家父長制と同性愛の話
サマリー
今回のエピソードでは、サピエンス全史の上巻における印象深いテーマや同性愛と過不調性について触れ、その複雑さがどのように描かれているかを考察しています。著者の鋭い表現と同時に、疑問が残る内容についての感想が述べられています。
サピエンス全史のテーマ
こんばんは、しゃべる練習です。今回のテーマは、サピエンス全史の上巻を読み終わったので、その辺の話をしようと思います。
この本の最初の頃は、すごい切れ味の良い漢字で、いろんなことをズバズバと
説明してくれるので、読んでてすごく気持ちがいいなという感じになったんですけれども、 読み続めていく中で、うちにですね、
あ、そういうことばかりでもないのだなというのを感じ始めました。 その中の印象に残っている一つのトピックですね。
ちょっとこれもまた、なかなかしゃべるのが難しいテーマではあるので、
頑張って、ちょっとうまくしゃべれない可能性もあるんですけど、しゃべれるように頑張りたいと思うんですが、
その部分というのが、過不調性というところと、同性愛に関するところの話になります。
これはですね、ホモサピエンスの歴史の中でですね、多くのケース、時代、場所においてですね、
過不調性であるケースが多いということを言った上でですね、なぜ過不調性が多いのかということについて、
いろいろ語られておりますけれども、語られていますというか、語られていないというかですね、
これは非常に不思議だというスタンスなのかな。
これこれだから過不調性が多いとか、理由づけみたいなものがいくつか紹介されつつもですね、
それら一個一個はですね、説明としては不十分というか、納得がいかないというか、そういう感じで、
そうだとはちょっと言えないんじゃないの、みたいな否定的なスタンスですね。
これでは理由、ちょっと私の雑な理解でしゃべると言うので、言い方の温度感が難しいんですけれども、
とりあえず私の単純な理解としては、過不調性が多いことは、これは歴史上である。
しかしそれがなぜなのかについては、わからないというか、いろいろ理由は言われているけれども、
それらは納得のいく説明とは言えない。だからこれが過不調性があるということが、
なぜなのか、わかったとは言えない、わからないんだということについてですね、
ものすごく説明をしてくれているみたいな、そういうところがあったりします。
同性愛の位置づけ
あと同性愛に関しては、同性愛が人のホモサピエンスとか生物の歴史の中でどういう位置づけかという話をする部分はあったかもしれないんですけれども、
なんか主軸になるのが同性愛を否定する意見に関して否定するというような内容をすごく、
そこに力が入っているなという印象を受けました。
だから反対の反対は賛成なのかどうか、そこで賛成と言っている感じでもなく、
なんか異論としてすごい中途半端というか、結局何なのかっていうところをモヤモヤする感じで、
その部分のテーマが終わって次の話に進んでいくっていう感じですね。
なので、その辺がね、なんか最初の頃の切れ味で、
目から鱗、腹落ちしまくりみたいな感じとはちょっと違う感じのところもあるんだなっていうのを読み進めていく中で感じたりしました。
なかなか難しいなと感じるところも多くてですね、この私の理解が妥当な理解なのか、
なんか全然また外れなことを言っているのかも自信はないんですけれども、私の個人の感想ですという感じでちょっと喋ってみました。
下巻もね、貼って、下巻も読み終わって、次はなんだったっけ、ホモデウスっていうのも読み終わって、
あとネクサスっていうところまで読み終わるところまで行きたい気持ちはあるんですけども、全くゴールにたどり着けそうな気はしないですが、
焦らずにぼちぼちと読もうかなと思っております。ということで今回の喋り方は以上です。ではまた次回。
05:38
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