00:00
あー、あー、あー、聞こえますでしょうか。 えーっと、ちょっと今日ですね、新しいですね、機材を導入したもんですから、またしてもですね、変な音になってたらまずいなーっていうことなんですけども、ちょっと先にですね、始めてみましたが、私の声聞こえますでしょうか。
どうなんだろうな。聞こえてますか。 ちょっと、どうかなこれ。あ、聞こえてます。あー、グッドボタンありがとうございます。よかった。そっか。大丈夫かな。
えーっとですね、実はマイクがついているですね、ヘッドフォンを導入してですね、このヘッドフォンがかなりですね、音がいいと評判なので、ちょっとね、買ってみたんですよ。
オーディオテクニカというですね、日本のメーカーのですね、ヘッドフォン。ヘッドフォンにマイクがついてるやつ。でもなんかすごいノイズが乗ってるように聞こえるのは、これはじゃあモニターの音が変なんだな。
なるほど。これなかなかいつもね、うまくいった新しい機材を入れるとうまくいった試しがないよね。でも良さそうですね。グッドボタンなどを押していただいているので大丈夫。
綺麗ですか。良かった良かった良かった良かった。綺麗。ありがとうございます。というわけで、改めまして、芸術法人シアターボンドのラジオ、本日も始めて参りたいと思います。
1900って言っちゃうんだよ。2026年4月30日の木曜日22時1分10秒を回りました。今宵もよろしくお願いいたします。
03:12
もうね、あれだよ。今日はパッパと行くからね。もうね、だらだらしないんだ今日は。というわけでこれ、これだ。これだこれだ。ちょっとね、先週の配信ね、長いよ。
今日はもうパッパと行こうと思います。
今日はもう行ってまいりましょう。よろしくお願いいたします。この配信は、20年以上民間劇場で働き、劇場が閉館したのをきっかけに、劇場のことなら何でもプロデュースする会社に転職した私が、そもそも論であれこれ考えて話すラジオです。
そもそも芸術法人という法人がないのっておかしくね。というわけで勝手に作ってみました。芸術法人ティアターボンド。この空想が現実になるその日まで、法人代表宮沢の配信ラジオをどなた様もよろしくご引きに。
この番組は、鶴岡市民劇場、藤枝市民劇場、一般社団法人名古屋演劇団総会、NPO法人町田演劇団総会、稲沢演劇団総会、加藤健一事務所、東京演劇アンサンブルの提供でお送りいたします。
愛知県稲沢市、戦国三英傑の筆頭、織田信長の生まれ故郷とされ、767年、飛鳥時代から続く神宮裸祭りでも有名。また市内には日本最大の銀卵の生産地としても有名な曽笛地域があり、喫茶店のモーニング文化の源流でもある地域。
自然の恵みと心の豊かさ、人が輝く文化創造都市を掲げる稲沢市に、今年で創立30周年を迎える稲沢演劇館紹介があります。
良い演劇を多くの人たちと、館員一人一人の手で年6回の霊会を主催。前の霊会よりも館員の数を増やして、劇団創造団体を迎える全霊会クリアを重ねるために、常に事務局には活気があふれています。
06:17
楽しく、そして力強く、人と人とのつながりで演劇の灯火を守り続ける稲沢演劇館紹介にぜひご入会ください。稲沢演劇館紹介
町田演劇館紹介は、1984年2月に身近な町田市民ホールで演劇を定期的に見て、日々の生活の中に心の潤いを持とうという趣旨の下、18名で準備会が発足しました。
身の回りの人や各種団体に会の趣旨を本気よく伝え、少しずつ賛同者を増やし、同年11月に知人会ソーシャルスケッチブック館員数560名、1985年1月には文学座マリウス館員数700名の両講演を成功させました。
そして、1985年3月には館員数999名となり、創立例会として劇団青年座ドンゾコを2ステージで上演し、同月の創立総会を経て、正式に町田演劇館紹介が発足しました。
2016年2月には法人格を取得し、NPO法人町田演劇館紹介として活動を行っています。
演劇を地元で見続けたいという館員の思いが会を支え、40年以上にわたり、多様なジャンルの作品と出会い、感動を館員相互で共有しています。
また、若い世代に舞台芸術の魅力を知るきっかけを届け、将来の歓劇文化を支える仲間が増えていくことを願っています。
その取り組みとして、高校生、大学生、専門学生などを無料で招待し、若い世代が気軽に芝居に触れ合える環境を整えています。
町田演劇館紹介
はい、というわけで、本日よりですね、新しいCMが2本完成いたしました!
イェーイ!
ジャジャーン!じゃない。
イェーイ!
イェーイ!
はい、というわけでですね、お待たせしてしまいましてですね。
今日になってしまいましたけれども、ずいぶん前からですね、お話はね、いただいてたんですよ。
稲沢演劇館紹介と、それからNPO法人町田演劇館紹介。
09:05
CMいいよ、流そうよっていう話をね、それぞれからお話をいただいておりましてですね。
で、もうそれこそ私が新しくね、今お勤め先であるところの株式会社シアターワークショップというところでね、入ってすぐぐらいの頃からもうお話はいただいてたので。
だから今日が4月の終わりですよ、今日ね。4月の終わりですから、もう私も転職してから半年が経とうとしてるのかな、早いもんで。
この半年の中でですね、いろんな仕事が舞い込んできてね、その忙しさにかまけてですよ。
なかなかこうね、CMのアナウンスね、撮ったり、それから編集したり、いう時間が取れずにいたんですけれどもですね。
今日はちょっとね、時間が取れたもんですから、もう今日やっちゃえということで、2本とも編集をいたしましてですね。
それで今日の今日ですよ、もうほんとさっきですよね。すいません。いいよっていうね。両者からいいよ、OKっていうね、お話をいただいたので、今日流させていただきました。
ありがとうございます。このね、現実法人シアターボンドのラジオ、今日で21回目になりますけれども、
こうやってですね、どんどんどんどん演劇観賞会とのね、つながりも遠ざかっていくのがとても悲しいというか寂しいということもありまして、
それで、この個人的にやっているシアターボンドのラジオ、提供というかCMということで、つながりを持ち続けたいよということで、やらせていただいておりますのでですね。
なんかこのコマーシャリズムのような形でね、考えないでですね、ぜひ気軽にですね、シアターボンドのラジオに自分たちの回のね、アピールをね、ちょっと流してもらおうかみたいな感じでですね、ご賛同いただければと思います。
町田演劇観賞会のね、町田演劇観賞会の皆様と、それから稲沢演劇観賞会の皆様、どうもありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。
ってなわけでね、今日はCMが2本新しく追加したぜっていうね、ことがまず嬉しいのとですね、嬉しい話はもうこれぐらいなんですよ。
12:02
でね、先週の配信、先々週の配信、両方ともですね、2時間40分だった。これね、さすがに自分の配信必ず全部聞き直すんですけれども、大体いつも3回は最低でも全部聞くんですよ、私ね。
反省して。それで次の配信ではもっとこういう話し方をしようとかね、もっとこういうテーマを取り上げたら面白いんじゃないかとかね、自分の配信を聞きながらまた新しい配信のね、ことを考えるみたいなことを毎週毎週やっとるわけですけれども、
2時間40分はね、さすがにね、自分でもね、3回全部聞けなかった。ちょっとだからね、さすがに長いなと。あんまりね、こういう時間を気にせずね、この話していきながらランダムにね、思いついたことだとか、前々から話そうと思ったことを思い出したりしてね。
それで話をしていくラジオにしたいので、いわゆるこの超有名どころの民放のラジオとかそれからNHKのラジオとかね、そういう尺がビシッと決まってて、何時から何時になると必ずCMを入れなきゃいけないみたいな、そういう持ち時間がわずかな中で
スポット的にね、ペッとこうなんか刺激の強い思いが込められたとも言いますけれども、ギュッとこうね、一言でバンとこう言うような、そういうプロの配信じゃなくて、素人なりのですね、なんだかこうダラダラ話していながらも親って思うことがね、あるような、
まあ、緩い配信にしていきたいなとは思いつつもですね、そんなにね、自分のこと甘やかしすぎちゃうとね、結局先々週先週のようなね、もうほっとけば2時間40分なんかあっという間に経っちゃうんだったね、これ。
これは良くない、それはそれで良くない、やっぱり2時間、最低でも2時間でね、終わらせたいと、ようなまあ反省なのでね、今週はもうね、2時間でね、ビシッと終わりたいと、こういう風に思っておりますよ。
で、ちょっとね、何で長くなったかっていうことを考えたんですけども、とにかく週刊劇場ニュースがね、長いのよ。それに尽きるのよ。もう本題に入るまでにね、もうね、11時半とかになってるわけ。
15:10
1時間半もニュースの話ししちゃってるわけですよ。でね、そっからまた1時間10分ぐらいね、本題だって話しちゃってるわけですよ。これね、やっぱりね、長くなるよ、そりゃあっていうね。
この構成がちょっとミスってんなっていうね。そういう反省のもとに今いますよ。やっぱり話題を1つ話し始めると、最低でもその話題だけで1時間あっという間に話してしまうというね、こういう性格というかね、それがまあ持ち味でもあるんですけども。
その1つのテーマでよくそんなに話せるねっていうようなところではあるんですけれども、とはいえ聞いてる人たちにとってはあんまりフレンドリーではない。
やっぱコスパタイパーの世の中ですから、これね。
シアター本能のラジオタイパー悪いなーなんつってね。
タイパーのために話してるわけではないので、別にね、そこは気にしない程を取ってるわけですけども、でもやっぱりね、聞く人にとって聞きやすいラジオにはしたいなというふうに思うわけですから。
というわけでね、今日は2時間くらいで終わりたいというふうに思うわけでございます。
それで、今日の構成はですね、ニュースはちょっと1回お休みします。
もうだから3回やって長くなるっていうのがもう分かっちゃったので、ニュースやめて、今日の本題は草の根っていうね、
また小難しいタイトルというかテーマをね、自分なりに設定してしまったなと我ながら思うわけですけれども、この草の根の中にニュースも入れ込むというね、だから本題の中にニュース、
だから今週1週間であった出来事の中からメインテーマをね、見つけて、それで話すと。こういう趣向にしよう。だから一緒にしちゃえばいいじゃんっていうことなわけですよ。
ではね、先週の配信でも、埼玉県じゃないや、東京都のね、清瀬市長のね、話したじゃないですか。清瀬市長ね。
共産党のね、市長がいよいよ、近差でね、今までの市長さんを破ってね、共産党から出馬したっていうかね、の原田博美市長というのがね、清瀬市長になって、それでね、清瀬市長の旧中央図書館ね、これが解体するって言われてたのが、
18:23
解体しないでやりましょうよって言って出馬して、見事当選した市長さんになれたんですけども、今度は市長、いざ市長さんになった途端にですね、手の平返しかのように報じられてしまい、よくよくそれはね、聞いてみたら全市長がちゃんとね、どういう状況だったのかっていうことを言ってなくてね、騙し打ちにあったようなもんですよね。
もうね、取り返しのつかないところにまで行ってしまっていたと。で、法律上ね、どうしても同じ敷地内に児童館を作ってしまったがために、図書館を再開してしまうと、法律違反になってしまうという状況があって、で、苦渋の選択として、せっかくね、中央図書館、解体しないで使うって言って当選したにもかかわらず、
それを公約をね、守りきれなかったという状況になってしまったよって話がありました。
この話からね、やっぱり劇場のとかね、公共ホールの話を展開すればよかったんですよ。
ね。これでまた別の話をしだしちゃうから2時間40分なっちゃうわけ。そうじゃなくて、どうせね、同じようなその劇場とか公共施設の、公共文化施設のテーマなわけですから、そっから本題に入ればよかったんですよ。
という反省に立ったので、今週からですね、一つニュースを取り上げつつ、それを本題として話すという流れにしたいと思います。よろしくお願いいたします。
今週のですね、取り上げたいニュースはですね、一応これニュースのこと、今週の週刊劇場ニュースは、
えー、「自民はこれまでもデモを軽視。門広子衆院議員のごっこ遊び発言に、市民から批判の声、専門家の指摘は?」というニュースをね、取り上げたいと思いますよ。
これね、私もね、ツイッターでもリポストしましたしね、引用リポストをさせていただきましたけれどもですね、どういうニュースかと言いますと、ニュースを読みますね。
