1. ハト組ホームルーム
  2. #003 修験道の「うけたもう」..
2025-01-19 18:02

#003 修験道の「うけたもう」を思い出した。

修験道「うけたもう」。

「うけたもう」。 妙憂さんが修験道の修行の中で使った言葉なのだそうです。 今回も、いろいろな方面に話が飛躍していきます。 ぜひ、最後までお聴きくださいね。

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📗ハト組ホームルームとは?

看護師で僧侶の玉置 妙憂 (たまおき みょうゆう)さんと、マジシャンでインプロヴァイザー(即興俳優)の日向 大祐(ひゅうが だいすけ)がお送りする、生きづらさを感じた時に聴くと少しだけ気持ちが軽くなるホームルーム番組です。

ハトはハト。カエルはカエル。

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🎧今週のハト組ホームルームは?🎧

毎週、テーマを決めずにお話ししてるハト組ホームルーム。 話終わってみないと、何を話すのかわかっていません! 今週は、どんな内容のお話になったのか? ぜひ、最後までお聴きください。

【注目のトピック】
  • 生きていて良いことって、、、ないもんね?
  • 「良いこと」「悪いこと」って何だろう。
  • なんでもポジティブに捉えましょうって好きじゃない!
  • 即興のお芝居で「Yes and」というのがあって。
  • 今起きてる出来事って人生の小説の中の何文字分だろう?
  • 修験道の「うけたもう」の話。

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👤玉置 妙憂プロフィール👤

看護師・僧侶・スピリチュアルケア師・ケアマネ-ジャー・看護教員 非営利一般社団法人大慈学苑代表 専修大学法学部法律学科卒業。夫を在宅で看取ったことをきっかけに、出家。高野山での修行を経て、高野山真言宗阿闍梨となる。現在は非営利一般社団法人「大慈学苑」並びに「日本スピリチュアルケア実践協会」を設立し、終末期、ひきこもり、不登校、子育て、希死念慮、遺族の喪失悲嘆まで、幅広いスピリチュアルケア活動を実践している。 著書『まずは、あなたのコップを満たしましょう』(飛鳥新社)『困ったら、やめる。迷ったら、離れる。』(大和出版)『死にゆく人の心に寄りそう 医療と宗教の間のケア 』(光文社新書)、他多数。 ラジオニッポン放送「テレフォン人生相談」パーソナリティ。

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👤日向 大祐プロフィール👤

マジシャン・インプロヴァイザー(即興俳優) 東京大学大学院修了。観客の目の前で見せるクロースアップマジックの分野で2009年「Blackpool Magic Convention」にて優勝し、日本人初の欧州チャンピオンとなる。また、即興俳優としての活動も行い、国内外で数多くのステージに出演。 2011年以降、マジックに演劇、即興劇(インプロ)、音楽、パントマイムなどの要素を融合させた独自のスタイル「シアトリカルマジックライブ」を上演し、劇場でのソロ公演活動を精力的に行う。2018年のソロ公演では東京・上野の劇場に1,000人を動員。著書に「3分で心をつかむ かんたんマジック(KADOKAWA)」など。 2024年現在、飲食店でのディナーショー・法人のパーティーなどに多数出演中。

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今週も最後までお聴きいただきありがとうございました。 この番組は、人生に花を咲かせるPODCAST番組をお届けするLifebloom.funの制作でお送りいたしました。

 

サマリー

このエピソードでは、修験道の「受けたもう」という言葉を通じて、物事を受け入れることの重要性が語られています。特に、日常生活におけるネガティブな出来事への対処法や思考を変える方法について議論されています。また、修験道の「受けたもう」という考え方を通じて、自己受容や選択の重要性が掘り下げられています。いじめや社会生活における受動的な反応からの解放についても議論が展開されています。

