1. あのさ、
  2. #33 わたしたちの憧れと現地点..
2025-05-25 50:31

#33 わたしたちの憧れと現地点、これからどこへ行こうか

index🐾

お互いの近況報告/ここじゃないどこかへの憧れ/zineに書いた相互インタビュー/対照的なわたしたち/移動三昧と固定化した地元/長い年数住んだからといって愛着があるわけではない/メルボルン移住の意義/場所そのものよりも「自分で選んだ」という感覚/日本に帰国するという選択肢はあった?/日本での生活経験の少なさ/「社会人像」に対するプレッシャー/見た目や国籍は「日本人」とみなされても生活実態は異なる/文化的制度的に日本になじめる自信がない/多様なキャリアパスの可能性/昔は尖っていたかも/すでに遅れているから今さらという感覚/「この先どうするか」問題/研究と就活/年齢の規範/常に「未熟」な存在としてみなされる/周囲と異なることによるプレッシャー/社会的な枠組みが思考に影響を与える/日本以外の社会のあり方、感覚を知らない/場所の変化と思考の変化/憧れへの希望と現実のギャップ/憧れを持つことの苦しさ/無意識のうちに享受できていること/わたしたち結構思ってたんと違う


SNS🗣️


感想や質問は⁠⁠こちら⁠⁠へ。ありがとう、大切に読みます。

[収録日:2025年4月21日]

サマリー

ポッドキャストでは、憧れの場所や空間について考察が行われています。また、それぞれの育った環境がどのように憧れに影響を与えているかについての対話が繰り広げられ、移動の選択肢や人生の生き方についても触れられています。このエピソードでは、海外での生活や働き方についての考え方が語られ、特にメルボルンやニュージーランドに住むことの選択に焦点が当てられています。また、社会における期待や自分の生き方の違いについて議論され、プレッシャーの感触にも触れられています。このエピソードでは、社会の規範や年齢に対する期待が自己認識に与える影響が語られています。また、憧れや未来の可能性に対する思考が、実際の生活の中でのギャップや焦りにつながることについても考察されています。このエピソードでは、二人のホストが自身の憧れや人生の目標について語り合い、異なる価値観が音声交流の中でどのように影響し合うのかを探ります。彼女たちは、他者との会話を通じて自分自身の考えや感情を認識し、新たな視点を得ることの意義について考えます。

日常の雑談からのスタート
ヨコです。
麦穂です。
ホットキャスト、あのさは、日常の些細なことから社会のこと、自分自身や人との関係性にまつわることなど、
結論も解決策もないけど、そんなグレーな話をそのままに語っていこう、という番組です。
はい。え、もういきなりテーマに入る?
うん。
どういう感じで。
雑談してもいいよ。
なんかね、いつもさ、最初にがたどたどしくなっちゃって。
そうそうそうそう。
あれ?みたいな、なんか、あのイントロ読んだ後に、なんか、うって止まって。
そうそうそうそう。
雑談するか、そのままテーマへ進むか、どっちみたいので、毎回戸惑うっていう感じなんだけど。
そうそうそう。
む、むーちゃんは最近どうしてた?元気?
うん、元気。
元気。あと、私は先週の金曜日からの4連休、こっち祝日で、
あの、なんだっけ、キリスト教の復活祭、イースターのが、えっと、ま、国の祝日なのね。
だから、金曜日と、あと、なんか月曜日が振替。
なんか、ほんとはイースターサンデー、だから、日曜日が、あの、その日なんだけど、
まあその、日曜日だから振替っていうので、月曜日休みになって、っていうので、金土日月っていう4連休で、
そう、だから、4連休最終日みたいな感じで、今日、あれなんだけど。
あ、そっかそっか。
そうそう。
なんかやったりした?
なんもん。
なんもん?
私はあの、金曜日は1日、あの、ポッドキャストの編集をしてて溜まってたから、
で、それで1日が終わり、しかも朝遅かったから、
で、土曜日、もう何したか覚えてなくて、
日曜日はちょっと家族と久しぶりに話して、妹と母と3人で、あの、ズームつないで話して、
まあそれも結構楽しかった。
いいね。
そうそう、緊急報告、なんか結構しばらく会ってないというか、そう、3人でこう集まって話すみたいなのなかったから、
そうそう、久しぶりに3人で話して、
うん。
なんか7月にメルボルンに遊びに来るらしい、2人とも。
あ、そうなんだ。
そうそう、7月末が妹の誕生日で、だからそれでニュージーランドからちょっとタズネに来るっていうのに合わせて母も一緒に来るみたいな感じで、
全員集合的な感じになりそうっていうの。
いいね。
打ち合わせというか、まあ時期を。
うんうん。
いつ来るの?みたいな話してて、そうそうそう。
で、そう、そんな感じかな、だからその間にまあ本読んだりとか、家掃除したりとか、
なんか特にこれみたいなことはやってないんだけど、そう、そんな感じで過ごしてたら4日間あっという間だった。
お休みあっという間だよね。
あっという間だよね、なんか一瞬で消えて、え、もう4日目みたいな、最終日みたいな。
うんうん。
仕事がある日の4日間と、休みの4日間って絶対時間の進み方違うだろうって思うよね。
そう、違うよね。
もっと休みいるみたいな。
うんうん。
そう、でもなんか今週3日働いて、また金曜日祝日なの、実質3日働いて、でまた今度3連休なの。
だから人によってはその間の3日に有休とって、先週の金曜日から、何、10連休なのかな、それ。
うんうん。
とかにしてる人とか結構いて。
あー、そうか、なんかあれだね、日本のゴールデンウィークみたいな感じで。
そうそうそうそう。
結構連休にできる感じなんだ。
そうそうそう、だからそれで割と休みとってる人多いんだけど、私はそんなに有休が残ってなかったので、ちょっと今回はっていうので。
まあでも3日働いてまた3連休だから、なんとか乗り切ろうみたいな感じなんだけど。
育った環境と憧れの考察
毎週それならいいのにね。
そう、毎週それで、ねえ、だったらいいんだけど、もうこの後たぶんしばらく祝日ないから。
あー、そうか。
ねえ、そんな感じ。え、りょうちゃんは元気?