21:09
自民党の門広子衆院議員、東京八区がインターネット番組で、国会周辺での市民によるデモ活動をごっこ遊びと揶揄したことに、批判の声が上がっていると。
国会周辺のデモは、スパイ防止法の制定や憲法改正に意欲的な高市政権に対抗しようと、自民党が議席の3分の2以上を確保した2月の衆院選後に本格化と、デモが本格化してるよと。
4月の8日には、主催者発表で3万人が参加する大規模なデモが実施されたと。
こうした市民の動きを冷笑する発言が出たことは、デモへの警戒感の現れとも言えると。
自民党議員からは、過去にもデモを軽視するような発言が繰り返されてきたと。
デモは、東京新聞の4月21日付の記事でございます。
門広子衆院議員のインターネット番組の揶揄の映像は、各種SNSにていろいろと上がっておりますので、
アベマプライムというインターネット番組の討論番組のような形で、
全日本学生自治会総連合、全学連の幹部らと討議した時に、東京八区選出。
東京八区ってどういう区かと言いますと、主に杉並区が中心で、
もともとはね、多分八区だから、石原軍団。
石原軍団の石原元都知事、石森太郎とか、あの辺の人たちみんな杉並区の人たちなんですよ。
石原伸太郎って言いましたっけ?あのボンボンね。あの人が引退した、確かね、区ですよ。
24:07
だから小木久保とかね、阿佐ヶ谷とか、あの辺の選挙区ですよ。
私もね、大学時代は阿佐ヶ谷に住んでおりましたので、東京八区で確か投票したこともあったかな、1回ぐらい。
っていうところなんですけれども、そこから選出した衆議院議員の門博子さんという方が、
もうね、私はね、あなた方のデモを見てるとね、ごっこ遊びにしか見えないんですよっていう発言して。
それでロンドン、ロンドンなんだっけ、ロンドン、ロンブー、だからロンドンブーツ何号とかのね、
田村敦史っていう人がね、とてもそこに同調していて、なんか田村敦史さんの番組なんですよね、たぶんね。
それでそこに学生さんたちが出てて、でその学生さんたちもすごくこう、なんていうか、極端な人たちで、
暴力を示さないというようなことをはっきりと言っていることに対して、この門博子さんは、あなた方のデモ活動はごっこ遊びですよってね、
いうようなことを言ったというようなことでございました。
私ね、これね、大変ショックだったのとともに、なんかね、一つ今の時代のですね、象徴的な出来事だなあっていうふうに思ったわけですよね。
まあもちろんこの門博子主義を対するですね、反感というか、そのデモをね、その軽視するようなあり方が、そもそもね、国会議員として良くないなというかね、
一番憲法を遵守しなきゃいけない国会議員が、国民のね、その権利というかね、そういう民主主義の根幹のこのデモということに対して、
やゆうするみたいなその態度そのものがね、国会議員として、ちょっとね、資格がないんじゃないかぐらいね、ちょっとこう腹立たしかったわけですよ。
なんですけども、個人的に腹立ててるばっかりじゃなくて、やっぱりなんか一つね、今のね、このあらゆることね、特に私は専門分野というかね、
そこが文化芸術の世界に居続けているわけですけども、今各地でね、起こっている公共ホールの問題、公共ホールの再整備というふうにね、言いますけれども、
27:15
公共ホールが古くなってね、でなくしちゃうとかね、先週の清瀬の話もそうですけども、文化施設をもういらないんじゃないかとかね、軽視しちゃってね、もっともっとお金儲けのために使える施設ばっかりにして、
でもお金にならないようなものはどんどんなくしちゃえばいいんだよ、みたいなこととなんか同じような感じを持つわけですよ。
なんかそこら辺のところをね、今日はね、草の根ということからもう一回考え直したいなというふうに思ったわけでございます。
で、そもそもこのデモというのは言うまでもなくデモクラシーが引き詰まってデモというふうになっているわけですけども、デモはね、日本国憲法第21条が保障しているわけですよ。
第21条というのは、集会あるいは決謝及び表現の自由を規定しているわけですけれども、で確か90何条だっけ、最後の方に書いてある憲法の中で国務大臣及び国会議員は、
公務員はこの憲法を準視しなければならないということも憲法の中に書いてあるはずなんですよね。
で、そういうふうに規定されている国会議員自ら、その表現の自由や集会決謝の自由みたいなものを揶揄する、揶揄してはばからないっていうね。
で、しかもね、この東京新聞の報道によれば、東京新聞がね、今度はこの門寛子さんに真意をね、尋ねるためにインタビューをしようとしたら断られたというようなことまで書いてあるわけですよね。
で、なんかその門寛子のTwitterなどを追っていくとですね、もう何事もなかったかのように、何だか支持者にすごいこうね、応援されたよとかね、何だか昭和100年の式典があってそれに参加してきましたよとかね、何かそんなことがもう何事もなかったかのように書いてる。
で、そんな中、そのデモクラシー、デモがね、切り取りだって言ってね、一応声明を出したんですよね。
30:07
それでこの、ちょっと論点をずらして、全学連のね、言うことがおかしい。それを全学連のことをごっこ遊びだって言ったまでであって、でも全体のことに対するごっこ遊びっていう発言じゃなかったんだよっていう反論は一応出してはいるわけですけども、
全然こうなんていうの、この、謝ってないっていうかね、その謝るつもりもないってはっきり書いてありましたけども、
なんかその、国民がこうみんなで集まって、今の政治はおかしいから、その、なんていうか、そのやり方をみんなで集まって批判しようとする、それを表現しようとすることに対して、
そんな子どもの遊びだ、ごっこ遊びだって言うようなね、ことを言ったことが、どういうことなのかっていうことが、あんまりこう自分の中に入ってないというかね、
なんていうかこの、まあまあまあまあみたいなね、あの人たち多分、高市政権のことちょっと嫌いだからあんなこと言ってるだけであって、ちょっとあんまり相手にしないほうがいいかみたいなね、こんな感じを受けるわけですよね。
それで思い出すのが、安倍総理大臣ですよね、安倍元総理大臣も、確かあれは新宿駅だったか、秋葉原駅だったかな、確かその時も衆議院議員選挙だったと思いますけども、
街頭演説をしているときに、安倍元総理の政治に対する批判をしているグループが、この演説会の中で安倍やめろコールをしたところ、その一群を指差して、ああいう人たちがいるから政治が前に進まないんだみたいなね、
ああいった人たち発言もありましたよね。なんかこう、一般市民というかね、一般のただの国民が寄り集まって、何かこう政治に対する発言をするっていうこと自体をすごくけぎらいするというか、
バカにしたり、なかったことにしたりして、あとはなんかピントがずれてるみたいなことを言っては、遠ざけようとしているっていうことそのものがね、何か政治の人としての生き方とか在り方みたいなのをすごく象徴しているなというふうに思うわけですよね。
33:07
多分そういう考えを持っている人たちを相手にというか、対抗してはまずいかもしれないけど、でもそういうことを日々思っている人たちが政治のど真ん中にいるわけですから、
その人たちに対して、文化は必要なんだ、文化芸術の施設っていうのはこれだけ国民にとって大事なことなんだ、大事なものなんだっていうことをこれからは言っていかなければいけない世の中になっていくわけですよね。
これはね、結構難易度高いなっていうふうにね、こう思うんですよね。
だからこそ今日はこのニュースを取り上げて、じゃあ草の根ってもう一回根っこから考えようかっていうね、まあ趣向なわけでございます。
なんかこのニュースに触れるとですね、もう本当に安短たる思いがするわけですよね。
でもね、そこで絶望はしてもいいかもしれない。
もうね、これはもう大変なことになっているぞっていうね、正しい絶望は必要かもしれない。
でもそこでやっぱりもう時代に合わないのかなって言って思考停止をしてしまうのはまだ早い。
だからこそね、どういうふうに話を進めればいいのかとかね、どういうふうにそこに抗っていけばいいのか。
抗うっていうことじゃないのかもしれないとかね。
いろんなことがね、そこでまた動き始めるような気がするわけですよね。
なんかこの、ただただああいう人たちというか、その加藤博子衆議院議員を象徴するような、ああいう人たちっていうことでくくってしまうとね、やっぱり同じことの繰り返しになっちゃうというかね。
安倍晋三元総理大臣が演説会でああいう人たちってね、指さしてたのと、文化芸術が大事で何かあったら人々が集まって何かを表現することを大事にする人たちが、
逆に加藤博子を指さしてああいう人たちっていうのって、何か同じやり方になっちゃうんですよね。
そこが一番何か危ないなというか、ああいう人たちああいう人たちって言い合ってるだけでは、何か話が解決に向かわないよなっていうね、感じもあるわけですよ。
だからどこか、社会法説とかって難しいこと最近言いますけれども、考え方が違うんだというところからもう一回始めなければいけない。
36:12
とってもね、めんどくさいし大変なことだと思うんですけど、あいつら考え方が全然違うぞと。
違うところから、わかり合えないところから対話を始めていかなければいけない。
で、話をしていく中で、確かにあなたのような人がそういうことを言うのもわかる。
わかるんだけども、でもこちら側というか私の立場として、これそうではないんだっていうね。
お互いが指差し合って批判はいいんだけども、さも悪口言い合ってね、ああいうやつがいるからっていうふうに言い合ってるだけではやっぱりダメで、
話をしていく中でお互い徐々に徐々に変わっていけるような、そういう場作りというか話のやり方をしていかなければいけないんだろうなと。
これなかなか大変なことだと思うんですよ。
どうしてもね、アゲインストっていうかね、論を戦わせるってなっちゃうと、絶対に譲らないみたいなことになっちゃうんですよね。
そうすると同じ話し方になっちゃうから、そうじゃないような一方でわかりながらも部分的には理解しながらも、でもここは難しいね。
もうね、対話ってね、すごくいいものでね、正しいものだってね、言いがちなんですけれども、めんどくさいよ、これ。
もう大変だよ、もうっていうところから始めたいですよね。
対話は大事、対話は正しいっていうね、当たり前そうなんだけど、それはそうなんだけども、でもそんなに生優しいことじゃないんだっていうことも一方では思ってなきゃいけないなって思うし、
そういうことをですね、日々日々活動の中で味わわれているのは、やっぱり演劇鑑賞会の人たちっていうのは、
いろんな人が来るんだから、たぶんね、事務局に1日いればねとか、会費納入とかでいろんな人が事務局に来るときに役員さんだったらそれで応対しなきゃいけないんだけど、
まさかみたいなね、まさかそんなこと言ってくる人いるんだみたいなね、人たぶんたくさん来るんだと思うんですよね。
なんかそういうところで、全然全く価値観の違う、大切に思っているものが180度違う人たちとのこの話の仕方みたいなね、
39:14
そういうのをたぶんすごく学べるのは演劇鑑賞会の現場なんだろうなっていうふうに思いますよね。
あのね、私ね、高市総理のこと応援してるからっていうね、人だってたぶんたくさん来るんだと思いますし、
どこがとかね、なんでとかね、私はそうは思わないんだけど、みたいなところをね、何かこう話せるようなね、
その現場であればいいなというふうに思いますけど、でも大変だよね、それね、というふうにも思います。
じゃあね、草の根って何?っていうところから入りたいんですけれども、
あのね、これ調べてみてね、とてもびっくりしたんですけれども、草の根、草の根とかね、草の根民主主義とかね、草の根運動とか言うじゃないですか。
で、同じタイミングで思い出すのがですね、草の根を分けてでも探し出せってね、
よく言うじゃないですか。
だいたい悪役のね、党領みたいな、悪代官みたいなのがね、頭が時代劇ですから、私ね。
時代劇が、ほら、悪代官がね、
自分の野望というかね、陰謀を潰そうとしているね、
水戸公文というね、なんか不気味なね、参議院衆がね、いるんだと。
で、その不気味な参議院衆がね、どこにいるかわからんと。
だからもう、やみうちにすればもう、それで全部解決だということで、
党領でもね、どこにいるかわかんないんです。バカモン!ってね。
草の根を分けてでも探し出せ!
