前回に引き続き、スーパーチャーミング坊主・新川瑜龍さんにお話しを伺います。
今回はまず、お坊さんとしての生活、思いについて伺いました。
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サマリー
スーパーチャーミング坊主・新川瑜龍さんは、出家の道や自身の経験について語りながら、農業や様々な活動を通じて人を助けることの重要性を述べています。生活の変化や日々の修行についても詳しく触れています。彼は自身の体験を通して、心の平安や生命との関わりについて言及します。特に、仏教の教えと神言宗の深い意味に触れ、コミュニケーションの本質を考察しています。新川瑜龍さんは人間関係の重要性と自己責任について語り、自身の経験を通して周囲とのつながりを築いたことを振り返ります。また、新しい環境での生活が豊かであることと、ユートピア的な土地の特性にも触れています。
出家の道と修行
ゆいなわさんの聞く人ラジオ
みなさんこんにちは、ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。
前回に引き続き、スーパーチャーミング坊主・新川瑜龍さんにお話を伺います。
今回はまず、坊さんとしての生活・思いについて伺いました。
坊主・新川瑜龍さんになるというところは、スッと行けた感じ?
スッと行けました。だから別に、えー、みたいな感じじゃなくて、
分かりました、みたいな感じで行ったんで、
みんな、すごい覚悟が行ったんじゃない?とか、出家するっていう、
そもそも家族いないんだから、もう出家じゃん、みたいな話だし、
なんか別に、ここで私が勉強したいことが学べるのであれば、
もう、それこそスーパーラッキーじゃんっていうことだったので、
全く何にもなかったり、そのハードルがなかったし、
ないです。スッと来ましたね。
でも、本来の坊さんになる道はこうじゃないらしくって、現代では。
やっぱり大学、高谷山大学とか、新坊主の子さんになるには、
高谷山大学が地殺院の専修学院っていう専門学校みたいなところなんですけど、
そこに入って、学んで修行していくっていうのが、
生機のルートみたいな。
そう、生機のルートなんですけど、たまたまそのうちのお師匠様が、
専修学院で教鞭をとっていらっしゃる方で、
なおかつ、結構この新坊主の子さん派の中では、
研究者でもあられて、
学生も育てられるし、歴史のこともよくしっかり勉強されていらっしゃる方で、
なおかつ、すごく修行もされてるんですよ、自分で。
修言道ってわかります?
言葉しか知らないですね。
山節ですね。山に入って、天狗みたいな修行をしていくっていうのが、
実は密教、新坊主のお坊さんたちがやっている方たちが今でも一部いて、
そこで自然とか宇宙っていうのが自分であるっていうことを体験として、
どんどん分かっていくというか、一体となるっていう修行をされるんですけど、
そういうこともされてるんですよ。普段からされてるんですよ。
だからもうなんか、文武両道じゃないですけど、完全にパーフェクトな師匠なんですよ。
そういうことですね。研究もしてるし、実践もしてるし、自らの修行もちゃんとされてて。
だからって言って、段下さんがいる寺を持ってないわけじゃないんですよ。
段下寺の住職でもあるんですよ。
だからちゃんと一般の方たちとも触れ合って、
その人たちのことも大事、昨日みたいなコマっていうのを毎月やってて、
その、なんていうか、もうすっごい、その稀有な存在にいきなりぶち当たって、
いきなり弟子に入ったんで、全員がびっくりしてて。
なかなかやろうと思ったらいけるような感じもないですよね。
だからお正玉も、どうやって調べて僕のところに来たの?とか言ってて、
全然調べてないです。偶然来ただけなんですけどって感じだったんですけど、
それこそは私が勉強したいと思ったから、
お大師様だったりとか観音様とかご先祖様が導いてくれたんだと、
ちゃんとしたところへ行きなさいって。
わーすごい。
と、私は思ってる。
そういうことですね。
で、今1年ちょっと経ったっていうことで、
仕事と仏教
そうしたらもう完全に住んでるみたいなの、別で住まいはあって、
じゃあここの大工がベースみたいな感じというか、
その辺の仕組みとかはよくわかんなくて。
本当はお坊さんになったらお坊さんとして食べていくっていうのが普通なので、
