包括的性教育の意義
皆さんこんにちは、はんちゃんです。私はですね、包括的性教育という分野で、年間40校園ぐらい、学校でね、あの話をさせていただいてるんですけれども、
簡単に言うと、生きるっていうところですよね。生きるっていうところを、いろんな角度からお話しさせてもらってるんですね。
時に、自分の誕生、その助産師っていう仕事もしているので、自分の生まれてきたルーツみたいなところから生きるっていうお話をしたり、
またその思春期のね、体と心の変化っていうところからお話をしたり、あとは心の部分ですよね。自分と相手を尊重するみたいなところから
生きるについてお話をしたり、いろんな角度からお話をさせてもらうんですけど、その中でね、例えば、じゃあ生まれる、生まれてきたルーツのところで言うと、
私たちはね、愛されて生まれてきたんだよっていう言葉があるとするじゃないですか。それは、その言葉を聞いた時に、
スッと入る子ももちろんいると思うんです。 だけど、その学校現場、学校教育の場でそういうことを言って、すごくリスクをはらんでいて、
いまいろんなご家庭がおられるのは当たり前なんですよね。 いろんなご家庭があるっていうのを踏まえた上で、その中でね、聞いている子たちにとっては、自分は本当に愛されてるのかなって
思って不安になっている子も、中にはいるかもしれないんですよね。 そういう子に対して、みんな愛されて生まれてきたんだよっていうメッセージを伝えると、
逆にナイフで刺すような、すごく傷をえぐったりとか、トラウマになってしまうようなことだったりとか、そういうのを触発しかねないんですよ。
だから、学校教育の場でお話をするときって、すごく配慮が必要だなって思ってるんですよね。
で、その誕生の話で言うと、自分の命は愛されてるとか愛されてないとか、正直関係なくて、誕生っていうのは卵子と生子が受精をして受精卵になって、
女性の子宮の中で大きくなって、皆さん母親から生まれて、生まれた後、いろんな方の手を借りて大きくなった。これが事実です。
そこに愛されてるか愛されてないかっていうのは関係ないんですよ。 ここが、包括的性教育の性を科学的に伝えるっていうのは、そういうところなんですよね。
その科学と温かみの塩梅みたいな、そこのバランスがすごく難しいところであり、奥深いところであり、すごく私もずっとずっと悩みながらお伝えしている部分ではあったりするんですけど、
子どもたちへの配慮
学校からの狙いに沿って、私は授業を組み立てさせてもらってるんですが、結構多いのが、自分と相手を尊重するっていうのはどういうことかっていうのを伝えて欲しいって言われることが結構多いんですよね。
その時も、困ったことがあったら誰かに相談、お隣に相談してねとか、自分はとっても大切な存在なんだよって言うのは簡単なんですよ、本当に言うのは簡単なんだけど
今本当に例えば、とても人間関係とかでね、しんどい悩んでいる子の前でそれを言ったとて、それってね、綺麗ごと言ってる大人にしかならないんですよね、本当に
だからそこをあえてそのダイレクトに伝える、あなたは大切なんですよっていう言葉を伝えずに、だからその命は大切なんですよっていう言葉を使わずに伝えるっていうのが大事かなって私は思ってるんですね
で、私自身がその例えば中学生のね、そのまま思春期の時期ですよね、私自身の中学生の時って私本当にしんどかったんですけど、あのそのしんどいことを私誰にも相談できてないんですよ、親にもできてないんですよ、周りの一緒にいた友達にも言ってないんですよね
やっぱりそのいじめられているっていうことに対して自分がすごく深く傷ついて、なんかなんだろうなもうあの生きるのが面倒くさいなって思うぐらいすごく悩んでたんだけど言えなかったんですよね、それを私は悩んでいるっていうことをね
なんかなんか過去のね私に出会ったらねあの思いっきり抱きしめてあげたいなって 思うんですけど私はでもそれをすることで自分の心を守ってたんですよ
私は大丈夫まだ大丈夫 ちゃんとあの生活できているちゃんと中学校行けているっていうことが私を
奮い立たせる一つのうんとモチベーションというかパワーだったから 相談できなかったこと自体はあのなんだろうな
そうしんどかったけどねしんどかったけどだからこそなんか今強くなれたのかなー っていうふうには思ってるんですよね