はい、ヘイ!みたいなね、そういうシーンってよくあるじゃないですか。
大丈夫か、これ。
でもあるんですよね。
だから、草の根を分けてでも探し出せっていうのと、
草の根運動、草の根民主主義みたいなのが、
たぶん、同じような次元のというか、
同じ言葉なんだろうなっていうふうにぼんやり思ってたんです、私、
今日まで。というか、このお話をしようと思ってね、調べるまで。
でもね、違ったんですよ。
草の根運動とか、草の根民主主義っていう時の草の根っていうのは、
実は語源が英語だったっていうね。
42:02
これ私、びっくりしたな。
で、草の根を分けてでも探し出せ!の時の草の根は日本語なんですよ。
だから、全然違う言葉らしいんですよ。
びっくりしたな、これ。
で、草の根運動の方の草の根はグラスルーツっていうね。
英語の勉強するときに必ずLとRの発音がね、
日本人はなかなか難しいとよく言うのはライス。
今でも私発音できないけど、
お米のライス。巻き舌すんだよね、確か。
巻き舌の方のライスと、
あとLの巻き舌あんましない方のLのライス。
これを言い間違えちゃうと大変なことになっちゃうんだよっていうことをよく言うじゃないですか。
Rの方がお米で、
Lの方が白身とかのみみたいな気持ち悪い意味になっちゃうから、
ライス大盛りなんて言うとギャーってなっちゃう可能性があると。
だからLとR大事だよなんてよく言いますけれども、
Rの方ね、巻き舌の方のグラスは草。
で、Lのあんま巻き舌しない方のグラスはガラスの意味だから、
これもね、間違えると大変だよって言ってね。
庭に生えているガラスを抜くみたいなことになっちゃうよっていうね。
そういうことをよく思い出すんですけど、
その草の方ね、Rの方、GRASSの方のグラスね。
言えない。
そのグラスルーツね。
ルーツっていうのは根っこですからね。
グラスルーツっていうのが語源の草の根だそうなんですよ。
不思議だなあと思いますね。
それでほら、かたや日本語の法でも歴史的な言葉として
民草っていう言い方あるじゃないですか。
民のことね。
一般市民のことっていうか住民とかの市民、住民のこの民ですよね。
民のことも草にたとえて民草ってね。
45:02
これも日本語の古い表現ですけれども、
やっぱり一般市民とかの人民のことを草にたとえてるんですよね。
これが全然違う、海を隔てた向こう側とこっち側なんですけども、
でも一般市民のことは草にたとえるっていうね。
これもなかなか面白いなというふうに思うんですよね。
で、その、
あとほら、
あれ、ほら出てこなくなっちゃった。
池波翔太郎先生のね、
あれ、真田大兵器ね。
私読みましたけれどもね。
真田家の話が好きなので、あれかっこいいよね、真田。
真田大兵器の中でも忍びの者のことを草って言うんですよね。
あれ、なんだっけ。
竹田家ね。竹田信玄の、竹田家の忍びのことは草とか言うんですよね。
草を放て、みたいなね。
ヘイ、みたいなね。
そういうこうなんか、
いや、あの、なんていうの。
目立たない存在みたいなね。
そういうのを草って言ったりもするんですよね。
面白いな、草って面白いなと思うんですけども、
意外とですね、これが日本だけじゃなくて、
英語圏ね、イギリスとか、
それからアメリカでも一般市民のことを草、
とかね、草の根とかって言ったりするっていうのがね、
面白いなと思いまして、
その一般市民がね、
みんなで手をつなぎ合ってね、
大きな力の強い人の、
強力な人の一歩じゃなくて、
小さいけれども、力は小さいけれども、
みんなの一歩みたいな。
そっちの方がやっぱりこう、
最終的に力を持つよ、みたいなね。
そういうことじゃないですか。
で、やっぱりこの草の根民主主義と言ったときは、
上からね、
なんていうの、
権力者側から民主化するって言って、
上からトップダウンで、
民主主義をね、
社会にね、
押しつけるじゃないけど、
根づかせるっていうんじゃなくて、むしろ、
ボトムアップでというか、
48:01
市民の側から、
民主主義ってこうだよねっていうね、
一人一人が大切にされることだよねっていうことを、
市民たちの中で身につけていくというか、
実践していく。
これが草の根民主主義の本質ですよね。
だから、
この門広子衆議院議員の話になりますけれども、
なんかこうやっぱり、
草の根の部分をとても軽視しているというか、
そもそも、
衆議院議員っていうのは、
そういう国民一人一人の一票を、
集めて、
それで一番多く集まった人が、
衆議院議員になれているはずなんですけども、
その人たち、
その主権者たちの、
集まりみたいなことを軽視するっていうのは、
なんか本末転倒というかね、
なんか思い違いしてないっていうふうに思うわけですよね。
だからボトムアップの、
このみんなのというかね、
一般市民の力を結集したとかね、
そういうものをね、
バカにするというか、
揶揄するっていうのはね、
どれだけおかしなことかっていうふうに、
やっぱり帰ってきちゃうわけですけれども、
だからこそやっぱり、
草の根の何か運動とか、
草の根の何か、
つながりとか関係性みたいなことって、
やっぱり大事だなっていうふうに思うんですよね。
でね、なんかね、ここで思い出すのが、
なんかね、
ある一定の年齢から上になると、
今度は運動とかね、
草の根とかっていうのが、
とても古っぽけたね。
昔やったよね、みたいな。
なんか、そういう時期もあったけども、
今の時代はもうそういうのは受けないよねっていうような、
何かそういうひけ目というか、
なんかそういうのも盛り上がった時もあったけども、
今はなかなかそういうのはっていうふうにね、
思われがちなんですよね。
確かにそうかもしれないけど、
でもあまりにそれがエスカレートしてというか、
あまりにそういう草の根の運動みたいなものが、
時代遅れだっていうね、
世の中になりすぎてるからこそ、
むしろね、全然知らないから、
あの、むしろ新しいんじゃないかっていうね、
51:00
ことになってきてると思うんですよ。
なんかこう、私も演劇鑑賞会の方々と運動の話をしたり、
それからお芝居。
お芝居とか演劇ってそもそも運動とともにね、
何かこう大きくなってきたところがあるので、
なんかこう芸術、もちろん芸術なんですけれども、
そもそもこの社会には演劇っていうのは存在しなくて、
伝統芸能とか歌舞伎とか、
そういう芸事みたいのはあって、
それで一般市民がそれをこう、
日常のうさばらしみたいなので、
そこに通うみたいな、
そういう世の中ではありながらも、
実はこの劇場っていう場は、
より社会、世界に開かれた窓だとかね、
社会の実験室だとかってね、
言ったのがね、
築地小劇場だったわけですけども、
その明治から大正元入ってくる中で、
演劇ってそれよりももっと何か、
民主主義って何だっけとかね、
それから社会ってどういう在り方が必要なんだとか、
そういうちょっと小難しいというかね、
小難しいって言っちゃったらあれなんですけども、
より社会とか生活の中に入ってくるというかね、
ただ芸事を見てきれいだねとか、
面白かったねとかっていうことじゃなくて、
それの先に、
その先っていうとあれだな、
客席と舞台の関係性がすごく近くなってきてたんじゃないか、
っていう感じがするんですよ。
それが新劇だったんじゃないかって思うんですよね。
だからそのお芝居を見て、
それで綺麗な人だなとか声がいいなとかね、
ちょっと応援したいなっていうことの先に、
舞台側から見て先に、
客席から見たら手前にね、
お芝居の世界と生活が入り混じっていて、
お芝居を見ること、演劇を見ることによって、
社会とか世界の見方がちょっと変化するとかね、
今までの生活が少し違って見えるとか、
その辺のところを近代以降の新劇から始まった演劇は、
目指してきてたはずなんだよなというふうに思うわけですけども、
54:02
つまりそういう運動みたいな、
この社会がどうあるべきだとか、
例えば一番わかりやすい例でいくと、
人形の家ですよね。
野良のあの結末を見たときに、
みんながびっくりして、
え?子供がいるのに?出てくるの?あの人?
っていうようなところから、
いや待って、なんで?なんかこのゾワゾワした感じはなんだろう?
みたいな。
女だから何もできないってどういうことなんだろう?
