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#042 世界で聴かれる北海道のジャズピアニスト/『評伝 福居良』/本語り
2026-08-30 30:52

#042 世界で聴かれる北海道のジャズピアニスト/『評伝 福居良』/本語り

いまYouTubeやSpotifyで爆発的に再生され、世界中でファンを増やしている北海道のジャズピアニスト、福居良。しかし、生前の彼は決して世界的な名声を得ていたわけではなく、その演奏は知る人ぞ知るものでした。没後に評価が広がったその数奇な運命を、本書とともにたどってみます。

【言及した本】・栗山慎二『評伝 福居良:世界をめぐる北のジャズ』(リットーミュージック、2026)

・小川隆夫『マイルス・デイヴィスが語ったすべてのこと: マイルス・スピークス』(小学館文庫、2026)

・エイダン・レヴィ、小田中裕次訳『ソニー・ロリンズ伝』(亜紀書房、2026)

・立花隆『シベリア鎮魂歌:香月泰男の世界』(文藝春秋、2004)

感想

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サマリー

このエピソードでは、北海道出身のジャズピアニスト、福居良の生涯と音楽に焦点を当てた書籍『評伝 福居良:世界をめぐる北のジャズ』を紹介しています。福居良は生前は一部の知る人ぞ知る存在でしたが、没後にYouTubeやSpotifyでその音楽が世界的に注目され、再評価されています。番組では、彼の数奇な運命、音楽への情熱、そして「一流は場所を選ばない」という生き様が語られます。 幼少期から音楽に触れ、父の勧めでアコーディオン、そして22歳からピアノを始めた福居良は、独学で技術を磨き、特に左手のコンプレックスをバネに精進を重ねました。ジャズ界のレジェンド、サド・ジョーンズからの「ミュージシャンではなくアーティストになれ」という言葉や、バリー・ハリスとの出会いが彼の音楽観に大きな影響を与えました。完璧主義でレコーディングを嫌う一面もありましたが、そのストイックな姿勢は多くの若手ミュージシャンに影響を与え、彼の拠点となった「スローボート」では、プロフェッショナルとしての心構えが説かれました。 彼の代表作であるアルバム『シーナリー』は、わずか2時間での一発録りという状況から生まれ、そのクオリティの高さが評価されています。時代はフュージョンへと移り、ビバップスタイルを追求し続けることが困難な状況でも、福居良は自身の音楽性を貫きました。彼の音楽は、時代を超えて普遍的な良さを持つものであり、その生き様は「自分のいる場所を中心地にして世界に通用するレベルを追求する」というメッセージとして、聴く者に深い感銘を与えています。

福居良との出会いと「和ジャズ」への再評価
本語り、42回目です。 本語りの29回目でマイルス・デイビス、37回目でソニー・ロリンズ・デンというふうにジャズ本を紹介してきましたけれども、また今回もジャズに関する本になってしまいます。
もともともちろん、ジャズが好きなんですけれども、普段そんなにジャズの本ばっかりを読んでいるわけではないんですが、やさらと何か最近、ジャズに関わる本で読んでみたいと思う本がかなり多かったという事情があるわけなんですね。
と言っても、例えば音楽理論を展開するようなものっていうのは私の手に余りますので、ジャズに関係していてもそう手を伸ばすわけではないんですけれども、そもそも小説好きということがありますので、そうなると小説好きな人が必ずかどうか分かりませんが、多くの人っていうのは電気というものも好きだと思いますね。
ですので、私も電気好きなんですね。
で、ジャズ好きかつ電気好きとなってくると、ジャズミュージシャンの電気、氷伝の類というものはやはり興味を惹かれて手に取ることが多くなるわけなんです。
そして今日紹介しますのはこちらです。
栗山真嗣、氷伝福井涼、世界をめぐる北のジャズ、立東ミュージックです。
さあ、マイルスやロリンズに比べて福井涼と聞いてピンとくる人っていうのはそんなにいないのじゃないかなというふうに思います。
私も今年に入るまで実はこの福井涼という存在自体を知らなかったわけなんですね。
ですが何でもこの福井涼というのが少し前からYouTubeですとかSpotifyとかでものすごい再生されているそうなんですね。
しかもそれは日本もそうなんでしょうけれどもね、外国でこんなすごい日本人のジャズピアニストがいるぞという形で評判になり、
