あのね、もう仕事をサボれますね。ダメ人間になってくるんですけど。
でもそんな中で僕いろいろとグーグルとかでね、昔検索するの好きだったんですけど、それに置き換わってチャットGPTに聞くんですよ。
聞いたの?
で、般若心経とかも。
聞いたの?
聞きました。
要は、そもそも口調を柔らかくしてくれと、まず最初に彼に頼んで。
大学生のつもりになって、俺にわかりやすく喋って、般若心経ってどういうことだとか、あと死体発症動って何?とかをざっくり聞いたんですよ。
そしたらすごいカシュアルに書いてくるんですよね。
で、まあ要するに、こうすると生きやすくなるよってコツみたいなのがまとまった、生き方のライフハックみたいなもんだよみたいな風に書かれて、すごいな、ライフハックいいよって思って。
でも確かに読んでてわかるんですよね。
なんか例えば言葉遣いをこうすることによって、なんかよく物事回ってくるんだよとか、物事の見方をこうしましょうとか。
で、その中でやっぱり日々僕が思うのが、証券ってあってますよ、読み方。正しく見るってめっちゃ難しいんですよ。
いや難しいよ。
で、マジシャンなんかしてると、それを悪用してるというか、エンターメンするためにそれを使ってるとかなんですよね。
人の思い込みとか、やっぱりこう、人は見たいものだけを見るってつくづく思うんですよね。仕事柄もそうだし日常生活でも思うので。
なんかこう、それがこの間の受け貯もうの話じゃないですけど、今起きてることを受け入れるときに正しく見れないと、まず受け入れることすらできない。
このパワハラ上司は、そもそも自分のせいなんだっていうフィルターかかっちゃってると、上司はすべて正しくて。
でも上司もただの人間だったり、なんだったらね、もう本当にクズ野郎かもしれないっていうところちゃんと見れなくなりますよね。
そう。だからね、正しく見るって、正しい、謝ってるのを正しいじゃないんだよ。今ダイさんが言ったみたいに、フィルターかけずに見るってことなんだよ。そのままを。
だから正しく見るっていうふうに言っちゃうと、正しいっていうジャッジが入ってるじゃない。だから物事全部正しく見ましょうって、その正しいじゃないよ。
ジャッジせずに、まんまを見る。
ありのままにね。
ということなんだよ。
いやそれがいかに難しいかですよね。
そうなの、そうなの。うちらはだって、ジャッジするように教育されたからね。幼稚園の頃から。
それって、ちょっと話それますけど、日本特有でより強いのか、みんな多から少なから人類はそういうもんなんですかね。
どうなの?他の国の人知ってる?
一つ思うのは、日本人よりは例えば欧米の方の方が自分軸を持ってる。自分のジャッジはするんだけど、ジャッジの軸がちょっと自分の中によりあるような気がする。これイメージね。
例えば、それこそジャッジする軸が世の中がそうだから、親がそう言ってるから、法律がそうだからってジャッジになっちゃう。
教育が先生がそう言ったからっていうのって一番外側に軸があるじゃないですか。先生はそう言ってるけど、僕はこれでいいと思うっていう人が割と欧米は多いような印象はわかんないですよ。
多い印象はあります。
ジャッジの軸がどこにあるかってことね。でもそれは友達のお釈迦様に言わせれば同じよ。証言じゃないのよどっちでも。
どっちにしろそれはジャッジしちゃってるから。
自分の軸だってジャッジだし、社会を軸にしたってジャッジだし、目の前にあることをそのまま見るっていうことが大切なんだよって言ってた気がする。
正しいっていう字ね。
正しいって書かれちゃうから、正しく見る、ちゃんと見るとか思っちゃうけど、まんま見る。
正しさとはっていうのって、法的に正しいとか倫理的に正しいとかいろんな正しいがあるんだけどそういうことではないんですよね。
怒ってることをそのまま見てごらんよって言ってるんだと思うんだよね。
そのままって何ですかね。
難しいのよ。
例えば前回か前々回かぐらいに僕が言った、ただの地球全体が質量が決まってて、自分その中でたまたまプリって分かれた60キログラムの塊でって思ったときに、
ありのままっていう意味で言うと、それもありのままか分かんないんですけど、
パオハラ上司がワーワー言って、自分がそれに対してはいはいって言ってストレス抱えてるって状況も、
ただの60キログラムのタンパク質の塊2個がそこにいて、なんかなんかやってるだけって思ったら、
僕は割とそういうふうにまあまあいっかってなる方なんですよね。ありのままと見てるとはちょっと違うかもしれないけど、
