本語り43回目です。 それなりに生きていると、医者にかかった経験というのは誰でもあるかと思います。
ただ、入院したという人は、人によりけいだと思いますけれども、私もそれなりに50年近く生きてきますと、入院した経験というのがあります。
初めての入院というのは、小学生の頃でしたけれども、これは今でも忘れられないものですが、
自転車で坂を降りていた時なんですけれども、愚かなことに右左ブレーキがあるわけなんですけれども、
片方のブレーキが切れた状態で乗っていたわけなんですね。 そして坂を下っていた時に、もう片方のブレーキが効かなくなったわけなんですね。
つまり何にもブレーキが効かない状態で、坂を下っていくという状態になった時に、その下は交差点があるという状態でした。
そのから先の記憶というのがもう全く残ってないんですよ、私は。大人の頭で考えたら、そんな下に突っ込むぐらいなら、わざとこけてとか、横にずれてとかいうことも後じえでありますけれどもね、そんなこともなく、
後で聞いた話によると、そのまま下に交差点に突っ込んでいったそうなんですが、気がついたら病院のベッドだったと。
幸いなことになんでしょうけれども、肩を脱臼していたぐらいで住んでいたわけなんですね。
警察の人だと思いますけれども、信号は赤だったかどうかということを何度も聞かれましたけれども、私は本当に何の記憶もないから覚えてないとしか言えなかったということがあります。
車にぶつかったんでしょうかね。それもちょっとわかんないけど、私にぶつかったか何か、あるいは私がぶつかったか何かの相手の人がお見舞いに来ていたということがあるそうなので、
今から思えば私が本当に迷惑をかけたなと思うわけなんですけれども、そんな脱臼ぐらいで住んでよかったなという状況がありまして、それが初めての入院でした。
その後なんですけれども、これは大学生の時になりますかね、急に本当に頭痛がひどくなって、ちょっと経験したことないような頭の痛さだったので、
ちょっとこれは敵わないという形で、急遽一番近いベッドのあるような病院に行きまして、
行こうと言っていたら、待ち合いの時に本当に気分が悪くなって、トイレで吐くような状態にもなって、これはということを言っていたら、ちょっと本当に詳細は忘れましたけれども、診察して即入院という形になりまして、
何でも髄膜炎だったみたいで、そのまま入院ということになりました。
幸いなことに、救世機は脱し、脊髄あたりから何か注射的なことをして、
あなたここで今動いたら一生動けなくなるかもしれないから、絶対にこの処置の後は顔も動かさないでね、みたいなことを言われて、恐ろしくて、とにかく微動だにしない状態をしていた記憶はありますけれども、
そんな困難の処置などもありまして、幸い回復していって順調に退院することができたということがあります。
その時が本格的な入院体験になったわけなんですけれども、どれくらいなんでしょうね、もう本当に記憶は曖昧なんですが、1ヶ月いたのかなというぐらいは入っていたんじゃないかと思います。
その時なんですけれども、最初は個室だったんですが、その後はこのままだと砂漠ベッド代が必要になりますけどと言われたときに、
お金もないので合部屋に移るということになって合部屋にしたわけなんですが、2人部屋だったわけなんですね。
2人部屋ですごく年配のおじいさんが合部屋になって、本当に一言も会話をこちらとしないような方だったわけなんですけれども、
そういうお病気の方だったんだと思いますけれども、とにかく痰が詰まるような感じだったんですね。
それはもう病気だから仕方ないことなんですけれども、始終喉を詰まらせていらっしゃいますので、
こちら側もうとうとして寝ようとしても痰が絡む形で目が覚めてしまうということがあって、
これはなかなかちょっと睡眠不足にもなって大変だな、そういったことがありました。
とにかく近くの大きめの病院ということで行っただけなんですけれども、どうやらご年配の方がたくさんかかっている病院だったらしくて、
入院している方も年配の方が多くて、若いのは本当に僕ぐらいなんじゃないかなという感じだったわけなんですけれども、
その時、夜中には廊下から夜な夜な、看護婦さん、看護婦さんという弱々しい声で呼ぶ声が聞こえてきて、
ナースコールがあるんでしょうけれども、ずっとそれを言っているのが、頭に声がついて離れないということがあって、