まあ、そう、さっき収録を始める前に話したように、直近で出かけたりとか、ちょっとバタバタしてたのもあって、
この収録してる日の日中は割と死んでたけど、今夜になって、ちょっと回復してきたなっていう感じかな。
よかったよかった。
一日出ると疲れるよね。
なんかまる、一日。
そうそう。なんか、まあ移動って言っても、そんな乗り換えが多いとかじゃないから、
まあ楽っちゃ楽なんだけど、でもやっぱ外にいて長時間ずっと同じ場所に座ってるって結構やっぱ疲れるよね、と思って。
毎回どっか移動するたび思う。
ねえ、なんかその自分の普段の生活圏とかから出るのだけでも結構さ、まあ、なんか気づかないうちにストレス、体に効果がかかってるから、
まあメンタル的にも多分そうだろうし、いろいろなことに、いつもよりこうまあ、注意深くこうね、あれしてないといけないっていうのがあるから、
なんかそういうのが全体的に来るよ。
うー、みたいな感じで。
あれが。
じゃあ今日は日中休めた。
そんな感じ。
感じで。
うん、日中だらだらして、歯医者しか行ってない。
よかったよかった。
他何もやってないわと思って。
いや、いい感じ。
それぐらいやっぱりね、ちゃんと休まないと疲れた後は。
早速今日のテーマに入ります。
で、今日のテーマは、私が提案したものなんだけど、
ここじゃないどこかへの憧れっていうものについて、ちょっと話してみたいなっていうのがあって、
その憧れの対象を前もって打ち合わせした時に書いたんだけど、
その憧れの対象は別にリアルなものじゃなくても、
例えば物語の中の設定とか、未来とか世界とかでもいいし、
で、実際にリアルにある場所とか国とかでもいいし、
で、憧れの背景にある、何でその場所とか空間に憧れみたいな感情を抱くのか、
みたいなその理由についてちょっと話してみたりするの面白いかなと思ったのと、
逆にそういうのが全然ないっていう場合は、何でないのかなとか、
逆に自分の今の場所、いる場所で満足しているからなのかとか、
そういうのについて話してみたら面白いかなみたいので、
私が勝手に一方的に提案して、で、りょうちゃんがどういう感じで答えてくれるのか、
全然私は想像もつかないので、ちょっと話してみるの面白いかなと思って、
ちょっとテーマで挙げてみたんだけど、
まずはそういう場所あるっていうのを、りょうちゃんに。
でもなんかさ、この話を、
そうそう、このなんかテーマを提案された時に、
なんかうちらジンで、お互いに質問を何個か投げかけて、
インタビューみたいな、お互いのインタビューみたいな感じで、
それをジンに書いたんだけど、
なんかその時にも結構ファンタジーの話をしてた時の話と私通じるって思ったんだけど、
私の場合は、そのリアルな現実のどっか場所に行っているのもそうだし、
なんかこう空想上のとか、自分の完全にオリジナルな想像もあれば、
すでにある物語の世界に行きたいみたいな要求は、
わりと小さい頃からずっとあったなと思ってて、
でもなんかそれは結構、私とむーちゃんは全然こう育った環境とか、
何?経歴じゃないけど、
なんかこう今に至るまでの道のりとかが全然違うから、
なんかわりとむーちゃん、もうめちゃくちゃ移動、移動、移動みたいな感じだったじゃん。
だけどなんか私は、今でこそ、なんかいろいろね、
なんか自分のやってることに合わせて、住む場所を変えたりっていう風にはしてるんだけど、
未成年の時はさ、基本的に親が住んでるところにいるから、
私の場合は親が、どっか転勤とかも一切なく、
ほぼほぼ100%と言っていいぐらいに引っ越しの可能性がないっていう環境で育ってて、
かつ、育った場所とかも、ポッドキャストでも何回も話してるけど、
わりと田舎で交通の便も悪くて、
なんかこう、その場所で、しかも10代の頃って、もうこれも何度も話してるけど、
私はあんまりこう、いい10代だったとか、戻りたい10代の時期があるとかが全然ないタイプの人だから、
なんかその、常にここじゃないどこかに行きたいけど、
なんか行けないから、余計に行きたくなるみたいな感じ。
もう行く可能性がほぼほぼ、もう移動できる可能性がゼロ、
新しい環境になれる可能性もゼロみたいな感じだったから、
余計に、なんかここじゃない場所に行きたいとか、
今の自分のこういう生き方、この場所での生き方ではない生き方をしたいって思っても、
まあ、それが無理だってわかってるから、そうしたくなるみたいな感じ?
