母の日に乾杯
ママが自分を取り戻すラジオ。このラジオでは、子育てます最中の私が、イライラが止まらないお母さんたちに向けて、自分を知り、自分を取り戻すことで、子育ても夫婦関係も楽になる考え方をシェアしていきます。
こんにちは、すぎべです。
今日のサムネイルというんでしょうか、カバーアートというんでしょうか、見てくださいましたでしょうか。
今日は私、王冠をかぶっております。皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
この画像はですね、前回のエピソードでもお話ししていたんですが、リスナーさんの方が送ってくださいました。ありがとうございます。
母の日に乾杯ということで、みんなお母さんお疲れ様頑張ってるよということでね、去年も送ってくださったんですが、今年も2023バージョンということで送ってくださいました。
メッセージも一緒にいただいているので、それもご紹介させていただこうと思います。
すぎべさん、こんにちは。久しぶりになりましたが、いつもポッドキャストを聞いています。隠れヘビーリスナーです。
すぎべさんが配信してくださっていることで、私も元気に過ごせています。声を聞くと元気をもらえます。本当にいつもありがとうございます。こちらこそでございます。
そして、ベストベルビーング賞受賞おめでとうございます。私も興奮さめずにその時のラジオを聞いておりました。
お洋服も可愛かったし、すぎべさんもめっちゃ可愛い。そして何よりかっこいいと思いました。ありがとうございます。
普段、子育てや夫婦関係のことをお話しされ、ママたちの悩みに寄り添ったり、考え方のヒントをくれたり、時にはイライラエピソードを披露してくれたりで、それが共感しかないのです。
なので、私の中ではかっこ勝手に身近な存在で、そんな産児の母でもあり絶対に忙しいはずのすぎべさんが賞を取って、こんなにかっこいいママいるのかと思いました。
母の日も近いので、またまた母の日に乾杯。2023年バージョンです。今回はすぎべさんが賞を受賞したので、王冠付きです。
かっこ勝手に画像を加工してごめんなさい。もういいんですよ。全然好きなように加工していただいて大丈夫です。
私はまだ母の日は2回目ですが、全ママたちに王冠をあげたい日ですね。私自身も子育てで悩むこと多々ありますが、ラジオを通して同じような悩みを抱えている人がいたり、一人じゃないんだと思えるようになったのはすぎべさんのおかげです。
顔は見えませんが、心の中で励まされているし、一緒に頑張ろうって励ましていることもあります。嬉しいね。
日々追われている中、そういう温かい気持ちにさせてくれて本当にありがとうございます。長くなりましたが、すぎべさんには感謝感謝です。
あっという間に過ぎていく毎日なので、母の日なんかも最速で過ぎていきそうですが、今年もお母の日に乾杯です。
忙しいと思うので、お返しは不要ですよ。お互いに体に気をつけてやっていきましょう。ではではというメッセージをいただきました。本当に嬉しい。
本当に嬉しいですよ。ありがとうございます。これ私読むの7回目ぐらいなんですよ。
温かいメッセージと感謝
だから何とか泣かずに読めましたけど、それでも途中やばかったですけど、本当にこれ最近、しんどいなぁちょっとこれもうほんまに、しんどいなぁっていう時に
メッセージをそのタイミングで読ませてもらったんですよね。だから本当にこの温かいメッセージが私の心と体に染み渡りまして
何度も読ませてもらいました。元気をもらいますって言ってくださってますけど、私の方が、私が一番もらってますっていう感じです。
もう感謝感謝です。こうやって聞いてくださっている方がいるからこその番組ですのでね。本当に嬉しい。
あともう一個もらってたものを紹介しようかな。
これはインスタにもらってたものですが、ハッピーマザーズで杉部さんのポッドキャストを聞いて、期待せず欲しいものは自らいい日々の自分を褒めまくりました。
これは母の日の心得の中のエピソードなんですけれども。現在3時の母、母の日の最後の最後に冷蔵庫の上に旦那が一時的に置いたソーダストリームのカエのボンベが顔を直撃し、本当に腹が立ったけど医者料として肩もみ100回で許した私が素晴らしいと称賛して寝ます。良い夢を。というメッセージをいただきまして。
大丈夫だったかな。結構痛いですよね。痛いって腹立ちますもんね。しかもそれが旦那さんが置いたボンベってなったらもう腹立つが倍増しますからね。
皆さんそれぞれいろいろな場所でそれぞれの場所でいろいろな母の日を過ごされたかなと思います。
本当にお疲れ様。もう母の日とか関係なく私たちは頑張ってますからね。頑張ってる頑張ってるってお互いに言いながら支え合いながら見てたらいいなと思います。
今日はそんな母の日が終わったということで、母の弱みについて、母の弱みを見せるか見せないか問題について話をしていきたいなと思います。
今日のテーマは母の弱みについてお話をしたいと思います。これも前回のエピソードで少しお話ししてたんですけれども、お便りをいただいたのでそれについてずっと結構長い時間考えてたんですよね。
実はエピソードも何回か収録してみたんですけど、なんかね、私の考えがまとまらなくて遅れ入りになってたんですよ。
なんですけど、まあまあいろいろ考えた中で、こういうことかな、私はこう思ってるのかなっていうのが言語化できそうになってきたので、今回やっとの思いでこのテーマで収録をしたいなと思っております。
まず、いただいたメッセージをご紹介したいと思います。
杉部さんは自分の体や心の不調をどの程度子供たちに見せていますか?それとも極力隠していますか?