ネガティブな思考の受け入れ
ハト組ホームルーム
ハト組ホームルーム、第3回ということで、集積をとります。ミョウユウさん、そして私、ヒューガナイスケ。ということで、3回目です。
前回ね、僕が結構重たいことを聞いたじゃないですか、死にたいって思ってる人が目の前にいたら、どうすんですかみたいな。
そこで、詳しくはちょっと前回聞いていただきたいと思うんですけど、基本的にミョウユウさんだったら、別に引き止めるとか、どうかする、説教するとかでは全くなく、とにかくそれがされると、私は夢見が悪いんですと。
私が、あの、しんどい思いをするので、やめていただきたい。やめていただきたいじゃないか。まあ、しんどい思いをすることになるなーっていうことを全力で伝えるよね。
まあ、何ていうか事故中だけどね。いやいや、でも、まあ事故中なのかどうかとは何とも言えないけど、少なくともこう、生きてればきっといいことがあるからやめろよ、みたいな、よくほら、ステレオタイプな止め方ってあるじゃないですか。
まあ、もし、例えば僕今こう収録しているビルの屋上にたまたま上がっていって、飛び、飛び込もう、飛び込もう、飛び降りようって思ってる人がいたときに、さあ果たしてそれを言えるんだろうか、みたいなことちょっと思うんですけどね。
生きてるといいことあるからってつい言っちゃいそうなんですよ。ないもんね、だって。ないもんね。あっさりないもんねっていう、いいですね。一応ほら、人に相談を受ける身じゃないですか、みょうゆんさんって。でも生きてていいことないもんねって言っちゃうのも、なんか一瞬すがすがしくていいなと思ってて。
すがすがしいね。いや、本当そうなんですよ。絶望感を与えている意味でないもんねって言ってるんじゃなくて、それってそもそも、いい悪いって何よって。そういうことよ。でしょ。そういうこと。
いいと捉えなかったら、何でもダメになっちゃうもんね。でも、自分自身がいいって捉えれば、いいことになるもんね。そうですよね。なんか、物事の捉え方のトレーニングみたいなことはあるのかもしれないんだけど、解釈ですよね、要は。
捉え方の癖じゃない?癖。なんか駅着いて、ちょうど階段登ってったら、電車が来てドンピシャってときにめっちゃ幸せにならないですか。わかります。今日すんごい運がいいかもしれない、ラッキーって思えるかどうかだよ。
たまたま電車来た。たまたま乗った。で、何もない平坦なのか。それとかあとは、こんな方もいるかもしれないね。たまたま電車来ちゃって降りる人がザーッとあって、もう邪魔邪魔邪魔、もう全く人が上がってきたときにたまたま着いたから人がいっぱい出てきて邪魔だよって思っちゃう、アンラッキーって思う人もいるかもしれないし。どう捉えるかだよね、それを。
やっぱり自分の周りに起きることって、当たり前ですけどコントロールできないじゃないですか。自然現象も人のなすことも。で、いいことを増やすことはできないと思うんですけど、ただ、さっきみたいに、どうなんですかね、それを捉えるときの捉え方の練習みたいなことって、たとえばみょうゆうさんは何かしたことあるんですかね。
あまりしたことないけど、でもね、何でもポジティブに捉えましょうっていうのも好きじゃないのよ。
分かります。ちょっとね、何ですかね、ポジティブって結構意見いいんですけど、何つったらいいのか、そりゃそりゃ偏ってるなという感じがするというか。
常にさ、鞭打たれてるみたいな感じがするね。走れ走れってさ。
松岡坊なんとかさんに、ほら、やれよって言われてるみたいな。全然松岡さんも悪いって言ってるんじゃないんですよ。
何て言うのかな、たとえば本当にさ、転んじゃったって、えらい目にあった、アンラッキーだった、でもそこから学ぶものがあるとかさ、病気一つでもそうなんだけど、それを本人さんが自分で掴んでいくなら全然いいよ。
ただそれを周りがさ、共有する、共用するっていうの。だから病気になって気が付けることもあるでしょみたいなさ、それから失敗して気が付くこともあるだろうみたいなさ。
何て言うのかな、そこをネガティブじゃなくてポジティブに捉えていけよって周りが言うのは、なんか大きなお世話だよなっていう感じ。
