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ママが自分を取り戻すラジオ。このラジオでは、子育て真っ最中の私が、子育てを通して自分を見つめ直す方法や、母親として過ごす中での気づきや学びをシェアしていきます。
こんにちは、すぎべです。 あのあと15分ほどでですね、末っ子が幼稚園から幼稚園バスで帰ってくるんですね。
なのでもうすぐちょっと行かないといけないんですけど。 なんでこんなにギリギリになってしまったのか。だいぶ時間あったんですよ。
ポッドキャスト撮ろうと思って。だけど喋り始めて、なんか違うなぁと思って消して。 喋り始めて、なんかうまいこと喋られへんなぁと思って消して。
ちょっとコーヒー飲もうかなぁと思ってコーヒー飲んだら、洗い物とか始めちゃったりとかして。 洗濯物も一回回しておくかみたいな感じで回したりとか。
なんかあっち行ったりこっち行ったりしていたら時間がなくなりました。 なんでこんなにいつもギリギリになるのか。
ほんとギリギリの中で生きてるんですよね。 嫌なんですけどね。本当にここは治したいところなんですけど、本当気を抜くといつも何かに追われ、ギリギリの中で生きているっていうのが私なんです。
どうもみなさんいかがお過ごしでしょうか。こんにちは。 今日はですね、我が家はお兄ちゃんお姉ちゃんたちの学校が第9だったんですね。
週末に運動会があったので、週明けの月曜日の今日、この収録をしている日はお休みでした。
今は習い事に行っているのでいないんですが、日中はねちょっと近くにある大きな大きな公園の草むらの上でピクニックをねしてきました。
そこでスケボーをしたり、ここはスケボーしたらあかんでってちょっと怒られちゃったりとか。 なのでスケボー諦めてレジャーシートを引いてそこでカードゲームしたりとかボードゲームしたりとかお菓子食べたりとか
ダラダラして秋の心地よい風を感じに行こうと思ったら今日めちゃくちゃ暑くて汗だくになって帰ってきたという感じなんですね。
末っ子は通常通り今日は幼稚園があったので、大丈夫かな、お兄ちゃんお姉ちゃんたち休みやのに休むって言わんかな、大丈夫かなと思いながら朝を迎えたんですけど、
今日は末っ子も体育祭じゃない運動会の練習が幼稚園であるっていうリハーサルがあるっていう風に本人もわかっていたので、
元気よく機嫌よくいてくれました。 いつもは学校チームの方が登校時間はだいぶ早いので、幼稚園の
幼稚園バスが来る時にお兄ちゃんお姉ちゃんたちが家にいるってなかなかないんですよね。 まあお姉ちゃんは集団登校で行けなくて家にいるとか送っていくとかっていうのは日常
サハンジなんですけど、お兄ちゃんがいるっていうのは本当に珍しいんですよ。 だからそのお兄ちゃんから今日幼稚園バスのところまで送っていっていい?みたいな感じで結構前から言われてまして、
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それでいいよって言って、 お兄ちゃんも一緒に幼稚園バステーマで朝行ってたんですね。でお兄ちゃん行くってなったらお姉ちゃんも行くってなったので、
私とお兄ちゃんお姉ちゃんと末っ子4人でゾロゾロと幼稚園のバス停まで送っていきました。 家から幼稚園バス停って本当すぐなんですよ。 だけどもうね幼稚園バッグお兄ちゃんが持ってくれて、水筒お姉ちゃんが持ってくれて、荷物全部
お姉ちゃんとお姉ちゃんが持ってくれて、どこぞの女王様が歩いてるんやみたいな。 女王様のおなりみたいな感じで幼稚園のバス停まで行ったんですよね。
バス停着いたらしっかり持ってましたけど、 まあまあお兄ちゃんお姉ちゃんもニヤニヤしながらおいてらっしゃいみたいな感じでね
お見送りをしていたし、末っ子自身もすごく嬉しそうだったので、 こんなこと年に1回か2回もないぐらいかなと思うのでね
みんなでお見送りできて良かったなぁと思っております。 ということであの今日は第9でお兄ちゃんお姉ちゃんを連れてそのダダピロイ公園に行ってきたので
