物部真一郎の起業の道
ヘルスケアハッカーソンハブのポッドキャストです。
アンタン・中山がお送りします。
今日は物部さんにお話を伺わせていただこうと思っております。
物部さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。いつもお世話になっております。
お世話になってます。
物部さんは、僕、知り合ったのは2015年ぐらいですよね。
物部さんが起業した頃。
アンタンが創業される直前ぐらいと思うので、2015か6かそこら辺ですかね。
そうですよね。物部さんは多分、意識業化の走りだと思うんですけれども。
ありがとうございます。
物部さんの自己紹介を僕からもできるんですけれども、
物部さん自身から簡単に自己紹介していただければなと思っております。
物部さん、出身は京都でしたっけ?
はい。生まれは京都で、明治物部って言うんですけど、
その後、医学部の時に高知大学には物部キャンパス、物部村、そして物部川があって、
そして、よそ子供祭り大好きだったんで、それですごい縁を感じて高知大学に行きました。
高知大学は勉強が好きすぎて、7年間いたんですけど、1年10年して。
それで、卒業いたしまして、精神科医してたんですけども、
高知大学時代に1個目の企業をしてまして、四国の病院の広報室を作るっていうサービスをしてました。
紙媒体ですね。当時は紙媒体がすごい伸びてたとか、
いろんな駅行ったらフリーペーパーとかあったじゃないですか、
コンビニに行くといろんな地域情報室がたくさんあったと思うんですね。
紙媒体がすごい伸びてたタイミングやって、四国にはそういうものがあんまなかったので、
四国のタウン情報室を作りまして、コンビニで800円くらいで売ってたんですけど、
それをスタート地点に、こんなデザインの病院広報室を作りませんかって言って、
病院の広報室を作るっていうサービスとかビジネスをしてました。
一人でやってたんですか?
どういうチームでやってたんですか?
これもグループでやってました。
コンビニの企業であるXメディアっていう会社で、竹村っていう医師と一緒にやったんですけど、
彼はその時から、高知大学時代から一緒に起業したメンバーなんですね。
長いですね。
めっちゃ長いです。そういったメンバーを含めて、高知のタウン情報室を作ってましたね。
どのくらい、県内に高知市内に配ってたんですか?
コンビニで売ってたんですけど、3万部発行で、高知県でその時4市か5市あって、3位まで行きましたね。
1位、2位はちょっと強力な雑誌やって、そこまでは追いつけなかったんですけど、3位くらいまでは行けたって感じですね。
もう本当に普通に事業を作った感じですね。
と言いたいところなんですけど、サークルの延長みたいな感じで楽しく、みんなでオフィスで鍋食いながらやってた感じですね。
本森さんって医学部行くのはもともと来て、医学部進学しようみたいなの決めてたみたいな感じだったんですか?
MBA取得の背景
そうですね。精神科医に憧れが強い高校生でして、
その時は精神科医をやりたいなみたいな感じで、医学部を志望してましたね。
ああ、そうなんですね。高知に行って、事業を一個作ってみたいな感じですね。
そうですね。その後のお話も簡単にさせていただこうと思います。
ぜひぜひ。
ありがとうございます。
医者はしてたんですけど、研修院の時に医療をビジネスで切ってみたいなと思いまして、
そこでそのノウハウを知りたいし、考える時間を欲しいなと思いまして、
NBA、ビジネススクールに行きまして、
大学中の2014年に1個目の会社、エクスメディオという会社を創業したっていう感じですね。
2015年に帰ってきてから、エクスメディオという会社で、
イグメル君というサービスを頑張りまして、
2019年に会社が他の会社にグループにすることになりまして、
そこからは次は何しようかなって悩んでたところなんですけども、
その時にいろんなことをしたんですけど、
そうすると怪しい人みたいになってしまって、
怪しい人だったんですけど、そこにも理由があって、
自分の会社作るところの再現性が本当にあるんだっけみたいなところで創業をいくつかやってみたんです。
確かにそれで2つはめちゃくちゃいい感じになったのに、
アルティメットのスキルの再現性だと分かって、
あとは次もしやるとしたら、高みどこまでいけるかというところで、
その時に僕の超先輩企業家の会社に、
私の先輩企業家の横でその人の動きを見て、
ここまでいくためにはこういうものが必要なんだみたいなことが見えてきて、
そういったことを学び、ラーニングするエクスメディオを卒業後の時間がありまして、
今は2023年の後半からは1個のプロネクタや課題を読みつけました。
その課題をテーマに今はまたグループ創業をしまして、
みんなで楽しく課題解決に向かっております。
いやー、盛りだくさんですね。
意識業家でちゃんと起業して売却して、もう一社また作っていって、
すごくキラキラしているキャリアだなとは思うんですけど、
一番最初のMBA取りに行くもかなり珍しいと思うんですよ。
海外MBAですもんね、スタンフォードMBAなんで、あんまり行かない気がするんですけど、
その辺ってどうやって行く経緯になったんですか。
ありがとうございます。僕MBAっていう存在の認知を高校生の時に知って、
その時にブルータスという雑誌があって、ブルータスという世界の大学特集という特集があって、
その時にその特集の中でパリのアシュルト・パリスという学校の特集があったんですね。
4ページくらいあって、そこでMBA行くと日本人在校生のインタビューがあって、
この学校でこんなことなんで、世界をこう変えたいなみたいな記事があって、
MBA行くとこういったような世界を変える体験ができるんだってことを高校生の時に認知して、
次に医療の世界でインパクトを出すためには、その記事のことをすごいリンクして、
MBAとか決断すると自分が社会貢献できる力がつくんじゃないかと思って、
MBAを行こうと思ったみたいな、そんな感じです。
良かったですか?僕MBAは行った経験はないので、日本のMBAもよく分かってないんですけど、
行って得られたもの、どういう感じだったんだろう?
