1. ひぐちとふじいでなに話す?
  2. 岡ぎゃざ徹底解剖② -造形教室..
2025-12-19 46:34

岡ぎゃざ徹底解剖② -造形教室ってなにしてるの?-

35 岡ぎゃざってなにしてるの?3つのクラス。余白をどれだけ作るか。樋口のパンク精神。廃材を使った工作教室。工作を通じて生きる力を見つける。岡ギャザからのメール。


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※樋口も藤井も偏見と偏愛で経験から話すため、根拠・裏付けがあったりなかったりで話してます。

マエノメリかつ「信じるか信じないかはあなた次第」的なノリで聴いて頂けると幸いです。


美容師の専門学校で出会い、席が前後だったひぐちとふじいが結論がない話をひたすら話し続けるPodcast番組。

美容師の道からは2人とも方向転換し、樋口はアパレルショップ・造形教室の経営、藤井は営業職として働くサラリーマン。「ファッションからビジネス、愛知、人間」様々なテーマでの会話をお届けします。


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サマリー

岡ぎゃざでは、工作を通じて子供たちの生きる力を育てることをテーマにしている。造形教室では、廃材を使った創作活動が行われ、子供たちは自立し、自分らしい表現を重視されている。造形教室のモットーや理念については、子供たちの表現を尊重する重要性が語られる。また、教室内でのスタッフ同士の共通理解や、表現を評価せずに肯定する姿勢についても言及されている。このエピソードでは、岡崎での造形教室の起源や運営に関する苦労、子供たちと親御さんとのコミュニケーション方法が深く掘り下げられている。特に、習い事としての造形教室の特徴やその価値の重要性が強調されている。このエピソードでは、造形教室での活動や親の影響、情報発信の重要性について議論されている。

00:08
石巡家前後だったアパレルショップオーナーのひぐちと、サラリーマンのふじいが偏見と偏愛で話していくポッドキャスト番組です。
お願いします。
はい、お願いします。
岡ぎゃざの成り立ち
はい、じゃあ今日はちょっと前回の続きで、岡ぎゃざ徹底解剖②を早速やっていきたいと思うんだけど、
前回簡単にまとめると、岡ぎゃざの成り立ちみたいなところを前回は全体的に話してくれて、
そもそも造形教室っていうイメージがあったところからスタートしたっていうよりかは、ある種、ひぐちもとりあえずやってみようみたいなところから、
いろんなワークショップに自分も足を運んで、それを自分でやってみて、そこに敗罪っていうヒントがあったりとか、
あとその1回のワークショップから、やっぱり長期的に子供が新しいものを作るっていうところを、
1回の機械だとどうしても限界があるから、それを中長期的な視点で届けたいみたいなところもあって、今のデザインにたどり着くっていうところまでを前回は話したと思うんだけど。
そうだね。
今日は実際におかげさ、今のおかげさがどういうことをしてるのかっていうところをちょっと聞いていければと思うんだけど、
でも今ってもうかなりその習い事の形をしてるというかさ、まあ当たり前なんだけど。
確かに。
してるよね。だって最初って本当に週に1回とか?
そう。
毎週木曜日?
そう、毎週木曜日の週1回だけで、今ギャザー丸8年とか9年ぐらいだと思うんだけど、
でも本当まだ最近ぐらいまで、3、4年ぐらい、まあ4年前ぐらいかな?までギャザーは週1とか週2とかでしかやってなかったから。
あ、そうなんだ。
本当にね、ここ最近、ここ2、3年ですごく動いた感じするね、スタッフとかも。
そうなんだ。
じゃあその3年目、4年目とかまではほとんどユカさんと2人でやってたの?
あ、でもね、週1、2の時もスタッフはいたかな?スタッフ入ってみようかって言って4年前に入ったかな、確か。
あ、そうなんだ。それが今となってはもう週5?
週5だね、週5。
いやすごいね、週5に毎日違うお子さんたちが来てくれてるってことだよね?
そうそうそう、全員違う子が来てくれてて。
あ、そうなんだ。
実際そのおかげだっていうのは、いろんな深掘り方があると思うんだけど、実際に何してるのかっていうところもそうだし、
なんかその子供に対してどう説明するかと、その親御さんに対してどういう訴求をするのかって結構話し方としては違うのかなっていうふうに思うんだけど、
工作による生きる力の育成
そもそもおかげだって何してるのって言われたら、何してるの?