なかなかこっちはまだ若いので経験も不足しておりますけれども、やっぱり病気というのは大変だなということを思ったという感じではあったわけなんですね。
これくらいが私の入院体験ということになるわけなんですけれども、なんでこんな話をしたかと言いますと、今回紹介したい本がこちらなんです。
柏木ひろき、6人部屋の13年間、病室で出会った忘れられない人たち。
小文者です。 この本が近頃出まして読んだら大変面白くて、これをね今日は紹介しようと思っております。
なんでもこの柏木ひろきさんは、20歳の時に海洋性大腸炎というのを突如発症されたそうで、入院することになったら、
なんだかんだで結局13年間も入院生活を余儀なくされてしまったというわけなんですね。
海洋性大腸炎というのが国指定の難病ということで、始終下痢をしているような状態、また血便が出るような状態ということで本当に大変な状況なわけなんですけれども、
13年間病院で過ごすことになるというわけなんです。 そうすると本当に初めの方に書いていらっしゃいますけれどもね、人生の空白期間という形で、今から大学を卒業して
社会に向かって羽ばとこうという時期に、それからもう13年つったら、普通に考えたら33までのその間というのはいろんな経験をする時期でしょうけれどもね、
病院で過ごしたということで、私はもう人生にそんな空白期間があるというふうな思いでいらっしゃったそうなんですね。
だけど、そんな経験のことをいろんな人に話してみたら、大変なんかみんな面白がってくれるということで、あれこれは意外に空白でもないんじゃないかと、
ここはなかなか話す価値のある経験だったんじゃないかみたいなことで、この本が生まれたそうなんですけれども、
おっしゃる通り、大変豊かな経験というものがこの中にはあるように私は感じました。 この本というのは、もうすでに入院した経験のある人、あるいはこれからどんな状況で人っていうのは入院することになるかわかりませんので、
そんな時のためにあらかじめ読んでおく、あるいは入った時に読むには本当に素晴らしい指針になるような本だなということも思ったりしました。
そんなことを考えなくても、豊かな人間模様が繰り広げられてて面白いんだけれどもね、素晴らしいものでした。
そういったことを示す意味で、非常に好きな象徴的なエピソードがここでは紹介されているわけなんですけれども、
なんでも最初に入院した時には田舎の友人がこっちからお願いもしてないのに勝手にね、ダンボール箱を一箱ね、病院に送ってきたそうなんですね。
するとまあ、看護師さんがね、こういうことは困りますっていうことで言ってね、まあ重たいダンボールをね、なんか勝手に送りつけてきたってことでね、こっちとしても頼んでもないように邪魔になるしって感じだったわけなんですが、
そのダンボール箱に入っていたのが、ダンボール箱いっぱいの漫画だったそうなんですね。
柏木さんとしてはね、いきなりこんな難病になって人生も真っ暗で読む気もないっていうところなんで、最初はね、なんでこんなものっていう思いもあったそうなんですけども、
しかしね、なんだかんだでその中に入っている漫画を読んでいったら、その漫画の中にね、雷を漏らしてしまうような漫画があったそうですごく切実にね、それが訴えかけるもの。
まあたまたまだったんでしょうけどもね、それがきっかけとなってね、ダンボール箱の中の漫画を全部読み、またそれがさらにこうして今度は本に手を伸ばし、
本を読む。どうもね、柏木さんは肩書きとして文学紹介者というね、肩書きを使っていらっしゃいますけれどもね、さまざまな文学作品を紹介するということをね、
なりわいにしていらっしゃるということですので、いわば現在の職につながるような、最初の第一歩というのはこの送りつけてくれた漫画だったということを書かれているわけなんですね。
なんで田舎の友人は漫画を送ってくれたかというと、何でも子供頃に長期入院した経験があったそうなんで、その経験から送ってくれたというわけなんですね。
柏木さんは振り返ってね、本当に一番ありがたいお見舞い品だったということをね、書いていらっしゃいますので、そんな柏木さんが書いた本というのも今後入院する人にとっては一番ありがたいお見舞い品になるような本だったんじゃないかなということをね、
感じてしまいましたので、いろんな意味でもこのエピソードというのは象徴的だったなというふうに思います。
