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今は、高橋いかねパレットから小倉に向かって車を走らせております。
時刻は朝の10時7分でございます。 朝じゃないな、早朝ですね。
まだ暗いんじゃないかな。まあ明るいか。 暗い朝早いですね、10時7分。
小倉を向かっているということは、ファンファン北九州の収録に向かっているんですけど
なんで田川に行ったかというと 昨日は古典ラジオの収録ですね、本編の
武則典ですね、またのなお側典武功なんですけども、中国史ですかね
中国の統治の歴史というか、皇帝がどうやって国を統治してきたかみたいな、その国の政治の話がありまして
そこからどういう形でその武則典という人が出てきて、というか出てくることができて
その人はどういう振る舞いをして最後死んでいったかというところまでの話を聞いてきましたと
相変わらず面白いですね、なんかその構造理解的な、中国の国というか政治というのはなぜこう
どういう編成を辿ってきたかという、その国の構造的な話
プラスその土台に乗っかっている武則典という人の人間ドラマですよね
これがなんかね、深井さんちょっと本編中でなかなかいい例えだなと思って言ってたんですけど
その面とソースの絡み合いを体験してほしいみたいなこと言ってたんですけど、その構造とヒューマンドラマの
いやこれ、なかなか言い得てるようだなって思ったんですけど
まあ全然期待してもらって、それに応えることができると思いますという内容の話だったんですけど
で、まあね、武則典の内容がどうこうというよりは僕はもう本当に古典ラジオを聞いてずっと思ってることがあって
それは、人間って何のために生きてるんやろうってことなんですよね
で、特に中国史とかって超優秀な人たちが完璧な国を作ろうとしてきた歴史でもあると思うんですよ
っていうことがまあ今回特にわかるんですね
で、もちろんこれってね、いろんな国でやられていることじゃないですか
で、国レベルじゃなくて、発明家もそうですよね、なんかいい世界を作ろうとしてやってるし
ビジネス家というか、なんていうか、企業家だったり、何かビジネスやってる人ももちろんそうなんですけど
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何かこう社会にとって良い影響を与えようと思って活動していると
でもそれがいくらそこで最適解を出しても失敗に終わったり無意味に終わったりむしろ逆効果に終わったりして
崩壊することがある
かと思えばそこに新しく出てきた人はその全システムのバグがあったおかげでそこに
新システムで出てくることができたりとかするってなるとその滅びたことが良かったりするわけですよ
ってなると滅びた時はダメだなぁと思っても結局一周すると
そこで滅びて良かったってなるわけですよ
その中にはもちろん悪い奴も出てくるわけですみんなね社会を復習をと思ってるわけではなくて悪い
悪いのね定義とかもちょっと言い出したきりがないんですけどまぁ現代の価値観でいうと局地的には悪い奴だと言われかねない奴も出てくるわけです
自分の利益のためだけに人をバンバン殺したり欺いたりする人も出てくるわけじゃないですか
でもそういう人がいたからこそそれをまたね利用してなのか意図的なのか無意識なのかで利用して
そこでまた素晴らしい人が出てくるみたいなことが繰り返されているわけですね
っていうことを
やっぱこう 歴史の大きな流れで見るわけです
でそれを自分の今に重ね合わせて考えるとやっぱり じゃあ俺が今
なんか1回電話かかってきて切れましたけどじゃあ俺が今
なんすか社会にとって良いと思ってやってること人に対して良いと思ってやってること正しいと思って やってること正義感でやってることっていうのが
その人だったり自分の周りの集団であったり 地域とか国とか社会全体に対して
良い影響を及ぼすかどうかってもうマジで確率でしかないし そもそも10年後にはめっちゃ良い影響を与えたとしても100年後にはそれが悪い影響になって
それが200年後にはまた良い影響になってっていうふうに歴史上の時間軸のどの地点から 見ることかによって良い悪いというのがコロコロお世話のように変わっていくみたいな
感じなんですよ だから僕はそこに黒っていう石を置くしかなくてそれがその後に
白か白っていう石を置くしかできなくてそれがその後に両端が黒で挟まれたらそれ黒になる し
