子どもの食事に手がかからなくなってきたのですけど、「この手持無沙汰な時間、今まで何してたんだっけ?」という思考に襲われました。飯食ってたに決まってんだろ何言ってんだ。
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サマリー
子供の言語が成長するにつれて、料理の自立も進んでいます。特に、7歳の子供は自分で蕎麦を食べることができ、親の手間が減る一方で、新たな食事の楽しみが広がっています。子供の成長により、食事が楽になり、親たちは温かい食事を楽しむことができるようになっています。この結果、以前のように食事に対する神経の疲弊が軽減され、家庭の食事の楽しみが戻ってきている様子が表現されています。
子供の言語の成長
こんにちは、こんばんは、おはようございます。カフェインよわおです。 相も変わらず、外は暑いし、子供は夏休みだし、部屋の中はうるさいし、環境も全く変わりませんので、ちょっと前置きもそこそこに、今日は子供の話をしようと思うんですけれど、
子供の言語の成長が著しいよって話なんですが、
我が家は7歳と5歳の男の子がおりまして、上の子が小学1年生で、下の子が保育園の年中3なんですけど、
下の子がね、あの先日熱を出したんですよ。 結構久しぶりに、あの保育園を休まねばならないぐらいのレベルの熱を出してですね。
で、まあ大人しくしてたんです。大人しくしてるっつっても、なんか彼は38度後半ぐらいの熱があっても全然元気で、
なんかキーキー叫び回ったり走り回ったり飛び回ったりして、 さっさと寝直してくんねーかなっていうこっちの気持ちをよそにね、あのキーキーキャキャーしてたんですけど、
まあそれでね、結構続いたんですよ、その熱が。 3日間かぐらい、
だいたいこう夕方以降にぐわっと上がって、寝るとちょっと落ち着いて、またなんか昼ぐらいからじわじわっと上がってきて、
夕方に元に戻ってみたいなのを、こう何日か繰り返してたんですね。 で、
その夜中寝る前に、明日は下がってるといいね、明日はまた上がってこないといいね、みたいなこう話をしてたんです。
で、何回か前に話題に出したと思いますけど、あの今うちの子供たち、働く細胞というアニメにハマっておりましてですね、
体の中の2兆7億6千万個だったかな、なんかそんぐらいのね、こう一個一個の細胞を擬人化して、体の中では細菌が訪れるとこんな激しいバトルが行われているんだよ、みたいなのを
わかりやすく教えてくれる、非常に教育的にも良い漫画なんですけれど、それで、
今、君の熱が上がったり下がったりしているのは、体の中でハッケッキュー酸とか、キラーティー細胞酸とか、マクロファージ酸とか、いろんな免疫系の細胞たちが、
その悪い細菌たちと頑張って戦ってくれてるからなんだよ、と。まあちょっと厳密には多分いろいろ違うと思うんですけど、
だから今、その免疫系の細胞たちが君の体の中で頑張ってくれてるから、細胞酸たちを応援するために、君はしっかり寝て、
体を休めなきゃいけないんだよ、という説明がこう通じるようになるわけです。 働く細胞によってね。
でまあ、それでね、あのどうにかこうにかなっとくを得て、あの彼を寝かす日々を続けてですね、
でまあようやく下がったんですよ、その熱が。で熱が下がったに良かったねっつって、 その体の中の細胞酸たちが頑張ってくれたんだねって言って、
いう話をするわけです。したらその五歳児がね、 免疫系の細胞たち頑張ったんだねーって言って、
あーそうだねーすごい頑張ったんだねー、君がしっかりこう寝て体を休めておかげだねーって言って、
僕のおかげで免疫系の細胞が悪い培菌ぶっ殺せたってことだねー
本当にこれぐらいの口調で言うんですよ。 であの、働く細胞の中に出てくるあの免疫系の細胞たちって、
