『君たちはどう生きるか』を観た感想と親子の関係
ママが自分を取り戻すラジオ。このラジオでは、子育て末輩中の私が、イライラが止まらないお母さんたちに向けて、自分を知り、自分を取り戻すことで、子育ても夫婦関係も楽になる考え方をシェアしていきます。
こんにちは、すぎべです。いかがお過ごしでしょうか。今回は、ダラダラ回にします。ダラダラと君たちはどう生きるかについて話すという回にしたいと思います。
これ、きっと何回か見ても感想変わりそうだし、何年か後とかに見ても感想が変わりそうな気がしたんですよね。
なので、今回一回見ての感想というのも、おこがましいんですよ。感想というほど言葉になってないんですけど、
どう思ったかとか、それが感想か、どう感じたかとか、何か思い出したこととか、それをきっかけに思い出したこととかを、一旦ここで保存しておきたいなと思ったんですよね。
なので、ちょっとこれを収録してます。もし見られてない方がいらっしゃったら、もう聞かないでほしい。もう本当に聞かないでほしい。
もう途中から私の妄想の話とかになる気がするので、もう聞かずに、まっさらな気持ちで映画を楽しんでもらえたらなと思ってます。
この君たちはどう生きるかの映画はですね、少し前に長女と2人でレイトショーで見てきたんですよね。
で、小4の長女と言ったんですけど、小5の長男とも一緒に行きたくって、3人で行かへんみたいな感じでね、誘ってたんです。
5、6回誘えましたよ、私はいろんな角度から。ジブリの映画屋でとか、なんかジブリの映画で好きなやつあったよなとか、何回も見てるやつって何やったっけ?
ラピュタって好き?とか、いろいろいろんな角度から誘ってたんですよ。
だけど、いや俺はいいわ、俺はいいわ、俺は家にいるわって何回も店長にお断りをされたので、もうじゃあもう分かったってなってね、これもエゴですよ本当に。
これ映画館で見といた方がいいんちゃうか?みたいな感じでね、もうエゴが見透かされてました。
だから断られて、おとなしく長女と2人で映画館に行ってきました。
長女と2人で映画に行くのは初めてで、彼女にとってレイトショーも初めてだったんですよね。
そう、だから結果的に長女と2人で行ってよかったなっていうのをすっごく思ってます。
なんでかっていうのもちょっとまだ言語化できてないんですけど、じゃあ長男と2人で行くのと何が違うんやとかって言われてもちょっと言葉にはまだならないんですけど、
でもそれがすごくよかった。映画の場合はもちろんなんですけどね。
映画が終わってから長女と映画館を出て、夏の夜風に吹かれながら駐車場のすごい遠いところに車止めてたので、そこまでぽつぽつ歩きながら、
あれどう思ったとか、あれってこういうことかなとか、あいみょんの声って誰やったんとか、なんかそういう話をしながら帰ることもすごく価値のある意味のある時間だったなと思うし、
車に乗ってからも次は米津さんの地球儀っていう曲をあれにどんな、何やのいい曲、本当に今でも泣けますもんね、あれ聞いたら。
それをかけながら車でまた家までね、こう帰っていくときにまたそこでお話ししたりっていう、その2人の時間がすごく貴重だったなと思ってるんですよね。
映画よりもこの2人で行って2人で夜中に帰ってきたっていうことが、なんかおばあちゃんになっても覚えているような気がしたんですよ。
同じものを見て同じ映画を見たのに、こんだけ長女と感覚が違うんだとか、こんなにも映画の感想を話し合えるぐらい大きくなったんだとか、
私はすごい頭使って映画見てたなってことに長女の感想を聞いて気づかされたりとかしたんですよね。
私はずっとあそこでこれを言ったから、この人がこれを言ったから、これとこれってこういうこととか、下に沈んでいくっていうことはこういうこととか、死人がどうのこうのっていうことはこういうこととか、
もうとにかくめちゃくちゃ頭を使ってしまってたんですよ。
使ってしまってたっていうか、使ってたんですよ。
だけど長女はすごく真正面からジブリの映像と音を浴びましたっていうような感覚の感想で、
あそこ綺麗かったよなとか、あそこ気持ち悪かったよなとか、あそこの女の子の声ってすごい可愛かったよなとか言ってたし、
