効率良く生きる為には効率悪く生きないといけないという皮肉
サマリー
福岡市からの帰り道に、子供のサッカーの試合を見た後、3人目の子供が生まれることを知った驚きや喜びを語っています。家族や筋トレに関する考えにも触れています。効率的に生きることが重要だと感じている一方で、効率的な生き方が逆に非効率を招くことについて考察しています。また、デジタル環境に依存する現代人の脳の劣化や、意識的に脳を使う必要性についても議論されています。
サッカーの試合と家族の誕生
今、福岡市のどこか遠いところから高速道路で、福岡市の自宅の方に向かって車を走らせております。
時刻は夕方16時29分です。
子供のサッカーの試合を見に行って、今帰るところです。
うちのサッカーチーム、親が行っても子供が必ずその車に乗って行くというわけじゃなくて、
試合ごとにこの車が送迎車ですと決まっていて、まとまって移動したりするので、
今僕一人で帰っているんですけど、それはいいとして。
この番組、久々の収録になるので、そういうのまだ言ってなかったなと思って、
いろんなところで報告しているのであれなんですけど、第3週が生まれましたということですね。
いやー、めでたいですね。
一応、僕が44歳なんですよ。
44歳にして3人目を授かるというね、かなり尊いというか、尊いですね。尊さがすごい。
一番思うのは、次男のヨイタ君が今3歳なんですけど、ダウン症なんですね。
発達がだいぶ遅いので、普通はだいたい1歳前後ぐらいで歩けると思うんですけど、
まだ3歳になっても歩けてなくてみたいな。
基本的にはもう抱っこで連れて行って、移動手段は僕の抱っこがヨイタ君の移動手段なんですけど。
なので、もう生まれた時からずっと抱っこしているわけですよ。
で、なかなかお兄ちゃんにならないな、ずっと赤ちゃんやなと思ってたんですけど、
やっぱりね、新しい子生まれるとヨイタでかってなって。
そりゃそうなんですよね。多分今12キロを超えるぐらいあって体重。
ずっと抱っこしてるんで、ずっと赤ちゃんのつもりなんですけど、3倍ぐらいあるから。
それはでかいよなっていう。
あらためてお兄ちゃんになったな感がありますね。
全然成長してないなと思ってたら、めちゃくちゃ成長してたんやね、ヨイタ君っていうのが。
あらためて思ってるんですよ。
そりゃいいんですけど。
どういう気持ちかとか、あと名前の話もしてるんですけど、
愛の楽曲工房の方で詳しく話してるので、もうそっちでやってるからここではあんまり詳しく喋れないですけど。
とにかく今のところ健康で。
生まれる時にちょっとヒヤッとしたタイミングがあったんですけど、
3人目、さすがに年も年だし無理だなと思っていて。
健康と年齢の影響
妻とも、
妻とも、
妻とも、
妻とも、
妻とも、
妻とも、
妻とも、
年齢言ってもいいよな。
妻は僕の大学の同級生なんで元々。
年齢的には1個上になるから、
45までに自然と授かったらいいなみたいな話をしてたんですね。
妻が45までに。
でももうさすがに45を超えて自然に授かれてるのはないと思うんで、
この辺がもうラストチャンスかなみたいな話はしてたんですよね。
だったら妻が45になる2ヶ月前に、
いるみたいってなって、
えーってなったっていうね。
びっくりしたんですけどね。
そんなことあるんやっていう。
あると思いつつ、
つつてか願ってね、
てたんで、
びっくりするのおかしいんですけど、
とはいえびっくりしたっていうのがね。
まじかってなったんですよね。
もちろんいい意味でですよ。
願ってもないじゃないな。だから願ってたからどうしたんやろな。
そこまでめちゃくちゃ期待してなかったけど、
宝くじ当たればいいなぐらいの感じで、
当たってめっちゃ嬉しいみたいな感じで、
本当に嬉しいですよね。尊いですね。
正直あんまり言えなくてですね、周りに。
そうですよね。だから結田くんがちょっとね、
生まれながらにっていうところはあったから、
生まれながらに生涯をもって生まれちゃったっていうのがあったんで、
今回もね、いろいろどうなるか分かんないんですけど、
そもそも元気に生まれてくるかどうかとかから、
年齢が年齢だけにあったんで、
もうほとんど周りの人にも言わないようにしてたんで、
やっといろんな人にしっかり報告できてるって感じなんですけど、
効果的な動作の工夫
そりゃいいんですけど。
最近ね、筋トレに関してはね、
子供が生まれたことと関係あるようでないようであるって感じなんですけど、
まあ体力必要だなってなってんですね。
で、僕が44の時に生まれたので、
実際たぶん一番体力必要なのが男の子なんで、
