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はい、こんばんは。 2026年3月11日水曜日22時1分35秒回りました。
こんばんは。 芸術法人
シアターボンドの代表を務めております。 宮澤でございます。
今晩もよろしくお願いいたします。というわけで、この配信はですね、
鶴岡市民劇場、それから藤枝市民劇場、 あとは一般社団法人名古屋演劇館紹介、
劇団側ですと加藤健一事務所、そして東京演劇アンサンブルの提供でお送りいたします。
名古屋演劇館紹介は、1954年に
名古屋を演劇文化都市にしようという思いから誕生しました。
以来、72年、
名古屋の地で数多くの舞台を見続けてきました。 私たちは親しみを込めて
名演と呼んでいます。 今、社会は目まぐるしく変化しています。
スマートフォン一つで映画も音楽も楽しめ、情報あふれ、 人と直接会わなくても暮らせる時代です。
便利になった一方で、 誰かと同じ空間で同じ時間を過ごす体験は
まきます貴重なものになっています。 演劇はその数少ない場の一つです。
同じ客席で息遣いを感じながら、笑い、考え、 心を揺さぶられる。
そして終演後に感想を語り合う。 その時間は
デジタルでは決して変わりがききません。 名演は長い歴史を持つ鑑賞会ですが、
完成された組織ではありません。 これからも
参加する一人一人と共に作っていく場です。 演劇をきっかけに世代を超えて語り合い、
社会のことも身近な悩みも安心して話せる。 そんな大切な公共の場を育てていきたいと考えています。
共に芝居を見て語り合い、 より豊かな毎日を送りませんか。
ただいま会員募集中です。 一般社団法人
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名古屋演劇鑑賞会。 言うてもこのナシゴレンっていうね
制作者で作る若手って言ってましたけども、 あんま若くないのも何人か混じってましたけれどもね。
第7世代新劇制作者互助連合ということで グループを作って
だから2022年9月1日から始めて、 丸3年ですよね。
2025年の11月の末ぐらいまででやったので、 丸3年と数ヶ月、毎週毎週
飽きもせず配信をいたしまして、 ナシゴレン全部で150回やったわけですよ。
私がいろんなことがあって、辞めて。 前職を退いて
それでも音声配信ってすごい魅力的だし、 可能性あるよなと思い続けているのでやっぱり
始めちゃいましたって言って。 それで今日で14回目でございますよ。
都合ね、164回目ですよ。 言ってみれば、ナシゴレンから考えたら
164回目ね。 そんなね、164回かける大体2時間をね
毎回聞いてくださってね、聞きに来てくださっている 皆さん、神ですよ、神。
本当にありがとうございます。 コアなね、大変コアな
コアボンドですよ。
なにそれ。
本当に感謝しております。 やっぱね、聞いてくださっている人がいるっていう実感がですね、
これが音声配信を続けなきゃっていう動機づけになりますのでですね、 こうやって聞いてくださっている方々のおかげで164回目でございますよ。
うん。 なんかね、
そんな話をね、今日はしたいなぁと思って、共感っていう キーワードにいたしました。
実は先週ですね、
このスペース、スペースじゃないや、シアターボンドではですね、 えっと
これ。
人々の声っていう話から対話と会話という話に展開させて、
やったきっではいるんですけれども、その対話と会話のね話もね、 ちょっと途中でゲストが、
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頭の方にゲストが入ってくるのかなぁと思ったら、話が盛り上がったところでヨウヨウって 入ってきた。
消化不良みたいになっちゃったりなんかして。
でも後々ね、自分でも聞き返して、それで前半と後半を繋ぎ合わせてね、 それで改めてスペースじゃないや、
スタンドFMの方に編集して出したのをもう一回自分で聞いたんですけども、 まあまあまとまりあったからね、大丈夫だったかなと
思うんですけれども、要するにですね、 なんかそのエモーショナルなね、
感情のやりとりみたいなのが会話ね。しかも会話っていうのは、 そのカンバセーションね、会話ね。
トークね、トークね。
なんかその、語源を調べると、 二人で同じと方を向き直すみたいな、
こうなんかこう、親睦をね、こう作るみたいな、 なんかそういう、どっちかというと、
立場と立場で、一つの次のね、結論を出そうという営みじゃなくて、 とにかく聞き合うというか、
その気持ちと、気持ちで繋がろうとするね、 次元の話なんだよねっていうことだったわけですよ。
だからどっちが正しいとか、どっちが間違ってるとかじゃなくて、 多分両方必要で、
優れた劇局とかね、優れたテレビドラマとか、 なんかその会話対話を描くドラマというものを見ると、
会話部分と対話部分がですね、こう、 なんていうの、このバリエーションというか、この、
ね、薄い濃いのこと、なんていうんだっけ、 カタカナ弱いからな、また。
まあいいや、スペクトラムみたいに、ほら、 こっちが薄くなっていって、こっちが濃くなっていって、みたいなね、
そういう感じじゃないですか。なんかこう、会話から入ってて、
あ、結構この人面白い、面白い会話だなーって思ってたら、 すごい喧嘩し始めるのかね。
なんか、で、対話、実は、あの、初めは会話でね、すごくこう、 いい感じの関係性を築けそうに進んでいっていたら、
ある一点、ね、何か一つ、新しい事実が判明した途端にですね、
それがこう、会話から対話になっていく、 ダイアログになっていくっていうね。
で、また会話に戻ってみたいな、その、この、 いい感じの割合というか、バランスみたいなものが、
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つまりは、劇局に描かれていると思うんですよね。 優れた劇局ほどそうなっているような気がするんですよ。
だからね、その、そういうバリエーションみたいなものを、 リアリティを持って見られるっていうのも、
演劇の一つの、その、ね、 えー、なんかその魅力のような気がするんですよね。
演劇ってそういうところがあるよなーっていう風に思うわけです。
みたいな話をね、してたら、もう一つですね。
今度はその、会話と対話のバリエーションみたいなところからですね、
その、じゃあそういうね、会話対話を見ている観客っていうのは、
えっと、その出てくる人物、登場人物たちに、 やっぱり共感するなり、感情移入するなりしていくようなーって思うんですよね。
ただ、何かここ、感情移入とか、 共感だけではやっぱりないわけですし、
なんかその部分がですね、 えー、一つ共感とか感情移入とかって言ってますけれども、
まあそれはこの、演技をする側の立場に考えてもそうですけれども、
その、人の感情にこう触れるというか、 こう、まあそれがね、お芝居の場合仮染めというかね、
その、もともとそういうものだとして、 まあ要するにウソっ子なわけですから、ウソっ子。
幼児か、俺、ほんとに。
あの、ね、その人、まあなんかいろんなね、 言い方があるから難しいですけども、
その、舞台の上で展開されている、 感情のやりとりみたいなものっていうのは、
本当にその場でできて、あの、 怒ってるのか怒ってないのか問題もあるじゃないですか。
だって台本にもともと書いてあるわけだから、でも、 台本の通り、書かれた通りにやっているのでは全然リアリティがないよね、
みたいなことだって言えるわけで、 こういうふうに書かれてるからといって、
ただ嬉しいって書いてあるからといって、 嬉しい感情であるとは限んないよねっていうところが、
