1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
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2024-06-05 55:59

#220【ホワイトヘッド 雑談】学問としての哲学/ダンジョン飯と宝石の国/バカになれる?

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。


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サマリー

哲ラジオのホワイトヘッド修行後の雑談会では、山橋とくりぐさんの「意味の経営哲学」という本の読書会が行われています。ハヤトは哲学の教授である山内さんと月に1回本を一緒に読んでいますが、哲学を学ぶ体験としては読書とは異なり、学術的なアプローチで行われることが多いと感じられています。 「ダンジョン飯」と「宝石の国」では、欲求を扱うテーマがあり、欲求の扱い方が人生の要点だと感じています。ただし、欲求がなくなる世界と欲求がある世界では、欲求の扱い方に違いがあります。 ハヤトは、自らが他人と異なり盛り上がれないことにコンプレックスを感じつつも、他人の盛り上がりを尊敬しています。自然体で盛り上がれる人に憧れを持っています。 今回は哲学のテーマとして心を取り上げ、心の歴史や心理学、精神分析などを分析しています。

ホワイトヘッド修行後の雑談会
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、前回の番外編を挟みまして、今回はホワイトヘッド修行後の雑談会ということでやっていきたいと思います。
はい、ありがとうございました。結構ね、大変だと思うんですけれどもお疲れ様でした。
確かにね、早くも言ってた通り、今日ホワイトヘッドとなかなか重いところが続きました。
でもどうだった?やっぱり調べるのは大変だった?
大変だったのもあるし、自分の中ではホワイトヘッドが終わった感が全くないんですよね。
ああ、なるほど。
ホワイトヘッド会は終わった、なんとか終わらせたんだけど、ホワイトヘッド理解できましたと。
これまでの哲学者さんもそうなんだけど、ちゃんと読み込んで理解できましたという感覚は一切なくて。
今も大学を体感された哲学の先生と、月に1回勉強会というか、本を一緒に読むっていうのはずっと続けてるんだけど。
哲学の教授だっけ、元々。
山内さんの「意味の経営哲学」を読む
そうそう、哲学の教授の方。
元々やったのは山橋とくりぐさんという人の、意味の経営哲学という本がやっと終わりそうなので、1年かけてやってきたんだけど。
一冊の本?
一冊の本を。
そんな感じなの?
そう、そうなのよ。
一冊で13章に分かれてるんだけど、1章を1ヶ月に3時間くらいかけて一緒に読むっていうのがあって。
3時間。
3時間。
結構濃密でしょ。
どう、やっぱり違う?
ハヤトが読書するのと、やっぱりそうやって、多分学術的なアプローチなんでしょ。
いわゆる哲学をやると。
制読するって感じだね。
それはちょっと興味あるな、むしろ。
いやー、やっぱり全然違うところじゃないなって思って。
自分は何も読めてなかったんだなって思うし。
読書界とも違うの?この章読んで自分こう思いました、自分こう思いました、先生がこうですね、みたいな。
全然違う。
例えば、行くと本あるじゃん。
意味の啓示枠っていう本があるんだけど、その横に5冊ぐらい積んであって、
ここに書いてあるこれは、ここに書いてあるこれを持ってきてるんですとか、
ここに書いてあるここの人っていうのは、この本で書いてる人で、この本を読んでくださいとかっていうことまで言ってくれるのよ。
あー、なるほどね。
陰陽みたいなものの出典か。
そうそう、出典。
例えば、空気収蔵っていう、日本絶賛社に行ったときに、
さらっと空気はこういうことに打ててっていう話を書いたりするんだけど、陰陽で。
で、それはこの空気のこの本に書いてあるよとか、
そこ陰陽を、それとは示してないんだけど、この言ってることは実はここで書いてあるこっちの人の西田喜太郎の、
こういうことを元にしていてとかっていうのを言ってくれたりするんだよね。
あー、元の本にもそこまで詳しく書いてないのに、出典はここだよねみたいなのもさっき調べてあるというか。
そうですそうです。
あー。
わかるんだよね、やっぱり。
もうやっぱりそれは一人ではもう絶対できないし、
やっぱりもう本を読んでいるっていうより、やっぱりその人、山内さんっていう人の思想をやっぱり、
いわゆる、やっぱり全体として理解する。
つい体験というか。
本当にそうだね。
前回はホワイトヘッドを体験できるかみたいな話だったけど、それに近い営みではありそうだね。
ある。そういうことです。
だから本当に20ページとか30ページやるのが精一杯みたいな。それでも結構駆け足みたいな。
今の話聞くとそうだね。
節約書に30ページを3時間で、その感じでって無理そうだもんね。
そうそうそう。
みたいなことをやらせてもらってて。
まさにその次をホワイトヘッドでやろうっていう話をこの前したんだよね、ちょうど。
はいはい、それハイトからお願いしますって。
お互いに、ホワイトヘッド最近興味あって読んでてって言ったら、
それは山内さんの方向性的には多分合ってると思うから、
やるんだったら一緒にやってもいいよっていう風に言ってくれて。
なるほどなるほど。
その意味の掲示条枠もハイトが興味あってやってて、
ホワイトヘッドもそこから全然流れ的には合ってるんだ。
合ってるよっていう風に言ってくれたから、合ってるんだと。
なんかよくわからんけどって言ってるんだけど。
そこはね、先生よろしくお願いしますって話なんですよ。
っていう風な感じでホワイトヘッドについては、
やっとちゃんともう一回勉強しようっていうタイミングだと自分では思ってるから、
後だけやらせていただいたけど、まだ本当に自分の中には腹を打ち落としてない。
っていうような感じなんだよね。
はいはい、なるほど。
どっちかっていうと学問的で言うと、これからもっと深めていきますよっていう感じではあるし、
そうですそうです。
ハイトの個人の感覚からすると、前回の番外編で得たような感覚だよね。
そういうのはあったってことなんだね。
そうだね。
ハイトの人生観というか。
そうそうそう、自分に引きつけて考えるとそのぐらいっていう感じかな。
あくまでも自分に引きつけてやるから、やっぱホワイトヘッドが言おうとしたこととか、
ホワイトヘッドが本当に書こうとしたことが何かっていうのはやっぱりまだちゃんとわかってない。
はいはいはい。
そこも理解できたらいいなっていう感じですね。
よくやるよなー。すごいよな、やっぱり。
まあそうだよね。奥さんとかにもやっぱ言われるもんな。
言われる?
