2025-10-21 50:04

#1605. まさにゃん&川上の素朴な疑問に答えよう --- 「英語史ライヴ2025」にて have to と must の違いを徹底討論

▼2025年10月15日に新刊書が出ました


📕井上 逸兵・堀田 隆一 『言語学でスッキリ解決!英語の「なぜ?」』 ナツメ社,2025年.


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▼helwa リスナー有志による月刊誌「Helvillian」の12号が公開されています


- 第12号(2025年9月28日):https://note.com/helwa/n/n7754627fffb2


▼2025年6月18日に新刊書が出ました


📙唐澤 一友・小塚 良孝・堀田 隆一(著),福田 一貴・小河 舜(校閲協力) 『英語語源ハンドブック』 研究社,2025年.


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▼パーソナリティ,堀田隆一(ほったりゅういち)の詳しいプロフィールはこちらの note 記事よりどうぞ.


- https://note.com/chariderryu/n/na772fcace491


▼heldio のビデオポッドキャスト版を Spotify で始めていますので,そちらのフォローもよろしくお願いします.


- https://open.spotify.com/show/0xOyOIXBUrIZbnwSLeJsSb?si=zH5V2CjkS0ekqNz5ro7caw


▼2025年7月7日に『英語史新聞』第12号がウェブ発行されています.


khelf(慶應英語史フォーラム)による『英語史新聞』第12号がウェブ公開されています.こちらよりアクセスしてください


- 第12号:https://drive.google.com/file/d/1eQawDu2njFNMMVKDUr4JRZdIWTNHDdha/view?usp=drivesdk


第12号公開については,khelf 公式ツイッターアカウント @khelf_keio (https://x.com/khelf_keio) を通じても案内しています.

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「英語史の輪」にこめる想い


1. レギュラー放送は,これまで通り,最大限に良質な内容を毎朝お届けしていきます.プレミアムリスナー限定配信チャンネル「英語史の輪」のための課金の余裕がない方々(例えば中高生や英語史を真剣に学びたい苦学生など)は,無料のレギュラー放送のみを聴き続けていただければと思います.レギュラー放送では,皆さんに最良の放送をお届けし続けます.


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3. また,収益の一部は,Voicy 以外でのhel活をさらに拡大・発展させるための原資とします.


4. ときに khelf(慶應英語史フォーラム)やプレミアムリスナーにも協力していただき,hel活の新機軸を打ち出していきたいと思っています.企画本部としての「英語史の輪」です.

5. ぜひとも「英語史の輪」のプレミアムリスナーになっていただきたい方


 ・ hel活を応援したい方(資金援助,広報支援,盛り上げ係りなど.研究者,学生,一般の社会人など職種や専門は問いません.)

 ・ 毎日もっともっと英語史に触れたい方,レギュラー放送では足りない方

 ・ 私(堀田隆一)の話をもっと聴いてみたい方

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 ・ レギュラー放送で言えない/配信できないような「低い」話題(対談のアフタートークや飲み会での雑談など)も聴きたいという方

 ・ パーソナリティおよびリスナーさんどうしで,もっと交流したい方


以上,よろしくお願いいたします.

サマリー

ポッドキャストでは、英語の「have to」と「must」の違いを詳しく探求し、特に否定形における意味の変化について議論しています。英語史ライブ2025での対話を通じて、言語学に関する基本的な疑問に触れつつ、参加者の理解を深めることを目指しています。このエピソードでは、英語の助動詞「have to」と「must」のニュアンスの違いを考察し、特に否定の意味について掘り下げています。また、ジーニアス第6版の内容に基づき、義務の表現や状況による使い分けも探求されています。川上らが「must」と「have to」について深く議論し、言語学的視点からこれらの助動詞の意味や歴史的な変化を考察し、文法教育における重要性についても触れています。このエピソードでは、「英語史ライヴ2025」での「have to」と「must」の使い方の違いについて徹底的に議論されており、特に学習者にとっての使い分けや言語変化における歴史的背景についても考察されています。助動詞の使い方とその違いについての議論が「英語史ライヴ2025」で展開され、このセッションはシリーズ化され、リスナーからの関心を集めています。

