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No.13 「対話と会話」のはなし
2026-03-10 55:01

No.13 「対話と会話」のはなし

演劇界隈で「対話と会話」と言ったらやっぱり、平田オリザ氏の「現代口語演劇」です。
やっぱり「対話と会話」の考え方は大切。
西洋演劇の直輸入でも、
近代的な概念をドラマとして知るという文脈では、いまでも「新劇的なアプローチ」は有効かも知れない。
という話から

対話=dialog(ダイアログ)
会話=conversation(カンバセイション)

そもそもの語源から考えて、やっぱり対話って難しいけれどめっちゃ大切!というところに至るはなしです。

#平田オリザ #対話 #会話
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00:04
対話と会話の話でございますけれども。
あのね、演劇、ね。演劇と…
演劇…
何笑ってんだってことですけども。
演劇界隈ね、あえて言いますけども。
演劇界隈で対話と会話と聞いたらですよ。
ね。
謎かけじゃないですけど、演劇でこの対話と会話と解く、その心は、みたいなね。
そういうもうね、お約束があるんですけれども。
対話と会話っていうね、このテーマ設定そのものがですね、イコールでですね。
平田織座とこう来るわけなんですよ。
これね、決め事っつうかね。
一番の平田織座さんの大事なネタなんですよ。
ネタ?ネタっていうのはまるで、あのね、なんです。
これね、現代交互演劇というね、コンセプトというか概念というかね。
そういうものを平田織座さんは立ち上げたというか、自分で考えて。
それでご自身の劇団であるところの青年団という劇団でですね。
現代交互演劇をやるなって言ってね。
それでそれが人気が出てですよ。
で、今や大学の学長さんにまでおなりになっているというね。
もう有識者ですよね。
日本の知識人の一人ですよ。
NHKのコメンテーターとかね。
あとは、これあれですよ。
民主党政権時代ですよ。
内閣じゃないや。内閣官房参与っていうね。
超偉い参議院まで上り詰めるくらい。
演劇界を代表するこの文化人。
みんな大好きでしょ。
その人の著作ね。
いろんな著作、名著がございますよ。
芸術立国論というのもありましたね。
あれはなかなか衝撃的な本でございましたけれども。
あれが発端となって、文化芸術基本法みたいなところにつながったり、
劇場音楽堂の法律が制定されるきっかけになったようなね。
芸術は芸術のためだけにあるんじゃなくて、みたいなね。
社会にもっと開かれているべきなんだとかね。
あらゆる福祉とか教育とか、それから観光とかね。
そういうものに文化芸術の力をより活かしてね。
やっていかないとこの先未来は、演劇の未来はないんだ、みたいなところを誰よりも早く示された、表された一人ですよね。
03:10
演劇の、ざっくりとした現代演劇の流れで言えば、
これはもう宮沢が大学1年生の時に何度も何度も熟読した、
現代演劇の、熟読したわりにはタイトルを覚えないんだよな。
千田昭彦さんっていうね、朝日新聞の演劇記者で、もうお亡くなりになりましたけども、
千田昭彦、現代演劇の流れじゃなかったかな、違ったっけ、千田昭彦。
はい、千田昭彦さんの名著でですね、
違う違う違う、日本の現代演劇だ。
日本の現代演劇っていうね、岩波新書から出てるね、
まあまあ新聞記者さんが、一応演劇評論家ってなってますけども、
基本的には新聞記者さんの文章なので、
変年帯でですね、進撃以降のですね、進撃がどのように現代演劇に派生していったかというようなテーマ設定ですよね。
だって進撃だって現代演劇なんですよ、本当はね。
でもでもでもでも、進撃からいろんな人たちが羽ばたいてね、派生してって、
で、アンダーグラウンド演劇ってこうなってね、
それでアンダーグラウンド演劇から衝撃上運動ってこうなってって、
で、この衝撃上運動の人たちから、またその後輩たちが衝撃上ブームなんつってね、
で、バブルの時代、衝撃上ブームなんつって、
で、90年代後半から平田織山ね、
それから宮沢昭雄、岩松涼、
いうような感じで静かな演劇なんつってね、
こういうふうにこう移り変わってきてるんだぜっていうのを書いた歴史書みたいなね、
大変読みやすくね、もう外側からそれをね、
国名に取材して、で、その人たち自身が語った言葉を引用しながら、
こういうふうに日本の現代演劇っていうのは流れてるんですよってことを書いた、
まあ教科書みたいなね、本がありますよ。
で、まあまあまあ、それが本当はどうだったかとかね、
そういう見方をしてるから云々とかね、
なんかそれはね、そっから先にまたあればね、