帰って、
そうそう、っていうのは、なんか割と10代の間、
ずっと親の元でこう育てられてた時期とかは、
もうずっとあったなと、今こう思い返すと、そう思うかな。
そうね、なんかそれは確かに覚えてるかも、
お互いの結構ね、育ってきた環境が割と真逆じゃないけど、
結構違うじゃん、
でも、やっぱり2人ともこのファンタジーとかの世界に、
割とね、幼少期の頃から浸ってきて育ってるから、
なんかその中での捉え方とかも結構違ったのが、
そのインタビューで話してて面白かったなっていう点で、
私がすごい興味あるのが、
今10代の時の話じゃん、
自分でその場所とかがコントロールできなくて、
店の中とか親の元で暮らすしかないっていう、
選択肢がないし、身動き取れないっていう世界から、
今は出られて、割と自分でこう選択ができるようになって、
で、なんかそれを経験して、
その自分にとってのその、なんていうのかな、
憧れとか行きたい場所、憧れの場所みたいなものに変化とかはあったりした?
まあなんかね、地元からは私はラッキーなことに出られたし、
なんか自分で今住みたい場所に住めてるし、
なんかその意味では昔ほどこう、なんていうか、
可能性がゼロじゃない分、いくらでも自分で変えようと思えばある程度変えられるっていう状態だからこそ、
なんかそういう別の場所への憧れっていうのは、まあ減ったかもしれない。
なんか場所っていうか、完全に今とは違う生き方とかしてみたかったとか、
なんかやっぱ最初から全部やり直したいみたいに思っちゃうことは結構あるかもしれない。
なんかそれは今がめちゃくちゃ辛くてとか、
もうあらゆることに不満があってとかじゃないけど、
なんかやっぱり別にかといって、今最高、私最高みたいにも全然思ってないから、
なんか今じゃないあり方があったなら、そうなってみたかったかもみたいなふうには思うし、
今もわりとSF、ファンタジーとか好きなジャンルなんだけど、ずっと。
だからやっぱりそういう物語で絶対現実には存在はしていないけど、
やっぱそういう場所に行きたいみたいな、そういう意味での憧れは残ってるかもしれない。
憧れの対象と自己の選択
むーちゃんは?
私もわりとそうだね、なんかやっぱりその育った環境から話すと、
まあやっぱりわりとその移動が多かったって何回か話してるけど、
なんかそれもあって、やっぱり自分でそれ、りょうちゃんと一緒で、状況は違うけど、
未成年で親の住む場所に行くしかないみたいなのがすごいあったから、
なんかそれによって常にその移動させられる、なんかしたくてしてるわけじゃなくて、
親の都合によって移動させられているみたいな思いをずっと抱いて育ってるから、
なんかその、やっぱりその、例えばファンタジーの本とか読んでたりしても、
なんか自分が、自分が行きたいと思う場所に行きたいっていう思いがやっぱりすごく強い。
まあそれはなんかその、想像上の場所でも、まあその、例えば国とか特定の場所だったとしても、
それを自分で選びたいみたいなところが、たぶんすごい一番強い。
だからなんかその対象は、まあどうでもいいってわけではないけど、
まあその自分が選択した場所だったら、まあどこでもいいみたいなところはわりとあって、
だからなんかそういう面から考えると、なんかその特に、なんかその、この場所でとかこの国でとか、
あの、なんかそういう強い憧れ、なんかその特定の場所への、場所とか空間とかへの憧れみたいのは特にないかな。
なんかそれよりもその選択を私がしたみたいなところに、わりと強い思いがあるというか、
メルボルンへの移住の意味
っていうので、そうだね。だから別に、今住んでるところもまあたまたまいろいろ縁があっているみたいなところも結構あるから、
なんかそのニュージーランドも8年ぐらい住んでたけど、なんかその本当にこの国が大好きで、みたいな感じのも全然なかったし、
ね、なんかそれ、なんかメルボルンに来たのもそのメルボルンがすごい憧れの地で、みたいな感じのも特になかったし、
だからなんかそれをただ私が、なんていうのかな、選択したみたいなところで、
あの今回メルボルンに来たのは結構自分の中では大きかったっていうか、まあ自分で選んできたみたいな、そうそう感じがある。
ニュージーランドはわりとなんていうのかな、昔妹がそっち生まれてるから、なんかこの縁があって、
でまあそのそういう家族関連の影響もあって、そこにたまたま引っ越したみたいなのがあるから、
なんかそれもあんまり私がこう選択したみたいな感じの場所ではなかったから、
そうね、だから今回そのメルボルンに引っ越したのも割と自分の中では、
あの別に憧れの地だったわけではないけど、私が選択したみたいな面では割とそう意味のある、
あの移動っていうか場所っていうかっていうのはあるかな。
そうか。
でもさ、なんかその、まあなんかニュージーランド行って、でもなんかもうむーちゃんも働くようになってとかで、
まあ自分でこうどこに行くかっていうのがある程度は決められるようになった頃とかに、
なんか日本に帰ってくるみたいな選択肢はなかったの?っていうのをなんか言ってみれば、
国籍とか、なんかその法的な立場的には、
あの多分一番、なんていうか、いろいろ気にせずにビザのこととか考えずにいられるっていうのは、
多分日本だと思うんだけど、
なんかそれでもあえて、なんかニュージーランドなりオーストラリアなりに住み続けるみたいな選択をした背景とかってあるの?