そしてこの文学紹介者というふうにおっしゃってますけれどもね、これが本当に的確で、というのが数々の引用ですよね。
外国文学、日本の近現代文学、そして落語なんていうのもかなりたくさん出てきますし、あるいは映画やドラマなんか、それの脚本なんかからもね、豊富な引用がされているわけなんですね。
それはともすれば、自分を誇示する引用というのも世の中にある。
俺は知ってるんだぜっていう引用も世の中にはあるわけなんですけども、そんなことではなくて、文学作品の引用というよりも自分の血肉となった経験を、
過去こんなことがありましたよっていう感じでね、他社の文学作品を引用しているように私なんかは見えるわけなんですね。
だから空白と言っている13年間にたくさんの本を読み、映画やドラマに接して、自分の中で血肉になっているからこそね、それが自分の擬似体験として的確に、
こうやってこんなことがありましてねっていうのを、人の記憶が自分の記憶のように、人の作品が自分の経験のように語れているっていうところがあると思いますのでね、
その点で本当に見事な書きぶりだと思いますし、文学紹介者というね、肩書きに恥じぬ素晴らしい書き方だなというふうに感銘を受けたものでした。
それはそれとして話は戻りますけれども、その後こんな魅力的な本を書くようになる柏木さんなんですけれども、その現体験と言っていいんでしょうか、病室での話っていうものがここでは展開されているわけなんです。
最初柏木さんも旧正規で個室で入院している。その後症状が落ち着いてきたら、下学別隊がいりますので部屋を移ると。最初は二人部屋というものに行ったそうなんですけれども、いきなり乗っけから同室の人が全身入れ墨の役者なんですね。
それでここからびっくり一緒の部屋にいるわけなんだけど、弟分がこっそりと酒を持ってきたりするそうなんですよ。
で、その兄貴分の病人はこれだこれだとか言って入れ墨を見せつつ、ベッドの上で庭立ちになって一生瓶をグビグビと飲むなんてことを見せて、弟分はさすが兄貴なって言ってるわけなんですけどもね、その弟分が帰っていったらぐったりしてね、なんかどうも肝臓が悪いみたいなんでぐったりしちゃう。
で、しかもその残った酒はね、もう捨てちゃうみたいな虚勢を張ってるわけなんですね。そんな裏表が見えたりすると、もちろん怖くてそんなことを直接話しかけたりはしないそうなんですけど、そんな風な人に出会うと。
ちょっとこの全身入れ墨っていうのはよほど特殊な例かもしれませんけれども、その後結局二人部屋ではなく6人部屋に移っていくわけなんですけども、そこからね二人部屋っていうのは帰ってきついんだっていうことを書かれていて、
なるほど私はたまたま二人部屋しか経験したことなかったけれどもね、逆に6人部屋の方が良かったかもなっていうことを思ったりしましたけれどもね、その6人部屋で様々な人間模様が展開されているわけで、患者同士のね、医者には言えないような本音みたいなものもね、描かれていて興味深いものでした。
賞を分けされている中で大変興味深い面白いトピックスでそれぞれ描かれているわけなんですけれども、いくつか印象的なものを見ていくと、そうそうと思ったのがね、見舞客は大変ですねっていうのはわかるんだけど、私だったら無理みたいなことを言うそうなんですね。
これがちょっとよろしくないっていうことをね、書いていらっしゃってね、私なんかそれなんかはそうそうと思ったりしました。
というのが、例えばその学生にいろんな作品を紹介したときなんかの感想として一番なんかつまんないと言いますか、がっかりしちゃうのが何かっていうと、何とかはすごい、私には無理みたいな感想なんですね。
もう知らんかなと思いますよね。何であんたが基準なのと思ってしまいますよ。ただあなたができないだけですごくないかもしれないじゃないかと。何で自分ができなかったら相手がすごいってことになるんだっていうね。
自分を基準にするっていうのは誰にとってもあることなんですけどもね、感想として私だったら無理、何とかすごいっていうのは本当に読んでいてがっかりしますけど、
一定数そういうの出てくるから、ちょっと私の経験なんかにオーバーラップされながらも、確かにこの私だったら無理っていうのは自分が病気のときに頑張っているときにそれ言われたら余計腹立つだろうなーなんてことをね、思ったりしました。
