ハト組ホームルーム
ハト組ホームルーム、第3回ということで、集積をとります。ミョウユウさん、そして私、ヒューガナイスケ。ということで、3回目です。
前回ね、僕が結構重たいことを聞いたじゃないですか、死にたいって思ってる人が目の前にいたら、どうすんですかみたいな。
そこで、詳しくはちょっと前回聞いていただきたいと思うんですけど、基本的にミョウユウさんだったら、別に引き止めるとか、どうかする、説教するとかでは全くなく、とにかくそれがされると、私は夢見が悪いんですと。
私が、あの、しんどい思いをするので、やめていただきたい。やめていただきたいじゃないか。まあ、しんどい思いをすることになるなーっていうことを全力で伝えるよね。
まあ、何ていうか事故中だけどね。いやいや、でも、まあ事故中なのかどうかとは何とも言えないけど、少なくともこう、生きてればきっといいことがあるからやめろよ、みたいな、よくほら、ステレオタイプな止め方ってあるじゃないですか。
まあ、もし、例えば僕今こう収録しているビルの屋上にたまたま上がっていって、飛び、飛び込もう、飛び込もう、飛び降りようって思ってる人がいたときに、さあ果たしてそれを言えるんだろうか、みたいなことちょっと思うんですけどね。
生きてるといいことあるからってつい言っちゃいそうなんですよ。ないもんね、だって。ないもんね。あっさりないもんねっていう、いいですね。一応ほら、人に相談を受ける身じゃないですか、みょうゆんさんって。でも生きてていいことないもんねって言っちゃうのも、なんか一瞬すがすがしくていいなと思ってて。
すがすがしいね。いや、本当そうなんですよ。絶望感を与えている意味でないもんねって言ってるんじゃなくて、それってそもそも、いい悪いって何よって。そういうことよ。でしょ。そういうこと。
いいと捉えなかったら、何でもダメになっちゃうもんね。でも、自分自身がいいって捉えれば、いいことになるもんね。そうですよね。なんか、物事の捉え方のトレーニングみたいなことはあるのかもしれないんだけど、解釈ですよね、要は。
捉え方の癖じゃない?癖。なんか駅着いて、ちょうど階段登ってったら、電車が来てドンピシャってときにめっちゃ幸せにならないですか。わかります。今日すんごい運がいいかもしれない、ラッキーって思えるかどうかだよ。
たまたま電車来た。たまたま乗った。で、何もない平坦なのか。それとかあとは、こんな方もいるかもしれないね。たまたま電車来ちゃって降りる人がザーッとあって、もう邪魔邪魔邪魔、もう全く人が上がってきたときにたまたま着いたから人がいっぱい出てきて邪魔だよって思っちゃう、アンラッキーって思う人もいるかもしれないし。どう捉えるかだよね、それを。
やっぱり自分の周りに起きることって、当たり前ですけどコントロールできないじゃないですか。自然現象も人のなすことも。で、いいことを増やすことはできないと思うんですけど、ただ、さっきみたいに、どうなんですかね、それを捉えるときの捉え方の練習みたいなことって、たとえばみょうゆうさんは何かしたことあるんですかね。
あまりしたことないけど、でもね、何でもポジティブに捉えましょうっていうのも好きじゃないのよ。
分かります。ちょっとね、何ですかね、ポジティブって結構意見いいんですけど、何つったらいいのか、そりゃそりゃ偏ってるなという感じがするというか。
常にさ、鞭打たれてるみたいな感じがするね。走れ走れってさ。
松岡坊なんとかさんに、ほら、やれよって言われてるみたいな。全然松岡さんも悪いって言ってるんじゃないんですよ。
何て言うのかな、たとえば本当にさ、転んじゃったって、えらい目にあった、アンラッキーだった、でもそこから学ぶものがあるとかさ、病気一つでもそうなんだけど、それを本人さんが自分で掴んでいくなら全然いいよ。
ただそれを周りがさ、共有する、共用するっていうの。だから病気になって気が付けることもあるでしょみたいなさ、それから失敗して気が付くこともあるだろうみたいなさ。