たぶん年長から小学校2年生ぐらいの時って、
お父さんが体力が必要だなって思って、
たぶん年長から小学校2年生ぐらいの時って、
お父さんが絶対に子供の相手をすることになるから、普通に考えたら。
公園に行って走ったりすることになるから、
そこで僕何歳かって考えたらもう50超えてるんですよね。
50歳前後か。
いやーこれはちょっとまずいぞってなって。
たぶん普通の人でも50で子供の相手をするってまあまあしんどいと思うんですけど、
僕の場合それに輪をかけて、
体力がないから、本当に基礎体力がもう著しくないので。
筋トレに行ってるのは、痩せるっていう大きな目的と、
もう一個は走れるようにするっていうのはそこもあるんですけど、
ただまあとにかく嫌なわけですよ。
これもいろんなところで言っててあれなんですけど、
筋トレがもう嫌でしょうがなくてもう頭おかしくなるぐらい嫌でっていうのをずっとやってるんですけど、
その中でちょっとふと思ったことあって、
僕なんでこんなに筋肉が著しくないのかなっていうところで言うとですね、
まずなるべく体を使わないように生活してきたっていうのがあると思うんですよね。
まずだから出勤とかもなるべくしないようにしてたんで、
自宅でできるような仕事に就いたし、
東京とか住んでたら普通は逆にめっちゃ体使うんですよ。
電車で移動するから。
でももう僕外に出たくないから自宅でできる仕事をしたし、
移動もなるべく原チャリとか車を使って、
移動してたんで、電車にも乗りたくないのでっていうのもあるし、
あとはなんかね、本当に日常生活の一挙手一等足みたいなものも相当僕省エネをしようとして生活してるんですね。
例えばその机から一歩も動かないでいいように必要なものを身の回りに集めるとか、
あとなるべくネットで買えるものは買ってくるとか、
そういう行動レベルもそうですし、あとは動作レベルですよね。
これ妻と話してて気づかされたんですけど、
ユイッタ君にご飯を食べさせてるんですけど、
僕、妻に言われて分かったんですけど、
毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日
毎回同じ椅子に同じ角度で座って、
離乳食みたいなものをスプーンで食べさせてるんですけど、
食器の種類、位置、テーブルのどこら辺に置くか、
体に対してどういう角度でお皿を置くかっていうのが毎回完璧に決まってるんですね。
その上で、
スプーンをほぼ握らずに、
指3本で持つんですよ。親指と人差し指、中指で指3本で軽く持って、
コップというか器に入っている離乳食を取るんですけど、
それも筋肉を使って取るんじゃなくて、
スプーンをほぼ握らずに、
スプーンの柄の部分の真ん中ら辺を食器のヘリにかけて、
持つ側の端っこを手の重さで下に押すんですね。
そうすると、手この原理で、
手の重さで下に押すんですね。
そうすると、手の重さで下に押すんですね。
そうすると、手の重さで下に押すんですね。
そうすると、手この原理で離乳食がスプーンにすくわれるって感じわかりますかね。
そういう感じですくってるんですね。
なるべく自分の筋肉を使わず、手の体重を使うことによって、
こそいで適量上に上げるみたいなことを僕やってて、
口に持っていくときも、スプーンのめちゃくちゃ端っこを軽く持ってるんで、
角度をちょっと変えるだけで上下の動きがバーってできるんですよ。
わかるかな。まあいいんですけどそれは。
それ、妻から言われて、
あ、そっか普通にやってたけど、普通はもうちょっとしっかり手で持って、
肘とか肩とかを使って食べさせるなって思ったときに、
僕指先だけしか使わずに食べさせてるみたいな。
肘をテーブルの上に置いてるんで、肘を支える筋力も使ってないし、
腕を支える筋力も使ってないしとかいうのになったときに、
日々の動作のありとあらゆるところでこうやって省エネしてるなって思ったんですよね。
なんか、重いダンボールを持つとかもそうで、
効率的な生き方の皮肉
普通多分ね、抱えて筋力でグッて持つと思うんですけど、
僕の場合はそれだるいから、ベルトの縁にかけてダンボールの端っこを、
筋力を使わずに腰のベルトの力で支えてたりとかしてたりしてて、
まあいいや、とかやってたんですけど、
それによって結局筋肉がついてなくて、
で、今どうしてるかっていうと、
お金と時間があって、
お金と時間使って筋トレに行ってんすよね。
痩せれないから筋肉必要ってなり、
そのためにお金と時間使ってるんですよ。
これ、効率よく生きようとするがあまりにめちゃくちゃ非効率的な時間を今強いられてるってことに気づいたときに、