そしてその代表作であるシーナリーというアルバムがある曲名もそうなんですけれども、それがものすごく人気が出ているということがあったそうなんですね。
そのことを周り回って私も教えてもらいましたので、そうなのかと思って聞いてみたら、まあ素晴らしいですね。
ちょっとこんなかっこいい胸を打つ日本人のジャズピアニストがいたのかということで衝撃を受けてしまいましたけれども、
アルバムで言ったらそれこそシーナリー、またメロードリーム、そして比較的後、それから間が空いた後のアルバムになるわけなんですけど、
レター・フロム・スローボートというね、この3つのアルバムというものが感銘を受けて、
一時期本当にこの3枚ばかりを繰り返し繰り返し聴いているということがありました。
しかしこの福井亮さん、実はもう亡くなっておりまして、2016年に67歳で亡くなってしまったそうなんですね。
ですので今みたいなYouTubeですとかSpotifyとかでものすごい人気になる前に亡くなってしまったわけなんで、
生前はもちろん格好とした独自のポジションを得ていたわけなんですけれども、
こんなに世界的な名声というものはね、得る前に亡くなったというのもやるせない思いもするけれども、
しかし逆に良いものは良い、後からでも通じるんだという希望をも感じるようなところはあるわけなんです。
さあところでこの日本人のジャズなんですけれども、特にこういった一昔前と言っていいのかな、
現在の日本のジャズではなくて少し前あたりのジャズのことね、和ジャズという形でね、
定義がちゃんとしたものがあるらしいんですけれども、そういって評価する向きというのがあるそうなんですね。
それこそシティポップという形で外国で日本の当時の音楽が人気になっているのと、
裏表の現象かもしれませんけれども、サブスクやYouTubeなどで手軽に音楽にアクセスできるようになった時に、
その良さというものが発見された一つの流れだということが言えるみたいなんです。
和ジャズというカテゴリーは私は最近知ったわけなんですけれども、
最初にジャズを聴き始めの頃というのは、どうしてもマイルスを中心とした有名どころから最初から聴いていくということになるわけなんで、
そしてこれはもう今からすれば本当に恥ずかしく、また愚かで間違った認識なわけなんですけれども、
最初の聴き始めの頃というのは、日本人のジャズなんて大したことないんじゃないかとか、
あるいはやっぱり本番のジャズが一番だよみたいな認識で何も知らないくせにそう思っていたわけなんですね。
もちろん本番の良さというのはそれはそれとして確実にあるわけなんですけれども、
その誤った認識というものに打ち砕かれる経験というものを私は実はしました。
唐島文夫との体験と「一流」の在り方
それは何かと言いますと、からしまふみおですね。からしまふみおのサマータイムというアルバムが直接的にはきっかけなんですけれども、
そのアルバムの中の曲がラジオで流れてきたときに感動して、そしてオリシもアルバムを引っさげてツアーをするときに、
当時私が住んでいた熊本のある地方の市にもクラを改造したホールみたいなところがあるわけなんですが、音響がすごくいいんですね。
そこでからしまふみおがやってくるということになって、そんな奇跡的なことがあるのかということがあって聞きに行ったら、
まあこれがもう感動で本当に認識を一変させたと言いますかね。
こんなに素晴らしい経験はなかなか人生でも指寄りのほどの音楽体験でしたけれどもね、
本当に感銘を受けてからしまふみおにやられてしまったということがあるわけなんですね。
もちろんからしまふみおというのはエルビン・ジョーンズのレギュラーメンバーとして6年間やっていましたので、
日本のというカテゴリーで語るだけではちょっとふさわしくないのかもしれませんけれども、
その後は日本に戻ってきて日本の若い人たちとトリオを組んでというのがあったりしましたので、
そういった意味ではやっぱり和ジャズかどうかは知りませんけれども、日本のジャズの良さというものを体現している人だと思いますが、
ライブを聞いた時の私の強烈に思ったのが、一流というのは場所を選ばないんだなということですね。
その人のいるところが一流なんだというふうに思いましたので、
例えばそれこそアメリカじゃないというところから始まりますけれども、
あるいはこの私の当時住んでいた熊本の一地方ですね、
そんなところでやってもね、一流がいればもうそこが一流になってしまうんだ、その空間がということになりましたので、
だからそこからでしょうね、考えてみたら私の認識が、
