1. 「私たちは人間になろうとしている」
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2025-02-27 29:44

#57 絶対的わたし幸せ感覚。Instagramとの距離感

比較しないと幸せなら幸せだし、比較しないで幸せじゃないなら、自分の幸せってなんだろって考えてみるのもいいよね。


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サマリー

このエピソードでは、インスタグラムとの距離感を見つめ直す中で、自己評価や幸せ感について考えられています。パーソナリティのみにぃさんは、相対評価から絶対評価にシフトし、シンプルな幸せを再発見しています。また、自己評価やSNSとの関係について考察し、特にインスタグラムがもたらす影響についても語っています。最終的には、幸せを感じることの重要性や、自分自身の価値を見出すことについての気づきを共有しています。

春の訪れと心の準備
みなさん、今日の調子はいかがですか。 私たちは人間になろうとしているパーソナリティのみぃです。
この番組では、中年の危機を迎えた私が、ホルモンや無意識の支配から逃れ、 人間として生きていけるようになる過程をお話ししています。
天気予報を見ていると、今週くらいから春めいてくるようですね。
私は毎年11月から2月くらいまでは、 冬眠の季節、
そうね、自分の中ではしていてだいぶ眠いんですよね。 コスパが悪い人間なんですけれども、
3月くらいから毎年ね、不思議と自分の中のエンジンがかかり始めるなって感じがしていて、
今週から若干そのエンジンがかかっている様子を感じるようになりまして、
いよいよ春がやってきたんだなぁなんて思っています。 花粉がね、結構厳しい。
昨今厳しいですよね。私もね、すごい花粉症なんですけれども、 ポッドキャストやってる人としては花粉症結構きついなって、
個人的に思うんですけど、みなさんどうでしょうか。 やってない人もいるかもしれないけど。
さて今日は何を話そうかなぁと思って悩んでたんですけれども、 なんとなくね、ちょっと sns の話でもしようかなぁと思っています。
それでは本編にどうぞ。
私たちは人間になろうとしている。
そういえばインスタグラムってやってますか? 私は最近インスタグラムをアンストしたんです。
アンインストールですね。 アンインストールの略はアンストです。
前回ポッドキャストで疲れた時の休み方っていう話をしてですね。
まあその話をした通り、あと オープニングでちょっと話したように、毎年ね、2月ってダメなんですよね。
例年に、例年ね、自分の3年日記を見返すと、 2月って疲れてるんだなって思ったんですが、
体調も良くないっていうのもあるんですが、 なんかね、毎年2月は調子悪いっていう感じで、
体調がね悪いとこう、余裕がなくなるっていうのもあって、 なんか今年はインスタグラムの存在が自分にはちょっと重荷っていう感じになってしまったんですよね。
多分それは、 もう
ね、私は頑張りたいっていう気持ちがあるんだけど、 去年の10月ぐらいから怪我したり、ちょっと体調不良がなんだか続いちゃって、
ちょっと横道にそれるんですけど、 今年、去年ぐらいからこう情報発信を始めて聞いてくださる方には、
みんさんちょっと体調崩しがちとかね、怪我しがちって思われてしまうかなって思うんですけど、 本当にね、あの
去年までは怪我とか、もう 病気とかもあんまりしないタイプの人間だったんですよ。
骨折も去年が生まれて初めてだったし、 あんまりに骨とか筋肉が丈夫なタイプで、
風邪もあんまり引かないタイプだったんですけど、 なんかね、去年ぐらいからそういった不調が続くようになってしまっていて、
まあ自分でもちょっとびっくりっていう感じではあるんですけれども、
まあやっぱり、 頑張りたいけど、
怪我してたり体調不良だと、やっぱり頑張ること結構難しくて、
できる範囲で頑張るっていうことも、 どこまでができる範囲なのか
っていうのはわからなかったり、 あとはもう、やさぐれちゃってて、
頑張りたいけどもうできないよみたいなね、 それが一番嫌だったし、
言うてもやれよ自分みたいな、自分を責めちゃう自分もいたりなんかで、 まあそんなこう、おしゃごしゃっとした中でね、頑張りたいけど頑張れないみたいな