何してるか、工作を通して生きる力を育むみたいな。
そう。
そういうこと?何?
生きる力。
ちょっと大きく出た?
大きく出たね。
大きく出たというか、ずっとこれ言ってることではあるから、それでいいのかな。そんなことがしたいというか。
そうなんだ。その大きい大テーマとしては、工作を通じて生きる力を身につけるっていうのをテーマに置いてるんだね。
自立するみたいなことはもう大前提として、子供、結局子育ての執着点というか、動物の子育てを見てもそうなんだけど、
結局は子供が自立することっていうのが多分大前提だし、一番目指していることだと思うんだけど、
自立は前提として、自分らしく表現して生きていくみたいなところをギャザーはやっていけたらいいなと思ってるかな。
それが前回ちょっと話してた、親御さんがちょっと手を出しちゃうみたいな、経験泥棒みたいな話にもつながると思うんだけど、
そこの自立性はもちろん担保しながら、その工作を通じてゼロイチを作るっていうところも含めて生きる力を身につけるっていうのがテーマなんだね。
そうだね。自分らしくって結構難しい課題だと思うんだけど。
廃材を使った創作活動
そうなった時に、いろんな教室が今はあると思うんだけどさ、毎日のおかげだの中では実際にその工作っていうものの内容自体は何やってるの?
今だと来年の年始に向け、来年の年始で飾る用のだるまを作ってる。
だるま?
だるま作ってる。
それは今もその廃材を主に扱って作ってるの?
そうだね。今も全部廃材で作ってるね。
今紙でさ、張り子みたいな感じでベースのものに対して、審務室で最初ベース作って、それからテープとか糸とか使ってベースを固めていくんだけど、
その上から水糊つけて、ちぎった紙をいっぱい貼っていくんだよね。
乾かすとカッチカチになるんだけど、
その手法で今はだるまを作ってるんだけど、その紙、提供していただいてる赤い紙とかも全部印刷会社さんの廃材をいただけて、ずっと廃材でいろんな企業さんからもらえるようになったね。
あ、そうなんだ。
それは元々は廃材を販売するところから、その廃材を買って、それを工作に使ってたところから、今は結構そういった企業さんとかから直接やり取りしてみたいなことも増えてきてるんだ。
そうそう、前は毎日商会っていう参拝業者があってみたいな話をしたと思うんだけど、今は廃材使ってるみたいなことを聞いてくれた方たちが連絡してくださったり、逆にこっから連絡したりとかして、いっぱい廃材が集まるようになってきて、いろんなものをもらえるようになってきた。
そうなんだ。やっぱり廃材を使ってそういう活動してるよっていうのが、自分からもちろん連絡してるっていうのもあると思うけど、そういう活動が届いて、その企業さんから資材とか部品になるようなものをある種提供してもらえるような関係性でもあるんだね。
そうそう、応援してくださってる方たちにね、いただけるようになって。ありがたいです、本当に。
今は正月とか、季節も含めたものとかのテーマがあると思うんだけど、作るものとかに関してはどういう経緯でこれを作るっていうのが決まっていくの?
