どこに行くか、流れ着くかわかんないけど、とにかくその瞬間瞬間を、
あの、彼女を漕ぎ続けた方がいいんじゃねえか、みたいなことを語って、
なんか割とそういう考え方してるかもしれないです。 なるほどね。
まあでもそれは、自分もどっちかと言えばわかるかもな。 あ、ほんと。
まあ、山登りはね、
そうだよね。
なんだろう、自分はあんまり、なんかルート決めて何かやるとか好きじゃないから。 いや、わかる、そう。
旅したいんですよね、だから。 そうだね。
そういう意味では。
どこにたどり着くかわかんないけど。 ああ、そうだね。
いや、なんか、でも逆に山登りできる人はすげえなって自分は思うというか、 よく決めてさ、そこから逆算して、
めっちゃ思う。 そう、10年後にはこうなってたいから、5年後はこれで、3年後はこれで、2年後はこれで、
1ヶ月、1年後はこれ、1ヶ月後はこれだから、じゃあ今日何しないといけないとかって言う人もいるじゃん。
いる。ほんとにすごい。
あれすごいなって思って。 マジでできない。
うん、自分絶対できない、あれ。 できないし、
でもその、豊かさとはみたいなことを言うと、僕はそういうのはあんまり豊かだとは思えないのかもしれない。
ああ、そういうことね。
未来のために、なんか今を犠牲にしたくないなみたいな気持ちがすごい強いかも。
だから、まあこの瞬間やりたいことをしたいし、もう予定立てれないんですよ、僕。
そう、なんか、だから結構友達減ったなって思うんですけど、
だから1ヶ月後のいついつ、じゃあ約束ねんみたいなのとか、ほんとできなくて、
その時会いたいかわかんない、みたいな感じで、なんかやっぱり濁しちゃう癖があるんですよなー、みたいな。
まあでも確かになー、でもそれはわかるけどね、
本当? でもあんまりその先の予定まで立てられないんだよね。
そう。
だから、こう、おかっちゃんともずっと会おう会おう言って会えてなかったのは、そういうところだと思う。
ああ、そういうことね。
今回、2日前ぐらいだよね、確か。
2日3日前ぐらいだよね、しかも全然違う連絡をしてた。
ネットフリックスどうするみたいな。
そうそう、ネットフリックスの話して、あ、そういえば、みたいな。
そうそうそう。
で、なんか、あ、三島行く、そういえば明後日行くよ、みたいな。
そう、明後日なら行けるよって言って。
本当ね、でもそういう感じでしか人と会う約束立てれない傾向があります。
そういうことね。
まあでもその方がね、楽だと思うけどね、わかんないけど、自分はそっちの方が楽だと思う。
そっちの方がいいよね。
そうなんですよ。
じゃあ一応今のところ豊かな人生は川下りってこと?
そう、川下りだし、まあ、もうちょっと言うと、旅を続けたいなって感じ。
で、旅っていうのもメタファーなんですけど、何て言うんだろう。
どこにたどり着くかわかんないけど、歩き続けていたいし、いろんな景色を見たいし、
だから、さっきの前半で話した仕事の話もそうで、
何だろう、このまま行くと、何だろうな、いろんなものが虹色一色になっちゃうような感覚があって、
ちょっと伝わってるかわかんないけど、虹色一色って言ったのは、
何か今の世の中って、何か多様性だとか、何か何だろう、男女平等だとか、
それはすごく大事だと思うんですよ。
だけど何か、そういう、何か正しさというか、正義による何か圧が強いなって思って、
それは結構おくしんどいんですよ。
いや、もちろん別に、それは素晴らしいことだけど、
何か全部が全部、特定の正しさで一色に染められている感覚があって、
地方もそうで、何かもう地方都市町が行くと、リトル東京みたいなとこばっかりじゃないですか。
ああ、確かに。
全部が何か東京のお手資本で一色に染まっていくみたいな。
そういうのは、何かあんまり僕は旅して楽しくないし、
だからこの問いに答えると、それを豊かだとは思えないんだと思うんですよね。
もっと別に赤があってもいいし、黒があってもいいし、茶色があってもいいし、
ネズミ色があってもよくて、
だからそういう意味で、僕大阪の結構西成とか大好きで散歩してるんですけど、
何かそういうのを今は何か見ないふりして、
何か汚いものに蓋をするかのように見えないようにだけして、
いや、この世の中は素晴らしいですよみたいな、そういうのがちょっとダメで、
そういう何だろう、アングラというか、今の社会では評価されないようなところにも、
何かそこにはそこの論理があると思うし、そこにも美しさはあると思うし、
何かそういうのがちゃんと守られるとか、残り続けるような、何か社会が豊かなんじゃないかなって思うかも。
だいたい何か、伝った?