あと、私全然見れてなかったんですけど、長女が一番最初に言ったのが、赤ちゃん生まれてよかったなって言ったんですよ。
私ね、赤ちゃん生まれてるとこ見てないんですよね。
気づいてないんですよ、赤ちゃんが生まれたことに私は。
で、2年後って言ってたから、確かに2歳ぐらいのサイズやったよなみたいなことも言ってて、
え、そんな子供なんて生まれてました?子供なんて生まれてたかもわからないし、2歳の子供がいたこととかも私全くわからなくて。
だからこれだけを見にもう一回行きたいなと思ってるんですけど。
ジブリ作品に対する感謝と尊敬
でも我が家は4歳の末っ子がいるので、その4歳の末っ子が生まれて大きくなっていく姿を長女は見てるんですよね。
だから末っ子も2歳の時あんな感じやったとか、なんかそんなことを言ってて、
え、赤ちゃんなんてどこにいた?みたいな感じにね、私はなってました。
だからやっぱり親子でも同じものを見ても感じることとか見えてるものとか違うし、
見てるんだけど見えてないみたいなことって映画だけじゃなくっていろんなことに起きるなっていうのをね、
まあ当たり前のことですけど、すごく改めて感じたりもしてました。
フラもあって長女と2人で行ってよかったなと思ったんですよね。
ちょっと内容の話に入る前にもう一個長女と行ってよかったなと思ったのが、
なるべく私は長女の人生に自分の人生を重ね合わせないようにしないといけないなとすごく思ってるんですけど、
でもどうしてもやっぱりね、小学生とかになっていくにつれて、
私も9歳の時こんな思ってたなーとか、10歳の時こんなことしたなーみたいなことを思い出しちゃうんですよ。
よくも悪くも。
ってなった時に、今9歳の長女が隣にいるデジブリの新作を見ているっていう状態が、
私もちっちゃい時にトトロ何回も何回も見てたな、
めいちゃんに感情移入してたなーとか、
トウモロコシのことをトウモロコシって言えるのにトウモコロシってわざわざ言ってたなーとか、
でもちょっと大きくなってきたらさつきちゃんに感情移入してたなーとか、
あと思い出ポロポロがね、我が家には多分ビデオがあって、
母が好きだったのかちょっと忘れましたけど、
思い出ポロポロも結構見てたから。
思い出ポロポロの女の子と同じ髪型しようとしてたなーとか、
そこに感情移入してたなーとか思ったり、
魔女の宅急便のね、キキ?ジジ?キキ?キキやな。
キキにめちゃくちゃ思いを馳せていたなーとか、
留学するってなった時にめちゃくちゃキキのことを思いながら飛行機乗ってたなーとか、
あと妊娠したらお園さんになれた気持ちでめちゃくちゃ嬉しかったんですよね。
私お園さんになるっていうのが、
妊娠しててもしてなくてもすごくお園さんが憧れの存在で、
お園さんになれたみたいなことがすごい嬉しかったなーとか、
順番に自分のライフステージが変わっていくごとに、
いろいろなジブリのキャラクターに思いを寄せたり外せたりとか、
重ね合わせたりしながらここまで来たなーみたいなことを思い返してたんですよね。
こんなん言ったらもうほんまにジブリマニアみたいな感じで思われるかもしれないですけど、
がっつりジブリの作品全部見てるかって言われるとそうでもなくて、
本当に人生の中の要所要所で、
ちょっとずつ感情移入したりとかしなかったりとか、
あれってジブリのこれみたいな風に思ったりとかしながら、
生きてきたなっていうのを思ったんですよ。
それをすごくこの33、4年を彩ってくれた存在だなっていうことを、
改めて感じることができたし、
映画制作の素晴らしさと生死のテーマ
もしかしたらこれは宮崎駿さんの最後の作品かもしれないなと思いながら見てたから、
本当になんかありがとうございましたみたいな気持ちで見てたんですよね。
だから最後なんかもう米津さんが流れてきた時に、
すごいなんか泣けてたんですよね。
ただただ今回の映画がどうのっていうことだけではなくて、
今までのジブリとの思い出みたいなのが結構ブワーって出てきて、
日本のこの映画の歴史の中に、
ジブリという存在があってよかったなみたいな、
めっちゃ壮大な話になってきたし、