まあお芝居の面白いところで、 嬉しいって言いながら、心の中ではすっごい泣いてるみたいな、
本当はすっごい悲しい気持ちになっているのに、 それをグッとこらえて嬉しいって言っているっていうのがまさに、
その、演劇的じゃないですか、ね。
で、なんかまあそういう様を、こう、観客が見ていて、ね、 観客席からそういう、嬉しいって言いながら悲しい、
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悲しんでる人を見ていて、 ああそういうところあるよな、そういう時あるよな、みたいな、
全然言ってることと思ってることが裏腹な時ってあるよな、 っていうところに、なんか非常にこう、
シンパシーを抱く、ね。 のがまた面白い、その演劇の面白さになるわけですけれども、
なんかその部分ってね、ちょっとすごく、なんかこの、
自分でメインのテーマに選んどいて、いうのもあれですけれども、
とっても何かね、この、気になってるんですよ、昔からね。
その、そういうお芝居の面白さの大事な部分って、その、 共感の部分だよな、感情輸入の部分だよな、って思いつつも、
感情輸入しすぎるのも、なんかね、 なんか、ね、
ほら、ベルトルとブレ一つの人がいるじゃないですか、ね、 あれはもう、あの、
ね、アリストテレスが説いたね、カタルシス、ね、 これちょっと難しい話、七面倒くさい話になりますけれども、
浄化ってね、あの、訳されますけどね、 なんかこの、
主人公がトラブルに見舞われて、それを仲間たちと一緒になって、 そのトラブルを解決すると、ね、そしたら、
勝利するね、 主人公が勝利すると、
それを、その様を見ていて、なんか気持ちがスーッとするみたいなね、 この日常生活では、なかなかそういうふうにね、完全懲悪で、
悪い奴出てきて、それをダーッと退治して、仲間と一緒にいたら、一応退治して、 それが、なんか、良かったねっていうこの感情になって、そこにこう同化、
同化していると、なんかスーッ、気持ちがスーッとするみたいな、
なんか、そういうのを前、カタルシス、浄化作用ってね、あの、 彼のアリストテレスは言ってたそうなんですけれども、
ベルトルとブレヒトっていうのはね、そういうね、 スーッとしてる場合じゃないんだぞってね、
同化してる場合じゃないんだよってね、 言ったことで有名ですよ。
だから、同化に対して、イカだと。ね、イカっていうのは、この、炙ったイカでいいのイカじゃないですよ。そうじゃない。
俺は何歳なんだ一体。あの、ほら、えっと、イカ効果っていうのはね、あの、えっと、
異邦人の、また異邦人とか言うからもう、何歳なんだ本当に俺。あの、異なるという字ね。うん。
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異世界の異、ね。異世界の異に、えー、化学の化、ね。化け学の化。だから、同化と反対側の考え方で、
今起こっていることに対して、一旦距離を置けと。だから、お芝居を見ていて、面白いだろ、これ。ね、節庵の善人、面白いでしょ、とかね。
三門オペラ面白いでしょ、ね。そこまで見といて、いきなり水ぶっかけて申し訳ないけど、ちょっと待てと。
ね。マッキー・マックっていう人がね、三門オペラ出てきますけど、大悪人なんですよ。で、まあ、ピカレスクローマンでね。
うん。まあ、悪い男の魅力みたいなね。悪人なんですけども。
うん。それでこう、悪いことして、ね。それがなんかちょっと爽快感があるみたいな。そこで、ブレヒトのね、三門オペラの儀曲を読むと、
こう、一番の盛り上がりのところ、一番のね、そのカタルシスのところで、一旦、儀曲が止まるんですよ。止まるっていうのは何も書、書いてないというかね、
えっとね、と書きになるわけですね。えー、ここでー、みたいな。えー、ここでー。
えー、ちょっと待って、どうなる?どうなるの?どこで?ってね。あのね、白い馬にまたがったね、なんか役人みたいなのが急に入ってくるんですよ。
それでね、「諸君!」つってね、ちょっと有名なあのね、えー、セリフを言うんですけれども、
えー、ちょっとマッキーどうなる?みたいな時に、この先、2つの結末を用意していると。
どっちがいい?みたいなことを言い出す。だからちょっと、えー、メタ、メタシアターみたいになるんですよ。
でね、わざわざ、だからブレヒトっていう人はすごくね、そのさっきの会話と対話のバリエーションが上手くて、しかもドラマとして、
ドラマ書きとしてすっごいね、実力があるのに、それをね、一番盛り上がりのところで水分かけて、
ちょっと待って、一旦この気持ちよくなろうとしているところ、一旦止めようかって言ってね、ちょっとなんか面白いことするんですよ。
みんなそう、ね。およそブレヒトが書いたドラマっていうのはね、なんかそういう風になってるんですね。
あとね、ブレヒトにはグルトヴァイルっていうね、音楽監督ね、仲良しの音楽監督がいて、
いつもね、そのコーラスをね、歌を入れるので有名なんですよ。ブレヒト劇っていうとブレヒト幕っていうね、有名な横にバーっと長いブレヒト幕っていう幕があるんですけども、
幕とそれからコーラス音楽ね、いうのが一つの特徴なんですけれども、
あのね、いい感じのセリフ劇でいい感じのところに急に歌ったりするんですよ。だからあの、一番宮沢が苦手なやつね、その、なんでここで歌い始める?みたいな。
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うん。しかもね、その本人がわーって歌い始めるんじゃなくて、急にコーラス体が出てきて、でわーってね、今まであったことをね、歌う、歌いだすんですよ。
その、さあどうなるこの男?みたいな、今まではそうは思ってなかったがーみたいな、なんだなんだなんだ、何が始まった?みたいなね、感じになるんですよ。
でね、それもブレヒトの考え方では、共感を妨げる、ね、以下する。音楽によって一旦ドラマから外に出て、
今起こっているドラマはどうなのかということを検証してほしい。理性に戻ってほしい。感情じゃなく、熱狂や感情じゃなくて、一旦理性的にそれを考え直してほしいってね、いうわけですよ。
ねー、おもろいよね。おもろいこと考えたよね、本当にと思うんですけども。
なんかね、っていうことも加味したりね、考えたりすると、やっぱね、そのお芝居の一番の魅力であると思っていた、その登場人物のアクションやセリフみたいなものに、完全に感情移入する、同化するっていうことって、大丈夫なのかなっていうか、その、なんていうか、
そればっかりじゃないはずだよなーっていうね、そういう気がするわけですよ。 じゃあなんでそのブレヒトをね、そうやってこう、
同化するばっかりじゃ困るんだよって言ったかっていうと、 彼はですね、ドイツ人なんですよ。
ね、ドイツ人。しかもね、1900、
1900年代の中頃の人ですから、
ナチスドイツのことがやっぱ念頭にあるわけですよね。 だから国民全員がね、かっこよさにつられて熱狂しているドイツを見てるわけです。
すげーかっけーっつってね、ハイル、ハイルヒトラー、ハイルヒトラーって言ってね、わーって盛り上がってる人たちを目の当たりにして、
やべーぞこれはってね、やばそうな時代来てるぞって 思ったんですよ多分ね。あのブレヒトさんと話したことないでわかんないんですけども。
熱狂してる場合じゃないんだよってね。わかるよ。すごく美しいものとか、それから、
かっこいいものね。ナチスってすごいかっこいい衣装、デザイナーとかも、あの一流のデザイナーとかを揃えてね、それでこう本当、ドイツの人たちのナショナリズムをあごりきるみたいな、ドイツ人であってよかったみたいな、ドイツすげーみたいなね。