自身の母親像について
私は私の母が昔から弱みや苦しさを子供には一切見せない人だったので、母親とはこうあるべきと思っていました。
ただその母が年を取るにつれて母親業をいい意味で放棄し始め、あっちが痛いこっちが痛い、あれが嫌だこれが嫌だとその自分を見せるようになってきました。
正直それにとても抵抗があるのです。
もう高齢の母に何を期待しているんだと自分を一括したくなりますが、完璧な母を見てきただけに自分がこんな年になっても気持ちがついていきません。
それを考えると私は娘に、ママだって人間、痛い時は痛い悲しい時は泣くことだってあるってことを少しは見せた方がいいのかな?
その方が私も楽になるのかな?とかいろいろと考えてしまいます。
娘にとっては見ないで住めばその方がいいのかな?でも大きくなってネガティブなことに免疫つかなくてもよくつかないのもよくないのかな?とか。
杉部さんはお子さんたちにお母さんの体調不良や何かネガティブなことなどどの程度見せていますか?
なんだかまとまらなくてすみません。お時間のある時にでも杉部さんの考え方を聞かせてもらえたら嬉しいです。
というメッセージをいただきました。
ありがとうございます。
これね、私がなぜこんなにも時間をかけて考えていたのかというと、
表面的に出てきているのは弱みを見せるかどうか。
心の面でも体の面でも弱っているところを子どもたちに見せるかどうかっていう話なんですけど、
でもその奥のすごく大切なところって弱みを見せるかどうかというよりも、
自分の無意識に持っている母親像、理想の母親像みたいなところが大きく関係しているのかなっていうふうに考えたからなんですよね。
きっと自分が子どもの立場で母親にこうであってほしいっていう母親像もあるし、
それと並行して自分はこういう母親でありたいっていう理想の母親像もあるしね。
そういうものが入り混じっていて、この弱みを見せるかどうかっていうことも気になるテーマなんだけど、
それ以上に理想の母親像っていうのが裏の裏ボスみたいな裏ボステーマみたいな感じなのかなと思ったんですよね。
なのでそれについて結構ずっとぐるぐると考えていたりもしました。
弱みを見せるか見せないかというお話と理想の母親像のお話が今回はできたらいいのかなと思ってます。
私自身のことなんですけど、弱みを見せるかどうかに関しての考え方は、
私自身は見せる時もあるし見せない時もあるっていう本当にどっちつかずな答え、回答になるんです。
弱みを見せるかどうかについて
これに関してだけじゃなくて他のことも全部そうなんですけど、私が言ってることが全部正しいとかそんなことは全く思っていなくて、
私がいろいろ経っていろいろな人の話を聞いて今着地してるのは着地してて私が心地いいなと思っているのはこの考え方なんですけど、
なぜ見せる時と見せない時があるかその違いは何なのかっていうと、
見せる時はその時はしんどいんだけど、いつか大丈夫になるだろうって思うときは大丈夫になるだろうってわかってるときは見せるんですよ。
例えばどういう時かっていうと、風邪をひいてしんどいですとか熱が出てしんどいですとか、
なんかホルモンのバランス崩れてて生理前ですごくなんか、体調しんどいです、メンタルも落ち込んでます、精神的にしんどいです、何かを言われて傷つきました、へこみました、悩んでいることがあります、だからちょっと精神的に参ってますみたいな時は、
どっちかっていうと見せるというか伝えるかなって思いますね。
振り返りますね。
たぶん見せただけでは子どもたちってしんどいのかなとかわかるかもしれないけど、そこの誤解みたいなのが生まれる気がするんですよね。
変に受け取ってもらいたくないなと思うんですよ。
だから結構私は子どもたちにも、今生理前やからめちゃくちゃイライラしてて、ちょっとしたことでも怒ってしまうんやけど、それは全部ママの問題やから、本当にこれママの問題やからみたいな風に言ったりしてますね。