何て言うのかな、そこをネガティブじゃなくてポジティブに捉えていけよって周りが言うのは、なんか大きなお世話だよなっていう感じ。
まあ言葉遊びですよね、本当にそれは言ってる意味はわかるんですけど、ただなんかその場ですぐにそれを即座にプラスのエネルギーに変えるって全然必要ないと僕も思っていて。
僕はやっぱネガティブな思いいっぱいしてきた時に、たとえば数年経ってようやく、それもポジティブに変わるというよりは自分の中で置きどころがわかったっていうんですかね。
なんかそういう感覚でいいと思ってて、ネガティブでも一生ネガティブですよ。おてんだったりとか恥だったりとか失敗だったりは失敗として置いておけばいいって僕は最近思うようになりましたね。
でそれを受けてどうやっていくかっていう概念というか、僕あの即興の芝居をずっと長年やってるんですけど、その即興の芝居台本がないんですね。
で当然いろんな不確定要素が起きるんですけど、よく教えられるのが基本イエス&って概念があって、イエス&はいそしてって。
まず受け入れるイエス、その上でそこに何を足していきますかっていうことを繰り返していくと自然に即興でもお芝居が生まれていくんだよっていうことなんですね。
でも人生も同じで。何事も一見プラスのこともマイナスのこともそれを受けて受け入れてじゃあその上何足していくかってところが問題であって、一番あれなのは見なかったことするとか忘れるもそれが一時的にね自分の健康を保つためならいいと思うんだけど、でもなかったこととしてならないから。
受けてどうするのかってところは全般的にずっと使える考え方なのかなって思ってはいるんですよね。なんかこうほらこれまた僕理由なんですけど、もうほんとしんどいなって思ったときにしんどい家中にいると視野も狭くなるし明日のことも来年で再来年どうなるのかってわかんないじゃないですか。
確かにね。でもちょっと今もやもやしてる。もっともやもやしたよそれ。だってさ例えばさすごいなんかジャイアンみたいなのがいてさ、学校小学生とかでさあれやってこいこれやってこいって言われてさ受けた申しなきゃいけないって言ったらなんかこうちょっとだからさ受けた申しなくてもいいことがあるんだね世の中には。受けた申しなくてもいいことと受けた申した方がいいのはなんだろうね。
なんなんですかね。
だっていじめとかさ受けた申しなくていいじゃない。だからいやむしろ受けたまわるなよって言いたくなるじゃない。だからなんだろう受けた申した方がいいことと受けたまわらなくていいことの差は明確にあるはずだな。なんだろうね。
まあちなみにそのPL学園の話だけで言うとイエスってどうしても言えないときもあるのでそういうときはあの返事がスッスッっていうあの無声音でSを出すんですってスッスッってお前なんとかやってこいよって例えばねめっちゃ言わないと思いますけどそんなことね裸でその場でパンツ脱いで踊れよとか言われてもスッスッって言うらしいですよなんか謎の音。
そういうまああのイエスではないけどノーでもないみたいな逃げ方はあるらしいんだけどなんかさっきのいじめの話で言うと受けた申っていうこと自体はそれこそ殴られるとかいじめられるままにこううずくまって耐えるっていう受けた申は全然しなくていいと思うんですよね。
で、いやなんか逃げることも受けた申の範疇なんじゃないですかそれこそそれを受けて自分はそういうそれがあったことを受け入れてでまあ自分の判断で逃げるという形のまあわかんないこれ僕の解釈ですけど承認をしたっていうことなのか。
受けた申をした後逃げる選択肢があるならいいかも。つまり受けたまわらないってことになるとその嫌なことを言ってきた人にお前そんなこと言うなよとか立ち向かうとかってことになっちゃうじゃない相手を変えようとしなきゃいけないわけじゃない。でもそれは絶対変わらないから。
そんな失礼なことを言う人は受けた申で受けてしまって逃げる。それならちょっとあのちょっと私のモヤモヤはスッキリした。
