1. ママが自分を取り戻すラジオ
  2. 529.ただいまポッドキャスト!..
『どうにもならないことが起きた時は…』
気が付けば夏休みも運動会も終わって秋がやってきておりました。
人生って色々。
落ち込むこともあるけど私は元気です。

《目次》
・お久しぶりです
・全然変わってへんやん
・海底二万マイルからの浮上
・しっくり言葉探し
・"よりどころ"に寄りかかれ
・いきなりのひぐらしの音



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サマリー

子育て真っ最中の彼/彼女が、イライラが止まらないお母さんたちに向けて、自分を知り、自分を取り戻すことで、子育ても夫婦関係も楽になる考え方をシェアしていきます。彼/彼女は実家カテゴリーでの出来事を通じて、誰かに頼ることや相談することの大切さを学びました。ポッドキャストが彼/彼女のよりどころであり、待っていてくれた人たちの存在も彼/彼女にとってとてもうれしいものでした。ちょっと待ちたいなふうに、ちょっと待て、ちょっと待て、ちょっと待てって思いながら、ローソンまで車をね、買っ飛ばしていきました。記憶によるとね、6月になってからなので約3ヶ月ほどです。

復活祭
ママが自分を取り戻すラジオ。このラジオでは、子育て真っ最中の私が、イライラが止まらないお母さんたちに向けて、自分を知り、自分を取り戻すことで、子育ても夫婦関係も楽になる考え方をシェアしていきます。
こんにちは、すぎべです。皆さんいかがお過ごしでしょうか。お元気でしたでしょうか。とってもとってもお久しぶりでございます。
本当に久しぶりすぎて、ちょっと喋り方をね忘れてしまいまして、今のすぎべですとか元気ですかみたいな、そういうあのなんでもない挨拶。
これも20テイクぐらいしてね、こんな感じやったかしらみたいな。あれどうやったかしらみたいなことになってます。
多分その20テイク全部聞き比べてもね、変わらないんですよ。何も変わらないんですけど、ちょっとね自分の中でわからなくなってしまっていて、何度も何度も撮り直しております。
今日は私のローソンの駐車場からお届けしてます。久しぶりローソンっていう感じです。
一番ね最後の回がこれじゃなくてね、この回じゃなくて一番最後の回がジブリの映画君たちはどう生きるかを娘と見に行っての感想をダラダラ喋ってる回だったんですよね。
多分その回で夏休み始まりましたとか始まりますねとか夏休みも頑張りましょうみたいなことを言ってたような気もするんですよ。
言ってなかったかもしれないけど、でもそんな気持ちで撮ってたんですよね。夏の始まりぐらいだったので。
でも気がついたら夏休みはすっかり終わり、なんなら小学生チームの運動会も終わり、でもうちょっと肌寒くもなってきたりとかして、もう季節がねあの大きく変わったなと思ってます。
本当に今年の夏はいろいろありました。お元気でしたでしょうか言ってますけど私はもう全然元気じゃなかった。もう本当になんか身も心もね疲れ果てておりました。
これを話し出すとめちゃくちゃ長くなるし、しかも子育てのことじゃないんですよね。子育て、子どもたちのこととか、私の家のこととかは、夏休みどうのこうのとかは例年通り大変でしたっていう感じだったんですけど、
それじゃなくて、もっともっとこう私の実家の方でね、もういろんなことが本当になんかもう人生ってみたいな、本当にいろんなことがあったんです。そういうことは私にとっても初めてのことだったし、子育てのこととか子どものこととかってなると、
特に一人目の長男のことに関しては初めてのことがねたくさん起きるわけです。もちろん今も起きているし、初めての反抗期だとかもうちょっとしたら初めての中学とか初めての受験とか、
いろいろ部活とか初めての、友達とのいざこざとかいろいろあるから、それももちろん初めてのことなんですけど、その子育てカテゴリーの中で起きる出来事なんですよね。
だから私の気持ちの持ちようとしては、いろいろ試練に試練を重ねて、すごくそこは自分でも太くなってきたな、強くなってきたんじゃないかなっていう自負はあるんですよ。
だからそれをちょっと私は勘違いしてまして、だから何が起きても私はちょっとやそっとじゃ倒れないぞみたいな風にちょっと勘違いしてたんです。
だけども、それが子育てカテゴリーじゃなくて、実家カテゴリーの場合はそこの私の幹全然育ってなくて、
自分のその幹が揺らいでいることにも気づかずにバタバタと夏休み過ごしてたんですよね。
子どもたちも家にいるし、家ですることいっぱいやるし、ご飯だって朝昼晩、朝昼晩、朝昼晩みたいな感じで作らないといけないので、
でも片付けても片付けても散らかるしみたいな、みたいなねことがバタバタしてたから、
そのことに気づかずにも心も疲れ果ててるなみたいなことに気づかずにいたわけなんですよ。