またこれ白で挟まれたら白になるしっていう風にオセロ状の置いたっていう事実は変わらない けどそれが後々白になるか黒になるかってその瞬間瞬間によって切り取り方や
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切り取るジャンルや切り取る時間軸やタイミングによって 今のスナップショットでは白今のスナップショットでは黒みたいな感じでどんどんどんどん変わって
いくということなんですよね
これって最終的に答えが出る時ってこの世界が終わる時なんですよ
この世界が終わってそのスナップショットが変化が止まった時に初めてわかることであるんですね
なんかねそこまで考えると何をやってるんやろっていう気にさせられることが多いんですよね
まあでもねー これやっぱ深井さんとはもうよくお話をしますけどもじゃあかといって何も行動しない
ことがいいかっていうと絶対そうではなくて
良い悪いじゃないということですね 結局良い悪いで言うと答えないっていうことになるんですよね
因果でしか成り立ってなくて単体では成り立ってなくて周りとの影響と自分の行動が繋がるからそこに評価っていう
複雑なものが出てくるわけであって 良い悪いじゃないんですよこれはただ
じゃあ何もせずに何も食わずに人類全員が死んでいくことがいいかっていうと それはじゃあ単体にとってはすごく暇なわけですよね
だからこれ僕がね子供の頃からよくいろんな人が言っている言葉で 人生所詮死ぬまでの暇つぶしなんだからっていう言葉があると思うんですけど
これ まあいろんな人言ってますよねなんか当たり前のように
これっていやそうは言うけど暇つぶしの中で成果を出すために生きてるやる人間はと思い ながら
それは極論やろうと思いながら聞いてたんです当時は
でもね歴史を勉強した後にもう1回この言葉の意味に立ち返ると 本当の意味で暇つぶしでしかないんじゃないかっていう
ことが実感として入ってきちゃってるんですね
僕なんか1個前か2個前かなんかで言ったんですけど目をつぶるとほとんどのことがないのと同じだ みたいな話をしたと思うんですよね
体に体感として感じる
感じることができる痛みとかうまさとか寒さとか以外の
頭でしか認識できないものを例えば褒められてるとかけなされてるとか辛いとか悲しい とかその感情
事実を事実として受け止めてそれによって感情を動かされる系の出来事ってあるじゃないですか 幸せとかもそうかもしれないですね
それって目をつぶればないなと等しい なのないなと等しいなんて話をしたと思うんですけども
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それと同じでこの僕の やっている活動自体社会にとっては目をつぶれば何の価値も意味もなさないことなん
じゃないかっていうことを ふと思った時に1回ものすごく寂しく虚しくなるんですよってなったんですけども
まあ逆に考えると 本当にゲームと捉えるじゃないですけど死んでも別に痛くも痒くもない
だけどまあ生きてて楽しいっていうそこの感情だけは残るよねっていうところなんですよ だから
めっちゃポジティブに捉えるとするとデメリットゼロのメリット100みたいな 風に捉えることもできますねだからゲームできるわけで
だからコントローラー握れるわけでだから格闘ゲームとかって殴られた痛みはないけど 人をボコボコにする快感はあるみたいなことが
認識次第によっては可能じゃないですかまあもちろん殴られて負けて悲しいっていう感じも あるかもしれないですけどそれを本気で考えてたら格闘ゲームなんてやらねー
じゃないですか なんで楽しくずっとやれるかっていうと負けても対して言いたくないけど殴る快感
はあるからだと思うんですね だからそんな感じでなんかこう
この 目をつぶれば何もないシステムを都合がいい時だけ利用して都合が悪い
時は使わないだから不幸の時だけは別に 目をつぶればなめないよって思って幸福の時だけは本当に幸福だって思うことができ
たら超便利だなっていう風に使えるなって思ってる感じですね
だから現実とかどうでもいいんだったら便利に使った方がいいよねって感じですこの感覚 ちょっと伝わるかなぁ
なんかそういうのを
実感として感じてきちゃってるのでやばいなぁって思ってる感じです まだ理論上だけの空想の話だったらよかったのかもしれないですけども徐々に実感を帯びてき
ちゃってるので僕の実生活にそろそろ影響を及ぼす 可能性があるんじゃないかと思ってる感じですはい
これが良いのか悪いのかそれは僕が決めることじゃなくて歴史が決めることでしょう ねはい
ん