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ママが自分を取り戻すラジオ。このラジオでは子育て真っ最中の私が子育てを通して自分を見つめ直す方法や母親として過ごす中での気づきや学びをシェアしていきます。
こんにちは、すぎべです。今ですね、家の中で長女がキーボードを弾いていたりとか、長男がお友達とねマイクラのゲームをしておりまして、賑やかな我が家です。
なので、まぁなのでというか、ちょっとね私は部屋にこもりまして、ひそひそと、はいひそひそスタイルで今日はお届けしようかなと思っております。
昨日ね、末っ子、3歳の末っ子が私の顔を眺めて、すごい至近距離で私の顔を眺めてね、
あの肌、肌というかほっぺたをこうすりすりしながら、 ママのお顔って虹があるねって言われたんですよ。虹ってなって、え、何虹ってってなったらね、私のほうれい線を指差して、
ここに虹があるねって言われたんですよね。
ほうれい線を虹っていう例え方、 なんかめっちゃ素敵やなと思って、
ほうれい線があることはちょっと喜ばしいことではないんですけど、でもそれにね、なんか虹とか言ってもらうと、
いいやろ虹みたいな。 まだ3歳やから虹ないなぁ残念やなぁみたいな感じで。
ママは虹あるんやで顔にいいやろーとか言ってね言ってました。 ということで、私はあの顔面にね虹をくっつけてこれからも元気に生きていきたいなと思っております。
なんのこっちゃって感じなんですけど。
今日のテーマなんですけど、今日のテーマは子供を尊敬するって、子供の無駄に付き合うことっていうテーマでお届けしようと思います。
で、あの、なんか子供を尊敬しましょうとか子供を尊重しましょうみたいな感じでね、
あのよく言われているかなと思うんですよね。これは私もあの我が子を尊敬することとか尊重することってめちゃくちゃ大切だなぁって思っているんですよね。
思ってるし、できることならしたいなってずっと思ってきたんですよ。
で今はかなりあのできるようになったんですけど、でもこの言葉だけを聞いた時って、
いやできるもんならしたいけど、どうやったらできるんやろってすごく思ってたんですよね。
で、なんで子供を尊敬すればした方がいいのかっていうことで言うと、
子供をあの別人格とかもう他者っていう風に自分とはね全く違う別の生き物なんだみたいな感じで
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あの思うためかなって思うんですよね。そうそう。
そういう風に子供は別人格でもう完全に別の生き物で別物で他者っていう風に思うためには子供を一個人として尊敬できないと
そういうふうには切り離せない、いい意味で切り離せないのかなっていうふうに思うんですよ。
ただそれってそんな綺麗事言われても難しいっていうのが実際のところ私の中ではあったんですよね。
どうしても特に子供がちっちゃいと、この話同じような内容でこれまでに何回かしたことあるんですけどね。
このポッドゲストの中でも。でも親子関係ってどうしても上下関係になってしまいがちだし、
子供がちっちゃければちっちゃいほどね上下関係にならざるを得ない関係なのかなと思うんですよね。
いろんなことを教えないといけないし、それこそねなんかパンツの脱ぎ方からお箸の持ち方からスプーンの持ち方からって
一個ずつ教えていかないといけないから上下関係っていう感じが強いかなって思うんですけど。
でも教えていかないといけないことはたくさんあるんだけど、でも感覚的に
感覚までも上下関係になったらやっぱりその子供を尊敬するとかってすごく難しくなるなって思うんですよね。
じゃあどうしたらいいのかなって私が思った時に、子供が感じている感覚っていうのを信じてあげたり大切にしてあげないといけないなっていうのをすごく思います。
でもこれもねなんか難しくってお母さん自身がお母さん自身自分のことを信じてないと、その子供のことを信じるっていうのもすごく難しいなって私の経験上思うから
そう言葉で言ってねすぐできるってわけじゃないと思うんですけど、でもその子供の見てる世界とか子供の感じている感覚っていうものが自分とは別にあるんだよってことを
なんか認識してねそれにちょっとこう どんな風に見えてるんやろうとかどんな風に感じてるんやろうっていう風にちょっとこう
なんていうのかな子供側の視点から 見てみるのもいいのかなっていうふうに思います。
でね私はなんかそれすごい難しいし言語化するのも難しいし、