どこかのお寺に所属をしていて、
そこのサムっていうか、お寺の管理だったりとか、
そういうことをするっていうのがお坊さんが食べていく手段なんですけど、
で、私は自分の売っちゃった会社のお仕事をそのまま下請けでもらったりとか、
他の会社。
へー、そうなんですね。
そうそう、それとか、
じゃあ売んなきゃよかったじゃんみたいな感じなんですけど。
あとはそういう今までやってきた3Dプリンターとか3Dスキャナーとかの知見があるので、
会社さんのコンサルタントをやったりとかをして食べています。
じゃあその仕事は普段されてながらお坊さんとしても。
そう、向こうはフリーランスなんで時間は自由になりますから、
こっちはああいう大駒の日があればそちらに一緒にお勤めさせていただいたりとか、
朝は昨日の極楽寺で毎朝お勤めさせていただいて、
結構忙しいんですよ。
毎月みんなお祝いするみたいな。
毎月、月明日ってあるじゃないですか。
うん、ありますね。
の、すごい平たく言いますけど、
全部の仏様に誕生日みたいなのがあって、
それの毎月お祝いみたいなのをするんですよ。
なんで、昨日のはお不動様の縁日、28日は。
多分どこのお寺もみんなそうだと思います。
大日如来様の縁日だったりとか、大黒様の縁日とか、
仏様死ぬほどいるじゃないですか。
毎日のように縁日なんですよ。
ああ、そういうことか。
結構あって、ここは大黒様と、
千住観音様をお祭りしてるんで、
大黒様のご信仰なんで、
大黒様の縁日として6日の日、毎月6日。
で、プラスで昇天様って言って、
ガネーシャ。
ガネーシャ、わかります。
ガネーシャも祀ってるんですね。昇天様も祀ってて。
昇天様は1日っていうのがここの決まりで、
なんで、1日の日は朝4時とかから拝んでます。
ああ、そうなんですね。
で、18日はお城様が管理してる別のお寺の観音様の縁日なんで、
そこも拝んでますとか。
結構スケジュールは、月のスケジュールが結構入ってる状態なんですね。
その合間合間で、
本山の別院みたいなのが東京にあったりするんですけど、
本山は京都にあるんですけど、
京都まで行けないので、東京にも別院っていうのがあって、
お寺で勉強会みたいなのがあるんですよ。
お坊さんの勉強するのが、いろんなカリキュラムがあって、
伝統的な行動があったりとか、本当にいっぱいあるんですけど、
それを週に何コマか撮って、
さっきもそれはオンラインで撮ってたんですけど、
みたいなことがあったりして、
なんで、仕事をしながら勉強してるって感じです。
農業の目標
もともと勉強したいって思いだったんですけど、
勉強で入ってきたわけですから、勉強はするし、
勉強と実践と実践でいくって感じですね。
合間に仕事とお家で、
そうですよね。
たまに釣りに行ったりしながら。
そうですよね。
というのが私のあれです。
めっちゃ忙しいですね。
コマとしてはいろんなことが日々やりながら。
米も作ったりしてます。
米も作ってるんですよね。
この地域での活動というか、つながりというか。
そうですね。
米はもともと作りたくて、
米があれば、自分が食べていくのも、
今ね、米の問題がすごくあるじゃないですか。
私がすごく尊敬する芸者の人がいて、
その人が私に言ったのが、
米さえあれば人救えるぞって言ったんですよ。
だから、米だけ必ず持っとけって言ったんですよ。
それがもう忘れられなくて。
ちゃんと自分で田んぼ持ってやっていくっていうのが、
すごく目標であったんですね。
こっちに引っ越してきたら、
休校の作地がたくさんあって、
田んぼを貸してくれることになったので、
なんで米を作ってみて。
それが目的で。
米があれば、困った人とか、心が折れた人とかが、
ちょっともう無理ってなったら、
うち来いって言えるじゃないですか。
なるほど。
じゃあそれもやりながら。
そうですね。
今だから、農業も、
農業を教えてくれるお師匠様っていうか、
農業をずっとやっている方がいて、
もう引退されましたけど、
その方に教えてもらいました。
師匠のもとにまるで導かれたかのようなお話。
日々の勉強やお仕事、
そして修行を通して見えてきたこと。
そんな荒川さんに、
さらに仏教についてのお話を伺っていきます。
だって生活自体は、
ものすごくガラッと変わられて、
この1年ちょっとは過ごされてきて。
そうですね。
そうですよね。
どうですか?
