家庭での育児と学び
皆さん、おはようございます。社会福祉士のぽこです。
障害者施設の相談員をやっています。今はゼロ体重のまま、育休をとっています。
福祉と育児のちょっと前向きな話と、あとは趣味の読書の話をしています。
今日は11月の4日、火曜日ですね。育児の話をしようと思います。
冒頭になんですけれど、昨日からマイクを変えているんですが、
何か音が大きすぎるよとか、割れているよとか、
何かあれば、またコメントなどで教えていただければ改善します。
では、問題に戻りますが、今日のタイトルにあります、
疲れたときは態度で示すな、というお話をします。
私事なんですけれど、実は今日で夫の育休が終わるんですね。
4月の中旬に出産したんですけれど、出産当日から今日の今日まで、
毎日お父さんサポートを続けてくれました。
本当に子どもを借りてじゃないですけれど、ありがとうございます。
その男の育児生活の中では、いろんなことを学んだんですよね。
本当に育児という言葉が、育てるに子どもの児童の児だと思うんですけれど、
育てるという字に自分の児と書いて育児だよという話を時々聞きますが、
本当にその通りだなと思います。
私をすごく大きくしてくれた学びは何個もあるんですが、
その中の一つに、疲れたときは態度で示すなという学びがあります。
今日はそのお話です。
自分の態度の影響
私は元々の考え方のモットーというか、ベースが考え方マッチョなんですよね。
原因自分論というか、だいたい全てのことに、
自分の中で原因を見つけて解決に取り組むタイプです。
何かうまくいかないことがあれば、とりあえず自分の中に何か改善できる要素はないか、
それを探して、まっすぐそれに取り組むというタイプです。
仕事だけでなく生活の場面でも同じことで、
いつも例えばルーティンで掃除をする、トイレとかお風呂の床とか、
そういった細かい掃除をする、これを自分にルーティン化しているんですけれど、
これをやる余裕がないときっていうのもあるんですよね。
そんなときは、疲れているから今日休もうとかそういう考えじゃなくて、
自分のタイムスケジューリングが悪いんだ、何か改善しなければと思ったりとか、
疲れて料理をしたくないというときは、
この体力のない自分はダメだって、逆に頑張って運動をしたりとか、
そういう割と限界を突破するタイプでした。
その中で夫が一緒に生活しているのに、掃除機かけてほしいとか、
リラックスした、ここにしまってほしいとか、
小さいことも頼まなかったんですよね。
育児始まってからも余計に目立ってきていて、
夜中の授業とか、朝の家事とか、昼間の抱っことか、
もうやることいっぱいなんですけれど、何にも頼まなかったんです。
夫がやるよって手を出してきてくれることもたくさんあったので、
そういうときは、じゃあお願いって言ってたんですけれど、
自分から休んでいる夫に対して、
ごめん、今抱っこ変わってもらえるって言ったりとか、
そういったことは全く言いませんでした。
別にこれについて、分かるでしょ、見てればとか、
さしてもらいたいとか、そういうふうに思っていたわけじゃなくて、
シンプルに、まずできるだけ自分がやるべきだって思ってたんですよね。
モットーが限界を突破するためにやるものぐらいに思っているので、
何か限界、疲れた、変わってほしい、誰かに助けてほしいって思ったときこそ、
踏ん張らないと自分の限界を突破できないと思っていた節があります。
そんなマインドで育児に取り組んでいたので、
さすがに顔に結構疲れが出てたんですよね、多分。
夫から、手伝ってって言われれば手伝えるのに、
ため息ついてるだけじゃ手伝えないよって言われたんです。
これ言われたとき初めて、自分が手を出しづらい環境を作ってるんだな、
この環境を強化してるんだなって思ったんですよね。
これじゃあ周りも相当手伝いづらかっただろうなと、すごく反省しました。
この大丈夫っていう言葉が生む不信感っていうのがあると思っていて、
例えば大切な人が疲れてるときって、誰でも何かしら助けてあげたいと思うと思うんです。
身内であれ、同僚であれ、身近に大変そうな人がいれば、
何かできないかなって思うと思います。
地震が起きたときとか、自分に何かできないかなって思う人増えると思うんですけれど、
それは同じ国の中で、自分は何か手伝える状況である。
だけど大変な人がこの国の中にいる、近くにいる。