ポッドキャストの紹介
おはようございます。英語の歴史の研究者、ヘログ英語史ブログの管理者、 英語のなぜに答える初めての英語史の著者、そして6月18日に研究者から刊行された
英語語源ハンドブックの著者の穂田隆一です。 加えて10月15日に夏目社より新刊書が出ました。
同僚の井上一平さんとお届けしている youtube チャンネル 井上田言語学チャンネルから生まれた本です。
井上一平穂田隆一長 言語学ですっきり解決英語のなぜ
ハッシュタグひらがな6文字で井上田なぜとしてご意見やご感想をお寄せください。 特設ホームページも概要欄のリンクからどうぞ
英語の語源が身につくラジオヘルディオ 英語史をお茶の間におもとに英語の歴史の面白さを伝え
裾野を広げるべく毎朝6時に配信しています。 本日は10月21日
火曜日です。皆さんいかがお過ごしでしょうか。 井上田なぜが刊行されてから1週間近くが経とうとしているんですけれども少しずつ
反響、お声がですね届いてきております。 ただまあ本番はこれからだと思うんですよね。
アマゾンやリアル書店でもようやくですね 本が回るようになりまして手に取っていただいた方
増えてきているのではないかと思いますがまだまだですね これからです
ぜひ一人でも多くの皆さんにこの英語学英語史の面白さを知っていただくべくですね この本を出したということになります。
最初から出そうと思っていたわけではないんですがこの youtube チャンネルですね
井上田芸工学チャンネルこちらは広く英語学英語史の面白さを知っていただこうという 趣旨であってそして3年半経って結果としてですね
本の形になったという順番なわけなんですが本当に嬉しいですね これがどのように受け取られるかというところも非常に
私自身もですね井上さんも含めて我々2人 興味津々ですのでいろいろとご意見ご感想をお寄せいただければと思います
ショート動画も上がっておりますね あの私ですねあまりあのショート動画にはこれまでトライしたことがないですね
いろいろなメディアで英語史の発信しておりますけれども このヘルディオのショート動画も試してみたんですがこのあの1、2ヶ月ぐらい実は
あのずっとやってたんですよ いまいちでしたねちょっとやめちゃったんですけれども
ただですねこのショート動画で 届くそうと言いますかね初めてここにこの英語史に接するという方々もいらっしゃるかもしれませんので
いろいろな形でですねやはりお届けして 情報発信していきたいなぁと思っております
まあ本当に日々研究ですね 井上さんと私とでおとといですね
ショート動画を出したんですけれどもこちら見ていただけましたでしょうか それからですね出版社の夏目社さんからの公式の
ショート動画これもですね あの何回かですねこれから出ることになるかと思いますのでこちらもまたですねご紹介して
いきたいと思いますがお楽しみにしていただければと思います さあ
英語史ライブ2025の議論
今日の本編はですね井上なぜとはちょっと異なるわけなんですが ほぼ1ヶ月前に開催されました英語史ライブ2025
ここでですねとんでもない ある収録が行われたんですね
いやーこれはですねなかなか濃かったですね 濃いというかですね
これあの日中に収録したんですけれども今日これからお聞きいただくものですね これだけでも十分厚い議論が戦わされたんですがこの後ですね
英語史ライブ2025がお開きになりましてその夜懇親会がありました 1次会2次会と続いたんですが2次会でもまだこの話してたんですよ
そしてその後もですねある意味数週間余韻が続いたというとんでもない会談ですね ハフトゥーの否定形ドットハフトゥーとマストの否定形
マスンこれは意味が異なるわけですね 私自身も
これは中学生の時ですかね学んだと思うんですけれども 肯定の意味はどちらもしなければならない
なんですが否定になるとドットハフトゥーはしなくても良い する必要はないって意味になってマスンとはしてはいけないというふうにだいぶ意味が
開いちゃうんですよね これ何でかという素朴な疑問です
ヘルワのメンバーそしてケルフのメンバーが集まって熱い議論を戦わせております この後まだまだ議論が続きますので皆さんにおかれましてはですね
ぜひ これからお聞きいただく議論しっかりとですね
ご理解いただきたいと思うんですね ちょっと長めのセッションなんですが
じっくりとお聞きいただいて理解いただけますとこの後に続く 沖のヘルディオでですね
また続編をお届けしていく予定ですのでそのためにもですね じっくりお聞きいただければと思いますとにかく熱いんです
have toとmustの違い
タイトルはまさにゃん&河上の素朴な疑問に答えよう 英語しライブ2025にてハフトゥーとマスとの違いを徹底討論
ということです どうぞ楽しんでお聞きください
まさにゃん河上の素朴な疑問に答えよう
いやーまさにゃん半年ぶりですか 久しぶりですね
お元気でしたか? お元気です おかげさまで でも河上さんに聞くと忙しくてなんかもう倒れそう
いやいや 毎日楽しくてね イキイキして頑張ってますけど 何言ってるんですか
じゃあちょっと始めていいかな 二回目ってことね
だんだん二人のやりとりも滑らかになってきましたけれども
この素朴な疑問に答えるとこの企画の趣旨ですけども 元々は河上さんの普段教えておられるテーマといろんな質問がある
その中からそういった素朴な質問に高校生が理解できるようなアンサーを出せたら 最終的にはいいかなみたいな感じで議論していくみたいな
そういう趣旨で私も答えられない質問あるんでということで この間第1回やったわけです
第1回 質問覚えてます? 何か
全知詞はなぜに難しいのです
嬉しいですね でももらった答えは全知詞に感謝しろっていう
そう思っておりましたね
そうなんですね
やめようかなと思ったんですけど
解除しました
二回目ということなんで せっかくなんで何でも三回はやらないとね