日常生活の中に帰って、
改めて考えてしまうみたいな。
そういうことが今までは、
芸事の世界では綺麗だねとか、
面白かったねとか、
いうところから、
芸事の中にもそういう面がもちろんあって、
とても敏感な人は、
その中からでも社会はこうあるべきだということを、
認識していった人たちも多分いるんだと思うんですけども、
基本的には美とは何かみたいな。
美しいってどういうことか。
愉快なものってなんだ?とかね。
舞台と客席が完全に別個の世界になっていたものが、
舞台側から少し生活の中に入ってきて、
何かそういう課題を提示するみたいなね。
芸事から芸術になっていったんじゃないかっていうことがあるんだと思うんですよね。
だからそれととても社会を考え直して、
より新しい社会をつくり、
そして民主主義ってどういうことだっていうこと、
今までなかったものを社会に根付かせるのはどうすればいいんだっていうことを、
みんなの対話の中で考えていく運動っていうのとすごく相性が良くて、
演劇と運動っていうのはとても相性が良い中で進んできたんじゃないかと。
ある一定のところまでいくと、それがとても古臭くなってしまい、
何かもっと難しいこととか、
宮沢みたいに難しいことを考えてるんじゃなくて、
ただ楽しいのがいいんだけど、みたいなね。
やっぱり振り子が向こう行ったり、こっち行ったりするような感じで、
時代っていうのは繰り返し繰り返し、あっち行ったりこっち行ったりしながら、
移り変わってきているんだけれども、
今はむしろ、ちょっと綺麗とかおもろいとか、
笑えるとか泣けるとかよりも、もっともっと手前のね、
57:02
この社会、この生活って今どうなのっていうのを劇場の中で考えたいし、
そこから見出した何かを社会の中に生かしていきたい。
じゃないと、ただただ硬直していくだけなんじゃないかって考える、
若い人たちたくさんいるんじゃないかと思うんですよね。
だから古臭いじゃなくて、古臭いのが新しいっていうかね、
なんかそっちの方向に転換していったほうがいいんじゃないかなっていう気がしているわけです。
だから、この門広子衆議院議員みたいな人が現れるからこそ、
そうじゃないんだっていうことを、
何かね、社会の中でただただ泥試合で腐し合うだけじゃなくて、
待って待って、衆議院議員ってどういう存在だったっけっていうことを、
みんなで話せるような場が必要だし、
そういうのが多分公共ホールのなすべき姿なんじゃないかな、
みたいな感じがするわけですよ。
なんかすごく抽象的なことになってしまったわけですけれども。
草で言えばね、もう一つ思い出すことがあって、
草ってなんか引っかかるなと思ったときに、
埼玉県人はね、そこら辺の草でも食わせておけってね、
いうのありましたよね。
急に話飛びますけれども、
飛んで埼玉ですよ。
私もともと埼玉県人ですから、
もう飛んで埼玉はもうね、
もうすごくね、自分のことのようにね、
いた気持ちっていうかね、
いじめられ気持ちみたいなところがあるんですけど、
埼玉県人はそこら辺の草でも食わせておけってね、
すごいっていうセリフあったじゃないですか。
ご覧になってない方はぜひね、
飛んで埼玉を見ていただきたいんですけど、
なんかね、そのときに、
埼玉県の霞ヶ部市ってとこがありますよ。
クレヨンしんちゃんのね、ふるさと。
あとは我々みんな大好き、
劇団保有のね、仲の一言ね。
ゆりえさんがね、霞ヶ部の人ですから、あの人ね。
クレヨンしんちゃんかゆりえさんかっていうね、
あれですけれども。
霞ヶ部市のね、みどりスーパーっていうね、
地域密着型のスーパーでですね、
1:00:01
飛んで埼玉がね、流行ったときにね、
そこら辺の草天丼っていうね、
天丼を出したんですって。
これがね、そこら辺の草、明日場って書いてあって。
明日場の天ぷらが乗っかってるね、大変美味しいね、
天丼の弁当が出たらしいんですけども。
なんかね、これ全然あの、
ただのね、笑い話かなって思ったんですけど、
いや、ちょっと待てと。
なんかね、そういうね、そういうことなんじゃないかと。
どういうことなんてことなんですけども。
何かこう、ただただ笑い物にしてね、
その、ディスったりね、
リスペクトだとか、ディスリスペクトだとかね、
なんか悪口言ったり褒めたりなんかする、
この二言論じゃなくて、ね。
何かこの、弥生することでね、
むしろ盛り上がるみたいな。
弥生すること自体はとてもね、嫌なことですし、
その、なんかね、ただただバカにするだけではね、
何のゲーもないわけですけれども、
あえて言うと、ね。
埼玉県人にはそこら辺の草でも食わせておけ!ってね。
そういうのが流行ったら、
はい、わかりましたって言ってね。
あの、地域密着型のスーパーがね、
はい、そこら辺の草で天丼を作ってみました、みたいなね。
美味しいですよ!なんて言ってね。
そのなんか、ウイットにウイットで対抗するみたいな。
何かそういう在り方ってとってもいいなと思うんですよね。
だから何かこう、
こう皮肉というか、この、
ユーモアというかね、その、
ただガチで、その、
マジレス、マジレスでね、
言い合うんじゃなくて、
ごっこ遊び?
ああ、そうだよ、ごっこ遊びだよ、みたいな。
じゃあごっこ遊びで最強のやつ見せてやるよ、みたいなね。
実際そういう風に、
最強のごっこ遊び見せてやんよって書いた、
あの大きな、
縦看板を持ってね、
デモに参加した人いたらしいですけども、
そういうことなんじゃないかなとも思うんですよね。
ただただ、
なんだこれ、
バカにしてんのかっていうことじゃなくて、
少し何か、
そこ論点を、
売られた喧嘩を綺麗に買っていくみたいな、
面白く買っていくみたいなね、
そういうこの在り方っていうのもね、
結構大事なのではと思うんですよね。
で、そういうことを一番、
表現できるのは、やっぱり演劇なんだろうな、
っていう風に思うんですよね。
つまりは、
1:03:01
言ってそのものなわけですけども、
そこら辺の草でも食わせておけ、
はいわかりました、
そこら辺の草で天丼作ってみました、っていうので、
とても演劇的だなっていう風に思うんですよね。
その言葉尻をね、掴んでね、
実際それをやっちゃうみたいな。
ああいいっすよ、そこら辺の草でおいしいもの作ってやりますよ、
みたいなね。
それと同じように、ごっこ遊びだろって言われたら、
よしごっこ遊びです、つって。
いいごっこ遊び見せてあげますよ、つってね。
なんかそういう風に対抗していくみたいな、
そういうこうなんかね、
ユーモアの精神みたいなのって、
とってもこうなんか、
文化芸術の最たるものというかね、
一番こう文化芸術の中で培われる、
何かこう教養の部分なんじゃないかなという風に思うんですよね。
そこがとてもこう大事だし、
そのそういうものを地域の中でというか、
自分たちの中、
地域社会の中で、
一番こう学べるというか、
触れられるのが文化施設であり、
やっぱり公共ホールなんだろうなという風に思うんですよね。
ただただ二言論的にね、
そんなこと言う奴はバカだとかね、
そんなこと言ってる奴はもう、
この地域にいなくていいんだとかね、
なんかその排除排除で、
排除対排除みたいな、
分断対分断みたいな、
殴り合いみたいなことじゃなく、
何かこうね、面白おかしく
そこを返していくやり方って、
とってもこうなんか、
芸術が、
芸術的センスというかね、
文化芸術の積み上げが
何か必要というかね、
うまく言えないけども、
何かそういうことなんじゃないかなという風に思うんですよね。
なのでちょっと話が、
大変散漫になってきましたけれども、
草の根っていうのだって、
多分何か、
一般市民の
良さというかね、
一般市民だからこそできること、
こそが草の根だし、
何かこうただ、
四角四面でやるんじゃなく、
何か遊びながらっていうかね、
うまく言えないけど、
1:06:00
何かそういう感じが求められている
気もするわけですよね。
そういうバックグラウンドを、
教養を
寛容するためには、
じゃあ一流のごっこ遊び見せてやんよ
っていうことに転換できる
発想を身につけるためには、
やっぱり演劇が一番いいし、
舞台芸術が一番いいんじゃないか
という風に思うんですよね。
そこら辺の草で
天丼作ってみましたっていう
あり方ってね、
何かすごく救われるというかね、
あとは一流のごっこ遊び見せてやんよ
っていうのともね、
何かすごく救われるというか、
何かそういうのって大事な気がするんだよな
と思います。
でね、ちょっとこの先に進みたいわけですけども、
ちょっとね、一旦ここでね、
CMを入れますよ。これ嬉しいから
もう一回新しいCM流してますよ。
もう一回新しいCM流します。
一旦CM。
また、市内には日本最大の
銀杏の生産地としても有名な
そぶえ地域があり、
喫茶店のモーニング文化の源流でもある地域。
自然の恵みと心の豊かさ、
人が輝く文化創造都市を掲げる
稲沢市に、今年で
創立30周年を迎える
稲沢演劇館紹介があります。
良い演劇を多くの人たちと、
館員一人一人の手で
年6回の霊会を主催。
前の霊会よりも館員の数を増やして、
劇団創造団体を迎える
全霊会クリアを重ねるために、
常に事務局には活気があふれています。
楽しく、そして力強く、
人と人との繋がりで
演劇の灯火を守り続ける
稲沢演劇館紹介にぜひご入会ください。
稲沢演劇館紹介
町田演劇館紹介は、
1984年2月に身近な町田市民ホールで
演劇を定期的に見て
日々の生活の中に心の潤いを持とう
1:09:00
という趣旨の下、18名で準備会が発足しました。
身の回りの人や各種団体に
会の趣旨を本気よく伝え、
少しずつ賛同者を増やし、
同年11月に知人会創出スケッチブック
会員数560名、
1985年1月には文学座マリウス
会員数700名の両講演を成功させました。
そして、
1985年3月には会員数999名となり、
創立霊会として
劇団青年座ドンゾコを
2ステージで上演し、
同月の創立総会を経て正式に
町田演劇館紹介が発足しました。
2016年2月には法人格を取得し、
NPO法人町田演劇館紹介として
活動を行っています。
演劇を地元で見続けたいという会員の思いが会を支え、
40年以上にわたり多様なジャンルの作品と出会い、
感動を簡易相互で共有しています。
また、若い世代に舞台芸術の魅力を知るきっかけを届け、
将来の歓劇文化を支える仲間が
増えていくことを願っています。
その取り組みとして、
高校生、大学生、専門学生などを無料で招待し、
若い世代が気軽に芝居に触れ合える環境を
整えています。
町田演劇館紹介です。
なかなか我ながら出来がいいですよ。
ありがとうございます。
このCM嬉しいので、
今日2回ずつ流してしまいましたが、
今までのCMだって
かなり思い出がありますから、
後でまた流させていただきたいと
思うんですけれども、
大事なのはですね、
草の根ということが、
まず一つ目は、
古めかしいことだからこそ、
これから新しいというかね、
発想の転換が必要で、
古いからこそ新しい。
今まで全然そういう文化が
なくなってきてしまっているからこそ、
逆にこれからの社会の中では