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ドイツの、しかも、ドイツのいろんなその民族の中でも、アーリア民族っていうのが一番優れてんだぜーみたいな、アーリア人でよかったぜーみたいなね。そこを刺激するような、その
デザインっていうかね、かっこいいデザインをね、たくさんこう使うわけですよね。それでわーって盛り上がるって言うわけです。
それをこう見ていたね、ベルトルト・ブレイトはね、苦々しい。こう思ってて、かっこいいとかね、民族同化だとかね、なんか
そんなんで大丈夫か?って、しっかりしろお前ら!っていう思いが多分あったんだろうなーというふうに思います。
のでね、うん。で、まあそういうこう、イカ効果みたいな、そういうもの
を日本でやろうと、ね。
もうブレイトに浸水してですね、あーブレイトの考え方すげー面白ぇな、ね。日本でもやってみたいな、みたいな。
で、日本に持ち込んできたのが、まあセンダーコリアさんなわけでございますよ。 だからそのこのね、
えー、なんていうの?この、感情に、感情で同化したまんまで大丈夫?っていうね、考え方っていうのは、
こうセンダーコリアさんによってですね、日本に持ち込まれて、ね。それで俳優、劇団俳優座っていうのをセンダーさんが戦後作ってですよ。
ね。それでブレイトのやるんだって言ってね。 で、ブレイト劇を劇団俳優座でもたくさん作ってきたじゃないですか。
ね。で、この劇団俳優座っていうのは、大きな超、大民芸にしのぐようなね。
もう民芸の、民芸が好きな人たちたくさんいるからね。ちょっとね、ものがなかなか言いづらいんだけど。
俳優座ってのだってすごい、大劇団、超大劇団ですよね。
で、センダーコリアさんっていうのがさ、こうやって、ブレイトってやってる、ね。大きな劇団からまた、衛星劇団っていうふうに言われてですね。
俳優座養成所、ね。 3期生たちがね。
もうちょっと、こんなに大状態な劇団でね、いてもね、自分の番回ってくるの、いつになるかわかんないからって言ってね。
私たち、ちょっと自分で劇団作るので、ね。 ちょっとあの、出ていきますみたいな。出ていきますとは言わないけど。
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自分たちでちょっと劇団やってみたいんですって言ってね。 それで3期の人たち、ね。
俳優座養成所3期の人たちが作った劇団が3期会という劇団があり、それが今の東京演劇アンサンブルになってるわけですからね。
で、しかもその3期会の人たちが東京演劇アンサンブルっていう劇団になって、で、その人たちが作ったのがブレイトの芝居小屋っていうね。
すっごくいいね、私大好きな劇場でしたけれども。 東京の練馬区武蔵石というところにね、
あった映画スタジオをですね、借りてですね、そこでブレイトの芝居小屋という拠点を作って、そこでブレイト劇をね、ずーっとやって、こだわってやってたわけですよね。
残念ながらそのブレイトの芝居小屋も今はね、タワーマンションに変わってしまって、で、東京演劇アンサンブルはその大屋さんがね、代替わりして、そこはもう芝居小屋じゃなくちゃってね。
悪いけど出ててくれるって言われたから、しょうがなくね、今は埼玉県新座市というところに新しいね、伸び止めというね、地域に伸び止めラウムっていうね、新たな拠点を設けてですね、それで活動を続けているわけですけれども。
なので何が言いたいかというと、そのブレイトが考えたそういうアイディアで、ブレイトの持ったそういうその演劇の新しい潮流というかね、その当時はね、新しかった。今はもう古めかしいことになってしまってますけれども、ただ共感して、ただ漢字を移入してるだけで大丈夫っていう演劇は、こうやってこう、
ブレイトからセンダーコレアになって演技に伝わって、センダーコレアからまた今度は広あたり常都市っていうね、演出家に伝わって、その広あたり常都市が中心になって、東京演劇アンサンブルに伝わってですよ。
で、東京演劇アンサンブルの人たちずっとブレイトのお芝居にこだわりがあってですよね。それで今でもブレイト的なもの、ブレイト劇なるものを探求しているよっていうね、遊劇団がこのシアターボンドのCMを出してくれていると。
ずっとつながって、人から人にやっぱりつながっていってるし、演劇も昔からね、振り子みたいに向こうあっち行ったりこっち行ったりしながら、ずっとお芝居のこの作り方や考え方っていうのは、つながってきてるよっていうことがね、大切なんじゃないかなって思うし、
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そのお芝居の作っているドラマそのものと、それから観客がそれを見て共感するしないっていうね、その一つをとってみてもですね、いろんな考え方があって、
で、じゃあ共感してるだけで大丈夫?っていう、その問題というか問いみたいなものっていうのは、昔から問われていて、で、ブレイトさんはこう言ったよとか、それに共感して、それこそね、その考え方に共感して、センダーコリアさんが日本に持ってきたよとかね、
そういうこう、いろんな切り口、いろんな出来事、いろんな知見みたいなものが、受け継がれてるっていうね、それをね、やっぱりね、知っていかないきゃなと思うし、やっぱり忘れ去られそうになったら、やっぱりもう一回その問題というか、その問いをね、もう一回こう、自分のところに持ち出してきてですね、もう一回考えたいよなっていうね、
思いがありますし、じゃあそのブレイトさんがですね、いかこうかを考えたっていうことそのものと、何か今の社会状況っていうのはまあ二重移しになってやしないかなーみたいなね、ちょっとなんか似て、似てやしないかなーみたいなね、なんかそんな思いがありますよ。
なので今まさにもう一回ね、もう私は俳優座とは何の関係もない人間になってしまいましたけれどもですね、もともとは俳優座劇場ね、その千田コリアさんとそれから倉林誠一郎さんが一生懸命ね、とかまあその当時の劇団俳優座の人たちがもう死の思いでね、お金貯めて作った劇場にずっと働かせてもらってましたから、やっぱりこう、宮沢の演劇人生の原体験の一つとして、
やっぱりブレヒトっていうのはね、一つ大きな存在として位置しておりますし、何を隠そう大学時代ですね、そのブレヒトの芝居小屋に、大学時代まだ、あの俳優座とは何の関係もないね、ただの一学生だった時代に授業でですね、ブレヒトの授業がありまして、で今ちょうどブレヒトの芝居小屋で、ブレヒトのそのガリレーの生涯っていうね、ガリレオガリレーの生涯、
というブレヒトの作品が、今ブレヒトの芝居小屋でやってるから、それを見に行ってレポート書きなさいっていう授業があって、でも嫌嫌ですよ、もうほんと何なのって。
ブレヒトのことはまあ一応知ってはいるけどこれ、難しそうだし、それこそタイパコスパ悪そうだし、武蔵石どこよみたいな。しかもね、これは単なる思い出話になりますけれども。
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ブレヒトの芝居小屋ね、確かあれは新青梅街道か、新青梅街道沿いにあって、で武蔵石っていう駅からね、ちょい歩くんすよ。
歩いて20分ぐらいかな。
2キロぐらいあって、2キロもないか。
でもね、とにかく歩くんですよ。
でもその時まだほら、スマホとかないからね、時代だな。
シアターガイドを買ってですよ、チラシに地図が載っててですよ、それをじっとにらみつけてですね、武蔵石の駅っつうのはここかみたいな。
で何口に降りてたな。
でこうやって、こっからまっすぐ行って、ずーっとずーっとまっすぐ行って、新青梅街道出たら左に曲がればいいんじゃないかみたいなね。