言われる。
自分に引きつける方だけでもさ、読むのも大変でもいいし、それ自体十分じゃんとも思っちゃうけどね。
まあね。
まあ思っちゃうっていうのはね、引いてる方からするとそれで十分楽しめるからね。
そうだよね。
苦いんだけど。
うんうんうん。
恐ろしい話だなー。
だからやっぱり自分をあんまり信じないっていうか、自分とは違う良い考え方なんて世の中にゴロゴロ転がってるって思ってるから、
あんまり自分に興味があるからこそ他の人にも興味があるというのが近いか。
うんうんうんうん。
ちょっとまた1年ぐらいかけて読んでいくと思うので、もしかしたらまた1年後ぐらいにホワイトヘッドとかやってるかもしれないですね。
はいはい。まあ是非だし、そうだね。
意味の研究上学もちょっとまたやって、もし面白い発見があったら。
すごいよ。ちょっとだけ、あんまり長くは言わないですけど、山本さんという人のすごさが本当に感じる。
うんうんうん。
この人は多分日本の哲学史だけでは全然出てこない人というか、その有名ではない人なんだけど、
もう本当、日本の尊厳だと思ってる。
何それ。
そのぐらいすごい。
もう内容じゃなくてもう、一方うち先生最高になってんじゃん。ただただ。
いやもう最高や。本当にすごいんだって。
こんなことまで考えれるのとか、こんな風に世の中って、見ることは多分できたと思う。
例えばさ、僕よく言うんだけど、野球観戦してるおじいちゃんのお父さんのみんなというかさ、
なんかこの監督はクソや。俺だったらここでこうやって交代すれば出るとかって言ったりするじゃん。
うんうんうん。
その時に、そんなわけねえだろうって僕としては思うわけよ。
要は監督の勘違いでやってるから、ゴロゴロ転がって見てるお父さんおじいさんの考えがそんなすごいわけじゃないとは思っているんだけど、
何を言っていいかっていうと、そういうふうに一言とかつけるわけよ。
まあまあまあ。
うん。
エンタメとしてみればそうだね。
でもそれは本当に考えないで、今ここで交代すべきかとか、こういう配置にすべきかとかっていうことをちゃんと言葉にして説明できますかって言うと、やっぱりできないわけじゃん。ほとんどの人は。
まあそうだね。そういう質問決めてないから、そういう質問されたらめっちゃビビるだろうけどね。
ビビるだろうけど。
詰められても、そう詰められてもみたいな。
確かに確かに。
まあでもそれは損害の違いがある。
損害の違いがある。損害の違いがあるし、そこに興味関心を持つだけじゃなくて、そこまで深く考え抜いて言葉にして論理展開できるんですねっていう。
うんうんうん。
それがすごい。
はいはいはいはい。
って思った。だからちょっとだけね、あごめんちょっとすごい脱線しまくるんだけど、この前さ読んでてすごい言葉があって、何がすごいかはたぶん全然伝わらないと思うし、今伝えようと思ったらそれだけでたぶん2時間くらいかかっちゃうんですけど。
えーとですね、ちょっとだけ読むね。
我々の言わんとするのは、反論理ではなく反意味主義である。
それは論理であるよりも、それちょっと一回飛ばしてるんだけど、論理であるよりもロゴスであり意味である。論理の外に立つことは世界の外に立つことであるというよりも、意味の外に立つことこそ世界の外に立つことであると言われればならない。
っていう風に言葉があるのね。全然わからないと思うんだけど、論理であるよりもロゴスであり意味であるっていうこの一文がやばくて。
そうなんだ。
そう。ロゴスって文字ってだから基本的には論理だと思われてるんだよね、世の中的には。
まあそうとしか思い出した。あんま専門用語使うなよって思うけどね。
そうなんだけど、でもこの人は論理じゃなくてロゴスっていうのは意味だって言ってるんだよね。
はいはいはい。へー。
ロゴスであるよりも、あ、違う、論理であるよりもロゴスであり意味であるって。ロゴスであり意味であるってことはロゴスイコール意味だって言ってるんだよ。
ほうほうほうほう。
それって割とぶっ飛んだ話で。
なるほど。まあ意味の定義を全部変えますみたいな話でもね。
確かにロゴスの意義、ロゴスの捉え方を一変させるっていう話だね。
うんうんうんうん。
ロゴスっていうのは、前もちょっと言ったかもしれないけど、いわゆる初めにロゴスありきっていう新約聖書かな、の言葉なんだよね。
英語でロゴスがワードっていう言葉になって、ワードが言葉ってなって、初めに言葉ありきっていうふうな和訳になってるんだけど、
ほうほうほうほう。
本当は初めにロゴスありきなんだよね。
うんうんうんうん。
っていうぐらい、西洋の根本的な思想としてある言葉なんだけど、
うん。
これを意味だっていうふうに言ってるんだよ、この山尾先生は。
そこの解釈を変えますよって話してるのね。
そうそうそうそう。
うんうんうん。
で、やべえなこの人って思ったわけよね。
はあ、なるほど。
うん。
でもそもそも伝わってると思う。
うん。
へえ。
それから僕は意味って大事だよね、意味ってすごいねっていうことを、
ただすごいよねって思ってるだけじゃなくて、意味とは何かとか、
っていうのをずっと書いて、
さらにロゴスっていう西洋哲学の転倒的な言葉と並べて、
っていうぐらいのことをやり遂げている。
それを言って、やっぱめちゃめちゃ専門家らしい怖いことになるわけよ、だって。
いやあ、大胆だよね。
大胆だと思う。
だから、いわゆる例えばそういう聖書、
だからイエス・キリストもがロゴスって言ってたのは、
多くの人はそれを言葉とか論理っていう風に捉えて、
その文脈で多分いろんな物事を考えさせられてきたというか、
構築してきたのに、
いやこれ意味っしよっていう話をすると、
だいぶ後の大天才たちとかがダメージ受けるよね。
そうなんだよね。がらっと変わっちゃうんだよね。
っていうぐらいのことまで深く考えてる人だから、
逆にそれを自分で読んだ時は分かんなかったというか、別にスルーしてた。
別に何か言ってなかったんだけど、
改めてそうやって一緒に読んだりとか、1年かけて集められていくことで、
え、そんな大胆なこと言ってんの?やばいなこの人みたいな。
ホワイトヘッドの哲学
アヴァンゲロードじゃんみたいな感覚になって。
なるほどね。それこそそういう哲学者たちは考えた言葉じゃなくて、
ロゴスの方に増えていく感覚って感じじゃない?