だけども、子どもたちが夏休みを終えて、学校に登校してきました、幼稚園に登園していきましたってなって、
私が家に一人ぽつんってなった時に、一気にね、なんかその疲れがドドッときたという感じ。
身も心もね。そうなんですよね。
そうなんですよね。
でもその家に子どもたちがいるから、日々は回していかないといけないし、
しかも我が家8,9,10ってお誕生日が子どもたち続いてるので、
まあ誕生日はいつも通りに祝いたいしとか、なんかそういう気持ちがあって、
この私の心身の乱れを子どもたちにあんまりこう影響させたくないしとか、
日々の日常生活を崩したくないしみたいな思いもあって、
まあまあ淡々と本当に淡々と日々を過ごしてたんですけど、
でもなんかこうその中でいろいろ考えることもあって、
私なんかすごい考え方とかもここの約10年ぐらいでだいぶ変わって、
10年前の私とは違うぞ思ってたけど全然あかんやんみたいな。
もう変わってへんやん。もうあかんやんみたいな感じになってました。
なんかもう偉そうにポッドキャストでもペラペラペラペラ喋ってさみたいな、
もうなんやねんみたいな感じになってたんですね。
だからずっとこうなんか海底の本当に海底2万マイルみたいなところを泳いでる沈んでるみたいな、
夏数ヶ月を過ごしてたんですよ。
だからこんな私に発信できることってないよなとか、
特にポッドキャストは結構私の声にその時の気持ちみたいなのってすごい乗るから、
お母さんたちが聞いてくれてる中で、
この番組聞いてよけつかれたわみたいなふうにはなってもらいたくないなと思ったんですよね。
なんかこう元気を出してほしいとかいうのはすごいおこがましいけど、
聞いてなんかまあいろいろあるけどまあまあどうにかなるかみたいな、
まあ頑張っていきましょうかみたいな風に思ってほしいなと思ってるから、
私がもうそんな海底2万マイルにいるのに、
海底2万マイルから言えることなんてないわみたいな風に思ってたんですよね。
だから浮き上がってこれたら、
発信を再開したいなと思ってたんですよね。
正直海底2万マイルよりも下にいるときは、
このまま浮き上がってこれへんのちゃうかなとも思ってたんです。
だけどなんかもう本当にもう、
あのカラッカラの浮き鉢に水をかけまくるみたいな、
豪雨の水をかけまくるみたいな感じで、
してたらだんだんだんだんその浮き鉢のカラッカラのところがね、
こうミチミチミチみたいな感じになってきて、
ようやく浮かび上がってこれたので、
海底2万マイルの日々
ここに帰ってくることができました。
もうめちゃくちゃ私のことやしね、
最近聞き始めてくださった方は知らんがなみたいな感じかもしれないんですけれども、
そこは私のなんていうのかな、
ゆるくやってるんですけど、
なんとなくプライドみたいなものもあって、
そんなプライドもいらんのかもしれないけど、
でもちょっとそんな風に思っていたので、
発信ができない状態でした。
かっこつけてそんな風に言ってるけど、
自分の気持ちも考えていることも、
もう言葉にできないっていう状態だったんですよね。
もう頭もぐちゃぐちゃ、心もぐちゃぐちゃ。
だからそれを人に伝えられるほどの言葉にする力もないみたいな感じでしたね。
だからもう頭を完全にシャットダウンして、
心もほぼシャットダウンして、
もう作らなあかんご飯は作りますみたいな、
洗濯物を干しますみたいな、
掃除しますみたいな日々を過ごしておりました。
で、今回は復活祭なんですけど、
ほんま知らんかなんですけど、
せっかく復活できたので、
私がこの数ヶ月間でいろいろもがきながら過ごしている中でね、
めちゃくちゃたくさん映画とかを見たり、
ドラマを見たり、本を読んだり、
曲を聴いたりしてたんですね。
本当は外に出て、自然の力とかも本当は借りたかったけど、
とにかく暑すぎてさ、
もう何ですかこの湿気みたいな感じだったんですよ。
湿気80%みたいな、もう意味わからんみたいなぐらい暑かったから、
なかなか外に行けなくて、
家の中でできることっていうと、
本当にそういう縁ために助けられたなってすごく思ってます。
で、その他にももちろんいろいろあって、
いろんな人に話を聞いてもらったりとか、
そういう専門的な知識がね、
実家カテゴリーでいろいろ諸々あったので、
その専門的な知識を持っている人に知恵を借りたりだとか、
お友達に聞いてもらったりとか、
本当にめちゃくちゃ力をもらったんですよ。
そう。
だけど、正直最初はその言葉すらも入ってこない状態だったんですよね。
もうほんまに植木鉢からからどんなにいい水くれても、
もうすぐ蒸発してしまうみたいな。
やけ石に、やけ石に水?みたいな。
ちょっとそういうことわざとかはわからないので使わないようにしよう。
っていう感じだったんですけど、
それプラスすごくエンタメに救われたなと思っていて、
エンタメって言うんですか?