あとは普通に風邪ひいてしんどい時とかは、風邪ひいちゃってしんどいから何ができないとか、何してほしいみたいなことを自分でやってほしいとか、自分で着替えてほしいみたいなことを言ってるかなと思いますね。
見せるか見せてないかで言うよりも言うか言わないかみたいなことかな、本当のことを言うか言わないかっていうことかなと思うんですけど、なのでそういう時は弱いところも見せたり言ったりしてます。
だけど逆に見せない時ってどういう時か、言わない時ってどういう時かっていうと、大丈夫かどうかわからない時かなと思ったんですよね。
見せない時の理由について
ここで私が思い出したのは、地震とかの時なんですよ。今もね、結構いろいろなところで地震が日本国内に起こっていて、すごく落ち着かない日々が続きますけど、
私は末っ子がお腹の中にいて、長男長女が幼稚園の年中年長さん幼児の時に大阪に住んでたんですけど、大阪で結構大きな地震があったんですよね。
住んでいたお家もかなり揺れて、朝方だったので幼稚園に行く前、お兄ちゃんお姉ちゃんたちが、当時幼稚園生のお兄ちゃんお姉ちゃんたちが朝ごはんを食べてるっていう状態だったんですよ。リビングでパンを食べてました。
私は子供たちから離れて洗面所で顔を洗ってたんですよね。その時にめちゃくちゃ大きな揺れが来たんです。音と共に。
すぐに走って、私はリビングに向かって、お腹とかもめっちゃ張ってるんですよ。食器棚は開いて、食器が落ちて割れてるし、洗濯機じゃなかったら冷蔵庫は開いて、冷蔵庫の中のものとかが落ちてきてるし、
机に置いてたジャムとかも転がって、お人形にジャムがついちゃったりしてるし、結構家の中カオス状態だったんですよね。子供たちは泣き叫んでるみたいな感じ。
お腹も私妊娠中で6ヶ月くらいだったのかな。めちゃくちゃ張ってて、ドキドキも止まらないし、お腹の張りも収まらないし、子供たちは泣きがめいてるし、お皿が割れまくってるし。
この状態でまたいつ余震が来るかわからないし、ここにいて安全なのかどうなのかもわからないし、どこかに逃げた方がいいのかどうかもその瞬時にはわからなかったんですよね。
だけど、その状態の時は、正直大丈夫かどうかなんてわからないんですけど、めちゃくちゃ演じました。
大丈夫って、もう大丈夫だからみたいな、大丈夫だからっていうのをすごい言ってたなと思ったんですよね。
だからその時は私が一番不安だし、なんなら妊娠もしてるしね。こんなに妊娠した状態でこの2人を抱っこして逃げるとか、考えただけでも恐ろしいし、できるかわからないし、守れるかわからない不安みたいなのがすごくあったんですけど。
でもここは大丈夫かどうかわからないからこそ、見せたらダメなのかなと瞬時に思ったんですよね、当時。
だから大丈夫かどうかわからない時は見せない。
大丈夫、これは時間が経てば大丈夫になるって思う時には見せる。これが見せる時と見せない時の違いかなと、これまでのことを振り返ってて思うんですよね。
私がじゃあなぜ見せる時があるのかっていうと、これは本当にね、みんな人間なんですよっていうことをわかってほしいからなんですよね。
みんな人間だし、ママもママとして一人の人間であって、その存在はあなたが私のことを尊重するべき一人の人間としてみたいなふうに思ってるところがあるんですよ。
私ロボット違いますよみたいな、あなたのご飯作りロボットじゃないですよみたいなところもあるし、
あとはもう一つ、子供たちがこれから結婚するのか子供を持つのかどうなるかわからないんです。
わからないけど、でもお母さんって自分のことを押し殺して人のためにずっと笑顔でいないといけない存在だっていうふうにインプットさせたくないんですよ。