えーなんだろう、私でも割とこう家族、まあその親しい、自分に近い家族はやっぱり日本にはいなくて、
やっぱりその、そうだね、20代、ちょうど20歳か、20歳か19歳の時に、
まあその日本出てから、なんかやっぱりそのずっとまあ20代とかを、
その日本の外で過ごしてて、
その時ってちょうどさ、やっぱりその、何?一人暮らししたりとか、
なんか自分で仕事を見つけて働いて、お給料もらって、
でまあそれでこうね、生活していくみたいな時期じゃん。
でそれを、なんかその日本で一切やっていない、その時期がもうほんとぽっかり空いてるっていうか、
その日本で過ごしていないっていうので、
でなんか、なんかその面から、なんかその暮らしていける自信がなかったみたいのも一つあって、
なんかそれこそ大学も日本で行ってなかったりとか、
まあその日本の会社で働いたことがないとか、
なんかそういう、なんていうのかな、
割とこう、海外生活が長くなってしまったがゆえに、
なんかその今更、その一から日本社会の、
まあそれこそこの、社会人としての生活みたいのに、
あの一から入り直すみたいのが、
なんか自分的にはすごいハードルが高かったから、
なんか最初のうちは、多分向こうの暮らし、
あのこのニュージーランドの暮らしに慣れるのに必死で、
でなんかちょうど慣れてきた頃に、
多分そういう、なんていうのかな、
まあ日本で暮らしてもいいんじゃないだろうか、みたいなことを思った時期もあったんだけど、
でもやっぱり自分の中でのその、なんていうのかな、
いろいろな、あのハードルみたいのが高くて、
でそれをこう、毎年毎年思っているうちに、
どんどんどんどんその海外生活の方が長くなっていってしまって、
でなんかその、そうだね、
で、ああ今更戻っても、
ね、生きていける気がしない、みたいなのもすごいあったし、
なんかその、なんだかんだでその、
まあ見た目日本人だし、国籍日本人だし、
なんかその日本人としての、
なんていうの、社会人として振る舞いみたいのをこう期待されるじゃないけど、
実際私も半分以上を日本の外で過ごしているのに、
なんかそういうものを外から求められるっていうのも結構辛いだろうな、みたいなのを、
一時帰国の時とかにも結構思ったし、
なんかそういうのもあって、なかなかその、
そうだね、なんか戻ろうとかっていう風にはならなかったかなっていうのがある。
なんだろう、やっぱ社会のあり方とか、
生き方の多様性と社会的プレッシャー
社会人としてって言ったらやっぱ労働のいろんな環境とか、
そこで労働する人たち自身に求められてる、
なんか批判とか、態度みたいなものが、
なんかこうメインだったのかな。
結構私は、そうだね、なんかその、
割とこう昔から引っ越しとかも多かったから、
自分の中での性格的にやっぱりその馴染まなきゃ精神がやっぱりすごくまだ強くて、
だから多分例えば、なんか人によっては、
例えば海外生活とか長かったらね、
全然もうそういうの気にせずに、
もうその自分のままやってきる人も多分たくさんいるんだろうけど、
私の多分性格上それが難しいというか、
やっぱりその日本に戻ったら戻ったで、
社会人としての、それこそ職場の雰囲気とか、
そういうものに馴染まなきゃって、
絶対すごく強く思ってしまうのが目に見えてるというか、
だからなんかそれが多分結構大きかった。
多分人によっては全然そういうの気にしないで、
働ける人もたくさんいると思うし、
でも多分私はそれが割と難しいというか、
なんかやっぱりすごい馴染まなきゃっていうところに集中しちゃって、
辛い時間を過ごすことになるんだろうな、みたいなのが結構、
まあ、いろいろこう思うところがあって、っていうのがあったかな。
逆にりょうちゃんは?