そうだね、季節もあるし、まずテーマ制作っていうのと自由制作みたいなのがあって、テーマ制作、クラスごとでやる内容とかは違うんだけど、その余白が違うというか、3クラスあって今。
1つがチャレンジクラスっていう年長3から小2までのクラス。クリエイティブクラスっていうのが小1から中学生。研究部っていうのが小4以上みたいな感じで分かれてるんだけど。
そうだね、テーマはどうやって決まるか。研究部とかだったら子供たちがプレゼンして決めたりとか。
この間地獄の研究したっていう話で出たのが研究部。
難易度が高いとか余白が多い。
自分たちで考えていく要素が多いクラスなんだね。
一番最初の年長さんのチャレンジクラスとかだったら余白が2割ぐらいは2、3割余白があって、自由すぎると難しい時もあるから。
自由にやっていいよってなると自分の引き出ししかないから全然何していいか分かんないみたいなこともあって。
だからわりとこっちがテーマをなんとなく決めて、テーマが決められるとそこに共感したり反発したりとかそういうのが出るから、そこから自分なりの表現を探していくみたいな。
テーマはわりとこっちが決めるかな。
テーマっていう7、8割の部分はしっかり整備して、残りの1、2割で自分たちの表現をしてもらうっていうのがチャレンジクラスなんだね。
そうそう、そんな感じだね。だからチャレンジ、基礎クラスみたいな感じで、土台、自分らしく表現するためのまずは土台、技術とか、そういうものを一旦磨いてから、次はクリエイティブクラスっていう応用クラスに行くから、
そこだと、ダルマで言うと今作っているダルマで言うと、いわゆるダルマっていう丸い形はチャレンジクラスが今作っている。それは基礎編だから。
ああそうなんだ。そのダルマっていう大テーマがあって。
で、形も様々ではあるんだけど、一応丸っていうある程度のダルマを作ろうみたいな。で、そこに顔とか絵は自由度が高く、そこが余白みたいな感じかな。
顔を描くとか、どんな顔を描くとかとか、何色使うかとかは余白ではあるんだけど、結局クリエイティブクラスで今ダルマ作ってるんだけど、クリエイティブクラスはダルマの概念をぶち破れっていうタイトルにしてて、
なんでダルマっていう丸であるべき概念、あれダルマ自体が願い事をして、願い事をする時に目を描いて、右目描いて、願い事が叶ってから左目を描くみたいな。
そういう願い事の対象の飾り物みたいなルーツがあるんだけど、だとしたら自分の願い事をモチーフにした赤い何か、自分なりのダルマ、全員赤いんだけど、作品自体は全部赤の紙を貼っていくから赤いんだけど形が全員違うみたいな。
なるほど。
そう、なんかこう自分でオリジナルの概念というか、オリジナリティを求めていくみたいな。だから全員違うものを作ってるっていう。
そうなんだ。じゃあその共通しているのはそのダルマであるっていうことと赤い紙を使うっていうことだけはそれこそこっちで整備をして、それ以外はもう逆にもうダルマの概念をぶっ壊したものを作ろうっていう風に自由度がやっぱり高いんだね。
そう、自由度が高くなる。
へー、面白い。
そう、でかい貯金箱みたいなの作ってる。そうそうそう、面白くて貯金箱みたいなの作ってる子もいるし、なんか自分の飼ってる猫を大事にしたいからとか、なんかいろんなね眼科系で作ってるゲームをたくさんしたいとか。
あーそうなんだ。
なんかじゃあそれで言うとさ、今回のそのダルマの概念っていうのを壊すっていうのはある種その前回も言ってた、その狙いっていうものをちゃんと置いて作ってるっていう話を前佐々木さんの会の時にしたと思うんだけど、その狙いの共有っていうのはそのどのクラスでもその事前に子供たちにしてるの?
そうだね、割としてるのかな。なんか定期的にしてて、なんか狙い、まあ講座の中の狙いも含めてやってるし、何かにしても割と何のためにやるかみたいな。
うんうんうん。
なんか説明もするし、みんなでも考えてもらうみたいな時があったり。
あーそうなんだ。
うん。
なるほど。
なんでありがとうって言うんだろうみたいなとかをテーマに子供会議したりみたいな。
あ、そうなんだ。あ、そういう子供会議っていうその子供たちで考える時間っていうのもあるんだね。
あ、そうそうそうそう。
それで言うとさ、その工作を通じて生きる力を身につけるっていうところにさ、
ギャザのモットーの話をちょっと深掘りたいんだけど、
3つのモットーがあるじゃん。挨拶、お礼、謝罪。
あと相手の表現を尊重することで自分の表現も尊重される。
あと自分の決めたことに責任を持つ。
で、なんかここに結構いろんなものが詰まってると思っていて、
なんかこれ前さ、なんかの会でこれ教えてくれてさ、
なんか普通になんか人と考えさせられるっていうか、
造形教室のモットー
なんか挨拶してねえなみたいな。
いやいやいや、なんか言葉だけでさ、聞くとさ、なんかすごいこう、
なんか、なんていうの人儀というかなんかそのなんか、
めっちゃその裏社会の国に掲げてやりそうな。
いやいやいや、でもなんかこれがその逆にその、
やっぱりその造形教室の中にちゃんとこれ掲げられてるっていうのは、
なんか結構なんか特殊なことでもあるんじゃないかと思っていて、
そのなんかやっぱり造形教室、じゃあ工作教室ですっていう風に、
例えばなんかそれを理解するんだとしたら、
なんかどうやったら上手になるかとか、
そのやっぱりハウトゥーの部分を、
なんかどうしてもなんかこう知れる場所として作っちゃいそうだけど、
なんかその中でまあいろんな変遷があったとは思うけど、
その8年9年やる中で、
なんかそのギャザのモットーは、
ここに上手に作るとかっていうことが全く入ってないわけじゃん。
確かに。
で、なんかそれをちゃんと掲げてるっていうのが、
そのギャザのすごい特徴なのかなっていうふうに思うんだけど、
なんかこのギャザのモットーにたどり着くっていうのは、
なんかどういう変遷でこれは決まってたの?