考えがあればどんどんどんどん刷新していけばいいんですけど、
06:02
ある一定の時期までは、この進撃があって、で、進撃したれて、
アングラ演劇になって、で、学生運動と一緒になってこうやって盛り上がって、
アバンギャルドンな感じのものになって、で、こうやって衝撃状ブームになって、
それで静かな演劇になってったんだみたいな、
このざっくりした流れはみんなが共有してた時期があったわけでございます。
一つの歴史観ですよね。千田史観みたいなね。
今から言えばですよ、その当時はね、
なるほどこういう流れだったんだってことしかないわけですけども、
今から考えればそういう大きな大掴みな物語になっているわけでございますよ。
なんかね、宮沢のこのね、奥歯に物が詰まったような言い方してるのは、
宮沢の今の考えではそうではないと思ってるんですよ。
ちょっとこれは一応ね、そういうことで多分コンセプトとしてやってきてはいたんだろうけど、
よくよく考えてみるとそうでもなくないって思ってるからね、
はっきりと肯定はしてないわけですけども、それはまた別の議論としてあるわけですけども、
まあまあその流れとして進撃から分派していったというか、
進撃を否定していった勢力がみたいな、こういうふうに広がっていったよみたいな歴史書があります。
で、その最後に出てくるのがニューヒーローとしての平田織座さんだったということで、
その平田織座さんが何を考えてたかというと、さっき言った社会と演劇の広がりのこととかね、
それから進撃がやってきたのは近代、近代演劇を近代交互演劇であると。
で、自分がやってるのは現代交互演劇なんだというような概念付けでやってきたと。
で、端的に何がね、進撃と自分は違うのかといえばときて、
ようやく対話と会話って話になったと。
で、それまでのこの進撃、いわゆる進撃っていうジャンルとしての、運動としての進撃じゃないですよ。
ジャンルとしての芸術表現としての進撃というのは何をやってきたかというと、
西洋演劇の直輸入であると。
だからまあロシアのチェーホフのね、
どういうふうに日本人が演じればいいのかみたいな直輸入してそれを自分のものにしようとした歴史があるんだが、
あまりにもそれは我々が日常的に話している言葉遣いとはかけ離れていると。
09:06
で、一番ね、それで象徴的にね、
繰り返し繰り返しこの話をね、いろんな著作でね、平田織沢さんは言うんですけれども、
鞘を立てろ問題。
これね、平田織沢さんの著作見ればね、絶対に出てくる話なので、
もうね、みんなが知ってる話なので、あえて言わなくていいかもしれない。
一応言いますけれども、その鞘を立てろっていう例文があったとして、
今までのこの演劇の、演劇のというか進撃の教科書で言えば、その鞘を立てろと3つに分けられるんだとね。
で、あのでもこのでもなくて、そのを強調したいんだったら、そのにアクセントを入れる。
だから、その鞘を立てろ。
で、鞘じゃなくて、鞘の部分を立てたい。
ほうきでも棒でもなくて、鞘を立てたい場合は、その鞘を立てろ。
鞘を大きく言えと。
で、寝かせるんじゃなくて立てろを意識したい場合は、その鞘を立てろ。
立てろの部分にアクセントを入れる。これが日本のそのセリフ術なんだと。
まあまあこういうふうに言ってるわけだが、しかし、
日本の現代口語では、その鞘を立てろを言いたいときは、どこにアクセントを入れるかじゃなくて、
立てて立てて、その鞘立ててってね、何度も言うよって言うわけです。
立てろを強調したいときは、その鞘を立てろって言うんじゃなくて、立てて、ちょっと立て立て立て、それ立てて、その鞘を立ててってね。
何度も言うし、鞘鞘鞘、立てる鞘鞘、鞘を立てて鞘をってね。鞘を強調してるときは、それを何度も言うでしょうと。
ことほど鞘に、20世紀初頭に日本における近代演劇が出てきた、
言うときは、西洋の表現である、強調したいところにアクセントを入れるみたいな、そういうやり方でセリフ術を構築してきてるけれども、
根本的に待ちごとると。なので、自分はもっと現代口語に近しい演劇を作りたいんだとこう来るわけですよ。
それで進撃がやってきたのは、西洋近代演劇の模倣であると。
12:04
でも本当に自分たちのものにするんだったら、もっと違うアプローチがあるはずだよねって言って、
例えば対話と会話っていう考え方がありますよねという、こういう論士になってるわけです。
これはね、一方ではね、とても理にかなってると思います。私は。
ただし、じゃあ、現代口語演劇なるものがね、全ての現代演劇を変えられるのかというか、
今までジャンルとしての進撃が培ってきたセリフ術というものを保護にして、
これからは現代口語演劇なんだと言って、それを学ばなくなってしまうのはもったいないというふうに思うわけでございます。