でも、対極的に見たらそれだけのことっていうのもあるし。
目の前にいる60キロのタンパク質はそういうふうに見えるんだねっていうことだよ。
私のことをそういうふうに見えるんだね。意外なものもないってこと。
この仕事できないお前なんかもうこの会社のお荷物だって言ってるその発言に対して、
見えるんだね。
見えるんだね。それが事実かどうかは全然別だよ。
で、そこの後になんでそういうこと言うんだよとか、私はそんなんじゃないよっていうのがついたこれ全部ジャッジだから。
そうじゃなくて、そこ全部いらなくて、あ、そういうふうに見えてるんだね。
終わりみたいな。
その見方いいですよね。ふーんっていいですよね。
なんかこうそれに対してね、自分の責めるなりイキり立つなりっていうことではなくて、ふーんって。
そうなんだね。ふーんって感じのね。
それが一番証券に近いスタンスなのかな。
まあジャッジは少なくもしない。
そう、ジャッジはしないんだと思うけど、まああのちょっと自信なくなってきたな。
いや、でも。
なんかお坊さん聞いてたら怒りそう。
そういうことじゃないだろーってちゃんと教えたのにペシペシペシペシって。
なんかほらあの、優秀正しい高野さんのね。
いえいえいえいえいえ。
修行を経た人なのに怒られちゃうんだっていうのが僕はちょっと面白いなって思ってて。
それはね、あなた、私出家してから15年ぐらい経ちますけどもね、もうこの業界ではペーペーだから。
いや、もちろんそのキャリアは長い方たくさんいらっしゃると思うんですけど、なんて言ったらいいか。
みんな一応免許をね、免許あるんですよね。
免許、送責というか免許ある。
ライセンスのあるプロの僧侶じゃないですか。
そういうことです。
それでもう怒られるんだって。
それはそうですよね。
いやーでも、ねえだから、ジャッジするっていう考え方っていうのが、
ジャッジするもんだろうみたいな風にして生きてきてしまっている人が、
それ自身がすごく苦しむ練習をしてきているようなもんですよね。
でもさ、この現代社会を生きるには、ジャッジしなきゃダメなのよ。
だから大変じゃない。ジャッジしないで商売やりますよなんてできないじゃない。
だってこれやったら利益が上がるのか上がらないのかとか、法的には通るのか通らないのかとか、
常にジャッジしないと現代社会はそれはできないわけだよね。
農業にしたってそうだよ。
雨が降るのか降らないのかジャッジしてるじゃない。
この肥料でいいのか良くないのかジャッジしてる。
だからその、なんていうかな、実生活を回す現代社会の中での時のスタンスと、
それからなんていうのかな、自分が生き方とかどうあるかとかいうような
在り方というスタンスで物事を見るときって違うんだと思う。
だからそれをどう使い分けられるか両方ちゃんと持ってて、
それが求められてるような気がする。
どっちか一方だと苦しいんじゃない。
だからそれを使い分ける練習というか、この場でこっちにしようとか、
この場でこっちにしようって自覚できれば楽なんですよね。
それこそスイッチングじゃないけど、苦しくなったら考え方を、
今まで取ってなかった方の考え方から見てみるとか。
だからそういうのをチャンネルいっぱい持ってるといいよね。
なるほど。
で、自分が楽になるチャンネルでやっていけばいいんだと思うんだよね。
それ人によって配分、塩梅は変わると思うんだけど、そういう概念をまず知っておけばね。
でも一個しか持ってないと、それでやるしかないから、
ものすごく苦しくなっちゃったときは道がないもんね。
やっぱこれもイメージだと思うんですけど、
世の中の僧侶に対するイメージの話で言うと、
やっぱ修行してきて悟って、もう悩みなんかなくて、
寺にこもって日々祝々とお勤めを果たして、
そういう生活したら、きっと俗世間のことで悩まないんだろうな。
あの人請求書送ってくんないなとか、あの人LINE返してくんないなとか、
あの人にこんなこと言われたなみたいなことでごちゃごちゃ悩まない。
だろうなーって思ってるんですよ、僧侶のイメージ。
本当の出家者、言うなれば初期仏教的な、
だから今で言ったら台湾もそうだし、
タイとかね、ミャンマーとかね、みたいに、
本当にこう財産というものを持たず、
妻体もせず、家族も持たず、本当に出家してますって人はそうかもね。
でもね、日本なんかはもうだって、財産持ってるし、