本場というものがあるならば、そこに行って何かを身につけてくるということではなくて、
自分のいるところを盛り上げていくと言いますか、
自分が一流というのはおこがましいかもしれませんけれどもね、
自分が本物になって、そこから発信していくということの生き方ですよね。
そこに強烈な魅力を感じて、そうありたいなと思うようになっていったということの一つの大きなきっかけが、
その唐島文夫体験だったわけなんですね。
実はこの唐島文夫も、確か福井亮と同い年だったかな。
唐島さんももう亡くなってしまいましたけれども、
本当に同世代を生きた人、同じジャズピアニストという意味でもね、興味深いし、
後で触れますけれどもね、
面識あるどころか同じ野球チームに入っていたということもあるそうなんで、
なかなか繋がりがあるんだなということを思ったりしました。
福居良の幼少期と音楽への道
さて、この福井亮という人なんですけれども、
本当に私は全く何も知らなかったけど、
音楽から入ったというね、この素晴らしいアルバムから初めて知ったという形になるわけで、
気になりつつも取り立てて簡単なネット情報をチラッと見たぐらいでね、
音楽だけを楽しんで聞いていたわけなんですが、
今回この氷伝というものが出るということで、
これは面白そうだという形で読んでみたら、
想像以上の面白さでしたね。
やっぱり電気というのは面白いですし、
ジャズマンというのはやっぱり普通じゃない人が多いので、
やっぱり面白いですね、素敵な人生を歩んでいるところもあって、
非常に感銘を受けた本でした。
まずこの福井亮のお父さんが、
福井天道という盲目のシャミセン奏者なわけなんですね。
非常に腕は立つわけなんですけども、
シャミセンで食っていくしかないという形でね、
本当に芸能道を極めるというふうなタイプの人でいるわけなんです。
旅芸人じゃないけれどもね、
かなり芸能の世界で生きていますので、
家にずっといるという感じでもないそうなんですね。
それもあって福井亮は、
祖父母の下で幼少期を過ごしていたそうなんですね。
弟もそうだったわけなんですけれども、
しばらくそうしていたところ、
その時に福井天道は前妻の子供なんかもいて、
その前妻の子供も、
おじいさんおばあさんの下に預けられていましたので、
かなり年が離れていますので、
結構そことはギクシャクした関係がありながらも、
札幌に福井天道が、
福井亮のお母さんと一緒に旅回りをいろいろしているときに、
結局札幌に居着くということになったわけなんですね。
そこでようやくといいますか、
前妻の子は祖父の元なんでしょう。
しかし福井亮とその弟ですね、
福井義則というね、
この二人も札幌に呼び寄せるということになって、
これで晴れて、
両親と、そして亮と弟と、
この四人の暮らしが始まるのかと思って、
横尾さんで札幌に行ってみたら、
衝撃の事実、
知らないうちに妹が二人いたというね、
そんな教えてくれるもんかね、と思いますけれどもね、
ですので、特にこの弟の義則は、
それで非常にショックを受けたそうなんですけれども、
六人で暮らすことになったわけなんですね。
そこで札幌での暮らしが始まるわけなんですけれども、
一方で父親がそういった芸能の世界で生きていながらも、
普通の幼少期といいますか、それも過ごし、
音楽とかも関わることは多いわけなんですけど、
野球に結構打ち込んでいたそうなんですね。
野球で食っていきたいぐらいの気持ちでいたけれどもね、
怪我なんかもあって、それはダンスネスは偉いと。
そこでギターなんかもやっていましたんで、
ギターを結構本気でやるかななんて思っているところ、
お母さんが、あなたは後継ぎにならないかという話になったわけで、
特に野球に挫折してこれといった目標というのもなかった
ということもあるんでしょうけれどもね、
そこでやるということを思ったそうなんですね。
だけどそれはお母さんの発案でしたんで、
お父さんの福井天道というのは、
下への道の厳しさというものをよく知っておりますから、
私だって盲目じゃなかったら他の仕事をしているということを
言うわけなんですね。それでも一応やるということになったときに、
福井寮に行って聞かせたのが、
バンドマンになるつもりならやめろということなんですね。
それによってちゃんとした音楽家じゃないとダメだという形なんですね。
ただ食っていけるだけの云々というレベルのもんじゃなくて、
本物の音楽家といいますか、
それを目指せということを言って聞かせて、
この世界に入っていくということになったわけなんですね。