状況がまあ数ヶ月続いて、 まあもちろんね、そんな中でも頑張る人もいるでしょ。
だからまあ結果として、頑張りたいけど頑張れないって捉えてしまったのは、 私の弱さだったなぁって気もしますけれども、
まあそんな状況で、 やっぱりこうインスタグラムを見ると、
頑張ってる人とか、 楽しんでる人とか、
なんかやっぱりこう、 自分より優れた側面を
やっぱり動画とか、 写真で見せられるとちょっとペコンちゃったみたいなところもあったのかなぁと思って。
まあインスタグラム自体はね、もうあんまり更新とかはしていなかったんだけど、 まあ暇つぶしにちらっと見ちゃったりとかね。
まあほとんど暇つぶしだよね。見ちゃったりとかして、 まあ自分のね、
あんまり頑張ることができない状況と比較して疲れちゃったのかなぁなんて思っていたりしました。
そもそもなんかインスタグラムって、 最初は友達の状況を知れたりね、あと興味のあることを調べたり、
かわいい動物を見たり、それが一番多かった気もするけど、 楽しかったんですよね。
だけど自動的に流れてくる情報って、
なんかどんどんどんどんやっぱりこう過剰に優れたものだったりとか、 過剰に、自分にとってはね過剰な情報が流れてくると、
そもそもあんまり興味のないことに興味を持ち始めたり、 あとやっぱりインスタグラムってその友達との情報交換のツールだけじゃなくて、
マーケティングのツールとして活用されているわけだから、 そんなに欲しくないものを、なんかだんだん欲しくなったりとか、
自分がなりたいと思っているわけじゃないものになってキラキラしてる人を見て、 なんか劣等感感じたりね。
そんなところに少し違和感を感じ始めていた矢先に、 自分の体調不良で、
ここの世界の人と自分のギャップを感じて、 辛くなってやめたみたいな感じなんですけどね。
絶対的評価としての幸せ
で、それをやめるって言っても、アカウントを消すとかっていうことじゃなくて、 携帯、アカウントをそのままの状態でインスタグラムのアプリをね、
携帯からアンインストールしたっていうだけのことなんですけど、 そのアンインストールするぞーって決めてした時、あとはする直後ね、
なんかね、よくわからない罪悪感があったんですよ。 すごいよね。インスタグラムのアプリを携帯からなくすだけなのに、
いいの私?そんなことしちゃっていいの?みたいな、 よくわからない、本当に罪悪感みたいなものがあって、
これって何なの?って思ったら、 社会とつながることをやめた?みたいな感覚を感じたんですよね。
もちろんそんなのはまやかしなんだけど、 自分はその時、そう感じてしまったんです。
で、そう感じている自分と、 いや、それはちょっとおかしくないかい?って感じている自分が
二つにあるみたいな感じで、 少しその
罪悪感を感じている自分を客観視している自分もいるっていう感じだったんですよね。
で、そのあたりはノートにも書いたんで、 ぜひね、読んでほしいなって思うんですけど、
まあそのインスタグラムをやめてしばらくね、 3週間ぐらいかな?たって、
この間の3連休に旦那とライブに行ったりとか、 ご飯食べたり楽しく過ごしている時にね、
夫婦仲良く自分の好きなライブとかに行って、 おいしいご飯食べたり、
もうそれだけですごく幸せだなぁって 思ったんですよ。
その時にふとね、 絶対的な評価で、私は幸せだなって思ったんですよ。
で、この絶対的な評価っていうのは、 どういうこととして私が使っているかっていうと、
まあ私の職業がね、人事バターなんで、 ちょっと人事バターの人の職業病というふうにも、
以前ちょっと言われたこともあるんですけど、 やっぱり評価するっていうことに若干慣れてしまっていて、
例えば、人事効果の仕事をする時も評価に携わるし、
採用のね、仕事をする時も評価をするとかっていうことに 慣れていますので、
若干その確かに人事の仕事長い人ってね、 まあいいとか悪いとか、
まあ評価するっていうことが癖になってしまってるってとこ あるのかなと思うんだけど、
まあ評価をする時に相対評価と絶対評価 みたいな軸があって、
相対評価で言うと、例えばね、絶対評価っていうのは、 一従業員のあなたの素晴らしさについての評価なんだけど、
例えばその人がとってもすごいからって、 全員、その素晴らしい全員にAの評価を会社は提供できない?