いやいやですよ、ほんとにね。行ったですよ。
でまたほら、ブレヒト劇っていうのは基本的に長いですから、3時間ぐらいは平気でありますからね。
フルレンジでやったら3時間半とか4時間ぐらいありますから。
いくら授業とはいえねこれ、単位欲しさにとはいえですよ。
貴重なね、友達と青春を追うかしたがっている時期にですよ。
みなさんそんなことなかったけどね、でもほら、バイトやったり、いろいろやりたい時期じゃないですか。
そんな中ですよ。行ったこともない武蔵石に連れてかれですよ。
単位欲しさにね。行ったんですけどね。
まあ衝撃を受けましてね。かっこよかったしね。ガリレーの生涯。
面白かったなあ。
なんかもう一気にブレヒトラブになっちゃったし、新劇ちょっといいなってなっちゃったんですよ。
それまで新劇のことなんかもうバカにしててね、古めかし芝居やりやがってみたいな。
何が面白いんだこれ、みたいな感じだったのがもう180度変わって、うわすっげえ面白ってなったんです。
そんな東京演劇アンサンブルでありブレヒトであるわけですから、なんか亡くなっちゃう時も悲しかったですしね。
ブレヒトの劇ってね、あとね、出演者がものすごく多いんですよね。さっき言ったこのコロス、歌もあるから、コロスっていうかそのコーラス体ね、ただコーラス体だけの人たちもたくさん出てくるし、
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ただもう本当にこう、ちょっと舞台を横切るだけの役とかね、なんかね、とにかくいっぱい人が出てくるから、なかなか一つの劇団で作ろうと思うと大変な、長いしね、そういう芝居ですからね。
なんかこの、なかなかやられなくなってしまいましたけれども、でもあの時の衝撃っていうのは今でも残ってますしですね。やっぱりその、見た時の、いか、いかってこういうことなのかも、必死で考えたりしたね、
あの自分のあの思い出とともにブレヒトはやっぱり宮沢の中に、残ってるわけですよ。だからなんかこの、ナチスドイツじゃないんだからみたいな社会状況になればなるほど、やっぱりブレヒトのことを思いますし、お芝居をただ見てね、泣けたとかね、面白かったけど、みたいなね。
ただ面白かっただけだった、みたいなのとか、なんかその共感しただけ、みたいなお芝居ってどうだろう、みたいなね。なんかそんなことやっぱ考えちゃうわけですよ。
まあそんなわけでですね、なぜ共感の話をしようかという話でございました。一旦CMでございます。
その後、忠勝が、人民に優しい地方政治を行い、天保が決まっても堺池に治めてほしいと、領民たちが幕府に直訴した、三保領地替え組織運動でも有名な珍しい地、他の文豪、藤沢周平の生まれ故郷であり、その著作にたびたび登場する宇那坂藩のモデルとしても同じ。
歴史と文化とたくさんのおいしい海の幸、山の幸に囲まれた鶴岡にも市民劇場がある。
鶴岡市民劇場は昨年60周年を迎え、古い運動体質から脱却し、さらに日本演劇の民主的発展に寄与するため、とにかく何でも自分たちの頭で考えることから始めたい、と事務局長の井原さんは語ります。
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省内平野のど真ん中で演劇の灯火を守る。鶴岡市民劇場にぜひご入会を。
鶴岡市民劇場。
で、本題のですね、この共感ですけれどもですね。
共感。
共感という言葉はですね。
さっきね、ちょっとシンパシーっていう言葉を使いましたけれども。
あ、それシンパシーあるみたいな。
なんかそれにシンパシー感じるわみたいなね、言い方ってありますよね。
でもね、シンパシーとね、もう一つね、共感にはね、英語の言葉があるんですよ。
これご存知ですか皆さん。
これ有名っていうかね、まあ一般教養ですからね。
あれですけども。
シンパシーとね、エンパシーね、この二つがね、実は言葉としてあるんですよ。
シンパシーです、エンパシーです、二人合わせて共感です、みたいなやつね。
何それ。
あれですけども。
なんかシンパシーっていうのと、エンパシーっていうね、二つの共感っていうね、言葉があって。
英語でね。
そもそも共感っていう言葉は、英語のシンパシーとエンパシーから来てるんだよ、みたいなことなんでございますよ。
で、これがね、シンパシーとエンパシーって何が違うの?という話なんですけれども。
なんかこれね、意外と掘っていくとね、面白い話になるんですよ、これね。
今回、そういえば共感って、シンパシー、エンパシーあったなあと思って、もう一回調べ直したんですけど。
調べれば調べるほどね、どんどんよくわかんなくなっていくんですよ。
でね、その話の取っ掛かりとしてはですね。
なんかね、さっきも話しましたけども、高市総理がね、とってもエモいと。
で、なんかこの、エモーショナルな感じで、みんなから愛されてると言うじゃないですか。
それでこう、みんなから、ほらあの、旧統一協会の関わった人たち全員が、名前で列挙されてるね。
TMネットワークじゃない?怒られるわ。
えーと、トゥルーマザーね、TM報告書っていうのがね、出てきたと。
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そこに全部書いてあると。
で、高市、さなえという名前も出てきてて。
それで、なんか裏金議員の人たちもみんな出てくると。
これどうなってんだっていうね。
いろんな党のいろんな議員からね、聞かれそうなタイミングで、選挙中だったわけですから。
その話がワーッとね、みんなになんだそれってなっちゃうと困るからって言って。
完全無視しようとね、するわけじゃないですか。
で、NHKの日曜朝の討論番組に高市総理がギリギリまで出ようとしてたけども、
龍町が痛くて出るのをやめましたってドタキャンした話あったじゃないですか。
そしたらね、いやそれはちょっと変でしょっていうのよりも、だって龍町なんだからかわいそうじゃん。
っていう話がね、なんか大多数の人がかわいそうでしょそれは。
龍町なんだからしょうがないじゃないですか。
そっちの方になんかこの、シンパシーを感じる人が多かった。
だから無傷っていうかね、そのトゥルーマザー報告書の一件とかね、裏金議員たちの一件みたいなことよりも、
さなえが手が痛いって言ってんだからかわいそうじゃんの方が、みんなが心が動かされてシンパシーを感じたと。
でね、ある令和新選組の候補の人がね、それは良くないでしょうと。
ちゃんと出てこなきゃダメだよそれは。逃げてんじゃないよってね。
まあ言ったところですね。その議員に対して、うちの母はね、ずーっともう他界しましたけれども、
その龍町が痛いって言ってね苦しんでたのがあるから、なんかその龍町で痛いって言ってる人をね、そうやってこう言うのっていうのは良くないと思いますみたいな。
えっと何の話だっけっていうような、えっとね、龍町で痛いって言ってる人に対してね、そうやって言うのっていうのはね、良くないと思います!以上!みたいなね。
そういうこうなんかエモーショナルなシンパシーのね、共感するようなところばっかりがね、こうクローズアップされていて、
肝心な事実なんですか?事実じゃないんですか?とかね。あの、この裏金っつうのはどうする?これいいの?それで?ってね。悪いことじゃないの?あれは。
42:08
なんでその悪いことやってる人もう一回立候補してんの?とかね。だってあの時は、ひけしのために自民党の候補から外したはずだったよね。
なんでもう一回公認してんの?みたいな。公認っていうことは、党からお金が出るわけじゃないですかね。その選挙費用が出るわけですよね。
で、その選挙費用をどうやって年出してるかっていうと、大企業の人たちのね、その寄付金ですよね。