表現を尊重する重要性
どういう変遷だったかな、
なんかなんだろうな、
まあ挨拶とかその辺は基本的なこととして、
で、
なんかありがとうに関しては、
なんかね、
基本的に俺ちっちゃい頃からなんかありがとう言えないやつを信用してないっていうのが、
そもそも。
なんかこうあるというか、
んだけど、
なんかっていうのもなんか、
ありがとうのやつに関しては、
中学校の頃にはさ、
なんかね、
佐藤先生っていうね学年主任がいてね、
なんかその人がね、
1秒の言葉みたいなやつをさ、
まあよくある感じだと思うんだけど、
なんか学校の廊下にすっげえでけえ文字で掲げてて、
なんか1秒で言えるいろんな言葉を書いてて、
なんかね、
それがなんかずっと残ってて、
いやいいよなと思って。
ああそういう原体験があるんだ。
そうだね。
もうギャザーに関しては僕の原体験でしかやってないかもしれない。
その子どもの気持ちというか。
なるほどね。
それで言うとさ、
その相手の表現を尊重するっていう、
なんかそこに関しては、
なんかどういう体験からのモットーなの?
これはなんかいろんなこう矛盾が発生することが、
これはねちょっと原体験というよりかは、
なんかこれはなんかギャザーでやってた中での表現に関する矛盾というか、
が起きるなと思う。
例えばなんかこう、
例えば、
例えば優先位置の壁があったとして、
なんかその壁になんかこう表現だからって言って、
子どもたちが落書きするのって、
それは自由なのかどうかみたいな。
でもなんか、
それってこう、
表現ではあるんだけど、
なんか、
優先されると難しいかな。
じゃあごめんごめん。
家族がいて、
お家に住んでます。
で、
その壁に子どもが落書きして、
で、それは自由な表現として、
なんかこう、
叱るべきなのかどうかというか。
で考えると、
なんか絵を描くというのは子どもたちの表現ではあるんだけど、
この壁を綺麗に使いたいという表現は、
なんか親御さんの表現でもあるわけじゃんか。
そう、だからなんか、
表現を子どもたちの表現を認めるっていうとはいえ、
じゃあ親御さんの表現が犠牲にされてもいいのかって言ったら、
俺はそうじゃないと思うのよ。
大人、
子どもがなんかこうよしよしされて表現を認められるってのは、
俺違うと思ってるから、
なんかそれを子どもも大人もお互いに表現を尊重し合うべきだと思ってて、
だから、
子どもにも描く権利はあるけど親御さんにも、
この壁を綺麗にする権利はあるから、
それをお互いに尊重し合わないと、
誰かの表現が犠牲にされるみたいなことが起きるなと思ってて、
だからこれに基づくと、
なんか全てが考えやすかったというか。
スタッフ間の共通理解
なるほど。
いや面白い。
じゃあここで言ってる表現っていうのは、
割とその言葉としては結構大きく捉えていて、
それもそのそれぞれの人の意思みたいなところとか、
こうしたいっていうふうに思ってるその思想みたいなところも含めて、
ちゃんと尊重されるべきだよねっていうことがまとまってるんだね。
そうそうそう。
なるほど。
だから犯罪がなんでダメかみたいなさ、
人を殺してしまうこととかもさ、
なんか人の表現をできなくしちゃうからだよね、
みたいなことを子どもたちと話したりとか。
表現とか尊重とか、
子どもたちに毎回この話をするんだけど、
結構難しいから、
今はこれを絵本とかにできたりとか物語にできたら、
もう少し伝わるのになぁと思ったりしているところかな。
なるほど。
この2番の相手の表現を尊重することでっていうのがさ、
一番造形教室、工作を作るっていう表現活動には、
作るっていうことには一番近いのかなと思ったけど、
それが今の話聞くと、もっと広い意味でそれを樋口が捉えてて、
それを直接的に伝えるのがやっぱり難しいっていうのも、
同時にあるっていうのはめっちゃリアルだし、
いい意味で思ってたのと、
より広い意味だったから面白いね。
ああ、そっかそっか。
広くね。
なるほどね。
その中で今、子どもたちにどう伝えるかみたいなところも、
その伝わり方含めて、
難しいっていうようなところも中にはあると思うんだけど、
実際に造形教室でこれを作りましょうとか、
みんなで研究しましょうってなるときに、
ギャザーとして子どもたちに何かの伝え方とか、
伝え方に関しては樋口もそうだし、
スタッフ同士で共通認識として持ってるものとかってあるの?