とても新しく感じることなんじゃないか。
やっぱりこの社会の中には、
草の根的なあり方がないと、
もうただただ頭からね、
トップダウンでね、
言われることだけをただやって
搾取されていくっていうだけになっちゃうから、
やっぱり大事だしね。
そういうふうに社会とか政治とかね、
1:12:03
そういうものと関わっていいんだっていうことがね、
やっぱりないとダメなんだと思うし、
そこは大事だと思うんですよね。
しかもこれからあまりにもね、
古めかしくなりすぎてしまったからこそ、
逆に新しいって思わないと、
本当になくなっていくし、
古いから流行らないからもういいんだよっていうんじゃなくてね、
だからこそ必要なんだってね、
思いたいなというふうに思うのと、
実はね、草の根的なことで言えばですね、
もう一つね、
視点がありまして、
実は先週話した、
清瀬のね、
市長さんも、
これが元々打ち破ったね、
前市長さんの、
渋谷市長さんっていうのは、
これがね、元々自民党なわけですけども、
清瀬のね、
清瀬市の初代ね、
清瀬というところが、
市になって初めて市長さんになった、
市長さんが渋谷さんっていうそうなんですよね。
だからね、
初代市長さんの、
これはお孫さんの市長さんだったと、
これ50歳、
50歳だよね確かね、
49歳だ、50歳ぐらいの人がずっと、
何期か市長さんをやっていて、
同い年ぐらいの、
原田博美さんという、
共産党のね、
市長さんがそれを打ち破って、
新たな市長さんになったと。
同じようにですね、これで思い出すのが、
さっきの門博美さんの話じゃないですけども、
杉並区のね、杉並区長さんね、
これもね、
いわゆる、
保守系じゃない人ね、
革新系の人、
最近の世間一般でいうところの、
リベラルな人なんですよ。
で、この、
岸本区長さんと言いますけれども、
この岸本区長さんが、
本当に近差でね、
170だか180だかの
表差で、ギリギリで
区長さんになったのの一部始終を、
ドキュメンタリー映画にしてですね、
まるがつばつにち、区長になる女というね、
映画になっておりまして、
で、この映画の監督をやられたのが、
1:15:01
ペヤンヌマキさんっていうね、
面白い名前の方なんです。この方ね、
ちょっとあんまりこう、あれですけどもね、
大きな声で言うとなんか、え?って言われる方
いるかもしれないので、あんまりね、あれですけども、
アダルトビデオの監督さんなんですよ。
で、そのアダルトビデオの監督さんの
そもそものルーツが演劇だそうなんですよね。
で、その
ペヤンヌマキさんというのが
アダルトビデオも撮っているし、
そもそも演劇がやりたいって言ってね、
生活のためにそういうことをやっていてね。
で、自分の
ブス界っていうね、
また、このね、この方の
ペヤンヌマキさんのね、
ワードのチョイスね、
面白いなと本当に思うんですけども、
私好きなんですけどもね、
ブス界っていうね、
演劇のユニットを持ってまして、
でね、ブス界のね、
公演も私2回ほど、確かに2回だな、
見たことがございますよ。
まあこのね、
通列なというかね、
男性優位な社会を
すごくこうね、
通列に批判するというかね、
面白おかしくそして通列に批判する
とってもいいお芝居をね、
作る方なんですよね。で、その方が
やっぱり杉並区に住んでいて、
で、自分が好きなね、
よくお散歩する場所が
新しいね、その、
幹線道路をね、通そうという
話が実は昔から持ち上がってるらしくて、
で、このセコイヤの、
綺麗なセコイヤの木が切られたり、
その川がね、埋められたり
してしまうということが分かって、
どうしてもそれに対して声を上げたいというか、
反対の気持ちを
どうにかして表したいと思っていたら、
ちょうど区長選が
そこでね、始まるから、
その再開発というか、
その道路のね、
その工事をやめますよ
っていう工法を
ドキュメンタリー映画で追っていくよということから、
本当に近差で、その
岸本区長さんが区長になる、
その一部始終を追っていく、
大変面白い映画なんですけれども、
その映画の中でも出てくるんですが、
これね、難しいよ。
難しいこと言うよ、今から。
1:18:02
えっとですね、
発音すら難しいんだよな、これな。
うまく言えるかな。
ミュニシパリズム。
もう一回言うよ。
ミュニシパリズム
っていうことをね、
この岸本区長さんは言うんですよ。
は?って思いますよね。もう一回言うよ。
ミュニシパリズム。
これどういうことかっていうと、
地域主権主義
っていうことらしいんですよ。
ミュニシパリズム。
このミュニシパリズム
ってどういう言葉かというと、
ミュニシパリティ
ミュニシパリティ
ミュニシパリティっていうのはね、
地方自治体のことらしいんですよ。
ミュニシパリティ。
このミュニシパリティが
主体となって、だから
地方自治体が主体となって、
で、しかもその地方自治体の中に
おけるこの地域住民が
主体的に、地域の
合意形成に参加して、それを
重視する
民主主義の考え方や取り組みのことを
ミュニシパリズムとこういうわけなんです。
つまり、もうね、
ざっくり言うとですよ、地方から
中央を揺らせっていうことなんですよ。
で、そのミュニシパリズムを
訴えた
岸本、
岸本って言うとかよこが出てきちゃうんだよね。
どうしても岸本って言うとかよこになっちゃう。
もうね、皆さん言っときますけど、
岸本ってかよこが出てくるのはね、
もう本当に
あれですよ、少数派ですからね、今ね。
杉並。
岸本里子区長。
178票差で
なった。
今年もまた人気満了というかね、
また区長選があるんですよね。
今度ね、
この岸本里子区長さん、
また区長さんになれるかどうか、
瀬戸際にまた入っていくわけですけれども、
2期目に向けてね、
いろいろとまた始めているみたいですけれども、
1:21:03
岸本里子さんが
区長さんになる前に
大学で研究されていたのが
ミュニシパリズムだそうなんですよ。
バルセロナとかね、
いろんな国際的な
学問を収められていて、
ミュニシパリズムということを
とても分かりやすい言葉で
訴えかけて、それで近差で
区長さんになっていくという
区長になる女、
○月×日区長になる女には
描かれているわけですけれども、
そういうふうに今までのような
2世議員とか、
それからこの地域の領主さん、
もともとお殿様の家の
とかね、接種生でとかね、
なんかそういう
地盤、看板
なんだっけ?
カバン。
地盤と看板とカバンだよね。
カバンは確かお金だよね。
地盤は地盤だよね。
看板は名前だよね。
そういう旧来の封建的な
地方自治じゃなくて、
もっと
地域住民にとって
他人ごとではない、自分ごとの
この問題から
地域の問題に対して
主体的に参加して、
それで合意形成をしながら
民主主義、新しい公共をね、
作り出していき、そして
中央からただ言われたことを
ただね、受け入れて
住民の自治を
再構築して、それで
地域を良くしていくことで
国を良くしていこうというね。
そういう考え方、ミュニシパリズムね。
だんだん言い慣れてきてるから。
何回も何回も言えばどんどん
自分のものになっていくから、こういうのはね。
なので、しつこめに言いますけどね。
ミュニシパリズムね。
ミュニシパリズムっていうね。
地域から中央を揺らせっていうね。
こういう考え方が実はとても今ね、
みんなから注目を集めてるわけですよね。
だから本当はね、
こんなのだって考えようによっては
とっても古い考え方ですよね。
中央集権型じゃなくて
地方分散型で、そもそもだってこの
1:24:00
日本というのは明治よりも前は
それぞれの地域にそれぞれの領主がいて、
それでその領主がね、
ちょっとでも変なことをやったら
一揆だって言ってね。
領主と一般市民たちで対決してね。
それで地方自治を行うとかね。
山城の国一揆だとかね。
いろんな一揆があったじゃないですか。
それと同じようにとかね。
あとはほら逆にCMでも流してますけど、
山形県の庄内平野の
鶴岡ってところはとてもね、
鶴岡で庄内藩でね、
いい政治をやってくれたから、
いろんな
製片があって
配置替えになりそうなところを
もう一回あの人、
坂井氏に治めてもらいたいって言って、
わざわざ一般市民が幕府に直訴したっていうね、
こともあったそうなんですけれども、
そういうような形で地域の中で
自分たちの問題を
合意形成をして、
それで民主主義的に解決していくっていうね。
これはかなり古いやり方だけれども、
実は今求められてるのはそこなんじゃないかっていう風にね、
訴えかけて、
それで区長さんになったっていう人もいるわけですよね。
で、先週話した
清瀬のね、
原田区長さんだって、
市長さんだって、
とても天下国家を
訴えかけるんじゃなくて、
今清瀬氏に
起こっている図書館の問題を
とにかくどうにかしたいんだっていうことを
訴えかけることによって、やっぱり近差で
市長さんになれてるわけですから、
とても遠い、
政治の世界がとても遠いんじゃなくて、
今自分が住んでいるこの地域で
起こっていることを
民主的に解決することによって、
一つの民主主義を達成していく、
やっていくっていうようなことって、
実はとても大事。
そこからまた新たな
民主的な
社会みたいなものが作れやしないだろうか
っていう風にね、思うとね、
とてもワクワクするというか、
今までのなんとなくの中央集権の考え方じゃなく、
今生きている地域の中で
その民主主義に参加していくことが
とても実は大事、みたいなところから
もう一回この分断された社会を
もう一回形成していくっていうね、
1:27:02
そういうのってとても大事だし、
やっぱりね、もうここまで言うとね、
もうそだよなって言うと思うんですけども、
ここでもやっぱり大事なのは、
地域における分解説なんですよね。
やっぱりそこに返ってくる。
ミニシュパリズムの
定義をね、ちゃんとこれね、
東京新聞のね、
2023年10月21日付けの
用語解説の記事に載ってたので、
これちょっと読み上げますけども、
地域主権主義、ミニシュパリズムとは、
ミニシュパリズムとは、
住民が主体的に
地域の合意形成に
参加することを重視する
民主主義の考え方や取り組みだと、
格差や貧困、分断を
社会にもたらした新自由主義から
決別し、住民生活を
守るために自治体レベルの
選挙で首長や
議員を当選させ、
具体的に政治を
動かすことを目指すと。
だからもうなんか、新自由主義
的な感じを
住民生活を守るっていうことを
最大の
イシューとして
自治体レベルで社会を変えていく
っていうことなんですよね。
自治体同士の連携も重視する。
そして地方自治体を意味する
英語、ミニシュパリティが
語源だというふうに書いてありました。
その通りですよね。
ここ大事なのはですね、
地域社会を形成するために
身近な問題を一つの
争点として新自由主義から
決別していくってことも大事だけれども
それとともに近隣の
自治体同士の連携が
大事ってことになるわけですよね。
つまり自分の地域だけ
新自由主義から決別しても、国全体は
新自由主義的なことなので
いつかまた波に飲まれてしまうわけだから