もし娘たちがお母さんになった時に、そんなにも自分を押し殺してしんどいのにしんどいって言えなかったりとか、笑いたくないのに笑ってお母さんを演じたり、いいお母さんを演じたりする人になってほしくないなと思うし、
逆に息子がもし結婚するっていう、するかしないかわからないですし、そもそも女性が好きかどうかわからないですけど、結婚するってなって、奥さんがもし母親になるってなった時に、
いつもニコニコ弱いところを見せないっていうことを奥さんにね、母親として求めたりとかしたらほんまに嫌だと思うんですよ。
だから子供たちの価値観を形成する中でも、人って痛いことされたら痛いし、嫌なことされたら嫌な気持ちになるし、それは大人でも子供でも父親でも母親でも、どんな立場でも先生でも関係なく、
しんどい時はしんどい、痛い時は痛い、悲しい時は悲しい、傷つく時は傷つくっていうのを見せたいなっていうのがあるんですよね。
それが結果、子供たちのその人の感情を感じるとか思いやるっていうところにつながっていくと思うんですよ。
だから、全く見せないっていうのは私の中ではちょっと違うのかなと思ってるんですよね。
母親像の理想と現実
もう一つ、私の中にもね、すごい理想の母親像っていうのがすごくあったんですよね。
あったし、今もあるかもしれない。
それこそいいお母さんっていう、何でしょうね、理想のお母さん像があって、
いつも穏やかでニコニコしてて、優しくって、みたいな。
お家にただいまって帰ってきたら、おかえりみたいな感じでいて、みたいな。
そういうめちゃくちゃ完璧と思われるような母親像があったりしたんですよ。
クッキーとか焼いちゃったりなんかして、みたいな。
お友達が来たら、クッキーを出してあげて、みたいな。
なんじゃそりゃ、みたいな。
像があったんですよ。
だから、そのめちゃくちゃ高い理想像があるから、
それに達していない自分を原点方式で、できてない、できてない、できない。
いつまで経っても理想のお母さん像に到達しないっていう風に、
自分で自分を苦しめていたところもあるし、
自分の中で勝手に作った母親像みたいなものを、
子供の立場として、自分が子供の立場として、
母親に対して求めてる、みたいなところが結構あるようなと思うんですよね。
これは母親だけじゃなくて、父親とかもそうなんですけど、
こんなお父さんだったらいいな、みたいな。
私はトトロのね、さつきとめいちゃんのお父さんがすごい理想のお父さん像なんですよね。
寝てるところにバーンって乗ってケラケラ笑ったりとか、
一緒にお風呂に入ってすごい楽しそうにしてたりとか、
結構愉快なお父さんじゃないですか、優しくて。
でも、うちのお父さんは全然そういう感じではなくて、
背中にバーンとか乗ったら、うちのお父さん背中が弱いので、
手術とかもしてたぐらいだから、背中に乗ったらすっごい怒られたりとか。
なんか全然違うんですよ。私の求めている、さつきとめいちゃんのお父さんとうちのお父さん全然違ったんですよ。
真逆ぐらいの感じだったんですよね。
だから、勝手に理想を抱いて、それと照らし合わせて、
お父さん全然こんなんじゃない、みたいな風に嫌やなって思ったりとかね、
してきたなっていうことを思い返してたんです。
だから、みんなそれぞれ理想の母親像とか親像みたいなものがあるのかなと思うんですよ。
理想の母親像の形成
まず、その像があることが悪いわけじゃなくて、
その像って結局どこから来てるのかなっていうことだと思うんですよね。
いつ何時、どこからその理想の親像、理想の母親像とか父親像を引っ張り出してきたの?っていうことなんですよね。
それは私みたいにそういうアニメとかかもしれないし、
メディアとか、いろいろなドラマとかで描かれているような家庭とか、
お父さんとお母さんだったり、夫婦関係だったりかもしれないし、
何かしらからの影響を受けて、そういう像みたいなものが出来上がってると思うんですよね。
だけど、それって本当に必要なものなのか?