一回で終わるのはもったいないなと思いまして 今日もやってきました
私も3回目指してやったノートのフリージャー語を読むっていうノートは3日坊さんにしてもらってます
2回3回4回5回と
ということでですね 前回の反省も生かしまして 今回は生徒の質問ではなくて
ヘルアの方から質問を募りまして これでいけるんじゃないかなっていうことで
川畑さんの質問をですね 今回取り上げたいな
趣旨なんですけど 私は答えられません
基本的にまさにあんま答えられないかもしれません
みんなで一緒に考えよう
このタイトル答えようは 答えますではありませんから
答えようということですか
本来は僕のタイトルで 初めに提案したんですよね
答えようでいきましょうってドキドキしたんですけど
考えようだと疑問を考えることになりますので 答えを考えるようになりませんので
私はそこは譲れません
そこは譲られなかった
そろそろ質問いったほうがいいですね
本当に入りましょう
はい 今回質問させていただきます 川畑です
素朴な疑問を持ってまいりました
一言で申し上げますと
なぜmustの音がしてはいけないの意味になって
don't have toがしなくて良いという意味になるのかっていう
そこを知りたいということで 今回まいりました よろしくお願いします
きました
分かりません
難しい
お馴染みだと思いますけれども
you must runだと
あなた走らなくてはいけませんと
you have to runもほとんど同じ意味で
あなた走らなくてはいけませんと
これが肯定文だと同じ意味にもかかわらず
否定文になると意味が違うよと
you must not runはあなた走ってはいけませんと
禁止の意味ですよと
you don't have to runは不必要なんて言いますけれども
あなた走る必要はありませんと
こういう意味の違いがありますけれども
【佐藤】ありがとうございます
ご質問でよろしいでしょうか
間違ってませんか
間違ってないらしいです 大変なことになりました
私もこれ 実は専門ノックではありませんので
そんな芸当は私できませんので
事前にいただいた質問で
ちょっと調べたり考えたりしてですね
昨晩
ちょっといけるんじゃないかなというような
なんとか整理できましたので
最初言ったみたいに答えは分かりませんよ
答えは分かりませんけど
なんでここが分からないのかなというところが
分かったというんでしょうか
そのあたりまで話しちゃっていいですか
このバストとハフトゥー
まず今回の質問は否定文ですけれども
そもそも通常の肯定文において
バストとハフトゥーはそもそもイコールと考えていいのか
ニュアンスが違うのか
そこも気になりますし
もしも肯定文で
大体この中高ではバストとハフトゥーって
あまりニュアンスの違いまで習わないですから
通常の肯定文だと同じ意味なのに
なのにも関わらず否定にすると意味が変わる
納得いかないわけです
同じだったら否定にしても同じじゃんっていう
そうすると肯定文の時もややニュアンスが違って
それが否定でも何らかの
肯定文でもニュアンスが違うから
故に否定した形でも
互いにちょっと違う意味になる
みたいなことなのかなとか
何なのかなとか
いろいろとややこしいなとかも
考えてしまいますね
松原さんこれ伏線ですか
あまり深い意図はないですけど
やっぱこの否定を考える前に
肯定文におけるバストとハフトゥーはどうなのか
って疑問が純粋にあって
中高だと
僕なんかイコールとも覚えちゃったんですけど
どうやら何か辞書とか引くと
そこはイコールではない
そこからじゃあ行きましょう
一緒に考えましょう
慌てることはないですね
私知ってる範囲で言いますと
マストとハフトゥー
もし肯定文に違いがあるとしたら
どこにあるとよく聞くのは
マストはどっちかというと
話者の主観性が強いとか
ハフトゥーはどっちかというと
客観性が強いとか
あるいは環境がそのように
必要にしている
みたいな違いがあるっていうことは
割と何回か目にしたことがあるなと
それぐらいなんですけど
関係ありますかね
私の感覚としては
肯定文で意味の違いがあるほうが嬉しいというか
まだ納得いくというか
冷静に整理すると
肯定文で全くイコールの意味なのに
そこにノットが加わったら意味が変わる
納得がいかないというか
せめて肯定文で違う意味であってくださいと
違う意味であるならば
英語の助動詞についての考察
違うんだからノットを加えた場合のニュアンスも
違ってくるだろうというのは
僕の中であったとしたら納得いくというか
だから中高の説明において
肯定文でイコールであると
もし言われたとすると
そこにノットを加えた時に
意味が変わるのは納得いかないです
だけども裏を返すと
逆に肯定文の時にも多少意味が違う
いわゆるノットを付けても意味が違う
であればまだ納得いかなと
だから
そこにもゆるくかかってくるのかもしれないですよね
肯定文での意味の違いが
なるほど
英語誌の話題にいくのに何分かかります?
本当に難しい
昨日の夜から寝ずにずっと考えてきて
難しいですよね
どっから攻めたらいいか
英語誌的にもややこしい
まさに今持ってるのがジーニアス第6版
ジーニアス第6版です
まさに川上先生が言ってくださったようなことが
ジーニアスにもまさにその記述ありますね
意味の違いで
マストは話し手によって課された義務を表す
ハフトゥーは外部の事情によって課された義務を表す
先ほどの川上さんの言い方だと
ジーニアス第6版からの引用
マストは主観的な感じ
ハフトゥーは環境がそのようにしている
まさに同じことですよね
まずこの段階で肯定文でも意味のニュアンスの違いがあるということは確認できました
なるほど
じゃあ私の元ネタが突き止められたみたいな
ちょっとそんな感じになってきましたけども
まさにそしたら
ジーニアスのマストの
四角二禁止っていうところあるんですけど
出してもらっていいですか
マストの二禁止あります
マストノットドゥしてはいけないってあるんですけど
