そうなった時に、いろんな教室が今はあると思うんだけどさ、毎日のおかげだの中では実際にその工作っていうものの内容自体は何やってるの?
今だと来年の年始に向け、来年の年始で飾る用のだるまを作ってる。
だるま?
だるま作ってる。
それは今もその廃材を主に扱って作ってるの?
そうだね。今も全部廃材で作ってるね。
今紙でさ、張り子みたいな感じでベースのものに対して、審務室で最初ベース作って、それからテープとか糸とか使ってベースを固めていくんだけど、
その上から水糊つけて、ちぎった紙をいっぱい貼っていくんだよね。
乾かすとカッチカチになるんだけど、
その手法で今はだるまを作ってるんだけど、その紙、提供していただいてる赤い紙とかも全部印刷会社さんの廃材をいただけて、ずっと廃材でいろんな企業さんからもらえるようになったね。
あ、そうなんだ。
それは元々は廃材を販売するところから、その廃材を買って、それを工作に使ってたところから、今は結構そういった企業さんとかから直接やり取りしてみたいなことも増えてきてるんだ。
そうそう、前は毎日商会っていう参拝業者があってみたいな話をしたと思うんだけど、今は廃材使ってるみたいなことを聞いてくれた方たちが連絡してくださったり、逆にこっから連絡したりとかして、いっぱい廃材が集まるようになってきて、いろんなものをもらえるようになってきた。
そうなんだ。やっぱり廃材を使ってそういう活動してるよっていうのが、自分からもちろん連絡してるっていうのもあると思うけど、そういう活動が届いて、その企業さんから資材とか部品になるようなものをある種提供してもらえるような関係性でもあるんだね。
そうそう、応援してくださってる方たちにね、いただけるようになって。ありがたいです、本当に。
今は正月とか、季節も含めたものとかのテーマがあると思うんだけど、作るものとかに関してはどういう経緯でこれを作るっていうのが決まっていくの?
そうだね、季節もあるし、まずテーマ制作っていうのと自由制作みたいなのがあって、テーマ制作、クラスごとでやる内容とかは違うんだけど、その余白が違うというか、3クラスあって今。
1つがチャレンジクラスっていう年長3から小2までのクラス。クリエイティブクラスっていうのが小1から中学生。研究部っていうのが小4以上みたいな感じで分かれてるんだけど。
そうだね、テーマはどうやって決まるか。研究部とかだったら子供たちがプレゼンして決めたりとか。
この間地獄の研究したっていう話で出たのが研究部。
難易度が高いとか余白が多い。
自分たちで考えていく要素が多いクラスなんだね。
一番最初の年長さんのチャレンジクラスとかだったら余白が2割ぐらいは2、3割余白があって、自由すぎると難しい時もあるから。
自由にやっていいよってなると自分の引き出ししかないから全然何していいか分かんないみたいなこともあって。
だからわりとこっちがテーマをなんとなく決めて、テーマが決められるとそこに共感したり反発したりとかそういうのが出るから、そこから自分なりの表現を探していくみたいな。
テーマはわりとこっちが決めるかな。
テーマっていう7、8割の部分はしっかり整備して、残りの1、2割で自分たちの表現をしてもらうっていうのがチャレンジクラスなんだね。
そうそう、そんな感じだね。だからチャレンジ、基礎クラスみたいな感じで、土台、自分らしく表現するためのまずは土台、技術とか、そういうものを一旦磨いてから、次はクリエイティブクラスっていう応用クラスに行くから、
そこだと、ダルマで言うと今作っているダルマで言うと、いわゆるダルマっていう丸い形はチャレンジクラスが今作っている。それは基礎編だから。
ああそうなんだ。そのダルマっていう大テーマがあって。
で、形も様々ではあるんだけど、一応丸っていうある程度のダルマを作ろうみたいな。で、そこに顔とか絵は自由度が高く、そこが余白みたいな感じかな。
顔を描くとか、どんな顔を描くとかとか、何色使うかとかは余白ではあるんだけど、結局クリエイティブクラスで今ダルマ作ってるんだけど、クリエイティブクラスはダルマの概念をぶち破れっていうタイトルにしてて、
なんでダルマっていう丸であるべき概念、あれダルマ自体が願い事をして、願い事をする時に目を描いて、右目描いて、願い事が叶ってから左目を描くみたいな。
そういう願い事の対象の飾り物みたいなルーツがあるんだけど、だとしたら自分の願い事をモチーフにした赤い何か、自分なりのダルマ、全員赤いんだけど、作品自体は全部赤の紙を貼っていくから赤いんだけど形が全員違うみたいな。
なるほど。
そう、なんかこう自分でオリジナルの概念というか、オリジナリティを求めていくみたいな。だから全員違うものを作ってるっていう。
そうなんだ。じゃあその共通しているのはそのダルマであるっていうことと赤い紙を使うっていうことだけはそれこそこっちで整備をして、それ以外はもう逆にもうダルマの概念をぶっ壊したものを作ろうっていう風に自由度がやっぱり高いんだね。
そう、自由度が高くなる。
へー、面白い。
そう、でかい貯金箱みたいなの作ってる。そうそうそう、面白くて貯金箱みたいなの作ってる子もいるし、なんか自分の飼ってる猫を大事にしたいからとか、なんかいろんなね眼科系で作ってるゲームをたくさんしたいとか。
あーそうなんだ。
なんかじゃあそれで言うとさ、今回のそのダルマの概念っていうのを壊すっていうのはある種その前回も言ってた、その狙いっていうものをちゃんと置いて作ってるっていう話を前佐々木さんの会の時にしたと思うんだけど、その狙いの共有っていうのはそのどのクラスでもその事前に子供たちにしてるの?