もうプロとしての厳しさというものが分かっているようなし、
福井寮自体もそこを目指していくということになったわけなんです。
旅館といいますか、そういったところの演芸部門なんかを
担っているような仕事をお父さんはしていましたんで、
そこで必要という形で必要なものを身に付けていくということで、
アコーディオンをまずはね、
寮は最初練習してやっていくことになって、
一生懸命やってすぐにマスターしていくわけなんですけども、
それをやっていったと。
しかし時代はもうどんどん変わっていって、
音楽の流行りしたりも変わっていく中で、
ここでこの福井天堂はお父さんは、
これからはピアノができないと話にならないということになったんで、
お前はピアノをやれということを言われたわけなんですね。
最初ギター、次アコーディオン、次ピアノというのを
どんどん変わっていって、
指示されたものをやっていく形になったわけなんですけれどもね、
でも父がそう言うならという形でピアノを始めたそうなんですが、
結構それが当たって、
アコーディオンの需要とかが減っていく中で、
ピアノはどんどん需要があったんで、
それは結果的に正しい判断だったわけなんですが、
しかしそれにしても始めたのが22歳という形で、
相当遅いわけなんですね。
同じ鍵盤じゃないかなんて私みたいな素人は思ってしまうわけなんですが、
アコーディオンとピアノというのは基本的にやっぱり別物で、
非相手というのが和音をボタンで押すそうなんですね。
ですのでコードを弾いて同行するというピアノとはやっぱり別の楽器ということですので、
ピアノはピアノでしっかりと勉強しないといけないということになると。
ピアノもやっぱりここで独学でマスターしていくということになったわけなんですね。
これがある種のコンプレックス、特に左手のコンプレックスというものを生んで、
絶え間ぬ精進といいますか、自分は上手くないというね、
もっともっと練習しなきゃという思いを植え付けていったということになるみたいです。
アーティストとしての覚醒とプロ意識
それでも貪欲に支障へ譲りのストイックさで、
ずっと音楽をマスターしていくってやっていくわけなんですけども、
だんだん札幌でも同学を表していくわけなんですが、
ジャズミュージシャンが札幌にも大都市ですのでやってくると、
そのとき楽屋なんかにアタックして話を聞きたいという形で話を聞くような状況も持っていたときに、
あるときサド・ジョーンズですね。サド・メルのサド・ジョーンズですよね。
やってきたときに話を聞くことができて、そして自分の演奏を聞いてもらう機会があったそうなんですね。
自分の演奏をしたと。そのときにサド・ジョーンズの送ったアドバイスというのが、
ミュージシャンじゃなくてアーティストになるということなんですね。
こういったことを言われたと。
父親の天道から送られたバンドマンならやめろと。
ちゃんとした音楽じゃないとダメだと言われたことと通じるような感じですよね。
もっと言うならば、本語の35回で紹介したカズキ・ヤスオなんかは、
シベリア横利を挟んでですけれども、アルチザンとしては死んでアルチストとして蘇ったと。
そういったこともありましたけれどもね。
なんかここら辺の音楽で食っていくことというのは大事なことなんですけれども、
職人ではないという、そうではなくて本物のアーティストを目指すというところが根幹に流れている意識。
プロといったときにもいろんなプロがいますけれども、もちろん職人的なプロというものも見事なものなんですけれどもね。
アーティストとしてのプロというものへの意識というものですよね。
これがやっぱり大事だったんだろうなということを感じさせます。
また本の書き方としてやっぱり今まで言ってきたように、
要所要所で福井涼音に影響を与えた言葉というものが素晴らしいんですよね。
それをきちんとインタビューをもとに再現してくれているので、
出来事というのも大事なんだけど、言葉ですよね。
人生のターニングポイントになるような言葉、セリフというものをしっかりと抑えてくれているのでね、
非常にこの本としての読みどころがあってね、素晴らしい表現の書きぶりだったなということを思ったりします。
さあ、そんなこんなしているうちに福井涼の音楽というものが素晴らしいと思う人も出てくるわけなんですね。
そんな中の一人がトリオレコードというレーベルの伊藤さんという人がいて、
この人は営業の社員だったわけなんですけれどもね、
福井涼の音楽が素晴らしいと思って、そしてプロデュースしたいというね、