だって、歴史で繋がってるわけだから、みんながいろんなアプローチで、いろいろと知見をストックしているわけなので、
それを学んだ上で、現代口語演劇に入るならいいけど、現代口語演劇だけしか学ばないっていうのは、これはね、なんか片手落ちな感じがするんですよね。
今までこういうセリフ術があるから、現代口語演劇はこういうふうに発展してたんだよっていうのであれば、
全部学ぶのが一番いいじゃないですか。
だからその竿を立てろのね、竿を立てろのやり方と、竿竿竿のやり方、両方できたほうがいいじゃないですか。
それは何か、どちらかを取ってどちらかを否定するみたいな考え方ではなくて、やっぱり西洋の演劇の中には日本の社会では形作れなかったような概念ももちろんあるわけですし、
なんならこの我々の社会においてのいわゆる看護と言われるものは、みんな西洋から渡ってきているものとか、自由とか社会とか財産とか民主的とかね、
そういう二次熟語、三次熟語になっているものって大体外来の概念なので、それを何かドラマによって描くためにはやっぱり西洋の考え方を取り入れた上で、それを演劇にする以外方法がないものですから、
それはそれでできたほうがいいはずだし、きっと平田織座さんもそれは否定するわけではなく、もっと違うアプローチがあるよねって言ってやっている。
平田織座さんもかなり長いこと世間に出ている方なので、若い頃に書いた演劇書は結構尖ってるんですよ。
15:10
おー尖ってるなーっていうね。演劇の言葉っていう著作がありますけど、あれに書いてある進撃に対するディスはね、なかなか聞きますよ。尖ってるな織座っていうね。
若がき織座さんもいれば、最近のね、まあまあまあっていう、なんか丸くなった織座さんの感じもなかなかいいですよ。だからまあ一つの作品の流れとしてね、平田織座さんの著作も読んでいただくと、
あ、なるほどそうかっていうふうにね、思われることがたくさん書いてありますので、私としてはお勧めしたいわけでございますけれども。じゃあその本題の対話と会話、これ何が違うかというところでございます。で平田織座さんが言うには、
日本人は対話というものがとても苦手であるというわけでございます。なぜそれが苦手なのかっていうと、会話っていうのはもう同一ね。
とにかくもうさっきのコロナの話じゃないですけど、同調圧力強めで、みんながね、同じその価値観のざっくりね、ぴったり一緒じゃないにしても、島国文化というかね。
あれって言えばあれだし、これっちゃこれだしみたいなね。主語とか目的語とかも全部省略してもね、会話が成立するぐらい、もう同じものしか見てないね。
まああの今回のさ、この前の選挙ね、あれどうだと思うんだよ僕はなんて言って、いやいやいやいや彼女もなかなか頑張ってるよなんて言っただけでもう成立してるわけじゃない話がね。
で誰が何をどう思っているかっていうのはっきり言わなくても会話が成立している社会なので、いちいちですね、私はとか言わない。
ただ対話になると全くね、その立っている場所が違うというか価値観が違う人たちとのこの、なんていうかな、この話し合いなので、これははっきり言わなきゃいけない。
私は高市総理のやり方に対して、これこれこういうふうに思っております。いえ、私はそうは思いません。なぜならば、みたいなね。
結構ね、より抽象化した上でですね、立場をはっきりした話し方をしなければ、彼女だって頑張ってると思うよ僕はなんて言ってもね、通じない。全然ね、なんでみたいなね。
18:12
どこがみたいなね。頑張ってるって何みたいなね。頑張っているとは日本では頑張るというのは、これこれこういうことを頑張ると言っているのですが、
その伝で言えば彼女は頑張っていると定義することができますみたいな。もうだから日本人からするともうイライラしてしまいます。
何だかわかってんだこの野郎みたいな。皆まで言うなこの野郎みたいなね。そういう感じね。
なので、ただし、西洋近代演劇の中には、やっぱりもともとが西洋語なわけですから、対話で書かれているところが多いと。
だからこそ対話で書かれているところを日本の先ほどクソの竿を立てろじゃないですけども、日本のセリフ術で何とかリアリティを担保しよう。
リアルな表現にしようとして、いつもは使わないような対話の会話文も、対話文も日本の表現で言おうとするから無理が生じているというわけですよ。
そもそも対話なんてあんまりしないのに、さもしているかのようにやるから何かこの無理が生じてやしないかみたいなね。そんなようなことなんですって言うんですよ。
まあそうかなーっていう。でもだってやっぱりそれは、じゃあ西洋のやつやらないほうがいいってことではないでしょうってことにもなるしね。