そうそうそうそう。
そんなのかな?それ分かんないけど。
これちょっとだいぶ出せちゃったんだけど、そういうふうなことを最近はやってるんで、
次はホワイトヘッドに対してもじっくり学んでいこうと思ってますって話だよね。
はいはいはい、なるほど。逆にそれも痛感したって話だからね。
そうですそうです。
うんうんうん。
あと逆に兄貴は既婚教とホワイトヘッドを聞いて、結構楽しかったって言ってくれたけど。
でもそうだよね。もともとは東洋の感覚がなじみやすいっていうのもあるからだとは思うんだけど、
やっぱりね、結局はその身体的な理解しろみたいなさ、一輪論チックな話?
っていうのは難しいよね。だからホワイトヘッドの時もあったように、具体的なものっていうのは結局うまく説明できないのだ、みたいなさ言われて、
それ以外のものを説明されて、それ以外のものであるみたいな話をされると、
うまく丸め込まれてるのかもしれないし、めちゃくちゃ思わされてるのかもしれないけど、
やっぱりこっちこそが最高っていうさ、二輪論だったりとかさ、そういうのと違う魅力があるんだろうね。
そうだね。もっと言うと、それを魅力に感じれるのが兄貴のすごさだし、聞いてくださってる方々のすごさだと思ってて、
それを、そんな世界知らんわとか興味ないわってなる人の方は多分世の中多いと思うのよ。
なるほど。そうかね、最近見た人生ちょっと引っかかったというか、これはイチャモンかもしれないんだけどさ、
最近は多様化とかとの兼ね合いで、ちょっと違う例にするような特定されると申し訳ないからね。
例えばさ、学校とか塾みたいに、塾ならまだいいか、学校を作るとかっていう時に、いわゆる普通のテストとかやりませんみたいな、
もう多様な教育、その子一人一人の個性を伸ばすとか、個性を見つける。
それに集中できる環境を作りますみたいな学校を作ったとして、そうするとニュースに飛び上げられてすごいすごいとかさ、
こういう学校に子供入れたいみたいなのってあると思うんだけど、ちょっとそこに違和感感じちゃったんだよね。
そういう、それも一つのさ、やっぱり二言論的な話で言うとさ、一つのスタンスじゃん、価値観。
で、それがいいですって言ってるようなさ、それを雷散する感じってちょっと気持ち悪いなって多分思っちゃって。
いや多様化とかいうなら、一つの学校でちゃんとテストもやって、通信本もつけて、点数もつけて、
もうなんなら順位も公開します。で、一方でちゃんと一人一人の性質みたいなものがあったとしたらそれを尊重するのも、
同時に実現する学校こそが多様性じゃね?ってちょっと思っちゃったんですよ。
おー、なるほどね。
わかる?この考え。
はいはいはい、難しい。わかるよ。
多分僕の感覚で言うと、どこで多様性を実現してますかって話で、
社会の中にそういう色んな学校があるねってことと、
学校にいる子供たちが本当に多様な価値観の下で暮らしているかってことは多分別だと思うんだよね。
さすが、そうだね。
うんうんうん。
多分兄貴の違和感はそこなんじゃないか。
じゃあその学校にいる子たちは本当に多様な価値観で生きてるんですかってことじゃない?
怖い怖い怖い。そうだね。確かに。
だから日本とかで見ると、多様性が実現されていると、そういう学校が増えるってのはとても良いことですと。
見えるよね。
見える。
ただ、本当の多様性を実現していくっていう視点から考えると、
その学校だけで見ると一つの価値観が凝り固まっているというか、
それを使わせるというか、それを実現するためだけだから。
例えばそういうテストとかで順位をつけるのはダメで、
それをつけないことこそが良いことだっていう価値観しかないとしたら、それは多様性じゃないよね。
でもね、面白いね。
だからそれを個人個人がどう捉えるかっていうのがまた変わってきそうだね。
最近ほら、ビーガンが結構過激になってるみたいなニュースもいたけどさ、ちょっと近いよね。
はいはいはい。
だからやっぱり前回も雑談的に話したけど、捉われちゃうと結局そうなるんだよね。
自分たちは良いってことは相手が悪いことになっちゃうし、
自分たちこそが正しいってなると、やっぱり悪いやつを排除せよってなるから、
あそこって怖いよね。
まあ難しいもんね。確かにメディアもエンタメだから、エンタメでいいと申し訳ないけど、
だからさ、そういうビーガンにしても、わざわざケンタッキーのお店を前に行ってさ、
ドライブスリーに並んでる人の車はどこに行って文句を言うみたいな。
ああそういうことがあるんだ。
そうそうそうそう。
でもそれもね、日々かすり得そうだからさ。
本当も言えないんだけど。
だからそれが全国で起こってるか、それもまた想定ではあるからね。難しいもんね。
だから、本当に世の中のことはわかんないけれども、
基本的には本当に人に迷惑をかけずに、
ちゃんと自分が豊かになる方向で生きるっていうのがそれしかないと思うんだよね。
だからやっぱりそれをどうなのって思える兄貴はそういう感覚がちゃんとある。
ちゃんとあるって言うと上から目線っぽくてあれなんだけど。
なんか褒めてくれるね。
それって当たり前じゃないと僕は思うんだよね。
やっぱり人間って基本的に楽したいとか、だらだら生きたいとか、
前回も僕も生きる意味とか、生きてるのを豊かにしたいとかって話をしたんだけど、
もっと言ったらそもそも働きたくもないし、
豊かさとかって誰かが適当に与えてくれたらいいのにって思ってるわけよ。
思うよね。
働かずに誰が暮らせるだろうみたいな。
AIが仕事を奪うとか恐れてる子の時間がもったいないから、
早くAIが全部の仕事を奪って、人間様を楽して生きていきたいわけよ。
たぶんその時はその時は悩みがあると思うんだけど。
やっぱ思ってる人間だから別に交渉でもなんでもいいんだよね、僕自身。
確かにね。早く総合返事室に行ってもらってベーシックインカムで最低限の金額にしていただいてと。
月8万円いただいてそれで生きていけるつもりになってほしいわけですよ。
それがユートピアなのかディストピアなのかはどうか。
わかんないけど。
でもやっぱちょっとならなさそうだしっていう話と、