なんか日本だと結構学生と、
学生じゃなくてもなんか社会人っていうふうに、
みなされた人たちに求められる、
いろいろまあその人たちにとっての常識みたいなものは、
結構あるんじゃないかと、
まあ私はなんかちょっとね、そっから外れてる人だからなんとも言えないんだけど、
でもなんか端から見ててもやっぱりそれはめちゃくちゃ思うし、
まあ実際日本でずっと暮らしてる人も多分そういうものにどうしても馴染めないとか、
それがしんどくて、こうまあちょっと病んじゃったりとか、
そうだね。
あるいはなんかそういうものに対して変えていこうっていうふうに動いてる人たちもいると思うんだけど、
なんかその点はなんかあれのニュージーランドにせよ、オーストラリアにせよ、
なんか学生から卒業して働くってなった時に、
なんかあんまりその働いている、
まあ社会人っていう概念があるのかっていう感はちょっとあるんだけど、
まあなんか働いてる人たちに対して、
まあなんかそうやって自分で働いて生活してる人たちに対して、
こう求められている考え方とか態度みたいなのは、
そういうふうなのは別に、日本だと多分感じると思うんだけど、
それは逆に特にないのかな。
ないね。
なんかまあ多分もしかしたら業界とか、働く業界とかにもよるのかもしれない、
例えば自分、なんか学生でもまあその学んだ分野とかにもよるかもしれないんだけど、
でも割となんかそういう文化的な、
例えば就活とかもないし、
まあそれぞれが個人でそのね、いろいろなところにこうアプライして仕事を探すみたいな、
まあそういうプロセスはあるけど、
なんかそのなんていうのかな、
こう社会としてのその社会人みたいなものはないから、
やっぱりその大人になって、大人になってというか、
まあその高校とかを卒業して、そのまま働いてしばらく、
働いてからお金貯めて大学行く人とかもたくさんいるし、
私も実際そのなんていうのかな、
高校卒業してお金がなくて、
やっぱりしばらく働いて、
日本で言ういわゆる社会人になってから大学に戻った人間だから、
いろいろなまあそういう道のりっていうか生き方みたいのが割と許容されてるし、
もちろん人によってはね、
順番に高校行って大学行って就活的なものをして、
いい企業に入ってみたいな流れを歩む人もたくさんいるんだろうけど、
なんかその社会全体としてのそういう強いプレッシャーとか、
社会人としての求められる何かみたいのはないから、
そういう面からしても、
例えば私が日本に行ってそこに馴染もうとした時に、
そういうものを今まで求められてこなかったがゆえに、
余計に辛く感じてしまうかな、みたいなのも思って、
そうじゃない世界をやっぱり知らなかったらさ、
そこがこんなにひどいっていうのを、
自分が辛いだけって思ってるかもしれないし、
社会がそうだから仕方ないって諦めてるかもしれないし、
でもそうじゃない世界を知ってると、
常に比べてしまいそうで、
自分の中でもそれも結構日本でやってきる自信がないというか、
っていう要素の一つだったのもあるかな、
やっぱり求められるものが全然割と違うっていうのもあるから、
ずっと研究して学生の人もたくさんいる私はあったし、
大人になってから大学戻って、
そこから研究を始めた人とかも結構いたし、
いろいろなそういう生き方みたいのが、
割とその辺にたくさんあって、
そういうものを目の当たりにすることができるから、
自分自身に対してもこういう生き方をしなきゃ、
みたいなプレッシャーをあんまりかける必要がないっていうのがあるかな。
りょうちゃんはどう?
なんかそういうの感じる?
特にこういう道に沿ったそういう収穫して、
社会人として生きて、
コースがあるじゃない?
みんなが普通っていうような、
さっきそういうのとはまたちょっと違った道を歩んでるって言ってたけど、
そういうものに対してのプレッシャーみたいなものって感じる?
あるね。
あるある。
昔はさ、
もっと精神的にもというか、
尖っている部分があったから、
いわゆるこう、
もちろんみんながみんなそうじゃないっていうのは前提とした上でも、
高校卒業して、4年生の大学なり、大学行って、
新卒一活作業で就活して、
企業に入って、
で働くみたいな、
そういうやっぱレールみたいなのはあるし、
特にやっぱ大学生の時にさ、
まあ当たり前だけど、大学出て、
その後大学院まで残る人の方が少ないわけ。
で、みんな普通に就活して、
泣いてもらって、
で卒業したらそこで働いて、
っていうのが、
まあ多かった、みんなそういう感じで、
でもなんか私は研究がしたかったから、
なんかもう割と就活はもう最初からしないっていう風に決めてたし、
もう全然就活の入り口だけでも触れば、
触っといた方がいいんじゃないかみたいな声とか、
実際あったけど、
なんかそれも尖ってたから、
そんなの知らんって言って、
私はやらないんだって言って、
もう全然なんか、
そうだからやっぱ大学3年生の時とか、
まあ大体みんなが就活しだすような時期に、
周りが自分とは違う、
こういろんな取り組みをしたり、
まあ嫌々、
大抵みんな嫌々だけど、
まあそういう風に就職しなきゃだからって言って、
頑張る姿を見て、
でもなんかそこに対しては焦りが全然なかったの。
