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ママが自分を取り戻すラジオ。このラジオでは、子育て真っ最中の私が、子育てを通して自分を見つめ直す方法や、母親として過ごす中での気づきや学びをシェアしていきます。
こんにちは、すぎべです。 昨日はですね、我が家の末っ子の4歳のお誕生日でした。
今年も無事にねお誕生日を迎えることができて本当に良かったなと思っているんですね。 我が家は8月9月10月と長男、末っ子、長女の順番でお誕生日が続いてるんですよね。
なんですけど、先月の8月の長男のお誕生日、当日っていうのは、家族全員がコロナ真っ最中っていう感じでね、適当にウーバー頼んで、全員パジャマで適当に祝うみたいな感じしか当日はできなかったんですよ。
まあ日を改めて、違う日にお祝いもしたんですけど、でもねやっぱりあの今回、末っ子の誕生日は平日ではありましたけど、当日にねお祝いすることができて本当に良かったなと思っているんですよね。
3人の、3人兄弟の末っ子ということもあって、ずっとずっとなんか赤ちゃん、赤ちゃんっていうような印象というか、本人はすごいしっかりはしてるんですけど、
どうしても赤ちゃん扱いみたいなのをしたいんですよね私たちも。
だけど少し前まで本当に顔つきとかも赤ちゃんぽくてまんまるだったのが、なんかこの夏を経て末っ子を見るとちょっと顎がシュッとしてきたりとかして、
雰囲気もねすっごく赤ちゃんから子供になってきたなっていうのを感じるんですね。
成長はもちろん嬉しいんですけど、でもやっぱりどこか寂しいなぁというか、切ないなぁみたいな気持ちもゼロではなくて、
特に末っ子だからそれがねあって、それを旦那さんとね、こうやって大きくなっていくんやなぁみたいなちょっと切ない気持ちにもなったりしておりました。
お誕生日プレゼントはずっと末っ子が欲しいって言っていた本屋さんで見つけた本とおもちゃの間みたいな、本なんだけれども音楽鳴るしマイクが付いてるしそのマイクでカラオケができるみたいなものなんですね。
これは半年ぐらい前からずっとずっと末っ子が欲しい欲しいって言っていて、
私はね本屋さんで本は買うけどおもちゃは買わないっていう風にルールを作っているので、
まあまあじゃあそれ欲しいんやったら誕生日にしたらとかサンタさんにお願いしたらっていう風に言ってたんですよずっと。
で私もちょっと悪いところがあって、お誕生日まで覚えてないやろって勝手に思ってたんですよね。
まあもう3歳とかだから覚えてへんやろどうせって思ってたんですけど、
いや舐めてましたね3歳を子供を舐めてましたね。
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ずっと覚えているもう何ヶ月経っても覚えてる絶対それが欲しいっていう気持ちのね本気度が伝わってきて今回のお誕生日は絶対それにしようと思って買ってねプレゼントしました。
めちゃくちゃ喜んでいて放送紙を開けてそれだって分かった瞬間にもうね発狂、おたけびみたいな。
でもジャンプして喜ぶっていう、人って本当に嬉しい時こんなにも体全身を使って喜べるんだなっていうのをこう見て感じてね。
その姿を見て私たちもすごく幸せな気持ちにさせてもらいましたし、やっぱり欲しいものが手に入るって純粋にこんなに嬉しいことなんだなっていうのを改めて思わされました。
でこれは本当に余談なんですが、余談で誕生日と一切関係ないことなんですけど、あのTSUTAYAでねそのおもちゃの本を買ったんですよ。
でそのTSUTAYAの放送紙がめちゃくちゃ可愛くて、もし機会がねあれば皆さんも是非チェックしてほしいなと個人的に思ってるんですけど、
これまで私TSUTAYAで本をプレゼント放送してもらったこと何度かあるんですけど、これまではね本当にシンプルなチェックとか小花柄しかなかったんですよ。
期間限定なのかそのお店限定なのかなのかわかんないんですが、このプレゼントを買う時に出会った放送紙っていうのが吉滝鑫介さんの放送紙と、
あとはすごく有名な絵本で白クマさんのパンツかなっていうのがあるんですよね。で最近それの最新版でネズミくんのパンツ、ネズミさんのパンツだったかなっていう本が出たんですけど、
