懐かしい音楽の思い出
この前、実家の掃除とかしててさ、なんかCDがいっぱい、昔は買ってたから、場所取っちゃうからって言って、なんか不織布の中にこう全部入れてたの、ディスクだけを。
あー、あるね、不織布の入れるやつ。
そう、ファイルみたいな。
懐かしい、あったな。
それが出てきて、で、懐かしいと思って見てたら、自分がお気に入りの曲を集めたCD。
CD-Rね。
そう、CD-Rが出てきて、なんかちゃんとマジックとかで曲名とかを書いたりとか、なんかバンプのマークを頑張って書いたりとかしたCDが出てきて。
へー。
なんか。
猫とかね、マフラーした。
そう。
そんなのマークなんだ。
あるある。
なんか、ちゃんと曲順とかだから、別のアルバム順じゃなくて、自分が好きなやつとかをいろいろ集めたやつとかを入れて。
いろんなアルバムの8曲目だけを集めたCDとかあるかもね。
そういう勢いのやつを作ってて、それが残ってるって超すごいなって思う。
すごいね。
物理プレイリスト。
確かに。
聴けた?再生した?
再生したした。
へー。
再生したら、なんかバンプの曲も入ってるんだけど、なんか多分当時インターネットしてて、自作のMIDIの曲とかをアップしてる人がいて、そこに入ってる曲が多分めちゃくちゃ当時の中学生ぐらいの私にはお気に入りで。
へー。
でもそれをCDに入れる技術はないから、昭和のテレビを録音するスタイルで、マイクをこうやって向けて、静かにして。
CDRでそんなことできるの?
そう。なんか録音した超ガサガサのMIDIの曲とかも入ってて、なんかちょっと生活音がするようなパターンみたいなのが入ってるよね。
へー。
エモシ、エモシみたいな。
エモシだろう。
エモシだね。
頑張ってるって思って。やってることは変わってないなんて。
変わってないんだ。
なんか、わかんないけど、テレビをさ、なんかスマホで写真撮るみたいな。
あー。
なんかそういう。
うんうんうん。
そういうのが多分ね、今の仕事につながってる。
なるほど。
そうなんだ、仕事論だった。
急に、急に。
おもろ。
そうか。
そういう情熱が。
情熱がね。
情熱が。
音楽の価値と希少性
なるほど。
CD作ってなかった?CD-Rとか。
作ってたよ。
自作の。
作ってた作ってた。
作るよね。
作ってた作ってた。
MD作ってた。MD。
MDね。
自分の好きなプレイリストを作って、好きな子にあげたりしてた。とか友達にあげたりしてた。
友達にあげてたなー。
なー。
やってたー。
やってたなー。MDが2台入るやつ。
あったー。
あったよねー。
あったあったあった。
あったよなー。
コンポね。
コンポなー。
そう。
うち、Aiwaのやつ使ってたわ。Aiwa。
いや、絶対使ってた気がする。
うん。
Aiwa安心だよな。なんかソニーとかに比べて。
ソニーとかに比べて。確かに確かに。
そうそうそう。
ポータブルMDプレイヤーってさ、
うんうん。
開ける時にさ、パシャーって音するよね。
パシャー。
する?
する。
するしさ、
ディスク入れる時さ、内蔵みたいなの見えすぎて怖くならんかった。
わかる。
こんなむき出しになって大丈夫そうって思って。毎回。
生き物がパシャーって口開けて全部見せてくれたみたいな。
そうそうそうそう。
怖さがあったよね。
骨まで見えてますけど大丈夫そうって思ってたなー。
今なかなか見ないよね。
見ないよね。
そういうなんか、内蔵的な。
あんなむき出しになって良いわけなかったんだよね。やっぱ。
ねー。
懐かしいなー。
ホコリとかさ、触りたくなっちゃうしさ。
そうだよね。
やってたなー。なんかちょっとオシャレな曲とか入れて、なんか背伸びしてたなー。
してた。
図書館で借りたさ、ボサノバのCDとかのさ、なんかコピーしてさ、オシャレぶってた。
背伸びも背伸びだなー。
すごいなー。
背伸びしてた。
アントニオ・カルロス・ジョビンとか見てた。
現在のコンテンツ時代
聴いてみようって思うのかな?ボサノバとかいいなーみたいになるってこと?