あのいじめに関して言うと逃げるっていうことすらそっちに変化できなくて苦しんでる人もいっぱいいると思うんですよ。だからもうその相手は変化させられないけど自分が逃げるって選択をするって勇気持って逃げる選択できるかどうかそれはもうすごく立派ななんていうの自分の変化。
そうだねそっかそう考えると大丈夫。要するに受けた申をできないと例えばさ大人になってもいるじゃない今いい上司ばっかりじゃないじゃない。
まあいわゆる何原みたいな感じのさその時に受けた申らないとなんで自分は言われちゃうんだろうって言われないようにもっとちゃんと仕事しようとかそれとか何であの人ああなんだろうもっと誤解を解くために説得しようとかいろいろやっちゃうじゃないそれ全部無駄だからね相手は変わらないから受けた申ってない。
でもそういうふうに言う受けた申りました受けた申で次どうするかやめます。この職場は自分には合ってないやめますっていうのがに行くんだったらいいね。受けた申でいいね。受けた申で我慢するのとはちょっと違うからね。
まあ日常普通の一般的な社会生活を送ってたら物理的に本当にもうがんじがらめんされて動けなくても逃げられないとかっていう状況ほぼ起きないじゃないですか。会社勤めったってさっきみたいに。
そうだね。逃げ道はあるはずだよね。
なんか変な真面目さでそこをとどまらないといけないんだとか思い込みで。
そうだよそれが受けた申してないからだよ。もうこれダメなんだなってこういう人なんだなって受けた申してないからどっかに突破口があるんじゃないかと思っちゃうっていう感じなんじゃない。
だからこういうやつなんだってその人は変なこと言ってくる人なんだで自分もそれにはもう耐えられないんだっていうことを受けた申して次の逃げる辞める撤退するという行動をちゃんと取ればいいのか。
そうですねちゃんと受け入れるってこと意外と大事なんですね一つのアクションとしてなんかこういう人でありそしてこの人は変えられなくて自分たちでこういうことをしてきているってことをそれをいやいやそんな変な現実ないないないないって言って僕はこの会社好き好きとかこの場所にいなきゃいけないいけないいけないみたいな歪めてみてしまったりとか。
あと自分のせいにしたりね俺のせいなんだとかさもっと自分がうまくやれればいいんですけどとかさそういうところに行っちゃってるとその現実を受けた申してないもんね。
いやそうだと思います本当に。
そういうことならちょっといいやっぱり大丈夫かも受けたもので。
山節の話が出てくるとは全く思ってませんでしたけど。
私もダイさんが山節だったとは知らない。
いや違いますよだから山節に修行したことない。
主言動って何って聞いた人間ですからね。
はいということであの今回も思わぬ方向に話が行きましたけれども
鳩組ホームルームオンラインもねやっていきたいと思ってますのでズームでお話ししてまあいろいろと思ったことをただ喋る回みたいなこともやっておりますのでぜひお便りフォームの方からそれ参加したいぞと。
日程がですねいつやるってパって言えない。
まあポッドキャストなんでリアルタイム性もあるんですけどパッとこういつやりますってものではないんですがあのやるはやります。
なのでぜひですねそちらからそこ参加したみたいで参加してみたいですって言っていただいてお便りいただけたりとか感想いただけたら大変ありがたく思います。
そして話す我々が話すテーマとしてもねなんとなくこうお便りからインスパイアされることもあると思うのでそんなにこう重たい相談とかじゃなくてもねこんなこと思いましたってこと言っていただけたら大変ありがたく思いますのでではまた第4回以降でお会いできればと思いますありがとうございました。
今週も最後までお聞きいただきありがとうございました。お聞きのアプリで番組のフォローとレビューをお願いいたします。
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それではまたお耳にかかりましょう。ご機嫌よう。さようなら。
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