その時に一応僕はそういうのをなんとなく考えたりとか、
やっぱりそこに時間を使う人間だって自覚はあるのよ。
でも思ってるより他の人と話してて、それを世の中で考えてる人はあんまりいないと。
まあそうね。だから自分なんかそれを考えさせられる方、自動的な方なんだよ。
早くこういう話をしてないと、きっちり考えもしないし。
そうやってニュースとか見てれば考えさせられるけど、
例えばぼーっと青空の下歩いてる時にそれを考えるかって言ったら、
それから基本考えてるよね。
そこが多分ハイトと違う気がする。
だから出た時に別にそれ自分がすごいとかってことではなくて、
単純にただそこに興味が向いて考えちゃう人であるっていうことと、
逆に他の人と話をするとやっぱどうしても、
昨日も2時間YouTube見ちゃってとかさ、
テクトク見てたら日付変わってたっていう時に別にそれが悪いとかじゃなくて、
人間ってやっぱそういうもんだと思うから。
だって一方でハイトはキング・ヌーの白日を聞いてないわけでしょ。
聞いてない。
前回の話で言うとね。
聞いてない。だから世の中からしたら明らかに、
多分そのことも知らないのって話なわけよ。
ある意味つまんない奴だわけだってね。
そう、芸能人の話もできないし、お酒も女の前でタバコもらわないしみたいなね。
夜遊びのアイドルは聞いた?ちゃんと。
アイドルは聞いたよ。アイドルは子供と歌ってるよ。
なるほどね。
ブリンパンパンも聞いたよ。
はいはい。マッシュル見た?ちゃんと。
マッシュルは見てない。漫画で読んだ。
あ、漫画でか。はいはい。
漫画ちょっと読んだ。あれ面白いわ。
エンタメとかは元々好きではあるから、そのぐらい。
でもほんとそのぐらいなんだよね。
ゲツクの話ももうできないしさ。
はいはいはい。
20年くらいできないんですけど、そんな感じなんで、偏ってるっちゃ偏ってるから、
そこを自覚した上で、別に僕がいいとかってことではなく、
ただまあ、そういう人がいるよっていうことは面白いんじゃなかろうかと思ってるから、
こういう話もしております、させていただいておりますって感じなんだよね。
うんうんうん。
今日ね、話したいなと思ったネタというかあれがあって、
はいはい。
やっぱりホワイトウェットの話、さっきヤンキーも言ってくれたけれども、
何かを経験するってめちゃめちゃむずいじゃないですか。
経験っていうときに、やっぱりよくある擬似体験。
もっというと、やっぱりそのいわゆるエンタメとかってまさにそうじゃないですか。
映画を見るとかさ、漫画を読むとかっていうときに、
普段はできないことを擬似体験するとか、主人公の気持ちになりきるってことがあるわけだよね。
うんうんうん。
っていう意味でも、やっぱりその漫画とか、やっぱりアニメ、映画とかってドラマが深いですごいなって思うんだけど、
最近ね、たまたま続けて読んだ漫画で、結構似てるようなというか、自分の中でつながるものがあったのがあって、
それがダンジョンメシっていう漫画と、あと宝石の国っていう漫画で、
めちゃめちゃ有名、人気ではあると思うんだけど、めちゃめちゃ有名かどうかっていうのがあれなんだけど、
読んだことある?どっちかとかどっちもとか。
ダンジョンメシの方は名前だけ聞いたことがあるって感じ。
はいはいはい。OKです。なので、ちょっと知らないよって方向けに話すので、ネタバレとかもガンガンするので、
もしまだ読んでないよって方は、ちょっと10分ぐらい飛ばしていただければと思うんですけど。
ごめんね、さっき白日聞いてないってバカ言いしてごめんね。
いや、白日の方は有名でしょ。世の中的に。
ダンジョンメシは何かっていうと、いわゆるダンジョンっていうぐらいなので、
いわゆるRPGとかでイメージするような、いわゆる宝箱があって、モンスターがいてとかっていうようなダンジョンに入っていって、
最初に入ったときに、空腹で力が出せなくてやられちゃったパーティーがあって、
ただ食べ物とか持っておくとめちゃめちゃ重たくて大変だと。お金もかかるし。
なので、ダンジョンにいるモンスターを調理して食べることで、
健康的なまま深くまで潜っていこうぜみたいなところから始まる話なのね。
最終的には食べるっていうことがテーマになってて、最終的にいわゆる悪魔みたいなのが出てくるんだけど、
悪魔はもともとは異世界の存在で、無限というものから来てるんだと。
で、悪魔が持ってる欲求が食べるっていう欲求で、ただ食べても食べても無限だからお腹いっぱいにならないよね。
つまり満たされない欲求を持っちゃってるから、
悪魔っていうのは少しでも満たされるようにダンジョンに入ってくる人をあれこれ怪獣シャイとかして、
人間の欲望とかっていうその味を食べるためにダンジョンっていうものをある種作ってましたというか、
コントロールしてましたみたいな裏設定があります。裏設定とかは明らかになってくるんだけど。
最終的にはその主人公がその悪魔の食べたいっていう欲求を食べるっていうことで解決するってお話なんだよね。
多様性と欲望
ちょっとこれは超ネタバレだから、もし気になった方は読んでいただいてもめちゃめちゃ面白いと思うんで読んでいただきたいと思うんですけど、
要は欲求をどう扱うかとか、無限の欲求ってやっぱりあった時に、
それってやっぱり途方もないことになるよねっていうような話がダンジョンのテーマとしてあるんだよね。
へー、あーそうなんだ。そんなライトな感じだと思ってたけど。
僕は読んだというか、そういうふうに感じましたと。
そうも読める。
読める。多分そういうことがあると思ってて。
逆に宝石のプニっていう方は、ちょっとこれはめちゃめちゃ難しい話だからはしょるんだけど、
最終的に主人公たちがいなくなって、全員無機物になるんだよ。
へー。
石が主人公になります。主人公っていうか、石しか出なくなってきます。
そこでバッドエンドじゃなくて、そこから武士のスタートみたいな。
バッドエンドじゃなくて、ハッピーエンド。
ハッピーエンド。
最終最後の方に、無機物が意志を持って海を押し出すっていうふうになるのね、世界が。