いや、まぁイメージはつくよね、イメージはつくし、
多分自分も多分根底を持っていることは同じ方だから共感はする。
けど、どうそれを実現していくかという感じはしてて、
自分含め、本マッチ含めたらそういう考えの人が増えていくんだろうなっていう実感はあるというか、
そういうことを発信しているからそういう人と繋がるってのがあるんだけど、
でも一方でそうじゃない人の方がまだ多数派だから、
何かどうやって、これからどうなっていくんだろうっていうことに対してね。
そうね、でもこれは何だろう、僕の考えとしては、どこまで行っても孤独な戦いだと思うんですよ。
なぜかというと、ちょっとね、言語化できるかわかんないけど、
じゃあそういう世の中がいいよねって言って、
それで誰かを変えようとした瞬間に、それも結局同じなんだろう。
ああ、そういうことね。
同じになっちゃうんですよね。
つまりそれが特定の正義とかイデオロギーになってはいけないなって。
そうだね、そうだ。
だからそうなんですよね。
なんかちょっと昔あった誰かの言葉で、誰が言ったかも知らないまま引用するんですけど、
なんかあなたが、私はあなたの意見には反対だけど、
あなたが発言できる機会は全力で守りますみたいな、そんなことを言った、
なんか昔の偉い人がいるって聞いたことがある。
なんとなくそんなことは聞いたことがある。
なんかそんなニュアンスの言葉があって、こんなふわっとしたものを紹介していいのかわかんないけど、
そういうニュアンスに近くて、だからそうなんですよね。
自分はそう思うけど、でもそれをやっぱりどこまで行っても他者に共感、共有、共生することは絶対できないという意味で、
これはすごい孤独な戦いだし、戦いって言ったけど、戦っちゃダメだと思うんですよね。
そうすると結局ツイッターの戦争みたいな感じになっちゃうから、
戦わない戦い、一人でグッとこらえ続けて、だけどそれを信じる以上はそういう選択をせざるを得ないみたいな。
どうしたらいいのかなって思うと、
やっぱりね、こうしなさいとは言えないけど問うことはできるんですよね。
あなたはそれで本当にいいんですか?とか、
岡ちゃんのユタハザードは何ですか?もそうかもしれないけど、
問いかけるとか、直接的に言葉じゃなくても何かを自分が表現するとか作ることによって、
そういう問いを生み出していくみたいなことをしたいなって思ってます。
分かる分かる。
だからそう、自分も何だろうな、別にこうして欲しいとか、こうなったらいいのにとかは、
あんまり強要とか強制するつもりはなくて、
なんかこれも発信してるけど、まあ別に聞いた人がどう受け取るかはその人次第だから。
そうですよね。
なんかいいと思えば真似するというか、その方向にすればいいし。
ほんとこのラジオはその問いですよね。
そっか、どっちかというと問いの方が重要であって、
なんかでもその問いすらだんだん、なんだろう、
なくなってくる世の中というか、何だろうな、AIに聞いたら何でも出てくるから。
AIとの付き合い方ね。
そう、何だろうな、問いを出すって自慢そうに問いを考えることがすごく重要だなって思うんだけど、
とはいえ、問いすらなくなってくる世の中になったらどうなるんだろうっていう、
なんか分かんない、ちょっとイメージがついてないけど、ちょっとディストピア感あるけど。
ディストピア感ありますよね。
だからこそやっぱり、そうね、いや難しいな。
でもその、確かにAIに聞けばすぐね、答えが出てきちゃう世の中であっても、
楽観的な見方をすると、僕たち人間が、
なんかこれを問わなければならないとか、問いたいって思う気持ち自体はなくならないのかなみたいな。
ああ、そういうことね、確かに。
まあそうだよな、自分もどっちかと言えば楽観的に考えてるから、
なんかそんなディストピア的な世界にはならないだろうなと思ってるんだけどね。
いや、とはいえ分かんないな、難しいですね、これは。
でもAIとかも、さっき僕が言った、否定しない、戦わないって立場になると、
僕もAIクソだみたいなことは極力言わないようにしてて、それすらも楽しんで、
それを使ってどうすれば遊べるかなみたいなことを探求するのは楽しいですね。
確かにね。
AIを使ったらどんな問いが生まれるかなとか、
これでどういう風に遊んだら楽しいかなとか言って、
これはもうずっとAIとしりとり、すごいですよあれ。
そうなの?