あとそれから国からね、莫大な政党助成金っつうのが政党には入るわけですよね。そこから年出してるわけですから、税金なんですね。
これね、結構ね、あんまり言う人いないからね、はっきり言いますけれどもね、演劇の劇団とか公演に対して助成金が出ると。
でも助成金頼みじゃなくて、ちゃんと自分で再三取れるようにしなきゃダメなんだよってね、言う人いますけれども。
だったらってね、政党助成金だってやめろよってね、こうやっぱ思うわけです。
だって、やっぱ助成金っていうの、まあいいや、その話すると3時間も4時間もかかるからいいけども。
政党助成金は良くて、芝居の助成金はダメだっていう根拠は何なんだよって思いますけれども、まあいいわ、それは。
つまりそう、お金ね、ちょろまかして自分のものにしてたっていうね、裏ちょうぼでうんぬんかんぬんしてる人がですよ。
もう一回なんか国会議員になってるよみたいな。そんな話よりも、さなえが手が痛かったっていうことの方に注目が集まって、
でこうエモーショナルな感じで感情的な感じでこう、なかったことになっちゃうみたいな、そういうのってやっぱ良くないよなと思ったのがやっぱり、
ね、思ってるんですよ、私は。
じゃあ、エンパシーとシンパシーって何?みたいな。この共感というところから、じゃあエンパシーシンパシーちょっともう一回調べようかなと思ったときに、
ちょっと今ね、ある一件でちょっとこう炎上気味になっておりますけれども、
このね、こうかみしょうじさんが、あんまりYouTubeやってるイメージないじゃないですか。
でもね、YouTubeでね、シンパシーとエンパシーでね、ちょっとね、検索するとね、
あの、こうかみしょうじさんのショート動画が出てきたんですよ。
なんかすごいこうTwitterではね、すごいフォロワーがね、ものすごい数いて、でね、もちろん演劇の劇作家、翻訳家で第三部隊の主催でもあってね、
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まあ一時期を築いたね、第三部隊のといえ、じゃないや、衝撃状ブームといえば、こうかみしょうじ、野田秀樹、などなど、
っていうぐらい、もうあの衝撃状ブームの旗持ち奇襲ですよね、奇襲。
私も高校時代にこうかみしょうじのお芝居大好きで、なんかすごいハマった覚えがありますけれどもね。
あと横内健介さんとか、牧野望美さんとか、まあいろんなね、衝撃状ブームの人たちいますけども、
まず誰って言ったら、こうかみしょうじ、ね、野田秀樹、そういうあれですよね。
で、クールジャパンのね、なんかNHKの番組のMCをやってみたりだとかね、
あとはロンドンにね、国費留学した時のエピソードを、ドンキホーテのピアスっていう名前、ね、タイトルでエッセイ集にしてね、
あ、違うか、そもそもスパっていうね、雑誌にドンキホーテの何だかっていう名前でエッセイを書いてて、
で、その人がロンドンに留学してた留学期をね、そのエッセイの流れとしてドンキホーテのロンドンっていうね、タイトルで本にしてね、
で、またそれが面白い。うーん、とっても面白いですよ。大好きでございますけれども。
で、あの、このこうかみしょうじさん、ね、ワークショップでちょっといろんなことがあってね、
ワークショップに参加してた方がちょっと、ちょっと何て言うかな、こんなことってちょっと今の時代ちょっとこれありえないでしょみたいなね、すいませんでしたみたいな、
こういう、そういう今ね、状況にありますけれども、こうかみしょうじさんがおっしゃるにはですね、エンパシーとシンパシー何?って言った時に、これを思い出してくれと。
ね、例えばおとぎ話、ね、で、えー、じゃあ例えばシンデレラのお話がありますよね、と、ね、いうわけですよ。
で、シンデレラに、シンデレラをいじめるママハハが出てくると思いますけれども、ママハハみなさん、シンデレラの話でどう思いますか?と。
で、いじわるなママハハね、嫌ですよね?と。うん。とにかく嫌だ。
うん。あいつ嫌だなっていう、もう悪役ですから、うん。嫌な女だな、その代わり、シンデレラはかわいそうだな、ね。
そういってこう、なんかね、感情的にね、シンデレラにこう、同感すること、これはシンパシー。感情的に同感することはシンパシー、ね。
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けれども、しかし、じゃあシンデレラのママハハはなんであんなに、えー、シンデレラをいじめてたのか、ね。
で、えー、王子様から車公開に呼ばれて、やったぜ!ってなってるけど、あんただけはこう、連れてかないよ、みたいな。
お家でお掃除しといてね、みたいな。じゃあ行ってくるから、バイバイ、みたいな。
で、もうシンデレラ泣いちゃうわけじゃないですか。なんであんなにシンデレラに辛く当たってるのかというとですよ。
ママハハ、な、なんで?ってなるわけじゃないですか。で、それをママハハ側からの立場から考える、ね。
そうすると、実は、えー、このシンデレラのママハハなわけですから、シンデレラのお父さんね、ね。
と、再婚してるわけですよね。ママハハってぐらいだから。えーと、血のつながりのないお母さんになるんですからね。
で、えー、そもそも、どうやらシンデレラの実のお母さんっていうのは病弱で亡くなってて。
ね。それで、えー、お父さんっていうのと、まあそのママハハが再婚してて。
で、えー、ママハハ側から見れば、3人の子持ちのですよ。3人だよね。2人だっけ?2人か。2人の子持ちのシングルマザーですよ。
ね。そのシングルマザーがようやくシンデレラ父とですね、結ばれたわけですよね。
で、あ、経済的にも売ろうかなと。ちょっとね、今までは自分が一生懸命働いて、えー、子供をね、何とか養育しなきゃいけなかったところを、
えー、シンデレラ父とね、結ばれることによって少しね、まあ向こうも連れ子がいるけ、シンデレラって連れ子いるけど、
まあ、まあまあ良かったわと思ってたら、今度は、そのシンデレラのお父さんが全然働かないと。
ね。解消のない男だったと。ね。なんだよそれってなって。で、ママ母としては何それってなってるわけですよね。
で、走行してるうちにシンデレラのお父さんも死んじゃって、ね。で、そうすると全然血のつながりのない、えー、ね、えーと、再婚相手の連れ子だけが手元に残ってるわけですよ。
何これってな、何これってなるじゃないですか。うん。そうするとね、やっぱ辛く当たりますよね、それは。
しかも、あ、あんたのお父さんが解消なしだったから、えー、私の苦労がそのままじゃないみたいな気持ちになる、分かるわけですよ、それね。
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だからね、で、しかもですよ、その、えー、どうやらその解消なしだった元旦那ね、亡くなった元旦那は、えー、やっぱりシンデレラの母、シンデレラ母ね、実の母のことはとっても愛してたみたいだし、ね。
なんかその、元々のシンデレラ一家自体がなかなか、なんかすっごい憎たらしくなってくるわけですよ。うん。何なのこの、何なんみたいになるわけですよね。
っていう風に、これね、考えると、ママ母の立場からシンデレラをこう見ると、ね。だから、シンデレラに辛く当たってるところのシーンだけじゃなくて、ママ母側の立場を、から物事を考える。
そうすると、何でそんなに辛く当たってるのかが理解できる。ね、同調はできないかもしれないけど、理解はできる。この状態が、エンパシーであると、いうわけですね。
これ、神障子さんの説明でございます。かわいそうだな、シンデレラな、でもカブチャの馬車とかね、わけわからないこと言ってね、ラリっちゃってんのかな、そんなことはない。そんなことはないけども。
