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結論なんて出ないのに決断しないといけない

サマリー

呼吸器系に異常がある子供たちの食事制限について、医師の意見と療養院の意見が食い違い、結論が出せないが判断をしなければならないジレンマが描かれています。結論が出ない中での決断が必要とされています。

目次

福岡市田川市合宿
はい、今ですね、福岡市の自宅の方から、田川市飯金パレットに向かって車を走らせております。時刻は、昼下がり14時33分でございますね。
えっと、今日、明日で、飯金パレット軽音楽部の合宿があってます。
あのこれ、新型オトナウイルスの番組内で発生したイベントなんですけども、だいたい毎年秋にやるっていうのがなんとなく恒例の時期になってるんですけど、
なんか冬の陣みたいな感じで、ちょっとスピンオフやりたいですみたいなことになってですね、後輩であるゆうけい君が企画をしてやってくれてるっていうことなんですけど、
元々僕はちょっと参加できそうにないということで、家庭の事情というか、子供の世話だったりがあるから参加できないよということで、不参加にしてたんですけど、
ちょっと逆にいろいろ、なんていうか予定が変わったところがあって参加できるようになったんで、今向かってるっていう、
そういう感じでございますと。本当は12時集合してやってるらしいんですけどね。
僕は正式にバンドメンバーに入ってるわけでもないので、参加できる範囲で無理ない感じで参加しようかなと思ってるんですけど、
ちょっと病み上がりで、体がものすごいきつくてですね。
だいたい軽温合宿って夜まで飲みつつ練習して、朝早朝からスタジオに入って、2日酔いで眠い中で頑張って練習してとかやるんですけど、
多分今回それやっちゃうと体が結構やばいことになりそうなんで、ちょっとライトに参加しようかなと思ってる感じなんですけど。
最近ちょっと思ったことがありまして、結論っていう言葉ありますよね。結ぶ論って結論ですよね。
最後にここだと思うっていうやつですよね。いろいろ論がある中で最終的にはこの論で結ばせていただきますっていうのが結論だと思うんですけど。
この世にはいろんな会議だったりとか、自問自答だったりとか、いろいろ迷うことはありますわなと。
その中で何かを最終的に決めなければならないケースっていうのがめちゃくちゃ多いんですけど、
ふとちょっと思いましてこれ結論ってほぼ出てなくねって思ったんですよね。ほとんどのケースで。
これ結論出てるんじゃなくて正確には結論が出たということに暫定的にしているだけだなって思ったっていう。
これどういうことかっていうと、例えばじゃあ何かを話し合いをするっていうことは目的があるわけですよね。本当になんでもいいんですけど、
じゃあ何を食べたいかっていうのは友達と論ずるとするじゃないですか。
じゃあラーメンにするかうどんにするかっていうのを揉めたときにですね、なんかじゃあもう今日はラーメンに行こうって決まるわけですよね。
二人で話し合ってなんかこうお互いの腹の具合とか最近ラーメン食べてないから食べたいよねとか、
なんかうまいラーメン屋が近くにあるから行きたいねとかいろいろあるわけじゃないですか。
いろんな論を出し合った後に最終的にベストな選択肢を決めますよね。
じゃあ今日はラーメンにしますって決まると思うんですけど、
これってラーメンに行くということは決定したものの結論ではないなと思うんですよ。
つまり本当に二人にとって何を食べるのがベストな選択肢であるかっていうことを論理的だったり感情的だったりすべての条件をもとにして検証して、
ベストはこれだって確定できるわけじゃないじゃないですか。
だってそんなものいろんな要素がありすぎてわからないのだから。
でも今日飯に食いに行かないといけなくて、いつまでも飯をどこに食いに行くかっていうのを話し合ってはいられないわけだから、
暫定的に一旦こうしようっていうのを決めないといけないじゃないですか。
だから結局行動を決めるために暫定で一位を出してるだけなんですよね。