そうだね、割としてるのかな。なんか定期的にしてて、なんか狙い、まあ講座の中の狙いも含めてやってるし、何かにしても割と何のためにやるかみたいな。
うんうんうん。
なんか説明もするし、みんなでも考えてもらうみたいな時があったり。
あーそうなんだ。
うん。
なるほど。
なんでありがとうって言うんだろうみたいなとかをテーマに子供会議したりみたいな。
あ、そうなんだ。あ、そういう子供会議っていうその子供たちで考える時間っていうのもあるんだね。
あ、そうそうそうそう。
それで言うとさ、その工作を通じて生きる力を身につけるっていうところにさ、
ギャザのモットーの話をちょっと深掘りたいんだけど、
3つのモットーがあるじゃん。挨拶、お礼、謝罪。
あと相手の表現を尊重することで自分の表現も尊重される。
あと自分の決めたことに責任を持つ。
で、なんかここに結構いろんなものが詰まってると思っていて、
なんかこれ前さ、なんかの会でこれ教えてくれてさ、
なんか普通になんか人と考えさせられるっていうか、
なるほど。
いや面白い。
じゃあここで言ってる表現っていうのは、
割とその言葉としては結構大きく捉えていて、
それもそのそれぞれの人の意思みたいなところとか、
こうしたいっていうふうに思ってるその思想みたいなところも含めて、
ちゃんと尊重されるべきだよねっていうことがまとまってるんだね。
そうそうそう。
なるほど。
だから犯罪がなんでダメかみたいなさ、
人を殺してしまうこととかもさ、
なんか人の表現をできなくしちゃうからだよね、
みたいなことを子どもたちと話したりとか。
表現とか尊重とか、
子どもたちに毎回この話をするんだけど、
結構難しいから、
今はこれを絵本とかにできたりとか物語にできたら、
もう少し伝わるのになぁと思ったりしているところかな。
なるほど。
この2番の相手の表現を尊重することでっていうのがさ、
一番造形教室、工作を作るっていう表現活動には、
作るっていうことには一番近いのかなと思ったけど、
それが今の話聞くと、もっと広い意味でそれを樋口が捉えてて、
それを直接的に伝えるのがやっぱり難しいっていうのも、
同時にあるっていうのはめっちゃリアルだし、
いい意味で思ってたのと、
より広い意味だったから面白いね。
ああ、そっかそっか。
広くね。
なるほどね。
その中で今、子どもたちにどう伝えるかみたいなところも、
その伝わり方含めて、
難しいっていうようなところも中にはあると思うんだけど、
実際に造形教室でこれを作りましょうとか、
みんなで研究しましょうってなるときに、
ギャザーとして子どもたちに何かの伝え方とか、
伝え方に関しては樋口もそうだし、
スタッフ同士で共通認識として持ってるものとかってあるの?
