1. 樋口聖典の世界
  2. 清く正しく生きると人間じゃな..
清く正しく生きると人間じゃなくなる
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はい、今ですね、田川市飯金パレットから福岡市の自宅に向かって車を走らせております。時刻は夕方16時40分でございまーす。
いやー、あの久々に田川に行って、で飯金パレットにある僕の独房って呼ばれてる部屋に一泊して
みたいな2日間でしたと。で、夜せっかくなんでということで
僕と社長の青柳と、あともうね、僕が一番ヤバい時に
働いてくれてた、今ももちろんね、働いてて、今は追い止ま食堂っていう
飯金パレットにある飲食店の店長をやってるんですけども、マミっていう女性と
で、あともう一人社員と4人で焼肉行って飲んでみたいな感じでしたね。で、帰ってきたら
青柳がやってるバンドダイヤモンズのレコーディングが飯金パレットでやるみたいな話があって
あ、違うレコーディングじゃないか。打ち合わせと練習か。なんかそういう話があったので
ちょっと挨拶したら、僕の地元の後輩であるササヤンがいて、ササヤンマッサージうまいんで
じゃあ終わったらマッサージしますよって言ってくれて、夜中1時からマッサージしてもらってみたいな
なんかね、久々にそういう、なんていうかこう
まあね、どう言ったらいいんだろうな、大学生みたいなというか
こう、子育てとか家庭みたいなものと完璧に切り離した時間を過ごすことができて、結構尊い時間だったんですけど
まあそれは良いとして
最近ですね、思うことありまして
僕いろんなものからインプットをしてるんですね
僕っていうか皆さんインプットはしてると思うんですけども
で、いろんなこと言われますよね
こうした方がいい、みたいな
で、これは良いことである、みたいなことをいっぱい
まあ本だったり、YouTubeだったり、SNSだったり、ブログ記事だったりいろんなところで
これが良いことだ、これは悪いことだ、みたいなものありますよね
で、中にはどうかなと思うこともありつつも
やっぱりこう納得できるなっていうこととかあるわけですよ
こう考えたらいいなっていうこととか
で、それをずっと僕はなるべく取り入れようとして
で、取り入れるわけですよね
ってなっていくと僕の中の価値判断基準として
清く正しく美しくっていうことになっていきますよね
これも皆さんそれぞれの清く正しく美しくがあると思うんですよ
いわゆる清く正しく美しくが
一般的に言われてる言葉通りの意味かどうかは人それぞれなんですけど
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あえてアウトローに行くっていうことは
自分の美しさだ、みたいなことを思う人もいるかもしれないですけど
要は自分の美学に沿ってこんな自分になりたいっていうイメージをして
その自分に近づけていくっていうことを
皆さん少なからずやるわけですよね
それはそうですよ
で、僕そうやってきたんですね
なるべくなるべくそう思ってきたんですよ
で実際実践もしてきました
現実世界の中で例で言うと
例えば僕は結婚をするっていう時にある仮説を立てましたと
幸せというものは絶対的なものではなくて
相対的なものであると
つまり今お金があるから幸せないから不幸とかでもないし
養子がとても美しい女性と結婚したら幸福で
そうじゃなかったら不幸なんてものでもないし
自分が思っている基準に対して上回っていたら幸福であって
下回っていたら不幸である
ただそれだけの話であって
絶対的な基準というものは社会が作った幻想なのであって
本来自分のとてもパーソナルな個人的な価値判断基準がまずあって
期待値みたいなものですね
期待値っていうと数学的な意味が変な意味が出るんで
期待する基準があって
そこより上か下かによって
相対的に幸福度が決まるという仮説を立てたわけですよね
だから僕は交際期間0日でSNSで募集をして
結婚するっていう方を取ったんですけど
これっていうのはまさにそれを体現したわけです
要は期待値をゼロにしとくと
ちょっと何かいいことがあったらとても幸せになるから
期待値をめちゃめちゃ下げたわけですよね
そうすると結構とても何ですかね
幸福感を感じることができたと
よっしゃよっしゃって思うわけですよね
とかお金に関してもそうで
なんか年収とか資産が幸福度を決めるっていうのじゃないって
世間って言われているから
そうかもしれないなと思ったから
僕は一回仮想通貨のトレードで
300万ぐらい得たら
2700万ぐらいになったんですけど
これ相対的なもんだから
こんなの持ってても面白くないから
1億にするかゼロにするかやってみようつって
全部クサコインって呼ばれてる
なんか超ハイリスクハイリターンのやつに
ぶち込んだら全部なくなったりしたんですけど
その時も金とか相対的なもんだから
なんか銀行口座に30万しかなかったら
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1万円がとても尊く感じるし
もしかしたらそれが3000万口座の中にあったら
それ1万円の価値ってもしかしたら
100分の1になるかもしれないし
みたいなことを考えたら
今いくら金を持っているかとかって
大した問題じゃないなって思ったわけですよね
相対的だから
もう別になくなっても
何とも思わないわけですよ
2700万くらいなくなっても何とも思わないし
実際年収で言うとオフィスヒューチっていう
その前の音楽作ってる会社から
今ブックっていう会社に
音楽制作をやめて移動っていうか
転職というか会社を変えたわけですけども
こんなのもその幸福度が相対的だっていう
理論があるからやれるわけですよね
年収めちゃくちゃ下がるだろうし
実際下がったんですけど
相対的だから別にいいよねってなってるわけですよね
とかありますと
あとは人を大切にしたり
丁寧にしといた方が得だよねみたいな話って
小学生ぐらいからあるわけですよ
確かにそうですよね
それで実は恩恵受けてきましたから
だからなるべくそうするようにしてるわけですよ
なんかいいことをしてくれたら
ありがとうって言うし
困ってる人がいたら
なるべく助けようとするしできる範囲でね
これも子供の頃からそれがいいって言われたから