そのことについて お話し、気づいたこと、考えたことっていうのをお話しシェアさせていただきたいなと思っております。
今日のテーマは誰も悪くない理由ということについてお話しをしようと思います。 これ結論から言うと自分も相手もその相手の周りにいる人も
親も子どもも旦那さんもとにかく誰も悪くないんですよね。 いつもいつも誰も悪くない。
なぜかというと悪いのはいつだって環境とか背景とか仕組みだからなんです。 このね本当にいつも誰も悪くないんですっていうことはこのポッドキャストでもたびたび言っているかもしれないし
私が運営しているオンラインサロンハロウィンママの メンバーの方たちにも本当によくよく言っているんですよね
ただこの言葉って誰も悪くないっていう言葉って結構自分自身を責めてしまいがちな言葉かなとも 最近思うんですよ
で相手を悪者にしたり相手を敵にしたり例えば旦那さんをね敵にしたりも旦那のせいで みたいな感じで
旦那さんを敵にすることができたら結構そこに救われている自分って実はいたりするなと思うん ですよね
なんでかっていうと自分でこう責任を負わなくてよかったりだとか 自分が悪いって思うのってしんどいじゃないですか
だけどその代わりに誰かのせいにできたらすごくね あの
まあまあ言ってしまえば楽なんですよね だけど誰も悪くないって聞いたら旦那さん悪くないのかってことは私?
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みたいな感じで自分を責めるっていう方向性に方向に転がってしまう可能性もあるなと思うんですね
でもこの誰も悪くないの意味は自分も含まれていて とにかく夫婦喧嘩があったりだとか子供にめちゃくちゃ腹が立つみたいな時も
子供も悪くないし自分も悪くない旦那さんも悪くないし自分も悪くないっていう風に あの思った方が絶対に心持ちが楽だと思うんですよね
で あの具体的にどういうことかというと
我が家はね兄弟喧嘩が本当にあの本当に本当に頻発するんですねこの話もよくよく してるんですけどもそれはちっちゃいことから大きいことまではじゃれ合ってるただじゃれ
やってるだけっていう時もありますし本気でやり合ってる時もありますし まあそのサイズ感は様々その日によっていろいろなんですけど
とにかくとにかくもういつもギャーギャーギャーギャー言ってるんですよ で私はそれを家でやられるともう本当にねもううるさいみたいな感じでもうイライライライラ
してくるんですよね前に比べてこの兄弟喧嘩に関して 異常なほどに怒りが込み上げてくるっていうのはあの少なくなりましたけど
もうとにかくうるさいんですよもうそんな大きな声出さんでもちっちゃい家なんやから 聞こえるやろうみたいな感じで
もうとにかく静かにしてって思っているんですよね うん
とかやっぱりあのもうこの近所中に音響き渡るような声で泣かれたり喚かれたりとかすると やっぱり少なからず近所にねご迷惑がかかるなっていう思いとか
で私自身はかなり前ですけど2人がちっちゃい時ですけどに 泣き声が大きすぎて本当に児童相談所に通報されたこともあるんですよね
だからやっぱり大きな声を出させてしまうと大きな声で泣かせてしまうと そうやって周りにこう迷惑をかけてしまったりだとか
児童相談所とかに通報されて実際にそういう児童相談所の人たちが ピンポンをして我が家に来た時ってめちゃくちゃダメージ食らったんですよ
なのでそういう経験が過去にあるからこそいろいろなこう思い出だったりとかいろいろな その昔の感情とかがてんこ盛りになってイライラしたりとかもうちょっと静かにしてくれ
みたいな感じでねなっているんですよね そして疲れるみたいなことがよくよく起こっていたんですけども
あの今回そのダダッ広い芝生でカードゲームをしてた時にどっちがどっちの番やとかこれ 取ろうと思ったのにどうのこうのみたいな感じでまた小ゼレ
会いをし始めたんですよ芝生の上で でそんな時にあまた始まったわ私は思ってたんですけどその芝生ってとんでもなく広くって