カッコをその二ですけども
読んじゃいますよ
ノットは動詞にかかるので
しないことが義務である
が武藤の意味
書いてあります
書いてますね
そろそろこの辺りに入っていきましょう
マストノットのノットが動詞にかかるので
動詞というのは
マストノット動詞の原型のこの動詞
それが動詞にかかるのでほにゃららしないことが
マスト義務である
これちょっと私
今日時間取りたいなと思ったところなんで
しゃべっていいですか
ハーフトゥ後ろに動詞の原型
マスト後ろに動詞の原型
これ前と後ろでちょっと分けてみたいと思うんですけど
ノットがどっちを否定しているか
前の方の助動詞部分と言いましょう仮に
助動詞部分を否定しているか
後ろの不定詞動詞の原型部分を否定しているか
っていうことで考えると
don't have toの場合は
前の助動詞部分と言いましょうかね
have toもしくはhaveの部分を否定している
でもマストノットの場合は
前のマストを否定しているんじゃなくて
後ろの動詞の原型部分を否定しているんだと
これが意味の違いを生んでいるんだ
こういう説明なんですよこれ
これ私が知るわけじゃないですよ
素晴らしい説明ですけど
ジニアスが知ってる
これ日本語に当てはめて
こんな風に考えるといいんじゃないかなと思ったんですけど
仮にhave toとmustの意味
義務がある必要がある
まさに意味違うって言いましたけど
仮に同じということにしましょう
must notの場合は
しない必要義務があるっていうんですかね
don't have toの場合は
する義務必要がないですかね
ないがどっち否定してるのかっていうところに
意味の違いが生じてるというような
これ説明だと思うんですよ
一応これで理論的には
加賀田さんの質問に
だからよって答えたことになるんですけど
まずノットの否定場所が違うということですけど
それを判断するのはどうやって
確かに今否定の場所が違う
なんで違うのか
そうなんです
例えばmust notの場合は
mustの後ろにノットが置かれてますね
否定の位置による意味の違い
have toの場合は
今言ってくださったように
ノットの否定する位置が違うというのは
何にそれが起因するのかというと
ノットの置かれる
don'tもしくはノットの置かれる位置が
must have toの前なのか後ろなのか
それが関係しているって感じなんですかね
そこは書いてないです
なんでそうやって考えるのかっての
どこにも書いてないですけど
位置が
ちょっとここからしゃべり難しくなります
お願いします
いやもう
位置が関係しているという説明も
私見たことあるんです
そうなんですか
ノットは原則後ろの極を否定します
後ろの極を否定しているんで
don't have toは
have toの前にノットがあるんで
ちゃんとハーブの部分を否定している
must notは
mustの後ろにあるので
ノットはmustを否定しないという説明があるんですけど
これで手を打っている感じの本も見たことあるんですけど
見たことあるんですけど
それ簡単に反証が出せます
お願いします
お願いします
ありがたいですね
なんでもいいんですけど
例えば
he can't swimとか言うんですけど
彼は泳げませんの
ノットはこれ前のcanを否定してますよね
なんでノットの位置が
意味の違いを生じているとかいう説明は
ありがとうございます
僕そこは知らなくて
本によってはノットの位置がそうだから
否定する位置が違うのを説明しているのもある
なるほど
なんで質問させたかというと
僕も疑問に思って
ノットの否定する部分が違うのは
もし位置が関係しているんだったら
例えばdon't have toが前に置かれているんだけど
have toの後にもしノットが置かれるっていう要領もあれば
この話は成立しなくなるなと
don't have toと
本によっては
don't have toとmust notでノットの位置が前と後ろで違うから
それより否定のありが違うということ
だけども今これ整理すると
仮にmustの後ろにノットがある
have toの後ろにノットがある要領
have to ノットみたいな
ノットが後ろに置かれるのが見つかる
そういうのもあるならば
この議論で成立しないなと思っていて
ナイスなアシストです
調べたらあるみたいですね
そこ調べてたの?
僕も今パッと開けないですが
デジタルで見てきたら
have toの後ろにノット置くっていうのもあるって
じゃあこの置かれる位置による説明は
ちょっと脇道それるんですけど
ノットをhaveの後ろに置くと
have toっていう助動詞は
起源的には
have something to doから始まった
なんかありましたよね
去年ここで喋って
何ならまさに相手に
クイズ出した記憶があるんですよ
クイズ全部出しました
あの時まさにちょっと軽く
おちょくって感じになりましたけど
難しいっすよみたいな
あのhave toがまさか自分に回って
ブーメランで帰ってくると思って
今年帰ってきました
帰ってきました
大変です答えられません
そのhave something to doの起源を考えると
have something not to doは
全然あったってもおかしくないかなと
しなくていいものを持ってるみたいな
ことがあってもいいのかな
水曜連まで見ていませんよ
何が言いたいかというと
don't have toがする必要がないの意味は
理解できるってことですよ
その語源的にもというか
統合的にもというか
よくわかりませんけど
そちらが必要がない
you don't have to runが
あなた走る必要ありませんよとか
例えば
ちょっとさっき言った
have something to doで言うと
you don't have something to do
ごめんなさい