そうじゃなくて
近隣の地域の中で
一つまた一つって連携しながら
変わっていくモデル
変化するモデリングってことになるわけ
だと思うんですよ。
実は今日ね
ちょっと煽ってしまいましたけれども
Twitterのね
1:30:00
今日の草の根
っていうことを発表
というかね、告知するポストの中で
大事な話がありますってね
書いてしまったと思うんですけれども
実はなんでここまで
宮沢が最近
公共ホールとか文化施設とか
地域だとかね
手岡へ品岡へ行ってきたかっていうとですね
いよいよ私ですね
ちょっとね、生活がね
変化しようとしております。で
まだね、本決まりになってないので
具体的なことは一切言えないんですけれども
この6月あたりからですね
私は長野県の方のね
長野方面にある
あるね、公共ホールに
ほぼほぼ単身赴任のような形で
通うことになりそうです。初めは
単身赴任かなってなったんですけれども
いろんなこの予算的なね、あれこれがあって
結局単身赴任にはならなかったんですけれども
でも週の半分以上はですね
そこの地域の文化施設に行ってですね
で、具体的なことをいろいろやるっていうね
お仕事を拝命いたしましたのでですね
この夏からですね
私は半分長野県人になりそうなんです
これが大事な話です
そう、だからね
その
公共ホールとか
地域における文化施設とか
公共ホールね、それから
その地域社会から
日本が変化していく、変わっていくみたいなね
ことってとっても可能性を
感じるし、むしろそこからじゃないと
もう中央を変えることは
できないような気がするっているんですね
今ね。なぜかっていうと
じゃあ例えば
憲法改正だとかね
それから戦争反対だとか
武器輸出に賛成反対だとかっていう
本当はね、国のあり方として
とっても大事なことなのに
なんかね、自分のことじゃないようにね
すぐにされちゃうんですよね
で、その最多のものが
武器をね
人殺しの道具をね
日本で作って、それを海外に売るんだと
それが知らない間に
閣議決定で決まったとね
それに対してデモをね
3万人も集めるようなデモをね
1:33:00
やったとてね
国会議員から揶揄されるっていうね
そういう世の中なんですよね、今ね
だからいくら
中央で人たちが
集まって、もちろん大事ですよ
たくさんの人たちが集まって
そんなものあり得ないんだ、反対だ
やるのも大事
ごっこ遊びもね
一流のごっこ遊び見せてやるのも大事
大事なんだけれども
それだけではね
権力を持ちすぎてしまってるから
自民党がね、どうもね
自分の生活と直結してないかのように
感じさせられてしまう
それでもやっぱり
政治と無縁ではいられないはずだし
政治参加をするっていうことの
一番のリアリティを持つのは
むしろ自分が住んでいる地域で
起こっている具体的なこと
例えば自分が
出身校が
子供が少なくなっていって廃校になりそうだと
じゃあその廃校になった時の
土地をどういう風に使えばいいのっていうことの方が
とてもなんかね、自分に近しいはずですよね
だって自分が通った学校だからね
小学校とか中学校とか高校とかね
で、そういうことから
そういうね、みんなが大事にしていた
高校とか学校の敷地なんだから
タワーマンションにするのは
もったいないよねってね、もっとこう
みんなのために使おうよみたいなことっていうのは
とてもリアリティがあると思うんですよね
だから国のことも本当はリアリティを持って
参加しなきゃいけないんだけども
それよりも、じゃあ例えば子供食堂
こんなにあるけども、この地域で
なんで子供がこんなに飢えてるんだろうとかね
なんか周りの、同じ県の
周りのことにとっては
とてもね、他の地域に比べて自分の
住んでる地域はすごく若い人が
自殺するよねって、なんでなんだろうとかね
自分の地域の中で起こっている
具体的なことに対して
新自由主義から脱却を目指して
参加型の民主主義を
施行していく、つまりは
ミニシパリズムなわけですけども
そこから何か糸口があるんじゃないか
そのためには文化施設が必要で
文化施設を
大切にするためにはって
一つの循環が宮沢の中で生まれてるんですよね
だから卵が先か
ニワトリが先かじゃないですけども
1:36:00
地域の公共ホールのお仕事を
するからこそ逆に地域が大切になった
わけじゃなくて、そもそも地域から
日本がね、少し
真っ当な方向に行くんじゃないか、それは
丸月末日、九朝になる女
っていう映画を見てからなんですけれども
こういうところから日本って多分変わっていけるんだろうな
と思ってた矢先に
自分も
公共ホールのお仕事が
できるようになって
そもそも自分は地域的な
六本木地域の中での
俳優座劇場っていうあり方がね
とても専門的な
演劇特化型の
劇場だったもんだから
みんなが大事にしていた劇場のはずなのに
なくなってしまったっていうことも
一つすごく自分の中に影響していると思うんですけれども
もっと
地域で、自分の地域の中に
大事な劇場があるんだとしたら
じゃあ地域でそれをどういう風に大切にしていけるんだろうか
みたいなことをやっぱり考えていかなければいけないし
それってもしかしたら
ミニシパリズムに通ずることなんじゃないかっていう風に
今は思っているわけでございます
なので大切な話というのはですね
私ちょっと東京を留守にしますっていうね
ことなわけですね
またはっきり決まったところで
お知らせしたいという風に思いますし
この配信もですね
その状況の中で
また続けていければなという風に思っております
だから今日は長野県におります
なんてね
多分言うことが増えると思いますけれども
よろしくお願いいたします
田中ハヤトさんありがとうございます
ヘビーボンドですね
コメントありがとうございます
草の根っていうけれど
この前の選挙である程度認知された
マル政党は
始まりは草の根活動からで大きくなった
政治の世界においては
運動や活動が将来的に支援
協力するに足るものなのか
見極めが必要
何がこの
マル政党って
日本を舐めるなってことですかね
わかんないけど
実は
これもまた面白いっちゃあれだけども
1:39:00
小泉純一郎
それから安倍晋三
そして
岸田元総理だとか
あとはもちろん高市総理もそうだけども
日本会議っていうのがありますよね
この日本会議に関しては
詳しくは
名前が出てこないんだよな
主戦状っていう
ドキュメンタリー映画がありまして
この主戦状を見ると
いかに日本会議が日本の中で広がっていったか
みたいなのがすごく
表されているわけですけども
ミキ・デザキという監督だったかな
主戦状っていう映画も
すごくお勧めではあるのですが
あの日本会議というのも
実は
草の根運動から始まったという風に
描かれていたんですよね
つまり戦後民主主義というのが
当たり前になっていって
どっちかというと
日本全体が少し左利き
右利きの人もいたけども
ちょっと左利きが強いというか
もうだってそれは当たり前ですよね
戦後すぐに
みんなが戦争に対して
もうあんなこと二度とごめんだよって思っている
リアリティを持って戦争を
反対できる人たちが
社会を形成していたわけですから
もうあんなことはごめんね
もう右でも左でもいいから
とにかく戦争はだめなんだと
あんなこと絶対に起こってはならないんだ
リアリティを持っていた人たちが
社会を作っていたから
みんなが基本的には
左利きというか
天皇陛下なんかも
統合の象徴としては大事かもしれませんが
でも
旧日本軍のような
デザイン性だとか
話の進め方だとか
そういうのをやめた方がいいよ
ということを強く思っていた人たちが
主流だったわけですよね
徐々に
戦後民主主義が当たり前になっていて
民主主義ということを言う方が
権力側になっていってしまい
日本特有の何か
独特の歴史の
進め方というか
民主主義に対する距離感みたいなものが
徐々に徐々に
1:42:01
戦後第一世代から
ずれてきているというか
一般の人たちの心の中にある
民主主義というものが
徐々に薄まっていっている
ことが多分あるんだと思います
戦争に対してリアリティを持って
あんなものはもう二度とごめんだ
って言えなくなっていってしまう
社会ってあると思うんですよね
そういう流れの中で
日本会議というのはやっぱり
同じようにもう左利きの人たちと
同じようにビラ配りから始めて
各地での集会や何かを
地味に一人一人
人から人に
日本っていうのは神の国だと
やっていったんだというわけですよ
草の根運動で
日本会議は大きくなっていったんだ
というふうに言うわけですよ
だからこそ怖い
その
戦後民主主義が
薄くなっていく中で
いやそうじゃないと
日本は世界一の国なんだと
みんなで靖国神社に
公式参拝しなきゃいけない
英霊の人たちの
犠牲があってこの国っていうのは
美しい国を保っていられるんだみたいな
うえってなるけど
そういうのを
一人また一人って
草の根で広げていったんですって
日本会議っていうのは
同じなんですよね
考えが違うだけで
真っ向から宮沢を否定したいわけですけど
そういう広がり方をしていったのだからこそ
強いし
やっぱりそういうのに
そうじゃないよっていうためには
やっぱり草の根運動が必要
同じことの繰り返しだと思うんですよね
田中ハイトさんが言うように
草の根っていうのは別に
左利きの人たちばかりじゃなくて
右利きの人たちだって草の根運動やってきてるし
じゃあその草の根運動の先に何があったんだろう
ってことは意識的に見ていないと
これ大変なことになるし
今草の根だって言ってて
この人たちが
じゃあ結局
中央に権力を持った時に
この人たち本当に大丈夫なのかってことを
常に見ていないとこれは危ないよなって
もう本当その通りだと思います
コメントありがとうございます
1:45:03
だからね
今日はあっち行ったりこっち行ったりしながら
なかなか
真っ直ぐな話が
今日はできてないなって思うんですけど
カドヒロコ衆議院議員の
デモを啓示する発言から
草の根って大事だよね
じゃあ草の根ってどういうことだったっけって言ったら
やっぱり
地域の中で
本当は草の根を広げることによって
今の自民党のやり方っていうのを
徐々に徐々に薄めていって
国民が大切にされるような
政治に変えていかなければいけないんだけれども
今のところ
そうにはなってないし
なかなかオセロが
一気にバッとね
黒がバッと白になるみたいに
一気に変えることっていうのは多分難しいからこそ
地味だけども一人一人で
草の根を広げていくかのように
変えていかなければいけない
変えていくためには全然
自分から遠い政治のことを言うんじゃなくて
身近な問題
今自分が生きている地域を
どういうふうに変えていくのかということから
一歩ずつ
広げていくっていうやり方もあるよね
っていうことがミニシパリズムだよねってことになってきたわけですよ
これってとっても大事なことだし
宮沢がね
個人的にですけども
全然知らない地域に入っていって
全然知らない人たちといろんな話を
重ねていく中で
公共ホールってこうあるべきだよねみたいなことを
話していくお仕事になったわけなので