私日本の映画語れるようなほどね、映画の知識ほんまにないんですよ。
もうめちゃくちゃ有名な映画とかも全然見てないから、
何を日本の映画とか言うとんねんって今言いながら思いましたけど、
でもなんか本当にありがとうございますという気持ちになりました。
これは海賊、海賊じゃない、怪物を見た時にも思ったんですよね。
ありがとうございましたって。
映画見るたびにありがとうございましたって思うかなこれからも。
ちょっとそれはわからない。
これからどういう感情を抱くのか自分でもちょっとわからなくて不安なんですけど。
でもそんなふうなことを思いながらエンドロールを見てましたね。
あと内容の話に全然入れないんですけどもう一個。
私は映画の向こう側、映画を作る側の人になりたいと思ったことは、
今までの人生の中で一度もないんです。
ないし、そういう発想も今まで浮かんでこなかったんですよ。
映画っていうのは見るものだっていう感覚だったから。
だけど、そこと肩を並べるような言い方したら本当にもう干されてしまうって感じですけど、
今は実際にこうやって発信をするという、誰かに何かを届けたい、届けばいいな、届いたらいいなっていう思いを持ちながら、
発信している立場に今なっているから、
なんていうか、このエンドロールに出てくる人たちの名前を見てると、
全然存じ上げない方々ですよ。失礼ながら。
全然そこらへんの知識がないので、全然本当に誰一人存じ上げませんという感じなんですけど、
でも、そこに並んでいる人たちの数の多さとか、きっとここには名前は載ってないけど、
もっともっといろんな人が関わっているんだろうなって思った時に、
なんか、ただただ本当にすごいものを見せてもらったな、みたいな感じになったんですよね。
なんか、ものを作っている、作品を作っている人たちで、すごいなっていう純粋な尊敬の気持ちというか、
ここに何年間どれだけの人の思いとか、なんか熱い気持ちとかが載ってるんだろうかって思ったら、
ありがとうございますですよね、本当にね。
もう本当ありがとうございますなんですよ、私の感想は。
だから、これはこの作品に限らず、どの作品にもなんですけど、
でもきっとそれは何かを誰かに届けたいな、届けばいいなっていう、
今の発信側の立場になったからこそ、より感じられることなのかもしれないなと思って、
今私の発信をしている、できているっていう立場にも感謝することができたし、
とにかくありがとうございますです。
全然内容の話をしない、全然内容の話をしないけど、
いや本当に言葉にならないんですよね、何て言ったらいいのか。
私分からないんですよ、これは本当に妄想の話ですよ、妄想の話だけど、
きっとそのエンドロールに書かれている名前の中にはね、
もう私30歳超えてるから、私と同じぐらいの世代の人たちもいるんだろうなと思ったんですよね。
この映画に関わっている人たちの中には、私と同じぐらいの世代もしくはもっと下の世代の人たちもいるんだろうなと思って、
その人たちももしかすると小さい頃にトドロをすごく見てたりとか、
魔女の焚き火めちゃくちゃ見てたりとか、ラピュタすごい見てたりとか、
っていう風にジブリを浴びながら育ってきた人たちが、
今また新しいジブリの作品を作っているということにも感激したし、
ちょっとだけ、私って何かできてるかな、みたいな風にも思いました。
ジブリを作っている人と自分を並べるのって、本当にもう頭どうにかしてるんちゃうかと思うんですけど、
でもなんかちょっとそんな風に思った自分もいて、なんか不思議な感覚だなと思ったりもしましたね。
もういい加減、内容の話に入っていきたいんですけど、
内容は、映画を見ている時に思ったのは、
これは生と死、死ぬということと生きるということの狭間の世界を描かれているんだなっていうのを、
妊娠と生と死の狭間の世界
私はそういう風に捉えていて、
あるシーンが出てくるところまでは、
私にとって当たり前に、
今、特に体に不調もなく、毎日眠たいとか、肩凝ったとかそういうのはありますけど、
でも大きな病気とかも、私自身にもなく、家族にもなく、身近な人にもなくっていう状況で過ごしていると、