you have something not to do
とかいう言い方だったとしたら
仮にあなた思ってるのは
いやなくていいことですよ
でもいいじゃないですか
つまりどっちにしたって
have toの否定形が
する必要がないの意味には
なるんじゃないのかな
と思って
こっちは納得問題なし
だと私は思ってます
問題があるのは
must notです
なんでmust notは
不必要の意味にならないで
通称の意味だけになるんです
強いですね
ようやくたどり着きましたけど
私がわかんないって言ったのは
ここです
なるほどね
don't have toの理由は
理解はできるけど
must notが禁止になるのは
これがこの
わかんないポイントなんじゃないのかな
難しいですね
確かに
確かに
さっきの話ともまた関連
don't have toとmust not
川上さんがおっしゃってくれたように
notの否定するとこが違うんだ
っていう説明を
このジーニアスだけじゃなくて
一応確認したら
例えば江川大一郎さん
大一郎先生の英文法解説
改訂3版を見ました
同様の説明が書かれてましたし
高校生などが使っている
英語の文法がまとまっている
例えば手元にあった
コーパスクラウン総合英語
総合英語のテキストがありましたけど
ここにも同様の
高校の説明があったと思います
もちろん当然
ジーニアス総合英語にも書いてあった
ただ私は何か
否定の位置が違う
なんかしっくりこないというか
なんか踏み落ちないというか
なんかきれいに見せるための説明
になってないかなっていうか
なんか納得いないというか
でもその説明を
助動詞の定義と違い
伝統的な文法書家がやってるので
まさにここで騒いでも
伝統的な説明が
じゃあ納得いかんって言っても
しょうがないんだけど
なんかこのね
例えばジーニアスのね
もう一度読みますけども
このdon't have toとmust notに
比較と書いてあって
いやちょっと待ってください
ジーニアス大野だから
ちょっと怖くなってきた
怖くなってきた
今とんでもないことをやろうとしてる
やろうとされるかもしれない
特定の本がどうとかじゃなくて
伝統的な記述を見ました
でどうやら伝統的な文法書自称とも
川上先生が言ってくださった
方向性と一致してるようです
ただ私は
なんか
don't have toのときと
must notのときの
notの差を否定するとか
違うとなんかしくないというか
まあまあ
でもそう説明してるから
そうなんだけど
どうですか
共感してもらえませんか
あともう一つ
今日来る時の
山手線の東京駅から
田町でしたっけ
の乗り継ぎの山駅ぐらいでしたっけ
の間に私思いつきましたよ
mustを使って
必要がないの意味になる方法ないかなと
多分一個あります
これちょっと反則技ですけど
あります
not everyone must run
どうですかこれ
これだったら
全員が走る必要はないになりませんか
でもこれ全然問題の方針と
全く関係ないことですけど
あんまりmustも
部分否定が絡んでる
あんまりmustが否定できないから
もうこんなぐらいしか手はないのかな
歴史的観点からのアプローチ
ちょっとあんまり答えづらい質問かもしれないけど
ちょうどあの
ジーニアスの関わられた
小田先生もらえるんで
僕もね先生に関わられて
あれなんですけど
先生どう
難しいですね
確かに私もですね
ここに書いてあるんですけど
notの否定するとか違うから
意味が変わるんだって説明なんですけど
なんかこう説明の
何て言えばいいか分からないですけど
説明のための説明というかなんか
なんか
なんかウサンクサさみたいなことですよね
これは多分歴史やってると
ウサンクサさこれ感じますね
やっぱりそうですな
要するに説明の便のための説明というのは
あってもいいと思うので
ここはね
そこもまた掘り下げましょうっていう機会だと思うので
これ私も不思議だなと確かに
中学生高校生で学んだ時に
なんで違うんだろうみたいな思っていたんですが
ほっておいて
ちゃんと歴史的に見てないんですけど
今議論聞きながら
考えたっていうことと
可能性としてね
歴史的な方向からもアプローチすると
例えばこんな方向で調べてみると
結果がもしかしたら出るかもしれないし
出ないかもしれないっていうことは
今考えていたことがあってですね
マスとなりマハプとなり
本来的には義務ですよね
義務という
助動詞の本来の意味である義務を
論理的に否定するとどうなるかっていうと
不義務っていうことなんで
走らなければならないに対して
やっぱり走る必要はないになると思うんですよ
通常の論理的な反対
否定ですかね
禁止にはやっぱりならないんだろう
皆さんもおっしゃってるように
きつすぎると
逆に禁止っていうのからスタートと考えると
禁止は何の裏なんだろう
何の否定なんだろうっていうと
これは許されている
状態と許されてないっていうことですよね
許されている許可されているとか
しても良いっていうことなんで
むしろ命と
英語で言えば命と関わるっていうことになると思うんですよね
つまり命とノットっていうのは
かなり論理的な関係で
しても良いしちゃダメっていう
分かりやすいですよね
一つ接点は
これ深畑さんのドイツ語やられてるという
ところからの感もあるかもしれませんが
英語のmustは
本来的には命に近いんですよ
意味が
しなければならないんじゃなくて
しても良いっていう
つまり今の命に
むしろ近かったということを考えると
法廷ではそれが
法条同士ってやっぱり意味のグラデーションなので
法ってしても良いとかしなきゃいけない
グラデーションなので
法廷では本来しても良いだったのが
しなければならないになってしまったのに対して
否定バージョンは本来の命の意味を
裏返しちゃいけないで残ったとかね
例えば法廷と否定が別個の意味変化
意味変化を起こした法廷と
起こしてない否定みたいなポーズで捉えると
現代の論理関係だけ見ても