ありがとうございます。行くべきか行かないべきかは分からないですけど、
行って楽しかったかって言われると、イエスだったみたいな感じですね。
緊張すること、課題に対する向き合い方であったりとか、
医学部みたいに新しい知識をどんどん吸収するみたいなものはあんまりなくて、
課題を定義したり、それにクリアする、あ、クリアって解決するから、
解決するプロセスをどう組み立てるかを考えるっていうのが授業の柱でして、
そういった時間をたくさんとれたのが良かったかなって思いますね。
なんかよく若い先生たちとかでMBA同校みたいなときに臨床を続けながら行った方がいいんですかねとか、
そういう話ってよくあって、最終的に土日で行けるとか、
平日の夜で通えるMBAに行く人が多いと思うんですけど、
多分渡航してるのでフルで行ったと思うんですけど、
その辺はもう意思決定はサッとできた感じだったんですか。
そうですね、僕の場合は起業したいなと思って、課題解決したいなと思ってMBA行ったので、
そこはスパッと切って、もう一度フルにその時間をどうやって課題解決するかってところで、
課題の認知と課題解決の方法を考えてもらったので、そこは全然スパッと切れたところでしたね。
病院の課題解決をしたいとか、病院の臨床の課題解決したいとかでしたら、
週末のMBAとかもいいかもしれませんけど、臨床から少し離れたところも含んで、
いろんな角度から医療現場をもう一回考え直そうっていう場合って、
臨床してるとその頭にどうしても引っ張られますので、
やめて空白の2年間みたいなのを作るのも結構いいのかなって思いますね。
エクスメディオの創業と経験
スタンフォード中にXメディを作ったんでしたっけ。
そうですね。スタンフォード中のアントリプレナーシップ&ベンチャーキャピタルっていう、
エリック・シュミットが教授の授業があって、そこでビジネスプランをピッチするみたいな授業があるんですよ。
その時に作ったビジネスプランで、そのままピッチした後、速攻起業したみたいな感じで。
チームはその時のチームですか。
そうですね。その時のチームが創業グループって感じですね。
いいですね。そこから先の立ち上げの苦労とか成功体験とか、あとは大変だったことを教えていただければと思うんですけど。
ありがとうございます。成功体験ってほとんどないですね。
失敗体験というか、課題たくさんあって、それをクリアしてくるのを繰り返しだったみたいな感じですかね。
後ろを振り返ってみると、大成功はしなかったかもしれませんけど、課題をクリアしていった道のりだったりとか、
誰とどうやってやったかみたいなことがいい思い出になってまして、振り返ってもすごくいい体験だったなと思いますね。
2014年創業でしたっけ?