じゃあなんで宮沢が今回対話と会話っていうのをね、今日のテーマに持ってきたかっていうとなんですけども、先週のね、人々の声はなかなか届かないっていう話を先週はしたんですけれども、
これなんでかっていうと、直接民主主義と間接民主主義の話をちょっとしたじゃないですか。そんな話したんだっけっていう人は先週のやつもちょっと聞いていただきたいんですけども。
えーと、自分の住んでるところに大きな道路が通りますよーってね。急に行政から言われて、いやいやいやいや困るよと。だってあそこには長年みんなが大切にしている森があるんだから、森を切り開いてまで作らなきゃいけない道路じゃないでしょあれはと。
いやいやいやごめんなさいもうそれはね決まったことなんですってね。えーってなるみたいな。いやいやいや待ってって言ってんだから待ってよみたいな。人々が、その周辺の住民が待ってくれと、やらないでくれって言ったとてですね。
21:10
もうその意思決定を、政府、当局、首長さん、市長さん、町長さん、村長さん、県知事さんなどなどを中心として、その行政をする人たちにお任せしちゃっている以上は、もうその人々の声っていうのはなかなか届きづらいよねと。
で、地方行政のやり方としてリコールするとかね、署名運動をして住民投票に持ち込んでみたいな、そういうやり方はあるにせよ、基本的にはなかなかそれが実現されることはない。難しい。だからこそあの辺野古の基地の問題があるよねみたいなそんな話だったんですけれども。
なんでってなるわけですよ。だって悲しんでる人がいるのに、困るって本当に言ってる人がいるのに、もっと経済効果が生んぬんとかね、この地域の未来のことを考えたらかんぬんとか言ってね、その人たちには泣いてもらうみたいな、そういうことをやるんですよね。
特に自民党の人たちっていうのはそういうのをやりがちですよね。
その時にやっぱり、それであっても、庶民である我々が手にしなければいけないのは対話力だったと思うんですよね。
つまりさっき言ったように、高市さんもさ、頑張ってると思うよ、みたいな。そうかね、みたいな。その会話の部分で終始するんじゃなくて、粛々とですね、いや、それは私はそうは思いません。なぜなら。
だって周辺の住民の人たちがこういうふうに言っています。で、法律によれば、この地域の何%の人たちの署名と、そして投票率の何%を確保できれば、これは法律上を、それをひっくり返すことができるんです。
だからこそ皆さん、一度対話をしましょう、というふうにしていかないと、もうただ選挙でポンって多数決で決まった人たちの言いなりにしかならない社会構造になっているわけですよね。
24:01
だからこそね、やっぱり対話の力を育てていかないと、これはもう取り返しつかないところまで来てるんじゃないの、というところでございます。
だから、今まさにもう一回見つめ直したいのが、会話ではなく対話、ダイアログの力をもう一回つけようよっていうね、そういう話なんですよね。
じゃあその対話を身につける、対話というものはどういうものかというものを味わうためには、目の当たりにするためには、やっぱり演劇の力が一番有効な感じがするんですよ。
さっきの平田織さんの話に戻りますけども、現代交互演劇の会話の部分はわかったと、リアリティなのはわかったと、いいの、もうそれわかったからいいの。むしろ我々は対話を見たいの。
もう一回ね、その竿を立てろの方に一回戻ってもいい気がするのよ、という感じがするんです。
竿、竿、竿、竿、うん、ほうきじゃない、竿、竿、竿、竿やって、じゃなくて、竿ね、っていうような感じじゃなくてね、その竿を立ててっていうね、そっち側の近代交互演劇の方に戻ってもよくないかみたいな、そっちのドラマもちゃんと見ようよっていうね、そういう話なんでございますよ。
でね、じゃあそもそも対話と会話っていうこと、じゃあ宮沢なりに対話と会話って何っていうことをね、平田織さんのその引用をね、よりこう自分のものにするためにね、自分なりにこう考えてきたものがちょっとありますので、お話ししたいと思ったところで中山さんがいらっしゃいました。
お、中山さんお待ちしておりました。
はい、じゃあ道中をお気をつけて。
はい、NLT中山豊さんでした。
ありがとうございました。
はい、じゃあ12時を回りましたので、ここで配信終了と言いたいところなんですが、本題の話がまだ終わってないので、今日はちょっともう少しだけ配信を続けさせていただきたいと思います。
もう12時回ってますので、スイッチが切れてる方は本当に遠慮なくもうね、あとは後日の録音でっていう形にしていただいて結構ですので、無理なさらぬようにお願いいたします。
というわけでここで一旦CM。
27:00
はい、というわけで今日は東京演劇アンサンブルのCM3パターン全部流させていただきました。
