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こんにちは、おるたです。
こんにちは、ゆりしろです。
今回は、Apple Podcastの方にリクエストをいただいたので、そちらを紹介していきたいと思います。
世界史の授業でネロ帝が出てきたんですけど、
簡単にしか説明してくれなかったので、詳しく説明してほしいというリクエストでした。
リクエストいただいてありがとうございました。
ありがとうございました。
それで、今回はネロ帝について説明していくんですけど、
正直言うと、高校の世界史の範囲で出てくるのはほんの一部なんですね。
世界史の範囲で説明すると、
イエスが処刑された西暦30年頃、だいたいキリスト教って始まったんですね。
そのキリスト教と西暦64年、ネロ帝が大迫害したとされているということぐらいが世界史の内容なんですよ。
世界史で出てくる範囲なんですけど。
パウロとかもネロ帝に殺されてたんですよね、確か。
パウロがローマ国内で布教して、ペテロがアジアとかに布教したんですね。
では、なぜネロ帝はキリスト教と大迫害したと言われているのかについて、
当時の事態背景を踏まえて紹介していきたいと思います。
まずネロ帝なんですけど、よく暴君とか史上最悪の皇帝とか言われているんですけど、
実はこれ一概に暴君とは言えないんですね。
ネロ帝という人は全く皇帝になろうとは思ってなかったんですよ、最初。
ネロの母親のアグリッピナという人が自分の子供を皇帝にしようとして、ネロ帝は皇帝になったんですよ。
その時ってローマは女性が皇帝になれないんですね。
だから自分の息子に皇帝にさせようとしたんですよ。
なるほど。
このアグリッピナという人はあらかじめ色々と工作していて、
良くないこととかも色々しているんですね。
ライバルみたいな人を殺そうとしたり。
こうしてローマの第五代皇帝になったんですね、ネロ帝は。
皇帝になったばかりの頃っていうのは、ストア派哲学者のシネカの子さんなどもあって、
前世、いわゆる良い政治を行っていたんですよ。
シネカって幸福論を書いた人ですよね。
そうですね。
ストア派哲学者のシネカの子さんもあって良い政治を行っていたってさっき言ったんですけど、
しかし母親のアグリッピナに政治や恋愛事情など様々な干渉されたんですよ、ネロ帝は。
それによってネロ帝は母親が煩わしくなって母親を殺します。
これもネロ帝が暴君と言われているゆえの一つなんですね。
そして何よりもネロ帝が暴君と言われる大きなテクノブがローマの大火事です。
この火事は6日7番に及びローマの大反害が起き落ちてしまいました。
この火事が起きた後にネロ帝は迅速な指揮で火事の被害を最小限に収めて、
その火事の跡地に黄金の宮殿を建設したんですよ。
結構良い人なんじゃないですか。
良い人って多いじゃないですか。
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でも実はこの火事を起こしたのがネロ帝なんじゃないかって言われてたりして、
その黄金の宮殿はトムス・アウレアって言うんですけど、
この迅速な制裁事項や被災者の救済などはローマ市民からお気が良かったんですよ。
そのためネロ帝はこの宮殿を作るために火事を起こしたのではないかと言われています。
しかしローマ市民のために火災を沈めたので、
ネロ帝のせいではないという理解もあって、本当のところは分かりません。
ネロはこの火災の犯人をキリスト教徒と決めつけて、
自分が犯人じゃないと思わせるために、
その時は大半の人は信仰していなかったんですよ。
だからキリスト教のせいと決めつけてキリスト教徒を処刑します。
それが迫害の原因ですか?
それが迫害。
それまでキリスト教はあまり知られていなかったんですけど、
これで市民に知られることになります。
この時イエス十二使徒のペテロは神教し、パウロモローまで神教しました。
このように母親を殺したことやキリスト教徒を迫害したことが
暴君と言われている原因の一つです。
しかし実際のところネロ天は、
死刑執行の作用をしなければいけない時に
ジランと掛けんなければよかったのにと言っているんですね。
だからそこを処刑したくなかったんですね、人は。
あとは芸術とかさまざまな娯楽を好んだりするいじめもあって、
公衆の風呂場、ロマン。風呂が有名だと思うんですけど、
そこに絵画とか仕様を飾ったりして、
そういう娯楽もあったので市民からも喜ばれました。
ではなぜネロ天が暴君と言われているか、
それは元老院の情報捜査という説もあります。
もともとネロ天と元老院は仲が良くなかったんですね。
ネロがローマの火災の際にキリスト教を迫害したことを伝えているのは
ローマの歴史家であり元老院のタキセスという人なんですよ。
年代記を書いた人なんですけど。
これがローマの大火災に関する唯一の資料なんで、
しかもそういうのって自分の都合の良いように書くじゃないですか。
タキセスも元老院側だから敵のことを悪く。
熱像だった説が。
そういうこともあるんじゃないかなとは言われて。
だから都合の良いように書かれていることがあるかもしれないですけど、
でもネロに批判的だったタキセスも
火事の後のローマの災厳に関しては
人間の知恵の区切りを尽くした有効な施策でもあったと記していることからも
やはりネロは母親を殺すような悪の根源のような一面もありますが
このように皇帝としての善良な考えも持っていたのではないでしょうか。
ちなみにキリスト教が婚姻されるのは
313年のミラの直例なんですけど
これはコンスタンティヌス経が出したんですけど
これはキリスト教だけでなく他のすべての宗教の信仰を自由に認めた直例なんですね。
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だから多分キリスト教だけを認めたって思っている人もいるかもしれないけど
でも実際はキリスト教だけでなく他のすべての宗教とか
民族の信仰を自由にするっていう直例なんですね。
その後の325年のニキレン公会議では
イエスは神の子であり本質において神性を持つと主張した
新しいイエス派という宗派が政党となって
イエスの神性を否定し
あくまでイエス本人は人間であるって主張したアリエス派が
委託されてしまいます。
その後の380年のテオロシウス帝の時にキリスト教は国教化されました。
だからこれがキリスト教が広まる原因なんですね。
このようにしてキリスト教は拡大して
現在では世界の総人口の約33%もの人がキリスト教を信仰しています。
これでネルテンについての話を終わりにします。ありがとうございました。
ありがとうございました。
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