生と死っていうことって、あまり考えずに生きてるんですよね。
あまり身近な存在じゃないなってことに気づいたんですよね。
だけど、あるシーン、妊娠している女性が、
その生と死の狭間の世界に、自分の意思なのか引き寄せられているのかわからないけど、
そこにスーって入っていくっていうような描写があったんですよね。
その描写を見た時に、めちゃくちゃ私は自分事として感じたんですよね。
なんでそういうふうに感じたかというと、
まさに私が妊娠している時だったりとか、
出産をする時だったりとか、産前産後とか、
腎痛が来ている時だったりとか、
あとは、新生児を、子供たちがまだまだ新生児だった時とか、
生と死の狭間の世界に生きていたような感覚が確かにあったなと思ったんですよね。
私は妊娠するまで、人って本当に当たり前に人から生まれてきて、
当たり前に成長していって大人になるっていうふうに思っていたところがあるんです。
というか、そこに対してあんまり考える機会もなかったんですよね。
何の疑問にも思ってなかったんですよ。
人って普通にお母さんから生まれてくるんでしょう。
両親なりおじいちゃんおばあちゃんなり、何かしら大人の手で育ててもらうのは育ててもらうけど、
みんなそうやって大きくなってるしね、みんなそうやって大人になってるしね。
また大人になったら結婚するなりしないなり、子供を産んで、子供が生まれて、子供が大きくなって、
っていうサイクルを繰り返してるんでしょって思ってたんですよね。
それって当たり前の自然の流れでしょみたいなぐらいに思ってたんですよ。
だけど自分が妊娠をすると、人から人が生まれてくることって全然当たり前のことじゃないし、
なんならめちゃくちゃ奇跡やなと思ったし、
母子共に無事に出産が終わって、しかもそこから無事に子供が申請時から赤ちゃん、子供、幼児からどんどん大きくなっていって成人をする、
そしてまた子供が産めるぐらいの年にまで年を重ねるっていうことって本当に当たり前のことじゃないんだなって、
心の底から思ったんですよね。
出産とか妊娠とか産前産後のことだって、
みんながしてるから、他の周りみんながしてるから当たり前のことだと勘違いしてしまうんですけど、
みんながしてるからって当たり前そこはイコールには決してならないし、
本当に奇跡だなと思うし、言い方ちょっと間違ってるかもしれないけど、
ずっと死と隣り合わせだなと思ったんですよ。
妊娠中も子供が無事に生まれるかどうかとか、そこから申請時で日を追うごとに大きくなっていくことって、
結構命をつないでいくことって本当に死と隣り合わせだなって思ったんですよね。
だから、妊娠している女性が狭間の世界に向かって歩いていく姿が、結構自分のこれまでの経験と重なる部分があって、
だから子供を授かることとか、子供が無事に生まれてくることって、
本当に死と生きるの狭間で行われていることなんだなっていうことを思ったんですよね。
私、あんまりスピリチュアルなことに関して知識もそんなにないし、そこを信じているかどうかと言われると、
目に見えないものだから、私はね、目に見えないから、
めちゃくちゃ信じてますみたいな感じでもそんなないんですよね。
都合よく信じるときは信じますぐらいの感じなんですよ。
だけど、そういうのってあるのかもしれないなとか、そういうのって結局繋がってるのかもしれないなと思ったのが、
それもまた妊娠しているときなんですよね。
妊娠してるときって、妊娠してなくてもそうだと思うんですけど、人によってはね。
めちゃくちゃ潮の道引きに自分の体調が左右されたりとか、月の道陰とかに左右されたりとか、
台風が近寄ってきたらすごくお腹が張ったりとかっていうのも私はあったんですよね。
だから、私単体で生きてるみたいな感じじゃなくて、
この地球の中に自然があって、自然の中にいろんな生き物があって、その中の自分は一部で、
地球で起きているいろんなことに影響されて、この命が毎日繋がっていくんだなとか、
それに影響されてお腹が張ったりとか、出産が早まったりとか、みたいなこともあるんだな、実際にって思うと、
