さて、小さい動物の研究をしているはちと、動物を数字で見る研究者のけいです。
この番組では、研究者として、ひよこ教員として、はたまた普通のからさわとして、私たちのさばいばる日記をお届けしています。
今回は、博士論文をもっと知ろうというテーマです。ずいぶん前の回でね、あの英語の科学論文の書き方だったりとか、
あとはその学術誌に載る論文の形式とか、あとは投稿の方法なんかもそうでしたっけね、 紹介をされていた回がありましたよね。
はい、もうほんとポッドキャストを始めたばっかりの時に、論文を書くって研究者にとってすごい大事なので、
まあどんなことをしているのか説明したいなと思って、頑張って作ってみたんですが、
なかなか聞き、なんかすごい細切れになっちゃって聞きにくいかもしれないんですけど、
研究者にとって論文を書くってことがどれだけ大事で、結構いろんなプロセスがあるってことが伝わっていれば嬉しいなと思うんですが、
今回もそれに関連はするんですけど、博士論文について話したいと思います。
博士号をそもそも取るっていうことにね、おなじみない人にはあまりピンとこないかもしれないですけど、
普通のその大学を卒業するっていうのと違って、年数いたら出れるっていうものじゃないじゃないですか。
そうなんですよね。
最終的に論文をちゃんと書いて、それを博士論文としてまとめ上げて、その段階で初めてこう、卒業したいですっていう申告をする権利を得られるみたいな感じですね。
確かに、そんな感じですよね。
だからそういう意味で、卒業の要件の一つとしてね、すごく大事なものだと思うんですけど、
でもあんまりその博論って何やってるのって聞く機会はね、多くないと思うんですよね。
そうですね、なんか自分で何をしたかは説明できるけど、やっぱりいろんな人の話を聞くと結構大学によっても違いそうだったりとか、
違いますね。
ちょっと前に35歳、右に行くか左に行くかっていうポッドキャスターを番組さんのないちゃんさんにもお話し聞いたんですけど、
ないちゃんさん文系の、いわゆる文系の分野の研究者で、結構博士論文の書いてることとかも私たちと違ったりもしていて、
そうですね。
文系と理系での違いとかは、ちょっとあんまわからないことも多いので、ちゃんと今回は説明できないんですけど、
あくまで私たちは理系の博士論文を書いたっていう経験があるので、その時にどんな博士論文を書いていて、
さらに審査もあるんですけど、それに対してどんな審査があって、で博士号っていう学位を取得できたのか、話してみたいと思います。
いやもう涙なしでは語れない。たくさん出てくると思いますけど、よろしくお願いします。
お願いします。で、けいさんと私大学が違うので、そういう意味でも似てるところと違うところと話せたりとかしたらいいのかなと思ったりしています。
そうですね。
で、博士論文のちょっとだけ大枠で話しておきますが、理系だと、日本の理系だと博士課程は基本年数が3年というふうに言われます。
で、その前に修士課程で2年研究しているっていうのが多いかなと思います。
その間の研究に対して、その成果を科学雑誌に投稿して受理して、科学論文として受理するっていうこと自体も卒業要件の一つになっている大学はとても多いはずなんですが、
その論文化にプラス成果をちゃんとまとめて一つの博士論文にして、さらにそれを審査してもらうっていうのが基本は必要です。
私が知っている博士論文は雑誌で掲載された論文を束ねて、ちゃんと一つのものとして、衝立てしてまとめたものっていうので、論文型と呼ばれるものをみなさん書いているんじゃないかなと思います。
1個違いとしてはあれですよね、海外の雑誌とかに論文化行くと、そこの匿名の作読者っていう人たちが、2人とか3人とかついて、その人にコメントをもらって、OKか書き直しか、あるいは却下かみたいなことを決められるわけですけど、
あれですね、いわゆる僕らは博論博論と略しますけど、博論の場合、大学の中とかあるいは分野の近い身近な研究者とかにお願いをして、匿名じゃない人に審査を。
そうですね、ありますね。でも、ちゃんとこれじゃダメだみたいなこともありますよね。
いや、ほんとそうですね。むしろ顔見知りだからこそ結構だし。
確かに結構厳しかった。
要は先輩研究者みたいなところになるので、ちゃんと容赦なく指摘を。
そうですね。私の博論がどんな感じだったかっていう話なんですけど、まず英語で書きました。
で、章立てとしては、General Introductionっていう導入部分があって、2章目から、掲載論文2章目、3章目、4章目、
もし何章まで書いたんだろう、ちょっと忘れちゃった。
があって、で、最後の章で、General Discussionということで、全部の論文をまとめてディスカッションするっていう章。
っていうような形になってて、5章か6章でまとめたと思います。
なるほど。で、その間にある、2章から5章ぐらいまでのものっていうのは、もうすでに、はちさんの場合は論文として出てた。
3本ぐらい出てて、1本だけ出てなかったと思います。
採択はされてないけど、進行中の研究プロジェクトの成果みたいなのを、1つの章として入れたっていう感じですね。
けいさんはどうですか?
