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2024-08-28 09:26

わたしの内省力について。利用者支援にも活かすべき?

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皆さん、おはようございます。社会福祉士のぽこです。このラジオでは、このままでいいのかなと、もやもや働く日々を、ワクワクの日々に変える、そんな気づきや発見を、障害者福祉の現場から、一つゆるーくお届けしています。
最近、放送が途絶えていましたが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
ここ数日、私が住んでいる地域で、台風がかなりひどく影響していて、土砂災害の避難指示が出ていたり、それも夜中に避難のアラートが、ティラリラリーンというのがずっと鳴っていたりとかで、全然寝れなくてですね、かなり体調的に崩れてきていました。
皆さんの地域では大丈夫でしょうか。無理せず、自宅でお仕事ができる人は、そういうふうに過ごしていただければと思います。
余談ですが、実家の前もかなり寒水が続いていたりとか、私の職場でも施設の中に浸水していたりとか、土砂災害で道がかなり封鎖されていて訪問に行けないとか、かなり仕事にも支障が出始めているような、今日この頃です。
そういうことになるといいなと思いつつ、こんな日でも安心して帰れる場所があったり、眠れる布団があるということにすごく感謝をしている、そんな今日になります。
ということで、そんな今日のトピックはですね、なぜ私がこんなにいろいろ考えて生きているのかということです。最後までお付き合いください。
はい、私かなり内省するタイプなんですね。内なる反省と書いて内省なんですけれど、こういうノートやスタンドFMで発信をする中でも、すごく人生とか生き方、在り方について考えている方だなと自覚しています。
ノートの方なんかは、たぶん10月の末でそろそろ365投稿、連続投稿になるんじゃないかなと思うんですけれど、なんでこんなにいろいろ考えていろいろ書き起こして生きているのって時々聞かれることがあるので、今日はそのことについてお話しします。
もともと私、小学校6年生、5年生くらいの時からかな、日記をずっと書いていたんですね。なんかこう、今日あった嫌なこと、今日あった嬉しかったこと、思ったことをつらつらと書いているだけのノートブックがあったんですけれど、そこがたぶん原点だったなと思います。
それ書き始めたきっかけは、何かの書籍で自分の心の中の言葉を書き起こすと楽になるよって書いてあったのをきっかけに、書いてみるかと思ってやってみたのがたぶんきっかけだったと思います。
そこからだんだん書いている内容が具体化していったんですね。今日はなんかもやもやする、イライラするって、ただ感情をぶつけていただけのノートが、だんだんこういうことがあってイライラしたんだよとか、こういう人のこの発言がつらかったんだよ、それはこういう背景があったからだよっていうところまで言語化できるようになってきていました。
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一つそこで言語化する力が培われてきたのは実感しています。
もう一つここまで自分の思いとか生き方についてすごくよく考えるようになったきっかけっていうのが、すごく生きるのがつらかった時期があったんですね。
別にすごく大きな出来事、例えば両親が離婚したとか、すごくひどいいじめに遭ったとか、別にそういうことはなかったんですけど、よくある女の子のいざこざとか、吹奏楽部ならではの女の園ならではのいざこざ、そういったところには比較的巻き込まれやすい体質だったなと思います。
その中で生きているのつらいくらい嫌なことが続いているという時期が思春期あるあるで続いていて、その時生きるのがつらい、生きることについてちょっと考えたいみたいな時期がきました。
そこらへんからすごくどういうふうに生きていったらいいんだろうっていう思考に変わってきたんですよね。
なのですごく生きるのがつらかったからこそ、生きることについて人よりも何倍も何倍も考えることになってきた。だからこそ今の自分があるんだなと思っています。
なのでよくつらい出来事が自分を強くするなんて美談を聞きますけど、そんな綺麗な話じゃなかったとしても、すごくつらかった出来事があるからこそそこについてより深く考えることができた。
より深く考えるきっかけになったからこそ次のステップに進めたっていうことは他の人にもよくあるんじゃないかなと思っています。
なので自分的に内省とか人生について働き方について考えるっていうことの一つ前には絶対これをもうやりたくない、もう続けたくないって死ぬほど悩んだっていう過程があるんですね。
だからこそ今こう前向きにことを考えるっていうステージにたどり着いていると思うんです。
だから今こうすごく悩んでいることがある人ってもう少し考え抜くといずれそれを前向きに変換、転換できるよっていう印だと思います。
なんか今人生に絶望しているのであればその絶望と思い切り向き合ってみるとこれからの人生どうやって生きていこうかっていう思考に変わっていくと思うんです。
だからこそ何かつらいことがあったとき諦めずに向き合えって人は言うんだろうなって自覚しました。
ご利用者さん、私が接しているご利用者さんの中にはその考えることを放棄している人がかなり多くいるんですね。
もうこんな人生嫌だからもうどうでもいい、食べるものさえあればいいからずっと救護施設にいても全然いいですって、生活保護でも全然いいですって言っている人がかなりたくさんいます。
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我々支援者としてはそんな生活じゃ自由が全然ないからもっと自由な生活したくないって言うんですけど、そこにはどうしてもつながらないんですね。
最近すごく思うのが自由な生活に行くまでにすごくつらい過程を踏まなきゃいけないんですよね。
私みたいに生きるのがすごくつらくなって、そのつらさと向き合ったから今があるっていうのは美談になりますけど、そこまでのつらい経験をみんなが踏まなきゃいけないのかっていうとそうでもないと思っています。
支援者としてスタンスは利用者さんの自立を支援するということで接しますが、一人の人間として利用者さんと接するのであれば無理に自立するための支援はできません。
自由を得るための関わりって本当にしてもいいのかなって疑問に思うことも正直あります。
人によって自立のためにとか自分の自由のために前向きな人生のために考え抜きたい、苦労してでもそこに向かっていきたいっていう選択をするのであればそれはそれでよし。
逆にもうこれ以上つらいことは考えたくない、もうここのままでスティーするので精一杯だっていうのであればそれもそれでよしだと思います。
みんながみんな熟行してすごく深く考えて前向きに転換させなきゃいけないかっていうとそうでもないと思うので、
自分が生きやすいようなペースで、生きやすいフェーズでみんな生きていったらいいんじゃないかなってふと考えています。
こういうふうに生き方についてもう少し柔軟な姿勢を持っている支援者が1人2人いてもいいのかなと思っています。
やっぱり自立支援するっていうところにいるとこういうこともできるようにならないと地域で暮らせないよねとか、
ここまで浅い考えだと地域でやっていけないよねとか結構厳しい意見が飛び交うんですね支援者の中で。
そんな中でこれでもいいんじゃないなんていうと結構火種が飛んでくることもあるんですけど、
やっぱり利用者さんに辛い思いをさせてまで実現させたいことなのか、利用者が実現させたいことなのか、
それとも私たち支援者が実現をさせたいことなのかまた別物だと思うんです。
なので私が内政とか深く考えるようなきっかけを振り返る中で、この過程を利用者にも追わせるだけの体力が彼らにあるのか、
それだけ追わせる権利が私にあるのかっていうことをちょっと考え直すきっかけになりました。
今日のテーマはちょっと2つになってしまいましたけど、
私がなぜこんなに内政や自分の人生について考えるのか、その理由やきっかけが一つ。
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そして利用者と関わる中でそれをどのように生かしていくか、そういうお話をさせていただきました。
ということで、お久しぶりの放送です。皆さん聞いてくださりありがとうございます。
今日も天気がかなり崩れていると思いますので、皆さんも足元にお気をつけてお過ごしください。
それでは今日もいってらっしゃい。
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