基本あの口が非常に悪いんですね。 白血球とかキラーティー細胞とか出てくるやつ出てくるやつ、
みんなその、この雑菌野郎ぶっ殺してやるとか、なんかそういう感じのことを平気でこのアニメの中で言っていてですね、
あのバッチリそれをこう彼も吸収しまして、悪い細胞さんたちぶっ殺してくれたんだねーって言う言葉が五歳児から出るのがもうたまらなくおかしく、
と同時に、これは働く細胞を見せていることのプラスとマイナスと果たしてどっちが強いんだろうかっていうのをね、こう考えさせられたよっていうふうな話なんですけど、
まあ総合的にはプラスの方が大きいかなというふうに僕は信じたいなと思っています。 間違ってないし。
体の中で起きていることは実際そうだし、間違ったことは言ってないし、
まあ彼がそういう言葉に出会うのが何年か早まっただけと思えばいいのではないでしょうか。
友達には言わないでねっていうふうなことはあの念をして伝えましたけれど、いつかそうなるだろうなとは正直思ってたんですよね。
アニメを見ながら口汚ねーなーこいつらとはあの本当に毎回毎回見るとは思ってたんですけど、ちゃんとちゃんとなるんだなぁやっぱなぁ。
自立した食事の楽しさ
子はスポンジのようにあらゆるものを吸収するみたいな決まり文句がありますが本当にその通りだなというふうに思わされますね。
一方七歳児はですね、だいぶこうそういう可愛らしい面白いみたいな感じじゃなくて、真っ当にね、あの小学生らしい疑問を持つようになってですね。
この前はね、「痛いの痛いの飛んでけって痛くなくなるんだけどなんで痛くなくなるの?」って言われたの、なかなかいい疑問ですよね。
なんていうか、いわゆるあのなんでなんできみたいなのが、ちょっともう知ってないと対応できないレベルに入ってきたんだなっていうふうなのをそれを聞いた時に強く感じてですね。
一応その僕はあの医療職なので知ってるんです。痛覚よりも体にその手が当たることによるその触覚の伝達の方が人間の体って優先されるようにできているので、
だから一時的に痛覚が遮断されて、触られてるな出られてるなっていうふうな触覚の情報が脳に伝わって、
まあそれでこう痛み自体が抑えられるとか、まあそういうことをしている間に痛みが落ち着くとか、多分そういうふうな理屈なんだと思うんですけどね。
手も持ってるけど、合ってるよね。確認しようかな。言ってて不安になってきたな。
そうですね。合ってた合ってた。 触覚刺激の方が早く脳に伝達されるんですって。人間の体って。よかったよかった。
だからあの 手当てって言いますよね。手を当てると書いて手当てという言葉に示されているように、
僕は理学療法士という人にリハビリを提供する仕事をしておりまして、痛みに対処する、介入をすることも非常に多いわけですが、
やっぱね、ただ痛いところを触られているだけでも一定効果が出るんですよね。その触覚刺激がいっぱい入って、それによって痛覚の伝導が抑えられるので。
ただ同時に医学的に正しい治療をしていなくても、手当てをしているだけで一定の効果が出てしまうので、果たしてこれはそういう触覚刺激がただ入ったから一時的に痛覚が抑制されていることによって痛みが減っているのか、
自分が意図した筋肉とか何部組織の動きの変化が起きただとか、関節の安定性が変わったとか、なんかそういうふうな物事によって痛みが減ったのか、どっちなんだろうなーっていうふうなことを注意しながら見たりするんですけど、
まぁあのちょっと全然関係ない話ではありますが、そうそうそう、なのでね、あのまあそういうふうなことをちょっとやんわりと噛み砕いて伝えて、
へーそうなんだーって言って納得してくれたんです。で納得したら、やりたくなるじゃん彼は。
あのやりたくなった彼は、5歳児の弟の方にすすすすってこう寄ってって、
ねえ、ちょっと頭ぶつけてみてくんない?