無機物だから、そういうドロドロした戦いとか争いとか、そういうことをしたいとかっていうのがあるんだけど、
最終的には無機物だから、もう姿形とかも関係ないし、
ただ、転がって、今日コロコロした楽しいみたいな、そういう世界になるのね。
ほうほうほう。
で、主人公のボスっていう子がいるんだけど、その子が救われるというか、これで良かったんだってなるみたいな世界になるんだけど、
なんか怖そう。
怖い、すごいのよ。それも仏教的な世界観なんだけど、
それは逆に欲求がなくなるというか、欲求ってものがすごく純粋な欲求だけになるっていう話なんだよね。
というふうに、前回もちょっと欲求みたいな話をしたと思うんだけど、
ダンジョン飯は欲望、無限の欲望をどうするかみたいな話で、
宝石の国の方は、欲求ってものは純化されて、本当に争いないというか穏やかな世界。
要は、100年後も意志として存在し続けて、今日もコロコロした楽しいとかってなってる世界になってるんですよ。
もちろん食欲とかないわけだもんね、もちろん。
欲求とは純化されるもの
食べない、食べない。
そういうふうになった時に、欲求の扱い方も違いだというふうに僕は思えたのよ。
その2作を比較した時に。
で、前回もお伝えしたんですけど、欲望があるから頑張れるようなところってあるし、
欲求とかないと人ってなかなか行動できないとか、
実際、ダンジョン飯の中にもいるんだけど、悪魔に欲望を食べられちゃって何もできない。
要は、食べるとか眠ることもないから、周りにお付き合いの人とか介護する人がいないと、
ラシしちゃうみたいな。
そういうような登場人物を置いたりして。
っていうぐらい、やっぱり欲求って生きる根本なんだけど、
欲求があることで争いも生まれるし、諦めも生まれるし、
やっぱり前回言ったような、思い通りにならないっていうことがワンスが出てくる。
っていうときに、やっぱりこの欲求の扱い方が人生の肝なんだ。
人生っていうか人間の肝なんだなって思ったんだよね。
ほうほうほう。深いね。
それはまさにブッダがやろうとしたことなんだけど、
次回以降ちょっと心っていうものをテーマにしながらそういうことも、
ちょっと違うんだけど、心って何かっていうのをサーフィキンとかもやることで、
やっぱりその、欲求ってイコール心じゃん。やっぱり心の動きじゃん。
うんうん。
やっぱり回り回って有心論というか、心を扱うっていうことって大事だよねっていうことをやっぱ思ってるって話なんですよね。
おおー。なんか繋がってる。
そう繋がってる。実は繋がってるんですよ。
なんかね、欲求面白いなって思ってる最近。
なるほどね。
すごいね。それどう思った?さっきさ、宝石の何?
宝石の国かな?
宝石の国?それハッピーエンドって言ったけど、それ皮肉込めて言ってるの?
えーとね、主人公にとってはハッピーエンドだね。
あー、そうなんだ。
そう、ものすごい辛い思いをしてそこまで頑張ってるし、
なんでこんな自分だけこんな苦しい目に行って思いながらやってきた主人公が、
切ないストーリー。
ないんだよ。やばいのよ。原型留めてないからね、主人公が。
うーん、まあハッピーエンドなのかね、みたいなね。
いえ、その世界においてはハッピーエンドかな。
それも前回と一緒で諸行無常だから、
あり方とか、世界とか住んでる惑星とかの環境が大きく変わらない限りは安定し続けられるっていう意味ではハッピーエンドなんだけど。
欲求の扱い方が人生の肝
そこの世界観の価値観で割ったことだね。
そうだね。
そんなこと言ったらさ、もう別に宇宙も何億年後までなくなるじゃんとかってなっちゃうから、それってハッピーエンドなんですかって話になっちゃうじゃん。
そうね、危ない方の思想だね、それは。
そうそうそう、そうなっちゃう。
ちょっとなんで皆さんの話を持ってきたかっていうと、経験はもちろんできないわけよ、無限の欲求とかさ。
はいはいはい。
欲求がなくなった世界というのは経験はできないんだけど、
それを読んで、そういうふうな世界に生きているとしたらこんなことを思うのかもなっていうことはやっぱりちょっと二次体験できた感覚があったんだよね。
そういう意味でやっぱりその欲求って、確かに無限の欲求と欲求がないっていう世界ってあるよなとか、
欲求があっても豊かに生きる世界ってあるよなとかって思ったときに、なんか発想が広がった気がして。
うんうんうん、なるほど。
そうそうそう。
それをもとに今自分は自分の持っている欲求にどう扱おうかっていうのを今思って、
なんか最近は欲求を抑えようとかって思うとさ、とにかく毎日米とスケモンだけ食っとけみたいになるじゃないですか。
うんうん、そうだね。
それでも贅沢だみたいなね。
それはやっぱりしんどいのよ、今現代に生きる僕としては。
肉も食いたいし野菜も食ってバランスよくとりたいわけよ。
そういうときに別に肉も食いたい、魚も食いたい、野菜も食いたいっていう欲求はあっていいと。
それに囚われて肉がない食材になったときにこんな日は嫌だってなるんじゃなくて、
それはそれでいいじゃないかと。
明日食べればいいじゃんとか、別に今日食べなかったことはそれで美味しく食べればいいじゃんっていう風な生き方をしてて。
環境的にもスーパーで売ってるしねってね、お買い出せばね。
そうそう、お買い出せばね。
だからそういう意味で恵まれてるからって大前提はあるんだけど、
明日の食べる飯に困ってないぐらいの稼ぎとか扱いはあるっていう大前提ではあるんだけど、
現状そうなってるからっていうね。
だからそういう意味で食べたいとかこういうものを食いたいっていう欲求があるんだけど、別にそれに囚われなくていいよねとか。
そうすると逆に今度は例えば高いホテルとかでご飯を食べようとかっていうことは今あんま思わなくなった。
そういうときはあってもいいし、やってもいいけどそれは別の目的があるときだと思う。
それこそは奥さんの誕生日に奥さんに喜んでもらうために行くとかはありだけど、
ただ食べるためにそこに行く必要はないよなとか。
っていうふうに今自分の欲求の扱い方を日々実践してるっていう感じなんだよね。
そうなんだ、それでいいと。
もともと職員に対してはどうなの?