そうだね。
基本的にいいねっていう言葉を使うようにしてる。
何かをした表現に対しての評価はしないから、
アンサーというか何かに対して答える方法として、
いいじゃんみたいな。
いいっていう上手とか下手とかでもなく、
なんかこう、すごく抽象的だけど肯定できる言葉として、
いいねっていうのは、もちろんインスタとかでも使われてる言葉ではあるけど、
うちでもすごく大事にしてるかな。
そうなんだ。
よしやしじゃない言葉としてのいいねっていうのを。
なるほどね。
失敗してもいいじゃんみたいな。
そっか、その失敗してもいいじゃんっていう前提はちゃんとある中でっていうのも前提だし、
かもいえ、一応それこそチャレンジクラスとかだと、
ある程度こういう風にやろうねっていうのをある程度定めた上で、
明らかに中には恐れちゃう子とか、
という風になった時には、ある程度は導く声かけみたいなのはしながらっていうことなのかな。
そうだね、本当に今日はなんかね、
僕たちの強みってなんだろうみたいなのをギャザーのスタッフでいろいろ話し合ってて、
声かけに関しては結構強みとしてあるよねみたいなことを言ってたから、
声かけはなんかいいというか考えてる気がする。
ああそうなんだ。確かにこれ前も言ったけど、
あれは自分もそのワークショップさんがさせてもらった時に、
評価の視点じゃなくその樋口がどう感じたかみたいなところとかを、
なんか率直に伝えてるような印象を受けてて自分としては。
そこをそうやって弾くんだとか、そこをそうやって削るんだみたいな、
あとそういう風に見えてるんだみたいな、
ある種気づきの一つみたいなところを言葉で補ってあげてるみたいなのを自分は感じていて、
やっぱりそれが評価じゃなく、ある種言語化を手伝うっていうところもそうだし、
感想として付け加えるみたいなところがいい意味で、
その先生と生徒みたいな、先生と生徒の関係じゃないっていうのがなんか自分は結構感じたね。
ああそれは確かにあるかもしれない。
今日もなんかなんだろう、水糊をさだるま作りで使うからさ、
で水糊の作業入るよみたいな時に、なんか手が汚れるのが嫌だみたいな子もやっぱ中にはいて、
でもなんかまあ、いやでもやんないとダメでしょみたいな、
うーんと感じになってしまいそうなんだけど、なんかまあギャザー的にはなんかまあそういうのもあるよねみたいなところから、
じゃあなんか手の代わりになる道具探そうぜとかいう話になって、
じゃあちょっとなんかプラスチックの板みたいなやつ持ってきて、
なんかこれだったらいけるんじゃないみたいなことを言っててその子が、
じゃあそれをして、じゃあ手を汚さないでやるゲーム的な感じにしようぜみたいな、
にして手を汚さずにやってたんだけど、なんかでも結局そうやってやり始めたら手は汚れるんだよね、
そのどうせついちゃうというか結局はなんかやっぱり手ついちゃって、
なんか一回手ついちゃうと最初は嫌がってるんだけど、
なんか結局もうそのプラスチックの板使わずに素手でやりだして、
なんかそういうこうやりたくないっていう気持ちは認めるんだけど、
やる方向になんとなくこうしたらいいんじゃないみたいな方向に導きながら、
なんかどうやって実現させていくかみたいな、
あと代表品とか、やらないじゃなくてどうやるかみたいな、
もうそういう考えで行こうぜみたいな、
そういう話を子供たちとよくしてるかもしれない、
確かにそのスタートの入り方としてやっぱり気持ちが全然違うもんね、
そうそう、
いやこれみんなでやるんだからやろうよでスタートするのか、
じゃあ手を汚さない方法を考えてこれでスタートしてみようか、
で本人の捉え方も全然違うもんね、
そうそうそうそう、
嫌じゃんなんか、
岡崎の造形教室の背景
子供の気持ちには基本的に立ちたいなという、
なるほど、いや素晴らしい、
それで言うとさ、
今これだけ週5回だったりとか人数も増えてスタッフさんもいてっていう環境だと思うんだけど、
一歩目その岡崎で造形教室をじゃあいざやるってなった時に、
その周りの声とか、
実際に近くの岡崎にいる人たちの声とかって、
なんかその樋口が実際にこう感じてる部分とか、
それを始めた時になんか感じてたこととかってあるの?