歴史の場合大体そういうことが多くて
現代の論理関係だけ見ても
説明できないことがあったら
歴史見てみるっていうのが一つ
方法だと思うんですよ
多分歴史上うまく説明できる
道筋があったらそんなことかなと
聞いて考えていたっていうところなんですけどね
それが当たってるかはわからないんですけど
なのでやっぱりグラデーションっていうのは
例えば教室で授業をしていて
You may go out here っていうと
お前出ていっていいよってことは
これ出てけですよね
喋ってる学生に対して
You may go out here と
これ事実上出ていけって
マストに近い意味になるわけですよね
マストよりもむしろドスが効いているというか
メリットマストの距離っていうのは
意外と近いところがあって
実際近いから変わってきたんですよね
してもよいの意味がしなければいけないと
肯定ではそっちの変化を経たんだけれども
否定では元の許可されていない
っていう原理が残るとすると
許可されていないっていうことは
不許可なんですけど
言ってしまえば論理的には禁止になりますよね
論理的にはイコールだと思うんですよ
不許可と禁止って
そこでくっつくのかなという風な
感覚を持ったんですよ
裏付けられるか分かんないですけど
道があるとしたら
っていうところかな
調べたことない
今聞きながら
論理論理っていうこと言ってるんで
禁止の裏返し否定ってなんだろうかって考えたら
メイだよなと
メイとマストってイコールだったよな
っていうところから
と考えてはみたんですけど
どうなんですかね
誰かこれ言ってる人調べられてるか
その説明のほうがしっくりきますね
やっぱり歴史的にあれを踏まえて
歴史的に
論理的に
法助動車は論理的にいかないんですよ
グラデーションが変わりやすすぎるんで
フランスのお立場から
亀井さん
おいでください
これこっち
まだまだまだ
フランス語の先生の立場からお願いします
今聞いてて思ったんですけど
例えばマストにあたるフランス語は
devoirとかparlevoirとかなんですけど
これもですね
否定文にすると何にしてはならないっていう意味で
何にする必要はないとか
何にしなくていいという意味にはならないですね
ne pas devoirとかne pas paroleは
マストとほぼ同じ
だから何にしなくてよいとか
必要ない場合は別の表現をつかなきゃいけない
というのもありまして
devoirとかマストっていうものにする
意味というか論理とか
それと関係がもしかしたらあるのかなと
フランス語でも同じような意味をつく
devoirとマストの否定が
教育と説明の難しさ
禁止の意味になってしまうと
これをパラレルで
もしかしたら通じるところが
あるのかなとちょっと思ったんですね
それをうまく説明できないんですけど
それだけです
話し手1として
意味の変化とか
助動詞化
文法化のプロセスは
割とよくいろんな言語に
通言語的に見られるということで
文法化っていう話が出たりするので
割と同じような状況にある言語って
あるのかもわからないんですよね
これは
否定と反対ってまた違う
というような
その論理的な否定だと
義務の反対は
やっぱり不義務でしかなくって
禁止にはやっぱりならないんですよ
禁止の反対は許可なんですよ
それがちょっとずれた感じに
なっているっていうことは
法度同士の意味のグラデーション
変わりやすさ
肯定と否定が同じ方向に
うまくパラレルに変わるとは限らないので
そこをセットに考えすぎちゃうと
もしかしたらわかりにくくなる問題なのかな
という
ねじれができちゃってる
ということなんですよね
そこをね
もしこれが本当だとしても
それをなかなか教えるわけに
いかないじゃないですか
否定はね
論理学の話になっちゃうんで
この素朴な疑問に答えようは
当時の企画の趣旨としては
方向性にでもわかるように最後はまとめあげる
どうまとめあげたらいいか
大変なことになりませんね
これねちょっとね
じゃあ1点ね
私も今ホットセンスの話聞いて
歴史を踏まえて説明が大好きで
これだと思ったんですけど
それ聞く前に一応ちょっと
案を持ってきたんですよ
一応案を持ってきた
一応案を持ってきた
ただこの案は全く学術的に正しいとかどうかは
ちょっと本当悲しいんですけど
さっきお聞き
中高生に納得してもらう
ただし私がさっき言った
ノットの否定の範囲ってのは
僕自身が納得できないから
その説明はしたくないと
じゃあ他のアプローチで行こうって言った時に
一応これは森田案ですね
聞かせてくださいよ
先ほど岡田さんの当初の
一番初めの話になったように
マストっていうのは
助動詞の使い分け
しなければならないっていう
この話者の意思というか
話者の気持ちが入ってると
一方でユーマストじゃなくて
ユーハフトだったらちょっと優しい
環境的に周りの要因で
他の要因で何とかしないといけない
そうすると
マストとハフトを見た時に
マストの方がやっぱり
肯定文においては
自分の気持ちがあるからちょっと強くなっちゃうし
ハフトの方が弱くなる
ハフトの方がまだ優しいと
それを否定した時に
つまり否定の時にいつも
学習者が恐らくこんがらがるのは
あれどっちが強い否定禁止で
どっちがしなくて弱い方だったかな
例えばこんがらがるかもしれない
そういった時に
そのこんがらがった時の助けとして
マストはなんかちょっと強かったな
じゃあマストノットの方が
禁止か
ドンタクトの方がちょっと優しい方か
みたいな
ちょっと記憶の取っ掛かり
肯定文におけるニュアンスの差というのを
きっかけとして
マストの方が強め
ハフトの方が優しめ
それを否定にも応用して
悩んだ時に
それを使ってもらえたらいいかな
くらいに僕の中では
全く学術的ではないかもしれないけど
そこにいろいろ言ってしまったという
言語変化の影響
特に僕の中高生に対する説明の仕方として
ただこれは話にならないといけないので