いやー、シンデレラかわいそう、あのママ母ひどい。ひどいひどい。っていうのがシンパシーで。ひどいのは分かったけど、辛く、何であれ辛く当たってんの、あんなに。
じゃあちょっと、ママ母側から考えてみる?って言って。ママ母だろう?お父さん怪称なし、お母さん美人で先死んじゃってて、で、どうやらその怪称なしに、あのシンデレラ自体はすごい似ててみたいな。
もう肉さ100倍になるような美人だしね。で、せっかくこの応急からね、私の家庭にお呼びがかかってよ。で、もう、あのほら、巻き返しが吐かれるというか、一攫千金じゃないけど、今まで苦労してきたね、母子家庭ね。
もうシングルマザーとして私頑張ってきたね、その頑張って育てた2人の娘のどちらかとね、王子様が結ばれたらこれ、儲け者というかね、ようやく報われるような気がするのよ、私。
エンパシーってこうなるとなると、ママ母側から考えるっていうこともね、一つの同感、共感と言っていいはずなんです。これがだからエンパシーね。こう、一回その立場になって考えることをエンパシーと言いますと、こういうことなわけです。
またね、なるほどと思うじゃないですか。なんかこの今の社会では、シンパシーじゃなくエンパシーが大事なんだと、こういう風になるわけですよ。
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で、あの隣国じゃないや、隣国、隣国ってわからないけど、オバマ、オバマ総理じゃない、オバマ大統領だった時代に、オバマ大統領の一番ね、イエスウィーキャンでおなじみのね、ちょいちょい懐かしいですけども、あの方がとにかく主張してたのがエンパシーだっていうこともあるわけでございます。
なのでアメリカではもうね、当たり前っていうかね、そのオバマ政権時代にエンパシー、エンパシーってみんなが言うから、もうなんかね、ちょっと古めかしい流行語みたいな状態になってるそうなんですけれども、やっぱりね、そのエンパシーってもう一回考えた方がいいよねっていうようなことがやっぱりあるわけですけども。
うん。あのー、こかみしょうじさんのね、話ものすごいよくわかりやすいなーというふうに思いながらも、待てよと。
相手の立場になって考える。うん、確かに大事。一見ね、一見すごくこうなんか、感情的に見ればね、ものすごいこう嫌なやつ。嫌だなーっていうのが、よくよく一回その嫌だなーを一旦保留にしてね、相手の立場になって考えること。
ね、考えた結果、なるほど、彼女、ママハハはママハハなりのね、ママハハデレラなり、ママデレラなりに、の、その事情というものがあったんだと。
ね、うん、これは大事、うん、それを理解を示すことは大事。だから、その、分断と今は言われますけども、ただただなんか言ってきてる人たちの、ね、ことをね、その言葉だけじゃなくて、その背景にあるとか、その立場から考えてみたときに、
うん、これは確かにこの人が言ってる、この人がこういう風に言うのも分かるというような理解をね、するのが大事だと。これはね、確かに大事なんですけども、ちょっと宮沢ね、いや、違和感があるんです、それに。うん、分かるんだけどね、なんか、なんかごまかされてるような気がするの。
でね、掘っていったんです。シンパシー、エンパシーね。で、もう一個ね、同じような話で、今度はね、あの、養育費を払わない男の話。男じゃなくてもいいんだけど、どっちでもいいんだけど、養育費を払わないっていうね、人がもしいたとして、これもシンパシー側から見ればね、なんで養育費払わねえんだよってなるじゃないですか。
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ひどい。まあ、じゃあ仮にね、これも母子家庭だったとして、えー、ね、シングルマザーだったとして、ね。母子家庭って言っちゃいけないんだっけ、今ね。うん、あんまり大きな声で言わないようにしなきゃ。もう言っちゃってるから、遅いけど。
うん、あの、シングルマザーね、えー、話を聞いたら、元旦那がさ、養育費払ってくんないのよ、とかね。うわ、ひどい、ひどい男だね、そりゃ。ってね、なるじゃないですか。でもね、じゃあその旦那側の言うことを聞いてみたらね、いや違うんだと。
養育費だって、まあもう払いたい、払える経済力あるし、払いたいんだけども、そもそも、えー、競技離婚、ちょっとリアルな話。競技離婚するときによ、うん、あの、養育費これこれこうやって払う代わりによ、うん、こういうサイクルで子供と会わせてもらえるっていう約束があったはずなんだよ。
養育費払って、払い続けても会わせてもらえないんだわ。だからもうね払いたくないんだわって言われると、あれ?ってなるじゃないですか。だから、ただただね、お母さん側のね、あの言い分だけを聞いてシンパシーでね、ああそうだよね、ひどいね、ああひどいひどい、ああひどい男だ、そりゃひどいひどいって言ってるのはシンパシー。
シンパシーであって、エンパシーで考えたら、旦那だってなんか事情がありそうだなってことを考える。そして旦那が、なんかリアルだな。リアルな話になってきたな。もういいや、旦那が養育費も払わない理由が分かってくると。で、それを一定のその理解ができるよと。
これがエンパシーとシンパシーとして、とてもね、例えとしていいよねとなるんですけど、それでもね、なんか、なんか違和感あるんですよ。
シンパシーが感情に対して、エンパシーは論理であり、冷静な判断であり、想像力だとね、言うじゃないですか。相手の立場を考えるってことなんだって言うけど、まあそれも大切なんだけども、ってなったわけです。
で、もう一個だけ、もう一個だけ例え話しますけど、今度はね、TEDと書いてTEDあるじゃないですか。俺、宮沢大好きなんですけどTEDね。これ何かって言うと、アメリカのプレゼン番組でですね、ハーバード大学のとかね、ケンブリッジ大学のとかね、そのね、その道のね、えらい学者がね、自分の研究している分野。
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これは人文、科学も含めてですね、政治、経済、いろんな文学ね、いろんな分野の、それから科学もそうですね、自然科学とかね、いろんな学問の対価のね、学者先生がですね、プレゼンをしてくれる。
で、それが、こう、私はこういうきっかけでこの学問を志し、そしてね、この学問にはこういう面白さがあるんですっていうのを、こうね、言葉巧みにやってくれるので、とってもね、英語の勉強にもなるし、プレゼンの勉強にもなるってね、これね、好きなんですよ、私もね。
で、そのTEDの中でですね、ズバリエンパシーのことについてね、プレゼンしてくださっている先生がいたんですよ。もうカタカナ弱いから名前忘れちゃったけど。あともう何学だったか覚えてないけどね。
でね、そのTEDの先生が言うにはですよね、これクリスマスのね、クリスマスマーケットでの出来事だと言うんですけど、私はね、こう、いろんなね、お友達とか仕事仲間、ね、あとは仕事上のことも含めて、すごいね、いろんな連絡があるから、
それこそデジタルデトックスで、週末はスマホをね、見ないで、ただ街をね、お散歩するのが趣味なんですと。で、その日も家に携帯電話を置きっぱなしにして、クリスマスマーケットの方に行ったら、とってもなんか並んでる、この、なんかお店があったんだと。
なんだろうって思って、まあ時間もあるし、並んでみるかって。並んでみたら30分並ばされて、ああ、これはやってしまったと思って、いよいよ自分の番が来た時に、そのカウンターの向こうにいた若い女性の店員さんがですね、とにかく超イライラしてると。