それはちょっと、まぁまぁ殴らないだけまだマシかもしれんなぁと思いながらも、なかなか暴力的な提案をするやつだなぁと。
でも、なんていうか、こうちゃんとね、なんでだろうっていうふうに気になって、それの理由を知って、理由を知ったからには、こう試したくなるっていうのは、なんていうか、こういいサイクルなような気がしますよね。
成長してるんですよ。うちの7歳児も。 また全然ベクトルが違う話になるんですけどね。
2、3ヶ月前ぐらいから、その7歳児がですね、 お蕎麦を食べる時にですね、あの食器の名前をなんていうのかわかんないんだけど、
そのざる蕎麦とかを頼むと、ざるの上に蕎麦がドーンってこう乗っかってて、で、その麺つゆが入ったちっちゃめの器があって、そこにこう蕎麦を箸で取ってつけて食べるじゃないですか。
で、そのちっちゃい麺つゆが入った器に自分で箸で蕎麦を取って、そこにこうつけて食べるっていう行為が、2、3ヶ月前からあの7歳児ができるようになったんですよね。
で、僕はその彼がそのちっちゃい器で自分で蕎麦を取って自分で麺つゆにつけて食べているのを見たときに、
あ、なんか1個役割終わったんだなぁっていうことをすごい強く感じたんですよね。
これまで彼に、彼にっていうか、彼らにそういう麺類のものを何か食べさせようってなったときは、手元にね、子供用の取り分け皿みたいなのをもらって、
その取り分け皿の中に麺つゆを入れて、蕎麦を入れて、上にちょっと海苔を乗っけてみたいな感じで、
器の中にちっちゃいかけそばとか、そのちっちゃいラーメンのどんぶりみたいなものを作って、で、それを彼が食べて、
で、そこが空っぽになったら、元々のところからまた麺を補充して、で、またそのちっちゃいラーメンどんぶりを作って、そこから食べてみたいな、そういう工程を踏んでたんですね。
それはその、熱いものだったらフーフーしながら食べられないとか、ドカッと麺が乗っているところからダイレクトに麺を取らせると、
十中八九こぼして、周辺が大変なことになるからとか、まあいろんな理由があってね、そういう行為をしてたんですけど、だからそれがいらなくなったんですよ。
彼は、もうドカッと乗っているザルのところから蕎麦を取っても、自分で上手に一口分を取れるし、
それをめんつゆの器に持っていくところまで、蕎麦を落とさずに済むし、さすがにまだすすれないので、こうアムアムってちょびっとるつちょびっとるつ口尻でたぐり寄せながら食べるわけですが、
それをやっても、そこまでも周辺につゆがこぼれないんですよね。
彼がそういうふうに蕎麦を食べれるようになったことで、僕がやらなきゃいけない仕事量が激減したんですね。
子供用の取り皿をもらう。そこにめんつゆをこぼさないように注ぐ。蕎麦をそっちに移す。
で、状況によってはそれを彼に食べさせる。 だいたい周辺になんかめんつゆビチャビチャってなるから、それを拭く。とか、とかとか。
で、空っぽになってないか一応注意を払って、空っぽになったらまだ食べる?って聞いて、そこに改めて麺を補充するみたいな、なんかそれぐらいの、
5個6個ぐらいの工程が、彼が自分で蕎麦を取って、めんつゆにつけて食べるっていう行為を獲得したことによって、僕の仕事がそれぐらい減ったんですね。
で、それがその何回か続いたんですよ。 彼、基本その麺類が好きなので、蕎麦とかラーメンとかうどんとか、やっぱりそういうものを好んで食べたがるんですけどね。
それでこう自分で取って食べれるようになったから、なおさらそれがちょっと楽しいみたいで、積極的にそのお蕎麦を選びたがるようになったんです。
で、彼が蕎麦を食べるんだったらちょっとこっちの手が開くなぁ。 どうしようかなぁ。
って思って、先日、多分彼が生まれて以来食べてなかった石焼きビビンバを僕頼んだんですね。