ぜひアルバムを残したいということを思い立ったそうなんですね。
本来ならば本社の許可を得ていろんなことをしないといけないのにも勝手にね、
撮りましょうって話をして、結構渋っている福井涼をいやいや撮りましょうって話して、
福井涼トリオのアルバムを作るということを合サイン、承諾を得たわけなんですね。
しかし本社はそんなことを合サイン出していないから、
何買ってなかったこと決めてるんだって話になるわけなんですけれどもね、
そこはね、非常にパワフルなこの伊藤さん惚れ込んでますので、
結果的には自分のボーナスを継ぎ込む形で、アルバム買い切りという形でね、
手弁当でアルバムを作るということになったわけなんですね。
惚れ込んだ相手のために自分のお給料を継ぎ込んでいくという凄みがありますけれどもね、
そうやってなったと。
名盤『シーナリー』の誕生とトリオの活動
いざ会場というものも確保して録音しようとしたら、
セッティングに時間がかかりすぎて、録音する時間というか、
2時間ぐらいしかもう残されてなかったそうなんですね。
それがまあ結果的に良かったのかもしれませんけれども、
例のシーナリーですね、それがここで生まれるわけなんですが、
シーナリーはもうほとんど一発撮りだったみたいです。
2時間ぐらいの中でほとんどの曲を一発撮りって、
クオリティのものが残ったというものなんですね。
ピアノはもちろん福井亮。
そしてドラムが弟の福井義則。
このドラムもいいんですよね。
ベースが伝宝佐俊。
これもまたベースもいいんですよね。
よくもまあこんな演奏が札幌で繰り広げられていたなというふうに
感心するわけなんですけれどもね、
こんな素晴らしい録音ができていくわけなんです。
今聴いても感銘を受けるわけなんですけれども、
もう既にジャズというのが落ち目といってはなんですけれども、
時代を象徴する音楽ではなくなってきている時代に入っておりますので、
そういった意味でもなかなかアルバムを出すのが大変な時期に、
札幌にいながらプロデューサー役の伊藤さんの人力があったとはいえね、
こういったものが残ったというのはね、
奇跡的な面もあったと思いますけれども、
おかげさまで今、我々はそういう音楽を聴くことができるわけなんです。
ブルーノートの始めとして、
ジャズというのはジャケットも大事なわけなんですけど、
やっぱりものすごくかっこいい顔写真に
シリナリーというレータリングがしてあって、
かつ真っ赤な背景でという形でかっこいいわけなんですけどもね、
なんでもこれは、当時のデザイン学校の学生だった人に
これちょっと作っておいてという形で、
6時間ぐらいで仕上げたものらしいんですね。
でもこれ結果的にものすごくかっこいいので、
やっぱいろんな奇跡が、
ジャズってそういうことが起きやすいんですけれども、
そういう作品なんだなということがわかるわけなんです。
その後、奥さんとなる安子さんという方と出会い、
安子さんがずっとその後はマネージャー役というものを
勤める形になるわけなんですけども、
素晴らしいトリオでは、
もう一枚メロードリームというものも残していて、
これも本当にいいわけなんですけども、
それぞれ忙しくなってきて、
メンバーの東京進出なんてこともあったりして、
結局解散ということになったわけなんですね。
ビバップスタイルの追求と困難な時代
そうこうしているうちに、
福井亮も呼ばれて名古屋に行ったり、
あるいはその後東京に行ったりという形で、
北海道を離れということになっていくわけなんですね。
しかしもうフュージョンの時代ですので、
言ってみればストレートアヘッドなジャズというものが、
そこまで最先端じゃないといいますか、
受け入れられる場はあるけれども、
減ってきているという状況だったわけなんですね。
その中でこの福井亮は、
とにかくビブアップスタイルを絶対に崩さないという形で、
ずっとビブアップを追求していくわけなんですね。
今時代を振り返ってみたらかっこいいし、
それはそれで固定客がいるけど、
なかなかこれは簡単なことではなかったと思いますね。
当時はやっぱり時代に背を向けているわけですので、
そう簡単に仕事も決まらない。
もちろん腕の餌というものはみんな認めていたわけなんですけど、
でもそうはいかない。
かつこの福井亮というものが一徹といいますか、
そういった性格ですので、
サイドメンなんかをやって、
そうやって整形を立てるということが普通なんですけども、
その仕事を潔く思わない。
自分の音楽性が荒れるということで、