それって本当に現実的なものなのか?みたいなことを、
自分の理想と現実をすり合わせる必要があるなと思うし、
それをちゃんとアップデートしていく必要があるなと思うんですよね。
あと、自分のものの見方が回り回って自分に返ってくるなっていうのもすごく思っているんですよ。
例えば、理想の母親像があるとする、反している人を見るとする、
しつけをちゃんときちんとするのが素晴らしいお母さんだって、
理想の自分の母親像があるとするじゃないですか。
そしたら、周りを見渡した時に、
あの子すごいやんちゃやなとか、しつけなってないなみたいな、
見た時に、あれはお母さんがちゃんとしつけしてないからやっていう風に見てしまう節があったとする。
そしたら、そうやって周りの人、周りの他のお母さんのことを見てるから、
それが自分にも跳ね返ってくるんですよね。
誰もそんなこと言ってないし、誰もそんな風に見てますよなんて言ってないのに、
あ、私ちゃんとしつけできてないって思われてるのかも。
うちの子がこうやって騒いだら、私ちゃんとしつけできてないお母さんって周りから思われてるのかもしれないみたいな風に、
自分の世の中の見方がそっくりそのままこっちに跳ね返ってくるっていうことが、
いろんな場面で起きるんですよね。
母親像の現実的な考え方
子育てのことと違う話で言うと、
どこか無意識の中で、あの人ダッサって思ってる自分がいるとするじゃないですか。
そしたら、自分がちょっとイケてない服とか着た時に、
私絶対周りからダッサって思われてるわとか、
こんな場所でこんな服で来るとか、
絶対周りからあの人なんなんださい人やなって思われてるわ嫌やなみたいな風に、
誰からも言われてないのに言われているように思う。
でもそれ言ってるのって他の誰かじゃなくて、自分が一番言ってたりするんですよね。
だから、理想の母親像とか理想の家庭像とか理想の親像みたいなものが、
自分はどんなものを持ってるのかなっていうのを知ること、
あとはそれってどっから来たのかなみたいなものを知るっていうこと、
これは全部自分を知るっていうところにつながるんですけど、
理想の母親像がもたらす周囲の影響
っていうところを掘っていくと、
私、とんでもないエッフェル塔並みの高い理想を持ってたのかもしれないな、
これって現実的にありえないぐらいの高い理想を持ってたのかもしれないなってことに気づくかもしれないし、
それって現実的に考えて、できる?できない?無理じゃない?みたいなところにも気づいていけるかもしれないなと思うので、
なんかこのテーマは本当にね、いろいろ話していくとすごく深い話ができるテーマなんじゃないかなと考えておりました。
ということで今日はとても長くなりましたが、
今日はというか今日もですけれども、
テーマは母の弱みということについてお話をしました。
私は母の弱みを子供たちに、自分の弱みを子供たちに見せる時もあるし見せない時もある。
見せる時は時間が経てば大丈夫だろうという時は見せるし、それを伝える。
だけど見せない時は大丈夫かどうかわからない時、この先どうなっちゃうのかわからない時っていうのは、
なるべく見せないように、心配かけないように予想ってるかなというふうに自分の行動を振り返って思ってました。
あとはこの母親像の話ですよね。
理想の母親像っていうのが、自分はどんなものを持っているのか?
それはどこから来ているのか?
メディアから来ているのか?
昔読んだ漫画から来ているのか?
見たアニメから来ているのか?
っていうところを探っていくと、
現実的に考えるとそれって無理な話だよねってわかったりとか、
これは結局母が悪いわけでも父が悪いわけでも、
自分の理想の母親像が悪いわけでも親像が悪いわけでもなくって、
ただただその理想の象がものすごい高さだったから、
それだけなんだなってことに気づいたりするんじゃないかなという話をさせていただきました。
最後まで聞いていただきまして本当にありがとうございます。
ご意見ご感想あなたのエピソードなどがございましたら、
ぜひLINEの公式アカウントまたはツイッターのハッシュタグ
ママが自分を取り戻すラジオでつぶやいていただけたら嬉しいです。
URLは概要欄に貼ってあります。
そしてSpotifyのフォローや高評価などもよろしくお願いいたします。
YouTubeとかVoicyとかいろいろちょっと最近増えてきておりますので、
Instagramのフォローとかいろいろありますので、
概要欄のボタンをいろいろと押してみていただけたらとっても嬉しいです。
ということで今日も素敵な一日になることを願っております。