人生の勝利点の重み付けが変わってきた
サマリー
このエピソードでは、幸福度の重み付けが年齢によって変化することが探求されています。子供の頃の無邪気な楽しさから、大人になるにつれて社会的地位や経済的要素が重要になる様子が語られています。最終的には、家族や友人との関係が人生で最も大切な価値であることが示されています。人生の勝利点の重み付けが変わり、人間関係の重要性が強調されています。特に家庭や友人との関係が幸福度に与える影響が考察され、スケールの観点からの幸福の感じ方にも触れています。また、子供や友達との関わりを深める中で、人生の価値観や重み付けがどのように変化していくかが語られています。年齢を重ねることで見える世界や、過去の価値観との違いについても考察されています。
新しい携帯の使用
はい、今ですね、田川の自宅から福岡市の自宅に向かって車を走らせております。時刻は夜19時59分ですね。一人です。
明日から晩泊に行くんですね。なので、 ゆいたくんを連れて行くかどうかちょっと悩ましいところだったんですが、田川の実家で預かってくれるということで
ちょっとね、預けさせてもらいますということで連れて行ってました。その帰りですね。
全然どうでもいいんですけども、iPhone SE第2世代ってやつずっと5年ぐらいかな4年ぐらいかな使ってきてたんですけども、この度携帯変えまして
Androidの、なんだこれは、Pixel 9aってやつに変えました。
Android使うのが、おそらく何年ぶりかな、2011年とか12年とかまで使ってた記憶があるので、12、3年ぶりかな、はい。
のAndroidですね。iPhoneは長いですね。3GSの時代からなので、2009年からかな、それぐらいから使ってるんですけども。
だから一時期はiPhone、Android2台持ちをしていて、これやっぱAndroidクソだなってなって、iPhoneがいいなーってなったのが多分
昔なんですけど、13年前ぐらいなんですけど、もうAndroidもめちゃくちゃ進化していて、もちろん各種ハードを作っているメーカーもめっちゃ頑張って、
Pixelが純正でハードも作るみたいになって、みたいなところで、久々にAndroid使ってみようみたいなところで使ってみてますと。
詳しくはね、新型オートナビウイルスの方でしゃべったかな、がっつり。
まあどこかで配信されるでしょう。なのでちょっとね、今までガレージバンドで音楽をつけてアップしてたんですけど、まだちょっと音声編集をスマホだけでやるっていう方法を確立できてないので
多分この音源に関しては一旦音楽なしで上げようかなと思ってます。まあまあもし余力あったらどっかで編集して音楽つけて上げ直すとかでもいいと思うんですけど、まあそれはどうでもよくて。
子供の子育てと記憶
なんか最近というかずっと人生、幸せって何やろうみたいなことを
ずっと考えてるわけですね。もうこれは考えてない期間がないんですけど、ずっと幸せって何やろうって考えてますよと。
で、なんか最近のトレンドがまたちょっと変わってきたというか思うところはあるので、一旦この辺でまとめておきたいと思うんですが、
なんかね頭の中であまりまとまってないんで、ちょっと喋りながら、あれも喋ろうこれも喋ろうってなると思うんですけど
どっから話そうかなぁ あの
まあ子供長男がですね虎之助が今小学校2年ですね ぐらいになってで夏休みがもう終わったぐらいなんですね今日が9月
今日のいつや9月7、6ぐらいなんですけど とかなってくると
あの まずね
自分が記憶がある年齢ぐらいになってきてるんですよ つまり僕が小学校1,2年だった時の記憶っていうのがまずありそれを思い出す
ようになってきてるんですね 虎之助を見てると
だから例えばその夏休みに実家に帰って庭にプール を出して空気で膨らむプールを出してそこに水を貯めて泳ぐみたいなことって多分僕が
おばあちゃん家でやってたことだったりするし あとはいとこたちと一緒におばあちゃん家に泊まってでその日だけは遊んでいいよ
つって夜中12時とか11時とかまで遊ぶみたいな
なんかこういう記憶ってあるんですよ自分自身 でその時めちゃくちゃ楽しかったなぁって記憶とかあとはなんか
あのまあみんなで出かけたりとかね あの後でっかいプールに行った記憶とかあるんですよなんか
当時アドベンチャープールっていう名前だったかな なんかそういうプールがあって北急がどっかにそこに何か