なんかそもそも、
私もまあなんか高校出て、
まあなんかストレートに大学に入ったわけでもなかったから、
数年のギャップがあったりっていうのもあって、
もうすでにそのレールから見たら遅れてるって思ってたから、
だからなんか今更さらに別の遅れがあっても、
もうすでにあるんだから変わりはないって思ってて、
そうだから全然気にしてなかったんだけど、
なんかそれが大学院入って、
社会の規範と自己認識
まあ最初は良かったけど、
やっぱりなんか常にやっぱこの先どうするかっていう問題は、
まあずっとあって、
まあ今もあるんだけど、
で、プラスなんだろう、
こう社会人として求められるものっていうのもそうだし、
なんか年齢の規範みたいなもの、
このぐらいの年齢には大体こういうことしてて当たり前だよねとか、
まあ言ったら私と同級生の人なんかは、
もうねストレートに就活して仕事をしてたら、
もう多分割とこうなんていうか中堅じゃないけど、
なんかまあある程度いい感じでキャリアアップしてる人とかもいるだろうし、
まあそうなるとやっぱりいろいろこうなんていうか、
まあ自分が見ているものと、
その当時の同級生とかが見ているものとかも違ったり、
まあ友達でも全然働いてる人たちいるけど、
なんだろう、やっぱ生活とかも変わるし、
日常で話すこととかも変わるし、
いろんなこうなんていうか、実際の変化を感じられるようになったっていうのもあるし、
まあ実際にこう社会から、社会からというか、
まあこの一般的にはこうだよね、この年齢にはみたいなものを、
まあそんなに親しくないけど時々会うみたいな、
それこそ親戚のおじさんとか、そういうポジションの人からちょくちょく言われるとか、
なんかこの年齢になってて、学生してるのってえ?みたいな感じで見られたり、
なんかやっぱりそこでも常にこう未熟な存在として見られるっていう経験をこう繰り返してるから、
いくらこう自分の中で最初はそういう社会のレールとか気にしないとか思ってても、
少なくとも私の場合はやっぱり実際の周りの変化プラス、
そういう言われてきたことの蓄積とか、実際にこう見なされ方みたいな、
相手の態度の変化とか、なんかそういうものの積み重ねで、
なんか焦りとか、なんかやっぱ自分はこれじゃダメなんだって思うようになるとか、
なんか常にこうなんかひけ目を感じてしまうみたいな、
なんかそれはこう誰かに言われてそれを直接そう思ってるっていうよりかは、
なんかもう自分の中で、なんか自分はこうこうこうだから、
あーダメなんだなって思うようなこう思考回路ができてきてしまって、
なんかそういう意味で焦りとかっていうのはあるから、
なんかあんまりこうやっぱり、私はなんか日本以外でちゃんと暮らしたことないからさ、
なんかそれ以外のこう社会のあり方みたいなのを知識として知ってるっていうだけで、
体験とか自分の感覚として知ってるわけじゃないから、
だからなんかそういうところに行ったらどうなんだろうとか、
多分まあいろんなハードル、もちろんその自分の法的な立場とか、
なんかそういうリスクなり、いろんなこう難しさ、言語とか生活習慣とか、
そういう難しさはあるんだろうけど、
なんかまあ別の場所に行ったらこういう自分の思考のあり方も変わったりするんだろうかって思ったりもする。
そうね、特にそういうものがその外からの、なんていうのかな、
言葉だったりとか、まあその社会的な変化、周りの人たちのそういう変化だったりとかすると余計に、
そうだよね、例えばその環境が思いっきり変わって全然みんなそういうの気にしないって場所だったら、
そういうこと言われることもないわけだし、
そうしたらやっぱりそのりょうちゃんの中でのその思考回路的にもさ、
そういうものを言う人がいない、イコールやっぱりそういうものとか、
まあそういう言葉が自分の中にたまらない、蓄積しないっていうので、
またそういう思考回路がリセットされるとかもあるから、
なんかそういう、そうだね、そういう意味でのやっぱりそれもなんか一種の憧れというか、
なんかそのこう違うシナリオを自分の人生描くみたいな、
なんかその言ってみて、そういうの言われなかったら、
自分の中、それこそ自分の頭の中はどうなるだろうみたいな、
それこそりょうちゃんの考え方がそのまんまガラッと変わる可能性もあるわけだし、
そうね、だからまあそれを憧れと言ってしまえば、憧れはやっぱりあるのかもしれないし、
なんかやっぱり自分の昔のそういう尖り方というか、
尖ってたっていう言葉が適切かわからないけど、
あんまりいろいろ気にしてなかったみたいな側面は多分あったはず、
だけどなんかやっぱりそれ、そういうガードがなんか脆くなったなっていう感触は自分の中にあって、
だからそう考えると、この10年くらいで自分自身の、
もちろん多分自分ではわからないけど、
いい変化とか、いい変わり方をした部分もあるかもしれないけど、
なんかそういう悪い変化というか、
あんまりこう自分にとって健全ではないような変化っていうのもあったなと思って、
だからなんかそれがまあ全部場所とか環境によるとまでは言わないけど、
でもやっぱりその自分が生きてる場所とか、その場所でどういう人と付き合っていくかとか、