その吉滝鑫介さんと白クマくんのパンツの放送紙があったんですよ。そんなもうあのどちらにされますかの選択肢の中にね。
でも私は本当に興奮してしまいまして、めちゃくちゃかわいいってなって。本当は一つに選ばないといけなかったんですけど、たまたまもう一つプレゼントとしてちょっとしたおままごとグッズみたいなのを買ってたので、わざわざの分けてもらって放送紙を2つ選ぶっていうね。
めんどくさい客なんですけど、をさせてもらいました。 もし伝えに行って本を何かプレゼントするよという予定がある方いらっしゃったら是非ねチェックしていただきたいなと思いました。
白クマくんのパンツの放送紙もめちゃくちゃ可愛かったんですよね。 ちょっとその細かすぎて伝わるかわからないチェックしてほしいことなんですけど、どうしても言いたくてあのねお話しさせていただきました。
今日のテーマなんですが、今日のテーマはこんな世の中だからこそというテーマでお話をしたいと思います。
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結論から言いますと、こんな世の中だからこそ小さな幸せを自分で見つけたいし、自分で見つけられる人に子どもたちにもなってほしいっていうことなんですよね。
これはどこかの歌の歌詞にありそうだなぁとか、 まあまあよく聞くようなフレーズだなぁっていう印象かなと思うんですよね。
ただ本当によく聞くってことはやっぱりそれが大事なことなんだよなっていうのを体感したことがあったので、シェアできたらなと思います。
何があったかと言いますと、少し前に末っ子の通っている幼稚園の幼稚園バスが利用できなくなって、数日間保護者が車なり歩きとか自転車なりで送り迎えをしないといけないっていう時期があったんですね。
私は車で送り迎えしてたんですけど、そのうち何日間か雨が降っていて、駐車場から園までも少し距離があるので傘を持たせて行ってたんですよね。
この幼稚園は制服と、プラス帽子とリュックと、あと指定の靴っていうのがあるので、それを全部装備して登園してたんですけど。
ある日迎えに行った時に雨が降っていて、駐車場私が止めたところの屋根がちょっと高い屋根になってたんですよね。
屋根の縁から雨がポタポタポタポタ落ちてきていて、そこが水たまりになってたんです。
私は駐車場だし、もう早く帰るよみたいな感じで末っ子を車に乗せようとしてたんですけど、末っ子がそのポタポタ上から落ちてきている様子を見つけて、その下に溜まっている水たまりを見つけて、そこに一目散に駆けていったんですよね。
そもそも水たまりがめちゃくちゃ好きなので、そのままいつもの靴のままバシャバシャ履いていってしまって、私はそれは明日も履いていかなあかんのにとか、そうなるんやったら長靴履かせといたらよかったとか色々思ったんです。
これまでだったら長男長女がちっちゃい時は、とにかく早く帰りたい。早くご飯の準備とかお風呂とか寝かせつけとかしてしまいたい。
靴とか濡れたら次の日困るし、体も濡れて風邪ひいたら困るし、とにかく濡れないでほしいみたいな、とにかく早く帰らせたいっていう気持ちが大きかった。
大きかったっていうかその気持ちしかなかったんですよね。
ずっといつもいつも時間に追われていて、早く早く早くみたいな感じで、朝も夜も子どもたちに早くって何回言うねんみたいな、早くしてっていうことをずっと言い続けてきたなとちょっと反省してるんですよね。
だけど今回はその水たまりにバシャンって入って傘をさしているところに上からポタポタ雨の雫が落ちてきているその音を聞いてケラケラ笑う末っ子を見たときに、
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なんか本当にこの何でもない日常の中でこんなに自分で楽しみを見つけられるっていうのはすごいことだなと思ったんですよね。
末っ子の中にお早く帰らないといけないとか、この靴濡れたらダメだとか、体が濡れて冷えて風邪ひいたらどうだとかね、そういうことは一切なくってただただこの水たまりに入ることが楽しいとか、
自分の傘にポタポタ雨水が落ちてくる音が楽しいとかっていうただ本当にちっちゃな幸せを自分で見つけただけなんですよね。