そうだね。
基本的にいいねっていう言葉を使うようにしてる。
何かをした表現に対しての評価はしないから、
アンサーというか何かに対して答える方法として、
いいじゃんみたいな。
いいっていう上手とか下手とかでもなく、
なんかこう、すごく抽象的だけど肯定できる言葉として、
いいねっていうのは、もちろんインスタとかでも使われてる言葉ではあるけど、
うちでもすごく大事にしてるかな。
そうなんだ。
よしやしじゃない言葉としてのいいねっていうのを。
なるほどね。
失敗してもいいじゃんみたいな。
そっか、その失敗してもいいじゃんっていう前提はちゃんとある中でっていうのも前提だし、
かもいえ、一応それこそチャレンジクラスとかだと、
ある程度こういう風にやろうねっていうのをある程度定めた上で、
明らかに中には恐れちゃう子とか、
という風になった時には、ある程度は導く声かけみたいなのはしながらっていうことなのかな。
そうだね、本当に今日はなんかね、
僕たちの強みってなんだろうみたいなのをギャザーのスタッフでいろいろ話し合ってて、
声かけに関しては結構強みとしてあるよねみたいなことを言ってたから、
声かけはなんかいいというか考えてる気がする。
ああそうなんだ。確かにこれ前も言ったけど、
あれは自分もそのワークショップさんがさせてもらった時に、
評価の視点じゃなくその樋口がどう感じたかみたいなところとかを、
なんか率直に伝えてるような印象を受けてて自分としては。
そこをそうやって弾くんだとか、そこをそうやって削るんだみたいな、
あとそういう風に見えてるんだみたいな、
ある種気づきの一つみたいなところを言葉で補ってあげてるみたいなのを自分は感じていて、
やっぱりそれが評価じゃなく、ある種言語化を手伝うっていうところもそうだし、
感想として付け加えるみたいなところがいい意味で、
その先生と生徒みたいな、先生と生徒の関係じゃないっていうのがなんか自分は結構感じたね。
ああそれは確かにあるかもしれない。
今日もなんかなんだろう、水糊をさだるま作りで使うからさ、
で水糊の作業入るよみたいな時に、なんか手が汚れるのが嫌だみたいな子もやっぱ中にはいて、
でもなんかまあ、いやでもやんないとダメでしょみたいな、
うーんと感じになってしまいそうなんだけど、なんかまあギャザー的にはなんかまあそういうのもあるよねみたいなところから、
じゃあなんか手の代わりになる道具探そうぜとかいう話になって、
じゃあちょっとなんかプラスチックの板みたいなやつ持ってきて、
なんかこれだったらいけるんじゃないみたいなことを言っててその子が、
じゃあそれをして、じゃあ手を汚さないでやるゲーム的な感じにしようぜみたいな、
にして手を汚さずにやってたんだけど、なんかでも結局そうやってやり始めたら手は汚れるんだよね、
そのどうせついちゃうというか結局はなんかやっぱり手ついちゃって、
なんか一回手ついちゃうと最初は嫌がってるんだけど、
なんか結局もうそのプラスチックの板使わずに素手でやりだして、
なんかそういうこうやりたくないっていう気持ちは認めるんだけど、
やる方向になんとなくこうしたらいいんじゃないみたいな方向に導きながら、
なんかどうやって実現させていくかみたいな、
あと代表品とか、やらないじゃなくてどうやるかみたいな、
もうそういう考えで行こうぜみたいな、
そういう話を子供たちとよくしてるかもしれない、
確かにそのスタートの入り方としてやっぱり気持ちが全然違うもんね、
そうそう、
いやこれみんなでやるんだからやろうよでスタートするのか、
じゃあ手を汚さない方法を考えてこれでスタートしてみようか、
で本人の捉え方も全然違うもんね、
そうそうそうそう、
嫌じゃんなんか、
で、その1、2年後にアバンを始めてるってことだもんね。
それで言うと圧倒的に、
そういうお店とかやってるところで言うと、
圧倒的に若いもんね、
その当時で考えても。
若いね、若かったから年齢いってなかった、
本当その時は。
年齢で判断されるのもなんかもう尺だなと思って。
なんかムカつくし、
それで判断されるの。
やってることで見てくれよみたいな。
うーん、そうね。
うーん、すごい思ってたな。
いや、いいね。
いや、樋口のパンクホルト面白いからなこれ。
いやー、やっぱでも否定されるからめっちゃ。
否定されるから、
やった方がいいんじゃないかなってやっぱ思えたのはあったかもしれない。
うーん、なんかみんなが面白がってくれてる中でやるのって
多分面白くないんだよ。
多分想定内というかさ。
うーん、そうね。
すげー言われる。
うーん。
なるほど。
それで言うとさ、
今の形になって、
それだけの数の子供が参加してくれてるってことはさ、
それだけの数の親御さんとも関わるわけじゃん。
うーん。
で、勝手に俺今日おかげさ、
今日何聞こうかなって考えたときに、
一応その習い事っていうところだとさ、
もちろん参加するのは子供なんだけど、
親御さんにそれがどう伝わってるかみたいなところもすげー重要なんじゃないかなと思ってて、
実際にギャザーに参加してる子供たちの親御さんに対しては、
なんか事前に伝えることとか、
逆に親御さんからこう受ける声とかってあったりするの?