それで言うともっと言ったら、うどんかラーメンがいいかっていう議論のもしかしたら最終的なところで、
やっぱりうどん屋で活動を組むのがいいみたいな選択肢になるかもしれないじゃないですか。
なんか大地さんの選択肢みたいな。
おそらく議論に議論を重ねるとずっとこれ調べたりとか情報収集したりとか話し合ったりしてると、
そういうことが出るかもしれないじゃないですか。
神のみぞ知る結論ですよね。
結論の難しさ
この世に正解というものがあるのかないのかわからないですけども、
神のみぞ知る何か結論みたいなのがあって、
人間がちょっと話しちゃっただけではそこにたどり着かないみたいなところがあったとして、
基本的にたどり着くことのほうがまず少ないですよね。
何を食いたいかとかいうとすごい主観的な話になるんで、
ビジネスの世界とかのほうがわかりやすいかもしれないですけど、
新規事業立ち上げますってなったときに、
AパターンとBパターン、どっちの新規事業が適しているか、
今の会社のリソースなどや社会情勢だったりとか、
あとは技術など、
マーケットもろもろを考えようと思ったら、
もう永遠にリサーチできるし、
永遠に議論しつくせるし、
永遠にいろんな人に相談に行けるわけですよね。
おそらく運命というものはあるとしたら、
神様だけは知っていますよね。
あるとしたらとか言いますけど、
Aだったら失敗する、Bだったら成功するみたいなものがあったときに、
だったらBが結論じゃないですか。
結論として正しいというか、
でもそんなことを悠長にやってられなかったりするわけですよね。
お金がどんどんなくなっていく、
キャッシュがなくなっていく中で、
早く新規事業立ち上げないといけないとか、
あとは社会の雰囲気が悪くなったりするわけですよね。
失っていく可能性がある中で決めないといけないから、
とか思ったんですよね。
僕らって何も正解分からない、
誰もが何も正解分からないときに、
何も正解分からないときに、
社会の雰囲気が悪くなってしまうというか、
社会の雰囲気が悪くなってしまうときに、
失っていく可能性がある中で 決めないといけないから
なんかね
とかを思ったんすよね
なんか僕らって何も正解わかんないまま
ずっと結論は○○って 言い続けてるなって思ったんすよね
最終的にはもう宗教みたいになるなと思ったんすよ
もう自分が決めた暫定1位のものを 信じ切るしかないっていう
あといろいろ例を出して申し訳ないんすけど
僕今療育に行ってるんですね
次男のユイタ1歳何ヶ月かな 4ヶ月かなぐらいなんですけど
ダウン症を持ってるんで
療育施設っていうところに毎週通わせていて
普通の健常児だったら
食べることができる食事っていうのが まだ食べれないから
ペースト状のやつを食べさせてるんですね
ご縁って言って肺に入るんですよ
普通に食べさせたら
なんでそうさせないために
例えば食べさせる時の角度だったりとか
あとは左手で顎の下を支えてやって
それで噛む力をサポートしながら食べさせることによって
ちょっとご縁しないとか
あとは普通に水を哺乳瓶でごくごくって
水とかお茶とかジュースとか飲めないんで
飲んだらご縁するので
泥水剤を入れたりとか
あとは寒天で水を固めてスプーンで食べさせたりとか
いろいろやってるんですよね
でもこれって療育の先生から言われてるんですけど
本当にこれやったらいいのかみたいなものって
やっぱふと思う時があるんですよね
ここまでやって意味あるんやろかみたいな
まあまあ大変なのに
実際世の中の男女を育ててる子とかは
もう療育とかに通わせずに
健常時と同じような食事をさせてる家庭とかもあって
それで普通に育ったりしてるところもあるわけですよね
そんなの見てると
一応言われるがままにやってるけど
これって本当に大切なんだっけみたいな疑問というか
疑惑というか
だったりがふっと湧いてきちゃうこともあって
医師と療養院の意見の食い違い
それをそのまま相談すると
だから結局それで無理して食べさせることによって
結構喉に負担がかかっていて
それで発合ですよね
言葉を喋る時とかに
喉がちゃんとうまく発達されてないから
発音がうまく育たないまま大人になっちゃってる子って
多いんですよねとか
