2020-02-26 06:13

#18 契丹族

契丹族という民族は、世界史の授業では、中国史に出てくる宋の外敵というイメージが強いかもしれません。今回は、中国目線ではなく、契丹族を民族のエピソードを交えながら紹介したいと思います。
<受験キーワード> 契丹、澶淵の盟、耶律阿保機、燕雲十六州、西夏、慶暦の和議、女真
<制作>
出演:オルタ・百合城 
プロデューサー:富山真明 
制作:株式会社PitPa

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00:01
こんにちは、ゆるしろです。
こんにちは、うるたです。
皆さんは、キッタンという国をご存知でしょうか?
キッタンってどういうイメージありますか?
1004年の聖縁の銘とか、
1044年の契約の和訳、
あ、これは聖歌か。
あと、永遠十六宗ですね。
キッタンのやり継ぎ王籍が、
五代の皇陵、皇党、皇神、皇官、皇宗の時の皇神の建国の援助をして、
永遠十六宗をキッタンに挙げたっていう手紙ですね。
はい。世界史の教科書でやるキッタンの話って、
それぐらいなんですけど、
今回は、この世界史の教科書に書かれているのよりも、
掘り下げて、キッタンのエピソードを交えて紹介したいと思います。
キッタンとは、キッタン族という、
4世紀から14世紀頃にいたとされる民族が建国した国で、
高校の世界史では、中国の宗、源の辺りで出てきます。
まず、キッタン族は、モンゴル系の民族で、
元は遊牧を営む民族でした。
彼らは北疑の時代、だいたい4世紀頃に、
中原と言われる地域、中原というのは漢民族がいる土地ですね。
なるほど。
その漢民族の土地と貿易をして、
随や当の時代にだんだんと勢力が強くなっていきました。
はい。
キッタン族は、さっきも話した通りなんですけど、
モンゴル系の民族で、
モンゴル人のように遊牧を営んでいるだけじゃなくて、
カガン、モンゴルでいう藩を代表に立ててまとまっていました。
チンギス藩とかフリライ藩みたいな感じですね。
はい、そうです。
そして、10世紀の初めに、キッタンの建国者と言われている、
カガンのヤリツ・アボキという人物が皇帝になって、
国としてのキッタンが生まれました。
本来、キッタンのカガンは数年に1回貴族たちから改選されるので、
ヤリツ・アボキは何年も政治を摂りしきることはできなかったんですけど、
彼の側近が彼にこう耳打ちしました。
中元の帝王には皇帝するということは未だかつてありません。
これを聞いて、彼は自分が帝王になればいいと思いついて、
策略で他のカガン候補を殺しました。
この前説明したネロ帝の時のショア・グリッピノみたいな感じですね。
そんな感じです。
そして彼は、任期が来てもカガンの座を下りることを拒み、
他のカガン候補に問い詰められると、こう逆切れしました。
お前らが食べている塩は全て、私の池で採れた岩塩じゃないか。
もう少し私を握らったらどうだ。
他のカガン候補は渋々彼に答えて、彼を握らうために宴会を開くのですが、
その宴会の場で他のカガン候補を部下に殺させて、晴れて喫炭の肯定になりました。
晴れてなのか分からないですね。
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ちなみにヤリツアボキって言ったら、喫炭文字を作ったことでも言えるでしょうね。
ちなみに喫炭文字なんですけど、これは民族意識の高さが来ているんですね。
層とかに対抗して作ったんです。
この時期に出た喫炭文字みたいな民族文字は、あと助身文字と聖歌文字があって、
助身文字と喫炭文字は大体解読されているんですけど、
聖歌文字っていうのは見た目からして結構難しそうなのと、
いまだに解読されてないっていうので有名なので、気になった人は調べてみてください。
助身文字は喫炭文字と漢字を元に作られているので、
喫炭文字とまんま似てますね。聖歌文字だけ難しいんですけど。
喫炭でもう一つ有名なエピソードが聖縁の命です。
喫炭は1004年に北総に進行して、北総の都の開封まで到達して、朝廷を強行状態まで落としめました。
ちなみに南総の都は開燃やんですね。
ある大臣は開封からの戦闘を提案するんですけど、
その時の宰相の孝順という人物は喫炭との交戦を主張して、皇帝に喫炭を撃退させました。
しかしその後も両国は対立して、喫炭は勝つ見込みがなかったので講和を要求しました。
これが聖縁の命です。
この時、宰から派遣された講和の使者である宰理王という人物は、皇帝から喫炭が100万の金銭を要求しても受け入れていいと言われていたんですけど、
孝順は彼に、皇帝は100万出すことを許しているといえども、お前が30万を超える金銭の要求を了承したら殺すと脅され、
最終的には銀10万両、絹20万両を喫炭に毎年送るというので死結しました。
これが聖縁の命です。
その他に宰が関係しているのだと、聖歌と無心な経歴の和訳ってやつなんですけど、
1044年に宰は聖歌に毎年銀5万両と絹13万匹を送るってしたんですね。
ちなみにさっきの聖縁の命なんですけど、宰が兄で、喫炭は弟として、
神科の例って言ったよね。
要するに喫炭は宰を利用していたわけですね。
今回は世界史で習う範囲より深掘りして喫炭を紹介してみました。
高校世界史を履修済みの方は、もしかしたら喫炭のイメージとかが変わったのではないでしょうか。
こういう深いエピソードとかは、岩波新書から出ている私学系の本とか、
赤字書店の書籍に載っていて面白いので、
今回紹介した話も赤字書店の世界の教科書シリーズというものを参考にさせていただきました。
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皆さんも気になる本があったら読んでみてください。
ご清聴ありがとうございました。
ありがとうございました。
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