提供って変か、全員にAの評価をつけられない。 どうしてもバジェット、予算がある中で商用の分配とか、
昇給昇格をしていかなければいけないので、 良い人がいたとしても、その良い人の中で相対的にこの人が一番いいねとかっていう、
まあ相対評価をしなくちゃいけないっていう、 2つの軸があるかなと思っていて、
思えば私はこの数年でね、だいぶ相対評価で、 自分を見ていたように思ったんですよね。
例えば、今私はこういう状況だから、 まあ幸せか?とか、まあマシか?とか、
意識的じゃないけど、でもああいう状況にいないから、 私はきっと幸せだなとか、
何かと状態を比較して幸せであったりとか、 あとはこう言い訳のような、まあああなりたいけど、
こういう状況なんだからまあいいじゃんとかね。 まあちょっとうまく例え話ができないな気もするけど、
まあその自分を悟すような幸せを表現するようなことが多かったように、 なんか思ったんですよね。
自分はこう、 意識はしてなかったけど、このこの間感じたような、
絶対的な評価で、私は幸せっていう感覚とは少し違う感覚で、 自分の幸せを捉えてたなーっていう気がしました。
でもこの3連休は、 本当にね、誰と何を比較するんでもなく、
わーすごく私って幸せな人間だなーって思って、 なんかとってもね、それが心地よくって、
この感覚のまま生きたいなーって 思ったんですよね。
ハッシュタグ リンコム
まあなんで私が、ここ数年ね、相対評価をするようになったのかっていうと、
なんでなのかなーと思って、例えば子供の時とかね、 思春期の頃に、私はあんまり人と誰かを比較する、
まあ人と私を比較する、みたいなことをしなかったように思うんですよね。
ちょっとノートの方にも書いたんですけど、 私は母にね、あなたは自分と誰かを比較しないところがいいところだよ、って褒めてもらったことも、
記憶に残っていて、 確かにね、
誰かと自分を比較するっていうアイディア自体があんまりなかったなって思うんですよね。
私は私だし、とか誰かが持っているものを羨ましいと思うことも、 あんまりなかったなーって思うんですけど、
なんかね、30代になって結構、 誰かと自分を比較するっていうことが習慣づいたなーっていうような気がしたんですよね。
なんか振り返ってみて。 これは何なのかなーって思うと、
仮説ですよ。でもライフイベントによる影響っていうのが結構大きかったのかなぁと思いますね。
私は結婚はしまして、 でも子供はできなかったんですね。
結婚してしばらくたったら、もちろん子供が欲しかったので、 子供を作るために不妊治療したんだけど、
その当時はね、 国の補助っていうのがない時代だったので、
結構何年も長い間、 全て自己負担で、
胎外受精の不妊治療を続けたりしたんですよね。 なんで、ものすごいお金をかけて、
不妊治療をしました。 当時ね、胎外受精のまあ、
なんていうのかな、ワンターム?
で、 初回とかほんと100万ぐらいかかったし、
2回目とかでも、やっぱり80万ぐらいかかったんです。 私の時代はね。
で、まあ結果、子供がね、できなかったし、 まあさっき言ったように、
1回の治療に、 まあ私の場合は、その
再卵自体ができないタームっていうのも結構あったんで、 その時はまあ30万とかで収まったりとかしたけど、
でも20代、まあ30代か、30代前半のね、 夫婦に
やっぱり1ヶ月で30万とか使うのは、もう相当な負担だったんですよ。 なんで、もう恥ずかしいけど貯金もね、使い果たしたし、
私の場合は、ちょっと時代もね、あんまり今みたいに、 マタニティハラスメントみたいな言葉もなかったから、
ちょっと正社員としての仕事もね、会社の方から、 まあ無理っていうふうに言われて、
まあ正しく言うとね、会社の方からっていうことではなかった部分もあるんですけれども、 まあでも正社員の仕事も失ってしまって、
周囲は子供がいたりね、もしくは 家を買ったりとか、
まあ出世をしていたりとか、 まあそういう状況のみんなと、
自己評価と幸せの探求
子供もできなくて、 貯金もない、みたいな自分をね、
比較して、 すごくみじめだったりとか、
私の何にがいけなかったのかなとか、 まあすごくこう、
自分を責めるじゃないけど、 そういう期間がね、ちょっと長かったのが30、私の30代だったりしたので、
この期間に結構自分で自分にかけた呪いみたいなものが、 今でも私の劣等感の一部のような気はするんですけど、
今は夫婦でちゃんと話し合って、2人で楽しくね、幸せに生きていこうって決めたっていうのが、
まあ結構最近の話ではありますけど、 大きな人生の転換期? 転換点?
ターニングポイントになった気がしていて、 その話はまたいつかね、したいなって思うんですけど、
まあ、 いろいろとこう、
去年おととしぐらいから状況が、 まあ変わっていったり、体調だったりが変わっていったりとかする中で、
すごく、あってるのかわかんないけど、内省をした中で、 私は自分がすごくマイペースで、
結果としてっていうとこもあるけど、 一般的なモデルケースの人生とはちょっと違う?
マイノリティ気味な人生を歩んでいるかもしれないけど、 まあでも、
別に悪いことはしてないというか、
悪いこともしたかもしれないけど、 いやそれはもうみんなもしてるでしょ?
みんながみんなちゃんとしてるわけじゃないと思いたい? もちろん悪いこと何もしてない人もいるかもしれないですけど、
まあ、 そういうことがあったとしても、
幸せを感じて生きたっていい、みたいなね。
なんかそういうことを最近思うようになったんですよ。 大げさに言えばね、子供がいなくても、
ちょっとそういう不日用とかでお金いっぱい使ったりしたので、 一般的な40代よりも、今はまだ貯金が少なかったとしても、
家が、家を持っていないとしても、
でも、幸せを感じて生きたっていい、みたいなね。
なんかそんなふうに、 最近は思えていて、
そこから徐々に、
自分が人と比較するっていうことに疲れているんだなぁとかの気づきもあって、
絶対評価で私は幸せだって思えるように、 やっとなったのかな?
