さて私ですね、在外研究ということで、ニュージーランドはクライストチャーチに来たのが10月2日。
到着が10月2日だったんですよね。 としますとほぼほぼですね、4週間ほど、1ヶ月弱がたとうとしていますが、
もうあっという間でした。 1年間の時間をいただいているんですが、この調子ですと×12ということなんですが、もうあっという間で何もしないまま終わってしまうんではないかという心配をですね、抱くくらいに早い1ヶ月でした。
この間にですね、まあいろいろな経験をしたということがありますが、今日はですね、ちょっと雑談めいた話、 英語史とは必ずしも直結しない雑談めいた話なんですけれども、
いろいろとこの1ヶ月で感じたことをお話ししたいと思っております。 この30年間で海外体験はこう変わったという、
極めて詩的な話かもしれませんが、 必ずしも私1人に当てはまる話でもないかもしれないということでお話しいたします。
どうぞよろしくお願いいたします。 1ヶ月ほど前の10月2日にニュージーランドはクライストチャーチに入りまして、
ほぼほぼ1ヶ月、4週間ほど経ちました。 着いた頃はですね、まだ冬の雰囲気が残って、
10度未満という気温でですね、まさか春なのにということで、あまり厚着と言いますか、長袖の類を持ってこなかったので、
ブルブル触れながらですね、クライストチャーチの空港に着いたというのが4週間前だったんですね。 それがですね、一気にこの数週間ではるめいてきておりまして、
まだ気温が高い低いというのは安定しないんですが、この滞在期間の中で一番気温が出た日は28度。
これは破格だったようですね。 そしてですね、低い日はですね、昨日あたりの最低気温が5度だったんですよ。
日中もさほど上がらずに10度未満だったので、というとにかく上下の触れ幅が大きいですね。
それでもですね、まあ全体としてはマイルドと言っていいのかなと思いますね。 十数度から20度ぐらいということで、夏はニュージーランド乾燥しているので、
晴れた日もですね、私毎日ジョギングなどをしているんですけれども、例のボタニックガーデンスですね。
しているんですけれども、大汗をかく日もたまにありますけれども、30分ほど走ってですね、
まあちょっと汗ばむぐらいということが多いかなと。まあそんな陽気だったりして、全体としては過ごしやすいです。
非常に。でですね、体も
暑い日本からやってきたということで、ちょっと肌寒くは最初感じたんですけれども、慣れてきたかなというところですね。
さあ、言語生活とか食生活についてはですね、いろいろお話しすべきことあるといえばあるんですけれども、
今回はですね、なんて言うんでしょう、コミュニケーション生活と言いますか、
海外在住体験の
30年の時差と言いますかね、何がこの1世代、30年と考えますと変わったかということでですね、極めて詩的な話になるかもしれないんですけれども、
私として非常に強く感じたことがありますので、お話ししたいと思います。
私の海外体験はですね、差ほど、どうですかね、
程度の問題なんですけれども、私の周りにはものすごく海外経験、体験の長い方、帰国主尊の方も含めてですね、
こういう外国のこと、外国語のことをやっていますので、大学の環境であるとか比較的多いんですね。
一方で私が生まれ育った家庭はですね、全くの完全なジャパニーズという感じで、海外経験もほとんどないというようなところからですね、
私も出発しているというところでは、いろいろな方と付き合いさせていただいているんですけれども、その中で言うとですね、私は確かにイギリスに留学3年しておりますし、その前もですね、海外旅行とかバックパッカーとかやっていました。
そしてまさにですね、学生時代の今から30年前ですね、実は最初に長期的に海外に出たのがこのニュージーランドだったということで、ある意味思い出の場所という意味合いもあってですね、今回この地をですね、数ヶ月滞在する場所として選んだという、そんな流れもあったりするんですよね。
それで言いますと、私自身もですね、当時は学生時代、そして今は全く異なる立場ということで、しかも世の中も30年変わりました。ということで簡単に比較できる話ではないんですけれども、やはり30年前のですね、ニュージーランド体験、フラッシュバックすることも今、ニュージーランドに過ごしていてですね、あるんですよね。
で、そのような定点観測ではないですけれども、ある程度比較可能性があるという、担保されているんじゃないかというところでお話しするんですけれども、また世界の別の場所に行ったりですね、するとまた異なるかもしれませんが、いろいろ思ったことがありましてね。
あの30年前は、そもそも海外に行った時にですね、例えば家族に連絡を取ろうにも、やはり基本的にはですね、手紙だったんですね。
で、電話ももちろんありました。ただ、これは30年前で私も学生だったということもありますが、なかなかこれ、お金がかかるんですね、電話は。
ということで、もちろん電話は通じた、通じ得る状況にあったわけなんですが、簡単にはできないししない、お金がかかるからということですね。
そうするとですね、連絡取ろうとすると、よっぽど急ぎじゃない限り手紙っていうことだったんですよね。そんな時代でした。
でですね、当時のニュージーランドも非常に快適な国でありまして、ただですね、私ワーキングホリデーでニュージーランドにいたもので、
地方のですね、畑でニンニク栽培みたいな、野菜栽培みたいなことをですね、お手伝いするみたいなことで過ごしてたんですよね。
そして、小屋にですね、住んでいて、そこは電気も通るか通らないかということで、節約しなければいけないということだったんですよね。
当時もパソコンもありましたし、ネット環境みたいなものも出来上がりつつあったんですが、電気も通っていない状態でしたから、その時私パソコンがあったとしてもですね、ほとんどネットには繋いでいないという感じなんですよね。
その後ですね、別のイギリス留学等の経験はしましたけれども、今30年ぶりにですね、ニュージーランドに戻ってまいりました。