具体的にどんなことっていうのすごい難しいなって思ってるんですけど 私が好きなね絵本作家の吉竹鑫介さんが
絵本の中でそれをなんかめちゃくちゃ上手く描かれてるなってすごく思うんですよ どの本見てもそう思ってなんかこう大人なんだけど
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子供の感覚が残ってる人なんだろうなってすごく思うんですよね 私あの自分がちっちゃい時にね子供の時にねすごく自分の中で思ってたのは
なんで大人って子供を経験して大人になるのに 子供の気持ちこんなにわからへんねやろってずっと思ってたんですよ
それがめっちゃ覚えてることなんですよね多分本当にちっちゃい頃から私思ってて だから私が大人になったら絶対子供の気持ちわかる大人になりたいわ
みたいな感じで冷めた子供だったのでそんな風に思ってたんですよね でもいざ自分が大人になったら全然それができなくって
なんかその時の子供の時のね感覚とかってもう忘れてしまってるんですよね きっとそれはなんかいろんなことを知りすぎてしまったりとか
無駄に思考が働きすぎるようになってしまったからかなーって思ったりするんです けどでも吉竹信介さんの絵本読んでいるとね
子供の頃のその感覚みたいなものを思い出させてくれるなっていうのを感じてました で私はもともと吉竹信介さんリンゴかもしれないとか
あのおしっこちょっぴり漏れたろうとかね書かれている本作家さんなんですけどすごく好き なんですよねそしたらねnetflixにある情熱大陸で吉竹信介さんの回を発見したんですよ
で今日お昼ご飯食べながらねそれを30分なんで見てたんですけど やっぱりやっぱりっていうか本当に子供と大人のちょうど中間時点にいるような
なんか感覚の人なんじゃないかなって感じたんですよね でその吉竹信介さんの言葉で
大事なことって本当に大事なことなんだろうか くだらないことって本当にくだらないことなんだろうかっていうのをあのすごく大切にしているっていうふうにおっしゃってたんですよ
だからその吉竹信介さん自身は大事なことでもくだらないことでも あの同じ熱量で描きたいっていうふうに言われてたんですよね
なんかそれってすごくこう吉竹信介さんの絵本見てて私が感じてたことを言語化して もらったなっていう感じがしてめちゃくちゃすっきりしたんですよね
でこれって なんか大人が思う大事なこととかくだらないことっていう基準かなって思うんですけどこれが
もし子供からの視点で見たときに子供が 大事なことって大人が大事なことと必ずしも一致するとは限らないし
なんか大人がねうわめっちゃ無駄やんとかめっちゃくだらないくだらないことやなって 思うことでも子供からしたらもうそれがめちゃくちゃ大切なことっていうことも
あり得るんじゃないかなって思うんですよね 例えば
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私からしたらなんか末っ子が持って帰ってきた 葉っぱとかどんぐりとかどんどん増えていくしかもどんぐりとか虫出てきそうやしもうほんまに
ちょっともはよ処分したいなって思うんですけどでもその葉っぱとかどんぐりって お散歩中にね
見つけてすごい綺麗みたいな感じで末っ子が見つけて しかもそれをママにも見せてあげたいって思って持って帰ってきたものだったりするわけ
なんですよね だから私からしたらただの葉っぱただのどんぐり
なんですけど なんかそれは
あの 私の判断基準であって末っ子の判断基準とは違うっていうのをすごくすごくね感じ
たしそのあの感覚 子供が持っている個人それぞれの感覚っていうのを大切にしてあげることが子供を尊重したり
尊敬することにつながっていきそうな気がするなぁというふうに考えました だからこう無駄だと決めつけないこと子供がやっている無駄そうに見えることを
ちゃんと大切にしてあげるっていうのがあの子供を尊敬したり尊重したりね するための第一歩なのかなというふうにあの思いました
そうてなるとね家に葉っぱとかどんぐりとかも大量にも大量に 増えるんですけどでもなんかねそこは大事にしてあげたいなと思っているので今日はこ
その話をさせてもらいました 最後まで聴いていただきましてありがとうございますご意見ご感想あなたのエピソードなどあり
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では今日も素敵な1日になることを願っております