あーあるね。
最初に伝えてることと、
あと中にいるときに伝えることと、
あと終わり際に伝えること?
うん。
があって、
まずなんか最初に入るときに結構なんか、
最近だんだんそれをなんかこう、
入会申し込み書みたいなの書いてもらうんだけど、
なんかその時とかに結構なんかこう書いてるのは、
なんかこう、
なんだろう、
始め方はまずはこのお子さんがやりたいって言ったらやれるっていうのと、
あと終わるときに、前提でね最初に言うのは終わるときに、
なんかやめたいって言ってすぐやめるっていうのは違うと思ってて、
なんかお金払ってもらってるし、
例えばなんかこう、11月の前半でやめたいって言ってすぐやめる、
だけど11月の下車払ってるから本当は来れるのになんかもうやめたいって言ったからやめるみたいなのはなんか違うと思ってて、
なんか新しい習いごとに移行するときも、
なんかやっぱりやめ方をなんかちゃんと前提約束した方がいいなと思って、
子供と親御さんで、
あなたがやりたいって言ったんだからこの作品が完成するまではやめないからねとか、
その月でやめたいって言ってもお下車払ってる分は絶対行くからねみたいな、
なんかやめ方を最初に約束しといてほしいみたいなことを最近言ってて、
なんかやめるってことが悪いことじゃないんだけど、
やめ方でその後の自分の人生の実現のさせ方がなんか全然違うなと思ってて、
なんかそこはめっちゃ共有してて親御さんと、
なるほど、でもそれがその自分の決めたことに責任を持つっていうモットーに繋がってくるっていう話か、
そうだね、そういうのも、
なるほどね、
ギャザーとの関係性というかは親御さんと子供の間でちゃんと決めてくださいねっていう声掛けをするんだね、
そうそう、そこは結局はやっぱり僕らは週一でしか会えないから、
で、中にいる時の親御さんとの関係としては、
なんか講座が、講座というかその習い事が毎回その日終わると、
メールを書くんだよね、その子がその日どう過ごしていたか、
なんか写真は送るんだけど写真じゃわからないところ、
作ってる内容とかはわかるんだけど、
例えば子供がこう考えて失敗しました、
でも試行錯誤して最後まで行けました、
みたいな話とか、
なんか挨拶の仕方がわからなかったけど、
丸々ちゃんとか丸々くんが助けに入って挨拶の方法を教えてましたとか、
なんかその子の人間的な部分を親御さんと毎回共有するようにしてて、
それを全員分メール書いて終わるみたいなのが一人一人、
全員送るんだ、
そう、全員送るんですよ、
これは頑張ってやってること、
これは2つ理由があって、
なんか一つは、
小林さんは見てないから、おげっしゃ払ってるけど中見れないから、
それのおげっしゃに対しての価値の担保というか、
価値のケア、
その価値に対してのケアとしてなるべく言うようにしてて、
もう一つが、
遠回しにお家でもこういう対応したら伸びるんじゃないかみたいな、
啓発ではないんだけど、
応用できるようにしたくて家庭で、
わからないっていう声も聞くから、
子供になんでなんでなんでってすごい聞かれるんだけど、
なんて答えたらいいかわかんないんだけどとか、
いや、そろそろサンタさんの正体って言ったほうがいいの?みたいなとか、
そういう、
そういう、どこまでどう伝えたらいいかわかんないみたいな話も聞くから、
家庭から変えていけたらいいなみたいな、
実際に子供たちが手を動かしたりとかして、
いわゆる造形とか工作からいろんなことを学ぶけど、
その一つの親御さんとしてのヒントみたいなものを一緒にメールの中に入れて、
こういう声かけをするといいですよとか、
そういう内容も含まれてるんだ。
それをすごく遠回しに言うっていう、
こういう声かけをするといいですよっていうのがすごくうざいと思うから、
ギャザではこういう声かけをしていったら、成功しましたみたいな。
その成功事例の共有としてね。
そっか、こうやって伝えたらいいのかみたいなって気づけたらいいなっていうか、
それはすごく上からの話になっちゃうから、そんなことは全然言わんと、
ここでも言っていいのかわかんないけど、
ただそういう狙いというか、
メールにもそういう意味があって、
お互いが、親御さんから教えてもらうこともあるし、
一緒に育てるっていう。