お休みか何かに親戚一同と一緒に行ったりとかした記憶もあるしあとは友達同士で 学校の友達と一緒にどっかにお泊まりに行ったりみたいな家族ぐるみの付き合い
みたいな感じでね でどっかに泊まってめっちゃ楽しかったみたいな記憶であるんですよ
で虎之助もこの前8位学校の同級生の友達さん えっと
3家族 4家族出ていかな4家族と
正確に言うと3家族プラスあの子供だけ預かってくださいみたいな感じで一人お預かり していったのでまぁ
友達4人組みたいなで親は3家族いたんですけど そんなみんなでいいかねパレットに泊まりって
で夜まで 大人たちは酒飲みながら
あのわいわい喋って子供たちはもずっと走り回ってるみたいな世の中でみたいなことが あるとまぁちょっと
前置き長くなったんですけど なんかねそういうのを見てるとめっちゃ楽しかったなぁみたいな記憶が
あるんですねもうなんかあんなに楽しいことないなぁみたいな 日々
を思い出すんですよね でやっぱ学校とかに行ってもなんか楽しそうですよね
虎之助が 今サッカーしてるんですけどサッカーの友達と一緒にサッカーしてる姿とか見てると僕とかは
まあソフトボールしてたりしたんであーこれ あの時のああいう感じが今虎之助
あの 感じてるのかみたいなことを
たんですよ なんかねいいなぁってなってます
幸福度の重み付けの変化
当時の幸せとか思い出し てると
どういったらいいんかなぁ なんか幸せの形みたいなものがやっぱり
12年前とイメージが変わってきていて でも何かというと
やっぱりこう えっとねちょっと待ってくださいねちょっと考えながらというかまとめながら話すので
あの年齢によって 幸せというか幸福度をどこで感じるかの重み付けが
変わってるみたいなイメージがまずあるんですよ僕の中に例えば 子供の頃本当にじゃあ保育園とか小学校低学年とかって
お菓子食べたいとかあと友達とワイワイ はしゃぎたいとかゲームしたいとかが
ものすごい重み付けであって お金をもらうとかって実はそんなに
幸福度には直結しないですね あの間接的にはあるんですよそのお金をもらうことによってゲームを変えるとか
そんなんですけどでもなんかじゃあ今100億円欲しいかというと多分子供の頃って 100億円よりもお菓子とかゲームとか友達だと思うんですよね
やし一斉にモテるとかも多分ないと思うしあと社会的に 活動して
自分の存在を社会に認めさせるとかも多分全くなくて なんですよだからそこに対する重み付けがほぼゼロということですね
っていうのがまずありますとでこれが小学校高学年とかになってくるとなんか クラスで人気があるかどうかみたいなのがちょっと出てきますよね
なんか それまではなんか友達と仲いいだけで良かったのが今度はその集団の中でのポジション
みたいなところに意識が行き出し でそれぐらいから中学校高校と初心
思春期になると異性にモテるかどうかみたいなものが強烈に重み付けがされますよ いきなり
うん そうなんですよだからそこのポイントを稼げばそこの指標でポイントを稼げば
トータル幸福度の
値が増えるみたいな感じです思見つけだから とかなってくると
で8それがもうちょっと進んでくると大学とか になってくるとその自分とは何かみたいなものを見つけるとかが結構また
幸福度に直結するみたいな自分とは何か みたいなものですよねあとは何か
やったことない経験をするとかも結構この辺から指標としては あの高くなってきますよね社会に出るとやっぱり
あのお金とかあと承認されるとかがかなり重み付けになってきますよと
でまぁ20代前半ぐらいまではそのお金と承認されるみたいなものと後一斉に持ってる みたいなものがまあ
結構のバランスなんかちょちょうど 3つぐらいの同等のバランスぐらいでキーでまたこれが3040とかなっていくとこれは
も本当に一人おりますけどもモテるとかよりもなんか子供の成長を見守るとか そっちになっていくととかですよねあとまあ
なんか趣味とかそっちになっていくみたいな感じでどんどんどんどんこう
幼少時代から まあおそらく
多いて死ぬまで なんか
全部がゼロってことはないと思うんですけどそれぞれ指標があってそこにポイント があってでそれに重み付けがあって
それぞれの重み付けされたポイントを足し合わせたものが幸福度になるみたいな 感覚で僕は捉えてるんですねこれはもう本当に人それぞれですよ僕はそう捉えてる