お商売みたいになっちゃってるし、家族もいるし、そうはいかないと思うよ。
だから日々お坊さんがですね、
いやーちょっとなーってエクセルを見ながらですね、
うちの寺の財務なんちゃらがどうのこうのって悩んでるとかもあるのかなーとか思って。
そんな姿は見たくないよね。
見たくはないんですけど、
今朝をね、来た状態でエクセルをポチポチやってるっていうのもね。
実際やってるんだろうなー。
やってる人もいるでしょうね。
いや人ばっかりだと思うけどね。
いや逆にでもね、なんかそれが僕最近面白かったなって思ってて。
なんかこうそういうお寺の僧侶の方でも、
自分の寺持って寺をよりなんか親しみやすい場所をしよう。
インスタやってますとか。
インスタやってんの?みたいな。
そういうのもなかなか楽しんでやってらっしゃるんだろうな、この人は。
っていうお坊さんもいらっしゃるし。
なので、なんかこう別に僧侶になった悟りというか、
修行したから悩まないってことでは決してないと思うし。
そうそうそれはそう。
で、エクセルをポチポチやってね。
うちの寺が潰れそうだこのままじゃっていうのがダメなんじゃなくて、
でもまあだからといってね、生身の人間である以上悩みが消えたりとか、
降りかかってくることを消せるわけではないっていうのはありますよね。
そりゃそうだよね。
最近ね、だからメールの中にも書いてらっしゃいましたけどね、
思いっきり転んだって言ってたじゃないですか。
転んだよ。
その、ねえ、僧侶は完璧超人ではない。
普通に転ぶ、転んで、体を六個つぶったんでしたっけ?
六個つぶって上行って立ち上がれなかったって。
お坊さんでも転ぶんですね。
そりゃ転びますよね。
でもね、これ修行中だったら怒られる事件です。
そうなんですか。
転んで大丈夫ってことは絶対言われない。
それは何ですか。ゆる、たるんどるわ的なことですか。
そういうこと。なぜ自分に結界を張らないんだ。
結界を張るって言うんですか。
そうです。私たち全部結界は邪気だらけだから世の中は。
世の中は邪気だらけだから、邪気に取り憑かれるから転ぶわけで、
それがついてこないように自分にちゃんと結界を張るんですよ。
はあ。
で、結構それが緩んでるからね。
生クラだから転ぶんだよっていう怒られ方をする。
蚊に刺されるのもそうだから。
ええ。そんなのコントロールできないじゃないですか。
蚊にたかられるのもそうだから。
もうね、お山だからいろんなものがいるわけですよ。
そうでしょ。
それがもう修行中飛んできてプーンとか言ってたかるわけよ。
結界を張ってないって言って。
それ怒られるな。
怒られる。
やだ。それこそ虫が止まることはもう自然の営みじゃないですかってね。
そうですよ。
そこをありのままに捉えたいですけどね。そうはいかないですね。
そう、そういうこともありました。
なるほど。
ちょっとね、その修行に関する不条理なことは今後も話していくといろいろ出てくると思うんですけど。
でもね、その意味ってね、また後になればね、その時は不条理とちょっと思っちゃったりもしたけど、
やっぱね、自分が転ぶのはね、自分に原因があるのよ。
うん。
絶対あるのよ。
悪いというか、そういうことね。
原因じゃなくてね。
例えば足がちゃんと上がってませんでした。その時石になって蹴っつまずいたんでしょう。
それは普段の運動不足です。筋力低下ですとかね。
あとその時にちょっとこう注意散漫になって他のこと考えてましたとか、何かがあるのよ。
ここに石があったからつまずいたんじゃなくて、自分の方なのよ。
いわゆるそれを決壊って言ったんだと思うよ。
なるほどね。だからコントロールできないものも世の中にはあるんだけども、コントロールすべきことはしましょうよ的な、
今聞いてる限りそういうイメージかな、決壊を張るって。
突然転ぶってことはないの。
うーん。
全部その前から何かがつながっていて転ぶっていうことになったわけ。
因果応報ですね。
まさにそう。縁起なのよこれが。
だからそこからきちんと整えないとねって。
突然運が悪くてこの出来事が起きたんだよって。
俺っていつも運が悪いんだよとかいう感じになっちゃうけど、そうじゃないよねって。
なるほどね。
それ自分の周り整えてますか?決壊張って。
整えてれば良い連鎖しか来ないはずなのに、どっかが決壊外れてるからになっちゃってるんですよねっていうことを厳しく教えてくれたのが、
あの時のおのれに決壊を張っとらんから転ぶんじゃっていう話だったと思うんだけどね。