いろんなホテルとかじゃなくてもおいしいって聞く店にめっちゃ毎週末のように行きたいとか、もともとそういう欲はあるの?
そこまではないけどやっぱり名店とかに行きたいとか、
時には派手に外食したいとかって結構あるんだよね。
それはなくなったというか、やったんだけどこの前。
一人でご飯食べたときとかにちょっといいお店とか入って2500円くらいのランチを食べましたと。
買いたい2500円のランチ。
高めだね。
でもやっぱり満足感があんまなくて、やっぱりそこが自分の中の欲求が変化したのかなとかって思ってる。
なるほど。
いいとこで食べるっていう欲求にしても、分解していくと難しいよね。
本当に自分がおいしいものが好きなのか、そこで食べたことがある自分だったりとか。
まさにまさに。
情報ね。人との会話でやっぱりそういうのを人に教えてあげる喜びだったりとか。
ただのマウンティングとかいろいろあるじゃん。
あるある。
その辺りは分解してみたの?
してみたよ、してみた。
当たり前のように言ってるな。
してみた、してみた。
本当に兄貴が言ってる通りで、いろんなものがまとわりついてる価値だなっていうことはやっぱりわかるんだよね。
食べたいだけじゃなくて、人気のお店に行ってる俺とか、投稿したらこのぐらいのいいねがもらえるだろうとか。
例えばそこに待ってる間に、それを調べる間でいろんな情報を蓄積することで期待が高まることの楽しさとか。
そういうことをまるっとやって、名店で食べるっていう楽しみとか喜びとかってことが作られてるんだよね。
純粋においしいご飯食べたいっていう欲求だけでいくと、別に1000円のランチと2500円のランチは2.5倍おいしいかって言うとそんなことはないわけよ。
まあそれそうだね。
味の感覚からするとね。
それを僕は比較できないだけかもしれないけど。
そのときにじゃあ別に、おいしいご飯を食べるとか健康的なご飯を食べるっていう欲求を満たすためには別にそこに行く必要はないなってことは合理的にやっぱり出てくるわけよね。
なるほどなるほど。
逆に言うと、例えばうちの奥さんは違うんだけど、仮にパートナーがちょっとおしゃれなとか話題のお店が好きで喜んでくれるからそういうところに行こうってなったらそれは当然2.5倍の価値があると思うんだよね。
1000円の定食屋に行くのと2500円の人気ランチに行くのがやっぱり2.5倍で多分差は出るだろうと。
結局それは自分が何を求めているかとか何を欲求としてそこに行こうとしているか、やろうとしているかっていうことに紐づくんだなってことが分かって。
それは一個の学びだったと思う。
そこを自覚できるかどうかって結構大事だよね。
大事だけど、逆にひるがえって人生ちょっと味気ないなとかって思う瞬間もあるんだよね。
もっと面白いことをしたいとか、浮かれたいみたいな。
はいはい。浮かれたいとかあるんだ。
浮かれたい気持ちあるある。なくはない。
この前久々にライブに行ったのよ。
もともとライブ結構好きで、追っかけてツアーで東京、大阪、どこどことか行ってたりしたような人間なんだけど。
久々に好きなアーティストさんが大阪でライブに行ったんだけど、乗り切れない自分がいて。
それは昔とは違う?
昔は違ったね。
一体楽しかったし良かったんだけど、やっぱりこの時間、家族で過ごす時間を犠牲にしてるんじゃないかとか。
再見の価値として、本当にこのリアルな場で生の歌を聴くということに自分は価値を感じているだろうかとか、そういうことを考えちゃって。
不憫って思っちゃったんだよね。
自分もね。
自分もね。
あらゆるもののコスパ費用対効果中みたいな感じにも感じるしね。
まあそうね。
それにお金を出していくってことは好きなはずだから。楽しめばいいじゃんとか。別に家族に反対されてるわけでもないでしょ。
結婚前にめっちゃ泣いてたから、それもあるんだけど。
だから、純粋に楽しみにいってたのはそこもあるんだけど。楽しかったし、お金払っていて良かったって思いはあるんだけど、
ある種、突き抜けて楽しいとか、本当にここに来て良かったみたいな、そういう感覚が味わいにくくなっちゃったかもなって思う。
どうなんだろうな。
昔は、それに多分、やっぱりライブも楽しむ方って色々あると思ってて。
かえとと割と、リアルなライブ行った時って、みんなで手を挙げてワーワーってやる方だったってこと?
そういう人だった点もある。田村ゆかりさんっていう声優さんだったんだけど、そこのライブはすごいのよ。最初から最後まで全員飛び跳ねてるみたいな。
最近は結構、観客も高齢化してきたからライブ落ち着いてるって話を聞くんだ。
高齢化してるの?
