で献形体組織暴力って有利映画なんですよね。
なるほどね。有利でね。有利文脈なんですよね。
だから普通に献形体組織暴力一本でいいんじゃないですかね。
でもいいです。僕何やったらコロの地も見とくんで、コロの地と献形体組織暴力の何が違うのかっていうのは話せる準備はしておきますわ。もしあれやったら。
じゃあ献形体組織暴力来週いきます。
これは来週でもいつでもいいんですけど、どっかで消化しとくべきテーマやと思う。
これはね、やっとかなきゃダメでしょって。
僕が良くないものを出すと思います。
じゃあ献形体組織暴力の話をする感じで一旦来週は行きましょうか。
将来的にドクターストレンジですかね。
やるかもしれないって感じで。
将来的な候補あります?死刑に至る病、すぐでなければ僕もいけるかもですけど。
こういうね、犯罪系の話、僕がまためんどくさくなる可能性がある。
ああ、ルロン好き。
ああ、はい。
ルロン好きはね、私もね、ちょっと多分山口さんよりというか山口さんが思ってるようなことで、
私も見る前は結構、どんな映画なのかなっていうの気になってます。
まあなんかその2本は候補に置いといて良さそうですよね。
死刑に至る病とルロン好き。
覇権アニメってどうです?
ああ、5月20日。
ちょっとね、僕気になってます。
何ですか?
覇権アニメっていう、アニメーターの、アニメーターというか、アニメ業界の働く話。
吉岡理宝のやつ。
なんかそれもいいなって思ってますね。
あと、犬王。
いわささん。
犬王ね。
え、どれどれどれ?
いわさま朝明監督のアニメ。
犬王。
犬王様の王で犬王です。
こっちのアブちゃんと森山未来がメインの声優の。
まあそこらへん、ちょっと将来的な候補として置いとく感じでいいですかね。
はい。
なんかここ最近洋画が、海外作品多かったので、ここできてちょっと一点邦画が多めみたいなのでもあるかもしれないですね、候補的にね。
あとちょっともっとゴリっとしたB級イット感と、なんか賢そうな番組になってないですか?
なってないと思います。
あ、良かった。
もうその辺は山口くんの幸かけん一つじゃないですか。
でも今B級としたら、シャドウインクラウドぐらいしかないんですよね。
今はね。
7月になったらホラー映画が。
57:01
激アツですよね、今年の夏のホラー映画。
激アツですね。
いやなんかどうしたのかなって、どうしたのかなっていうか、最近世間がホラー映画に優しい気がします。
なんか1ヶ月丸ごとホラー映画の話できそうなくらい目玉多いですよね。
いやちょっとすっげえ興味あるけど、僕ホラー映画見始めたら後悔するんですよね。
もう見る前は見たいなと思ってるけど、見始めたらね、こっから2時間もこの思いで泣かんのってなるんですよ。
でもほんまにミスミスを見てほしい。
あ、ほんまですか。
漫画原作実写映画会はどうします?
それやりましょう。
どっかで多分その隙間みたいな時また来ると思うんで、なんか次ないねみたいな。
その時に挟んで。
ちょっとネタ温めるだけ温めておきましょうか。
今日行けそうやなみたいな時に、今日というか次回行けそうやなみたいな時に。
ミスミスこそ結構揺り映画ですよね、マリオさん。
いやそう、揺り映画ですよ。
なんか噂によると、ちょっと僕の揺りの定義あんま当てにしないでくださいね。
前ちょっと言いましたけど、屋敷女も一旦揺り映画として見てますからね。
もう怖いです、山口さん。
いやほんと山口さんってね、なんか顔がね真面目そうなんですよ。
実はそうでもないことに気づいてきたんですけどね。
お?
まあね、あの自己紹介会でも割とぐちゃぐちゃ言いましたからね。
はい、じゃあとりあえず次回、研究体組織暴力のお話を。
はい。
はい。
というかまあ何だろう、あの前猿学長であいましょうの話をした時に、
その猿学長であいましょうを軸にして、そのカッコメンヘラみたいな話をしたと思うんですけど、
まあそれに近い切り口って感じがいいのかなと思って、
その研究体組織暴力をきっかけにして、マッチョトアみたいな感じ?
とかですか?
うんうん。
ホモソーシャル的な?
ホモソーシャル的な?
マチズモ的な話をすることになるんじゃないかなっていう。
楽しみ。めっちゃ楽しみ。
いやちょっと楽しみになってきましたね。
猿学長会おもろいですからね。
僕聞き直して結構面白いなってなりましたもんあれ。
いやほんまに。
私ねどんだけ再生回数が低くてもこういうのは挟んでいきたい。
うん。
求められてなくてもいい。
あの回ほどなんか前田さんとの距離感を感じたことないですよ。
もう全然違う人やってる。
距離感感じすぎて逆に距離近いとすら思ってますからね。
一周回って近いってやつですか?
一周回って近い。
一周回って近いってやつ。
はい、じゃあそんな感じで、
とりあえず来週は研究体組織暴力で解きましょうか。
はい、ではお知らせになります。
5月も映画の話サスキルバーを開催する予定です。
1:00:03
場所は大阪の南森町にある日刈り弁当型カフェバー週間回り、
日時は5月14日土曜日、オープンが19時、クローズが23時となっております。
またこの番組ではリスナーの皆様からお便りを募集しています。
番組の感想、次回テーマ、作品の感想など、
ご自由にお送りいただけると幸いです。
受付先は番組説明文をご確認ください。
はい、あの今までお便りの受付先複数用意してたんですけど、
ちょっと管理が難しくなってしまったので一本化します。
それは番組説明文でご確認いただけたらなと思います。
はい、また次回バー開催情報、
ポッドキャスト次回テーマ作品の告知も行っておりますので、
ツイッターのフォローもよろしくお願いいたします。
はい、では映画の話したすぎラジオリニューアル第61回
リニューアル1周年記念のご挨拶みたいな感じですかね。
あとカモンカモンの回を終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。さよなら。
01:01:27

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