って感覚なんですけど 僕はそう捉えてるんですね
ってなった時にじゃあ今の僕何に重み付けがあるかっていうとおそらくもモテたい みたいなものってかなりちょっと
もう なんやろうなぁが悲しいことに悲しいことにほぼ重み付け
はなくなってるんですよねこれたまに結婚して子供いてもずっとモテたいみたいな気持ち ある人いるじゃないですかというかそっちの方が多いんかな
なんだかんだやっぱりモテたいみたいな なんか
僕そっちの方が悩んだいいとすら思ってるんですけど僕自身あんまり何かそういうのは なくなっていき
で
やっぱ30代前半ぐらいの時までは社会のポジション みたいなものがめちゃくちゃ
欲しかったのですごいと思われたいってことですよねあと社会に良い影響を及ぼし たいとか
なんか有名になりたいとそっちもほぼほぼ今ちょっと
むしろ真逆になっていったというかありがたいことに古典ラジオとかで 古典ラジオをやってる時ですでにもうあんまりなかったんですけどそれで日本一みたいな
ものになり なんかもうもうもうそっちちょっと
なんて言うんですかね これ以上あんまり
言っても なんか95が100になっていくだけはなぁみたいなその5歳はないみたいな感じになっていて
あんまり興味もなくなって言ってると
でお金に関してもお金はなんか最初からあんまり揉め付け的にないんですけど本当に 日々が楽しく送れる
ためのお金があればいいぐらいの感じになっている 中で
じゃあ40もうすぐまあ今だから44なので半ばですけど こっから
まあ 死ぬまでですよね
70で死ぬか80で死ぬか90で死ぬかわかんないですけどそれまでに何に重み付けが されていくのだろうとやっぱり考えるんですね
この感覚この 構成フレームに従ってじゃあどの指標を大切にすべきかみたいなものを考えた時に
あのやっぱ最初の話に戻るんですけど なんかねー
もうなんだこれは あとかですねまあいいやそれは
まあとかになった時に もうねー家族と友達と
仲良く するかみたいなのがほぼほぼ
残るんじゃないかと思っているんですね なんか
もっと言うとそれを
どう言ったらいいんだろうな まあなんかもろもろ終わった時にその人生のなんて言うんですかねこう
どう言ったらいいんだろう リタイアという言い方があっているかどうかわかんないですけどなんかも
あのまあ仕事とかで責任がなくなったぐらいの時に
結局友達と家族 をどれだけ深い関係の人を多く作れてるかみたいなもののためだけにこの
50年60年があるんじゃないかとすら思ってるんですね なんかここをのっ
なんて言うんですかねこれを作るためのゲームなんじゃないかっていう だからお金も経験も能力も
最終的に全部 友達と家族の
勝利点の変化
との関係性を作るためだけに必要なのであって最終的に死ぬ時死ぬ瞬間にはそれは 勝利点にはほぼ加算されないみたいな
感覚なんですねゲームで言うと だからまぁちょっとボードゲームやったことない人はピンとこないかもしれないんですけど例えば
じゃあお金を貯めてカードを集めてそのカードの効果を使って なんか
わかんないですけどこのダイヤを取っていくみたいなそういうゲームがあるとするじゃない ですか
で人を攻撃しながら自分もカードを使ってえっとそのカードでお金をゲットできるカードも あればカードでさらに強いカードをゲットできるカードもあれば
カードを使うとえっとは1回のターンで2回 カードを使えるみたいなそういう特殊効果もあったりするような
でお金がいっぱいあればカードを買えるしお金がいっぱいはダイヤを買えるみたいな で最終的にそのダイヤを
何個持っているかで勝利が決まるみたいなで えっとゲームが終わった瞬間にお金やカードをいくら持っていても勝利点としては
加算されないので関係ないですみたいなゲームって 例えばあるとするんですか
それってお金とカードって序盤にめっちゃ必要で逆にダイヤって序盤いらないじゃない ですか
ダイヤはで特殊効果なくてただ持ってるだけで最終的に点数には加算されるけど特殊効果 をや
8交換価値はないみたいなルール設定だとして序盤ってダイヤ1個も 取らなくていいですねそれよりはお金やカードをいかに効率が集めるか何だったら最初はお金で
まずはお金をバーって稼いだ後にお金を稼げるようなカードを まず所得していきそういう特殊効果がある
でえっともうお金でやれることなくなったなってなった今度はカードを増やせる カードを集めていき