どうって変な言い方ですけど、
生活自体変わって、
だってもう完全に変わったぐらいに、
違うじゃないですか。
言ったら2年前、3年前とか。
そうですね、全然違いますね。
全然違いますよね。
2月の東京駅できてすぐのところにオフィスがあって、
大都会みたいなところ。
毎週飛行機乗ったり新幹線乗って、
いろんなところ、海外の学会とかにも行ってましたし、
ものすごく働いてたんですけど、
それこそタイトスカートにハイヒールみたいな感じでやってたんです。
今、髪の毛もないし。
全然違う生活ですけど、
全然力が入っていなくて、
こちらの生活は。
もう好きなことしかしていないので。
以前は力が入ってたってことになりますよね。
入ってます。もうバリバリに入ってましたよ。
誰にも舐められないように。
会社潰さないように。
やっぱ授業費雇ってるから、
何言わなくてももう稼がなきゃいけないじゃないですか。
もうそれだけですね。
本当にすごい殺伐として生きてましたよね。
その時はそう思ってました?
今だからそう思えるのか。
思ってましたよね。
毎月毎月来る給料日とか支払いとかあるじゃないですか。
納期もあるし。
新しい案件も取ってこなきゃいけないし。
会社で寝てましたもん、その時も。
カーペットにベースで寝てましたもん。
でもそれをいけるっちゃいけるんですよね。
そういうこともやれるというか、やっぱり思い頑張るみたいなところはご自身としても?
なんでやったのかがわからないんですよね。
走り始めてうまくいっちゃったっていうのもあったんでしょうね。
申し訳ないけど、これで世界を変えるんだとか世の中を変えるんだとかそういう気持ちとかはなくて。
早くファイヤーしたいなみたいな気持ちで始めたんですけど。
思った以上、そこまではそこまでは会社は成長せず、だけど成長はしているっていう。
そうすると辞められなくなるんですよね。
現状維持ってできなくて、現状維持をしようとしたら少し背伸びをしなくてはいけないんですよね。
それでやっと現状維持じゃないですか。
背伸びし続けるとそれが止まらなくなるというか、従業員が一人ずつ増えていくっていうことになるじゃないですか。
止められないんですよ。
心の葛藤とリセット
止められないんですよ。本当に止められないんですよ。
一人宿ったらもう切れないですから。
そうなんですよ。止められないんですよ、本当に。
そこで一番上にいるわけだから、自分を走らせるというか。
出るしかないんですよね。休みなんか全然なかったですし、本当に止められなかったです。
止まんないなーって思う。
時間は回るんですよね。でも止められないっていうことの状態にずっといたってことですね。
もう一回心を殺すしかなかったというか、でも一回打つにはなってるじゃないですか。
だからこのまま行ったらそうなるんじゃないかなっていう危機感とかすごくあったんですよ。
だからこそたぶん毎月神社に行っていたんだと思うんですよね。
そこで一回リセットして正気を保つっていうか、っていうのが私の中ではすごくいい時間だったんですけど。
でもなんかコロナが良かったですね。
そこで一回止まるっていう社会が。
自分も止まらざるを得なくて。
私の場合はいろんな場所に行くっていうのもありましたけど、
でも基本的には一回お仕事もらえたら、全部宅急便で済んじゃうようなお仕事になってて。
人とも合わないというか、従業員の人はカプリした状態で仕事してもらってて、
私は出社しなくても大丈夫みたいな感じなんで。
だから釣りできたんですよね。釣りしたりとかできたんです。
そういうことか。
植物とかも家にすごく育ってて、マンションだったんですけど、
100種類ぐらい育ったりもしたんですよ。
それもだいぶ。
でもすごいいいガーデンみたいな、バルコニーが広いお家だったんで、
すごく綺麗に庭を作って。
でもそうするとね、それもね、やっぱり宇宙を感じるというか。
水あげるじゃないですか。3時間後ぐらいに振ってみると、花咲いてたりするんですよ。
すごい。
ですよね。
だけど夕方になったら花枯れたりするんですよね。
やっぱそうやって私が、私の気持ち関係なく、世界の動きも関係なく、生き物を生きるんですよね。
そうか。
で、どんどんどんどんでかくなってくるんですよ。
で、私がしょぼんってなってたら、生き物たちもしょぼんとなるんですよ。
それがね、不思議で、私が元気ないと植物の調子悪いんですよ。
私が元気だと、彼らも調子悪くて、調子いいよって言ってくるんですけど。
そうか。
水なきゃしょぼんってなるし、日当たりがやだったらしょぼんってなるし、
すごい喋んないけどめちゃくちゃ主張激しいんですよ。