で、それがね、とっても嬉しいし、 本当にそうだよねって、今思っていたりします。
SNSとの距離感
まあ、インスタグラムだけじゃなくて、 そのSNSにある美しく見えるものとか、
普通話とかっていうものはね、 今でもやっぱり声のでかい人とか、
それがフォロワーの多い人とかね、 美しく見えるものとかね、
そういうものを持っている人っていうのは、 やっぱりパワーがあるよね。
でも声がでかいものっていうのが、 正しいわけじゃない。
やっぱ人それぞれ全然、事情も個性も違うしね、環境も違うから。
だからちょっと影響を受けてしまいやすい性質の私っていうのは、
受けたくない影響から自分を守るっていう選択が、 やっとね、できるようになって良かったなぁって、今は思ってたりします。
まあ、何がね、良いとか悪いとかじゃないよね。
私は自分が結構周りに影響を受けやすかったり、
まあそういう性質を持っていて、 感受性が強い人のね、特徴でもあるかなって思うんです。
そういう人は自分の幸せとかね、 こうなりたいとか、
そういう自分の欲求とかニーズっていうのが、
どういうものなのかっていうのを、ある程度自分でわかっているっていうのが、 お守りになるんじゃないかなっていうふうな気がしています。
以前だったらね、やっぱりまだ人と自分を比べて、 あわあわしてたと思います。
で、本当にね、怖いことだけど、
自分を罰したり、
叱ったりね、 そういうことに細かく時間を使っていたなぁとも思うしね。
だけど、今は社老子になって、応援したい会社と一緒にね、 自分の強みを生かして仕事をしたいとか、
物書きになりたいなぁとか、 家族と仲良く生きていくっていうのが、私の一番の幸せなんだなぁとか、
自分が納得できる、自分の喜ぶ状態っていうのを、 ここ2年ぐらいね、すごく内省して見つけることができたから、
それと違う影響を及ぼしてきそうなものっていう、 情報とかね、環境から距離を取るっていう選択ができるようになったのかなぁと思いました。
偉そうにね、 そうした方がいいよとかは思わないし、
ましてや、 今日ね、この話したことで、私はこんなことができるようになったのよ、みたいな、
そういう話じゃなくって、 なんかこう、感受性が強かったりさ、
あとは人の気持ちを
考えて自分の言動をチョイスするっていうことに慣れている方って、 結構多くいらっしゃるんじゃないかなぁと思ってて、
で、私がインスタグラムをね、アンインストールするっていう決断をした時に感じた罪悪感って、
例えば友達の情報を知れなくなるとか、 今度友達と会った時に共通の話ができなくなるとか、
応援したい友達のことの情報から疎遠になるとかね、
いろんな細かい理由の積み重ねの先にまとまって、 罪悪感という言葉で表現されたものなんだろうなって思うんです。
でもそれっていうのは、私じゃない誰かのことを優先したり、 もしくはそういう人たちと一緒にいたいって思う気持ちが、
もしくはその人、そういう人たちと同じ、 なんていうのかな、
状態でいる、自分は仲間である、みたいなね、 そういうものを感じていたいという気持ちだけで、
自分のつらいだったりとか、自分の特徴だったりとかを、 見ないような行為だとは思うんですよね。
でもそんなに人を優先してあげられるほど、 私というものに余裕があるのかなって思った時に、私はなかった。
ので、まあ逃げるが勝ちじゃないけど、
なんかその方たち、自分以外の人たちを攻撃するわけでもなく、 私は自分のために、
例えばインスタグラムを見ないだったりとか、 ちょっとこういった発言の人からちょっと遠ざかろうとか、
まあ一時的にでも距離を取ろうとか、 そういう選択を
できるんだったらね、するっていうのも一つの手なのかなぁと思って、 私のケースを話しておこうかなぁと思って収録したという感じです。
絶対的、私幸せ!みたいなね、そういう感覚は、 私にこう自信を取り戻してくれるような気が、今はねしてますよ。
今年は堂々と生きるっていうのが一つのテーマだったりするんで、 なんか
理由はなく、 私は幸せなんだなぁって、幸せだぞって思えてる
っていうのは、 自分の言動とかにね、現れるなぁとも思っていて、
堂々と生きるっていうのに、ちょっと近づけるような感覚もね、 あったよっていうお話です。
では今日も聞いてくださって本当にありがとうございました。
もしよかったら番組の感想なんかを、Xとかで ポストしてくれたら嬉しいなと思います。
ハッシュタグひらがなでにんかむをつけて、 ポストしていただくと、私も拾いに行けるので、ぜひいただければと思います。
それでは、 来週もまた聞いてください。
ありがとうございました。
29:44

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