僕は、いろいろ迷走してて、最初は日本語でいいって言われたんですよ。
で、日本語でいいって言われたんだけど、途中の審査の、予備的な審査の段階で、おおむね悪くないけど、もの足りないっていうことを、審査の人から言われて、
その段階で、1つ章を足すか、もしくは、どうせお前これ英語に書き換えて、将来的には投稿するんだから、英語にしてしまうか、どっちがいい?って言われて、
僕は、せっかくなので章を足すっていうのを選んだんですよ。もう日本語。英語の論文って他で書く機会ありますけど、日本語で論文書くのって、あんまりチャンスないじゃないですか。
確かに。
せっかくだから、日本語で書く代わりに、ちょっと内容を充実させたいなって思って、章を増やしたら、後から、けい君、やっぱりさ、英語じゃないとダメらしいんだよねって言われて。
出た出た。
で、その時点で、もう最初の審査が、書類ベースの審査が始まる教授会の10日前。
いやー、当時チャットCPTとかないですしね。
けい君さ、あと10日で英語にできるかなって言われて。
その中で常に投稿論文になってたやつとかはないんですか?
なかったんですよ、その時。
僕は、あの分野が。
よく戦ったね。
分野がもう途中で変わってしまったので、論文を書いたことはもちろんありますと。
で、掲載論文もあるんだけど、そういう内容とは全然違う話で、白論を書こうっていう形になったので、本当にもう、1から全部自分で作ったって感じですね。
すごいな。
で、相当しんどかったでしょ?
めちゃめちゃしんどいですよ。
その時、フルタイムで仕事もしてたので。
やば、そっか。
ふえさん、この時働きながらやってたんだ。
そうなんですよ。
最初は働きながら白論を、その時はもうアカデミアに残らないかもないぐらいのつもりだったので、将来的にゆっくり白論に取り組んで、最終的に自分のゴール、研究者の区切りとして、それ出せたらいいかな、ぐらいに思ってたんですけど。
やっぱり、9時スタート、6時終わりだったんですけど、その時、勤務時間が。
フルタイムで働いて、それで白論をコツコツ重ねるって、無理だなって、割と早い段階で気づいて。
なので、本当に短期集中で、ちょっと長続きするような生活スタイルじゃないかもしれないけど、ちょっと体力的に無理して、頑張って書くみたいな生活でしたね、その時は。
うわー、それは厳しいな。
でも、白論書いてる時、どうだろうな、すでにパブリッシュ論文がある人が、それをまとめてってなると、ずいぶん雰囲気変わると思うんですけど、
白論書いてる時、そういう夢とか見ませんでした?
いや、私は多分、全然真逆な感じの経験で、もう全部ほぼ論文になってるので、マジでまとめるだけ。
あとは、ジェネラルイントロとジェネラルディスカッションをもうちょっと付け足して、で、まぁイントロのところはレビュー論文になったらいいなっていう、ちょっとマークはありましたけど、
正直その、D論を書くこととか、そこの審査に対しては、あんまりストレスなかったかもしれないですね。
そうなんですね。
でも割と、なかったわけではないですけど、これで落ちたらどうしようとか思ってたし、一本分はもちろん書き上げたので、あったけど、もうちょっと全然次元が違うと思います。
僕はその当時、いわゆるハツさんとかと違って、実際の生き物で実験するとか観察するっていうのではなくて、コンピューターのプログラムを作って、その内容の研究をしてたんですけど、コード間違えてたら、全部パーになるとかあり得るわけじゃないですか。
本当に朝3時ぐらいに、コードを書いてる夢見て、47行目にバグを見つけたって、これをちゃんと直したら、結果が全部パーに、今までの積み上げてた、うまくいってると思ってた結果が全部パーだったみたいな夢をね、飛び起きて、すぐ確認するみたいなところになりました。
ハツさんの場合、そのジェネラルイントロとジェネラルディスカッションを書いたって話だったんですけど、それって、僕全然イメージつかない。どれぐらいの時間を使って書けるもんなんですか?