そうだね、
最初はまず岡崎のことね、全然知らなかったし、
やろうと思ってるみたいなことを、
今その時関わってた人たち、
これをやろうと思ってるっていう時に、
ショップの店員の人だったりとか経営者の人だったりとか、
アーティストの人たちとか、ギャラリーやってる人とかさ、
その時の司令とかに話したけど、
結構否定的な意見というか、
もう結構めっちゃ言われたから、
なんかその場で、
オゲッシャーを計算されて、
月売り上げこんなもんしかないじゃんみたいな、
そんな無理じゃないみたいな、
そういう奴もいたし、
経営者の人からはそう言われたし、
逆にアーティストとかになると、
別にそれをやってることは新しくなくないみたいな、
君らはな、
あなたたちはアーティストとして新しいことを求めなきゃいけないかもしれないけど、
僕らがやってることみたいなのが、
もちろん結果的には他がやってないことになってるけど、
新しさを求めてやってるわけでもないから、
ないから作るみたいな、
新しいからやるとかじゃなくてないから作るみたいな、
それが結構新しかったみたいな話で、
新しいことは別に目的ではないから、
なんかそれは違うんだけどなみたいな思いながら、
違うし、マジで見とけよって思って、
めちゃくちゃムカついてたから、
そうなんだ、ギラついてたパックス時代があんだね、
めっちゃギラつくよ、ほんと、
やってないからさ、
好きかって言ってくるしさ、
そうね、それってやっぱちょっとある種寂しいというか、
新しいものを作ってたりとか、
自分ではそういう活動をしてる人からも、
前方がね、もちろん分かってない状態っていうのもあるかもしれないけど、
なんかその中で、新しい方法みたいなことに執着をしてるんだとしたら、
それって習い事じゃんっていう解像度で見ちゃうとさ、
別に他にもあるよねっていうことだけど、
今ここまで聞いた話も含めて、
実際にその中身で行われてることとか、
その根底にある考えみたいなのは、
普通のっていうか、
一般的な習い事とは違うかもしれない、
っていうところに結果的になってるから、
樋口の20代前半のパンクスは、
だいぶ消化されてるんじゃない?
まあね、
それはもうずっと上の世代にはずっとパンク精神で、
今でも誰に対しても負けたくないっていう気持ちが、
ずっと見返したいというかね、
そうしないと肯定されないというか、
生きた。
それこそ21とか22からおかげだを始めて、
親御さんとのコミュニケーション
で、その1、2年後にアバンを始めてるってことだもんね。
それで言うと圧倒的に、
そういうお店とかやってるところで言うと、
圧倒的に若いもんね、
その当時で考えても。
若いね、若かったから年齢いってなかった、
本当その時は。
年齢で判断されるのもなんかもう尺だなと思って。
なんかムカつくし、
それで判断されるの。
やってることで見てくれよみたいな。
うーん、そうね。
うーん、すごい思ってたな。
いや、いいね。
いや、樋口のパンクホルト面白いからなこれ。
いやー、やっぱでも否定されるからめっちゃ。
否定されるから、
やった方がいいんじゃないかなってやっぱ思えたのはあったかもしれない。
うーん、なんかみんなが面白がってくれてる中でやるのって
多分面白くないんだよ。
多分想定内というかさ。
うーん、そうね。
すげー言われる。
うーん。
なるほど。
それで言うとさ、
今の形になって、
それだけの数の子供が参加してくれてるってことはさ、
それだけの数の親御さんとも関わるわけじゃん。
うーん。
で、勝手に俺今日おかげさ、
今日何聞こうかなって考えたときに、
一応その習い事っていうところだとさ、
もちろん参加するのは子供なんだけど、
親御さんにそれがどう伝わってるかみたいなところもすげー重要なんじゃないかなと思ってて、
実際にギャザーに参加してる子供たちの親御さんに対しては、
なんか事前に伝えることとか、
逆に親御さんからこう受ける声とかってあったりするの?