なぜ食べてなかったかといえば、テーブルの上に触ると危ないですよというものを置きたくない。
で、基本彼らの世話をしなければならないから、食べる前に冷める。冷めた石焼きビビンバを食べるぐらいだったら、
その多少時間を置いても大丈夫な食べ物を選ぼうっていう風な意識が働いて、マジでこの6年何年ぐらい絶対頼まなかったんですけど、
あんだけ手が開くんだったらいけんじゃねえかなって思って石焼きビビンを頼んでみたわけ。 したら食べれたんですよ。あのちゃんと熱いうちに。
子育ての新たなフェーズ
熱いうちに混ぜて、熱いうちに食べて、ちょっとこう舌が火傷しそうになりながらも、まあ多少やっぱり何回かその舌のね、あの5歳の子の方もいるので、
さすがに何回かこう手を止めてちょっとそっちの手伝いをしたりとかはしましたけど、でも全然あの美味しく食べれたんですよね。
彼が自分で蕎麦を食えるようになったから。 これはひと仕事終わったなぁと思ってね。
ひと仕事というかなんというか、その子育てにおける一つのフェーズが、今この瞬間確かに終わりを告げたんだ。
はあ、そうですか。
ってしみじみしちゃうぐらいには本当に大きい変化だったんだよなぁ、ここ最近で。
これまではもうとにかくずっとその子供の成長に合わせた食形態の変化とかに翻弄され続ける日々だったんですよね。
ミルクをあげればならない。ミルクをあげるのであれば粉ミルクを一旦沸騰してからなんか70度ぐらいまで冷ましたお湯に一旦溶かし、それを彼らが飲めるぐらいの人肌のところまで冷まし、みたいなその工程を踏んで飲ませなきゃいけないし、
離乳食だったらなんかめちゃくちゃいろんな食材をひたすら細かく刻んで栄養バランスをある程度考えながら与えねばならないし、手掴み食べが始まったらもうあたりがしっちゃかめっちゃかに散らかってもう偉いことになるし、
だんだんこう我々の食事に近づいてきたら近づいてきたでいろんなものをひたすらハサミでちょきちょき切ってさ、その彼らが自分で食べれるぐらいのサイズに切り分けなければならないし、
周りがめちゃめちゃ散らかるし、なんか一回食事に行ったら持ってったお尻拭きがほぼワンパック全部使い切るぐらいな、なんかそれぐらいの気持ちで当たっていた時期もありましたけれど、
なんかとにかくそういうね、この時期にはこういう苦労が新たに発生する、これは減ったけど今度これが現れたみたいなのをずっとこうやってた気がするんですが、
ようやくある程度上手に箸が使えるようになって、ある程度こぼさなくなって、ようやくその彼が一定の水準で食事を取れるようになって、
で、その成長によって我々が翻弄されなくても良くなった。彼によって、彼の成長によって我々の手が開くのだ。
で、我々も美味しく食事が温かいうちに取れるようになったのだ。
はぁー、ありがてぇー、我々の食事は君の成長によって支えられているんだ、すげぇー、みたいなね。
AIの利用と社会の変化
と思えるぐらいに本当にとっても大きな出来事だったんですよね。
いや本当に、本当に彼の成長に支えられていますよ、我が家は。
だから本当、なんかこれまではね、彼らと一緒に食事に行くと彼らが食べやすい食事を出してくれる店を選ばねばならないし、
彼らが周りを汚さないか、勝手に走り回らないか、なんとなくこう気を張ってなければならないし、
で、こっちはこっちでどうせろくに味わいながら食べることはできないから、
彼らの相手をしながらでも食べやすいものの中で、まあ強いて言うならこれが食べたいかな、みたいなものを選ばねばならないし、
みたいな、なんかそういうこう数々の制約を抱えながら、なんとなくこう神経削りながら食事をしていたんですけれど、
それぐらいこう、その食事の場面でも神経を削っていたんだなーっていうふうなことを、それをしなくて良くなったことで再確認できるようになった、みたいな感じですかねぇ。
ありがてぇわ、本当に。本当にありがたいと思う。