なんかちょっとボサノバというジャンルがあるらしいみたいな。
なんか聴いてるとオシャレかもしれないみたいな。
ジャンルそのものを知ったみたいなね、驚きみたいなのって当時ならではかもね、確かに。
ベンタルCD屋さんとかでさ、借りてさ。
お金ないから、買う金はないから借りてさ。
やったねー、懐かしいなー。
家族でたまにタワレコとか行く家で住む。
いいねー。
タワレコとか行ったら、なんかジャンルごとに分かれてるから、コーナーに行って視聴器で曲聴いてみたいな。
ディスク1234ってあるんだよな。
ディスク1234って聞いて、めっちゃヤバいってなって、でパパにこれ買ってお願いお願いみたいなおねだりして買ってもらうみたいな。
かわいいー。
ことをやって、で、ファットボーイスリムのCDを買ったっていう思い出があるね。
めちゃめちゃいいなー。
めちゃオシャレ。
超いい。
だからSUNの中では、ファットボーイスリムはSUNが掘り出した、発掘したアーティストなんだよね。
なるほど。
おもろ。
いやー、え、ちょっとてっぺんも話していい?
うん。
てっぺんを、あのー、島根県ってタワレコなかったの。
うんうん。
で、学校帰りに自転車で40分かけてさ、放課後におっきめの本屋さんに入ってるCDショップに立ち寄って、マジずっと立ち聞きするみたいな。
視聴器で?
そう。ディグルっていうか、なんか、番号をプッシュしまくるみたいなやつをしてて。
すごいすごい。
で、そこで見つけたのが、ぬじゃべす。
ぬじゃべす、オシャレ。
オシャレオシャレ。
俺が見つけたんだよね。
ぬじゃべす見つけたの?いいなー、かっけー。
よいしょ。
そっか、あれてっぺんくんが発掘したアーティストだった。
いやでも、すごいね。なんかさ、自分が見つけたって感じあるね。
あるあるある。
すごい大事だね。
でも確かに、昔はそのCD1枚3000円とかしてさ、親に願って買ってもらったりとか、自分でお小遣い貯めて買ったりして、
もう本当に超貴重なものだったから、もうずっとそれ、それしか聞くものないし、みたいな感じで、ずっと繰り返し繰り返し聞いてたみたいな。
なんかその感じはもうないのかな。
しがむ感じ?一つのものを。何度も聞くみたいな。
CDもなんかもうすれちゃうんじゃないかって心配になるくらい聞くやつ。
ずっと聞き続ける、貴重な感じ。これ、これしかないんです、みたいな。
これしかないんです、みたいなのはめんどくさかったけど、曲側とかアーティスト側からしたら幸せなコツだったのかもな、みたいな。
アーティスト側から。
何回も聞いてもらえるなんてね。
それで言うと、てっぺいはApple MusicとSpotifyで自分の好きな曲のプレイリストを作ってて、それはめちゃめちゃ聞いてる。そればっかり聞いてる。自分の好きな曲。
なんかいいなとは思うけど、状況的にさ、しがまざるを得ないっていう状況ではないよね。
まあね、そうだね。
サブスクサービスにはたくさん曲があるけど、しがまざるを得ない状況って良かったよねっていう話でもあるから。
まあそうか、そうだね。
それで言ったら、音楽に限らず映像とかもさ、何でもめちゃくちゃ今インターネットにコンテンツが超あふれてる時代だとは思うから。
イラストとかもさ、めっちゃ思うの。すんはイラスト描くから。
今ほどなんか日本人が絵を描いてる時代ないんじゃないかってぐらいに思うっていうか、SNSやってると。
大イラスト時代。
デザインも思うよ。
デザインでも思うよ。
大デザイン時代。
いや、一億層デザイナー時代。
ねえ。ってなった時に、なんかわかんないけど、昔だったらもうちょっと希少価値というか、わかんない、独占性があるというか、
なんかしがまれるようなものを作れた状況だったのかなっていうふうには感じる。
で、今はどう戦っていくかというか、こんなにいっぱいある中で自分が埋もれないためにどうすりゃいいのかみたいなことは考えざるを得ない感じはあるよね。
困るね。やばいじゃん。
やばい。
やばくはある。
考える。考えるけど、なんか、なんだろうな、戦わないみたいな、なんていうのかな。むしろ自分のなんかめっちゃ狭いところをめちゃくちゃ大事にするみたいな感じに最近はすごい思ってる。
面白い。余剰範囲。
そう、余剰範囲。
昼寝の余剰範囲。
むしろそっちを大事にして、ちゃんとでもなんて心は開いておくけど、みたいな感じにした方が、なんかそれを面白いって言ってくれる人と仲良くなれるかなって。