しかも平日だったので誰もいなかったんですよねもカラスに言わぐらいしかいなかったんですよ 本当にそうだからどんなに大きな声で2人がわめき散らかしてても
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あの喧嘩しててもなんかみたいな感じでペットボトルとか投げたりとかしてても あーもう元気でよろしいですねぐらいの感じだったんですよね私は
だからこれって冷静に考えたらあの登場人物全員一緒なんですよね あのお姉ちゃんお姉ちゃん私の登場人物は家で同じことが起こってるね時と全く同じだし
起こっていることっていうのも同じなんですよ家でもそうやってどっちがさっきやった とかこのカードを取りたかったのにどうのこうのみたいな感じでもいやいやいや言ってることあるんです
よねだから一緒なんですよやってることは だけどその
何が違うかって場所が違うんですよね環境が違うんですよ 家の中だったらすっごくうるさく感じるしうるさすぎてイライラするし
っていうのが起きてるんですけど私の中でだけどダダピロイ誰もいない芝生だったら もうどんだけでも叫べ叫べみたいな感じで本当にね寛大な気持ちでそのあの
兄弟喧嘩兄弟の小競り合いを微笑ましく見つめることができたんですよね なんならちょっとうるさかったら私1メートル2メートルぐらい離れたらその声もだんだんちっちゃく
なりますし あの全然そこに対してはイライラもしないし起こるみたいなこともなかったんですよね
だからそこで考えたのはやっぱり誰も悪くなかったらなっていう 確かにねそのカードゲームしててどっちが取ったとかどっちがせこいことしたとかそういう
なんか誰どっちが悪いっていうのは2人の中であるかもしれないんですけど でももっとそれをこう
1歩2歩3歩ぐらい引いたところで見たときに本当に誰も悪くないしその起こる理由が なかったんですよ外で喧嘩をしている2人を見ていて
起こる理由というかイライラする理由っていうのがなかったんですよね ってなったら
なんかこれは本当にあの よくよく言っていることだし常に思っていることではあるんですけど誰も悪くなくて
いつでも悪いとするのであれば環境だったり その人たち私たちが置かれている世の中の仕組みだったり
そういうところに言ってしまえば毒があるのかなっていうのを本当に本当に改めてね 今回感じました
なので あの
なんていうのかな子供を責めたり旦那さんを責めたりするのってその瞬間は結構 すっきりするんですよ実は
説教するのって快感みたいな歌ありますよね世界の終わりの最近の曲で
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説教するのって正直快感みたいな歌詞があるんですけど いやほんまその通りやなと思っていて
その時のイライラとか腹立つみたいな気持ちを結局 叱ることで解消している
旦那さんをけちょんけちょんに言うことで解消してしまってるっていうところがあるんですよね だけどだからその一瞬はちょっとすっきりするかもしれないんですけど
誰かを敵のままにしてしまうこと誰かを責め続けることしかもそれがすごく近い子供 だったり旦那さんだったりっていうのを対象にしてしまうとすごくすごく長い目で見た時に自分自身が
やっぱりしんどいし辛いんですよね で自分のことを責め続けるのももちろん辛い
だからこそ相手も自分もいつも悪くないということを知っておきたいなって知って おいてほしいなっていうのはすごく思いました
でただ一つ悪いどこが悪いのかっていうのを探したいのであればそれって環境とか 仕組みとかのことがほとんどじゃないかなと思います
環境とか仕組みとか背景とか歴史とかそういうところにあの 問題というか毒みたいなところがあるんじゃないかなっていうのを思ったので今回は
これをシェアさせていただきました はいということで最後まで聞いていただきまして本当にありがとうございます
ちょっとね幼稚園バス迎えに行ってきますのであの 今日はこの辺でおしまいにしようと思います
今日も素敵な一日になることを願っております