あの、ボイスチャットモードにしてしりとりしようっていうと結構ちゃんと、
しりとりできるな。
車運転してる時とか暇だから、ずっとAIとしりとりしたり。
結構ね賢いんですよね、やっぱ彼ら。
そうだよね、なんか最近自分AIでめちゃくちゃ使うけど、
ちょっとAIの使い方に、なんだろ、少し飽きてきたから、
面白い使い方をしたいなと思ってる。
そうですよね。
だからどうなんだろう。
よく言うのが、なんていうか、
昔は絵を描いてて、
人がカメラ、写真ってものが出てきたことによって、
絵を描く人がいなくなったこと、そんなことはないじゃないですか。
写真撮れば全然、でもその分、
写真みたいなものが出てきたことによって、
印象派、モネットみたいな印象派って呼ばれる、
写実じゃない絵を描く人たちが出てきたりみたいな。
ああそういうことね。
絵とかだったら結構問い的だなって思うんですけど、
AIもどっちかというと、
それを諸世の前提としたときに、
そういう新しい表現っていうのが生まれるんじゃないかみたいな。
なるほどね。
ことはちょっと思うかも。
だから、そういう人間の創造性を、
AIが奪ってはいけないけど、
それによってさらに人間がクリエイティブになれるみたいなのは、
ちょっと楽しみかも。
まあそうだよね。
それこそ、
あんなね、岡田さんにも会社クソだわって言いまくってたけど、
みんなマジでいい人だし、全員。
上司もね、同僚も本当にトップもみんなめっちゃいい人。
で、みんないい人なはずなのに何で、
この組織になった瞬間にこんな微妙な意思決定しちゃうんだろうかみたいな。
ああそうそうそう。
それは本当ね。
すっごいそれ疑問だった。
そう、それこそ自分もそのコテンラディオをよく聞いてて、
そのコテンの代表の深井さんとかも言ってるけど、
個人個人だとめちゃくちゃみんな頭いいのに、
法人になった瞬間意味わかんないと結論が出るというか、
すごく何でその選択したみたいなのになるから、
なんかそれってやっぱ構造の問題なのかなって思っちゃうというか。
でもさっき紹介した新百姓の本とかで書かれてる、
あれは結構有理論とかシステムシンキングをベースに
理論を構築してるんだけど、
そうするとやっぱり結局は本当に一人一人のパラダイム、
物の見方こそが一番のレバレッジポイントだっていう結論に至ってて、
やっぱり物の見方を変えるしかないんだなみたいな。
本当に一人一人めっちゃいい人なんだけど、
多分物の考え方とか見方が、
資本主義っていう物差しでどうしても見ちゃってる。
資本主義としてというか、
この本の中では機械論的キャピタリズムって言ってるんだけど、
機械として見ちゃってるんだよね。
だからこのボタンを押したらこういう出力が出るみたいな。
こうなったらこうなるとかだし、
そうじゃないって話なんですよね。
この本の中では演技論的クリエイティビズムって言ってるんだけど、
まさか言えば演技だと思うんだよね。
よく古典ラジオでもトヨタ哲学の話とか深井さんはしてると思うけど、
そういう演技みたいなものにそれが西洋的な考え方だと合理的でないって思われるかもしれないけど、
なんか結構そこにヒントはあるんだなって、
古典ラジオを聞いてもめっちゃ思うかも。
まあそうか。
自分はその本を読んでみたいけど、
新百姓を読んでからまた購入いただいたんで。
じゃあ追加収録しましょうか。
新百姓トーク大好きな本。
機械論的キャピタリズムって言うんだね。
確かにそうか。
こうしたらこうならないとっていう感じなのか。
結局その東洋思想だと主体・客体じゃないんですよね。
あれって関係性の相対としてしか自称はないっていう。
空の概念。だから演技とか空とかって。
だからそういうものの見方なんじゃない。
だから自分が主体としてこの客体にこうしたらこういうアウトプットが出るようなことはありえなくて本来。
全体性の中の関係性の中でしか自称は存在しないっていう立場に立つと。
今の会社で当たり前になっているような。
さっきのキャリアの話にも近いかもしれない。
前半のこの山登りを、この頂上を目指すためにこうするみたいな。
よりはやっぱり今この瞬間をどうしていくか。
その瞬間にあるありとあらゆる情報とかの中で決めていくしか存在しないし、
その結果どうなるかなんてわかんないけど、それもそれが回り回って自分に巡ってくることもあると思うし。
だから演技のその巡り合わせとか空発性とかを大事にするしか結局ないのかなみたいなのをめっちゃ思うかも。
なるほどね、だいぶ。
また結局ちょっと真面目な話になる。
そんな感じでホームマッチの豊かな人生が伝わったかわかんないけど、これがまあまあ。
100人聞いてくれたとして1人にでもちょっとそういう考え方もあるのかもなぐらいに届いたら嬉しいなって気持ちです。
じゃあ皆さんもこれ聞いていただいた方はその新100章を購入いただいて。
激推しです。
激推しということなので、それを読んでからまた聞いていただけると。
多分岡田さんのことを知ってくれている人だったり、このラジオを聞いている人にはきっと深く響く内容だと思うので、前のめりでお勧めさせていただきます。
はい、じゃあうちにも届くのを楽しみにしています。
ではまた次回。
ありがとうございました。