なんかこう、みんなが周りを見たらどんどん平均化を絶対にしていくから、みんながもっと自分のことをすごい考えたりとかして、自分の表現とかのことをもっと考えたりとかしたら、もっと面白い感じになるのかなとかって思うから、こうやって地球の裏側のものがすぐ見れる時代だからこそ。
むしろこう、狭く狭くしていってる感じはしてるか、自分が。狭いものを見たい、私は。
狭いって例えばどんな感じのことなの?狭さって。
誰もこれわかんないかもしれないけど、私はこれが好きみたいなやつ。
自分が思ったってことを大事にしよう、みたいな。
あー、結構わかるかもな。
キョロキョロすんのやめよう、みたいな。
手元集中しようって。
そう。なんか、似るのはもうしょうがないと思ってて、なんかあの表現とこの表現似てるとかってもう絶対あるから、なんかそれを避けて個性的な表現を求めるっていうのはすごい大事だと思うんだけど、
似るのが怖いから、あんまりオープンにしないとかっていうのは、もうみんなでせーのでやめようみたいな。似てもしょうがない。それは似るさ、みたいな感じで。
だからそれよりなんか自分がこう、これ、自分が発見したっていう感じがちゃんとしてて、これはすごい面白いと思ったって思ったんだったらそっちの方が尊いよっていう感じ。
同じことに気づいてる人いっぱいいて、そういう表現してる人いたとしても、なんか、じゃあつまんないことだったって思わなくても、もういいよ、こんな情報を肩の時代にとかはすごい思うから。
あー、面白い。
だから手元を見よう、手元を見ようって感じ。
あー、面白いな。
え、すんちゃんもそう思う?
いや、めっちゃ思う、めっちゃ思う。周りキョロキョロせず、自分がどう感じたかっていうところに集中しようみたいな。
作品が反射する光
そしたらおのずと面白いものができるし、意外と個性的だったりなものが作られるし、それを楽しんでくれる人もいるみたいな。
手触りみたいなのもめっちゃ共感ができるし。
なんかその、今日話しててなんとなくぼんやり思ったこととしては、なんだろうな、いや、ひるねちゃんのバンプ8曲目すごい説みたいな。
自分にはこう見えたっていう、一種錯覚的な喜びとか驚きとかっていうもの。
例えばすんで言うと、ファットボーイスリブ見つけた。で、ぺーくんで言うと、ヌジャベス見つけた。こいつやばいみたいな。もう錯覚じゃん、なんか。もう全然見つかってるし、すでに。
めちゃめちゃ見つかってた。
これは売れるなーって。
東京で売れた後。
けどなんかその話聞くと、けどいいなって思うっていうか、その見つけた感覚っていいなって思う。
あー、そうだね。
この3人のエピソードって、それぞれ受け手としての錯覚というか、それはもちろんなんか不便な時代だったからっていうのもあいまって、
錯覚が起きて、わーってなるみたいなことが受け手としてあったけど、今は受け手としては、割となんでも、それこそインターネットにいろんなもの、コンテンツがあふれてるから、
そういう錯覚も起きにくくなってる、そういうきらめき、驚き、わーみたいな、わかっちゃった、みたいなこと自体が受け手としてはすごく減ってきている。
創作活動の感情
ごめん話長くなって申し訳ないけど。
いやいやいや、そうだね。
けどその分、なんか作り手がそういう錯覚というか、なんか驚き、きらめきみたいなのを大事にしていくっていうターンなのかなっていう風に、
なんとなく感じた?話で。
そうかも。
なんか自分の仕事のフォーカス当てる部分って、最低限自分はワクワクすること、みたいなのがあって、
なんか結構たくさんの人に見てもらわなきゃいけない仕事とかが多いから、いろんな人のこと考えるんだけど、それでも自分は最低限これ面白いと思ってる。
自分がこれ見たら、あ、面白いって思うなっていうのは、なんか絶対考えるかな、みたいな。
きっと誰か面白いと思うだろう、みたいな感じよりは、最後にやっぱ自分、自分だなって聞いてて。
なるほどな。
あとなんか、やっぱなんかその、なんか見た時に、すごい何十万人の人がすごいって思ってるんだとか、もうすでに売れてるんだとかより、これやべえみたいなことを思うことがやっぱり一番の、作品の一番のきらめきっていうか。
人の心に反射したその光こそが作品みたいな感じがすごいするなって思って。
めっちゃいい言葉。
本当だね。
作品が光ってるというより、あなたの心に反射したものが光ってるんだよ、みたいな。
だから手元を見ようっていう話よ。
めちゃめちゃいいな。
ついさっきさ、写真の作品をうちのバイトの子たちと一緒に見たの。