じゃあ自分は何かできないかって思うと思うんですね。
それと同じことで、家族でも同僚でも、
仕事の場面でもそうだと思います。
私は周りからの助けを受け取らないで、一人でとりあえず頑張ることが、
まず一人の人間としてやるべきことだと思っていた話があるので、
それを助けたいって思ってくれている人を拒否するということにつながっていると思わなかったんですよね。
でもそうだったかもしれない。
自分のこの態度が人を遠ざけていたかもしれないって気づきました。
仕事であれば、例えば隣の席に座る同僚の顔。
暗ければ心配になると思います。
大丈夫?って声をかけても、疲れた顔をしているだけで、
声をかけても大丈夫?ってしか言ってくれないっていう同僚に対しては、
自分には頼りたくないって思っているのかな、
声をかけるのやめとこうかなって思うと思います。
育児であれば、ママが疲弊していればパパは心配だと思うんですよね。
育休を取っていればなおさら、
パパだって子育てしたいと思っているし、
育児でも生活でも何か役に立てないかなって、
少なくともうちの夫はすごく考えてくれていたんですね。
そんなパパからの声かけに、
大丈夫だからって疲れた顔しながら手を振り払っていたら、
パパも落ち込むらしいです。
うちのパパ曰く。
疲れてる態度は示しているのに、疲れたから手伝ってって言わない。
この態度は、手伝いたいのに何を手伝ったらあげたらいいのかわからないっていう感情も生み出させてしまうし、
それに加えて、自分はこの人から信頼されていないんだっていう不信感につながる態度でもあると思います。
コミュニケーションの重要性
だからこそ、顔に出すならちゃんと言えっていうのが、
これからの自分にはテーマになってくるなと思います。
疲れたこと以外にも同じことが言えて、
顔に出すぐらいなら、ちゃんと言葉に出した方がいいことってもっとたくさんあるんですよね。
例えば疲れたとき、頼まれ事を断りたいとき、
今は余裕がないから、ちょっとそれは面倒だからっていう理由であったとしても、
断りたいとき、
あとは出された料理がおいしくないときとか、
一緒にいて楽しくないとき、
こういうマイナスな感情はなかなか出しづらいと思いますが、
顔に出すぐらいだったら、その通り言葉を伝えた方が結果に結びつきやすいと思うんですよね。
つくろいたいのであれば、顔に出さなくてもいい範囲内で上手に嘘をつくっていうのがもう限界点だと思います。
さすがに例えば、上司から頼まれ事があって、
それを断りたい、嫌そうな顔をするわけにもいかないかもしれません。
だったらその場はつくろっていい顔をすればいいと思います。
上司の前でずっといるわけではないし。
けど、それが家族の前では、毎日会う同僚の前では、
同じ顔ができますかっていう話だと思います。
それがつらいな、無理だな、これ以上は続けられないなって思うんだったら、
ならきちんと言葉にすること。
これのまた、昨日の放送でも少しお話をした、これからの時代に必要な態度、これの一つだと思います。
ぜひ今日は正直に疲れたなとか、嫌だなって思ったことを言葉に出してみてください。
むしろその方が信頼度が上がったりすることもありますので、やってみてください。
ということで今日は、疲れた時は態度で示すなについてお話をしました。
これと似たような言葉が、実は日経ウーマンという私がよく読んでいる雑誌の中でも紹介されていたんですよね。
明日は、この雑誌の中で紹介されていた他の内容、これに付随するんですけれど、
疲れている時の休み方についてお話をしようと思います。
具体的には、人間のパフォーマンス、これを方程式に当てはめると、
休み方がこんな風に影響しているんだよっていう紹介がされていたので、
休み方についてどんな風に影響するのか、お話をしようと思います。
休むことをつい後回しにして、今やれることをやろうと思ってしまう人に、
考え方がマッチョな人に聞いていただければと思います。
ということで、今日も最後まで聞いていただいてありがとうございます。
今日は今もベビーモニターを見ながらお話をしているんですけれど、
息子はぐっすり寝ておりますので、もう少し自分の時間をとろうと思います。
起きても夫に頼んだりとか、ちょっとずつ疲れた態度を示す前に、
誠実な態度を示したいと思います。
ということで、今日もありがとうございます。
また次の放送でお会いできることを楽しみにしています。
ではまた。