あとは実際それで喉に詰まったりとか
肺に物が入って病気になったりとかっていうのを
結構繰り返す子とかもいたりして
だから私たちは絶対そういう状態にならないようにしたいし
何よりそうなると子供たちがトラウマになっちゃうから
せっかく楽しくて
おいしい食事が嫌になっちゃったら
もう私たちは嫌なので
本当にならないように強く信じてやってます
みたいなことを言われると
確かに納得感がありますよね
そういうもんかとか言いながらやるわけですよね
お医者さんとかに連れて行って
普通にこうこうなんですよねとか言うと
5円とかそんなにしてるかなみたいな
レントゲン取っても別に結果出てないんでしょ
みたいな感じで言われたりするわけですよ
確かにレントゲンでの結果は出てないですね
そうするとまたちょっと揺らいだりして
お医者さんとかは早くちょっと
普通の食事をさせた方がいいんじゃないみたいなことを
言ってくるわけですよね
お医者さんによってはですよ
そうすると僕らがずっと信じてやってきたことって
意味なかったんじゃないかなみたいになるわけですよ
またそれを療養院に相談すると
お医者さんは何か体に異常があったときに
治すっていうことがおそらくお仕事なので
5円してるっていう時点で
その先にある病気のことを想定しながら
それを防ぐっていうところまでは
正直に言うとプロじゃないみたいな話をされて
私たちはそうならない自然なところをやってるんで
ちょっとお医者さんとは見てるところが違うんですよね
みたいなことを言われたりして
それもそれで完全に納得なんですよね
だからこれどっちの言い分も
なんというか正しいというか
間違ったことをおそらく言ってなくて
みたいな感じなんですよ
じゃあ俺どうしたらいいみたいになって
療養院の方からはこうやったほうがいいって言われて
お医者さんからは違うことをやったほうがいいみたいなこと言われて
何を信じたらいいんやったっけみたいな感じになるわけですよね
その中で一番素人僕なんで
判断をしなければならないジレンマ
それを判断するのって親じゃないですか結局
日々の生活じゃあどうするかっていうのを決定しないといけないのは
もうまさに今日からそれをご飯を食べさせないといけないから
もうその瞬間に判断して行動しないといけないわけですよね
何の結論も自分の中で出ていないのにですね
なんか結論も出てないけど判断はしないといけないのやべえなみたいな感じで
まあ思ったりすることもあるんですけど
ただそれ言い出したら全部そうかっていう感覚にはなってるんですよね
どんどんのことを結論出てない中でエイヤーでやってるなと思って
結婚とかもそうだし
その人が本当に自分に合うかどうかみたいなことを
じゃあ納得いくまで検証しようとしてたらもう根拠を逃したりするわけですよね
でもなんか僕らはなんとなくそこで暫定1位のものを結論だと思い込んで
それを信仰してやって
信じてやるんですけどそれで失敗して
何がいけなかったのかなとか
もっと言ったら誰かにこうした方がいいよって言われたものを信じてやって
ただそれで失敗だったらその人に嘘をしやがってって怒ったりして
でも結局誰もこの世界で
誰一人結論なんてわからないまま生きてるだけで
お医者さんが言ってることが完璧に100%医学的に正しいかっていうと
医学の歴史とかを見た時に間違った処方とかをしてる歴史って
いっぱいあるわけじゃないですか
科学とかも別に現時点で正しいと言われてることが
100%正しいかみたいな確証もないんですけど
だから別に何かを悲観的に考えてるわけではないんですけど
人間そういうものだなって最近特に思うわけですよね
だから本当は許されることならば
全部わからないままわからないよねって言って
判断保留をし続けたいぐらいの気持ちはあるんですけど
生きていると判断保留が許されないんですよね
だから面白いゲームとして
だから面白いかもしれないなっていうのはありますけどね
タイムリミットがなかったらもうそれは永遠ですからね
15:52
2 Stars

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