でも私は結構、もう本当に一つの分野でしか書いてないので、一つのトピック数でまとまりがいいようにまとめたので、あんまり苦労せず、本当にちゃんと昔の論文から全部さらうっていうだけで、どんぐらい書けてたかなぁ。
でもなんか、終始から私はずっと同じテーマをやってるので、もう知ってる論文をひたすら書いていくっていう感じだったし、でもやっぱ書き方とかあんま分かんなかったんで、ちゃんとサーベイしたかったんで、まあ1ヶ月ぐらいをかけた気がしますけど。
そうなんですね。なんか人によっては、なんか本当にたくさん論文持ってる人とか、なんか半日とか1日日で書いちゃったみたいな人いません?
全然、でもなんか内容的にはそんぐらいで書けた気もしますね。でもなんかいいものにしたいから、まあちょっと言い回しとか考えたりとか、そういうところにフォーカスしてただけで、あとまあ読む時間にフォーカスしてただけで。
なんかそういう、さっき話聞いて思い出したのは、なんか当時、その次、学位取った次の年の職が決まってなかったので、
それはストレスですね。
そういう意味では、ちょっとあれがあったかも。ストレスだったかも。これ取れても何しようみたいな。
逆に言うと、その白論どころじゃないっていうか。
そうそうそうかも。確かに。それでストレスでしたね。そうだ思い出してきた。書くこと自体は。
いやー、なんか本当に、例えばそのすでにパブリッシュ済みの論文をまとめるときって、まあ一つのチャプターが一つの論文にあたるので、まあ20ページ30ページぐらいとかですかね。
図とか入れてそんなもんで、本当に図のナンバーリング変えたりとか、サプリにつけてる情報を全部本文に入れて、サプリメント、マテリアルがない状態にちょっとフォーマート転換するのと、
あと主語をweじゃなくてiにしろって言われて。
あーなるほどね。自分一人で書くものですからね。
で、もう別になんかその内容に対しては直さなかったんで、もう全然時間かかってないですね。
なるほど。
その前に時間をかけてましたけどね、その出版するまでにっていう。
うん、まあもちろんね。その一本一本出すときにすごく時間はかかった分、最後にまとめるのはそんなに苦労しなかったっていう。
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てかまずその、白論の捉え方、価値観みたいなのが全然違って。
確かに確かに。そもそもなんかじゃあここまでここのプロジェクトができたから博士の審査に入ろうかっていうまず段階がありますもんね。
それすっ飛ばしちゃいましたね。
私時期は忘れちゃったんですけど、私は後で何か話すんですけど、審査員が学内の人と学外の人が両方いて、
学内の審査員の人だけが予備審をしていて、その先生たちの前でプレゼンをして、論文を見せるとかのプレゼンをして、
で、どういう章立てでいくのかと、各章の軽い内容と、どの章がどれくらいパブリッシングが進んでいるのか、投稿が進んでいるのかっていう状況を説明をしました。
で、その段階で私結構もう投稿されてたというか、載ってたので、論文自体が、ああ、オッケーオッケーみたいな感じで、軽く済んでましたね、予備審は。
そこが、もしもう全然1本目も全然投稿してませんみたいだったら、多分いろいろあるのかもしれないです。
何回やったかな、僕。
何回かやります?