見終わって感想言ってるときに、泣き出しちゃった子が今日いて。
すごい有名な作品なんだけど、そういうことって起きるなって思う、たまに。
それをこう掴んで話さないようにしたいな、その瞬間を。
批評とかね、結構全体的な話をしなきゃいけない場っていうのも絶対あると思うんだけど、
作品見て自分がこれすごいって思って、やっぱそれを私は仕事に還元したいなって思ってるから、
そのエネルギーの移動とかをちゃんと自分で吸収しないで、
なんていうのかな、ちゃんと跳ね返せるというか、反射できる。
世界の広がりと創作意欲
エネルギーを自分で飲み込まないでちゃんと発散できる。
自分で痛いな。
ため込まずにね、ため込みすぎず。
ブラックホールみたいに光を全部飲み込んじゃうみたいなメンタルのときもあるから。
何も反射できませんみたいな。
おそろいな。
確かにな。
作品を受け止めるってすごいさ、ブラックホールみたいに吸い込むイメージあったけど、
そうね、反射か。
確かに。
なんかおもろいな、その話。
なんかさ、スンは最初の方は漫画家とかになりたかったというか、漫画いいなって漫画描いてみようって言って、
そこから絵を描き始めたっていう。
スタートがあったんだよね。
そのときのことをなんとなく思い出して、漫画描けるなって思ったっていうか。
本屋さんとか行って気になる漫画とか、ブックオフとか行って立ち読みしたりとかして、いろいろ漫画を読んでみたいな。
当時だったら松本太陽とかの世代なんだけど、いろいろそういう漫画を読んで、
おもれ、漫画いっぱいあるな、楽しいな、最高だなってなって、もう全部見たわみたいな。
自分でも描けそうってそのときに思うというか、自分だったら次こういうの描けたらおもろいんじゃないかなっていうふうに思う。
その原動力みたいなので漫画を描き始めたなっていうふうに思ってて。
で、大人になってから振り返って分かったこととしては、漫画全部見たわって思ったけど全然全部じゃないのね。
王子の行動力とブックオフにある品揃えの話でしかなくて。
全部じゃないんだけど全部見たわっていうふうに思って、大きな錯覚の中で、
じゃあ自分は次にこれが見たい、誰も描いてないだろうし、みたいなふうに思って漫画を描き始めたっていう始まりのことをなんとなく思い出して。
めちゃめちゃ錯覚だね。
そうそうそう。
それはもしかしたら、その全世界の漫画にアクセスできなかった、ブックオフしかなかった状況が生んだ錯覚なのかもなとも思ったけど。
今ってどんどんどんどん情報が湧いてくるし、見れるものも超いっぱいあるから、逆に創作意欲みたいなのが湧かなくなっちゃうんじゃないのかなみたいに思う時はあって。
湧かなくなると思う。
そうだよね。
エブエブっていうか、エブエブの話で黒いドーナツの中にいろんなものが吸い込まれていくみたいな描写があって。
めっちゃものがあって、自分が相対的にすごいちっちゃく感じて、自分が何やっても変わらないとか、自分が作ろうとしたものは他の人がやってるからやらなくていいみたいなふうに思ってしまう。
そうだよね。
描写があったと思うんだけど。
あったあった。
それに近い感じだよね。
自分の世界をもっと広げたいみたいなのが、なんかその創作とかの欲求の一つだったかも、私も。
なんか自分で何か作ってみるとかは、ある程度閉じられた空間じゃないと、すごく勇気のある人とかじゃないと、なんかなかなか手が出せなくなっちゃうなみたいな。
今なのかなーっていう。
自分はなんか今の時代に、もっと若いってか幼かったら、なんか結構足がすくんでたかもなーって思った。
いっぱいいるし、みたいな。
すごい人もいっぱいいるし、みたいな。
すごくいいこともね、いっぱいあるけど、やっぱり。
そうね、だからなんかめちゃくちゃ世界が広、世界って広いな、作品がたくさんあるな、みたいな。
もう地球、地球みたいな。
星の数ほどみたいなね。
そうそうそう、心がちょっと揺さべられそうになるけど、自分の4乗半をしっかり見つめて、4乗半を5乗半にしていくみたいな。
そこが求められるっていうか、まあ精神衛生上いいよな、みたいな感じはあるよな。
方法もない感じになりすぎちゃうと、なかなか自分のサイズ感がわかんなくなっちゃうみたいな感じがしてくる。
わかるわかる。
そうかも。
4乗半ってめちゃめちゃ狭いのでは?ってなってくるっていうか。
意外と狭いな、みたいな。
だけど全然寝れるし。
暮らせる暮らせる。
生活できるっていうね。