そこからの展開も例の引用なんかも交えながら、それぞれのトピックスで非常に魅力的に書いてくれてるわけなんですけどもね、話の落ち着け方がね、いいんですよね。
例えばこの話どういうふうに収まるかっていうと、未満客の言葉でこんなふうなことを言ったら病人は気にするっていう言葉がいろいろあるとして、じゃあ何がダメなんですかとなったときに、いやそんなリストではダメなんだっていうわけなんですね。
結局こんな言葉はダメだよっていうことをリストアップしたところで、表面上のことであって、結局相手の気持ちをその場その場でやっぱりしっかりと想像していかないといけないんだってことですよね。
じゃあどうするんだって言うとやっぱりね、自分も相手を傷つけるリスクを追ってでも関わっていくんだって。
その中でやっぱりこれは違うっていうことが分かったら学んでいくっていうね、もちろんその後で修復すればいいんだっていうそんな軽い気持ちは全然ないはずなんだけれどもね、
相手のことを想像して話していくっていうことを許されてるから、変なマニュアル化ですよね。
しないところがすごく信頼を受けるし、当事者としてね。
かえってこのズバッとね、わかりやすい結論に導いてないところがすごく文学的と言いますか、リアルだなというふうに思ったりします。
気になるのが医者の話ですよね。
まあこの中で出てくる腕はいいけど、ろくでもない医者っていうのはやっぱりいるわけなんですね。
でも腕はいいんですごく複雑な気持ちにさせられますけれどもね、そういうのがいると。
でまたメインもやっぱりいるわけなんですね。
関心しちゃうわけなんですけれども、例えばこんなことを言ってまして、病気っていうのはもうお医者さんからしたらね、
その病気に対して使える薬や治療法っていうのはもうある程度決まってるんだ。
どの医者も手持ちのカードは同じだ。
しかしそのカードをどう切るかで結果は全然違ってくるっていうわけなんですね。
なるほどと思いますね。
だから薬や治療法が同じならどの医者にかかっても同じじゃなくて、同じだからこそ違うっていうところが
なるほどなと思いますし、
メインというものはね、同じ手札の中でもね、やっぱりそのカードの切り方が全然違うんだろうなというふうに思ったりします。
文学研究なんかでも素晴らしい文学研究者っていうのは特別な何か方法を身につけてるかって言いますと、
特別と言えんこともないかもしれないけれどもね、
方法自体はもう昔からあるような、君子注釈ですとかね、
すごくオーソドックスなものを徹底してやるっていうところがやっぱりね、
優れた研究者っていうのを私なんか見てて思いますのでね、
他の人がやってない自分だけの独自の方法論を身に付けたっていうよりは、
みんなが知っているそれを適切にやるっていうものが優れた人だなと思いますので、
お医者さんの世界でもそうなんだろうなっていうことを思ったりします。
名医の見分け方っていうことをいくつか挙げてくれてるわけなんですけどもね、
これもね、我々文系の研究者の優れた人っていうものの見分け方といってはなんですけども、
それと近しいなと思ったりしましたね。
例えばその質問に対してマニュアルで答えないですとか、例外が好きとかね、
よろしくない研究を導く人っていうのは、
自分のあらかじめ設定した結論に到達するために例外っていうのに目をつぶっていくわけなんですけど、
本当に優れた人っていうのは、
なんでこんなのが出てくるんだっていうことで、例外は面白がりますもんね。
その例外をよくよく見つめていったら、
みんなが見逃していたような別のルールがそこに潜んでいたっていうことがあったりしますのでね、
ここらへん一流と二流を分けるっていうのは、
どの分野も同じかなっていうことをね、思ったりしましたね。
本当に偉い人は偉そうにしてないっていうのもやっぱり本当にそう思いますし、
偉い人っていうのは自信があるから選ぶらないですよね。
本当に偉い人っていうのはレベルが違うので、
自分かそれ以外ぐらいの感覚なんじゃないかなと思ったりする。
誰かとどんぐりを背比べするっていう意識がそもそもないんじゃないかなと思うから、
自分以外みんな別問っていうぐらいに思ってるので、
誰と誰は対応を変えるなんてことはありえなくて、
自分以外だからみんな平等に接するっていう感覚のようなぐらい違うような気がしますのでね。