本とかもエンタメって言うの?ちょっとわからないけど、
そういうものにたくさん救われたなと思います。
なんで救われたかっていうと、
たぶん私はそういう心境の中にいて、
そういう心境の下中にいて、
自分にしっくりくる言葉とか、
自分のこのもやもやした気持ちを言語化してくれる何かとか、
あとは背中を押してくれる言葉とか、
包み込んでくれる言葉みたいなものを、
エンタメに救われた日々
すっごい探し求めてたんですよね。
だからたくさん映画を見て、
映画のセリフでそういうものないかとか、
本を読んでそういう言葉がないかみたいなものを、
すごく無意識に探し求めてたんだなと、
今振り返ると思うんですよね。
で、せっかくなので、
その私がもう溺れながら、
もがきながら過ごしていた、
今も若干溺れてるけど、
溺れながら出会った本がありまして、
その中の一冊に書いてあった言葉を紹介したいなと思います。
これ、本のタイトル言ってしまったらネタバレになるかな。
ネタバレになってしまうかもしれないんですけど、
その本は、「架空の犬と嘘をつく猫」という小説です。
寺地春名さんという方が書かれている小説です。
ここから先ちょっとネタバレというか、
その本を読むお楽しみがなくなってしまうから、
それは嫌だという方はですね、
今から3分間ぐらい飛ばしてもらえたらいいのかなと思います。
この本は、まさにすごく実家の模様を、
自分の育った家族のことが書かれている本なんですよね。
小説なんですけど。
結構特殊な環境で育った人が主人公になっていて、
話が進んでいくんです。
私の育った環境が別に特殊なわけではないんじゃないかなと思うんですけど、
でもいろんな主人公が発する言葉に共感して、
今の私、その夏の今年の夏の私にすごく刺さったのが、
どうしても分からないことは分からないまま受け止めておくこともできる。
分からなくても愛せなくてもその存在を認めることはできる。
っていう言葉なんですよね。
で、この言葉もすごい当たり前っちゃ当たり前なことなんですよ。
「架空の犬と嘘をつく猫」の感想
やし、知らんかったんかって言われたらそうではないんですよね。
でも、頭では分かってるけどなかなかそれが自分の中に落とし込めないとか、
頭では分かってるけど心がついてこないみたいな状態の時に、
この分からないままそのまま置いといてもいいんだよみたいな、
メッセージがすごく私の中にスッと入ってきたんですよね。
確かに私のコースタンスとしては、
どうにもならないことをどうにかするっていうことがすごく正義だと思って、
これまで生きてきたような気がするんですよね。
子育てのこともそうだし、
子育てと家事とか、子育てと仕事みたいなことも今でも分からない、できないことはいっぱいあるけど、
でもどうにか出口はあるだろう、どこかに出口はあるだろうみたいな感じで、
探し求めることがすごくいいことなんじゃないかと思ってきたんですよ。
で、できることはしたいなと思ってたし、できないこともこれまでたくさんあったけど、
でもできなかったらその都度結構落ち込んだり、
自分の無力さを時には責めちゃったり、
もう責めるって一番あかんけど、
責めちゃったりとか、自分を嫌いになったりとかっていうのもしてきたなって思うんですよ。
だけど、どうしようもないことは生きてたらいっぱいあるし、
きっとこの先もいっぱいあるし、
どうしようもないまま、そのまま一旦置いておくっていうのも一つの選択肢なのかなと思うんですよね。
っていうふうに気づかされたんですよね。
ついつい自分が大切なものだったり、大切な存在だったりとか大切な出来事に対してって、
めちゃくちゃ一生懸命になってしまうと思うんですよ、必死に。
子供のこととかもそうですけど、
私の過去の経験で言うと、長男がどう頑張っても何をしても公園で出会うお友達の顔面を握りつぶしてしまう。
どうしたらいいんやみたいな感じで、それをどうにかこうにかやめさせようとする。
怒ったり悟ったり、違うところに興味を持っていこうとしたり、近づこうとするもんなら離れさせたりとか、
いろいろこう、ついつい一生懸命になって視野が狭くなって、
もうこれをどうにかしないとってすごく重いすぎてしまうことがあるよなと思うんですよね。
だけど、それをチューブラリにしておくのって気持ち悪いけど、
でもチューブラリにしておいてもいいんだっていう考え方がちょっとあるだけでも、
