フィリップ・プティとその名言
毎日が日曜日、暇人モーニング、略して暇人ラジオ。毎日、素敵な誰かの名言から、朝を始めましょう。
本日の名言は、綱の上では未来と過去が同時に揺れるピリップ・プティさんですね。綱渡りアーティストの方です。
綱渡りアーティストっていうのがいるんですね。
なんかね、いらっしゃるんですよね。たまになんかテレビとかで、ビルとビルの間に綱を引いて、そこを棒を持って歩いて渡るみたいな。
なんか見たことあるかもですね。
はい。
ちょっとエクストリームな感じですね。
かなりドキドキするショーをする方だと思うんですけど。
えー、ピリップ・プティさん初めて聞いたな。綱の上では未来と過去が同時に揺れるっていうか、もうなんて言うんですか。
はい。
なんかこれ聞いて、なんか全然わかんないんですけど。
はい。
なんかもう全部、もう死ぬと生きるの狭間にいますよみたいな感じに聞こえるんですけど、この言葉ってなんか。
もう、なんかいろいろ超越したとこにいますよね。
そうですよね。
これなんか名言っていうか、この人しか感じれない話の感覚の話じゃないですよね、これなんか。そんな風に見えますけど。
第六感ですよね。その人しか体験できない何か。
ねえ、だってほらもうギリギリ生きてる感って。
いやでも確かに今これ想像したんですよ。ちょっと僕その、なんかね、ビルの上をこうやってっていうのをなんか頭の中で自分がもしそれだったらと思ったときに。
なんかすごい浮遊感っていうか、なんかこうなんて言うんですかね、なんとも言えないこの、なんだろう、生きてるのか死んでるのかわからないこう、なんか有限な感じというか、なんかそういうのをちょっと想像できたんですよね。
こうなんていうか、もうすごいすごいじゃないですか。綱っていうこうなんか多分一点みたいなところにこう、全てを預けるみたいなですね。
なんかあのフラッシュバックとかほらするとか言うじゃないですか、死ぬ前とかって言って。
走馬灯みたいなやつね。
走馬灯みたいな。なんかあんな、ずっとあんな感じみたいな、なんか時間間隔バグりそうな感じしますよね。
極限の感覚と生きる実感
バグりますよね。
これ絶対バグりますよね。
なんかどう、どういう感覚なんでしょうね。自分が今そこに立ったとしたら何を思うかみたいな。
でしょ。なんかもうでも、ほらまあ俺が本当もう全部想像なんであれですけど、まあ多分そうなると思うけど、なんかもうそれしか考えないでしょうね。
その今、なんかこう足のぐらっ、ぐらっつく風が来るとか、だから、ああそれがもしかしたら同時に揺れてるのかもしれないですね。
もう、もううわーって走馬灯になってるし、だからもう極限状態っていうか、ギリギリのなんか静止感みたいな感じそう、なんかこれ。
ね、独特な時間感ですよね。でも今ここしかないですよね、たぶんあと。
ああそうですよね。それがマインドフルネスかどうかもちょっとわかんないですけど、まあでもなんか極限まで命を晒したときにしか感じない何かみたいな、生きてる感みたいな、そういうのにもなんかちょっと取れるというか。
はいはいはい。
うーん、いやなんかやっぱりほら、冒険家の人たちとか、なんかそういう人たちとか、なんかこうエクストリーム系の人たちってなんかわかんないですけど、もうちょっと異常じゃないですか、なんかこうやることが普通に考えたら。
日常生活じゃもう絶対ないっていうか。
まあ確かにちょっとね、足がすくんじゃうとか、怖くて普通の人たちできないみたいなことができちゃうみたいなことですよね。
でもそれってなんかこうともすると、なんか生きてる感じを味わえるというか、なんかもうそう言われてみると、なんか時々こうあるんですけど、なんだろう、たとえばトンネルとかを車でずーっと走ったりすると、これなんか俺は今何をしてるんだろうみたいな、なんか崩壊していくというか、同じ景色をずーっと見てるところを走るというかですね。