まあ言葉遊びですよね、本当にそれは言ってる意味はわかるんですけど、ただなんかその場ですぐにそれを即座にプラスのエネルギーに変えるって全然必要ないと僕も思っていて。
僕はやっぱネガティブな思いいっぱいしてきた時に、たとえば数年経ってようやく、それもポジティブに変わるというよりは自分の中で置きどころがわかったっていうんですかね。
なんかそういう感覚でいいと思ってて、ネガティブでも一生ネガティブですよ。おてんだったりとか恥だったりとか失敗だったりは失敗として置いておけばいいって僕は最近思うようになりましたね。
でそれを受けてどうやっていくかっていう概念というか、僕あの即興の芝居をずっと長年やってるんですけど、その即興の芝居台本がないんですね。
で当然いろんな不確定要素が起きるんですけど、よく教えられるのが基本イエス&って概念があって、イエス&はいそしてって。
まず受け入れるイエス、その上でそこに何を足していきますかっていうことを繰り返していくと自然に即興でもお芝居が生まれていくんだよっていうことなんですね。
でも人生も同じで。何事も一見プラスのこともマイナスのこともそれを受けて受け入れてじゃあその上何足していくかってところが問題であって、一番あれなのは見なかったことするとか忘れるもそれが一時的にね自分の健康を保つためならいいと思うんだけど、でもなかったこととしてならないから。
受けてどうするのかってところは全般的にずっと使える考え方なのかなって思ってはいるんですよね。なんかこうほらこれまた僕理由なんですけど、もうほんとしんどいなって思ったときにしんどい家中にいると視野も狭くなるし明日のことも来年で再来年どうなるのかってわかんないじゃないですか。
修験道の「受けたもん」
そんな未来にこう思いを馳せられない。今つらいんだって。それでいいと思っていて。ただ一個だけまあとりあえず体さえ動いていればそのうちその将来来るわけなんですけど、人生全部を一冊の本だと思ったときに自分のねこう辞伝みたいのが書かれたとして。
今ネガティブに思っていることって何行分よ何ページ分よって思うとまあそんな大したことないかなって。下手すら何文字分かもしれないし書かれないかもしれない。ページの都合でとかことあると思うので。なんかそういう目線持つとまあ一時的にちょっとスッとまあ消せないけど受け入れて場合によってはもう書いとこうかなぐらい気持ちになれる気はしてるんですよね。
なんか今さ主言動の受けたもんを思い出したよ。
何?全然知らないワードばっかり出てくるんですけど。主言動?
主言動の修行に行ってきたんだけど。
なんかいろいろそう。主言動の修行?
いわゆるなんていうのあれ山節さんだ山節。山節の先達って言って修行を案内してくれる。
僧侶が山節の修行に行く。
元々似たようなもんだからね。
そうなんですね。
途中で別れたんだけど、行ったんだけどね。その修行に入った時、まあ山を一日中山歩きをするんだけど、修行に入った時から許される言葉は受けたもんしかないんです。受けるね。受けたもんしかなくて。
途中まあ目ができて足痛くなっても受けたもん。岩に転んで手転んでも受けたもんっていう全部受けたもんしか言えないんだけど。
何事も全部受け入れますよ。
そこが今だいさんが言ったことと似てない?
つまりさ、豆できました。嫌だ。どうして豆なんかできちゃったんだ。なんでこんなことになったんだって言ってる限り豆ができたってことに支配されるわけよ。
ずっと苦しいの。でも豆ができた。受けたもんって言うと、あとは豆ができた足でどう登ってったらいいんですかってことを考えればいいだけの話だから。
受けたもんってすごいなって主言動を言った時にすごい言葉だなって思ってたの。それ今同じこと言ったからびっくりした。
そうなんだ。受けたもんしてたんだ。
受けたもんしてたよ。寝っからの山虫かも。
全く主言動って何ですかと聞いてる人間なんですけど。
いやいやいや。出てた。
でも確かにそうかも。それこそある種、豆ができちゃったどうしようとかいろんな嫌なことが起きちゃったどうしようって言葉って何かしようってことじゃないですか。