あーあるね。
最初に伝えてることと、
あと中にいるときに伝えることと、
あと終わり際に伝えること?
うん。
があって、
まずなんか最初に入るときに結構なんか、
最近だんだんそれをなんかこう、
入会申し込み書みたいなの書いてもらうんだけど、
なんかその時とかに結構なんかこう書いてるのは、
なんかこう、
なんだろう、
始め方はまずはこのお子さんがやりたいって言ったらやれるっていうのと、
あと終わるときに、前提でね最初に言うのは終わるときに、
なんかやめたいって言ってすぐやめるっていうのは違うと思ってて、
なんかお金払ってもらってるし、
例えばなんかこう、11月の前半でやめたいって言ってすぐやめる、
だけど11月の下車払ってるから本当は来れるのになんかもうやめたいって言ったからやめるみたいなのはなんか違うと思ってて、
なんか新しい習いごとに移行するときも、
なんかやっぱりやめ方をなんかちゃんと前提約束した方がいいなと思って、
子供と親御さんで、
あなたがやりたいって言ったんだからこの作品が完成するまではやめないからねとか、
その月でやめたいって言ってもお下車払ってる分は絶対行くからねみたいな、
なんかやめ方を最初に約束しといてほしいみたいなことを最近言ってて、
なんかやめるってことが悪いことじゃないんだけど、
やめ方でその後の自分の人生の実現のさせ方がなんか全然違うなと思ってて、
なんかそこはめっちゃ共有してて親御さんと、
なるほど、でもそれがその自分の決めたことに責任を持つっていうモットーに繋がってくるっていう話か、
そうだね、そういうのも、
なるほどね、
ギャザーとの関係性というかは親御さんと子供の間でちゃんと決めてくださいねっていう声掛けをするんだね、
そうそう、そこは結局はやっぱり僕らは週一でしか会えないから、
で、中にいる時の親御さんとの関係としては、
なんか講座が、講座というかその習い事が毎回その日終わると、
メールを書くんだよね、その子がその日どう過ごしていたか、
なんか写真は送るんだけど写真じゃわからないところ、
作ってる内容とかはわかるんだけど、
例えば子供がこう考えて失敗しました、
でも試行錯誤して最後まで行けました、
みたいな話とか、
なんか挨拶の仕方がわからなかったけど、
丸々ちゃんとか丸々くんが助けに入って挨拶の方法を教えてましたとか、
なんかその子の人間的な部分を親御さんと毎回共有するようにしてて、
それを全員分メール書いて終わるみたいなのが一人一人、
全員送るんだ、
そう、全員送るんですよ、
これは頑張ってやってること、
これは2つ理由があって、
なんか一つは、
小林さんは見てないから、おげっしゃ払ってるけど中見れないから、
それのおげっしゃに対しての価値の担保というか、
価値のケア、
その価値に対してのケアとしてなるべく言うようにしてて、
もう一つが、
遠回しにお家でもこういう対応したら伸びるんじゃないかみたいな、
啓発ではないんだけど、
応用できるようにしたくて家庭で、
わからないっていう声も聞くから、
子供になんでなんでなんでってすごい聞かれるんだけど、
なんて答えたらいいかわかんないんだけどとか、
いや、そろそろサンタさんの正体って言ったほうがいいの?みたいなとか、
そういう、
そういう、どこまでどう伝えたらいいかわかんないみたいな話も聞くから、
家庭から変えていけたらいいなみたいな、
実際に子供たちが手を動かしたりとかして、
いわゆる造形とか工作からいろんなことを学ぶけど、
その一つの親御さんとしてのヒントみたいなものを一緒にメールの中に入れて、
こういう声かけをするといいですよとか、
そういう内容も含まれてるんだ。
それをすごく遠回しに言うっていう、
こういう声かけをするといいですよっていうのがすごくうざいと思うから、
ギャザではこういう声かけをしていったら、成功しましたみたいな。
その成功事例の共有としてね。
そっか、こうやって伝えたらいいのかみたいなって気づけたらいいなっていうか、