まあ態度が悪くて。私だって30分も並んでんだよ。なんでそんな態度悪いの?って言って、その態度についてね、こう説教してやろうと、そのね、先生は思ったんですけど、待て待て待て待てと。
エンパシーだと。ね。その先生はね、エンパシーのことについてこう、すごい研究してる人だから。で、ちょうどエンパシーのね、本を何冊も読んだ状態でのお散歩だったらしく。待て待て、私待てと。
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その、なんだその態度は?って言うんじゃなくて、ね。エンパシーを働かせようと思って、超イライラ。あ、次ほら、何?あんた何?何欲しいの?っていう、めちゃくちゃ態度の悪い店員を、にらめ、にらみつけるんじゃなくて、じっとこうやって目を合わせて、一旦黙ると。ね。一旦黙ってじっと見ると。
それで、だから何?早くオーダーしなさいよ。何なのよ。何?っていうのをじーっとこう見て。あなた、大丈夫?と言ったと言うんですよ。そしたらそのイライラ店員も、なーんてイライラリャってしてるのが、なんか皮肉でも言ってんのかな、このおばちゃんはって言って。すっげえ見て。
で、皮肉じゃないのかしらって言って。だんだんだんだん表情がこう、変わってきて。で、その店員さんなんと、その場で泣き出してしまったと、いうわけですよ。
このね、お散歩のお客さんが大丈夫?って言うと、その一言で、うわーって泣いちゃって。で、よくよく話を聞いてみると、私はね、それこそさっきのママ派じゃないですけど、2人の子持ちでシングルマザーだと。やっぱりね。
それで、でもなんか知んないけど、同じクリスマスマーケットで働いてる店員さんが、なんか長期休暇かなんかでね、シフト、その人の分のシフトまで入ってて。で、なおかつその2人の子供の1人がね、病気にかかってて、もう今すぐ帰りたいし、私だって病気になりそうだわっていう状態の中でやってたんだと。
いう身の上話をしだしたと言うんですよ。うん。だからね、ただただイライラしてる人っていうふうに思わないで、その、もしそこで、何なのその態度は?ってなったら、もう喧嘩ですよ。もうね。
うるせーなこの野郎みたいなね、この感じになるところを、相手の立場をね、考えて、大丈夫って言えた私はなかなかエンパシーとしてOKだったみたいな、そういう話をね、テッドでされてたんだ。あなた大丈夫?っていう話をしてたんですよ。
エンパシー大事だよなーってその話聞いて思ったんですけども、んー、ちょっと、でもなんかまだ引っかかるなーって思ったんですよね。この引っかかりなんだろうと思って。で、こうね、エンパシーとシンパシーね。
えー、やっぱ辞書というかね、まあ、語源を調べるじゃないですか。ね、私このシアターボンドのラジオではね、必ず語源の話するんですけども、してるんですが、語源調べの何が良いって、結局その言葉に秘められている元々のね、意味というか、
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あの時代の流れでどんどんあの言葉って変わっていくんだけども、もともとこういう意味があったからあったんだよっていうことをもう一回振り返ることによって、本来その言葉が持っている意味みたいなものがつかめるからね、わざわざ語源に戻るわけですけども、
えーと、今ね、神障子先生も、それからTEDのね、プレゼンの先生も、そして、えー、この養育費を払わないね、人の話も含めて、えー、感情でね、えー、その人と共感すること。
ね、えー、なんだよその人、ね、ひどいじゃないかつって、ママ、母もね、それから態度の悪い店員も、ね、養育費費を払わない元旦那も、きってーなーつって、なんだそれっていう風に、感情でね、えー、共感するのがシンパシーだと。
そうじゃなくて、エンパシーっていうのは、えー、一回その感情を保留にして、さっきのね、えー、TEDの先生じゃないけど、なんだそれ、ムカつくなーっていうのを一旦置いといて、相手の立場を想像する、ね、えー、その能力ね、えー、なんかその、一旦、一旦、こう感情の、こう瞬発的な反応を一旦保留にして、ね、
自分はこの人の立場で考えたらどうなんだろうっていうことを、考え、理解することこそが、えー、エンパシーであると、ね、今そういう説明じゃないですか、うん、うん、なるほど、確かにエンパシーは大事だと、うん、いう風に思ってたんですけども、よくよくね、エンパシーとシンパシーね、語源に当たってみるとですよ、これがなんと、ね、
エンパシーですよね、ね、それからシンパシーですよ、だからパシーは一緒なんですよ、パシーはね、うん、パシーね、で、縁っていうのは、そのー、主にみたいな、このー、一緒にみたいな、ね、要するに共感ですよね、あのー、ま、あのー、えっとー、
その相手と一緒にっていう意味が縁にはあるわけですね、で、対して、あのー、あ、シンですよね、ごめんなさいごめんなさい、ちょっと整理しなきゃ、だからシンパシーが感情で、エンパシーが考え、ね、想像ですよね、うん、シンパシーはね、のシンはですね、あのー、
1:09:15
同、同じくとかね、えー、同調するみたいな意味があるわけですよ、もともとね、そのー、えーっと、うー、シンパシーだから、えい、エス、SYMなんですけども、あのー、ほら、シン、シンっていう言葉って、こう、ほら、同調、同期するとかの、ね、いうときにも使うじゃないですか、ね、
シン、ね、うーん、うん、そうですよ、ね、シンパシーのシンね、うん、で、エンパシーのエンっていうのは、このー、インという、あのー、ね、えー、前置詞と同じ、だから、中からっていうね、その、ものの、真ん中から、中からっていう意味がある、そうなんです、エンパシーのエンはね、うん。
で、これはまあ、その、だから、要するに前置詞というか、そのー、えー、同じ、ね、シンクスしているっていうかさ、うまく言えないな、そのー、うん、類号を考えればいいのか、えー、シン、シンフォニーね、そうそう、ほら、シンフォニーとか、ね、シンパシーのほうね、えー、シンフォニーとかね。
あとー、えー、シンボルは違うか、まあ、シンボルもそうか、えー、調べとけばよかったね、これね、うん、いいね、もう、そういうふうに、こう、同、同期している、同調しているっていうシンパシーと、ね、中から、ね、って言ってるエンパシーなんですけど、注目したいのはね、このね、
窃盗字と呼ばれる方向性のところじゃなくて、むしろパシーなんですよ、パシーね、これ、これ調べてね、びっくりしたんですけど、パシーってね、要するにね、パトス、パトスっていうところから語源、語源がパトスなんですよ、これパトスって何言ってたら、感情なんですよね、
だからね、シンパシーのほうが感情的に共感して、エンパシーのほうが、こう、なんか、想像して論理的に同感するっていうことじゃなくて、両方とも感情なんですよね、パシーだ、パトスだから、ほら、パトスって何かって言ったら、ほら、あのー、アリストテレスで、今日はアリストテレスデイかな、アリストテレスデイ、
1:12:18
アリストテレスいっぱい出てきますけども、ロゴスに対してパトスとかってね、あのー、ね、アリストテレスの詩学の中で出てきますけどね、ロゴスっていうのは理性だとか、それから論理だとか、それに対してパトスっていうのは感情だとか情熱だとかね、そういうことね、あと苦痛だとかね、
なんかそのー、えー、エモーショナルなエネルギー、ね、これがまあパトスですよ。で、ロゴスっていうのは、そのー、物事の道筋とか客観的なデータとか事実を論理的に思考することがロゴス、ね、いうじゃないですか。だから、エンパシーもシンパシーも両方パシーだから、感情なんですね。
あれ?ってなるじゃないですか。あれ?シンパシー、シンパシーが感情で、エンパシーは感情じゃないってなってなかった?さっき言ってなるわけ。だからね。