こういうコミュニケーションと言葉じゃないんだなっていう。
それも実は仏教の教え。
あ、あるんですね。
仏教というか神言宗って、神言って実は言葉なんですけど、
あれにとらわれちゃいけないっていうのが本来の意味なんですね。
言葉って何も意味がないんだよってことを知るっていうのが仏教の教えの一つなんですけど、
その手前で、じゃあそれだけの言葉に意味っていうものがものすごくついちゃうのがあれば、
その意味を利用してその煩悩を燃やすのに使っちゃおうぜって言ったのが神言宗の教えなんですよ。
あ、そうなんですね。
じゃあ呪文みたいなものを唱えるんですけど神言宗って。
それにものすごいパワーがあるからそのままの訳さないままの状態でみんな唱えるんですよ。
神言宗のお大師様の神言だったら、
っていう長いんですけど、謎の呪文じゃないですか。
ここにめちゃくちゃ力込めてあるからねみたいな。
これはオールマイティー呪文なんですよ。
オールマイティー呪文。
オールマイティー呪文なんですけど、例えば今猫引かれちゃってますとか鹿が引かれちゃってますとか見たときに
手を合わせてその神言を唱えたら成仏できるよとか、
今日試験頑張ってとか。
オールマイティーなんでも使える。
おばあちゃん病気治ってとか、ただただ結婚できますようにとかでもなんでもいいんですけど、
オールマイティー呪文がお大師様の神言になったりとかするんですけど、
だから言葉がなくてもものすごくコミュニケーションで取れるけど、
あったらあったでそれを何かに使うっていうのが神言宗の教えで、
ありがとうとかごちそうさまいただきます。
本当にいただきますとごちそうさまは仏教の最たるところだなと思う。
すべての命に対してとか、作った人に対して、生んでくれた人に対してとか、
全部に対しての感謝の言葉でいただきます。
たった数文字にすごいことが詰まってるじゃないですか。
あれ絶対言わない日本人いないじゃないですか。
いただきますとごちそうさまは言わないなんて気持ち悪くてできないじゃないですか。
仏教の教えと哲学
あれこそがやっぱ仏教観だなと思っていて、
私自分が無宗教だと思ったけど、勉強していくと、
全然仏教徒だったわって泣くことが振り返られるんですよ。
そしたら多分みんなさんも、今の人たちってみんな、
私無宗教だからとか、家に墓あるけどって言うじゃないですか。
全然仏教徒だからって、そこに気づいてほしいし、
気づいて、いいところをもっともっと自分の生き方に反映させたら、
本当に楽に生きられるので、
宗教みたいな感じで考えるじゃないですか。
私そういう教えとかいいですみたいな感じがすごく今の人たちにあるし、
全然そういうの無くても生きていけるみたいなこと言ってるけど、
ただの道徳なんで、
仏教って三つの柱になってて、
私は思ってるんですけど、哲学の部分と仏道っていう、
これは武道とか華道とか茶道とか合気道とかと同じです。
おー仏道。
仏道っていうのがあるんです。
昨日仏道、嬢前古、道ってみんなで最後お伴いしたとき、
あれが仏道。
それ何ですかって言ったら、
嘘つかない、物盗まない、悪いことつかない、無闇に殺さない。
あれが仏道の基本なんですね。
あれをして生きていくっていうことが仏道。
だから今私がやってるのはそれです。
そこに哲学っていう。
空って何なんだ?生きるって何なんだ?みたいなフィロソフィーの部分があって、
宗教っていうファンタジーがあるんですよ。
それファンタジーなんですね。
ファンタジーは向こうの世界があるって。
ここは地獄であって、今度極楽浄土っていうのがあるんだよっていうのがファンタジーの世界。
誰も見たことないんで。
でもそのファンタジーの世界があるから、
仏道をちゃんとやっていくって意味があるんだぞっていう。
それをやっていくと極楽にも行けるし、
私が大事な人が亡くなった時に向こうに行って、
今の苦しみから解放されるんだっていう思いがなければ、
仏道をやっていく意味がないじゃないですか。
心が途中で折れちゃうし、どうしても悲しいことたくさんあるから、
その時にその悲しみを少し楽にさせるためのファンタジーエッセンスがちゃんと用意されてるんですよ。
でももっともっといろんなことを、
じゃあ仏道をやっていって、ファンタジーがあって、
でも自分は今ここに存在してるみたいな、そこが哲学の部分。
そこの部分を追求していく。学問の部分が哲学のところ。
普段はみんな仏道っていうところをきちんとやっていくんですけど、
仏道をどうやってやっていくのかなみたいなのをきちんと体系立てていってくれているのが
菩提師様の、こう菩提師の教えだったり、
仏陀の教えだったり。
どうやって人とどうやって関わるの?