それってある種なんかすごい自信があるってことですよね。なんか自分これに対して解決したりとかアクションできるって思ってるってことだから。
なんかある種傲慢なのかもしれないし。でもそういうことじゃなくて、それはそれで受け入れて、その上でどうしてか考えますよ。
受けたもん。だから受けたもんって言った途端に自分のコントロール下に入るんだよそのことが。
上下関係と受け入れ
今まではその出来事に自分が振り回されちゃってるわけ。どうしようどうしようどうしたらいいのって困ったとかこんなはずじゃなかったとか言って。
だからもう全部自分が支配されてるじゃん。でも受けたもんって言った途端にその出来事って自分のコントロール下だからね。受けたんだから。
なるほどね。
すごくない?いやすごいなと思ったら目の前で言ってたからびっくりした。
ほんとですか。何ですかね別に誰かに教わったという覚えもない。
前世じゃない?
前世?なんか急にスピリチュアルな。
山節じゃない?
山節なのかな。受けたもんって不条理なこといっぱいあるじゃないですか。
世の中不条理しかないもん。
受けたもんっていう話を聞いて僕本当に不謹慎ながら全然関係ないことをちょっと一部で思っちゃってたのはPL学園っていう野球の名門校あるじゃないですか。
甲子園に何度も出てた。
知ってる知ってる。
男のすごい上下関係厳しいんですって。先輩の付き人として同じ寮に先輩と同じ部屋に後輩が住むようになって先輩のスカイパーシティをごとごとくやらされるんです。
あれやってこいこれやってこいユニフォーム選択してこい。で返事はねイエスしかないんですって。
はいって。受けたもんですよ。それこそ。いや分かんないですけどPL学園だと聞いてたらそんなんじゃないって思うかもしれないけど。
よしよしは置いといてね。ぜひは置いといても現実そういう世界があって後輩の人はそれを受け入れて受け入れた上でそれをやって先輩と過ごしていくっていうのはある種の修行なのかもしれないですよね。
受けたもうの重要性
確かにね。でもちょっと今もやもやしてる。もっともやもやしたよそれ。だってさ例えばさすごいなんかジャイアンみたいなのがいてさ、学校小学生とかでさあれやってこいこれやってこいって言われてさ受けた申しなきゃいけないって言ったらなんかこうちょっとだからさ受けた申しなくてもいいことがあるんだね世の中には。受けた申しなくてもいいことと受けた申した方がいいのはなんだろうね。
なんなんですかね。
だっていじめとかさ受けた申しなくていいじゃない。だからいやむしろ受けたまわるなよって言いたくなるじゃない。だからなんだろう受けた申した方がいいことと受けたまわらなくていいことの差は明確にあるはずだな。なんだろうね。
まあちなみにそのPL学園の話だけで言うとイエスってどうしても言えないときもあるのでそういうときはあの返事がスッスッっていうあの無声音でSを出すんですってスッスッってお前なんとかやってこいよって例えばねめっちゃ言わないと思いますけどそんなことね裸でその場でパンツ脱いで踊れよとか言われてもスッスッって言うらしいですよなんか謎の音。
そういうまああのイエスではないけどノーでもないみたいな逃げ方はあるらしいんだけどなんかさっきのいじめの話で言うと受けた申っていうこと自体はそれこそ殴られるとかいじめられるままにこううずくまって耐えるっていう受けた申は全然しなくていいと思うんですよね。
で、いやなんか逃げることも受けた申の範疇なんじゃないですかそれこそそれを受けて自分はそういうそれがあったことを受け入れてでまあ自分の判断で逃げるという形のまあわかんないこれ僕の解釈ですけど承認をしたっていうことなのか。
受けた申をした後逃げる選択肢があるならいいかも。つまり受けたまわらないってことになるとその嫌なことを言ってきた人にお前そんなこと言うなよとか立ち向かうとかってことになっちゃうじゃない相手を変えようとしなきゃいけないわけじゃない。でもそれは絶対変わらないから。
そんな失礼なことを言う人は受けた申で受けてしまって逃げる。それならちょっとあのちょっと私のモヤモヤはスッキリした。