もう覚醒の間がありますね。今ではスマートフォン一つでですね、完全に日本とも快適に繋がる、そして無料で繋がる、無料といってもeSIMというようなネット環境は買っているわけなんですが、
それもですね、この価値に比べれば二足三門というぐらいですよね。当たり前のように日本とコミュニケーション、コンタクトが取れるという、これはですね、30年前には信じられなかった話です。
昔はですね、留学なりあるいはそのワーキングオリジナルも含めて海外体験というと、今述べたようにですね、一回その日本の生活とかコミュニケーションからは確絶されるっていうのが前提だったと思うんですよ。
どうしてもっていう時にはお金をはたけばですね、電話もできる。すぐにお金があればすぐにチケットを買って、航空券チケットを買ってですね、すぐに日本に帰れるっていう点ではそうなんですが、お金がなかったということもありますね。それからコミュニケーションが容易でなかったという時代もあります。
ですが、今はですね、本当に海外体験というのが様変わりしたなということが強く感じられて、この1ヶ月過ごしたというところなんですよね。
もちろんですね、この30年間の1世代、浦島太郎みたいなところではなく、その間もですね、私イギリス留学もしておりますし、あるいはちょこちょことですね、いわゆる観光旅行もあったり、それから学会への参加ということで海外にはですね、行っていますが、あくまで短期ですよね、そのような場合には。
例えばその海外のまさに文化に接することこそが、現地で留学することの意義だというご意見はあると思うんですね。それはもう最もなことだと思うんですけれども、実態として現実としてはですね、私のおまわり、私みたいなおじさんではなくですね、非常に若い、それこそ大学で日本ではですね、教えているような、
若い学生さんであるとか方が日本からも来ているというのを近辺にも目にするんですよね。そしてその行動様式なんかをですね、この1ヶ月ぐらいのものですけれども、見ているとですね、もちろん現地に溶け込もうとして、こちらの生活にもなじもうとしているという雰囲気がある一方ですね、
やはり休憩時間には、LINEかな、なんかでですね、日本の友達、家族に連絡をしてというような姿がですね、極めて一般的ですし、日本人に限らずですね、世界中からやってきている、これはアジア人、中国人もいますね、インド系の方もいます。それからスペイン語圏の南米の方とかもですね、たくさんいますね。
そしてフランス語も聞こえますね。そして一緒に同じような空間にいるときにですね、聞こえてくる言葉は英語ではなく、みんなですね、スマホなどを通じてそれぞれの母語で、自国の家族なり友達と話しているという姿が一般的になってきました。
これはですね、考え方を変えれば、これをまさに望んでいたんではないかっていうことなんですね。国際コミュニケーションであるとか、海外にいたときでもですね、これ孤立感感じるものです。私も感じたものです。留学のとき、そんなときにですね、じゃあ簡単に電話できたかというと、なかなか学生の頃にはですね、お金が高くてできなかったみたいな、
一種の寂しさ、哀愁みたいなものを感じていたんですが、今はそれは皆無だと思うんですね。ただそれは望んでいたことではないかと思うと、留学経験って何なんだろう、海外経験って何なんだろうということを深く考えさせられるこの1ヶ月だったかなということですね。
やっぱり中長期的に来ると、その国土地にある程度染まると言いますかね、その土地に馴染んでいかなければという感じになるわけですよね。1、2週間の観光旅行とか仕事のによる滞在だったらですね、そうならないと思うんですけれども、やはり根付こうと思ったときに、いや意外とそう思ってもですね、
日本から離れない母国とこんなに緊密に通じてコミュニケーションもできるとなるとですね、ちょっと戸惑っているところがあるんですね。この留学の本質的な目標って何だっけっていうところと、いやそんなことを言ってもこんな便利な世の中になったことを喜ぶべきではないかというような、
その留学間の新旧対立みたいなものがですね、私の中で渦巻いているのかもしれません。いやーだけど本当にその異文化体験とか異国体験みたいなものの価値っていうのは何だっけということが一方にあり、
ただ、日本から1万キロ近く離れていても、こうしてコミュニケーションをとれることの幸せ、便利さということ、この2つを考え合わせてですね、海外に滞在すること、留学というのが典型だと思うんですが、
これの意義っていうのは何なんだっけなということをですね、改めて考えさせられているという、そんな1ヶ月だったということでですね、つらつらとお話ししてしまいました。皆さんのご意見等もお寄せいただければと思います。
エンディングです。今日も最後まで放送を聞いていただきましてありがとうございました。
この1ヶ月の海外体験、ニュージーランドクライストチャーチにおりますが、生活自体は非常にですね、春先、気温差はあるとしてもですね、快適です。
そして食生活もですね、私は日本食大好きということでですね、やっぱり日本食とは離れられないということで自炊したりですね、今はカレーのルーもSBからちゃんとですね、このニュージーランドでも手に入るというような状況もお伝えしましたけれども、ことコミュニケーション生活ということではですね、海外にいるという感覚が極めて希薄になっている。
これはですね、30年の間に全く状況が異なってきたことなんではないかなということでですね、お話しいたしました。
皆さんもこの点ですね、これあの良いことだと思うんですよね。失ったこともあるかもしれません。
海外経験多くいらっしゃるリスナーの方もですね、多いんではないかと思います。いろいろご意見お寄せいただければと思います。
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それでは今日も皆さんにとって良い1日になりますように、英語史研究者のほったるゆちがお届けしました。また明日!