で中盤から終盤にかけてそのお金とカードを使ってダイヤをいかに効率よく 早いスピードで少ないターンで集めていくかみたいなゲームになっていくみたいなものが多分
このゲームのおそらく 一般的なセオリーになると思うんですけどもしこういうゲームがあったとしたらね
だからもう僕の場合はもうちょっとダイヤ集めを意識しないといけないフェーズに来 てるみたいなもう
感覚なんですね そのダイヤっていうのがやっぱり人間関係っていうところにおそらくあると思っていてそれが
勝利点なんですよ 僕のこれはね僕の中で人によってかなり違うのか
いやいやホモサピエンスほとんどが結局は人間関係に なんか行き着くよみたいなことのその人類としての不変性のある
ものなのか
この勝利点 ダイヤですよねダイヤが僕は人間関係だけど人によっては何かまた違うもので
みたいな違うのかっていうのはちょっとまだ僕わかってないんですが までもとはいえそろそろ多分人生中盤ぐらいの
時点で勝利点を明確にし 他のリソースをすべて使って勝利点を取っていくっていうフェーズに入らないと
いけない時期っていうのが必ずあってそれは人それぞれ違うと思うんですけど僕は その時期をめちゃくちゃ感じてるということなんですけど
ダイヤと幸福度
なんですよねでこれも多分新型オトナウイルスので結構たっぷり喋ったんですけど やっぱり子供や孫っていうのがかなりこの
効率よくダイヤを集めれることができる幸福度に直結する勝利点がかなり高い ってイメージですね
で妻 とかで言うと妻もやばいですねその
超なんか特殊カードというかあの 勝利点にもなり
うち友達ばたらきなんですけど黙っていても金貨を稼ぐ効果もあり さらになんかこう特殊効果でいろいろ
カードの効果もありみたいなそのなんか 金貨カードダイヤを同時に稼げるみたいなカードがその妻みたいなもので
子供のなんか特徴とかっていうのは 序盤にかなりえっと金貨やカードを投資しないといけないのだが後々になると
自動的に何もせずにダイヤを生み続ける 効果がありさらに最終的にダイヤを生み続ける孫という存在を勝手に生産する
可能性があるみたいななんかそれが あの
子供 っていうカードなんですけど
プラスアートはもう友達ですよねー 今なんかありがたいことに
まあ古典ラジオの2人とかあと 青木たかや高野とか後場もそうですけどそれ以外にも
あの ポッドキャスターのもともとねただのリスナーだった人たちがもう今友達と言って
いいんじゃないかなという人もいっぱい出てできてきて
なんか普通にオフ会とかってなんか ファンと
発信者の関係っていうよりはなんかもう 友達集まった
飲み会みたいな感覚にもう僕の中でなってるんですけど ひくち塾もそうですね
なんかこれの関係性を作るために何かポッドキャストがあり ポッドキャストを
なんかするために今までのその能力を高めたりとか 機材をお金で買ったりみたいなものがあるし例えばさ
えっと古典ラジオがあるからいろんな なんか
すごいとか有名とか あの面白いみたいな人にバンバン出会うことができていて
僕の中ではケンスさんとの出会いとかって本当に なんか古典ラジオという活動があったから出会えたなぁみたいなところがあって
ですね
なんか全部その友達とかをゲットするための活動でしかないん じゃないかなっていう感覚になったんですよ所詮経済活動とかも
あとはその友達を家家族を維持できるための最低限のお金だけあればもう あとは
ねー あんまりメンテナンスとかそんなに必要ないと思うんですよねその友達とかって
どころか何か
時を重ねれば重ねるほど仲良くなっていくようなものだ だったりするじゃないですかまあもちろん人によりますよ
なんか昔ながら良かったけど今仲良くないみたいな人もいるから
人によるんですが基本的な場長い昔からの友達って結構強いじゃないですか僕未だに 小学校の友達で普段は全然合わないんですけど何年ぶりかにあって
もう本当にあってうわ久々やねーって10分話したらもうあの時の感覚も取れれる みたいな友達って結構いて
これって簡単には消えないから なんか失わない資産だったりするんですねこれって
なんかねそれを得るみたいなところが 今一番興味があるんですねでもう1個
20分話したんかまあまあいやもうちょっと話そう久々なんで これとセットで最近
また思っているのが なんか
規模の話 スケールの話なんですけど