こういう時どうするの?
こういう時どんな気持ちでどういう風にやっていけばいいの?みたいな。
なのを全部書いてある。
全部書いてあるからね。
全部書いてある。
だから悩まなくていい、全然。
悩んかなーとか思わなくて全然いい。
全部書いてあるから。
で、今実際学ばれてると、まだまだ学びは、
全然、今世じゃ思わないですね。
そういうことですよね。
いっぱいやって、で時々出会っては、
ああ、こんなことが。
絶対そうだったわ、みたいな。
そうなんですね。
なるんですよ。
だからってじゃあ、そこに、
お金払ったら幸せになれますよとか、
この壺買ったらなりますよとか、
そういうことは書いてないわけですよ。
だからみんなが宗教ちょっとうーんって言うとか、
唱えとけば大丈夫みたいなことを言っているのは、
それがちょっとみんなが宗教を牽引するような、
一つの要因であると思いますけど、
一切そういうことはなくて、
ただただ自分に正直に、人にも正直に、
親切に真っ直ぐ生きていくぞ、みたいな、
本当に道を示しているものなので、
それをやっていくっていうところですよね。
でもそこでつまづいたら救済措置はちゃんとあるんで、
ファンタジーだったりとか、
ああ、そういうことか。
もしくはちゃんと負に落ちる答えを、
お釈迦様とかお大事様が用意してくれてある。
なんでこんなに理不尽なんだよって思うときに、
絶対出てくるから、
でもそこにきちんと答えを全部出してあるっていうのが、
すごくいいところで、
だけど、
はい、じゃあ今日から私仏教徒ですってなったときに、
いきなりじゃあ神殿極楽行きますとかはできないんですよ。
毎日ちゃんとベースに仏像をやっていって、
そこがあるからファンタジー発動できるわけで。
発動できない。
ファンタジーからいきなりボンとかいけないはずなんですよね。
だから嫌な人見かけたときに、
地獄に落ちろよと思っても、
あなた仏像ちゃんとやってないんだったら、
地獄に相手のことも落とせないんですよ。
そういうことか。
地獄の存在を否定してるんだから、
仏像をきちんとやってて、
そこに極楽とか地獄とか六道輪廻っていうのがあって、
ちゃんとしてないと地獄に落ちちゃうんだよってことを、
信じてるから相手に対して地獄に落ちろよって言えるんですよ。
そうじゃないですか。
信じてないのにさ、
言えないじゃんっていう。
自分が苦しい、
嫌な思いをされた相手に対して、
地って本当は思っちゃいけないんですよ。
許すっていうのが仏教のあれなんですけど、
思っちゃうみたいなのか。
それでもクーッてなったときに、
あいつってなったときに、
あの人、罰が当たるよって思ったら、
人間関係と自己責任
気持ちがちょっと楽になるじゃないですか。
罰が当たるよっていうのは、
そういう子は因縁障機っていう仏教の教えを信じてるから、
悪いことした人には悪いことが起きるよってことを、
信じているから、
それが発動できるわけで。
だから、だったら私も、
いい行いをしていかなきゃいけないっていう裏返しであるわけなんですよ。
突然、地獄も罰も発動しませんでした。
そういうことか。
それをやっぱり学んでいく中で、
知っていって、出会っていって、
そういうことですよね。
私の周りに人が全部いなくなっちゃったりとかしたけど、
それはやっぱり私自身がそのときは、
違う生き方をしてたんだなって思いました、すごく。
そのやっぱり、発罰として。
そうかそうかっていうところにいて。
会社を維持するってことに注力をしていて、
人間関係とかそういうのを一切無視してやっていたから、
だから、ちゃんとした人間関係を築いていたら、
周りから裏切られることはないじゃないですか。
裏切られるような人が周りにいたってことは、
人間関係を私は築けていなかったっていうことなので、
やっぱり自分に責任があるって思いました。
そこに気づくとか、ご自身が変化していかないと、
それに対して今のような言葉は出てこないような気がするというか、