だけどやっぱそこでとね今子供の自殺ってすっごい多いんですよ からそこでねやっぱりこう自分自身で解決できなくて
で命を絶つっていうねその選択肢を取る子もいる中で 何が伝えられるのかなーって私はね
考えた時に やっぱり私はうんとなんだろきれいごとだけいう大人にはなりたくないなって思って
いるので まあでもとはいえね学校のその授業って1回きりなんですよね
1回きりの出会いだからあのしかもねその一人一人話すわけじゃなくって 何十人何百人っている中で話す立場だから本当に深くは語れないので私は
自分の過去の話っていうのをよくしてるんですよね 自分もあの私も中学校の時しんどかったって
でその中学校の時ってねまだその脳が未熟なんですよね発達段階だから 特に脳の音その返答体っていう部分ですね返答体っていう部分は怒りとか
恐怖とかあのそういう感情マイナスの感情をねすごく敏感に感じ取るんですよね でそこが思春期はすごくあの脳のその部分が敏感になるんですよ
だからちょっとしたことでもすごく恐怖を感じる 例えば人に嫌われたらどうしようっていう思いがすごく増幅されたりとか
そう であとえっと前頭前夜っていう部分ですねそこは脳のねあの
脳というか心の感情をコントロールする部分でもあるんですけどそこもまだ未発達 なんですよ
だからなんか例えば恐怖を感じてもあでもそれって本当に自分のこと言われてるのかな とか本当に嫌われてるのかなとかそういう自分の思考で解決できそうなこともまだその
コントロールする機能が未熟だからそう思えないんですよね どんどんどんどん恐怖が増幅していくっていうような感じになってしまう
なんかねそういう思春期の特徴とかも知ってると なんか今自分が悩んでるのって自分のせいではない
自己肯定感の大切さ
今そのそういう時期そういう時期だからうんと自分の思っている感情を抱いている気持ち っていうのはあみんなそうなんだって思えるとちょっと楽になるかなって思ったりするんです
よね うん
で私あのすごくあの中学校の時に救われたことがあって そうやってね誰にも相談できなくってあのなんていうのかなぁまぁちょっと
こう牙ってたというか牙るてね気を常に張っていた状態だったんですよね そんな時にあのある曲に出会ったんですよ
でその曲っていうのが浜崎あゆみさんの優っていう歌の一節なんですけれども きっとみんなが
思う 傷ついてたね疲れていたね気づかずにいてごめん
っていうねあの歌詞があるんですよ 私これ聞いた時にもうオエツが出るくらいめちゃめちゃ泣いたんですよね
でその時思ったのはあの なんていうのかな頑張ってた自分が
うんとこ誰かから認められた気がしてて なんていうのかなあのそう気づかずにいてごめんねってまさにそうですよね
私誰かに気づいて欲しかったのかって自分で思ったんですよ でそれでそれを歌を聴いてねじゃあ実際誰かに相談できたかというとそうじゃないんですけど
明らかに自分の気持ちが楽になったんですよね なんか自分の今の現状をなんだろうなこう否定するでもなく
ある意味肯定するでもなく今をそのままダイレクトに伝えてくれたみたいな そうなのでなんかねその
なんだろう マイナスな感情って抱いてはいけないっていうわけでは決してなくってそれでもいい
それでも良くってありのままの自分の感じる感情すべてが大事なんだよっていうことと あとでも決して
動かしないでほしいのは 自分は生まれた瞬間からね誰からも傷つけられていい存在じゃないんですよ
みんな幸せになる権利があるんですよね そうだからなんかそのなんだろうね
自分はこれをしないとこういういいことをしないと 評価されないとか幸せになってはいけないとかそういうことじゃなくって
無条件にみんな幸せになっていい存在なんだよっていうのは 伝えたいところだなって私がね思っているところだったりします
はい実はね今日あの 午後からね中学校での授業が控えているのではい私は朝からちょっと移動して
お昼に備えている感じなんですけど 今日もねちょっとどんな感じになるかドキドキの公演なんですが
はい何かちょっとでも感じたことがあれば コメントとかでね教えてもらえると嬉しいなって思っています
はいでは今日も最後まで聞いてくださってありがとうございましたバイバーイ