本当はね、これね、大田先輩からかなり早い段階でお話をいただいていて、原稿をいただいて、速攻でですね、7パターンも作っちゃって。
なんかね、作ってる間にこう、あのなんていうの、CM配っていうの、なんかわかんない、あの、アナウンサー配っていうのかな、わかんないけどなんかいっぱい作りたくなっちゃって。
7個、提出したのは7個なんですけど、本当は12個ぐらい作って、ちょっとさすがに12個もいきなり、これの中から2、3個選んでくださいっていうことで送るつもりでいろいろ作ってて、12個はさすがに低いだろうと思って。
で、7個に絞って、で、そっから3本にね、3パターンに絞って、で、今日ね、東京演劇アンサンブルスペシャルということで流させていただきました。
毎回毎回告知しておりますけれども、こういった形でですね、芸術法人シアターボンドではCMを募集しております。
えーと、原稿をね、送ってくださっても結構ですし、ご自分たちでね、みんなで読んだ、あのその音声ファイルをね、そのまま送ってくださったってもいいですし、アナウンスだけ取って、音楽は宮沢ちょっとなんかいいの選んでよっていうのでもいいですし、
もうあのチャットGPTみたいにですね、これ、この言葉、この言葉、この言葉でちょっとやってって言ったら、宮沢GPT、宮沢チャッピー、あ、チャッピー宮沢、わかんないけど、あの私がテキストにさせていただきですね、それをCMとして作らせていただきますのでですね、ぜひともですね、CMの出稿お待ちしております。
これね、あのCMの出稿料、1本頭10円です。
特に宮沢に対してはですね、10円以上いろいろ奢ってるよっていう人はもういいです、それも10円もいりません、もうね。
無償でやらせていただきますが。
ただなんでこんなCM、CMって言うかというとですね、もちろんあのCMをやってる最中に宮沢がお茶を飲んだりね、チョコボールを食べたりしたいっていうねこともありますけれども、もうね、あの宮沢とそれから各劇団ね、各演劇館紹介の直接の関わり合いっていうのがね、本当にもうね、
亡くなりかけてますよね。だって演劇の仕事じゃないんですからね。まあ劇場を作る仕事ではありますけれども、演劇に取った仕事ではないので、何かそういうやりとり繋がりみたいなものを維持するためにはどういうやり方があるのかなって考えたときに、
30:12
CMのやりとりしながらなんかね、いろいろ話し合えたらいいかなみたいな、そういうね狙いももちろんあるにはあったのでございます。なのでね、今までこの芸術当時シアターボンドのラジオは、
鶴岡市民劇場さん、それから藤枝市民劇場さん、
そして名古屋演劇館紹介さん、あと加藤圭一事務所さん、そして東京演劇アンサンブルさんと、
お話をいただき、そしてやりとりをさせていただき、CMを作らせていただきましたけれども、この先もね、いっぱい募集しております。
しかも藤枝市民劇場のCMに関してはね、冷戒のモンテンルーパーのCMだったものですけど、もう今ね、流せないんでございます。もう冷戒終わっちゃってるからね。
まあ改めてね、新しいCM作ろうって言ってますけれども、そんな流れでもありますし、あともう一団体ね、
お話いただいてまして、これね、今宮沢GPTがなかなかうまくね、作動しなくてですね、
原稿作れておりませんが、これもう作ってすぐにね、作り次第もうすぐにCMにできますからですね。
もう一団体、実はお話をいただいております。こういった形でね、もうお遊びとしてですね、何か一緒にやりませんかっていうことでございますので、ぜひお声掛けをお願いいたします。
全職の職場の規定でですね、宮沢からはですね、特に演劇鑑賞会の皆さん、宮沢からは連絡できないことになっております。
そういう仕組みなんでございますので、演劇鑑賞会側から宮沢に連絡をするのであれば、それは個人的なつながりとしていいんですけれども、
私からアプローチすること、特に営業のような形でアプローチすることができないことになっておりますので、そこら辺も含みおきいただければと思います。
それからですね、お話に出ましたので、ついでのような形で申し訳ないんですけど、一つね、ご紹介したいことがあります。
というのは、先ほど申し上げてまして、藤枝市民劇場でずっとシアターボンドを応援してくださっているフニートさん。
フニートさんね、今ね、面白いことやってるんですよ。これがね、今回ちょっとね、忘れないように紹介したくて置いておいたものがあるんですけども、
フニートさんね、このシアターボンドのCMの原稿を書く前にですね、取り組まれていることがあって、
フニートさんね、一生懸命ブログを書かれていらっしゃって、ブログの中でですね、シアターボンドの感想文やなんかもね、たくさん書いてくださっているんですけれども、
33:09