2014年の10月ですね。
10月か12月かどっちか知りませんけど。
どっちか。
5、6年だと思うんですけど、売却するまでっていうとですけど、どの時期が一番大変だった感じですか。
売却する時のタイミングですかね。その時って次のシリーズに行くか、グループインさせてもらうかみたいな選択肢があって、
そこどっちの道を取るかみたいな悩んだことが、とても悩んだ時間でしたね。
MUAの話って相談できる人ってチームメンバーの中でも多くはないじゃないですか。
そうですね。言えないですよね。
MUAでの意思決定
相談できる人もすげえ限られてる中、意思決定しなければならなかったっていうのは、とてもハードシングスでしたね。
どのぐらいの時間軸でしたっけ。僕の話で言うと、僕はMUAの。
聞きたい。
あんたは2021年8月にMUAでGMDCのグループに入ってるんですけど、MUAのオファーは1年前に1回ディスカッションがあったんですけど流れてて、
2021年の春ぐらいにもう1回その話が出てきて、でも実動2ヶ月とかでバーってデューデリークロージングみたいな感じだったんで、
怒涛のような2ヶ月、かつでも言える人は誰もいないから、
なんかやってるのを社内にバレない、バレないっていうのは表現あれですかね。
悟られないというか、オープンにならないようにどう進めるかみたいなのは結構悩んだなぁとは思ってますけど、
どのぐらいの時間軸でしたっけ。
思い出したくないぐらいそこは長かったんですよ。
あ、そうなんですね。
そうですね。僕らは本当に長いことお話し合いがありましたね。
そうですね。
すいません、思い出させちゃった。
いやいやいや、興味なくなっちゃうぐらい。
結構長くディスカッションをさせてもらいましたね。
ただそれは僕もその後いくつかのメーカーからさせてもらいましたけど、
レアケースをやったんですね。
一発目がレアケースやったなっていう体験でしたね。
契約のプロセス
それはあれですかね。
その買い手側とのいろんな調整のところでのレア。
他に比べると長さがやっぱ長いってことですよね。
交渉の時間が長いってこと。
そうです。
僕それこそ、去年の年末、僕すごいディール見たんですけど、
MOUが出て、そこから3ヶ月ぐらい、MOUですよ、の議論があって、
そこでSPAが出て、投資契約書が出て、SPAが出てきたのが12月24とかなんですよ。
サイン日12月27だったんです。
ごめんなさい。
すごいですね。
こんなディールがあって、
投資契約書がほとんど、SPAがほとんど修正ってないようなものが出てきたディールだったんですね。
すごいですね。めちゃくちゃ。
その後、向こう側の弁護士所あったんですけど、別にこんなん全然あるよって言われたんですよ。
なので、一発目引いたケースがレアケースだったなって思いましたね。
確かに。
ちなみに聞いてる人たちのために言って、SPAは株式の譲渡契約ですかね。
譲渡契約の契約書の話。
SPA、SPAと出て、
多分それ。
Pなんですか、Pって。
Pは買うじゃないですか。
アーティストなんですかね。
そうですね、すいません。
バーって譲渡契約が出てきて、それを双方弁護士入れながら調整してって行ったり来たりするのが、3日で終わったってことですもんね。すごいですよね。
売り手側は弁護士なしですよ。
すごいあったんですよ。
それほど、向こう側は弁護士使わず、MOUのところで議論を尽くしてたので、
そこで超重要論点だけは、そのときに文言をフィックスして、書き言葉に近い、そのままSPAになってて。
特にひっかけ問題というか、そういったところも特に無いものが、すごい薄いやつが出てきて、
あっ、すごい。
へー、すごいですね。
そんなものがあるんだと思って、感動しました。
すごいですね。
僕の場合は、XMIOについては、ディスカッションがたくさんさせていただいて、
だいぶ経験値を積んだっていう、その1回で。
そうです、そうです。
MOUは基本合意書かな。合意契約書。
なんかそんなんですよね。
そうですね、はい。
確かに。
1ヶ月ぐらいだったかな。
ちょっとその辺は、ぼやっとしてるような気がしますけど、
はい、いったような気がしてます。
そこが一番大変でしたね、大変って。
そこが一番夜寝れなくなりましたね。
夜寝れなかったときは何回かあるんですけど、
そのときが一番長く夜寝れなかったかもしれませんね。
あー、なるほど。
長くやってた。
基本マドシさんがやってたんですか、そういうのって。
マドシさんがやっぱり技術側は。
そのときの創業メンバーが3人ほどいたんですけど、
そのうちの2人で、僕ともう1人で、
それこそスタンフォード同級生と一緒にフロントに行った感じですね。
なんかそれが一番大変だとすると、
2番目大変だったのって何かあります?
ちょっと大変なことばかり聞くなよみたいな。
いえいえ、ありがとうございます。
2番目は、
そうですね、2番目。
言える話で大変。
そうですよね、そうですよね。
言える範囲の2番目って何ですかね。
何だろうな。
言えない範囲でもごまかしつつぐらい、
何だろう、オブラートに包むみたいな感じとかですか。
ありがとうございます。
事件が2回起こってるんですよ。
ヤフーニュースで出てきたようなやつが。
なので、これが、
それって長引かなかったんで、
寝れなかった日数は3日ぐらいだったみたいなやつが2回あるって感じですね。
きつい。
ちなみにもどれさんって寝れないって寝つけない感じですか。
それとも目が覚めちゃう感じですか。
目が覚めちゃうんですよ。
きついなあ。
きついなあ。
きついですよね。
そうですよね。
僕は頭が覚醒しちゃって全然寝つけないかったりしますね。
なるほど。
なるほど。
ただ、スペース進化医科お友達なんで、
そういったやつの人に処方してもらって、
っていうところで何とか寝るようとはするんですけど、
そうですね、やっぱりちょっと疲れとるような感じですよね。
そういう事件系で頭がこういう時は。
お疲れ様です。
後半はものべさんの全体の自己紹介と、
あとは企画部時代の起業、
そしてMBAを取ってXメディを創業して、
マンデーというところまでお話を伺わせていただきました。
後半はまたそこから先のものべさんの関心領域だったりとか、
今進めているプロジェクトとか今後について伺えたらと思っております。
ものべさんありがとうございました。
ありがとうございます。
ありがとうございました。