このちっちゃい人間界の世界では、少なくとも私は死ぬことってすごい怖いなとか恐れていることなんですけど、
でもその人間界を超えたところでは、結構当たり前のサイクルだし、自然と繰り返されていることなんだなっていうのを、
すごくこう改めて、自分で体感する期間でもあったんですよね。
だから、そういうふうに感じたことを、もう私は最後の妊娠から何年?5年?6年ぐらい経ってるから、その感覚ってちょっと忘れてたんですけど、
でもこの映画を見たときに、すごく自分が妊娠していて、妊娠したりとか出産するときに感じた、あの神秘的な気持ちを思い出して、
なんか身に覚えあるぞ、みたいな感覚になりました。
で、その女性が出産するときに、他の人は入れない部屋、入ってはいけない部屋みたいなところに入るんですよね。
それもすごく、ちょっとこれ現実的かもしれないけど、めちゃくちゃ文弁室やなと思ったんですよ。
この一定の人しか入れない感じ。それは医療的な意味でも一定の人しか入れないんだけど、
でもすごく神聖な場というか、それこそ一番死と生の狭間の空間な気がするなって思うんですよね。
で、大丈夫かな?今回のこのエピソード。
大丈夫かな?ちょっとわかんないけど。
妊娠中、これ何のあれもないですよ。何のデータもないです。
だけど私の感覚としては、妊娠中ってなんかすごく守られているような気持ちになることが多くて、
守られてたりとか、やたらくじ引きが当たるみたいなこととかすごいあったんですよ。何回もありましたよ私。
私くじ引きとか本当に当たらない人なんですけど、絶対このガラガラとか当たった試しがなかったんですけど、
でも妊娠中に普通にイオンとかのガラガラのやつとかでバーンって当たったりとか、いきなりね、何千円の商品券とか当たったりとか、
あとジャングルジムと滑り台と鉄棒がついてるアンパンマンのでっかい優遇みたいな、室内に置けるでっかい優遇みたいなのも当たったんですよね、私、妊娠中に。
とかそういういろんなものに守られていて、めちゃくちゃ運気が爆上がりしてるみたいな感覚がすごくあったんです。
根拠もないしさ、それこそもうなんかこれってスピリチュアルな話になっていくのかもしれないですけど、それを毎回体感してたから、
だからなんかやっぱり目に見えないことってあるよなとか目に見えない力ってあるよなとか、そういう世界っていうのは存在するんじゃないかなって思ったきっかけの一つなんですよね。
母親と子供の関係
そして、このシュスターンの話にもつながりますけど、結構この映画ってお母さんと息子の関係だったりとかそこに対する描写が多いなと思ったんですよ。
だから、すごい嫌悪感を抱く人は嫌悪感を抱くんじゃないかなと思ったんですよね。
なぜかというと、母親と子供の関係ってすっごい複雑だと私は思っているから、シンプルなものでは絶対にないと思っている。
で、いろんな親子関係があると思うんですよ。いろんな母親と子供の関係があると思う。父親もそうですけど。
だから、一概には言えないですけど、シンプルなものじゃないよなと思う。近いからこそ。
ちっちゃい頃は近いんだけど、大きくなるにつれてやっぱり距離感ってずっとずっとちっちゃい時のままの距離感ではなかったりとか、近いからこそ入り込みすぎてしまったり境界がわからなくなってしまったりとか、
余って伝え方間違ったりとか、めちゃくちゃ大切なものだからこそ大切にする方法を間違えちゃったりとか、そこの愛情がちょっとねじれてしまったりとかっていうことが親子関係はすごく起きるんじゃないかなっていうのを
自分が母親になってすごくそういうふうなことを考えるようになったんですよね。だからそういうのがあるから、母親という存在そのものに毒親っていう言葉があるようにあまりこうよく思ってなかったり嫌悪感を抱いている人も一定数いるんじゃないかなと思うんですね。
だからこの母親が結構色濃く描かれている映画って本当にいろんな意見があるんじゃないかなっていうのはすごく思いましたね。
ただ私はどう思ったかというと、セリフの中でもう一回ちょっと忘れたけど、もう一回あなたの母親になれるんだったら自分が早くにいなくなるってわかっていても、もう一回なんか生まれ変わるじゃないけど、もう一回母親やりたいみたいなセリフがあって、