そのブログの中でですね、高校演劇を応援しようよっていう記事が載っておりまして、どういうふうな形で応援するかと申しますと、
今ね、高校ではですね、競合校においては、部員さんたちが活発に活動されている演劇部もあるらしいんですけれども、
どんどんどんどんね、人数が減っている傾向にあると、特に静岡県内の藤枝市を中心とする高校に関しては、演劇部がある方が珍しいような状況になっており、これは有識事態だということで、フニートさんが立ち上がってですね、
ぜひ、県内の藤枝地域の高校の演劇部の顧問の先生やなんかとお話しする機会があるそうなので、そのつながりでですね、高校の演劇部を応援したいということがございますと。
ぜひそれに賛同していただきたいということで、どういうふうに応援するかというと、募金活動とかそういうことではなくて、メッセージを送ってほしいと。
A6、A4の紙を1回折って2回折ったサイズですね。だから、はがき台かな、のサイズに、ぜひ演劇部に入ってねとか、私は演劇部だったんだけど楽しかったんだよとか。
親友生たち、これから学校の部活に入ろうとしている人たちにアピールするために、A6の集まったメッセージをメッセージボードに作り替えてとか、メッセージボードにして、
それで掲示できるような形にして、それで高校に掲示したいというふうに考えてらっしゃるそうです。
ぜひそこのメッセージボードに貼るためのメッセージを募集しておりますということで、とにかく一度、詳細はフニートさんのほうにご連絡ください。
シアターボンドのアカウントをフォローされているので、フォロワーの中から見つけてくださっても結構ですし、あとはね、今それを探してるんですけども。
今私がシアターボンドのアカウントのところにピン留めをしている、今日の配信の告知のポストのところのコメント欄にですね、フニートさんがコメントを寄せてくださっていて、そこから詳細が飛べるようになっております。
36:18
新CMを動かす前に個人でこういうのを始めたのですが、もしよろしければよろしくお願いします。
次のポストのことで、これキャンペーンのタイトルは、高校演劇部にメッセージボードを送ろう組合。
地域の高校演劇の小物先生のうち4人がたまたま今市民劇場の会員でたまに話すことがあるんですが、どこも部員の確保に苦労されているようですと。
それでメッセージボードを一緒に作りましょうと。
高校演劇部の部活見学に来た新1年生に入部を勧めるメッセージを書いてくださいと。
新2年生、新3年生を応援するメッセージでもか、できれば手書きでお名前とあれば肩書きも書いてください。
A6のサイズで16枚並べてA3のサイズにして繋げますと。
編集をやってもいいという方、超募集、東宝それっぽいスキルの無さに尽き。
送り先は当ブログのコメント欄、ツイッターアカウントへお願いしますと。
締め切りは3月の20日までということでございます。
ぜひ、私も高校演劇出身者でございまして、そもそも演劇に出会うきっかけになったのも高校でね。
演劇部に誘われたのがきっかけで、それ以来約30年間ずっと演劇演劇って言い続けてる人間ですから、
これはぜひ協力したいと思って早速メッセージを送らせていただきました。
このシアターボンドをお聞きの皆さん、ちょっと気になるなと思ったら、ぜひフニートさんにご一報いただければと思います。
以上、告知の時間でございました。
じゃあ最後もうね、本題の会話と対話の話まとめていきたいと思いますけれども。
平田織里さんが考える対話と会話ね。
これはですね、先ほど言った通り、価値観を同一にする人たちの間での来やすい言葉のやり取り、これが会話で。
異なる価値観同士の人たちが合意形成を図るのが、これが対話であると。
これが英語で言うと、会話がですね、conversationね。
で、対話がダイアログってね。
英語の世界では明らかにですね、概念が違う2つの話す内容を含めた、全然ありようの違うやり取りのことを言ってるわけですけれども。
39:17
私ね、こっからまたもう1回考えを進めたいと思って。
色々とまたね、語源を調べてまいりました。
私、語源おじさんですから。
まず何か調べるって言ったらね、まず語源を調べるようにしてるんです。
対話、ダイアログってのは何かと言うと、ギリシャ語でですね。
ギリシャ語で、ダイアログというのはですね、dia、diaとlogosが組み合って、dialogosというのがダイアログの語源だそうでございます。
じゃあdiaは何かって言ったら、何々を通してという説答字。
ある語の頭について、そのついた言葉の意味を規定する1つの修飾要素というかね、説答字っていうのがありますけれども。
何々を通してという説答字で、logosっていうのはもうlogosですよ。
言葉、意味、論理ね、logos。