じゃあ地域ってどういうふうな力学があるんだろうとかね
よそ者だからこそ
この地域にとってこれが大事で
これが皆さん気づいてないんだけど
これがあなた方のアイデンティティになりますよってことだって
多分言えるんだろうし
そういう宮沢の
新しい人生の
大げさだな宮沢
仕事だからねあれなんだけど
でも新しいステージに進みつつありますよ
っていうことを皆さんにお伝えしたかったのとともに
そこからまた何か
新しい
やり方というか
芝居の作り方だとかね
文化事業のあり方というのもね
少し発想できるんじゃないかな
というふうに今は思っております
1:48:01
でねちょっと話がずれますけども
最後にもうねほらほら今日はね
いい感じだよ時間的にはね
そろそろ話のまとめに入っていきたいわけですけれども
あのね
ちょっとまたこう
遠回りして言うようなことになるけど
ちょっと待って一旦
CM入れようかな
じゃあ一旦CM
名古屋演劇館紹介は
1954年に
名古屋を演劇文化都市にしよう
という思いから誕生しました
以来72年
名古屋の地で
数多くの舞台を見続けてきました
私たちは
親しみを込めて名演と呼んでいます
今社会は目まぐるしく変化しています
スマートフォン一つで
映画も音楽も楽しめ
情報あふれ人と直接会わなくても暮らせる時代です
便利になった一方で
誰かと同じ空間で
同じ時間を過ごす体験は
ますます貴重なものになっています
演劇はその数少ない場の一つです
同じ客席で息遣いを感じながら
笑い考え
心を揺さぶられる
そして終演後に感想を語り合う
その時間はデジタルでは
決して変わりがききません
名演は長い歴史を持つ鑑賞会ですが
完成された組織ではありません
これからも参加する一人一人と
共に作っていく場です
演劇をきっかけに世代を超えて語り合い
社会のことも身近な悩みも
安心して話せる
そんな大切な公共の場を
育てていきたいと考えています
共に芝居を見て語り合い
より豊かな毎日を送りませんか
ただいま会員募集中です
はい
自分はね
今日の話そろそろねまとめたいなという風に思うんですけれども
あのね
ちょっとね
ミニシュパリズムから少し離れたところから
またね
結局地域には文化ホール文化施設が必要だよね
1:51:00
ってところにね
着地したいわけですけれども
あのね
美しきものの伝説ってありますよね
もう皆さんあの演劇ファンならね
誰もがね一度は見たことがあるもしくは
読んだことがある聞いたことがあるね
と思いますね宮本健というね
戦後版のね
劇作家の中でも巨人ですよね
もうね演劇好きなら
誰しもがね一度は憧れる
一度はやってみたいね
見てみたいね
いろんなカンパニーねいろんな劇団が
この
なかなか難しい曲なんですけどもね
挑むねしかも超大型作品なので
一つの劇団でやるのはなかなか難しいから
例えば劇団
の合同公演みたいなのでねよく
取り上げられますよね
一番最近で言えば
新劇なんだっけ
東映の横川さんがプロデューサーの
新劇交流プロジェクトってのがありましたね
それで美しきものの伝説
やりましたこれね俳優座劇場でやったと思いますけどもね
あの公演もなかなかね
良かったなって思いますけれども
あとは龍山寺事務所がやっぱり
ほぼ同時期に美しきものをやりました
あとは
私がとても覚えてるのが文学座がね
西川信弘さん演出で
やっぱりあれね
2010年くらいじゃなかったかな
キノクニアホールで美しきものの伝説やりました
それも見ましたし
あとはその前がねシスカンパニーだったかな
牧野望美さんが演出で
やっぱり美しきものの伝説
あれもやっぱりキノクニアだったかな
やりましたね
あれも良かった
最後ユーミンのね
春夜恋が流れてね
びっくりしましたけどね
やっぱりこう塚光平の系譜だななんてね
思いましたけれども
あの芝居っていうのは新劇のラインナップの中でも
ちょっと特別感があるね
オペラ的な要素があるし
やっぱり最後は歌ってバーっと大団円じゃないけど
あれ大団円って言えないかもしれないけども
でもあの
大正デモクラシー
時代をね
より軍蔵劇で描く
とても優れた作品ですけれども
1:54:00
そこのね決め台詞があるんですよ
黒ポトキンっていうね
難しい名前の
あれは大杉栄のね
を表してるんですけども
黒ポトキンこと大杉栄がね
いう台詞でですね
えーとね
これ
これって言われても悪い
広場の真ん中に花で飾った
一本の杭を立てなさいと
そこに民衆を集めなさい
ねっていうセリフがあります
これね違う違う違うじゃなくて
花で飾った一本の杭を立てよう
そこに民衆を集めよう
そしたらそれが祭りになる
幸福で自由な民衆には
劇の必要はない必要なのは祭りだ
そのための劇そのための仕事
っていうのがね
美しきものの伝説の決め台詞なんですよね
ここをどういう風に言うかによってね
結構かっこよさが決まるっていうかね
今まで黒ポトキンやってた人たちの
言い方ほぼほぼ覚えてますけど
みんなかっこよかった
ここはやっぱりね
新劇でも
主役を演じる人
いるじゃないですか
この人に言ってほしいなみたいなね
決め台詞の一つなわけですけど
そのための劇そのための仕事
みたいなのを
さも思いをね
込めてね
すごいグワッとした
グワッとしたテンションでね
そのための劇そのための仕事
なんていうか
それともスッとね
スッと言うね
そのための劇そのための仕事
いろんなやり方がありますけれども
私役者じゃないのでうまくここでね
演じることはできないですが
なんぽさんならなんぽさんなりのとかね
やり方がありますよ
この花で飾った一本の杭を立てよう
そこに民衆を集めよう
そしたらそれが祭りになる
幸福で自由な民衆には劇の必要はない
必要なのは祭りだ
そのための劇そのための仕事
これすっげえかっこいい決め台詞なんですけども
意味がなかなか難しいんです
これがね
1:57:01
これ難しいじゃないですか
花で飾った一本の杭を立てよう
そこに民衆を集めよう
そしたらそれが祭りになる
幸福で自由な民衆には
劇の必要はない
必要なのは祭りだ
そのための劇そのための仕事
言うじゃないですか
これが大杉栄が言うわけですよね
しかもこの大杉栄というのは
伊藤如恵とともにですね
この先ですね
アマカスに虐殺されるっていうね
喜劇的な未来が待ってるわけですよね
そこまでは演じられないんですけれども
それはブルーストッキングの女っていうね
別の作品ではそこが
描かれるわけですけども
その
ね
その一番のクライマックスのところで
このセリフを言うわけですよね
劇の必要はないって言うんですよね最後に
え?ってなるじゃないですか
美しきものの伝説っていうのは
いろんなね
思想家運動家ね
それから文学者も出てくるし学者も出てくる
それから売文者っていうね
新聞記者やなんかも出てくるね
あの当時を必死で生きた
いろんな芸術家
表現者たちが
いろんなことを思いながら
この社会に対してどういう風に
これから軍国主義に進んでいくこの世の中に
どういう風に抗っていったのかみたいな
青春群像劇なわけですからね
熱いドラマなわけですよね
そこの最後にですね
民衆に劇の必要はない
祭りだ
必要なのは祭りだ
そのための劇そのための仕事
いうわけですよ
これねかっこいいなって思いながら
意味がよくわからんっていうのも実は正直なところだったんですよ
かっこいいなって思うんだけども
どういう意味っていうのはちょっとあったんですね
これね劇場に生きる私としてはですね
劇場論なんじゃないかと思ってたんですね
劇場というのは建物のことじゃなくて
人々が集まってね
だからもうほらあの頃あれあれ
ピーター・ブルックのね何もない空間と
同じこと言ってるのかなと思ったんですよ
つまりは劇場というのは建物のことじゃなくて
人間のことなんだとね
2:00:03
ブルックのほら何もない空間というのは
何もない空間で
男が一人横斬り
男じゃない人が一人横斬り
何もない空間でね
それを見つめる観客がいると
それだけで演劇というのは成立するんだとね
何にも飾ってない幕もなければね
舞台セットも何にもないところに
役者が一人こうやって横斬るのを
みんなで見てるっていうだけで演劇は成立するんだ
っていうことが何もない空間だと
こういうことなんですよね
だから演劇の一番の原点というのは
何にもなくていいんだと空間はね
ただそこに人がいて
演じる人と見る人がいればそこで成立するんだ
っていうのが何もない空間の考え方なわけです
ピーター・ブルックが言った考え方で
これはみんな60年代後半から70年代前半の
演劇キッズたちはまあ痺れたわけですよね
何もない空間かっけーってなったわけですよ
でそれが一つのこの
テント芝居とかね
それからアングラ演劇のバイブルになったわけですよ
だから今ちょうど60代後半から
70代前半のかつて
もっと上か
75、6かな
かつて前教徒世代ね
それでテント芝居だって言ってた人たちの
まあ一つのバイブルなわけですけども
それと同じことを言ってたと思ってたんですよ
つまり花で飾った一本の杭を広場に建てて
そこに人を集めればそこが一つの何か
お芝居の場になる
劇の場になるね
だから大げさなそういう
大がらんのような建物はいらなくて
花で飾った一本の杭さえあれば
そこが演劇の場になるんだっていうようなことを
言ってんのかと思ってたんですよ
でもねこのセリフの最後の方を見ると
そうじゃないんですよ
花で飾った一本の杭を建てよう
そこに民衆を集めよう
そしたらそれが劇になるじゃなくて
祭りになるって言ってるんですよね
幸福で自由な民衆には
劇の必要はない
え?ってなるわけですよ
劇場じゃないのそれってね
劇の必要ないって言ってるんだから
なんでなんでってなるじゃないですか
劇場という建物箱物のことじゃなくて
広場に建つ花で飾られた一本の杭さえあれば
そこに人が集まればそこが劇場になるんだってね
宮沢解釈してたんですけど
劇の必要はない
2:03:01
祭りなんだって言ってるっていうね
これどういうことなんだろうなって思ったんですよ
これ大学じゃないや
俳優座劇場入って
すぐぐらいだから
20代後半の宮沢ね
何なんだろうなと思って
じゃあこのセリフは
どこからね
大杉栄の言葉なのかなと思ったんですよね
宮本健が描く黒ぽと金っていうのは
大杉栄のことだよって言うんだったら
じゃあ大杉栄の本の中に
多分そういうセリフが出てくんじゃないかなと思って
調べたわけですけども
やっぱりあるんですよね
大杉栄が実際に書いた本じゃなくて
ロマン・ロランっていうね
文学者ですよがいるんですけども
ロマン・ロランという人が書いた
民衆芸術論っていう難しい本があるんですけども
それを大杉栄がですね
翻訳した
その翻訳した本が残ってると
そのロマン・ロランの書いた
民衆芸術論の中に
この言葉が出てくるというところまでわかったわけです
なのでじゃあよしよしと思って
民衆芸術論買いました宮沢ね
それでまあ難しい分厚い本でね
箱に入っててかっこいいんだけどね
こうやって読んでいくと
出てきたって言ってそれで花で飾った一本の杭を立てような
セリフが出てくるんですよ
でもねここで注意しなきゃいけないのは
実はロマン・ロランが
