体験とは何か
こんにちは、hattoです。私たちは、家族の絆をより濃く、より強くをコンセプトに夫婦でお店をやっています。
この番組では、商品の裏側や試行錯誤の過程、ショップを通して大切にしている考え方や気づきについてお話ししていきます。
家族のための雑貨屋さん、今日は26回目の放送です。
先日、本作家のゴミー太郎さんのインタビュー記事を読んだんですね。
テーマは体験格差だったんですけど、ちょっとここでは体験格差の話は一旦置いておいて、
体験とは体が知ることだっていうふうにお話しされてたことについてちょっと考えたいなと思います。
何気なく使っている体験という言葉なんですけど、記事の中でゴミー太郎さんはこういうふうにおっしゃってました。
体験という言葉を少し文学的に言えば、体が知るってことだよね、体に教えるじゃないよねっていうふうにおっしゃっていて、
ゴミー太郎さんは絵本の中で教訓めいたことを入れるっていうことも嫌ってるそうなんですけど、
教えられるんじゃなくて、自分で気づくとか自分の体で知るっていうことが大事っていうお話をされていました。
この記事を読んでちょっと思い出したことがあって、
昔、息子がまだ小さい時に公園に行くとよく落ち葉の山の中に入って行って、
ひたすら落ち葉の中を行ったり来たりして遊んでることがよくあったんですけど、
そういう時に私結構つい言ってしまってたことがあるなと思って、
例えば、カサカサ音がするねとか、いろんな色の葉っぱがあるんだねとか、
そういうことをよく言ってたなと思って、
それって教えたいというよりも、いろんな感覚を知ってほしいみたいな気持ちで、
気づきを与えたいみたいな気持ちだったと思うんですね。
でも本当はその気づきっていうのは、
本人の中から自然と出てくるのを待った方が良かったのかもなっていうふうにちょっと感じました。
当たり前にあることも、ある時なんかハッと気づくことって大人でもあるじゃないですか、
なんかこう知ってはいたけど、ある時急に、
あ、これってこういうことかってなんか腑に落ちるみたいなこと。
そういう瞬間ってちょっと快感というか、嬉しかったりすると思うんですけど、
子供との関わり
多分それが頭じゃなくて、体が知ったっていう感覚なんじゃないかなっていうふうに思いました。
なんかこう外から与えられるものじゃなくて、自分の中から出てくるもの。
それが起きるまで多分時間はかかると思うんですけど、
だからこそ自分の中にちゃんと残っていくものなのかもしれないなっていうふうに感じて、
さっきのこの落ち葉の話で言うと、
いろんな落ち葉があるねって外からの情報でこう言われて教えられて、
本当だって表面的に理解するよりも、
ただ落ち葉を踏む、感触を楽しんでいるだけの時に、
ふっと、そういえば葉っぱの色って全部同じじゃないなって自分で気づく瞬間。
それが体験の本質みたいなものなのかもなっていうふうに思いました。
そしたら、なんで色違うんだろうってそこから広がっていくものも内側から出てくるものだし、
そう思うと、子供と過ごす時間の中で無理に気づかせる必要ってないよなっていうふうにも思います。
多分時間はかかると思うんですけど、
本人の中にある種みたいなものが必要なタイミングで目を出すのを近くで待つ、近くで見守るっていうだけでもいいのかなっていうふうに思いました。
待つだけって言ってもこれが難しいんですけどね。
正直教えた方が簡単なんですけど、
でも頭の片隅に置いておきたいなっていうふうに思った出来事でした。
今日は体験について考えてみたお話でした。
こうやって考えていることを言葉にすると自分の中でも整理されて気づくことがあるので、
また思ったことをこんなふうに話していけたらいいなと思います。
今日も最後まで聞いてくださってありがとうございました。
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ではまた、ハットでした。