だから、論理を通してっていう意味がね、dialogosにはあるわけでございます。
で、dialogosがダイアログになるってことは、論理、言葉、意味、理性を通して話をすることをダイアログっていうふうに言うわけですね。
で、かたや、会話というのはconversationになるわけですけど、conversationどういう語源を持つかと言いますと、ラテン語でですね、con、c-o-n、conは共にですよね。
comonのconですね。
conで、versationの部分は、バルサリ、バス、バルサリ、わかんない。どうやって発音するのかわかんないけども。
conは共に、バス、バルサリですね。
向きを変えるという意味があるそうです。
共に向きを変えるが転じて、共に過ごす、交際するという意味があるラテン語が語源になっているようです。
conversallyがconversationになっている。
つまり主眼がですね、一緒に向きを変える、一緒に視点を動かすということが、その二人が交際するとか付き合うとかね、そういう意味があるので、そこが主眼になっているわけですね。
42:05
つまりさっき言ったダイアログは、論理を通してっていうディアロゴスが語源になっているのに対し、conversationは共に向きを変える。
共に生活する、共に交際する、みたいなことなので、重視する方向性が違うというのがわかったわけです。
ダイアログはロゴスを通して何かを、論理を通して話し合うということがロゴスに対して、conversationは共に何かをするということは、つまり一緒にやること、conversationは一緒にやることが主眼、目的。
何でもいいんです、だから。別に論理じゃなくてもいいんです。一緒に何か言葉を言えばいいだけの、とっても緩くて、親睦というかね、つながりを作ることが会話の目的、みたいなね。
ことに対して、対話、ダイアログはですね、論理を使って何か先に行こうとするというか、論理を通してこの新たな意味を見つけ出していくとか、新たな解釈を話し合って考えていく、新たな理解を生み出していく、みたいな方向性があるので、
全然実は違う言葉なんですよね。目指していることが違うわけです。だから簡単に言いますと、楽しく時間を過ごすことが目的のconversationと、新しい理解や意味を生み出すのがダイアログなわけですから、そこね、ごっちゃにしちゃいけないわけですよね。
で、さっきの話に戻ると、今まさに必要とされているのは、2人で楽しく時を過ごす、ではないですよね。それよりも、話、論理を重ねることによって、新しい価値観、新しい理解、意味を生み出すことが、今まさに大事なことな気がするわけですよ。
ちょっと込み合った話になってまいりましたが。
なんかね、どうしてもね、低きに流れると言いますけれども、楽しくね、エモーショナルにね、時間を費やす。
めっちゃエモかったわー、高市。
45:00
さなえ、めっちゃエモかったわー、っていうね。
手が流待ちで痛いのに頑張ってたやん、っていうのは、対話じゃないんですよ。
会話ですよね。
カンバセーションですよ。
その、論理で何かをね、こうなんか生み出すというか、語り合っているわけではなくて、楽しくその、さなえをネタにしてね、こう2人、なんかその話者同士で、話している人たち同士で楽しんでるだけ。
であって、それと、論理とは何の関係性もないはずじゃないですか。
いくらね、高市さなえさんという人が、なんかね、ストーリー的にね、エモーショナルにね。
洋服まで、洋服まで準備してたのに、どうしても手が痛くて行けなかったんです、っていうのは、そういうカンバセーションの世界ですよね。
あーそれは大変でしたね、っていう世界ですよ。
でも、総理大臣として、今いて、で、自分が言い出した選挙で、で、また国論を二分するような何かを、総理大臣になったあかつきにはやろうと思ってます、みたいな、そういうことを言っている。
その人本人が、みんなの話し合いの場に臨まなかったっていうのは、やっぱりそれなりのね、責任放棄になるはずなんですよ。
まあ確かに手が痛いのはかわいそう、しょうがない。それで欠席するのはありでしょう。
でもね、あなたが背負っているその責任というか、今まさにあなたが始めた選挙において、その場に行かないというのは、それなりにね、じゃあもう一回手が痛くないときに話しの場を設定しなければいけないというような、
そういう重大なですね、論理的に考えれば重大なことをやってしまっているわけです。つまり会話のレベルでですね、意地悪やなぁとか言ってみたり、なんかその、
今まさにその場の空気を何か左右するみたいなことに終始するだけじゃなくて、この国の何かを二分するとかね、なんかこの論理の世界に踏み込んでおいて、で会話の世界に回収するみたいなね、ことにね、終始してはいけないんです。