民衆芸術論の中で
ロマン・ロランが
考えを書いたんじゃなくて
引用だったの
だから宮本健が
ロマン・ロランの引用をしたんじゃなくて
もっと元があったんですよ
これ何かっていうと
ルソー
ジャック・ルソー
社会契約論で
おなじみのルソー
あの人が書いた言葉だったんですよ
だからルソーの言葉をロマン・ロランが
引用してその引用した
ロマン・ロランの本を大杉栄が
翻訳したのを
宮本健が引用してるんですよね
だから引用の引用だったわけですよね
元々は何かっていうと
ルソーが書いた
2:06:08
これ何だっけ
手紙があるんですよね
これほら
ジャン・ジャック・ルソー
フランスの思想家で
18世紀の人なんですけども
演劇について
ダランベールへの手紙という
演劇についてダランベールへの手紙という本があるんですけど
このダランベールへの手紙
これ今でも
今はもう絶版になっちゃってるけど
でも安くで買えるんです
古い岩波文庫に
収録されている演劇について
ダランベールへの手紙という本がありまして
これどういう本かっていうと
ダランベールさんというスイスの
小さなジュネーブ
スイスのジュネーブの都市に
劇場を作ろうということになったんだと
そのジュネーブに住む
ダランベールさんという
親国人さんに
ルソーがやめとけやめとけ
劇場やめとけやめとけ
作るのやめとけ
っていう内容を書いた
手紙が
本に残ってるっていう話なんですよ
この演劇について
ダランベールへの手紙っていうのが残ってるから
ジャン・ジャック・ルソーっていうのは
演劇嫌いだって言って
話が残ってるくらい
ジュネーブに
劇場作るのやめときな
っていう手紙が
世界的に残っていて
演劇嫌いだって言われてるんですが
その手紙の中に
さっきロマン・ロランが
さらに引用した
広場の真ん中に花で飾った一本の杭を立てなさいと
そこに民衆を集めなさい
そうすれば楽しいことが見られるのです
もっと素晴らしいことをしなさい
監修を見せることにするのです
彼ら自身を登場人物にするのです
みんなが顔を寄せ合って
お互いに他の人たちを愛し
全ての人が一層強く結ばれるようにするのです
っていう言葉が
あったんだと
ジャン・ジャック・ルソーのダランベールの手紙の中に
2:09:01
それをロマン・ロランが
民衆芸術論の中で引用して
それを大杉作愛が翻訳して
日本に持ってきて
それを宮本健が引いて
美しきものの伝説に書いたわけです
もともとルソーの言葉なんです
ルソーは劇場が大嫌い
演劇が大嫌いと言われている人なんだけど
でもルソーは
大嫌いながら
技曲を書いたりしているの
嫌いじゃないじゃん
ちょっとやってよとか言って
お友達にその技曲を上演してもらったりしているの
演劇嫌いでも何でもないじゃん
なるわけですよね
なんで演劇嫌いって思われているかというと
このダランベールに対して
書いた
広場に花で飾った
一本の杭を立てなさい
の話っていうのは
ここが一番大事なんだけど
ジュネーブに作ろうとしていた劇場っていうのは
中毒性のある
娯楽としての劇場
つまりお金、工業
要するに推し勝つ
市民に対して
開かれている劇場を作ろうというのではなくて
お芝居のための劇場
みたいな
娯楽としての劇場を作ろうとしているんだったら
それはいらないよ
そんなものを作る余裕があるんだったら
広場に一本の杭を立てて
そこに人を集めましょうよと
つまり劇場じゃなくて
今ジュネーブに必要なのは広場だよ
というふうに言った
これがさも劇場を否定しているみたいな
ふうに伝わっているけども
ルソーが言っているのはそういうことじゃなくて
中毒性のある劇場より
そんなものを作るんだったら
広場を作ろうよって言っただけなわけですよね
ジャン・ジャック・ルソー自体が
芝居好きで
本を書くくらい芝居好きなのにもかかわらず
今中毒性のある娯楽としての劇場はいらない
って言ったわけですよ
ここがめちゃくちゃ大事なんですよね
じゃあその広場って何かって言ったら
さっきのルソーのね
元々の言葉にあるのは
2:12:06
広場の真ん中に
花で飾った一本の杭を立てなさい
そこに民衆を集めなさい
ここまでは同じですよね
黒ぽときのね
花で飾った一本の杭を立てよう
そこに民衆を集めよう
そしたらそれが祭りになるね
広場の真ん中に花で飾った一本の杭を立てなさい
そこに民衆を集めなさい
までは一緒ですよ
そうすれば楽しいことが見られるのです
もっと素晴らしいことをしなさい
これはつまり劇場を立てるんじゃなくて
広場の真ん中に花で飾った一本の杭を立てなさい
っていう意味ですよね
広場の真ん中に花で飾った一本の杭を立てなさい
そこに民衆を集めなさい
まではいいんだけど
観衆を見せることにするのです
ここが大事
ロマン・ロランも
ロマン・ロランはそのまま書いてたんだけど
大杉坂井もそれを翻訳してたんだけど
宮本健さんはそこはね
セリフにしなかったんですよね
そこを威厄して祭りって言ったんですけど
本当は
ルソーが言ってたのは
観衆を見せ物にする
集まった人たちが
集まっていること自体を見ようよと
これ難しいですけども
それお互いをね
それぞれ登場人物にしようよというか
つまりこの
集まった人同士で
演じたりそれを見たり
それが逆になったりするような
参加してる人たちが
表現者になったり
観衆側に回ったり
お互いがお互いを見合おうよと
それが先に続けますけども
観衆を見せることにするのです
彼ら自身を
登場人物にするのですと
みんなが顔を寄せ合って
お互いに他の人たちを愛し
全ての人が一層強く結ばれるように
するのですと言ったんですよね
だから
限られた人たちが
限られた
芸術的な文脈の中で
楽しんでいる
限られた至高品としての演劇なんて
今はいらないよと
それよりも
それを作るんだったら広場を作って
2:15:01
そこに人を集めて
それぞれ好きなことを表現し合おうよと
それをお互い見合おうよ
今ジュネーブという都市に必要なのは
そういう場なんだよと
いうふうに
ジャン・ジャック・ルソーは言ったんですよね
これね
ルソーの時代から何も変わってないなと思ったんですよ
これね
つまりは公共ホールですよ
広場としての公共施設
文化施設というのは
つまり花で飾った
一本の杭が立っている広場なんですよ
これが大事
そして今は
ルソーの時代から何も変わってない
指定管理者制度で
にぎわい創出で
いろいろ言って
その採算が取れるように
東京とか
中央都市から
一流のアーティストを呼んで
催し物をやって
人がわーって来てね
良かったね
いっぱいお金集まったね
アーティストは別の地域に回っていって
次にチャンネルを変えると
また違う演劇の
催し物の次は
クラシックの人が集まる
また次のチャンネルを変えると
超人気者の
落語家が来て
面白かったね
3次元のテレビかのように
次から次に
人が集まるような人たちを呼んで
切り替えていく
消費して
娯楽として楽しんで
良かったね
終わりという繰り返しでは
そこに集まれる人
チケットを買える余裕のある人
はそれでいいかもしれないけど
本当にそれが地域に必要な
劇場なのかと
言われると
ちょっと?が残りますよね
確かに一流のアーティスト
世界的に見ても
とてもみんなから愛されている人を
地域の劇場に呼ぶことは
とても大事なことかもしれない
それはそれで大事かもしれない
でもみんなの地域の
2:18:02
お金を集めて
そこに一つの文化施設を作る
ということはどういうことかというと
三次元のテレビだけではないよね
つまりジャンジャック・ルソーが言うところの
花で飾った一本の杭を立てて
そこにみんなを集めて
お互いを強く結びつけられるように
お互いの表現を
見合おうよ
そして強く結ばれるような
何かをやろうよ
みんなが顔を見せ合って
お互いに他の人たちを愛し
全ての人が一層強く結ばれるようにしようよ
というのは三次元のテレビじゃできないよね
ということなわけですよ
何にも変わってない ここから
ということなんですよね
今日の草の根の話に
無理やりつなげますけれども
ミニシュパリズム
地域の中で自分がリアリティを持って
新自由主義を乗り越えていくためには
広場が必要なんだと思うんです
この文化施設が
収益をうぬんかぬんと言って
三次元のテレビみたいに
次から次に人気者を呼んで
見てね
8000円から1万円しますよね
地域の中でもその時間
経済的
裏付けのある人は
中毒的に楽しめるでしょう
でも全然関係ない人は
全然関係ないまま
その地域にいるわけですよね
そういう人たちにとっては
好きな人が
好きなものを見てるだけのホールに
なんで自分の税金が
投入されなきゃいけないの
私見に行ったことないよ
世界的に有名な
なんとかさんが来たらしいけど
私別に興味ないから
みたいなことで終わってしまうわけですよね
好きな人たちにとっては中毒性がある
大事な劇場かもしれないけど
地域にとっては何の意味もない
みたいなことなりかねんのですよ
そういうことをやり続けるんだったら
ダンベール君と広場に飾った
広場の真ん中に花で飾った
一本の杭を立てなさい
そこに民衆を集めなさいと
そこがリアリティを伝わってくるわけですよ
2:21:00
草の根の運動というのと
それから
何かこう
みんなで広場で集まって
それぞれの表現を見合ったり
強く結び付け合ったりすること
とても
同一線上にあるような気がしていて
公共ホールの運営に関して
とても深くこれから関わっていく身としては
ここをやっぱり大事にしていかなきゃいけないし
だからこそ
地域から
本当の意味で日本を変えていくためには
文化施設のあり方も
やっぱり今までのあり方では
あり続けられないよねっていうね
感じがしているわけでございます
ちょっとうまくまとまらなかったですけれども
そんなような気がしておりますので
もし
この
うちの公共ホールのあり方っていうのは
いい感じだよとか
3次元のテレビのまんまなんだよなとか
いろんなあり方が
今あると思いますので
そこはぜひ宮沢に教えていただきたいなという風に
思います
結局今日も2時間20分
あんま変わらない
おかしいな
ニュースからの本題っていうので
多分2時間で終わるなと思ってたけど
終わらなかったな結局ね
すみませんでした長くなって失礼いたしました
というわけで
今日もそろそろ終わりでございます
草の根の運動
そして広場に花で飾った
一本の杭を立てることを
もしかしたらこれが今一番求められていることなのかもしれない
というのが今日現在の結論ですが
異論反論賛成反対いつでも
お待ちしております
そして人間とは思って話し合って考えて忘れて
また思う生き物劇場とくっつく
劇場にくっつける劇場でくっつく
これからも社会と劇場をくっつける
ボンドの時間を続けます
芸術法人シアターボンドのラジオ
お相手は法人代表の宮沢でございました
また次の配信でお目にかかります
それではおやすみなさい
2:24:01
この番組は鶴岡市民劇場
藤枝市民劇場
一般社団法人名古屋演劇館紹介
NPO法人町田演劇館紹介
稲沢演劇館紹介
加藤圭一事務所
東京演劇アンサムの提供で
お送りいたしました
ありがとうございました