やったらよかったわけですよね
とかあと何かな
もうなんかいろんなことですよね
なんかゴミが落ちてたら拾った方がいいとか
嘘はつかない方がいいとかもそうですし
このように失敗なんてないとかもそうですよね
なんかいろいろ怖くなる時あるじゃないですか
物事をしようとして
ちょっとチャレンジングなことをしようとするんですけど
失敗が怖くなった時に
この言葉ってとても聞いてくるわけですよね
失敗も成功のもとみたいな言葉があるから
とかあと失敗も
それがそうやると失敗するっていうことが
分かっただけで一個データを取れたことだから
それは次の成功に繋がる第一歩である
みたいなことって確かに理論上そうだから
僕は失敗を恐れずに突っ込んでいけるんですよ
比較的とか諸々もうちょっと言い切れないぐらい
正論ってありますよね
これを知っときゃそりゃいいだろうみたいな
正論ってめちゃくちゃあると思うんですけども
なんかねそれをずっとやってきた
びっくりされるわけですよ
例えば借金しましたとか独立企業しましたとか
あとなんか最近で言うと
ダウン症の子供が生まれたっていう時に
幸せなんて相対的なものだし
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心で決めるものだから幸せなんて
だからこれって不幸じゃないし
なんかそういう人生って
受け入れるみたいなことを書いたんですけど
それってねよく言われてるわけじゃないですか
仏教の世界だったり
まあ仏教じゃないか普通にライフワークぐらいの
文明でも言われてることなんですけども
そう教わってそれ納得してるから
それを採用してるわけですね
その価値観でもなんかね
どうやらこれ一般的じゃないらしい
っていうことに最近気が付くわけですよ
やっぱりいろんな人と話していくうちに
理論上そうだから普通にやってるだけなんやけど
なんでみんなこの話
なんか理論上こういうって話をしたら
みんなうんうんって頷くやん
なのになんでみんなできないのっていう感じになるわけですよね
ただ大体頭でわかってても
なかなか心は無理よみたいな話になるんですよ
その時に僕は騙されたみたいな感覚になる時があって
みんなが言ってやったやん逆にと
俺が言ったわけじゃなくて
みんな言いようから
みんなこれを採用してると思ってたし
なんかナチュラルにこれ
なんかやってると思ってたんやけど
なんかなんでやってたの俺だけやったんや
みたいな感覚になる時があって
なんでできるんだろうみたいな感じになる
理論上やった方がいいのに
なんでできるのやろうみたいな感覚になる時があるんですよね
でもなんかこれね改めてずっと
4,5年ですかね
まあ一般的にやらなくていいような
とても大きなトラブルとかを体験していくと
やっぱ分かったことがあって
これね人間ってね
そんな合理的に判断したりとか
なんかこう理論上これが正しいから
普通にこれでいくみたいなことっていうのが
やっぱ難しいっていうことが
とても普通なんですけど
ちょっと分かってきたんですよね
でなんかもうこれってね
僕自己認識で言うと
どんどん人間じゃなくなってる感覚が
あるんですよ
人間っていうのは感情があるし
恐怖があるし不安があるし
喜びがあるし欲があるし
っていうものじゃないですか
でそれに対してコンピューターとかで
そういうなんて言うんですかね
こう非合理的な判断しないで
ルールベースで全部動くわけです
でなんかねこの辺もね
仮想通貨とか株のトレードをやってた時に
同じようなこと思ったんですよね
これ思い出したんですけど
この線より割ったら売ろうって決めたとするじゃないですか
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ルールで決めてるんですけど
いざそれが近づいてきたら怖くて
それ行動に移せないみたいなことあるんですよね
でもなんかそのルールを決める前と後で
何も状況変わってないんですよ
変わってないっていうのは
その利益って変わらないわけです
事前にじゃあいいですよ
じゃあビットコインがじゃあ300万円を下回ったら
もう損切りで売ろうって
もし決めてたとするじゃないですか
ただ350万円でそれ決めてたとして
で予約をしとくわけですよね
刺し値って予約をできるんですけど
350からドゥワーッと落ちていって
340万330万320万310万って
ボワーッと落ちてきたら
いざ売らないといけないってなったら
結構な人がビビって
それを解除したりするらしいですよね
でも僕はすると利益とか損益って
350万の時と310万の時に判断した瞬間って
変わんないわけですけど
なんか人間ってそれが近づいてきたら
恐怖を感じるらしく
そういう挙動が出るんですよね
僕はおかしいなって思ってるんですよね
これに対して
だから機械って最初ルール決めたら
何が何でも感情ないから
遂行するじゃないですか
でも人間ってできない
だから僕結構その決めたら
感情関係なくやるみたいなところがあって
だってこれが清く正しく美しいから
みたいなことで
その1回決めたルールを遂行する
みたいなところが結構あるんですよ
決めたルールを遂行するって言うと
根性があるみたいな感覚なんですけど
そうじゃなくてこれが正しいんでしょ
やったらやった方がいいやんって
ナチュラルに思って
そこに意外と感情が入らない
みたいなことがあって
なんかね
まあこれだから清く正しく生きようとすると
なんかどんどん人間じゃなくなっていくっていう
感覚があるんですよね
だからなんか正論を目指して
ベストの状態を目指してるはずなんですけど
これ本当にって言うんですかね
これって成長や進化なのかな
って思う時がたまにありますよね
でなんかどんどんどんどん
そういう方向に行きがちだから
なんか我ながらこれいいのか悪いのか
っていうことを考えることもありますね
まあまあこれを考えてることが
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果たして合理的なのか非合理的なのか
今の段階ではちょっと分かんないですけどね
はい
15:09

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