全くもって話変わるんですけどね。彼は今、なんでなんで気なわけですよ。
ちょっと一段レベルの高くなった専門外の分野は、ちょっと自分でも答えらんないなっていうふうななんでなんで気なんですね。
で、今ちょうどさ、わからないものを、じゃあ調べましょう、検索しましょうってなった時に、検索エンジンを使って検索するよりも、
これAIに聞いた方が便利なんじゃねっていうふうなところが、ちょうど切り替わるか切り替わらないかぐらいなタイミングだと思うんです。
言うてもAIに聞いても何か正しい答え聞き返ってくるかどうかわかんねーしな、みたいなタイミングじゃないですか。
割とね。どっちにすんのがいいんだろうなぁと思って、両方やらせるのが多分一番いいんだと思うんだけど、
なんていうか、一定のネットリテラシーが身についた状態で、例えばそのさっきの痛いの痛いのとんできはなぜ聞くのか
っていうふうなのを検索しようとした時に、とりあえず医療機関が出している情報だったら信頼性高いだろうなって思いますよね。
で、そういうんじゃなくて、痛いの痛いのとんできが聞く理由5000みたいなやつは、これはもう当てにしない方がいいなっていうふうに勝手にフィルタリングをするじゃないですか。
だからそこのニュアンスの違いを子供に伝えるのってめっちゃ難しいですよね、多分ね。
で、そこが難しい以上、AIに聞いて帰ってきた答えが正しいか正しくないかの判断をするのも結構厳しいと思うんです。
だからもうなんか、検索エンジンを使うにしても、その生成AIを使うにしても、どっちに行っても結局それなりにどっちが正しいんだろうかを判別するためには結構なコストを払わなきゃいけないなぁ、今の状況だったら。
と思ってですね。 こうするのがいいんだろうなぁ。
なんかマジでゼロからの状態で今の社会に飛び込んできたら意味わかんないですよね。 AIに聞くと教えてくれるんだよ。
でもAIもいつも正しいわけじゃなくて嘘つくこともあるんだよ。 え、なんで嘘ついてくんの意味わかんなくないになるじゃん。
多分ゼロから知ったらね。 そこをこう…
うまく…なんて言うんだろうなぁ。 そういうもんだという認識を与えるまでがまず結構大変だなぁと思ったりしてですね。
個人的には新しい技術にはどんどん触れさせていきたい派なんですけど、 そのAIは何歳からみたいなことを変に区別するんじゃなくて、
もうAIはあるし、多分今後もどんどん発展していくし、 それに触れない生活とか、それに触れないで仕事をしていくとかは今後絶対あり得ないと思うから、
早めに存在に慣れていったほうがいいんじゃないかなっていうふうには思うので、 とりあえずAIは通そうかなぁと思ってるんですけど、
ねー難しいっすねー。 もうちょっとこう、いい感じに信頼性が高くなっていってくれれば余計な労力を払わなくて済むので、
楽ちんなのになぁとか思ったりしますね。 はい、本日はこんなところで終わりにしようかなと思います。
ありがとうございました。 番組への質問意見感想などなど何かありましたら、
ハッシュタグ口物をつけてXにポストいただけますか、番組概要欄のお便りフォームにお便りくださいますと大変嬉しいです。
よろしくお願いしまーす。 だいぶ100回が近づいてきましたね。
そういえば、これが93回になる予定ですね。 今のところね。
特に何か100回になるから何をしようっていうふうなもんでもないですし、
定期配信でもないからね。余計に何かあんまりこう100という数字に意味はない気がするけど、
まあなんかよくやったなぁって感じがだんだん漂ってきましたね。すごいことですね。
はい、終わります。ありがとうございました。バイバイ。
21:49
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