それはすごく上からの話になっちゃうから、そんなことは全然言わんと、
ここでも言っていいのかわかんないけど、
ただそういう狙いというか、
メールにもそういう意味があって、
お互いが、親御さんから教えてもらうこともあるし、
一緒に育てるっていう。
習い事としての価値
そうなんだ、いやそれすごいね。
そっか、やっぱそこまで言えば、
ちゃんと地道なコミュニケーションをしっかり共有してるんだね。
すごい。
やっぱ人生に影響を及ぼすには、そこまで深入りをしていかないと、
なんか無責任になるなっていうのはあるから。
なるほど、いやーそれちょっと面白いね。
素晴らしい。
そう、というのをやってますね。
いや、その最後のが一番ちょっと全然全く知らなかったから、
でもやっぱその実際に教室の中で何をやられているのかっていうところに、
やっぱ興味とかさ、なんかがいきそうだけど、
なんかそういうところも何か含めて、やっぱその信頼が集まってるっていうのもあると思うし、
やっぱね、親御さんの存在ってやっぱすごい大きいもんね。
大きい。やっぱり家庭環境とかやっぱ、
子供は変えられない部分だから、
すごい大きいから、
なんかそこを一緒にね、考えていける方がいいなっていう。
いや、面白い。ありがとう。
いや、ちょっといろいろまだまだ深掘りそうだけど、
いったん?
そうね、おかげさ、実際に何をしているのかもそうだし、
どういう考えで何をやっているのかっていうところも理解できたと思うから、
また随時機会があれば聞いていきたいのと、
おかげさもポッドキャストを始め…
始めたいとは思って…
いや、でもこれ話した方がいいわ。
いろんな、もちろん発信音活動してくれてると思うんだけど、
なんかこれ話す場があるとすごい良いと思う。
そっか。そうだな。確かに。
最近、最近っていうか、これから多分僕、
分かんないけど、僕の顔出して喋ってる動画が、
多分これからギャザーの方が上がってくる。
あーそうなんだ。
なんかね、ごめんちょっと長くなっちゃって。
なんかその自分たちの考えみたいなところを、
なんかもっと伝えたいとか、
なんかもう世の中変えていきたいぐらいのことを考えると、
顔を晒すという、顔を晒して叩かれるみたいな覚悟を持たないと、
ちょっと変わらないって話だって。
ある種影響力みたいなところも含めてね。
そうそうそうそう。
本当にさ、人生とかでもさ、
サッカー教室とかのコーチとかがさ、顔出して喋ってて、
めちゃくちゃコメントとかさ、荒れてるとかあんのよ。
でもなんかもうそこに、やっぱそこに行かなきゃいけないとか、
行かなきゃいけないわけじゃないんだけど、
なんか暗中をも恐れずに、
顔を出していかないと、思想を言っていかないと。
うーん、そうね。
そうそうそう。
どうしても外の視点を考えすぎちゃうとね、
やっぱり意見が全部丸くなっちゃったりとか、
いい感じのまとめ方をやっぱりしちゃいがちだけど、
これまでやってきたこととか、体感としてこうしたいとかっていう考えが、
今まとまってる状態だったらね、
ある種パンク的に樋口がこれから発信していくっていう。
いや本当にそうなんだよ。
なんか今多分この8年9年で、
なんか叩かれても屈しない土壌というか経験とかデータも含めて、
なんか実績はあるから、
叩かれても覆らないものがあるんだったら、
なんかちょっとそろそろ晒した方がいいんじゃないかとね、
話になって。
今日動画撮ったから。
そのうち。
そういうことを最近は思ってますね。
いいね。
ちょっと今後のパンクス樋口に期待ということで。
本当に頑張ろう。
はい、じゃあそんな感じかな。
今回は。
ありがとうございました。
ありがとうございます。
じゃあこの回はこれちらで終わります。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
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