やっぱりこう 30代とかで仕事をバリバリしている時ってより大きい規模で幸せを得たいと思ってるんですね
例えば なんかこう
100万人の人に認められたりとか あとはなんかちっちゃい会社で数人相手に
仕事をして影響するよりも例えば なんかテレビで紹介されるような仕事をしてより一人でも多くの人にリーチをしたいし
社会的インパクトをより多く残したいみたいな 特にやっぱタレントとかクリエイターとか
政治家あと経営者とかってみんなそういう欲求あると思うんですよ より多くの人を救いたい幸せにしたい
とかってあると思うんですね でも
これってまぁあの絶対的な指標で測れるものだと思うんですよ ですが
なんか じゃあ
人の認識ってその 100万人にリーチした時と
一人二人を めっちゃ大切にして救ったとしましょう
一人二人を幸せにした時と100万人や1億人を幸せにした時で 結局感じられるセンサーというか認識レベル
認識の窓みたいなものの大きさって多分変わらないと思っていて そこには解像度があって
あの 結局ズームインズームアウトしてるだけで自分のスクリーンに映ってる
世界は同じ大きさだみたいな感覚があるんですね これなんか映画に例えるとおそらく一番わかりやすいと思ってるんですけど
例えばじゃあ 1人の病気の恋人を救うみたいな映画が2時間あったとして
これで十分感動できるじゃないですか 2時間分でそれってもしかしたら登場人物が4,5人しかいなくて
行動範囲も街の中だけで終わるかもしれないじゃないですか でもそれで十分映画としていろんな感情を表現できるし感動できるじゃないですか
それに対してアルマゲドンっていう映画って地球救うみたいな映画じゃないですか これ何十億人の命を救う映画なんですね
でもそれも同じように2時間とかで描くことができスクリーンサイズは同じなんですよ でえっとまぁ
昔は dvd の棚今だったらそのサブスクですかわかんないですけどその同じ映画っていう 棚の中に入りで同じように評価をされ別に何か
あの子一人の命を救う映画と50億人の命を救う映画でこっちの方が50億倍の なんてですかね
評価をされるとかないわけじゃないですか 人間の心を動かすかって別にそんなところで決まってないみたいなところがあって
映画 と同じだと思ってるんですねじゃあ僕の幸福度
ものセンサーも何回 家族と身近な人10人を
めちゃくちゃ幸せにするとかむしろ 逆にその仲良くして幸せを与えてもらうみたいなやつとじゃあ僕がものすごく有名人
になって世界的タレントになって なんか1億人の人に幸せを与えてその分1億人から
ものすごくこう 感謝をされるみたいなやっとやつって多分やけどあんまり幸福度変わんないんじゃない
スケールの重要性
かなと思っていて うーん
なんか どの認識レベル
に そのすっ
スクリーンに映るなんていうかねカメラをフォーカスするか10人にフォーカスとしてその10人を
僕の認識スクリーンいっぱいに映し出すと もう情報量めっちゃいっぱいあると思うんですよその10人の表情
服装 あとはその住人の背景だったりもしかしたらその時間という概念も入れれば描けるかも
しれないですね で1億人をその僕の心のスクリーンに映すってなると
めっちゃズームアウトすることになるから1億人の一人一人なんて多分フォーカスでき ないと思うんですよ
フォーカス してたら何て言うんですかね
結局目フォーカスするってことはまたズームインして一人一人映すってことだから そのズームインして一人一人映している時って
認識の中では1億人入ってないですよね結局だから スクリーンの大きさは決まっていてあとは
とズームインすれば解像度高く 画面一般にそれが映るだけズームアウトしたらただいっぱい映ってるけど一人一人の解像度
は低いみたいな 感じなんですよね
であった時にじゃあ今僕はコテンラジオという
ものを通して何万人10何万人100万にわかんないですけど 多くの人に影響をすることができている
そしていい金パレットを今から まあ作って影響を与える人って多分今からどんどんどんどんこう増えていくと思うんで
これも何万人何十万人とかにリーチしていくみたいなこの幸せってもちろんあるんです けど
それとなんか 家族と友達100人200人ぐらいとめっちゃ楽しく死ぬまで遊ぶみたいなものって
多分あんま変わんないんじゃないかなっていう感覚があって
価値観の変化
これは本当にどっちがいいとかじゃないと思うんですよね