で、なんかこう、一説によると、ね、えー、エンパシーっていうのは、えー、なんかそのー、えーっと、感情移入ね、なんかその、縁っていうのが感情の中からとかね、そのー、えーっと、うまく言えないけれども、
そのー、うん、両方感情なんですよ。なんやねんと。だから、そっから両方感情ってことをね、考え、から考え直すと、確かにさっきのママハハの話も、それからあのイライラ店員のね、クリスマスマーケットのイライラ店員も、それから養育費を払わない元旦那も、みんなね、感情なんですよね。
だから、一方的な感情か、立場を超えた感情かの差であって、感情は感情なんですよね。で、ママハハにはママハハの感情があるよねと。で、えー、ママハハの話を聞いてみたら、確かにママハハの感情にも、えー、共感できる。
ね。うん。し、もちろん、あのー、シンデレラの、あのー、感情にも共感できる。っていう、ただそれだけの違いっていうね。もう、だからね、あんまりね、エンパシーばっかりをね、何かこう、理想的なというか、こう、想像力を働かせてみたいなね。
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論理と理性でみたいなね、ことでもてはやしすぎると、むしろなんか危ないんじゃないかなっていうふうな感覚に今なってるわけです。
つまりは、感情は感情なんだけれども、感情の方向性が違う。ね。双方向なのか、それとも一方的なのかみたいな。ね。うん。
だから、つまりは、宮沢が今日ね、一番ちょっと言いたいのは、なんでわざわざ長い時間使ってブレ人の話をしたかっていうのと、ね、ちょっと重なるなってところもあるんですけど、
シンパシーであれね、エンパシーであれ、感情に流されるなよって思ってるわけ。うんですよ。でね、ただ、ただ、その、その先ね、えーと、これはちょっとあの、参考文献なんですけれども、
えーとね、えー、えーと、ほら、えーと、ほら、えー、このね、えーとね、ブレイディ・ミカコさんっているじゃないですか。ね。ご存知ですよね、みなさんね。ブレイディ・ミカコさん。ね。
この方の、ほら、代表作というか、超有名な作品で、えー、ね、あの、むす、ほら、この方もね、あれで、えーと、ほら、えーと、えーと、息子さんと一緒にね、えー、イギリスにほら、行くことになっちゃって、ね。
それで、えー、その子供とのね、会話と対話みたいなものを描いた、僕はイエローでホワイトでちょっとブルーっていうね、あの、超超超ベストセラーでめちゃくちゃいい本あるじゃないですか。
あの、あのブレイディ・ミカコさんが、その、えー、僕はホワイトで、あれ?えーと、ね、その本を書いた後に、えー、そのね、えー、僕はの中にエンパシーという、僕はイエローでホワイトでちょっとブルーか、ね。
その中にエンパシーという言葉が出てきて、なんかその、えー、僕はイエローでホワイトでちょっとブルーの、えー、感想を書く人たちが、やたらとね、エンパシーエンパシー言い出したというので、じゃあエンパシーのことについてちょっと調べて考えるわって言って、で、まあなんか続編みたいな感じで、えー、書いた本があるんですよ。
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これがね、めちゃくちゃまた面白いんです。ね。皆さん多分、僕はイエローでホワイトでちょっとブルー読んだと思いますけども、これもね、うわー面白いし、あ、なんかこう、他人とどういうふうに分かり合っていけばいいんだろうみたいな、それも全然、全然立場の違う、もう民族も、あの文化も、国籍も何もかも違う社会の中で、えー、どうやったらね、えー、
こう、自分らしく生きていけるんだろうか、みたいなところから、いろんなこの国と国との争いから、ね、えー、差別から、うん、偏見から、いろんなところに話が派生していきながら、めちゃくちゃいい話がね、えー、書かれている。その、ね、息子が、その階級社会、めちゃくちゃ階級社会であるイギリスの、えー、中学校に行かなきゃいけなくなって、で、そこで起こった、その、
あのー、あら、いろんなことをお母さんに話してきて、で、その、今度はお母さんはお母さんで、とてもこう、あな、自分はアナーキーな人間だと、えー、いうので、あたし、アナーキーな自分から見たら、それはこうだよね、みたいな、この、えー、対話みたいな、ね、ことを、いろいろ、おー、書いてあるね、えー、エッセイのような論、あの、論考のようなね、えー、本がありますけれども、
それの続編みたいな形で、えー、出した本があります。これがね、今日の推薦図書にしたいんですけども、他人の靴を履く、アナーキ、アナーキックエンパシーのすすめ、というね、本でございますね。えー、これね、あの、実はあたしね、読み始めて半分ぐらいまで来て、まだ全部読んでないんですけども、全部読んでないのに、すすめんじゃねえって思いますけども、
でもね、もうね、半分ぐらいですげえ目からボロボロ、あの、うろこが落ちておりますよ。でね、さっき話したような、えー、エンパシー、エンパシー言うけど、てんてんてん、みたいなね、そういう話もね、含まれてますから、ぜひね、一緒に読んでいただきたいと思います。
もう一回言います。えーと、文春文庫から出版されております。ブレイディ・ミカコさんで、えー、他人、他社の靴を履く、他人、えー、他社だ、他人じゃないね。他社の靴を履く、アナーキックエンパシーのすすめ、というね、本、おすすめでございますけども。でね、もう一回ね、エンパシーのことについて、みんなエンパシー、エンパシー、大事、大事って言うけど、待って待って待って、どういう意味?ってね、もう一回ね、えー、これを読んで、一緒に考えていただきたいと思います。
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で、エンパシーについて答えなさいの時に、この息子さんは、えー、エンパシーというのは、他人の靴を履く、みたいなものだ、というふうに答えたと、えー、いう、そういうエピソードがね、えー、僕はイエローでに出てくるんですけど、そこら、そこのね、じゃあ、それを受けて、その中学校の先生が、エンパシーって大事だよね、みたいな話をする場面が、その、えー、僕はイエローでの中ですごく、えー、
印象的だ、ということで、みんなが感想を述べる時に、エンパシー、エンパシー、言い出してるよね、みたいな、そんなところから、この、えー、他者の靴を履く、っていうね、この本が展開されていきますのでですね、あの、僕はイエローでを読んでなくても、こ、あの、他者の靴を履くからでも、たぶん楽しめると思いますし、なんならこれをきっかけに、僕はイエローでからもう一回読もうかな、って読んでもいいです。
うん。
のでですね、エンパシーについて、ね、一緒に考えていただければな、というふうに思う、えー、今日の配信でございました。
えーとね、本当はあともう一ネタあったんだけど、もう12時になっちゃったから、今日はここ、これぐらいにしといてやるか。
というわけで終わりたいと思います。えーと、おー、最後まで聞いてくださった皆様、ヘビーボンド、いつもありがとうございます。
今宵のお話はいかがでしたでしょうか。
エンパシーだって、感情かもしれない、というのが今日現在の結論ですが、異論反論、賛成反対、いつでもお待ちしております。
劇場は人間、そして人間とは、思って、話し合って、考えて、忘れて、また思う生き物。
劇場とくっつける、劇場にくっつける、劇場でくっつく、これからも社会と劇場をくっつけるボンドの時間を続けます。
芸術法人シアターボンドのラジオ、お相手は法人代表の宮沢でした。また次の配信でお目にかかります。おやすみなさーい。