もうそれにめちゃくちゃ突き刺されたんですよ。私も絶対そうと思って。確かにお育てってもうほぼほぼしんどいことが多いし、それこそイライラさせられることとか、もう体も脳もめちゃくちゃしんどいこととかあるんですよ。
それこそもう一回めちゃくちゃ子育てしんどかった7年前とか8年前ぐらいに戻れって言われたら、ちょっとって思うかもしれない。
だけどもう一回この子たちの母親やりたいですかって言われたら、私は絶対やりたいなと思うし、それがこの子たちだからっていうわけでもないんですよね。
わが子だからっていう感覚なんですよね。
だから、自分がわりと早くに亡くなる運命だと知っていても、わが子の母親として生まれる自分の人生は絶対に幸せだろうなと思うし、でもそれって本当にこちらのエゴだと思うんですよ。エゴまみれなことだと思うんですよね。
だって置いていかれる人のことなんて考えてないかもしれない発言だから、置いてまだまだ自分が小さい時にお母さんが亡くなるって、もしかするとすごくつらいことなんだけど、子供につらい思いをさせるかもしれないけど、でも私はもう一回あなたの母親になりたいっていうのって、
受け取り方がいろいろあるけど、受け取り方が…なんて言ったらいいのかわからない。
でも、親側のエゴっていう風な受け取り方もできるなと思うんですよね。
だけど、もうそのエゴを許してくれるんだったら、私も同じこと言うなって思ったし、同じ状況には私はならないから、私はこの子たちの母親になれてよかったっていうことを改めて思いましたね。
そんな風な見方を子供に対して、そんな風な考え方を子供に対してしたことがなかったから、だからこそそのセリフにすごく胸を突き刺された感覚になって、それが離れなくて抜けなくて、そのセリフ以降あんまり覚えてないんですよね。
だから最後に子供が生まれたのか、赤ちゃんが生まれたのか、どんなのかみたいなところも完全に見逃してる。
でも、その一言に私はやられたなと思いました。
価値観の継承と構築
あともう一個、その価値観、親からとか、親のもっと前の価値観って、先祖代々受け継いでいくものなんだろうなと思うんですよね。
親の価値観っていうのはやっぱりその前の世代から受け継いだものであって、その価値観っていうのはまたその前の世代から受け継いでいるものであって、
やっぱりその価値観って、良くも悪くも引き継がれていくものなんだろうなと思うんですよね。
だけど、それって積み木を崩してもう一回積むっていう描写があったところで、今の価値観は潰してもいいんだよ、一旦崩してもいいんだよ、それで自分の好きな価値観を構築してもいいんだよっていうメッセージなんだろうなと思って。
だから、その話を車で帰りながら長女にしたんですよね。
ママが言う言葉とか、ママが話すことって、きっと子供たちからすると結構パワーのあることだったりとか、本当に刻み込まれることだったりとか、私が正しいって言ったことは結構子供たちもそれを疑うことなく正しいと思ったりとかするんだろうなと思うんですよ。
例えば私が、あの先生ってちょっとあんまりよくないよなみたいなふうなことを、他人の先生のこととかね、あの先生ってあんまり信用ならんよなみたいなふうにちょっと言っただけでも、その言葉ってめちゃくちゃパワーを持っていると私は思うんですよ。
それを聞いた子供たちは、あの先生って信用できひんのや、だってママが言ってるもんってなって、学校でその他人の先生のことを信用できなくなったりとか、だってママが言ってたもんみたいな感じになっていくぐらいのパワーを親の言葉って持ってると思うんですよ。
どんなに軽く言ったこととか、どんなにそんな深い意味がなかったとしても、やっぱり親の言葉って子供にとってはもうめちゃくちゃパワーを持ってるから、でもそれって仕方のないことだと思うんですよね。
ずっとちっちゃい頃から、赤ちゃんの頃から育てて、育ててもらってきたって言ったらいい形であるけど、一緒に過ごしてきた親が言ってる言葉がパワーを持つっていうのは自然なことだと思うんですよね。