効率よく生きるって効率悪いなって思ったんですよね。
なんかこれ、結構皮肉な話というか、
まあ体っていうね、面でそうですけど、
頭もそうだなって思ったんですよ。
つまり、僕は18歳のときに大学に入ってパソコンを手に入れて、
そしてスマホを手に入れて、
基本的にデジタルの力を借りながら生きていってるんですけど、
それによって記憶をしないで良くなったんですね。
いろんなものをデジタルデバイスにメモることができる。
基本的にどんなものでも頭で記憶することを信じてないんで全部メモるようにしてるし、
なんか紙とか書類とかも無くしちゃいけないからすぐにスマホで撮るようにしてて、
そのスマホも無くしちゃいけないからすぐにGoogleフォトで同期するようにしていて、
データを消すときも一応アーカイブを残しつついつでも思い出せるようにして消すようにしてたりするから、
つまりその記憶力がなくても生きていけるようにめちゃくちゃシステムを組んで、
あとはもう頭で考えることなくそれを実施してるみたいな環境を作り出してるんですよ。
徹底的に日々頭使わないで良いようにしてるっていうことをやってるんですけど、
おそらくこれによって記憶力がめちゃくちゃ低下してると思うんですよ。
どうかなった時にね、今AIっていうものが出てきて、
もう今まで覚えることはしなくていいけど考えることはしないといけなかったわけですよね。
これが考えなくていいってなった時に、
これ僕が体で経験したことと全く同じことが起こるんじゃないかなって思ってるんですよ。
つまりまあね、分かると思いますけど、
頭で考えなくなるから普段頭使わないと。
だから年を取った時に本当に深刻な状況になり、
頭使わなさすぎて日常生活もうちょっと頭使うとやばいなってなり、
わざわざ自分の時間を使って脳トレ的なことをやらないといけないっていう、
めちゃくちゃ楽をしようとする結果楽ができなくなるっていう、
本末転倒な結果になるっていう未来が容易に想像できて、筋トレのおかげで。
デジタルと脳の訓練
なんかこれは避けようと思ったんですよね。
なんで結構僕最近のテーマが、
効率悪いことをあえてしていくっていうのを考えようとしてるというか、
しようとしてるんですよね。
あえてパソコン使わないというか。
なんかこれはね、今のうちから準備しといても早くないなと思ったんですよね。
一個ありがたいことに、
今僕がメインで活動してるのが喋るっていうお仕事をやらせてもらってるんですけど、
喋るってAIにいろいろ考えさせることができないスピードで喋るんで、
結構AI使うのは難かったりするんですよね。
これはね意外と大変だけど、
それによってものすごい瞬発的に頭を使わされてるので、
古典ラジオの収録とか、あんなのAIに頼ってたら、
AIに頼ってコメントしようと思ったら全くできないから、
頭で考えながら、手元でメモりながらやるしかないんですけど、
これによってちょっと頭の訓練になってるなというのがあるので、
そういった意味でもね、めちゃめちゃポジショントークになりますけど、
みんなポッドキャストやったらいいんじゃないかなと思いますね。
なるべくAIに頼らず、
もちろん頼る部分はあっていいと思うんですけど、
あえて頼らないで喋るっていうのを、
意識的に取り入れてやってみるみたいなものをやると、
ちょっとね脳の劣化を抑えられるんじゃないかなとは思ってるんですけど、
ただこれはね、抑えられる程度で脳は劣化していくんだろうなっていうのが、
残念ながら目に見えちゃってる感じですね。
大きく見るとね、人類がこの脳みそを使わない生物になっていくということに対して
抗うべきかどうかっていうのは一個ね、
哲学的論点ではあると思うんですけど、
もうだってAIを作った時点で人間が頭で考えないとやらないことは
生物として役目を果たしたと思っていい可能性があって、
あとはもう人間って知的生物じゃなくなっていいっていう、
卒業したというか、逆かリストラされたかな。
生物界から。
っていう説もありますけども、
僕が死ぬまでにはなかなかそこまでいかないと思うんで、
せめて僕が生きてる間ぐらいは、
脳みそを使わない人生みたいなものに抗って生きるっていうのも一個、
人間らしく生き、人間らしく死んでいく価値かなと思ってるんで、
抗ってみようかなと思ってますよと。
ということで、全然取り手もないところまで来ちゃいましたけど、
子供生まれましたんで、皆さん今後ともよろしくお願いします。
18:54
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