あのいじめに関して言うと逃げるっていうことすらそっちに変化できなくて苦しんでる人もいっぱいいると思うんですよ。だからもうその相手は変化させられないけど自分が逃げるって選択をするって勇気持って逃げる選択できるかどうかそれはもうすごく立派ななんていうの自分の変化。
そうだねそっかそう考えると大丈夫。要するに受けた申をできないと例えばさ大人になってもいるじゃない今いい上司ばっかりじゃないじゃない。
まあいわゆる何原みたいな感じのさその時に受けた申らないとなんで自分は言われちゃうんだろうって言われないようにもっとちゃんと仕事しようとかそれとか何であの人ああなんだろうもっと誤解を解くために説得しようとかいろいろやっちゃうじゃないそれ全部無駄だからね相手は変わらないから受けた申ってない。
でもそういうふうに言う受けた申りました受けた申で次どうするかやめます。この職場は自分には合ってないやめますっていうのがに行くんだったらいいね。受けた申でいいね。受けた申で我慢するのとはちょっと違うからね。
まあ日常普通の一般的な社会生活を送ってたら物理的に本当にもうがんじがらめんされて動けなくても逃げられないとかっていう状況ほぼ起きないじゃないですか。会社勤めったってさっきみたいに。
そうだね。逃げ道はあるはずだよね。
なんか変な真面目さでそこをとどまらないといけないんだとか思い込みで。
そうだよそれが受けた申してないからだよ。もうこれダメなんだなってこういう人なんだなって受けた申してないからどっかに突破口があるんじゃないかと思っちゃうっていう感じなんじゃない。
だからこういうやつなんだってその人は変なこと言ってくる人なんだで自分もそれにはもう耐えられないんだっていうことを受けた申して次の逃げる辞める撤退するという行動をちゃんと取ればいいのか。
そうですねちゃんと受け入れるってこと意外と大事なんですね一つのアクションとしてなんかこういう人でありそしてこの人は変えられなくて自分たちでこういうことをしてきているってことをそれをいやいやそんな変な現実ないないないないって言って僕はこの会社好き好きとかこの場所にいなきゃいけないいけないいけないみたいな歪めてみてしまったりとか。
あと自分のせいにしたりね俺のせいなんだとかさもっと自分がうまくやれればいいんですけどとかさそういうところに行っちゃってるとその現実を受けた申してないもんね。
いやそうだと思います本当に。
そういうことならちょっといいやっぱり大丈夫かも受けたもので。
山節の話が出てくるとは全く思ってませんでしたけど。
私もダイさんが山節だったとは知らない。
いや違いますよだから山節に修行したことない。
主言動って何って聞いた人間ですからね。
はいということであの今回も思わぬ方向に話が行きましたけれども
鳩組ホームルームオンラインもねやっていきたいと思ってますのでズームでお話ししてまあいろいろと思ったことをただ喋る回みたいなこともやっておりますのでぜひお便りフォームの方からそれ参加したいぞと。
日程がですねいつやるってパって言えない。
まあポッドキャストなんでリアルタイム性もあるんですけどパッとこういつやりますってものではないんですがあのやるはやります。
なのでぜひですねそちらからそこ参加したみたいで参加してみたいですって言っていただいてお便りいただけたりとか感想いただけたら大変ありがたく思います。
そして話す我々が話すテーマとしてもねなんとなくこうお便りからインスパイアされることもあると思うのでそんなにこう重たい相談とかじゃなくてもねこんなこと思いましたってこと言っていただけたら大変ありがたく思いますのでではまた第4回以降でお会いできればと思いますありがとうございました。
今週も最後までお聞きいただきありがとうございました。お聞きのアプリで番組のフォローとレビューをお願いいたします。
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それではまたお耳にかかりましょう。ご機嫌よう。さようなら。
この番組は人生に花を咲かせるポッドキャスト番組をお届けするライフブルーム.ファンがお送りいたしました。
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