あんまりやりたがらないというか、やらないわけなんですね。
例えば森真一から、
高額のギャラでバックのピアノをやらないかという話があったけど、
断るという形でやって、
自分のビブアップスタイルを追求するということを徹底していくわけなんですね。
もちろんそれはそれで腕が立つので、
一目置かれていくわけなんですけれども、
なかなか時代は難しい状況になっていくわけなんです。
バリー・ハリスとの出会いと「スローボート」
東京時代なんですけれども、
唐島文夫ですね。
とちょっと先ほど話しましたけれども、
野球が怪我があったけれども、
投げてみたら結構大丈夫だったという形で、
草野球チームを本気でやりだして、
ジャズ面の草野球チームの司令塔みたいな形になって、
ピッチャーもやりつつ、
結構本気で野球をやっているということもあったそうなんです。
その時、また興味深いコメントなんですけれども、
福井亮が南下の檻にアコーディオンを弾くことがあったそうなんですね。
それを聞いた唐島文夫が、
涙が出るほど感動したというわけなんでね。
アコーディオンの演奏というのも聞いてみたかったですね。
ジャズアコーディオンとか、
ぜひ残っていたらよかったと言っておくけど、
やっぱり本人は一徹の男ですので、
歓声度に納得できないので、
その録ることをOK出さないわけなんですね。
完璧主義で録音が大嫌いというのも、
ソニーロリンズと似てますよね。
自分への厳しさというものは、
何か通じるものがあるんじゃないかと思います。
ジャズミュージシャンにしては、
やっぱり残っているアルバム少ないですよね。
ジャズってやっぱりライブとかも多いですので、
やたらとアルバム数が多くなるものなんですけれどもね、
それにしては福井龍、
残してくれて幸いなんですけれどもね、
少ないなと思うのは、
そういった生半可な録音は許さないという意識が、
こうなってしまったんだろうと思いますけれども、
しかし残ったものは主曲のものですので、
いい面もあるんでしょうが、
しかしアコーディオンなんかも聞いてみたかったな、
というふうに思ったりします。
コピーから個性を生み出す芸術
そして札幌に戻っていくわけなんですね。
ここで運命の出会いと言いますか、
いろんなジャズジャイアンツが来日して演奏する機会があったわけなんですけれども、
その中の一人、バリー・ハリスですね。
チャーリー・パーカーと一緒に演奏したっていう、
レジェンドのような人なわけなんですけれどもね、
この人はもうとにかくピアノを、
ビューバップスタイルをずっと貫いてやってる人なわけなんですね。
実際にそれを目にして、
その前段階として友人からアルバムを紹介されたんで、
それを聴いてみると、
この人の聴き方っていうのは研究的に聴くわけなんですね。
自分でも演奏できるくらいまでずっと真似していったり、
そういう聴き方をするわけなんで、
そうするとね、バリー・ハリスの響きっていうものにはね、
ちょっと他の人にはないものがあるってことを感じて、
慕っていたところを、実際の演奏を目にして、
いわばレシリのような形で、
直接的な関係も持っていくってことになるわけなんですね。
福井亮のアイドル、その編成が面白くって、
最初はフィニアス・ニューボーン・ジュニア、
その次はトミー・フラナガン。
いかにもトミー・フラナガンなんかはスタイルに似てそうに思うけど、
実はね、トミー・フラナガンは知的なアプローチだから、
福井亮は実際にずっと研究していたけれどもね、
実際にその演奏を接してみて、やっぱり素晴らしいんだけどね、
自分とは違うかなってことを思ったみたいなんですね。
そしてバリー・ハリスに出会ってからはね、
もうこれこそ自分の求めるスタイルだって形でね、
とにかくバリー・ハリスについていくっていう形になるわけなんです。
興味深いのが、とにかく音源とかを聴きまくって、
もちろん直接的な演奏だったらね、
指使いなんかをね、じっと見られるポジションにいて、
見ていくっていうことでいくわけなんですけど、
基本、簡コピを目指すわけなんですね。
こんなちょっと軽い言葉じゃないかもしれないけれどもね、
研究に研究を重ねて、簡コピできるようにまでにやっていくそうなんですね。
これが興味深くって、
例えば書道なんかでも、
そういう言い方をするっていうのは聞いたことがあって、
感銘を受けたことがあるんですけどもね、
書道っていうのは手本をずっと似せるわけなんですよね。
だけど、どこまでも似せても似せてもね、
似せられないところがあるっていうね、
それが個性なんだっていう言い方を、