すごく楽に暮らせるのかなと思いますよね。
ただ、チューブラリの状態って問題が大きければ大きいほどすごくしんどいし、
チューブラリで何かこう問題をチューブラリにしながら日常生活を送っていくのってすごく力が、気力がいることなので、
この本にも書いてたんですけど、
チューブラリでもOK。どうしようもないことをどうしようもないまま置いておいてもOK。
ただし、ちゃんと自分の心の拠り所みたいなものを確保しておくってことがすごく大切っていうことなんですよね。
拠り所を持って、ちゃんとその拠り所に寄りかかれるってことがめちゃくちゃ大事なんだなと思いました。
私は多分、なんか寄りかかるのがすごく下手で、
私のよりどころ
寄り所って何って聞かれて即答もできなくて、
そこが私のすごく弱いとこだったんだなってことにも改めて気づいたんですよね。
だから、相談もたくさんしたし、でも相談することがすごく苦手だなということにも改めて気づかされたんです。
これはね、わかってたんですよ。すごいわかってた。
わかってたし、ちょっと話それるんですけど、
私先日、先日言うてももう数ヶ月前ですけど、
TBSラジオの展開図という番組にゲストで呼んでいただいて、
そこで野村さんという方と、あとウガアナウンサーのお二人と一緒にお話をさせてもらう機会があったんですよね。
それ、ポッドキャストでアーカイブも残ってるので、ぜひぜひ聞かれてない方は聞いていただきたいんですけども。
その時に、私が発信をしていく中で、
私自身は一人では悩んだらあかんとか、子育ては一人でしたらあかんとか、
誰かを頼らないといけないとか、誰かにその思いを共有しないといけないってすごく言ってるんだけど、
杉部さん自身はどうやって何か問題に直面した時に解決してるんですか?
どういうふうにそこを折り合いをつけてるんですか?みたいなふうに質問されたことがあって、
その質問に私はすごくドキッとしたんですよね。
私、こんなにも発信の中で一人で悩んだらあかん、一人で子育てしたらあかん、誰かに話さなあかんって言ってる私が、
そう言われてみたら私結構自己完結してるなって思ったし、そう言ったんですよね。
でもそうやって答えてからずっとその質問が私の心に突き刺さっていて、
その質問さすがだなとか言うとめっちゃ上から言うとおこがもしすぎるんですけど、
そうよなーみたいな、そこが私の弱いところだなー。
わかってはいるけどなかなか難しいなみたいなふうに思ってたんですよね。
で、今回の実家カテゴリーのね、ちょっと詳細が言えなくて、
このにおわす漢字ほんまにうっとしいなって感じかもしれないんですけど、
その実家カテゴリーの出来事っていうのは、完全に私のキャパを超えたことがいろいろ、
一つだけじゃないんです。いろいろ起こっていて、
キャパを超えたからこそ誰かに頼るってことができたし、
その話をする、相談する、助けてって言えるっていうことができたから、
めっちゃ学ばせてくるやんって思っておりました。
でね、私この話をしよう。
私の復活エピソードではこの話をしよう、このテーマでお話をしようと思って、
そのスクリプトというかバーって書いて、
これ明日収録しようローソンの駐車場でって思って寝たんですよ。
で、今日の朝、今日からポッドキャスト再開しますって、
インスタのストーリーで一個だけ画像を流したんですよね。
本当になんかもうコーヒー飲みながら朝眉毛を描きながら、
ポンって一個だけストーリーを流したんです。
で、インスタってもうインスタの発信もずっとしてなくてね、
もう2ヶ月ぐらい離れてたら結構ストーリーとか誰にも見てもらえなくなったりとか、
なかなかそのフォロワーさんのところにポンっておすすめみたいな感じで出なかったりとかするんですけど、
なのにもそういうインスタのアカウントの状態にもかかわらず、
めちゃくちゃいろんな人が待ってましたとか、
お帰りなさいとか、なんかどうしたのかなと思ってましたとか、
短時間で、スタンプとかね、短時間でめちゃくちゃそれに反応をくださったんですよね、みんな。
もちろん休んでる間にメッセージくださった方もたくさんいてね、
全員には返事返せてないかもしれなくて、すごくありがたい気持ちと申し訳ない気持ちであるんですけど、
おかえりみたいなふうに言ってくれることが、すごくうれしいという言葉では表せない気持ちになったんですよ。
で、そこでまた気づいたのが、ちょっと待って、私のよりどころってポッドキャストやったやんって思ったんですよね。