なんかこうそういうのも普通、なんて言うんですかね、なんか生きてて普通のところにもなんかあるというかなんていうかね、たぶんもしかしたら毎日同じところに出勤して同じことをしてて、なんかずーっとしてると、なんか生きてる感じがしなくなっていくっていうか、なんかそういうのの反対側というかですね。
生きてる感覚を常に味わう場所みたいな。
そうそうそう、なんかね、いやなんかほら、今やっぱり結局ネット社会みたいなやつがだいぶほらだんだん幅利かせてきて、やっぱり現実社会とね同等みたいな感じの雰囲気もなんか出てきたじゃないですか、バーチャル界っていうか、お金だってもうバーチャルになりつつあるしですね。
だから手触りがないものが増えていくと、余計にこういったものがなんかなんか出てきそうっていうか、なんか生きてる感じを感じれるものになんか、みんなが触れたくなる衝動っていうのもなんか出てきそうだなーって。ちょっと名言とは違いますけどね、なんか名言からちょっと思いを馳せてしまいましたね。
むしろなんかそういう生きてる感覚を欲してるのかもしれないですね。
だんだん手触りが消えていってますからね。
なんかねでもこうやっぱり手触りとか、まあ要はこのちょっと危ないぐらいの感じにまでしてみたりとかすることで生きてるっていうか、まあなんかだから結局なんか苦悩みたいなこととか、なんかこうなんだろうなストレスみたいなやつとかも、もしかしたらこう生きてる感を感じれるものとして取り扱うとですね、なんか面白いっていうかなんて言うんでしょうね。
そうか。それによって感じられてる感覚が必ずあるっていうことですよね。
そうそうそうそう。
苦悩とか。
そうそう。
危険とか。
一見ね、嫌なもの、まあだって危ないっていうのも結局そうじゃないですか。なんか一見普通だったら絶対しないっていうことをするっていうことなんでね、なんかね、だからなんかこう発想の転換というか、なんかやっぱいろんなものをこう生きてるって感じてるっていうふうにね、なんか思えるとですね、なんかこうもうちょっとこうなんて言うんでしょうね。
生きている感覚の追求
なんか、なんて言うんだろう、ちゃんと生きてるっていうか。
いや、なんかだんだんなんかね、忙しすぎたりすると消失していくんですよね、そういう感覚ってなんか。
あー。
曜日とか。
はいはい。
ね、今日何したっけとか、何食べたっけとかね。
うん。
うーん、いやなんかこう生きてるっていう感じたいっていう、なんか願望というかなんか衝動っていうのは、なんか意外と大切な気がするなあなんか。
ね、なんか今日朝忙しい時とか、生きてるなと思って行動してないですよね、自分たち。
ね、なんかもう急げ急げとかね、なんか目的を達成するためになんか全部を費やして、ね。
うん。
うーん、実際そんな重要なことなのかなとかも思いますけど、なんか全てがですね。
まあそうですよね。
うーん、でもなんかこれね、ちょっとわかんないですけど、まあなんかね、これを聞いてどう思うかっていうのはちょっとまた違う話かもしれないですけど。
はい。
いつもの名言感とはちょっと違くて面白かったですけど。
うん。
なんかこう、どういう時に生きてるって感じるかみたいなことを。
はい。
ちょっとね、なんかみんなコメントとか欲しいっすね。
あー。
ね、みなさんが生きてるって思う瞬間。
ね、まあ美味しいご飯食べてるとかなんかわかんないですけどね。
はいはい。
そういうのもあるかもしれないし、なんかすごい筋トレしてたらなんかね、生きてるとかね、感じるかもしれないし。
うん。
なんかちょっとそういうのを聞いてみたくなりましたね。
ね、どういう時に生き、生意をみなさん感じて生きてるのかちょっと聞いてみたいですね。
ね、ぜひぜひね、なんかこのコメント欄とかね、まあDMとか何でもいいんですけど、ぜひぜひこれについてね、みなさんの意見もちょっと聞いてみたいなと今日は思いました。
はい、ぜひみなさんの生きる気持ちをどこで感じてるか教えていただきたいなと思ってます。
はい、ぜひよろしくお願いします。
それでは今日はそんな感じで、いってらっしゃーい。
いってらっしゃーい。