ある書道家がしていて、
それを感銘を受けたことがあるわけなんですけども、
同じことで、バリー・ハリスを多分福井王もね、
どこまでも完璧にコピーしようとしたけど、
それでも似せられない部分があるんだと思います。
そこがやっぱり福井王だとして、
際立ってきたんじゃないかなというふうに思ったりしますね。
プロフェッショナルとしての姿勢と信頼
その後、ニューヨークでバリー・ハリスのリズムセクションなんかと一緒に
録音なんかをするっていうことをして、
進行を深めていくっていうこともあったわけなんですが、
札幌ではね、スローボートっていうのがお店ですね、
ひょんなことから引き継ぐことになり、
本人にとっては念願の自分のお店で、
思う存分自分の好きなスタイルで演奏できるっていう
ポジションを手にしたわけで、
とにかくスローボートを拠点に
ビブアップスタイルを追求していくってことになったわけなんですね。
この時のやっぱ姿勢っていうのが、
若いミュージシャンなんかもそこで育っていくわけなんですけれども、
福井王がとにかくストイックなわけですからね、
もう厳しく、他のところでだらけた演奏をしていても、
ここはもうピリッとして、
福井王の前じゃいい加減なことできないっていう雰囲気なんですね。
一緒に演奏するその若いミュージシャンたちにもね、
常々姿勢として説き聞かせていたのが、
1人でも100人でも何万人を相手にしてもね、
全力でやるんだっていうことを言って、
プロっていうのはそういうことなんだっていうことをね、
言って聞かせて、
その時に、またあの例のこの本の書きぶりの言葉がね、
いいんですけれども、
一度客の信頼を失うと、
取り戻すのに10年かかるっていうことを言うんですね。
これは本当にピアノの演奏だけじゃなくて、
いろんなことでそうだなと思うわけなんですけどもね、
やっぱ信頼って大事で、
一回失ったら取り戻すのに10年かかるもんですよね。
あるいは取り戻せないかもしれないけれどもね、
それくらいの意識で持ってやるのがやっぱりプロだなっていうことをね、
こっちも襟を立たされるような思いでした。
スローボートというお店で若手も育っていき、
才能と意識、そして普遍的な芸術
そして若手と一緒にアルバムを作るっていう話になって、
そのアレター・フロム・スローボートというものがね、
できるわけなんですけれども、
どれも素晴らしいですね。
けれどもね、なんか不思議な気持ちになりますよ、これは。
細かいことを言ったらもちろん違うんだけどもね、
シーナリーと言い、メロードリームと言い、
アレター・フロム・スローボートと言いね、
特に前二つと最後のものっていうのは、
年代がかなり離れているわけなんですけれどもね、
根幹の部分は福井亮の素晴らしさっていうのは、
そんなに変わってないような気もするんですね。
そんなこと言ったら、ずっと研鑽を深めていった福井亮に
大変失礼なわけなんですけれどもね、
サボってたとかそんな話ではなく、
まだ成長してないとかそういうことでもないんだけどもね、
それぞれの良さっていうものがあるから、
これはなんでしょうね、やっぱ意識っていうものが
ずっと一貫してたのかなっていうのは思ったりしますね。
小説家なんかでもそうですけれども、
若い作品の素晴らしさ、
年を取った作品の素晴らしさってそれぞれあって、
高圧つけるじゃないんだけど、
しかし晩年の作品の良さっていうのもあるんだけど、
じゃあ初期の作品の方が悪いかっていうと、
そんなこと全くないっていうことがあったりしますんで、
芸術に携わる人間の不思議さっていうものを感じたりしますけれどもね、
こう言っちゃなんだけど、やっぱ才能っていうのはあるんだなって思います。
もちろん、しかしそんな才能なんかにアグラを描いてないっていうのが
福井亮なんだけど、意識のレベルで違うっていうところが、
最初の段階から違ったんじゃないかなっていうことを思ったりしますんで、
才能っていったら身も蓋もないんだけど、
この意識を持てるっていうのが才能だと思うならば、
そういう才能を持っていたんじゃないかなっていうことを思ったりしますね。
晩年と世界的な再評価
そして2016年になり、67歳で悪性リンパ腫ということが判明し、
それこそ本当に突然だったみたいで、急に具合が悪くなり、
そして入院して3ヶ月前後で亡くなってしまって、
本人ももうそんなつもりはないので、
完全に戻ってくる気満々だったわけなんですけどもね、
思い果たせず亡くなってしまったというわけで、