やっぱりファンは当然年を取るからさ。10年、20年経っても。
同じアーティストだとね。
同じアーティストだとね。
でも本当に大声出して飛び跳ねてみたいな感じで、運動会みたいな感じだったんだよね。
それはめちゃめちゃ楽しかったし、一緒に行く後輩っていうか仲良い人もいたから、彼と一緒に行ってワーワーやるっていうのが楽しかったんだけど。
そこもあるかもね。一人で行ったからっていうのもあるかもしれない。
なるほどね。確かにそこの性質について自分を固める必要もないもんね、別にね。
このアーティストだったらこうとか。一人で行くときはこうみたいなのもあるだろうからね。
確かにでも今話してるとやっぱりその環境の変化が要は、関係性として別に誰のことも気にせず、仲良い人と二人で本当に好きなアーティストのところに行くっていう。
やっぱり時間と子供。うちのうちは最近ちょっと寂しがりで、そういうライブとかに泣くんだよね。夜お父さんがいないって言って。
はいはいはいはい。
早く帰ってきて、いつ帰ってくるのかって泣くので、後ろ髪ちょっと引かれて行くみたいなシチュエーションも全然違うっていうのがあったかもしれないけど。
なるほどなるほど。
そういうことを思うと、関係性。前回もおっしゃってたけど、自分がどういうふうな関係性で生きてるかっていう話と、その中でどんな欲求を持っているのか、あるいは持たされているのか。
で、やっぱりめっちゃデカいなっていうのは最近思うんだよね。
なるほど。まあそうだね。確かに何を楽しむかとか、さっき浮かれたいって言ったときでも浮かれようも違うというか、その途中で。
そうそうそうそう。
でもそれはもしかしたら自分のまだ鍛錬が足りないのかもしれない。本当に鍛錬やりきっている人は、楽しむときはもう超絶楽しいんで、
こじゃないときは、別に静かにキューとかできる人がいるかもしれないから。
まあそこはそうは、どっちがいいのか悪いかもわかんないし、さっき言ったように娘に早く帰ってきて泣きながら行くのは、確かに後ろめたさはあるからね。
まあ確かにその辺はまた、実行理解というかさ、感覚と当人、いろんなものに対する当人レベルの差とバタ言うときがね、いろんなものがありそうだなとは思うけどね。
そうそうそうそう。じゃあやっぱりどう思いながら最近は生きてるかな?
どう…最近は生きてるかな?どうなんだろうな。
なんでパンガイパンガ?
ハヤトの幸せ談義とかさ、さっきみたいな楽しい談義を聞くときの、なんだろうな。
ハヤトってすごいちゃんとさ、さっきの多様性の分析とかさ、あと自分がどう思うかの変数分析みたいなのやってるような感じがするんだけど、なんだろうな。
ハヤトが心から何を楽しむのかが全く見えてこないっていう、どこまで言っても他人事感って何なんだろうね。
いやそうなんだよね。それはね、よく言われる。
さっきのね、本読んで面白かったみたいなのはすごい、ハヤトの魂を感じた感じはするけど、さっきのライブの話には魂感じなかったんだろうな。
まあそうだよね。入ってなかったからね、その瞬間は。やっぱりまあ、これはたぶんもともとの性質もあるけど浮かれるみたいなことは少ないし、別にそれが嫌いなわけでも嫌なわけでもなく割と浮かれたい人なんだよね、もともとは。
お祭りとかもさ、やっぱり小さい頃結構あったじゃない。はいはいはい。
お祭りとかも大好きだし。だから、それが一個ある。なんか自分の、なんだろうな、こう、解放したい、浮かれたいみたいな気持ちと、現実的にはすごい淡々と生きてるみたいなギャップ?
はいはい。
犯罪者とかになんなかったらいいな、まあなんないけど、時々思うことあるもん。なんかこの、別に抑圧してる感じもないけど、なんかそういう解放したいってのがやりきっちゃって、なんか変なことしたらどうしようとかって思う瞬間がちょっと前はあったもんね。
今の話聞いて面白いのは、実際昔はライブで本気でたぶんちゃんと騒いでたんでしょう?
大体騒いでた。
だから別にそれが、そうやって騒ぐのが恥ずかしいとかっていう気持ちは別になくてっていう。
ない。
そこが不思議なんだよね。
そうね。
そういう衝撃心とかは別になくて、単純に客観視してしまうときと、やっぱりあるよねって話だと。
ハヤトのコンプレックス
昔、小学校ぐらいのときに先生とかやられて、やっぱりその通りだなって思ってるのは、やっぱりバカになれない奴はダメだっていうのを僕すごく思うのよ。
はいはいはいはい。
やっぱり何かが盛り上がるとか、みんなでテンション上げて、わーってやろうとしてるときに、何がみんな盛り上がったってのっていう人はやっぱり僕、あんまり良くないと思って。
もちろんそれは冷静に判断して、今そういうときじゃないならそれいいと思うんだけど、やっぱりみんなが盛り上がって水を刺すっていうのはやっぱり、なんかこう人としてちょっともったいないなと思ったとき、結局自分はそっちになりがちなんだよね。
何がするか、人になっちゃうタイプではあるんだよね。
なるほど。じゃあ盛り上がるときってむしろ、無理して盛り上がってる。
あの、
空気読んでる。
空気読んで盛り上がってる。
うん。
あー、それはちょっと面白いかも。あれなのかな。
そうね。
あの、ごめんちょっと雑談的にもなんかテーマ的にも違うかもしれないけど、
ちょっと盛り上がりたいと思ってるみたいなのって、だから心からそういうときに、心から自然にバカになれるみたいな、ちょっと悩ましさみたいなの。
そう、あるある。
全然ある。
できないから。
そう、できないから。
うんうんうんうん。
やっぱりいわゆるさ、盛り上げ役とかさ、やっぱりパーティーのさ、いるわけじゃん、そういう人って。
うんうんうん。
そういう人が本当に心から尊敬する。すごいなと思う。
うん。
あ、やればまあなんとなく納得ができるかなあ。
うん。
そうだね。だから会社とかでも、たぶんその、みんな盛り上がろうってときに盛り上がるとか、みんなが乗ってるときにやっぱりなんか乗っ張るとかってことはやっぱり大事だと思ってやってるんだけど、大事だと思ってやってるんだよね、なんかそういう意味では。
なるほど。そこの、完全にそこのスイッチ切り替えられるっていうのじゃなくて、割とこう頑張ってやってるみたいな。
うん。頑張ってやってる。
うん。
そうだね。
自然体で盛り上がれる人
あー。なるほどねー。
本当にたぶん心の底から、楽しいって思ったのってたぶんなんか、動物園に行くときとか?