お願いします
なぜかって聞いてるんですよ
確かに僕が今の説明は
中高生に分かりやすく言うと
逃げてます私は
中高生に分かりやすく言うのに
逃げてしまった
歴史的なあれとか
原学のあれは
大体2人とも用意してきたことこんな感じで
と同時に
今あなたはですね
あなたはというのは
この質問を学生がしちゃってしましょう
あなたは確かに
悩んでらっしゃいますけども
今も言語変化の途中ってことを
常に忘れないでくださいと
それはさ
例えばですね
全部でそうじゃないですか
全部そうなんだけどね
マストとハフトゥって言ってますけど
マストそのものの使用頻度がそもそも
落ちてるわけで
マストが現代英語のコーパスとか検索すると
偉そうだからね
そうマストはまさにそういった偉そうだから
マストが使われなくて
その代わりの代表として
マストの代わりにハフトゥとかって言われてきてる
だからさらにここから時間が経てば
マストが駆逐されて
ハフトゥがそこになるかもしれないし
そういう言語変化の最中かもしれないとか
つまり助動詞でね
本当に歴史的に見ても
なんていうかね
自分の立ち位置を争いをどんどん変化して
その言語変化の途中
ちょっと氏名が危なくなってきたので
そういう言語変化っていう側面も頭に入れて
助動詞って言っても色々意味も変わってきたと
だから究極にはもう
色々意味が変わってきて
今の状態はそうなってる
まあ覚えてくれやと
色々これまでも変化してきて
まあ覚えてくれやと
というとこにね
最後にちょっとね
あがかしてもらうの
否定の範囲が何とかという説明は僕はやっぱ
嫌いじゃないや
しっくり
負に落ちなかった感じ
でも伝統的な説明だから
伝統的な説明ってどうやら色々な文法書
伝統的なものもそう書いてあるので
その説明もかなり受け入れられてもらうと思うので
私はその説明を受け入れます
ただ別の説明がないかなと思って
今回議論を考えてみたという立ち位置をね
避難してるわけではないんだけど
その立ち位置をね
明らかにして
それと同時にですね
私がなぜこのマストノートの場合は
このノートがどこどこ否定してるという説明に
何かしっくりこなかったかというと
やはりその英語で習った時に
ある種元々ゲルマンソーから派生したパラレルワールド
英語のパラレルワールド
ドイツ語を見ましょうと
もう一回先ほど一瞬話題あげましたよね
ドイツ語のマスであるミュース線は
ドイツ語のマスであるミュース線は
どういう風にやってるのか
そこを見ましょうと
ドイツ語と英語で同じような
あれならまだいいけど
ドイツ語で例えば違う振る舞いしてるんだったら
例えばさっきのマストノートは
あれだからこうだとか
ドイツ語を見ますと
ドイツ語のですね
例えば読話大辞典を見ますと
ミュース線をニフとノートで否定した場合の意味が
二つ載ってます
一つ目が何々する必要はない
二つ目がしてはならない
両方の意味があるんです
ドイツ語においては両方の意味がある
それらを踏まえてもですね
英語においてこのマストノートはこうだと
なんかノートの範囲がとかじゃなくて
歴史の流れで他の発風とか
他の助動書のこの隅分けの中で
その役割分担なってるだけであって
ドイツ語では両方あり得るわけだから
だからそれドイツ語のミュース線に
これが否定する必要はない
するのは両方あるわけだから
それらを踏まえてもこのマストノートのそれだけを見て
ノートの位置がってのはなっていかない
というのはある
ちなみにですね
ドイツ語のこのミュース線をニフと否定した場合
この二つの意味で曖昧性が生じるので
どうやらその曖昧性は
曖昧にならないようにするために
ほにゃららする必要はないというときには
ミュース線にニフとではなく
ブラウヘンという単語を使って
ブラウヘンをニフとできて否定する
そうするとほにゃららする必要はないという意味になる
そしてですね
してはならないという意味では
もちろんミュース線をニフと否定してもいいんですが
曖昧性が生じるので
デュルフェンという単語を否定して
ニフとで否定する
こうするとしてはならないという意味になると
曖昧性を回復するためにこういったのが ドイツ語ではなっているとですね
たとえにドイツ語の助動詞のね いろんな助動詞がたくさんあって
そこでいろんな住み分けが歴史の中で作られていく
そこにおいてはこのDürfenですね
Dürfenもそこでは関係してるし
Braunfennも関係してる
一方でちなみにこのDürfenっていうのは
小英語の時代はシルバン
小英語の時代はDürfenと同じ語でのシルバン
ソーン U R F A Nというシルバンという
小英語では助動詞ありましたけども
英語ではこれは失われました
ドイツ語ではDürfenで残ってます
Braunfennも言いましたけども
このBraunfennは小英語ではブルーカンという単語がありましたけども
現在では通常は使われていません
そういったことを踏まえてもあれど
ドイツ語と英語でパラレルワールドなんだけども
互いにいろいろと助動詞絡みのものが変化をしつつ
今の環境を作ってるなと
こんなことを考えられて
もう何点でしょうか
総括と感想
まとめると中高生に伝えるのであれば
まず仮の姿だと思って
今これを覚えなさいと
いくらでも変化はするので覚えなさいと
変化いろいろしそうだもん覚えなさい
本当に理解したかったら
ドイツ語も勉強しなさいと
そうするとまた新しい角度から考えられると
マストノートは否定しちゃ絶対だと思い込んでたら
その人がドイツ語も勉強しなさいと
シカフォンもどんな角度でもあるんだみたいな
じゃあどういうことどういうこと
覚えるしかないか
前回半年前も
まさにやんに聞いてよかったのかなっていう
感想を私思ったんですけど
今日はまた前回以上に
まさにやんに聞いてよかったから
途中までもうすごいよかったんですよ
今回のラリーは前半20分は
すごい打ち合わせほぼ無しで
全く違いますよね
でも途中からちょっと