そしてその後、思わぬ形で副医療の音楽が世界中で聞かれるようになったということがあるわけなんです。
さあ、こういったことを聞いてね、
「学二支数」の精神と福居良の功績
私なんかはまたもう一つのことを思い出したんですけど、
それは代々先輩にあたる田中光雄先生っていう、
日本近世文学の背回の研究者の方がいらっしゃるわけなんですけれども、
田中光雄先生は九州大学で中村幸彦先生に学んだわけなんですけれども、
中村幸彦先生がちょうど赴任してくる時だったわけなんですね。
もう本当に大昔の話ですけどね。
中村幸彦っていう近世文学のタイトというべき先生が赴任してきて、
そして田中光雄先生たち院政に会って、
初めて最初言った言葉っていうものをね、
ある講演の中で教えてくださって感銘を受けたわけなんですけど、
それは何かっていうと、
学二支数と言われるようにならないといけないということをおっしゃったそうなんですね。
学問が西に移動したというふうになるようにということですけれどもね。
学二支数かということで、
結局これは僕は唐島不明体験の時に、
自分で勝手に自得したわけなんですけれども、
何かが盛んなところに行って、
そこで学んで、
お土産のように持って帰ってくるっていう、
そういうことじゃなくて、
自分のいる場所を中心地にしていくんだっていうね、その意識。
しかし、親物対象になるって話ではなくて、
世界に通用するレベル、
そういうものを追求しないといけないから、
完全に遮断してはいけないわけなんですけども、
しかし、どっかに行って持って帰ってくるとか、
そういうのじゃなくて、
自分のいるところに呼び集める、
盛り上げるっていう意識っていうものがやっぱり大事だなっていうことを感銘を受けたことがあります。
結局この福井寮っていうのは、
音楽北スじゃないけど、
北に行ったっていうね、じゃないけれどもね、
結局福井寮のいるところが世界一流なんだっていう感じをね、
見せてくれたなって。
サブスクというね、時代環境もあって、
世界中で聞かれようになったけれどもね、
でも仮に聞かれなくたって、
やっぱり一流だったよなっていうことを思うんですよ。
聞かれてより証明された形になるけどもね。
たまたま聞かれて広まったけれども、
そうじゃなくっても、
良いものは良かったっていう世界が絶対あるはずなんで。
肝心なのはそのところで、
私の研究している小津飛車たりという人が、
気候文の中でなんかよく触れてるわけなんですけれども、
欧州の論考という書物が、
中国の本があるわけなんですけれども、
その中で、
偶不偶、時なりという言葉があるんですね。
世の中にね、合うか合わないかというものは、
それは自分によるということ、
要するに運なんだってことなんですね。
そういった言葉を引きつつ、
結局ね、日沙谷なんかはあるところでね、
有名な絶景なんかがあるけれどもね、
有名じゃない絶景なんかを見たときにも思うわけなんですね。
この絶景が有名な絶景に比べて劣ってるとは思わない。
それどころかこっちが勝ってると思うけれどもね。
しかし、いわゆる有名なやつに比べて評判にならないっていう、
当たり前の話ですけどね。
それは何でかっていうと、
都に近いとか、著名な人が紹介したかどうかっていう、
そういった運に左右されるもんなんだっていうことを言うわけなんですね。
世の中に受け入れられるっていうことと、
絶対的な良さっていうものは、
別基準として存在しているっていうことを感じて、
それが受け入れられるかどうかっていうものは、
先ずるところ運なんだっていう感覚があるわけなんで、
それがわかったときに、
人の在り方っていうことは問われると思うわけなんですけどもね。
結局、人に受け入れられるか受け入れられないかっていうことは置いといて、
絶対的な基準の素晴らしいものを残していこうっていう思いですよね。
そういった生き方をした人たちっていうものには、
やっぱり私なんかはその志に共感して、
そうありたいなというふうに思うわけなんですね。
そんな生き方を見せてくれたのが、
やっぱり福井寮だったなというふうに思ったりしますのでね。
音楽自体もね、最近知ったもんですけど、
こういう本を残してくれなかったら、
絶対に知りようのなかったことでしたので、
素晴らしい本を残してくれたなというふうに思った次第です。
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以上で第42回目を終わります。
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