どういうこう社会の規範があって、
その社会の中で自分も生きる以上、ある程度そういう価値観を自分の中にもこう取り込んで、
それをなんか私みたいに受け入れられないって思いつつも、
やっぱりこう取り込んでしまってるみたいな部分はあるわけで、
だからそう考えると、まあ今ここじゃない別の場所に行ったら、
憧れの影響
また違う自分になれるのかもしれないっていう感じもするよね。
そうだね。やっぱりその、なんか違う未来を想像できるみたいなのはすごい両方あって、
なんかポジティブな面ではなんかやっぱりその、なんか自分の今より良い未来っていうか、
まあいいっていうよりはなんかもうちょっとこう前向きな未来を想像することができるみたいな面もあるかもしれないけど、
なんか同時にそれを想像することによって、
まあそういう憧れとかまあそういう未来を想像することによって、
なんかその今とのギャップに苦しむみたいなのも多分ネガティブの面としてあると思うのね。
でなんかやっぱそれを、なんていうのかな、埋めるじゃないけど、
なんかそれとどう向き合うかみたいのが多分一番難しいというか、
やっぱりそういうギャップを目の当たりにしてしまうと、
ああなんか自分はここで何してるんだろうとか、
なんかもうちょっと例えば思い切り環境を変えたらこんな未来が待ってるはずなのにとか、
っていう方向に行っちゃうこともあると思うのね。
だからなんかその憧れって言葉ではなんかいい感じ、いいイメージだけど、
なんか実際なんかその憧れを持つことによって苦しむことになることもあるんじゃないかなって思ってて、
なんかそこがやっぱり難しいというか、
なんかまあそれが憧れとかまあそういうのを想像することによってそれが原動力になって、
例えばそういうね、未来にそういう変化をもたらす行動につながるみたいなこともあるかもしれないんだけど、
なんかなかなかそれのバランス取るの難しくない?みたいなのはある。
なんかまあ憧れというか、変に期待しすぎると多分ギャップはあるし、
実際例えば今自分がまあなんだろう、暮らしてて、
まあさっき言ったみたいにいろいろ不安なりなんなりいろいろあるけど、
でも多分これ私たちだけじゃなくて、多分大抵多方の人は、
なんかやっぱり今いる環境でさ、不足とかうまくいってない部分でめちゃくちゃ手に取るようにわかるけど、
でも逆にこうなんというかもう無意識のうちに享受しているものはたくさんあるわけじゃん。
そうだね。
ギャップとその向き合い方
だけど多分それを場所を変えることによって、いい面だけじゃなくて、
そういうすでに自分が元の場所では思っていたはずのものとか、
考えなくてよかったはずのことを考えなくちゃいけなくなったりとか、
なんか逆に悩みが増えちゃうみたいなものっていうのはあると思うし、
憧れといえば憧れは多分あるんだろうけど、
そこまでこう理想化しすぎると、それこそムーちゃんが言ってたみたいにギャップに苦しむみたいな、
こんなはずじゃなかったのにっていう風になっちゃうのかもしれないよね。
なんかバランス取るのむずいよね。
それか例えば、今の現実、今の自分の生活をちょっと延長したぐらいのレベルにある場所とか未来みたいなものだと、
なんかそのギャップがあんまりないから、そこにあんまり苦しまなくて済んだりするのかなとかも思ったり、
そういう面では、なんかそのSFとかって、なんか割と現代社会をちょっと延長したみたいなところにあるものも結構、
だからその技術的な面で、割と自分の今の身近にあるものが、なんかそのままちょっと進化してあるとかも、
そういう形で描かれるものとかもあったりして、
なんか逆にそういうもので想像できたりする世界があると、
なんかそのギャップに苦しむよりも、なんかそこにたどり着くためにどう動くかみたいな方に思考が動きそうかなみたいに思った。
その先があんまり先すぎないことが結構ポイントっていうか、
あんまりこう全然違いすぎる世界とかに行くと、なんか自分がそこにいるのもあんまり想像できなかったりとか、
なんかちょっとあまりにも飛びすぎてるみたいなのがあったりして、
なんかなんていうのかな、理想とか憧れではあるけど、なんかあんまりリアリティがない。
けど、例えばちょっと今のほぼ世界と同じだけどちょっと先とか、ちょっと違う場所とか、
ちょっとなんていうのかな、環境とかを想像することは可能なんじゃないかなと思ったりもして、
なんかそういう意味での憧れのあり方とか、まあその未来の想像のあり方みたいのはあってもいいんじゃないかなって思う。
けど、さっき言ったみたいにバランスはなかなか難しい。
特にその今が苦しかったりとか今がすごい辛いとかだと、そういうのをやっぱり想像する、なんていうのかな、
キャパシティとかも多分ね、今の生活に必死とかだとさ、ないじゃん。
だからそういうのもやっぱりなかなか難しいと思うんだけど、
なんかちょっと先にあるみたいなポイントだったりもするのかなって思ったりして、話してて今わかんないけど。
そうか、なんか私は結構ムーちゃんと逆で、別にSFじゃなくてもいいんだけど、
物語とかでめっちゃリアリティがあって、でも今とはちょっと違うみたいな、
それをちょっと違うが、ポジティブな意味でちょっと違うとかだと、