だからやっぱり、対話の部分でもう一回ですね、自分たちの考え、そして文化芸術に対する考えだとかね、それからこの国がどっちの方向に向けばいいのかとかね、そういうことをね、みんなで粛々と語り合っていく必要があるやに思っております。
48:21
だからもう一回話を整理しますとですね、会話はもちろん大切ですけれども、やっぱり今必要なのは対話だし、で、じゃあ対話を一番こうね、味わうことができるのは何?って言ったときに音楽でもね、もしかしたらその工芸品でもね、いやもうもっとよしんばその美術の世界でも論理ね、対話というのは
深く味わえるかもしれないけども、やっぱり論理、対話そのものが芸術に昇華されている演劇というものがやっぱり今一番力を持っているんじゃないかとね、それを目の当たりにする場である劇場が一番求められているはずだしね。
論理とそして対話の関係性の中で、この地域で演劇を見続けようと日夜努力されている演劇鑑賞運動の人たちね、もう大事だし、やっぱりその論理対話の中で芸術作品を作っている人たちね、一番やっぱりこれ大事にしていかなきゃいけないんじゃなかろうかという、
そういう話でございました。すいません、ちょっとこんな時間なのにめっちゃ暑くなってしまいました。ご静聴ありがとうございました。
じゃあ今日の対話と会話の話はこういうことでね、ちょっともう少し対話の部分を見直そうよということで幕を閉じたいと思いますけど、来週ですね。
来週の配信はですね、3月の12日の木曜日になるはずですが、すいません、12日はですね、私、キノクニア寄せの日でございます。
月1でキノクニアホールで行われる落語会があるんですけども、そこに通っておりますのでね、偶然木曜日に重なってしまいましたので、12日はお休みとさせていただきます。
で、そうだな、そして11日にしようかな。1日前の水曜日のですね、3月の11日にシアターボンド第14回の配信を行いたいと思います。
51:04
テーマはですね、未定でございます。まだ考えてません。
ちょっとね、この対話と会話のところからね、次どういうふうに展開させていこうかっていうのは、ちょっと話しながら考えようと思ってたんですけど、ちょっと今日はね、対話と会話の話に集中できるような流れじゃなかったので、話しながら、
じゃあ次これにしようがちょっと浮かんでこなかったので、また後日改めて告知させていただきたいと思いますけれども。
まあ対話もね、していこうよっていうことでございますよ。
ただしですね、もう最後に最後にって言って、ちょっと長く伸ばしちゃう悪い癖がありますけれども、とはいえ価値観が違いすぎる人との対話って本当に苦痛ですよね。
演劇館紹介の方々ならよくお分かりになると思いますけれども、根本的に価値観が違いすぎるっていう人とね、との話し合い、一つ何かね、一番最低限の妥協点を探るみたいなね、ゴリゴリの対話ってね、本当に疲れるし、もう絶望的な気持ちになるし、なんでこれがわかってもらえないんだろうとかね。
いやそうじゃなくてって何度言えばわかるんだろうみたいなね、もう本当に精神的にこうリソースをね、使うものでございますよ。
でもね、でもやんなきゃっていうね、この動きをやらなきゃいけないんですよ。まあ逃げてもいいけどね、でもやっぱりやらなきゃいけないことはやらなきゃいけない。
なんかそういうところまで来ちゃってるんじゃないかなっていうね。
まあそんなことでございますよ。
というわけで、シャーターボンドのクロージングもね、ちゃんと考えてますのでね、私ね、徐々に徐々にこうやって流れをね、整備してね、一つの番組として、ちゃんと体制を、体裁を整えたいようにやに考えているんですが、
えーと、一つ抜けてるわけですよね、こうやってね。
えーと、では今日は、えーとね、じゃあこの曲でお別れしましょうかね。
えーと、ちょっと大きいのでちっちゃくして。
はい。
あ、ちょっとすごい。
こんな曲だったっけこれ。
ちょっと予想以上にエモかったのですいません。
54:03
今日はこの曲でお別れしたいと思います。
えー、今宵のお話はいかがでしたか。
対話、そして会話、今必要なのは対話かもしれない、というのが、えー、今日現在の結論ですが、異論反論、賛成反対、いつでもお待ちしております。
劇場は人間、そして人間とは思って話し合って考えて忘れてまた思う生き物。
劇場とくっつける、劇場にくっつける、劇場でくっつく、これからも社会と劇場をくっつけるボンドの時間を続けます。
芸術法人シアターボンドのラジオ、お相手は法人代表の宮沢でした。
また次の配信でお耳にかかります。
おやすみなさい。
55:01

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