でもそれを私も自覚しておかないといけないし、そういうもんなんだよっていうのを長女とか、まあ長男にもそうですけど、伝えておきたいなと思ったんですよね。
ママが言うことってすごく正しいことみたいなふうに思うかもしれないし、そういう言い方をしてしまう時もあるし、
ママが言ってることが正解だっていうふうに捉えてしまうこともあるかもしれないけど、あくまでこれはママの考えで話してるっていうこともたくさんあるし、
ママがこう言ったからこうみたいなふうに考えるんじゃなくて、自分で考えていってほしいみたいな話をしたんですよね。
結構こういう話はこれまでもしてきたんですけど、でもこの映画を見た後のタイミングでするからこそ、届けられそうだなと思ったし、受け取ってくれそうだなとも思ったんですよね。
実際に私が思った通りにその私の言葉を受け取ってくれたかもわからないし、私が住み木のところの話をこういうふうに受け取ったんやけどどう思うって言ったのも、思い通りその言葉が伝わってるのか受け取ってくれてるのかっていうのはわからないんですよ。
だけどそういうような話を改めて子供とできるきっかけにもなったから、それをもらえたからそれだけでもめちゃくちゃこう一緒にね、見に行った意味があったなと思いましたね。
とにかくね、米津さんの曲がまた良かった何回も言うけど、本当に良かった。本当に良かったですね。
私、今年出会った曲で一番良かったからかもしれない。違う違う違う。映画の中の曲として一番良かったかもしれない。
いやちょっとわからない。とにかく良かった。とにかく良かったっていう気持ちで見てましたね。
映画の感想と生き方の考え方
エンドロールの話ちょっと冒頭にもしましたけど、それをこう見て色んな人が携わってるんだなぁとか、同じぐらいの年の人もいるんだろうなぁとかって思いながら見る中で、
私はちっちゃい時にトトロを見ていた。あれから今までどう生きてきましたか?みたいなふうに問われた気持ちにもなったんですよ。
あのトトロから、この君たちはどう生きるかまで、あなたはこの何十年間どうやって生きてきたんですか?みたいなふうに勝手に問われているような気持ちになって、さらにこれからどうするんですか?みたいなふうに勝手に捉えましたね。
だから、どう生きるかを考えることも大事だし、どう生きてきたかを大事にすることもすごく大切なんだろうなぁと思うし、何よりも考えることが大事ですよねって思った。
こういう映画を見ると、どうしても早く誰々さんの感想が読みたいとか聞きたいとか、YouTubeでこれはどういうことだったのか解明したいみたいなふうに思ってしまうし、私もそれを本当にもうやりそうになるのをもう堪えて堪えてっていう感じだったんですけど、
やっぱり自分の感じたこととか、思い出したこととか、それをきっかけに思い出したこととかっていうのを思考を巡らしたこととか、感情が動いたこととかを大事にしたいし、それがすべてでそれが正解なんだろうな自分のっていうふうに思いましたね。
全然ちょっと言葉にならんとか言いながらだいぶ喋りましたけど、今回はちょっと私自身の感想保存版ということでお話をさせてもらいました。
君たちはどう生きるかについて考えるということでね、お届けをしました。
もし最後まで聞いてくださっている方がいらっしゃいましたら本当にありがとうございます。
感想これも聞きたい。感想を教えてください、皆さん。
どんなふうに思われたのか、どんなことを感じられたのかっていうのを聞きたいし、それを考えてシェアし合うことこそが大切なことだとしてますので。
ぜひLINEの公式アカウントにメッセージをお待ちしております。
概要欄にURLを貼っておきますので、そちらからご登録いただきましてメッセージを送っていただけます。どうぞよろしくお願いいたします。
明日から、明日からかわからない、次回からはまた通常通りの自分を取り戻すラジオに戻りたいなと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
ということで最後まで聞いていただきましてありがとうございます。
今日も素敵な一日になることを願っております。