その自分で見つけた幸せを自分で見つけた楽しいことをただただ楽しんでいるだけっていう感じだなって思ったんですよ。
でポタポタねあの傘に落ちる音を聞いてトトロみたいとか言って言ったりすっごい楽しそうな幸せそうな顔をしてたんです。
その時になんかこんなに楽しそうにしてるのにあの靴濡れたら明日何履いていくんやとか濡れて風邪ひいたらどうするんやとか早く帰ってご飯食べて早く寝ないと明日遅れるのにとか
なんかそういうのって本当にめちゃくちゃ思いますよめちゃくちゃ大人だし親だから色々思うんですけど
でもなんか今は時と場合によると思うけれども今はその気持ちよりもその子供のねなんか楽しいこと見つけた楽しいは音が面白いみたいなその感覚を楽しむ時間をとってもいいんじゃないかなって思ったんですよ。
長い目で子供の人生を見た時にこうやって自分で本当に些細な楽しいことを見つける力っていうのが何か困難にぶち当たったりとか何かねこれから友達関係で悲しいことがあったりとか
なんか色んなことがあった時にもう1回自分を立て直す自分でこう自分をもう1回こう 起き上がらせるすごく大切なことになるんじゃないかな大切な力になるんじゃないかなっていうのを思ったんですよね
だからどうしてもなんていうのかのその時その瞬間っていうところにフォーカスしてしまって濡れたらどうするのとか普通にあの汚れたらどうするのとか色々ねもう早く帰ってご飯食べなあかんのにご飯の用意もせなあかんのにって思ってしまいがちなんですけど
でもふと思ったのはいやそんなに行き急いでどこ向かってるんやろ私って思ったんですよ誰にも急げって言われてないなんか確かにご飯が遅くなったり寝るのが遅くなったり靴が濡れて明日履いていく靴がなくなったら困るんですよめっちゃ困るんですけど
でもだからといってもうこの世が終わってしまうわけでもなければあの濡れたカバン濡れた体濡れた服あの靴っていうのは拭いたり乾かしたりすればいいわけですよねそれでも乾かなかったら別に靴は決まってるんだけれどもあの幼稚園のね制服で決まってるんだけど違う靴を履かせていっても別にいいと思うんですよ
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で濡れたら拭くのが面倒くさいんだったら子供に拭かせるっていうことをすればいいしこれもなかなかうまくいきませんけどね拭いてんのかもっと濡らせるのかわからんみたいな状況になったりしますけどでもなんかあの遅れたら遅刻したら謝ればいいなんか忘れ物をしたら借りればいいみたいなそこにずっと甘えて生きていくのも違うかもしれないけど
でもそれがやってはいけないやってはいけないみたいな靴は絶対この靴でいけないといけないとか早く寝かさないといけないみたいなそういう自分の中の何々しなければいけないルールに縛られてしまうと親であるこちらもしんどくなってくるし子供たちもそうやって自分で楽しみを見つける力だったりとか
なんか暮らしを楽しむっていうことをなかなかできなくなってしまうのかなっていうのを私のこれまでの言動を反省してそれも含めて思ったりしたんですよね
だからなんかこうやって子供のことをただただあの水たまりに入って 雨水をねポタポタしている姿なんですけどそこからなんか学ぶことってめちゃくちゃ多いなと思うし
だからそこから学ばせてもらえるのであればきっとなんか急いでご飯食べさせたり寝かせたり急いでもう何でしょうねいろんなことをさせたり汚れないようにしたり靴濡らさないようにしたりってすることよりもなんか大きなものをもらえるというか学べる気がしてね
そんなことを私はあの雨の中で一人で考えておりました
ちっちゃければちっちゃいほどすごく感覚とか感情に従って生きているなーっていうのを感じるしきっと私たちもそういうふうに自分の感情とか感覚っていうのに従うことができればできるほど楽になったりすごく心地よく過ごすことができるんだと思うんですよね
なのでそんな子供の気持ちを忘れずにいたいなと思っております
ということで今日のテーマはこんな世の中だからこそ小さな幸せを自分で見つけたいし見つけられる人に子供たちにもなってほしいというテーマでお話をしました
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