遠くを見ている時は遠くに焦点があってるし近く見てる時は近く焦点があっていて みたいなことだと思うので
本当になんかヨシワロシじゃなくてヨシアシじゃなくて
なんかどっちでもいいみたいな感じになってきていると
最近子供とめっちゃ遊んでいるからその とか
近い友達とめっちゃ遊んでいるから 子供と友達にフォーカスがめっちゃ当たってる
みたいなところなんですよねー なんかねそっちに興味が行ってるというか
まあねー あとなんか3Dプリンターで何か作ってるみたいな
本当に一人の時間とかもめっちゃ楽しいんですよね なんか
だからまあその重み付けみたいなところが 変わっていくし
なんかね広げる方向でかくする方向とか をどんどんどんどん目指していくと多分なんか再現がないんですよね
なんか一部上場を目指して頑張るぞーってなってて一部上場したってなったらじゃあ もっと株価上げてとかじゃあ今度は海外展開してとか
いやじゃあ今度はそれをバイアルとしてもっと違う会社をしてとか あとなんかもう会社自分でやるんじゃなくて今度はこう経営者を育てていって
みたいな感じでどんどんどんどんでかくなって いくとなんか手に負えなくなるし認識できなくなるし
あとはどっかでもう能力的に終わる日が来るんですよ多分そういうのっておそらく なんか油乗ってる時はいいけどもうあの人の言ってること古いよねってなった
りとかあと昔はものすごいしゃべりも立って 頭も良かった人が今なんか
あんまりなんかもう言ってることよわからねーみたいになってたりとか
しなんか単純にやっぱりね あの
僕よく洗濯機とかテレビと同じで 旧式のテレビ洗濯機よりも新型のテレビ洗濯機の方が
壊れにくいし性能がいいじゃないですか まあ人間もそうなっていくと思うので能力で言うとですよ
能力で言うと そうなっていくと思うのでなんかこう
で隠するとか伸ばしていくみたいな方向でずっと幸せを追い続けるのってあんまり現実 的じゃそもそもないなと思っていて
とかになってくるとむしろその さっきのスクリーンの話で言うとどんどんどんどんズームインをしていって何か小っちゃいところ
とかあと近くのところみたいなところで解像度高く 心が動く
状態にしていき っていうのを今やっぱ考えてるんですよねでこれ昔の
年齢と価値観
なんかかまずこういう感覚概念って多分結構昔からあったと思うんですよ
なんか 僕が20代30代ぐらいの頃にやっぱり405060の人と話してたら
こういうこと言う人いたんですよ僕と同じようなことをやなんかねーみたいな 若い頃はもうガンガンガン攻めて攻めてとか言い寄ったけどもう今なんか
そういうよくなくなっちゃったよねーみたいなこと言ってる人結構周りに何か いたんですけど僕はそういう人たちを見て
正直その嫌だなと思ってたんですねこうなるのは なんか
うわもう疲れ果てて もう心の火消えてしまって
悲しいなぁと思ってたんですよショックだなぁみたいな もう死ぬまで攻め続けるまるまるさんであってくれよみたいななんていうか
自分だけは何歳になってもずっと第一線で痛いし あのエネルギー満タンで
なんて言うんですかね
死ぬまで攻め続けるぜみたいなことを持ってた時期があったんですけど 今ふと思うとなんか
ものすごくなんですかねその当時の価値観の揉み付けだけでしか考えてなかったなぁ と思ってて
なんかねー 当時の自分若い自分からしたらその先輩方のそういう挙動っていうのがエネルギーが切れた
っていう感覚見えてたんですね
もうやっぱりレースで フルバラソンのレースですもう後半になるにつれて
振り落とされていってる人たちみたいな感じに見えてたんですけど なんかねじいざ自分がその状況になったら全然感覚違うんやなーっていうなんか
まあねこれは なっ
この年にというかこの状態になってみないことにはわかんない感覚だなぁと思ってます ね正直僕エネルギー切れてるかって言った切れてないですもんね
未だに でもなんかこう
積極的にそっちに興味が 今言ってるなーっていうのが
ここ最近の思うところですねまぁちょっとあまり
まとまってない形で 同じようなことを何回も言ったような気がしますけど
この辺もね 衰えと言っていいのか
かも別になんか どうでもいいやっていう感じもあるしまあまあこれでいい
いいかなと思って一応喋ってみましたはい
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