私はなんか逆に、さっき言ってたみたいにギャップに苦しむみたいなのがあるかもしれないと。
自分が割と親しみを持って接することのできる世界観なのに、
自分の生きているこことは違うんだっていう感じ。
でも現実世界でほんのちょっと社会を良くするとか、ほんのちょっと制度を良くするってめちゃくちゃ大変なことで、
どんなになんかあとちょっと違ければ、もっと違う現在があるはずって思っても、
実際そのちょっとの変化を本当にこう変わったと思えるような形で実現するってめちゃくちゃ大変で、
だからこそやっぱそのギャップ、ほんのちょっとのギャップだからこそ逆に苦しいみたいなものがあると思ってて、
だからなんか多分お互いのそういう物語の好み的に、
私はなんかそんな現実に近い方が、逆に自分の今と比較しちゃうから、なんか苦しいかもと思って、
だからもう全然とっぴもない感じ。
もうこんな無理でしょってちょっと笑っちゃうぐらいの世界観の方が、
私はこう物語として楽しむ分には、なんかすごいそっちの方が好みだし、
変に自分の現在と比べなくていいっていうのがある。
なんかさっきの憧れを持つ場所とかに実際に行くなりして、
そこで多分あ、こんなんじゃなかったみたいなギャップをどう埋められるかみたいなのも、
私の場合はそもそもそれを実現したことがないから、
なんか憧れは憧れのままでギャップを感じるまでも行ってないみたいな。
だからこうだったらこうなのかなっていう風に想像はするけど、
それを実際に多分やらないとギャップを感じるこんなはずじゃなかったって思うこともできないから、
だからなんかやっぱりそれは多分ね、お互いのこう今までの生き方に影響されてる考え方の違いなのかなって思った。
憧れと目標の探求
確かに。なんかこれそのインタビューの話した時もなんかそのファンタジーの好みの違いみたいなの結構話したよね。
なんかその私はすごいリアリティの延長線上にある物語とかファンタジーがすごい好きでっていう話をしてて。
そうそうそう。
えー面白い。
別になんか答えがあるわけでもないし、
お互いそれこそほぼ真逆というか感覚というか、
なんかでもそういう憧れじゃなくてもまあその、
生きたいとか経験してみたいとかっていうところから、
なんかそこの根本にあるのってやっぱり自分の中で多分、
自分の中で多分何かがあってそこに惹かれるみたいのは多分あると思う。
理由っていうか。
だからそういうのを探る、
なんていうの、きっかけにするのはいいかもしれない。
それを何とか、それ自体を何とかするとかじゃなくて、
その憧れ自体を何とかするとか、実現する実現しないとか、
の前になんかそもそもなんで自分はそこに惹かれるのだろうかみたいのを考えるのが、
多分自分の中でこう無意識のうちに思ってる、
まあそれこそ何かみたいな、
こう深く自分の無意識の中に眠っている、
こういうことがやりたいみたいな気持ちとか思いを見つけるきっかけには、
なるんじゃないかなっていうのは話してて思ったけど、
そうだね、だから別にそれをどうにかするわけでもないんだけど、
っていうのは思った。
そんな感じかな?
そうだね。
異なる価値観の交流
でもなんかちょっと、やっぱりりょうちゃんと話してみて面白かったわ。
全然違う。
だからやっぱりそう、全然考え方とか捉え方とか感じ方みたいなのが、
なんか近いようで結構逆だよねって思うことが最近増えてきた。
いやでもなんかそれでもこうやって話せるのが面白いかな。
だからこそ多分話し続ける。
なんか私たちがすごい超似てたら、
多分そんなに話しても面白くないと思うの。
お互いそうだよね、終了みたいな。
終わりみたいな。え、なんで?とかないもん。
ない。
お互いにそうだよね、分かる。
そうそうそう、自分が思ってるようなことが相手の口から出てきたら、
もうそんな会話続かないし、
会話してる楽しさみたいなのがちょっと変わってくるよね、多分。
そうだね。
人によっては多分そういうふうに、
そうだよね、分かるっていうのがすごい良いっていう人もいるだろうし、
それがすごい楽しい時もあるけど、
そうじゃなくても話せることもあるし、
逆にそればっかりだと私は個人的に、
なんかちょっともうちょっとこう突っ込みたいとか、
なんかもうちょっと色々なこういう視点を知りたいみたいな面からは、
なんかちょっと物足りなさとかを感じてしまうかなみたいなのがあるから、
最近特に話してて私もすごい、
なんか結構こう思ってたのと違うとかっていうのがすごいあって、
面白い。
ね、そう。
だからなんか思ってたのと違うって思ってがっかりするんじゃなくて、
面白いと思って。
面白い。
意外と違うじゃんと思って。
なんか一見でもね、
なんかこう最初のちょっと感じで話してると、
なんか一見結構似たもの同士じゃない?みたいに思うんだけど、
なんかこれって言う時に、え?違う?全然違う答えか確かに。
そうそうそうそう。
面白いみたいな。
そうそうそうそう。
ね、最近よく会って。
いいね。
楽しいよ。
ポッドキャスト的にもいいよね。
いいね。
飛んでいけるから。
っていう感じです、今週は。
はーい。
じゃあ今日はありがとう。
はーい。また来週。
50:31

コメント

スクロール