自覚するのか、客観視して自分がこうだったみたいなのっていうのは。
両方だと思いますね。
客観視もしたし、
こっちに本当に誰も知り合いがいない状態でここに来ていて、
でも今すごくたくさん友達ができて、
ものすごくみんなに大事にしてもらって、
ものすごく豊かに生きているんですよ。
だから、自分がどうやって生きるかが、
周りの人間関係も作っていくし、
世界を作っていくんだなってすごく分かりました。
それが本当に、まだ言ったらそんなに長い時間じゃない中で、
それを築き上げていっているというか、
ユートピアとしての土地
例えばご縁ができて、その方とまたご縁ができた。
お話聞けているのはそういうことでもあると思うので、
その中で原川さんが新たな世界というのかな、
自分の場所を一歩ずつ作っていっている最中なのかな、みたいな。
そうですね。
そんなに難しいことじゃないんだと思います。
全然難しくないし、
ここの土地に来ている人たちは割とそういう人たちが多いんだなと思いました。
そういう人たちが集まっているんだなという。
それを感じますか?
すごく感じます。
やっぱりすごく自然が好き。
この土地が好きで引っ越してきている住者の人と、
この土地が好きで住み続けている人たちがたくさんいて、
よそ者の人たちを排除しないというそもそもの文化があって、
温暖で何かを争って取り合うみたいなことをしなくてもいいぐらい
豊かな場所じゃないですか。
そこって魚もとれて、粉もとれて、苔もとれて、温暖で雪降らないし。
そうなってくると、そうなことはユートピアだと思っていて、私は。
ユートピアに集まってくる人たちはユートピア思想だから。
なるほど、そういうことですね。
誰かと争うぞ、みたいな。
この土地開拓するぞ、みたいな話じゃなくて、
いいとこもっとあれするけど。
だからといって、都会の人たちとか、
例えばフォーリナンとかに、
いいとこ見てよ、みたいな感じじゃないじゃないですか。
それもありますね、そうですね。
あんまりゴリゴリ。
だって、来たかったら受け入れますけど、
全然ウェルカムですけど、
ガンガン宣伝していくみたいな感じじゃないじゃないですか。
そこがすごい良くて。
そっかー、そうですね。
僕自身が出身が立山なので、
気づきにくいところはあるんですよ。
当たり前に体に入っちゃってるから。
ただ、やっぱり暴走の人に言うと、
あばらお舟が一本ない、みたいな言い方を言うじゃないですか。
それぐらいちょっと抜けてる、みたいな。
鈍感なのか、豊かだからそうなってるのかもしれないですけど、
そういうところがあるんだ。
で、やっぱり新しく移住されて来られる方とかは、
そういうものがいいなっていうことをおっしゃっていただくので、
そうか、みたいな。
すごい感じます、それは。
そうなんですね。
何に対しても寛容で、
本当になんか、よそ者だろうが、
じゃあ出て行くからって言って、
あいつーとも言わないじゃないですか。
そうですよね、そう思います。
それもすごい良い。
江戸から近いっていうのがあれだと思いますけど、
船の町だから、いろんなところから人も来たでしょうし、
だからなのか、すごく寛容で、
そこもすごく新温宗と知りませんが、
何に対しても寛容なんですよ。
クリスマスパーティーとかやりますから。
ここで、そうなんですね。
それはオッケーなんですね。
私、だからもう二度とクリスマスパーティーできないと思って、
仏教徒になったから、
だから師匠様に、
もう二度とクリスマスパーティーできないんですかって言ったら、
いいよ、って言って。
なんか随分寛容なんですよね。
だって全てが宇宙なんだからさ。
そうか。
他の宗派の神様だって大事にするんだよって言って、
そうか、そうか。
じゃあ祝いましょう、みたいな。
みんなでトナカイの角とか肉付けてケーキ食べてチキン食うみたいな。
そうか。
そういう感じですね。
30:43
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