着地を見失ったと思いますか
久しぶりに放送が出たと思うんですけど
上等子は難しい
最後の最後の結論で
復活したと思う
私も同じ考えなんですけど
復活した?
それは褒めてるんですかどういうことですか
褒めていただいてるんですか
どうしたなーと思って
これは危ないなーと思ってたんだけれども
最後の結論は
これ取る人の問題だとも
取る人がどう解釈するかなんだけれども
歴史を見たり横の言語を見たりっていうと
相対化されるでしょう
論理一変等で説明はできないっていうことは
伝わるのかなと
ただもちろんノットなんで
論理が関わらないわけはないんで
そこも併せて考える必要があるのかなと
いろんな視点は出たかなという点では
最後暴走を狙っていったと思うんだけれども
最後むしろ盛り返したかなと
僕は聞いてた
本当ですよそれは気づかずに
どこにいいとこを見つけようかなと
私のほうも迷いかけましたけど
そういうことであれば
今回も
意外と長く議論しましたけれども
基本的な疑問
本当にとぼくな疑問だと思うんですけど
皆さん基本的に全答受け入れてきたって感じですよね
その意味では一回
問うてみる必要はあったかなというので
最後あれじゃないですか
質問者の川端さん
この議論のまとめというか感想
川端 そうですね
なんというか
とぼくな疑問ということで持ってきたんだけれども
これほど手強いものとして
扱ってもらえるものとは思ってなかったので
なんというかネタとして
ちゃんと問い上げていただけて
非常によかったというのと
今まさにあさんがおっしゃってた
ドア第一点を目線の規定にしてはならないのに
意味があるっていう話はちょっと
あ、そんなんだ
ちょっと宿題としてそこを持ち帰りたいと思います
吉田 物議をかもしそうな終わり方でした
川端 入ってましたね
吉田 問題ない
川端 面白くなりますね
複雑化はしますけど
助動詞の違いについての議論
ちょっと考える素材が増えて
パズルが難しくなって面白くなります
吉田 読文法の書法では
しなくてよいだって教わるんですよね
川端 伝統的に
吉田 確かに辞書の順番としても
①の方がする必要はない
②の方がしてはならないと書いてあるので
もしかしたら頻度が反映されてるのかもしれないですね
辞書にあるというか要項もあるというか
吉田 じゃあそろそろでしょうか
川端 熱がっぷりと議論しました
2回目でしたが
それぞれ難しい大きい話題なんで
考えてみると
考えなくて大きい問題になるっていうところで
前回の全知事に続いて
今日は助動詞ということでやりましたが
吉田 もしこれ好評の反応が良ければ
また第3弾も
川端 ぜひまた川上さんと
川端 今日生配信ってことだったんで
アーカイブでも必ず流しますので
そのおりにいろいろコメントいただければ
さらに議論続けられるかなと思いますね
リスナーの参加促進
はいということで
今日はまさにゃん&川上の素朴な疑問に答えよう
第2弾でした
エンディングです
今日も最後まで放送を聞いていただきまして
ありがとうございました
いかがでしたでしょうか
まさにゃん&川上のコーナーなんですけれども
半年前に最初にですね
このセッションを撮りまして
結局シリーズ化してですね
今回第2回目となったんですが
いやディープですね
これ私もですね
事前にこのお題は聞いていたんですけれども
あまり話すことを用意していなくてですね
本当に急に振られて
コメントしたという感じなんですけれども
まあ議論そのものは面白かったですし
ここで当然終わりませんよね
これから続くということで
この後にですね
当日英語史ライブ2025の日だったんですが
当日の夜の懇親会2次会でも
この熱い議論が
みんなお酒飲んでるんですよ
飲んでるのにまだですね
これ議論しているっていう
ものすごい状況になったんですけれども
それほど熱い集団ということでですね
皆さんぜひヘルワの方にお入りください
このような熱い議論
一緒にですね
楽しむことができます
これ日々とは言いませんが
まあこのぐらい熱い
あるいは関係する話題はですね
実は日々ヘルワの方で展開しております
ヘルワの裏には
Discordによるコミュニティも開けておりまして
クローズドなんですけれども
だからこそ面白いおしだぎが
繰り広げられているというところでですね
これぜひですね
一人でも多くの方に
この英語誌の輪に入っていただければ
というふうに思います
さあ今日の議論はですね
まだまだ続くというところなんですけれども
冒頭の井の穂田なぜに戻ります
こちら特設ページの方にも
多くの皆さんにアクセスしていただいて
本当にありがとうございます
なかなか気合い入れて
私作ったんですね
夏目社の編集の方とですね
協力しながら本書の各章に対応する
井の穂田言語学チャンネルの
動画配信会があるわけですよね
それをリンクで紐づけました
全ての章とそれに関連づけられる動画ですね
これを結びつけました
このリストも特設ページに
ちゃんと載っておりますし
それ以外にもですね
最近寄せられたコメントなどを反映したりしてですね
充実の特設ページになっておりますので
このチャンネルにリンク貼っております
ぜひ訪れていただければと思います
そしてまだ入手していない方
これ時代流行に乗り遅れるといけませんので
ぜひ入手していただければと思います
なんだこの広告はという感じですけれどもね
ということで
今日の議論の続編また続きありますので
ご期待ください
皆さんじっくりとこの問題をお考えくださいね
このチャンネル
英語の語源が身につくラジオヘルディオでは
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それでは今日も皆さんにとって
良い1日になりますように
英語詞研究者のほったりうちがお届けしました
また明日
50:04

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