何回かやりました。自分の指導教員と、あと、はつさんと同じで、学外の審査の人も何人か来ていただいたんですけど、
タイミングが合わなかったりとかするので、一人一人に対してやるみたいな。
へー。
全員ではないんですけど、まとめてできる人とかもあったんですけど。
何回かほぼ同じ内容を喋りましたね。
へー、結構ちゃんとしてますね。
で、3回目終わったぐらいの時に、自分の指導教員が、なんかようやく何やってるのかわかってきた気がするとかって言われて。
笑っちゃった。
あれもちょっとありますよね。そういうの。
まあ、なんかすごい時間かけて、時間とってそれだけ理解しようとしてくれたので、ありがたい気持ちももちろんあるんですけどね。
確かに。
それだけこっちの説明が下手だったっていう見方もあるので、そこはね、ありがたいですけどね、今となっては。
なんか予備審って公開だったか非公開だったかとか覚えてますか?
予備審は非公開でした。
私どうだったかな。
で、本番の審査、最後の本当に論文を書き終えて、発表内容をプレゼンしてっていう、その結果によって審査員の人が学位出すか出さないか決めるっていう。
そのタイミングは一応公開で、いろんな人来てもらった記憶があります。
そうですよね。
もう書き終わって、で、書き終わった論文を審査員の先生に送って、見てもらうみたいなフェーズも多分踏んで、で、大きな審査会があって。
で、私もその審査会は公開がありました。
で、基本は公開でやりました。
それは結構記憶に残ってるんですけど、45分ぐらいプレゼンして。
同じですね。
で、その後質疑。本当ですか?
45分で理論の内容を全て説明して、で、その後公開なのでオーディエンスから質問を受けるっていう感じ。
で、ちゃんとは時間決まってなかったんですけど、30分ぐらい質疑したかなと思います。
そうですね、そうですね。雰囲気とかどんな感じでした?
まあまあピリつくかなと思います。
審査員の先生は学内の先生が3人ぐらいと、学外から2人、自分で好きな人呼べるっていう形でした。
で、ルール的に海外の人呼べたかあんま覚えてないんですけど、でも確か呼んでる人とかもいたので、大学のルール的には呼べると思いますが、
その場合はもしかしたらオンラインだけかもしれない。投稿費出せないかもしれない。
ですけど、私は日本の先生で見てもらいたいなって方が2人はいたので、その先生にお願いして。
で、審査会はプレゼンは日本語でしました。
そうですね、僕も発表は結局日本語だった気がします。
原稿は英語で書いて、それの内容を日本語で喋るっていう形でしたね。
で、どうだったかな。結構やっぱりいろんな方が聞きに来てくれたりするので、審査員の先生からではなくて聴衆の人から質疑を受けた記憶があります。
なんかこう博士論文の審査ってちょっとセレモニー的というか、ちゃんとこう、もちろん審査の場なんだけど、ちゃんとここまで到達しましたっていうこと。
なんか少しお祝い的な雰囲気もあるような気がしていて。
なので結構こう、ちゃんと時間がある人はみんな聞きに行こうねみたいな、そういう雰囲気はありましたね。
私が多分一番怖いというか、うちの大学的に怖い目のやつは、公開の質疑の後に非公開審査があって、私と審査員の先生だけで質疑応答受けるっていうのをやります。
で、これが多分時間無制限。審査員の先生がオッケー出すまで、ひたすら答えるみたいな。
で、記録としては本当に一瞬だったけど、1時間ちょっとは少なくともやってたと思います。
いや、結構やってますね。だって45分しゃべって、30分質疑受けて、そこからプラスで1時間やるわけでしょ。
でも先輩たちによってはもっと長くやってる人とかもいました。
で、そこは本当にピリピリだったかも。
みんな優しい先生なんですけど、結構ちゃんと突っ込まれるみたいな感じ。
で、いい経験でしたけど、でもまあ、なんか終わった後に審査員の先生に、めっちゃディフェンスしてたねって言われました。
そりゃそうですよ。当たり前じゃないですか。
褒めてんのかな、なんかわかんないけど。でもディフェンスはできたし。
僕の時は、次を長めにやる代わりに、非公開の審査員だけの人の審査っていうのはやってなくて、
でも嫌なのは、審査会をやった大きめの会場、つまりいろんな聴衆が入れる会場の隣のちっちゃめのミーティングルームに審査員たちがゾロゾロ入ってって、
そこで30分くらいなんか競技をやってるんですよ。で、僕その間、その会場に一人で残ってて。