なんだよそれ。
それは。
怖いよ。その、学校でなんか盛り上がるとかさ、お祭りで盛り上がるとか。
うん。
あとその、ライブに行って盛り上がるよりも、動物園行ったときの盛り上がりの方が自然体ってちょっとおかしい。
おかしい。
おかしいかな。おかしいのか。
怖い。おかしいっていうか、怖いと思うけど。
怖い。あれ?おかしいな。
うん。
静かに盛り上がってるんだよね。
はいはいはい。
これの中では?
これの中で、あーすげー、アシカいるアシカとか言って。
うん。騒いでるとかじゃなくてね。
そうそうそう。
うん。
ちょっと速足になるみたいな、そういう感じのタイプなんだよね。
うんうんうんうんうん。
そこはコンプレックスじゃないけど、憧れみたいなものがあるとすれば。
自分にはできないなーって。
納得だね。
逆だと思ったから、自然に心からライブで盛り上がる人であれば、その感じに納得できないなと思ったけど。
うん。
盛り上がりみたいなのも、少し意識的に周りと合わせて、でも本当に自分楽しいけど、ちゃんと合わせてやるみたいな感じがあれば、理解できるか。
どうかな?
はいはい。
そうだね。
難儀だね、なかなかね。
難儀、そう。だからまあまあ、そういう人間だから、逆にそういう仏教的なというかね、そういう欲望を手放そうみたいなのが馴染むっていうだけのことかもしれないけどね、もしかしたら。
難儀って言っておいたけど、わかるっちゃわかるから。
だからね、盛り上げ役とか、兄貴もさ、結構昔育ったと僕は見えてたのよ。
盛り上げる方?
盛り上げ役、うんうん。
まあそうだね、かもしれない。
友達多いしさ、毎週末家に友達が来てたりとかしてたじゃない。そういうのを見て僕は割とコンプレックスだったというか、兄貴はすごいなーって思ったのね。
ほんとはね、難しいとこだね。確かに小学校の時応援団長やってたりみたいな。
あ、そうそうそうそう。
あったね。
もしかしたら兄貴としてはそういう感覚じゃなかったかもしれないけどさ。
センスはそっちかも。バカになる方向。
ただそのセンスが悪すぎて、どっかで反省して今に至るみたいな感じかもしれない。
なるほどね。
センスがいいバカだったらよかったんだけどなって思う。
センスがいいバカって確かにね、センスが大事なのか。
ただうるせえ奴とね、ちゃんと盛り上げるのはまた違うから。
面白い。やっぱりそういうことを話せると、人ってやっぱり人それぞれ色々あるよなーとか、
別にやっぱり考えてないって言ってもさ、普段の生きる中で思うこととかあるわけじゃん。
まあ確かにね。
そういう話をね、そうできるのは楽しいなーって思ったんですね。
確かに確かに。意識していなくてもね、聞かれたら出てくる経験とか思い出す経験ってあるだろうしね。
なので、ちょっと宣伝っていうかね、おっきしっぽくなっちゃうんだけども、
元々言っていたソイテッドカフェやりますとか、コミュニティとか作りたいですっていう話、
全然5月動けてなかったんですけれども、やりたいなっていうのはずっと思っていて、
ちょっと6月ぐらいには何らか皆さんにも届けできるように準備はちょっとしていますので、
それも良かったら気長にお待ちいただけるとありがたいなと思っておりますっていうだけちょっと言っておこうかな。
はいはい、まあそうはね、せっかくね、ソイテッドカフェも行けなかった。
時風は行けなかったけど、すごい楽しそうだなーと思って。
経験と読書界
ちょっとそういうふうなところでね、僕としてはやっぱり、ただただお勉強をするんじゃなくて、やっぱり経験する。
やっぱり経験って、さっき漫画とかアニメとかも言ったけど、やっぱり人の経験を聞くっていうことに勝る経験じゃないなと思うから。
そういった意味ではね、そういうホワイトヘッド界の進めとしては、やっぱり皆さんの話を僕も聞きたいし、
僕の話とか何気の話からも皆さんに何か触ったらいいねっていうので綺麗にしまったんじゃないでしょうか。
はいはい、いやー、自分で言うね。
自分で言う、自分で言っておくスタイル。
はいはい。
まあ要するにね、今の話で思ったのは、やっぱりね、早藤哲学校先生、教授?元教授かな?
元でちゃんと学んでるっていう話の時に、その読書界と違うの?って自分言ったんだけども、
その読書界には読書界の、そういった一人一人の、例えば読書界の場合は本だけど、の解釈とか感想。
そういうのは、それが合ってる合ってないっていう違う次元での、その人の経験を理解する、聞くっていう意味で、すごい意味があるなと。
あ、ほんとそうだね。
そういうとこもあるのでね、そこは補足しないと、読書界の下に伝わってたら悪いかなって最後思い出した。
ありがとうございます。読書界みたいなのは全然好きだし、僕も時々やるんだけど、それとはまた全然違う営みですよっていうだけの話だよね。
そうそうそうそう。そこは今、先日伝わってたら嫌だなと思って。
ありがとうございます。
哲学のテーマとしての心
今回はこんな感じで、また次回からは早いとさっき言ってた通り、心というところをまたテーマでやっていくという話でしたね。
ざっくりだけど、心ってどうやって哲学の中で扱えてきたのとか、そこからいわゆる心理学とか精神分析とかそういうものに分かれていく。
いろんな心ってとにかく得られるところで扱われたりするので、それを歴史的にとかテーマ的に扱っていって、
心っていうものを少しいろんな観点を捉えられるようにすることができたらいいのかなと思って。
もしかしたら長くなってるかもしれないけど、そのぐらい深いテーマだから、それはそれでありかなと思ってます。
前回も固いのがついたので、心というとどうなるかわからないけれども、もうちょっと柔らかそうだなっていうのを少なく期待してるんでね。
身近だったよね、いろいろね。
そこはちょっと楽しんでいきたいと思いますので、次回も引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
55:59

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