そういうレベルの違う人を見てしまうと、
相手によって態度を変えるとか、
あるいは偉そうにしている人っていうもの。
偉そうにしている人っていうのは往々にして、
権威に対してはペコペコするものなんですけどもね、
そういうのを見るとね、
なるほどこの人はそういう人なんだねっていうふうに私は見てしまいますけれども、
やっぱり本物っていうのの凄みっていうのは感じますし、
ここで述べている名医ということにも偉そうにしてないというのを言ってますので、
そうだよねっていうふうに思ってしまいます。
柏木さんのこんなふうなことを書いておきながらの結論のつけ方がまたいいんですよ。
ここらへん信頼できるわけなんですけど、
名医の見分け方っていう形で面白くも書いてくれてるわけなんだけど、
最後はねしかし、
個性を感じさせない人たちこそ本当は素晴らしいっていうところに落ち着けてるわけなんですね。
だから誰々さんがすごかったっていう形であるんだけど、
しかしもう顔を思い出せない、
名前も思い出せない、
ただただ適切な処置をしてくれた看護師さんも含めてですね、
そういった人たちへの感謝っていうものが最後書かれていて、
そうそう結局そうなんだよなっていうことですよ。
ここでまた思い出したのが、
ある文系の先生なんですけども、
その方はね医者の家系に生まれてて文学の道に進まれた方なんですね。
ですが周りが医者だらけですので、
親戚一同ね。
医者っていうのはどういうものか分かっていると。
そんな時に病気になったらどんな風な感想を抱くかって言いますとね、
医者っていうのがいかにいい加減か知っているので、
事故なんか起きるよっていう覚悟でいるわけなんですね。
だからそれはそれでもうしょうがないっていう気持ちでいると。
誰たちそうですけれどもね、
医療事故なんて起きてもいないし、
特に自分の身にはちょっと勘弁してくれって思えているわけなんですけどもね、
そんなこともありうって折り込み済みっていうのは、
なんか強いなっていうかさすがだなっていう風に僕なんか思ったりしましたね。
そういうのを思うと、
柏木さんの結論っていうものがまた重なってくるわけなんですけども、
僕もできれば名医に見てもらいたいし、
ヤブ医者なんて絶対嫌なんだけど、
普通で十分じゃないかなっていう風に思ったりするわけなんですね。
標準医療ですよね。
特別な何かを受けたいっていうものを望むんじゃなくて、
この状態だったら日本の医療水準だったら、
この医療が受けられますよっていうレベルのものを受けられて、
それを超えるものっていうのはある意味、
運命というほど私は客観しているわけじゃないけどもね、
とはいえしかし仕方がないかなっていう風な気持ちにも、
ちょっと歳を取ってきてなりましたので、
もしかしたらその状況になったらわかりませんけどもね、
しかし何が何でもどんな状態でも最高の名医に見てもらいたいというかね、
あるいは絶対にヤブ医者を避けるという風な、
どちらも本当は可能性があるのはそっちに行きたいけどもね、
しかし何が何でもというよりは、
普通の医療が受けられたらもう十分かなという気持ちがあったりしますので、
そんな普通の医療を提供してくれている日本の医療界にはね、
私なんかは感謝しますし、
何かあったら標準医療を受けたいなという風に思っているような状況です。
それがまたこの柏木さんの13年間も入院された方の結論としての名前や顔も、
思い出せない人たちへの信頼というものがすごく響くものがあったなと、
そういうところにね、話が落とし所があるところというのはね、
すごくこの本の素晴らしいところだったなという風に思ったりしたものです。
柏木さん、今は宮古島に住んでいるということをどこかで目にしましたので、
だいぶ具合は良くなったのかなということを思ったりしますけれどもね、
とはいえね、ずっと付き合っていかないといけない病気であるでしょうからね、
そんな中、こういう教養と言っていいんでしょうかね、
そういった経験が力になっているということを見てね、
その点でも私もね、これからもいろんな作品を読んでいって、
血肉としていきたいなと思いましたし、
今後もしも入院することになったらこの本を持って入院したいななんてことをね、
思った作品でした。
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