ああ、そういう感じなんだ。
何喋られてるんだろうみたいな感じで、ドキドキしながら、いつ彼らが出てくるかもわかんないし、どういう結論になるかもわかんないしっていうので、待ってた記憶がありますね。
でもそれは一緒です。私はその部屋で審査員の先生たちが続きで会議するみたいな。
途中までは本人いる場でいて、途中で出てって、残りの人たちで競技をするっていう。
競技する。で、私のところはもう研究室帰っていいよって感じだったんで、帰って他の人たちにお疲れお疲れって言いながら、一応ドキドキして待つみたいな。
さすがに大丈夫だと思うけどみたいな。
いやーね、わかんないですからね。大丈夫だと思うけどって言うけど。
そうなのでしたね。
本当、なんかあの時の緊張感って、すごい独特だし、すごい精神をすり減らす気はするんですよね。
確かになー。すり減りますよね。
なんか、そういうの経験したこそ、その白志望を持っていることに結構誇りに思うというか、自信になっているところもすごいあります。
自信はありますよね、やっぱりね。
なんかすごい覚えているのは、博士審査が終わって、一応OKですってなったっていうことをSNSで報告したら、
全然分野も違うし、ほぼコミュニケーションしたこともない研究者の人から、すごいなんかおめでとう、PhDクラブにようこそみたいな感じのコメントをこう笑ったことがあって。
確かに確かに。
なんか、あ、そっか、そういうの分野とか、その個人的なつながりとかじゃなくて、僕らこの経験を絶えたんだねみたいな、そういう共感があるんだなっていうので、すごい印象に残ってますね。
へー、確かに。
なんか、比べるもんじゃないかもしれないけど、今私妊娠中の時期に収録してるじゃないですか、
妊娠おめでとうって言われるより、ドクター仕事おめでとうの方がすごい威力、すごい勢いでおめでとう言われる気がします。
大体的にみんなに言ったからかもしれないけど、そのドクター取れましたは一気に言えるじゃないですか、卒業しましたみたいな。
なんかすごい、わーってなる。
妊娠って言うとね、まだこう油断ならないというか、
確かに確かに。
これから大変なこともあるから。
生まれた時のやつと比較しよう。
確かに。それもう一回教えてください。
はい、どっちがあれか。
いやでも確かに、あれ結構人生で一番喜ばなったよね。おめでとうをもらえる番ですよね。
そうですね。
今のこの短い時間の人生の中では。
またこれが、今我々はまだ若手だから、博士を取った時の記憶っていう形でトークしてきたじゃないですか、
これ将来的に学生が、たとえば博士行きたいとかってなったりとか、
送り出す側になったらまた全然違うエピソードがきっとたくさん出てくるんだろうなって思うんですよね。
そうですね。
今のところ卒論と就論発表会は、自分の発表の方が10倍ぐらい楽。
緊張度はいい。
いやめっちゃわかります。超緊張した。最初の学生の卒論発表は。
ね。確かに。これがドクターだとどうなるんでしょうね。
ドクターはまた別格だと思いますよ。
そういう経験したら話したいですね。
ね。
いつになることやら。
最後に、たとえばはつさんから、他の今博士課程を目指している、
あるいはこれから審査を迎えますっていうリスナーの方に向けてアドバイスとかってあります?
いやもう私は、本当に早く論文を投稿することしかないと思います。
なるほどね。
なんか、自分自身のドクターを取るっていう計画とか、自分のパーソナリティを考えたときに、
追い込んでバッてやるってことが向いてないのは、すごいよくわかってたんですよ。
あ、そうなんですね。
向いてない。本当に向いてないんで、それは早い段階でわかってたんで、
もう趣旨とか早い段階から、もうとりあえず結果が出たらすぐ論文に出すみたいな。
っていう意識でやってたんですよね。
それは確かに指導教員の方針でもあったんですけど、
年に1本ぐらいを書きなさいみたいな。
最低それぐらいを書かないとドクターなんて取れるわけありませんみたいなぐらいの勢いだったんで、
はい、みたいな頑張りますみたいな感じでやってたけど、
やっぱり1本あるだけで本当に精神的な安定度は違うし、
もちろんね、Kさんとかの経験みたいにいろいろあることもあると思うんですけど、
でもできるならまずそれ。
それを先延ばしするのは本当に良くないと思います。
いや、なんか本当にすごい優秀な研究者だけど、
あんまりアウトプットを出せないっていうか、