私のよりどころ、ポッドキャストやったのに、一番しんどかったこの夏、数ヶ月、ポッドキャストやってなかったから寄りかかれへんかったんやんと思って、
人生の支え
ちょっと待てみたいなふうに、ちょっと待て、ちょっと待て、ちょっと待てって思いながら、ローソンまで車をね、買っ飛ばしてまいりました。
で、この本の中ではね、そのよりどころっていうものが現実にはないものでもいいっていうふうに書かれてたんですよ。
それが架空の何かだったりとか、例えば物語とかそれこそ映画ドラマとかもそうだと思うんですよね。
だから、それが世間一般的に言われる、これが私のよりどころですみたいなふうに言われるような正しいっぽいものでなくてもいいと。
それぞれがみんなこれまでの人生とかね、これまでのいろいろなことがある中を生き抜いてきた。
そこから選び抜いた、選び得た自分自身の方法とか、自分自身のアイテムなのかわからないですけど、
このやり方で自分で自分を支えるっていうことがやっぱ大事なんだなと思いました。
たくさん背中を押してもらったりとか、寄り添ってもらったりとかしたんですよね。
ここ数ヶ月いろんな人にね。
背中を押してもらう言葉とかもたくさんもらった。
物語とかだけじゃなくて、実際に大丈夫っていう言葉もたくさんもらったけど、
でも一番最後の背中を押すのはマジで自分自身やなってすごい思いました。
もうなんなら背中をさするのも背中を押すのも本当に自分って思った。
でもそこにたどり着くまでにはやっぱりいろいろなものだったり、いろいろな人だったりに寄りかからないといけないし、
寄りかかるっていうことは決して弱いわけではなくて、
寄りかかれる場所を持ってる人が強いんだろうなって思いますよね。
はい、ということで今日はただいまっていうね、あの回でした。
最後まで聞いていただきまして本当にありがとうございました。
一旦今はいいか
どうにもならないことってもういろいろあるんです。
まあ子育てもそうだし、夫婦関係もそうですし、まあそういうこう実家カテゴリーとかお仕事の中とかいろいろあるわけですよね。
いろいろあって、それをどうしてもこう0か100かとか白か黒かみたいなできるかできないかみたいな感じでやってしまうと、なかなかうまくいかないこともあるから、
まあどうにもならないことはどうにもならないでいいか、一旦今はいいかって思えることもすごく大切で、
ただそう思うためには自分自身の寄りかかれる、寄り所っていうものを持っておく、そういうものだったりそういう人だったりそういう場所を持っておくっていうのがやっぱり大地さんだと学びましたね。
はい、ということで、
ちょっとボイシーとかインスタとかいろいろツイッター、いつの間にかXっていう名前に変わってましたけど、とかノートとか、もうすべてシャットダウンしてしまっておりましたので、
ちょっとゆっくりね再開していけたらなと思ってます。
あの発信してない間も聞いてくださった方々、メッセージくださった方々、待ってくださっていた方々本当にありがとうございました。
そして私の話を聞いてくださった方々も本当にありがとうございました。
はい、ということで、終わり方はいつもどんな感じだったかな。
えっと、えっとちょっとなんやったかな。
LINEの公式アカウントがありますので、そちらからあのメッセージをいただけたら嬉しいです。
ちょっと本当に忘れた。
インスタグラムもやっておりますので、ぜひぜひそちらもフォローしていただけたら嬉しいです。
はい、ということで皆さんも今日も素敵な一日になることを願っております。
はい、ちょっとすいません忘れておりました。
夏の間にねポッドキャスト再開したら、なあがそって思って撮っていた日暮らしの音と私と末っ子の声っていうのがあったんです。
なんかこう下書きフォルダみたいなとこに入ってたんです。
なのであのちょっと最後に日暮らしの音を流したいと思います。
季節が変わっちゃってね、あの日暮らし現実では多分鳴いてないんですよ多分。
もう鈴虫やと思うけどちょっと癒される音なので、
ぜひ特にあの都会にお住まいの方日暮らしの音ってそんなにご聞く機会ないかなと思いますので、
あの入民のお供にでもしていただけたらなと思います。
はいお楽しみください。
28:10

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